誰が為に血を流すのか。
頭に過ぎった言葉は、けれどすぐさま刀身の煌きに掻き消された。
余計な事を考える余裕はなく、ただ前線は磨耗し削れて崩れていく。
その場にいないことを、果たしてどう思うべきなのか。どんな戦いだろうと、やり抜くだけだと決めた久遠 仁刀(
ja2464)の瞳には、熾火のような戦意が揺らいでいる。
触れれば爆ぜるほどの熱を帯びた刀剣。危うさも苛烈さも、より一層強く。
「……まだ天秤が少し傾いただけだ。更に引き寄せる」
「ええ。誰のお陰かは解らない。それでも」
遠く、前線で瞬く青燐の翼。日光よりも烈しく飛び交うそれに、暮居 凪(
ja0503)は目を細めた。
「この時の為なら、悪くはないわ――そろそろ始めましょう」
ついに大天使であり、将であるアルリエルが前に出てきたのだ。決着となる前に、いや、強襲偵察部隊への対応へと後方に戻られる前に、挑まなければならない。
「そして、それを断われるものではあるまい」
鞘から諸刃と化した雪の如き刀を引き抜くはフィオナ・ボールドウィン(
ja2611)。華美な装飾はなく、王の騎士剣へと変えられたそれだ。
誰しも、己が剣を一つは持つ。
己しか扱えぬ、己が剣という他者の意思、願いを。
「惜しいな」
死なせるには惜しいとフィオナは思う。
あの天使の感情は実に好みだ。剣を大事に抱えるのではなく、託され集ったそれを奮う。
他人より学んだ意思を誇りに、願いを己が矜持に。戦に出て傷付くのは、己だというのに。
出来るのならば……と瞼を落とす。そう易々と言葉に応じないからこそ、好みだというのに。
「あ~~……絶対性格、あわネー」
何かしらの執着、好意に戦意と集った中、狗月 暁良(
ja8545)は口元を笑みでゆがめた。
これならばまだ闘争に執着していた彼女の使徒の方が相性は良かっただろう。愉悦に満たされる戦場で感傷に浸るも、誇りを翳すも無粋だ。気絶などという終わりなど認めず、最後の最期まで、戦い抜くとの意志を込め、告げる。
「――誇りで腹が膨れるかよ」
「全くもってその通り。誇りで楽しめるなら、誰しも紳士であり淑女だ」
鷺谷 明(
ja0776)は喉の奥で笑いながら同意を示す。
だから貴様らは、と罵られてもそれもまた快楽と愉悦に転じさせるだろう。
その様はまるで天狗。見境なしの享楽こそが鷺谷の本性。
騎士団とは、それどころか天使とは全くもって縁なく、故に発せられるのは一つだけ。
疾走、そして眼前に居たサーバントを布槍で貫き、金色と赤き飛沫の描く極楽浄土の様を、戦場に浮かび上がらせる。
鮮血と共に、先陣切る。言葉とて、全て愉しむが為に。
「言うべき事はこれだけさ。――遊びに来たぞ!」
その宣言、アルリエルにさえ届く。青燐を剣に帯びた天使が、視線を寄こす。
実力差は承知の上。だが、それさえも結局は運命の掌。故に神崎・倭子(
ja0063)は感謝を。戦場でしか果たせない責任を、何を賭しても全うする覚悟があるものしかない、この舞台で。
「以前は大変失礼した。数多の運命を巡ったせいでこの身に得た名が多くてね」
勝利でしか果たせぬ重責、それを苦と想う者など誰もいない。
「今生の名は神崎倭子。改めてよろしくお願いするよ、アルリエル嬢」
「……神崎か。こちらこそ、いつぞやは失礼した。その名、憶えておこう」
青の騎士剣が振るわれ、白の双騎士剣が抜刀される。
己が狙いを潰されたという事実はアルリエルにとって敗北だ。剣を止められたことを、それ以外、何というのか。
だが、神崎はあれを勝利だなんて呼べはしない。
アルリエルの指示に従い、円陣を作っていくサーバント達。撃退士もそれに従う。
中に残ったのは銀色の鏡のような翼を持つヴァルキュリアだけだ。
「此処まで来たのだ。決闘とでも、申し込ませて貰おうか」
「ほう……コロッセオ気取りか?」
ラグナ・グラウシード(
ja3538)の呟きは、そのまま投げられた手袋に返される。
「そういう趣旨も悪くはなかろう。将同士の衝突がそのまま勝敗に決する――少なくとも、私にとっては貴様らに挑む価値はある」
消耗の少ない状態で撃退士の敗北を決定付ければ、そのまま追撃へと走ることも出来る。
どちらも懸けの部分がある。アルリエル側から申し込む利は実際には少なく、私情が強いのだろう。
「だが、退きはするまいさ!」
よって、剣先を滑らせてアルリエルの手袋を拾い、投げ返す。
「安心しろ。貴殿を女と、加減などせん」
ラグナという騎士として。アルリエルという騎士を相手に。そんな凛々しき応酬に、けれど一人が割って入る。
「返さねばならん物がある。その為には退く訳にはいかん」
透明な細い刀身を持つ大太刀を構えたのは戸蔵 悠市 (
jb5251)だ。
「アルリエル、貴女に一つ開戦の前に提案したいものがある。前田氏と、貴女の理想の一端を垣間見た者として、彼の想い、彼の情念は貴女に返すべきだろう」
「……前田を討った龍使いか」
僅かに激しさを増す燐光。アルリエルの使徒を討ち取った者もこの場には多い。
「だが、言葉では伝わらないだろう。龍の爪牙にも宿せはしない。剣でしか伝わらないだろうし、それを上手く伝えられるかは解らないが」
ほぼ捨身。おおよそ守りを捨てた、攻め一辺倒の剣の構え。
「……前田氏の人としての、貴女の知らない面を望むならば、受けた身で返したい」
「ほう?」
使徒であることも無構えも捨てた前田。
操龍も技も捨てた戸蔵。
今だに残滓は残っているのだ。斬られた身体が、傷は癒えてもどうしても残っている。
「一太刀で良い。私が抱えるには重過ぎて、鮮烈なものを――前田氏の理想と人だった欠片は、今や貴女しか受けてはいない」
口にしては暴論過ぎると、戸蔵は苦く笑った。
それでも事実だし、本音なのだ。知られずに終わるには悲しかろう。今だに残るのは炎のような執着。激昂した剣閃で、胸の中に残り続けている。
これは狂気か。
それとも。
「――来い」
信仰か。
ただ、アルリエルが剣を構えて地に降り立った瞬間、刀身がアウルに宿った激情で蒸発したかのような、激烈な一閃が翻る。
戸蔵は反撃など気にしない。
戸蔵自身がこれ以上、口で語るなど許せない。
ただ、どうしても憧憬と信を、魂を穢されたことを許せなくて。
夢と理想を宿した太刀が、大天使の身を刻む。
速さでも力でも技でもない。宿した想いの苛烈さに、残滓にこそ見惚れてしまって。
舞い散るように、アルリエルから飛び散る赤い血の花びら。
人の心を宿した一閃が、大天使の身と心を傷つけた。
「そのような顔をしたのか、あの前田は」
その傷故に、翼は燐光を伴い戦場へと。
「確かに返して貰ったぞ、前田が心の刃も!」
驚愕を抑えけ、叫ぶアルリエル。だが、戦は始まり、後ろへと跳躍した戸蔵とほぼ同時、駆け抜ける姿。
静から速度の最高点まで一気に加速した鷺谷。動作の最適化、呼吸の抑制、隠した戦意の発露。後の先というよりも、アルリエルの驚きに重ねて、その武を振るう。
「何、私は見下されるのが嫌いでねえ」
瞬間、空へと飛ぼうとした身へと、月光のようなか細い糸が走る。
●
銀月の煌きはアルリエルの腕に絡まる寸前、長剣にて払われる。
「だから、空には絶対に飛ばさないよ。力比べといこうか?」
開幕から空を飛んでいればこれも出来なかっただろう。事前に暮居とフィオナが翼を広げていた以上、空での戦いが主になったかもしれない。
だが、戸蔵の想剣の一太刀を受けるために地におり、ならば飛ばさないことが肝要。
空を舞う剣姫の翼こそが最大の危険なのだ。鋼糸による拘束は三秒が限界だが、それだけあれば十分だ。
「四国の空は天使のものではないのだと、吼えろ」
後ろへと跳躍しつつ、戸蔵の召喚した白銀の龍が咆哮と共に放つは斬鉄の鋭閃。
真空故に透明なそれを気配のみで察するが、直線状に伸びるそれを避けるならば左右しかない。右へと身を転じたアルリエルへと更に挑むのは、赤き二対四の竜翼を顕然させたフィオナ。
「まずは、先の腕の返しをさせて貰おう」
真正面よりの強襲と見せたフィオナの四枚の翼が翻り、瞬間で側面へと回り込む。そのまま速度を落とすことなく、白の斬閃がアルリエルの左腕へと放たれた。
翼ある者の剣舞。アルリエルが得意とする高速機動による剣技をまずはと白刃が天使の腕を切り裂く。
「見た上に食らっているのだ。我に出来ぬ道理は無い」
「確かに。その通りだが、数ヶ月で到達出来る訳でもないだろう」
が、確かに空の舞踏は最早独断場ではない。赤い龍翼はためき、青の燐光散らす白翼を相手取る。
更に迫るのは『無銘』たる穂先と光の線が織り成す翼。暮居の何処か、遠き血筋に宿りし天魔が焦がれた天使へと届かせる力になる。
アルリエルの強さは知っている。だが、だから敵手と求めるのではない。
上空を位置取り、更に上へとアルリエルが抜けないようにと位置取りをしながら、ぽつりと暮居の唇から本音が零れた。
「貴女の剣に 、貴女に仕えた刃に、貴女の心に――臣を含めた在り方に」
構え、そして放つ無銘の槍。
今は名はなく、いずれ越えた時にと願い込められた槍がアルリエルの肩を掠め、白い羽根を散らす。
届きたいのは肉体こそではない。得たいのは勝利だけではない。
心と魂こそ、この槍に。この手に。
「焦がれたわ――あの刃を羨ましく思うほどに」
「……故、切り結ぶか」
銀月の糸の拘束を振りほどき、同時に三人の撃退士を相手取るアルリエル。
掌を翳せば、光燐が七つの十字架を形取って乱舞と化す。空中戦をさせまいと挑み掛かる以上、数は必須。それを相手取るのもアルリエルは可能だが。
「どうした。その剣ほどの冴えはないようだな」
「ええ、耐えられない程ではないわ。少なくとも、この程度で、私は……っ…!」
共に受けて凌いだフィオナと暮居。フィオナは白剣で受け切ったが、暮居は身で耐える。
逆に言えば用いる武器をどちらかに極端に寄せれば、受けるも可能ということだろう。バランス型というのは聞こえは良いが、裏返せば一点特化に対しては器用貧乏の側面を見せることとてある。
流石に鷺谷は一撃で深手を負って後退せざるをえない。
だが二人が空でアルリエルを抑えれば、狗月の持つ拳銃が連続して閃光を放つ。
「悪イね。真っ当に切り結ぶつもりは私はなイんだよ」
「が、それで抑えきれるかというと怪しいところだな」
魔将の紋の施された冥魔の気質に染まった拳銃。ばら撒くように牽制の銃弾を放つが、瞬時に位置取りを変えるアルリエルには掠りもしない。
左腕に裂傷こそ受けたが状況としてはアルリエル有利だろう。
神崎も双騎剣を抜き放ち、護りの体制に入っている。何かが起きれば一気に片方へと傾くのが戦いの定石だ。
故に、地上の激突もまた、同等に烈しく。
●
「さあ、始めようじゃないか! ここからが本番、初太刀を交わした後こそ戦いの本領だ」
ラグナの言葉と共に血涙を流す騎士の幻影が現れ、全員の防御力を一気に向上させる。アルリエルより先んじてが理想ではあったが、彼女の武器は速さ。堅守を誇るラグナが半面苦手とする分類だ。
が、これによって一気に能力は向上する撃退士達。
それでもアルリエル相手に戦力分散で勝てるか否かで問えば、現状が全てを語る。
ある程度拮抗した状況は作れても、打破する為の一撃がない。光燐と飛翔による高速機動を封じても、なお押し返そうとしているのだ。
だからこそ、紅葉が散るが如きアウルを後方に、久遠は突撃する。狙いはアルリエルの援護をと近寄る銀鏡のヴァルキュリア。
「一気に推し切られる前に、こちら攻めさせて貰う」
柄がしなる程の勢いで旋回し、放つは赤き一閃。凝縮したアウルを得た刃は、まるで紅蓮を宿すかのよう。
「散れ。お前らの相手をしている気はない」
刀身こそは盾で受けられても、刃筋に集ったアウルが炸裂して後方へと一気に吹き飛ばす。その様はまるで火焔の炸裂。
景色が陽炎のように揺らぎ、後方へと弾き飛ばされたヴァルキュリアが身を転がしながらも即座に立ち上がる。
のみならず、久遠の肩から出血。浅手だが、受けた瞬間に鏡のような翼が煌き、光となって反射したのだ。
恐らくは常時発動の能力。その上でまだ何か隠している節がある。
「だが、予想の範囲内だ。知れただけで良し。多少の傷は構うものか」
反撃と逆に剣盾を構え、久遠へと強烈な突進を仕掛けるもう一体のヴァルキュリア。が、それが久遠の誘いと作った隙だと気付いた時にはもう遅い。
剣盾による痛打で吹き飛ぶ久遠だが、同時に下段から跳ね上がる薙刀は交差法として吸い込まれるようにヴァルキュリアの肉を切り裂き、散らす血が光纏の色彩に混ざって紫雲の如く流れる。
ノックバックでの退場狙いは互いに一撃では不可能。そのように注意して位置取りをしている。続けて放たれた剣盾の衝撃を、不動の構えにて堪えきるラグナ。
「奇遇だな! 同じことを考えていたとはな!」
剣盾と大剣が密着し、互いを弾き飛ばそうと渾身が込められれる。結果として弾かれたのは互いの得物。
鋼の煌きを残し、そのまま数歩下がって構え直す。一騎打ちが狙いという訳ではないだろうが、ラグナと久遠の受け持つのはそれに近い。
いや、恐らく戦域離脱による戦闘不能狙いではなく、前衛を弾き飛ばして後衛を狙っているのだろう。空飛ぶアルリエルを狙う後衛さえ落とせれば、後はアルリエルが一気に攻勢に仕掛けられる。
逆に言えば、銀のヴァルキュリアさえ排除できれば、撃退士側に流れは来るからこそ。
「率直に言って、貴女方は邪魔だ!」
武装の重さの全てを一点に懸け、剛剣を振りかざすラグナ。円陣のギリギリまで吹き飛ばされたその姿へ、更に追撃と走る。
●
一進一退とは聞こえが良いが、どちらが突き崩すかという瀬戸際に最初から突入していることである。
狗月の銃弾に対して烈波と爆ぜる燐光を打ち出したアルリエル。それを庇う神崎は負傷するが、即座に自己治癒のスキルへと切り替えようとしていた。
では、この時に既に深手を負っている鷺谷を狙われていればどうなったのか。
「さてさて、どうなるかな?」
不利な状況は何処かと聞かれれば対アルリエル。暮居の突き出す槍の直前に白の魔弾を撃ち出し、避けた所へと突き刺さったのは囮として放ったはずの戸蔵の斬鉄の衝波。長剣で受けつつ、回避の挙動を殺される事を嫌った。
「何とも、考えて戦うものだ」
「天の守護がなくとも、人には様々な力がある。思考とてその一つだ」
暮居は上空を制し、フィオナはその支援にと動く。二振りの翼持つ刃と、白竜に加えて地からの二つの銃弾に狙われてはアルリエルも自在には動けない。
それでも少しずつ劣勢になっいく。下手に大技を使えば、その瞬間に銀鏡のヴァルキュリアが見せた反射能力と、遅くはあるだろう庇う能力で崩されるのだ。
だから焦る。焦れる。後少し、もう少しなのにと。
「今、貴女と出来るのは戦う事のみ――その翼、貰い受けるわ」
低空での戦闘は叶っている。誘導は出来ていると、誇ること出来ないと苛烈な刺突を繰り出す暮居。
「凪、くるぞ!」
長剣に光燐が集ったのを見た瞬間、フィオナが警告の声を発する。
瞬間、数式の列が浮かび緊急活性化された盾と槍で翻った斬撃を受け止める暮居。じり、と首筋に焼けるような熱を感じる。ギリギリで止まった光燐の切っ先に、命と死が点滅するように頭に浮かぶ。
「ほう、冷静さは失っていないか。願いに取り込まれ、我が身を振り返らずと思ったが」
「貴女の前で、そんな無様は曝せないわ。誰が、誰の為に用意したかは解らない空の舞踏――まだ終わるには速い!」
弾くのではなく、逆に槍でアルリエルの長剣を取り押さえる暮居。
意図を理解するのに、アルリエルは一瞬遅かった。上空へと昇った後、急降下するフィオナの白剣が色を変じさせながら閃く。
周囲の魔力も取り込み、自身の剣を格に巨大な聖剣が形を結ぶ。色は金色。魔を斬り祓う騎士王の威を帯び、薙ぎ払われる斬閃。
そして、この瞬間、二体の銀鏡のヴァルキュリアは外周へと弾き飛ばされ、庇うものがあっても間に合わない。地上で戦うものがあってこその渾身の斬撃。
「くっ……!」
回避しようとしたところへと先読みされて離れた狗月の弾丸。受けるに変更するには間に合わず、直撃を受けて白い翼が赤く染まり、燐光が微かに薄くなる。
それでも地上への激突は避けるアルエル。無様は曝せないと、負傷した左手も酷使するようにして諸手で長剣を切り払う。虚空をこそ滑るが、戦意の発露としては十分。
だからこそ。
「……我等が……いや、それ以上に許せないのは己自身、といったところか?」
「何を言っている? 許すも許されぬもないだろう。ここは戦場だぞ?」
いいやと、フィオナは己を指差し、笑みを浮かべながら口にする。
この天使が抱えるものは何だと。
「何故、貴様は騎士団と共にいない」
それこそ、何故だ。理由を吐かぬのか。感情がない木偶ではあるまい。
好いていると思ったのは、その裡にある凛冽さ。潔すぎる誇り。
「吐き出してしまえ……貴様の感情全てを。ここにはそれを受けきってやる者が居るのだからな!」
故に、それを剣に乗せよと、フィオナが気炎を吐き、僅かにアルリエルが瞼を閉じた。
直後、波打つ燐光が鋭さを帯びた。
「受けきるというか。そうか。――ならば、受けきり、剣を凌ぎ、己が魂を吼えよ!」
それこそ、吐くだけでは虚しかろう。
「貴様らの想い、私とて受け止めてやる! 向かい来た敵手の想いと、路傍には捨てさせん。胸に抱いて、我が道往く光の一つとしよう!」
上空の戦い、今だ決着を見せず。
が、地上の戦いではその結末を見せようとしていた。
●
「これで、場外だ……!」
ついに押し勝ったのはラグナの重撃。サーバントの作る円陣の最中へと吹き飛ばされ、一体目の銀のヴァルキュリアは戦意を喪失する。
流石に取り決めたルールは遵守する。騎士としてあるまじきことはないと確信していたからの狙いだったが。
「……当然ながら、俺達に円から出たら負けってルールを強制するンなら、自分達も円から出たら負けってコトだよナ?」
「ああ、その通りで構わんよ。背を向けるならば、というつもりだったが……成る程。そういう解釈もありか」
光燐を纏う刺突でフィオナを貫きつつ、長剣を払って答えるアルリエル。よって、ヴァルキュリアどころか、アルリエルも弾き飛ばせればそれで勝利となると名言させた。
「本当に、性格合わネーな」
「合えば加減したか? 合わなければ全力を出すか? 関係なかろう」
確かにと、戦いの一点においては合意して笑い、引き金を絞る狗月。結果として虚空を穿てど、射手としての認識を植えつけている。この時までは予想した流れどおり。
ただ、上空から退き下ろすまでに時間が掛かりすぎている。
ラグナの騎士の守護は次手には消え、光燐の剣と十字架が次第にフィオナと暮居を追い詰め始めている。加勢がなければ後は崩されていくだけだ。
「っと、なれば、と」
強い相手に会いにこそ合いに来た。
そんなノリだからこそ、この状況はまだもっと面白く出来ると鷺谷が残ったヴァルキュリアに視線を定める。
「ま、怖い痛いもタノシイの内ってね」
そして躊躇いなく放たれる光弾。捨身で久遠が二度の交差法と、二度の紅の破衝を叩き込んだ相手は流石に負傷しきっている。その反射能力で膝の肉が爆ぜたが、それさえも愉悦と捉える、享楽者の笑み。
その前ではついに満身創痍となったヴァルキュリアの姿。一度、アルリエルに放たれたフィアナの金色の聖閃を、翼を広げて庇ったのもある上、弾き飛ばすには難しいとみるや久遠の白虹で単体狙いもした。範囲攻撃でまとめて攻撃していれば、どちらが倒れていたかは、考えたくはなく。
「倒し切れるなら、その方が良いに決まっている」
柄の長さを利用し、鋭閃を閃かせる久遠。ヴァルキュリアの首が飛び、同じ箇所から鮮血が吹き出るが久遠は意に介さずに頭上で薙刀を一閃させる。
「――この後とて、あるんだ」
まるで血染めの闘士。己の血か返り血かもう判別つかない中、アルリエルへと視線を向けた。
●
燐を帯びた剣は、暮居の腹部を薙ぎ払う。
ラグナによる堅守の加護はもう消える。もう残りは自力の生命力と守りしかないが、それでもと翼をはためかせ、上空へと跳ね上がる暮居。
追いかけようとしたアルリエルの頬を掠めたのは純白の切っ先。
「させぬよ、凪とて思う所あるだろうからな。聞くのだろう?」
「ならば」
受けようと、長剣を持ち直すアルリエル。青の瞳と、暮居の黒の瞳が真正面から交差した。
黒に浮かぶのは渇望。或いは羨望。始めて剣と槍を交わしてから長く、永く、ねじれるように変質した想い。
前田だけではない。あの銀嶺に、隠身にも、羨望を憶えて仕方がないのだ。
「だからこそ――共に並べるのが戦場で、矛先を向けるしかないのなら、それを望む!」
烈閃と化す刺突。大気の壁を突き破り、それでも愚直なまでにアルリエルに向かったそれは剣の腹で受け止められど、地上へと落下させる衝撃を孕んでいる。
だが、天から地へと落ちながら、アルリエルは問う。
「ならば、その隣にいる者は何だ? 同胞か、戦友か、それとも、ただの人か!」
翼でも支えきれず、地面へと衝突し、ついに地へと落ちた大天使。
「私が想うものは、志を同じくする同胞だ。故に想う。その者達の想いを汲んでやりたいと。死んで零してしまった夢さえ、持ち込んで運んでやりたいのだ」
それは何も前田だけではあるまい。
同胞だった騎士も討たれている。ならば、こそ。
「正面より全力で挑まず、彼らにどう顔向けできようか! 小賢しくゲートに引き篭もり、天焔の加護を得る? ふざけるなよ、己が胸に宿した焔はそれをも覆すと、何故信じぬ。己の魂を信じず、何が矜持だ!」
故にアルリエルは騎士ではない。そのようなものを騎士と云うのなら、自ら騎士の銘を棄てよう。
それは危うい程の誇りであり、矜持。
例えばどうしても剣で、剣鬼に勝ちたかったモノがいれど――叶わず、敗北を告げて。
立ち上がり、再度空へと飛ぼうとした瞬間、紅の残像が横手へと現れる。
虚を突く。無論、戦いにおいて当然必須ながら、誇りにしてしなかったもの。
久遠が勝利をと真紅の斬撃を横手からアルリエルに放つ。炸裂し、後を引く紅葉。右手側へと吹き飛ばされたアルリエルは転がりながらも刀身を地面に突きたて、立て直すが、その間に狗月の弾丸が腹部に突き刺さる。
「……四の五の好みを、言っている戦場ではない」
言っていること、久遠も解る気はする。
誇りや夢、理想を戦場の終わった後に以ていきたいのだろう。
それに花咲かせるのは、己ではないのだとアルリエルも想っているのだろう。
結局、戦いに身を投じたものは、炎の痛みを覚えてしまう。喪失の嘆きで、魂に穴があいてしまう。
「だが、だからこそ、これ以上失うわけにはいかない」
いいや。
「負けたと、認める訳にはいかない」
淡々と、けれど激情を込めて呟かれた、久遠の一言。
負けたと、認める訳にはいかないのだ。
戸蔵のティアマットが、戦歌を咆哮として空に響かせる。
誰一人、撃退士は倒れていない。
●
瞬間的に間合いを詰められたのは、神崎だけだった。
自己治癒によって傷はある程度癒えている。故にと突貫する姿は勇ましくも果敢ない。
双騎剣による斬撃に切り裂かれながら、アルリエルに返された裂帛の刺突。盾も用いての防陣を掻い潜られ、胸を穿たれながらも、神崎はアルリエルの剣こそを手に掴む。
刃が掌に食い込む。血が滴る。
「……戦いの終わりまで、お付き合い願うよ、アルリエル嬢……!」
けれど、戦意が落ちることなんてありはしない。
フィオナの黄金の聖閃と暮居の烈槍が空より降り注ぎ、場外だけは防ぐ為に暮居の穂先だけはと避けるアルリエル。結果として騎士王の剣に身を切り裂かれ、苦痛に顔を歪ませる。
剣を抉り、払って神崎の束縛は抜けたがアルリエルとて負傷がない訳ではない。
「だが、射手への守りがないぞ……!」
まずは一人と、狗月へと光燐を放ち、居烈と爆ぜさせる。
庇われていた射手。ならば耐久力がもっとも低いと判断していただろうし、その読みは正しい。
ただ、一撃で吹き飛ぶ生命力でもなお、起死回生を発動させて耐えた狗月がアウルで加速した疾走を見せる。銃から持ち変える暇はなく、負傷しきった身では一撃が限度。
「言ったダろ。――性格合わなぇってな! そのお高く止まった顔に、敗北を教えてやルよ!」
己が身から血飛沫を出しながら、烈風と化す拳を身体の中心へと。
空中にいれば燐光の加護で避けられただろう。そうでなくとも、唐突な反撃でなければ。こんな無茶でなければ……などとは、勝者への侮辱。
アルリエルがサーバントの軍勢の作る壁を吹き飛ばし、その中へと、場外へと弾かれた。
「まダ、やるかい?」
消化不良とは言いがたい。全員が全員、消耗の度合いが激しい。
そして、何より。
「……いや、私の、負けか」
燐光を収めたアルリエルが、敗北を口にする。
●
「理想を花開かせるのは、私達ではあるまい」
サーバントに撤退を命じるアルリエルの姿は、確かに敗北の将のそれだ。
だが、同時に諦めきれていないもののそれ。
「私は戦と死、命も想いを汲んで、戦いの向こうへと届けよう。それこそ、叶わなかった願いこそを叶える為に」
「……死ぬわよ」
「死した同胞に、死が怖いからせぬ、など言えんよ。……前田とて、よく戦った。本懐遂げたかは、よく解らなくなってしまったが」
「…………」
沈黙する戸蔵。彼に付けられた初太刀を指でなぞり、少し泣くように笑うアルリエル。
「奴の想いは、我が手にあると、今一度確かめられた。それだけで良い。孤りで何か成せて、それがよきものと私は思えん」
「ならば、我と共に来い。貴様はここで死ぬには惜しい」
負傷の度合いで言えば、アルエルより数段激しいフィオナ。それでも声は凛と澄んでいる。
決して背後などみない。悼むよりも、尊ぶことを。王の資格とはそれで、ならばアルリエルは違う。
逆境と深手。その二つの上で、なお笑う。楽しそうに。それこそ、配下の騎士を愛でるかの如く。
「前田は貴様への忠に生きた。忠に生きた臣を労うのは主の務め。その上で、貴様自身にも赦しが必要だ。……故に我が赦そう。人の身に天と魔の血を持つ、三界の王たる我が」
そして、人として、暮居も告げた。
「私は、貴女が欲しい。比喩ではなく」
共にではなくとも、ただと。
ならばせめて想いだけはか。それとも、全てをか。
「私に感情を吐けといったな。ならば言おう。私は……私が抱え、想い汲み、共に戦った残滓の為にこそ、天界は裏切れん。彼ら、彼女らの誇りを、光を傷つけること、私には絶対に出来んのだ」
例えば冥魔と戦っているだけならば話は別だっただろう。
果敢に、命を賭して全身全霊で。そうやって切り結べるならば、どちらが正しいのか、間違っているのかではなくなる。想いの強さが、重ねた矜持が最後の一線になるから。
「故に、求めるならば戦場で――私を完全に敗北で伏せて、手に入れてみせろ。ただ、私が許されるのはきっと」
それが戦の常。凛烈と咲く、花が定め。
「私が散る時だろう」
花は如何に美しくとも、散るのだ。
土だけではなく、水とて必要。そもそも手折れれば枯れる。
アルリエルの求める先で、それがあるのか。それとも、渡せるのか。
天界の水はきっと透き通る真水。全てを受け止める湖水だとしても、人界の水では合わないから――
「――結局、戦いの中で答えは出すしかあるまい」