●森へと入り
雪がちらついている。
幸いにも吹雪く事はない。けれど、視界の中で舞う白い粉。
森の中でもそれは変わる事はなかった。
当然のように、酷い寒さでもある。常磐木 万寿(
ja4472)が用意した防寒具は正解だっただろう。
戦闘の前に寒さで体力を奪われては、話にならない。
一方で、安堵の気持ちを抱くものもあった。
「この辺り、ですね」
地図に視線を落とし、確認しているのはマキナ・ベルヴェルク(
ja0067だ)。聞き込みをして得た情報を書き込んだそれは、そろそろ鴉の縄張りに入った事を示している。
「しかし、これは派手に暴れられたようだな……」
北島 瑞鳳(
ja3365)も、呻くように呟いた。
周囲の木々が、巨大な怪物が暴れたように破砕されている。
鋭い刃物で切られたような跡と握り潰された後を残す幹に、天井を覆うように広がっていた枝は、空から降りてきたもので壊され、空を大きく眺める事が出来た。
所々にある赤黒い染みは血の跡だろうか。
ディアボロが暴れた後は、破壊の円となって周囲を空白の荒れ地と化していた。
聞き込んだ情報ではちょうど円を描くように領域は存在し、空を飛んでいった巨大な影も方向としてはその円の中心を目指していたのだが、その円に踏み入ってすぐ、このあ有様に遭遇した。
聞き込んだ情報の通りであり、北島の懸念通りでもある。
「守り切れる自信はない、か」
それは村で聞き込みをした際に龍崎海(
ja0565)が説得として使った言葉だ。
けれども、それが確かなものだったのだと龍崎は感じている。これだけの被害を出すディアボロを相手に、守りながら、犠牲を出す前に倒す事は出来たのだろうか。
出来ない事はないだろうが、かなり厳しい事になっただろう。
「餅は餅屋、って言うしな。天魔は、撃退士である俺達が、だ」
「…犠牲者が出る前に片付けるしかないか」
南雲 輝瑠(
ja1738)も応えながら、後ろの輪に縄を結んだ苦無を握りしめる。
周囲を観察して、警戒しつつ、思う。理不尽も暴力も、天魔のもたらすそれは許せない。人界には元々あってはならない異物だとも思うから。
「鴉、ねえ……」
「気に入らないな、知能もない相手に人間社会を引っ掻きまわされるなんんて」
クジョウ=Z=アルファルド(
ja4432)と天羽 流司(
ja0366)も続けて口に出す。
皆、思う所は多くあるのだろう。
だが、最終的な結論としては一つに纏まる。
「そうだな。村が襲われる前に敵を仕留めて、片付けよう」
常磐木の声に、頷く皆。
帰りの為に、木々に傷をつけていたマキナが続ける。
「もう少し奥にいきましょう。見つかってはいませんが、逆にみつけてもいません」
まだここは領域に踏み入ったばかりだ。
隊列を整え、周囲を警戒して進まなければ空振りになるかもしれない。見つける事の出来る状態というのは、逆に見つけられる可能性があるという事でもあるのだから。
リスクとリターンは、基本として等価。
これからが本番なのだ。
「さて…害獣駆除に行こうか」
飄々と、けれど真剣に依頼へと向き合う常木 黎(
ja0718)。
浮かべている薄い笑みは、求めるキャリアと報酬、そして戦いをこの森の奥に期待しているせいなのかもしれない。
静かに、雪の音よりも気づかれないように、進む八人。
●森の中
風で、頭上の木葉が揺れる。
ただそれだけの事なのに精神が少しずつ削れていくのを感じ始めていた。
隊列としては先頭を務めるクジョウ、北島は空からの襲撃を警戒も担当している。奇襲が来るのなら、頭上からという可能性が一番高い。
それへの警戒という意味では、常木の行動が最も適していると言えた。隊列から離れ、やや後方から本隊の頭上を注意しつつ、自分は物陰から物陰へと。
ディアボロが奇襲で狙うのであれば、数の多い本隊だろう。
それを離れる事で発見し易くするという常木の行動は、偵察部隊のそれに近い。最も、単独行動である為、自分が襲われた時はかなり危険になるという事ではあるが。
更に側面の警戒はマキナと南雲が物音に耳を澄ませている。
血の跡、匂い。破壊の痕、音。
五感に優れる面々が警戒して敵を探索し、念の為の殿を、最も耐久力の高い龍崎が担当している。
此処は、もう敵の縄張りであり、領域。既に獲物になっているのかもしれないと、初めての依頼を受けている常磐木も、うっすらと実感していた。
だが、まだこれだけではきっと不十分。
そして同時に、これ以上の進行は危険だと全員が感じ始めた。
食べ残し、だろうか。肉の塊が雪に埋もれていたり、獣が暴れた跡が段々と多くなっている。
明らかに、巣となる場所に近づいているのだろう。いくら警戒しているとは言え、相手の縄張りの中では不利だ。
その状況をどう変えるかとなれば、それは簡単な事。
罠である。
「そろそろ仕掛けようと思うんだが、どうだろうか?」
事前に聞き込みをしていたお蔭でまだ精神的消耗が少ない内にと天羽が提案する。
取り出したのは携帯型CDプレイヤーと、鴉の鳴き声が録音されたディスクだ。なんとか手に入れる事が出来たのだ。
「そうだな。ただ闇雲に探すよりは、か。隠れて、待ち伏せよう」
北島が頷き、常木がしているように物陰へと隠れる面々。
音量を大きく響かせた鴉の声が、森に響き渡る。
この罠に相手が引っかかるかどうか。
もしも掛かれば、一気に有利となる筈。
冷たい空気に触れながら、ひっそりと待つ。
●森の鴉
ばさり。
そう聞こえたのは、静寂をかき乱すような凶暴な羽ばたきの音。
通常よりも五感に優れたものが多い中、それは強く、確かに聞こえ、そして段々と近づいていた。
(「これは……警戒しているのか?」)
そうクジョウが感じるのは、ペットとして鴉を飼っているせいだろうか。近付く羽ばたきの音は、他者を警戒しているように感じるのだ。威圧し、追い払おうとしているような。
近くの味方へと視線を巡らせれば、マキナと目が合う。
無言の間々だったが、マキナも鴉が警戒していると感じているらしい。
知らない他の個体の鳴き声を縄張りに侵入してきた敵、或いは獲物と感じているのかもしれない。
方角はどちらだろうか。双眼鏡を手にした龍崎が探る中、聴こえるかどうかギリギリの声で常木が囁く。
「来たよ、三時の方向上方」
言われた方向へとついと視界をずらすと、黒い影が三つ連なってこちらへと向かっている。
翼が大気を叩く音に加えて、明らかに敵意を向いた鳥の鳴き声。黒い鳥が不吉さ共に、白く染まった森の上を飛ぶ。
(「確実に警戒しているか。不意はつけないな」)
元より用意出来ればいう待ち伏せだったのだから、誘き寄せが成功しただけでも喜ぶべきだと天羽は胸の中で声をしまう。
この結果も、一つの積み重ねになるだろうと。
そうして鴉がついに場所を割り出し、自分達の上空を旋回し始めていた。が、下りてくる様子はなかった。鳴き声だけで、対象となる存在を視認出来ずに戸惑っている様子だ。
だからここで一押しと、マキナが小枝を踏み折り、北島が手鏡で陽光を反射させる。
小さな物音と、煌めく光。
一匹が注意を引かれ、高度を落とす。
着地する気はないのだろうが、今のは何だと確かめようとしているのだ。
だから、機が産まれる。一匹だけ高度を落とし、隠れている射撃班の面々の射程に入ったのだから。
「さあ、始めようか」
身を隠した木から半身を出した常木の声と、ピストルの轟音が開戦を告げる。
空を飛んでいる鴉の身に突き刺さる常木の弾丸。
警戒はしていても、視認はしていないし戦闘態勢を取ってはいない。避けられる筈もなく突き刺さる。
「まずは、落下させないと始まらない」
追撃として突き刺さる常盤木のリボルバーが火を噴く。射程の長さを利用しての、相手のレンジの外からの発砲。
二連続の銃撃で身を揺らす鴉へ、更に地へと堕ちろと意思を込めてスクロールの光弾が二発同時に放たれた。
「そう、空中から討たれるのは厄介だからね」
「まずは数を減らさなければ……っ…」
天羽と龍崎の光の魔弾。魔力で身を焼かれ、激痛に墜落し始めた一匹目。
他の二体は、今ようやく事態に気がついた所。敵の動きはまだだ。ならば、ここで一気に落とすべきだ。
「はあっ!」
続いた北島の光弾は、いっそ気を練った弾であるかのよう。腹の底からの気合と共に撃ち出された一撃に、ついに鴉はその姿勢を崩す。
地へと堕ちるディアボロ。
地面へと叩きつけられ、バウンドするその塊へと、前衛組が殺到する。
翼は失った。なら、もう終わりだと。
「その命に、幕引きを」
速やかな終焉を。
雪化粧で白く染まった森を黒い軍服姿で駆けるマキナ。
黒焔を纏う彼女の拳は鴉の翼を砕かんと唸りを上げ、骨を砕く乾いた音を空に響かせる。
「悪いな、お前たちはやりすぎるんだよ」
姿勢を整え終わる前に、横手から滑るように接近していたクジョウの貫手が鴉の胸部を突いていた。
しなやかに伸びた天魔を狩るハンターの一打で、今度は横へと転がるディアボロ。
不意を突かれたとは言え、無残であり、無様。なら、せめて一瞬で楽にしてやろうと、静かな剣気が奔る。
「その首、貰うぞ!」
南雲の狙いは斬首。仲間の攻撃で気を取られた瞬間を待っての一閃は、黒い鴉の首筋へと吸い込まれて肉と骨を断ち、反対側へと突きぬけていく打刀。
背後から奇襲。二度は使えなくとも、一撃必殺を果たす。
吹き上がる黒い羽と、赤い血。雪の白さを染め上げる二色。
そして風切り音。
切り飛ばされた仲間の首を見て、残る二体が赤い瞳に激怒を浮かび上がらせて、攻撃を開始したのだ。
「まあ、そうくるよね……っ…」
飛来した風斬の一閃を、予め遮蔽物としていた樹の幹を盾にして避ける過ごす常木。
だが、もう一体に飛び掛られた南雲は避けきれない。急激な降下と共に嘴が突き出される。顔面を狙われた一撃を、咄嗟に腕を盾にして凌ぐが、肉を食い破られる。
痛みに怯んだ隙に、再び上昇していく鴉。
「流石に、翼の利は手放さないか」
天羽は開いたスクロールの文字を輝かせながら戦況を見つめる。
いきなりの攻撃で一体を倒す事には成功した。だが、まだ空を飛んでいるのが二体いる。
そして、飛んでいるということは接近攻撃は仕掛けられず……。
「面倒ですね、飛んでいるというだけで。それに、スクロールでは射程ギリギリで、上空からだとマトになってしまう。まずは、落下させないと」
龍崎の呟きは苦い。防御力が薄い後衛、ダウトに直撃が来る可能性もあるのだ。
だったら。
「じゃあ、私が落とすんで、宜しく」
躊躇いなしにトリガーを絞る常木。華やかななどない、徹底して勝利を求めるのが彼女のスタイル。樹を盾にしながら打ち込まれた弾丸は一発だけだが、確実に胴体の中心へと着弾し、内臓へと食い込む。
「出来れば、頭か羽を狙いたい所なんだが」
「そう上手くはいかないか」
続けた常盤木のピストルに、天羽のスクロール。共に弾丸は身を捉えてダメージを与えるが、落下にはまだ足りない。
そして。
「……っ…」
しまったと龍崎が思った時にはもう遅い。龍崎が産み出した光弾を、鴉はひらりと翼をはためかせ、空中で避けていた。元より魔法攻撃が得意とは言えない為の撃ち洩らし。
「せいやぁ!」
なら、そのフォローをするのが仲間だろうと北島の光弾が飛ぶ。着弾と共に大きく高度を落とす鴉。けれど、途中で姿勢を整え翼を広げ、高度を下げたが落下を防いだ。
だが、それで十分だとクジョウが周りの木々を踏み台に、大きく跳躍していた。
「星宿聖鞭流が一つ、フォールブレイク!」
手刀での降り下ろしが鴉の頭部を捉えた。衝撃で一瞬、方向感覚と体感を失い、ぐらりと落下する黒いディアボロ。
地へと落ちた身へと、マキナの拳が無慈悲に、そして強烈な一撃として振り下ろされる。
鳥の脆い胸骨を砕いた音。途切れるような、耳障りな鳥の声。
それでもなお、ディアボロはその戦意と敵意を失っていなかった。翼をはためかせ、低空飛行しつつ北島へと飛び掛る。
「させるか」
が、そこに割り込む龍崎。文字通り身を挺して庇い、嘴に身を突かれながらも槍へと武器を切り替える。
「悪い」
「こちらこそ、さっきの失態を返さないといけませんからね」
動きに合わせて雪が宙に舞う中、短く告げる二人。
そして、もう一匹の鴉も滑空攻撃を行っていた。それを好機と取るべきか、それとも危険と取るべきか。一撃を受けた南雲へ、再び嘴と爪が襲い掛かる。
刻まれた傷口から血が噴き出る。逆手に持った刃を振るって掴まれる事こそ逃れたが、負傷は減じない。
けれども、これを南雲は好機と捉えた。
「空に、逃がすか!」
阻霊陣を発動させ、自分と苦無を結ぶ縄に透過能力無効を付与し、鴉の首へと投擲する。
片手で、かつアウルを注ぎ込みつつの投擲だ。例えるなら片手でメールしながら投擲したのに近いだろう。首へと巻きついたのは、半ば運。
それでも効果は発揮される。上昇しようとして、縄に首を絞められた鴉は姿勢を崩し、空へと戻れず再び落下する。その力も尋常ではなく、南雲も転倒してしまうが。
「この好機、逃がしてはダメだね」
艶やかに、けれど軍人の持つような恐ろしい冷酷さを滲ませて微笑む常木。
「さぁ、その翼を毟ろうか?」
ナイフへと得物を持ち替え、鋭く踏み込む。
狙ったのは、マキナの攻撃で弱っている方。確実に仕留めるのだと、逆手に持ったナイフを首へと突き刺し、更にもう片方の手で柄を叩いて強く押し込み、抉る。
「ああ、ごめん、首に刺さったね。けど、もう飛べないのなら翼がないも一緒か」
軽い皮肉と共に、敵であるディアボロへと別れを告げる。
――比翼連理。仲間もすぐに翼の意味のない、地の底へと送ってあげると。
「さて、終わりだ!」
天羽が叫び、光弾の一閃。
着弾し、身を強張らせたのを合図に、最後だと一斉に攻撃が加えられる。
マキナの爆砕させるような拳と、クジョウの柔を持って制する一打。更に北島の気迫の光弾が着弾した隙を突いて、ついに常盤木のピストルが翼を打ち抜く。
一斉の攻撃で生命力を削れた鴉。
そこへと迫るのは、龍崎の槍だ。
天の祝福を強く受けた身から繰り出された刺突は、ただでさえディアボロには効果が強い。
胸へと吸い込まれ、抉って抜かれる穂先。
急所であり、動脈を確実に裂いた。傷口からとめどなく血が溢れ、鴉が地面へとずると落ちた。
「これで終わり、だ」
「浄化完了……やれやれ、クルを思い出す」
龍崎とクジョウの言葉に送られて、ディアボロはその活動を止める。
その後に悪魔やヴェニタスの痕跡を探すクジョウと常盤木だが、何も見つからない。
ただ、山から見て遠く。
暗い、悪魔に支配されたゲートが、黒い点として見えるだけだった。