●巣に入る
照明がついては消えて、またついた。
十分とは言い難い明かりによって、撃退士達の踏み入ったデパートの階は照らされている。
見えるモノは影のようで、確かな色や細部までは確認できない。輪郭として捉える事が出来るのが限界だ。
佐藤 としお(
ja2489)が照明はつかないかと問い合わせた所、ディアボロの襲撃によって一部電気系統が壊れてしまっているらしい。
結果としてこの形。無理に電灯を点けているような頼りない状態。もっとも、暗闇ではないだけマシなのかもれない。
桜井・L・瑞穂(
ja0027)や雫(
ja1894)といったメンバーは視界を暗闇に順応させている為、照明は不要といったところ。それをもって玄武院 拳士狼(
ja0053)は持参したライトでの明かりは不要と判断している。
「逆に、明かりがあったら一発で相手に視認されますわよね」
暗がりの中、移動する光というのはどうしても目立つ。郭津城 紅桜(
ja4402)は呟いて、周囲に蜘蛛の気配はないかと探っている。
もうすぐそこに、暗闇でも白く光る糸が巡らされた巣がある。
「うーわー‥‥蜘蛛の巣ジャングルじゃん‥‥」
「でもね、子供は何としでも助けたいんだよ」
靴が糸に絡み付かれて取れないようにと靴紐を固く結ぶ花菱 彪臥(
ja4610)と、抜刀した大太刀の刃元に革紐を巻いて柄の部分となる場所を長く確保しようとする八東儀ほのか(
ja0415)。
共に蜘蛛の巣窟に入る際、少しでも不利を消そうとする試みだ。そしてそんな細工をするのも、全ては雫の呟きに帰結する。
「捕まった人達が無事なら良いのですが‥」
蜘蛛に捕まり、拘束されている人々。どうなっているのかは分からないからこそ、自分達にできる事をするしかない。
「行こう。俺たちが急げば、それだけ助かる可能性も上がる」
指の骨を鳴らし、断じたのは玄武院 拳士狼(
ja0053)。不安で身を竦ませるよりも、先に進むべきだと彼は信じ、拳を握りしめている。
「ええ、一人残らず生きたまま助け出し、穢らわしき者達は全て排除させて頂きますわ」
桜井は自信に満ちた声で続け、手に持ったレイピアを構える。絶対に助け出すという強い意志を視線と共に刀身へと落とした。
「穢らわしき、か。確かに、この『匂い』はそうだ。俺を苛つかせる。だから消し去る、完膚なきまでにな」
と言う中津 謳華(
ja4212)の『匂い』というのは彼独特の感覚で、恐らく場の雰囲気や感情の空気、気配といったものなのだろう。天魔、人類の敵。嫌い、消そうと思う事は当然なのかもしれない。
「それで、謳華のにーちゃん。ダンボールの方は使えそう?」
「いや、ダメだな‥‥全員分の足場を作りながら進行するには時間がかかりすぎる」
「足場となる位にはなるけれど、か。確かに一々、足場に置いて移動していたら敵に発見されやすくなるね」
花菱の問いに中津が答え、佐藤が結論を述べる。相手の巣で行う行動としては、遅すぎて危険なのだと。雫の用意した小麦粉も何処まで効果があるのか。ディアボロは人の世の生物ではなく、透過能力を代表するように、人の理に準じない部分がある。
「なら、こうだな」
と、中津は用意していた五十枚近くのダンボールを、巣に向かってばら撒いた。ぴたりと粘ばつきに絡み取られたが、これで最初の数歩は糸に足を取られずに移動できるだろう。
後は巣の中へと入りこみ、ディアボロを倒して人々を助けるだけ。
各々が獲物を構えて、巣へと入り込もうとする。
「薄暗い所にクモ‥まったくもって不愉快ですわね。穢らわしい存在ならではの場所ですわ」
嫌悪と敵意を滲ませて郭津城は呟き、蜘蛛はどこにいるのだと警戒を始める。
●拒む糸、絡まる戦場
ダンボールから、糸へと足を踏み入れた瞬間、それは実感となる。
「く‥‥」
玄武院の足裏に糸が粘つき張り付く。
何事も体験しなければ分からないことはあるが、これは予想以上といって言い。粘着テープで作られた床のようなものだ。
だが。
「だから何だ」
膂力に任せ、粘つく糸を破るような勢いで強引に突き進む玄武院。これを踏破しなければ蜘蛛は討てない。こんな所では立ち止まれぬと直進し、最初の糸の障壁へと剛腕を叩き付ける。
続いたのは同班のほのかと雫。短く持った大太刀とショートスピアが糸を薙ぎ払い、耐久力を超えた攻撃によって最初の障壁が壊れた。けれど。
「小麦粉では効果なし、ですか」
「効いているのかもしれないけれど、僅かかもしれないね」
二人とも武器としては大物であり、周囲に張り巡らされた糸が絡み付くことで障壁へのダメージもかなり減算されたと手応えで感じる。ほのかは短く持つことで命中への低下を阻止しているが、糸が障害物となってどうしても威力は低下する。
だが、これで一枚目。空間を覆っていた障害物が一つ消え去る。
確かに移動力を削ぎ、攻撃力も回避も削ぐ糸の空間は脅威。それでも、踏み込んだ撃退士に恐れはない。
「ふっ‥‥此の程度で狼狽えるわたくしではなくてよ!」
桜井は一声と共にレイピアを翻らせ、中津はトンファーで糸を引き千切って、花菱はショートソードで切り裂く。こちらの班も効率的に糸を破壊していく。
これなら、と思った直後。
「敵、天井ですわ!」
糸の障壁が破壊された振動で撃退士達に気付いたのか、天井に張り付いた二匹の蜘蛛がこちらへと糸を飛ばそうとしている。
郭津城が警戒をみなに呼びかけた直後、糸の射撃が飛ぶ。
白い筋は二つ。狙いは前衛を務める玄武院と花菱。反応し避けようとするが、障壁の破壊に集中していた為に間に合わず、着弾。
飛来した糸の重量と勢いだけで相当な衝撃となり肉と骨が軋む。まるで射出された砲弾だ。加えて、糸に絡み付かれ身体の自由の一部を奪われる。
「こ、こんなの平気だぜっ!」
「ああ、男なら一発殴られた程度で止まりはしないさ」
粘つく感触に悲鳴を上げたくなったのを堪えて叫んだ花菱に対して、玄武院は蜘蛛をきつく睨みつける。
「厄介、というのは本当はこういう意味でしょうか」
牙と爪を打ち鳴らす茶の蜘蛛。その二体に接近しなければ話は始まらないのだが、蜘蛛の巣による移動力低下のせいで一気に接近できない。
本来なら一手で接近できる距離なのだが、蜘蛛の巣のせいで二手はかかる。加えて後衛の佐藤、郭津城も距離を取っているせいで茶の蜘蛛を射程に収めきれていない。
つまり、最低後一手は相手の攻撃に晒されるのが確定している。この蜘蛛の巣は射撃による迎撃に特化した陣なのだ。
さらに、奥から硬い足音。黒い蜘蛛も、こちらへと来ようとしていた。
「だが、この程度でおいそれと引く訳にはいかないからな」
「ええ。人々を助けられなければ、何故私たちは来たというのでしょうね」
中津と雫が蜘蛛の巣に足を取られながらも、強く敵を見つめながら先へと進む。足は鈍り、射撃に晒されている。けれど、この程度では、まだだと。
「絶対に、退かない」
楔となろうと、最前衛に躍り出たほのか。
両手で構える大太刀には、怖れの色は微塵もない。
そう、まだ戦いは始まったばかり。
再び、二班六人での前進。そして障壁の破壊。
攻撃は連なるようにして連続し、糸を破壊していく。
唸る剛腕、煌めく穂先、閃光となる刃。茶の蜘蛛の攻撃姿勢が整う前にと一気に叩き込まれていく。
「来ますっ」
警戒していた雫の声の直後。
再び飛来するのは茶の蜘蛛の糸だ。二射はほのか、桜井の身を打ち据え、捉える。
「蜘蛛は益虫ですのに、此れは唯の害獣ですわ!」
ダメ元だったが、桜井はビニール傘で盾にならないかと試したのだが、ディアボロの一撃に耐えられずにぼきりと根本から折れてしまっている。単純に耐久度が足りない。
そして、やはり。
「遠い、ね」
苦鳴を堪え、更に先へと進もうとするほのか。
けれど、移動力を削ぐ糸のせいで思うように進めない。この巣を使い、近づこうとした所を射撃で迎撃して削っていくのがこのディアボロの戦術なのだろう。
「だがな」
トンファーを旋回させ、告げる中津。
「たわけが…足を鈍らせた程度で荒神の『爪』から逃れられると思ったのか?」
この『匂い』、討ち消すべしと鈍い足を動かす。佐藤、郭津城もようやく茶の蜘蛛を射程に捉えて、矢と魔弾を放つ。
「ヒーローの登場です! さあ、これからが本当の勝負ですよ」
「破魔の呪術‥‥雷神は問う。汝が望むのは滅か否か。笑止。全ては我が望みし破滅の鉄槌、ブランフドゥール!」
佐藤の一矢に続き、稲妻のような瞬きを見せる光弾をスクロールから放った郭津城。それぞれ別の対象へと着弾させ、張り付いていた天井から叩き落とす。
機ありと、接近しようとする六人。だが、黒の蜘蛛が迎撃するように桜井へと糸を放つ。
「‥‥っ‥」
避ける、という思考はなかった。何故なら、射線上、桜井の背後には繭のように糸で絡み付かれた人がいる筈で、避ければ人が死ぬ。
先より更に重い衝撃と強烈に絡み付く糸。そのまま身動きを取れなくなり、桜井は転倒する。
「瑞穂のねーちゃん、今助けるからっ!」
「何処を見ている‥貴様の相手はこの俺だ!」
駆け寄ってショートソードで桜井の糸を切り取る花菱と、茶の蜘蛛へと前進し、少しでも注意を飛行と半ば捨て身での一撃を見舞う中津。
「支援します」
いきなり攻撃手が二人欠けた方の班をカバーしようと、佐藤が矢を番え、郭津城がスクロールから光弾を生み出す。トンファーでの打撃に、鋭い矢、焼き尽くす光弾。激痛に身を捩じらせる茶の蜘蛛。
返しにと繰り出されたのは毒を持った牙。中津の腕に深く食い込み、血液に毒を流し込む。
「おーっほっほっほ! もう暫くの辛抱でしてよ‥‥!」
立ち上がり、気丈に、そして不敵に笑みを上げ、味方を、そして捉えられた人々を鼓舞しようとする桜井。
一方。
「いきますよ!」
正面に立つほのかは声を掛けると同時、刃元の革も持たれて短く持たれた逆袈裟に振り上げられる。剛の斬撃に属する一閃は正面からでも確かな手応え。
加え、僅かだが蜘蛛の身体を浮き上がったのを玄武院は見逃さない。
「ホォア!」
僅かに見えた腹部へと、横手から胴回し蹴りを繰り出した玄武院に続き、雫も腹部と胸部の境目へと穂先を奔らせた。硬い外殻に覆われていない場所への一撃は深く突き刺さる。
「やはり、ここが弱点のようですね」
抉りながらショートスピアを抜く雫。的確に弱点を突けば、一気に相手を削る事は出来る。
こちらも接近されたならばと、毒の牙でほのかの肩へと食らい付く。抵抗の意思を表すような強烈な一撃。
「けれど、糸による射撃が来ないのなら、流れ弾が一般人に飛ばないからっ」
ほのかは毒の回った身体に気合を入れ、下段から跳ね上げる一閃を再び放つ。
同じ手は二度受けまいと身を屈めた蜘蛛だが、そこに跳躍した玄武院が上空から蹴撃を放つ。
「悪いが、これ以上お前達をのさばらせておく訳にはいかんのでな」
蜘蛛が姿勢を崩した所へ、鋭い雫の刺突。頭部の複眼を貫き、脳髄に達した。
どうっ、と倒れる音。それに続いて、黒い蜘蛛の前進が始まる。
「向こうは終わった、かな」
「だといいが、こっちが押されているという事か」
玄武院の班が相手をしていた茶の蜘蛛が倒れる音を聞き、中津はトンファーを握りしめる。牙、毒、そして黒の糸射撃と連続して受けたダメージは、桜井の回復をもって治癒されたが、回復を使えるのは後二回。
「だったら、速攻で畳む!」
ショートソードを構え、蜘蛛の懐へと入る花菱。脚の間を縫って入り込み、狙ったのは腹部。切り上げた一閃は柔らかな外殻を切り裂いて、体液を散らす。
「流石に、これ以上消耗する訳にはいきませんわ!」
裂帛の気合と共に桜井のレイピアが翻り、茶の蜘蛛の胸部を貫く。続けて振るわれる中津の一撃。
「これにて沈み、消えろ!」
この『匂い』の元を消し去ると、強烈な一打を頭部へと見舞う。衝撃にへこむどころか、爆散する勢いで爆ぜた蜘蛛の頭部。
「瑞穂のねーちゃんは、自分を回復してくれよ」
「わ、わかりましたわ」
黒の蜘蛛へと向かう中、花菱が桜井へと忠告する。
桜井は他者の回復を優先し、己の回復の優先度を下げていたのだが、負傷しすぎている。
回復は後一回。故にこそ早く討つのだ。
突進した黒蜘蛛の脚による一撃は、ほのかを吹き飛ばすと同時に、深い損傷を与える。
戦闘不能にはなっていない。が、次の一撃は果たして耐えられるかどうか。
加えて、吹き飛ばされた為に再び移動力を削がれた状態で、毒をまだ体内に残しつつも前に進む必要がある。
気力自体が折られそうになる中、ほのかは真紅のロザリオを噛んだ。
「ま、まだ、いける!」
雫と玄武院はこれ以上ほのかへと追撃をさせまいと、牽制の攻撃を加え続けている。
黒の外殻は茶よりも遥かに硬いのか、鈍い手応えしか返ってこない。
「これは‥‥全力で当たった方がよさそうですわね」
人々の救助に当たろとしていた郭津城、佐藤も黒へと集中して攻撃を重ねる事を選択する。矢と魔弾が放たれ、外殻を削る。
だが、倒れるどころか消耗した気配もなく、雫に向けられた黒蜘蛛の脚。連撃で吹き飛ばされ、壊していなかった糸の障壁が身に纏わりつく。
「後、一押し‥‥っ‥」
糸の付着した衣服ごと穂先で切り取ると、再び前線に戻ろうとする雫。前衛を務めるものは皆、程度の差はあれ消耗している。
桜井の手によってほのかが治療されたが、もう回復は弾切れという事でもある。
だからこそ、速やかに討つしかない。
「行くよ!」
押し切る為に、大太刀長く持ったほのかの一閃。
重量と遠心力で威力を高められた一撃は、硬い外殻を切り裂いていく。
「オラァ」
「荒神の『爪』で、黄泉路へ送ってやる」
左右から叩き込まれる玄武院と中津の猛攻は衝撃で蜘蛛を内側から破壊していく。悲鳴を上げさせる暇も与えないと、花菱の刃も滑り、外殻の間を抜けていく。
重ねて放たれる攻撃に確実に削られながら、黒の蜘蛛は再び脚による一撃で中津を吹き飛ばす。
だが、それでもと。
「はっ!」
ほのかの脚を払う斬撃。脚にかかった重い一撃で蜘蛛の姿勢がぐらりと崩れた所へ、駆け寄った雫がほのかの背を踏み台にして跳躍。息を合わせて玄武院も飛んでいる。
「これで、落ちなさい」
「奥義‥‥猛鷲屠脚」
胸部と腹部の隙間、茶の蜘蛛と同じ個所に存在する弱点へと放たれる二連撃。体液を盛大に散らしながら、黒の蜘蛛が落ちる。
複眼は自らの巣を最後にとらえ、閉じられる。
もう、この蜘蛛が動き、人を捕える事はないのだ。
そうして、人々は一人の死者も出ずに、救出された。
一歩間違えば、多くの死者の出ただろう事件の結末。
全ては、撃退士達の助けたいという思いと行動の結果だった。
助けを求めた子供は撃退士達をヒーローのように呼んでいた。
そんな、一つの事件の結末。