●過去を繋げて
もう既に壊れてしまっているものがあるとして。
けれど、それは未来まで失う必要があるのだろうか。
久遠ヶ原学園の図書館、その貸出用のパソコンで調べ物をする学生が三人。
不規則なリズムでタイプされるキーボードの音。時に印刷するプリンターの、ノイズのような響きも含まれる。
ここにいるのは依頼を受けたものの半分だ。残りは、人を相手に聞き込みに回ったりしている。バラバラのようにも見えるが、求める結果は一つに纏まっている。全てはその為の行動なのだ。
「不幸を呼ぶ女性ですか。興味深い……」
その正体が陰惨なイジメでなければですが、とグラン(
ja1111)は呟いた。
どうしてもリアルティに欠けるのだ。例えば、彼が調べている過去の失敗し、重傷者を出した依頼の報告書。
これらは確かにあった事件で、不幸。が、そこには人がいる。息遣いがあって、理由があって、行動が結果となっている。
因果関係があり、そこに人の息遣いが感じられるのだ。
対して、今真偽を確かめている不幸の噂は、どうだろう?
「……けれど、この調査内容は外れですか」
程度の差はあれど、重傷を負ったものは多くいる。天魔と戦うのが撃退士の主な依頼なのだから、失敗する事も負傷する事も当然のようにあるのだ。
筑城が入ったもの以外でも、重傷者は出ている。数こそ少ないもの、極端なレアケースではなかった。
「こっちの方は、手応えはありますけれど……」
知らず零れていたグランの言葉に、鈴代 征治(
ja1305)が返す。
鈴代が調べていたのは、筑城が最後に参加した依頼の記録だ。報告書に議事録。データ書類として残っていたそれを閲覧し、重要そうな情報を手元のメモに書き込んでいる。
「よくある依頼の失敗パターン、らしいですね。筑城さんが最後に関わった依頼の失敗理由って」
筑城は天魔との戦いにおいて、防御を重視した慎重な作戦を提案していた。が、宮野はそれに反対して、電撃戦とも言えるような積極的な攻撃を提案していたのだ。それぞれ理がある為、賛同者が分かれたまま依頼への出発となり。
「作戦で相談になかった宮野さんの突撃行動に、後衛である筑紫さんの支援行動が遅れ、相手のカウンターを受ける……そのまま戦況がずるずると、ですか」
意見が分かれた間々で、出発し、打ち合わせにない状況に直面して混乱する。
おそらく、失敗する原因として多数を占めるだろう、メンバーで意見と作戦を統一出来なかったという事。
それは、誰かの責任という事ではなく、全体としての責任なのだろうが。
「半数が重傷、多いね……」
同じ画面を眺めながら、常塚 咲月(
ja0156)は言葉を紡ぐ。
「鈴代くん…この依頼の参加者とかに話とか聞けると思う…?」
噂は止めるきっかけがない限り、増殖し続けるだけだから。
それこそ、崖から転がり落ちていくように。
「出来る、とは思いますけれど、やっぱり当事者だと主観が入っていて、正確な事実を聞くのは難しいかもしれませんね。けれど」
「それでも、やってみる価値はある筈です」
鈴代の言葉を継いで、グランは椅子から立ち上がる。
何時まで彼女は一人でピアノを弾くのだろう。
誰にも届かない音色。ソナタしか奏でられない、孤独な演奏。
「うん、行こう…? 何か、この噂を止める為の情報は必要だから」
そして、誰かが手を差し延ばさないと、彼女はこのままだろうから。
「助けに、いこう」
常塚は、言葉にするのだ。
頷くグランと鈴代。ただ。
「僕の方はもう少し、ネットのコミュニティサイトの方で、筑城さんの不幸の噂を調べてみます。何というか、起きている事は、日常の不幸ばかりなんですよね」
因果関係がない。
筑城の周りにいなくても、転落事故や交通事故は起きている筈だ。更に、失恋も筑城の不幸のせいだと語る者もいる。噂についての書き込みは、まるで筑城という少女がいるからこうなったと、自分に言い聞かせているようで。
「……もう少し、古いログを漁ってみます。噂の始まったころを」
「うん、お願い、ね」
グランと常塚は、聞き込みへと回る。作業の分担は、確かに良いのかもしれない。そちらの方が効率は上がる事もあるのだから。
あとは、仲間を信じ、そして、信頼されているからこそ、自分に出来る事をするのだと、鈴代は端末へと向き直る。
「成程、噂が立つ前からそんな子ではあったんだねぇ」
雀原 麦子(
ja1553)は筑城が所属していた部活の顧問などに、噂が流れる以前の交友関係や評判を聞いていた。大学生という事もあり、OGにも話を聞く事が出来た訳だが、それを総括すると。
「人付き合いが苦手なタイプで、淡泊というか冷静というか、感情の起伏が薄い。良い子で、しっかりとしているんだけれど、よくわからないと頃がある、ねぇ」
僅かに唸ってしまう雀原。
元々人付き合いが苦手だというのが、この噂に歯止めが効かない原因となったのかもしれない。自分から違うと否定出来ないせいで、どんどん膨れ上がってしまう。
気弱というのではなく、一種のミステリアスなのだろう。人付き合いは浅く、浅く。傷つかないように、傷つけないように。
そんな所に、日田という少年は恋してしまったのだろうか?
本当の所は解らない。けれども。
「にひひひ、せつない恋心。いいわね〜♪」
手助け出来る事があるのなら、このお姉さんが手伝ってあげましょうと、携帯で日田にメールを送る。
彼女の事はしっかり守るんだよと。
自分達には立場としても、そして交友の深さでも、触れられない部分があるから。
月臣 朔羅(
ja0820)は驚き、一瞬、返答に間を置いてしまった。
火事と廃部に対する因果関係を調査しようと、教師の元へと尋ねにいった月臣。
名目は火事の再発防止の為。自分の担任にも口裏を合わせて貰うようにしている。
よって、何ら教師に聞き込みをしても問題はない。逆に問題となったのは、教師の答えだった。
「火事の本当の原因は、結局、不明なんですか?」
火事の原因は何だったのか、言われた事をそのまま返す他なかった。
「ああ、不明だね。筑城さんの入っていた部活は音楽系のものなんだけれど、部室には鍵とかがなくて、誰でも入れたんだ。火種となるものがなかったから、多分放火だって事にはなったんだけれど……」
そこでしばらく言い淀む教師。
「……第一発見者となった一年生達がね、その直前に部室には誰も入っていなかったと証言していてね。彼女たちはその部活の子達じゃなくて、ただ部室に面する廊下で立ち話をしていたら、煙が見えた、けれど、その前には誰も部室には入ってなかった……ってね」
「怪しいですね」
不審な話にも冷静に、かつ礼儀正しく頷く月臣。
どうして、第一発見者という不審な相手の言う事をそのままに聞いたのか。月臣も少し考えればわかった。
「けれど、放火出来るライターなども所持していないし、わざわざ部室に放火する動機が見当たらなかった……でしょうか?」
「うん、そうなるね。発見され易い、見つかったら停学、或いは退学もあり得る事を、動機なしでやる訳ないじやないか、ってね」
ボヤ騒ぎで済んだというのもあるらしい。
深く追求はされなかったとの事だ。
けれど、ならばと月臣は気付く。もしかして、という二つの可能性に。
「部活が廃部になったのは、火事が原因ではない、ですよね」
「そうだね。その後も、色々と部室においてあるものがなくなったりして、雰囲気が悪くなって退部する人が多くて、部として維持できなかったんだ」
ああ、ならと頷く。
「それと、もしかして……ですが。その第一発見者の一年生達は、『水泳部員』では?」
「ん、どうしてそれを?」
やはりと思い、姿勢を正して口にする。
「人為的、或いは本当の呪い。どちらであろうと…実際に被害が出ている以上、無視は出来ません。協力を願えませんか? もう一度、似たような事が起きる前に」
真摯な思いを言葉に込めて、月臣は口にしていく。
「成程、な。実体験というのも、案外馬鹿にできねぇな。やんちゃしてた頃のとはいっても、役に立つものもあるか」
月臣から報告のメールを受けた安原 壮一(
ja6240)は口にする。
「取り巻き、ね」
宮野は宮野を中心とした聞き込みを行っていた。彼女の交友関係、学園での評判、本人の性格や言動について。
宮野自身は典型的な体育会系といってもよさそうな、直情系でバサバサした少女らしい。
現役時代は水泳部のエースでもあって、成績もかなり良いものを残している。同性からも人気や信頼の厚い、姉御肌といった所か。
だからこそ、安原の危惧した取り巻きの可能性も出てくるのだ。
彼女が何もしなくても、宮野を慕い、憧れる後輩たちが暴発し暴走する可能性とてあるのだ。
そして人為的に起こされた事であるのなら、当然のように行動を起こしたものがいる。
月臣と雀原からは、噂が偽物であると暴かれる事を危惧する者たちからの妨害を注意するようにと警告のメールは届いていた。
だから、安原が聞き込みをしようとしている対象は非常に危険なのだが。
「なあ、悪い」
――リスクに触れる分だけ、真相に最も近づける可能性があるのだ。
「宮野ってやつが、依頼で大怪我したって話を聞いたもんでよ。どんな感じだったのか興味あってな」
この質問に答える事が出来る相手は、それだけこの件に深く関わっているという事なのだから……。
●今、繋げる為に
周囲が暗くなった頃、六人と日田が食堂に集まっていた。
ミーティングと情報交換を兼ねての集まりだ。その為、出来るだけ目立たないようにと集まってはいる。
これから、調べた内容を一つずつ出し合い、噂が真実かどうか検証するのだが。
「まず、先に断定すると……不幸や呪いというのでは、ないようですね。噂は、噂です」
鈴代が述べていく。
「最初の方に起きた不幸の内容は、置いていた持ち物が消える、といった、人が引き起こせるちょっとした事件のようでした。中には、画鋲や剃刀が『何故か』混じっていて、人を怪我させるものもあったようですが……」
人が起こせる範囲でしか、最初は起きていなかったのだ。
けれど、そこで噂を否定しない筑城がいる。噂の中心となっているのに、自分から解こうとしなかった彼女が。その理由は解らないものの。
「その後に、だよね。不幸の噂が広がり始めてから、まるで模倣犯が出るように、或いは悪戯が加速するみたいに……そんなタイミングで、部室での火事が起きた」
常塚の硬い声を引き継いで、その件を調べていた月臣が口を開く。
「私が調べた限りでもそうなっていますね。あれらは明らかに人為的なものです。火事が起きた後には、どうやら筑城さんの部活のメンバーに『不幸』が起きて、部活を離れていき部員が足りなくなったのが廃部の理由です。火事は大したものではなく、そしてそこには宮野さんの後輩らしき影がある」
「まあ、それで断定できる訳じゃねぇけれどよ。確かに、後輩の取り巻きがいて、それが絡んでいそうなんだよな」
安原も賛同するのだが、証拠がない。
ただ、推測を固めるだけの材料だけはしっかりと、そして確実に増えていっていた。
「俺が宮野の後輩の一人に聞けた話だと、失敗して宮野が重傷になった依頼の後、筑城が謝りにいったらしいんだが、その時、ついかっとなって宮野が手をあげたらしい」
それは、撃退士として臆病者でどうする。天魔という脅威に立ち向かわなければ、この力はただの呪いだ。失敗した依頼は、犠牲者となった人々から見れば、私たちが不幸をばら撒いたようなもの、という辛辣な言葉もあったらしい。
「……その後、宮野は筑城に言い過ぎて悪かったと謝罪を入れたようだが、周りはその時はもう遅かったのか」
失敗した最後の依頼、そして、筑城の謝罪と宮野の暴言の後に、それこそ直後に不幸の噂は始まっていたのだ。或いは、宮野は周囲の暴走に気付いていないのかもしれない。
「でも、本当に証拠がないわねー。実は、現在進行形では不幸が起きていない、というのが現状なんだろうけれど、ねぇ」
自分の身に起きた不幸を面白半分に『不幸』だと語る人はいても、だ。
「ただ、それでも調べられる事はあってね。噂の出所を学年別にしデータにしてグラフにすると、と。ビールがない状態でやったから荒いけれど、こうなったわ。噂の発信源が、偏っているわねぇ」
過去と今の噂の発信源を書いた紙を広げる雀原。
それは一目見ただけで解る違いだった。学年別でやると、高校三年生以上は殆ど噂の発生源がない。
「……元々、発生していた噂は、高校二年以下の生徒が発生させていた、という事でしょうか?」
そう問うグランに、笑いながら雀原は答える。
「んー、にしし。まあ、そうだろうね。二年は、まあ、筑城さんがいるから解る。けれど、三年に発信元が殆どいなくて、一年にいるという事は、調べた後輩たちかなーと私はね
「つまり、結局」
話を纏めるとこうなるのだと、鈴代が語る。
「明らかにこれは人為的に発生させた噂で、『不幸』は真実ではない、ですね。日田先輩、後は、あなた次第です」
彼女の辛い所を見ていた貴方が行動する番だと。
協力はする。だから、貴方にしか出来ない事を。
「噂が消えても…皆と前の様には…なんて少なからず、出来ないと思う。ずっと護るつもりで手を差伸べなきゃ…彼女はまた傷付くよ…? 人は強くて弱いから…」
常塚の優しくて、温かい囁き。
あなたなら、それが出来ると信じているのだと。
「俺の考えだが…ある意味で自分が不幸を呼んでるってのは、間違っちゃいないと思う」
最初に否定出来れば。或いは、今からでも変わる事が出来るのなら。
自分への不幸は、きっとなくなる筈。失敗して出た依頼の犠牲者か、或いは重傷を負った仲間への気遣いかは解らない。
だが、不幸を一人で被る必要はないのだ。
「最終的に納得させるにゃ理屈だけじゃ多分無理だ。おい、日田っつったか?お前がどんだけ食らいつけるかもかかってるぞ」
強い眼差しで、日田を見つめる安原。
正面から受け取る日田の眼は強い意思を持っていた。
「真相が分かれば此方のもの。焦らずに行きましょう」
柔らかく微笑んで、月臣も促す。
だから。
翌日の夕暮れ、何時ものようにピアノのソナタが響く。
そこには何処からか、ヴァイオリンの音色も混じり始めていた。
独りでは、ないのだと。合わせ、重ねられる音と旋律。
そして、橙色の音楽室には、少年と少女。
「……また、来たの」
寂しそうに笑う筑城に、日田は告げる。
「筑城さんが不幸な方が、俺も……不幸ですから。不幸は」
沈黙。けれど、否定は欠片もない時間が流れて。
「そう」
ぽろり、と涙は零れて。
どうなるかは解らない。けれど、繋がりは切れず、連なる物語。
きっと、結末に不幸は存在しない。