混乱の最中でも消えないものがある。
朝焼けは戦渦の中へと落され、取り出された剣が白い光を照らし出す。
けれどそんなものを意に介さない。そんなものでは止まらない。青い燐光が、空に一筋の軌跡を描く。
大天使アルリエルの飛翔を止めるには同じく武を以てでなければ。
「けれど」
美しくも気高く、烈華のように空を舞うアルリエルを悲しく想うのは何故だろう。
ユウ(
jb5639)の問いに誰も答えてはくれない。
弧剣として踊るからか。それとも張り詰めた剣気に宿る決意を感じたからだろうか。自由な空を愛するからこそ、そこで翼をはためかせる姿に、ほんの一種だけ瞼を伏せた。
天威は此処に在り。人の脅威というには、余りにも澄んだ戦意。
止めるなら相応の覚悟と武威を衝突させなければならない。
四国の天を劫の武にて覆う。その言動、軽いものである筈がない。
話せば分かり合えたのだろうか、あの大天使とは。最早、騎士団と供にしていない身だ。
運命の分かれ道は何処だっただろう。供に歩く未来は何処に消えたのだろう。そんな戦場で感じるべきではない感傷を胸に、外周部へと回り込みながら両手へと、ぼぅ、ぼぅと蛍火のような無数の紅光を纏うナナシ(
jb3008)。神をも焼き殺す禁断の知識を携えるかのように。
天焔に抗する陰焔をもう紡ぎ始めたている。止まれないのだ。譲れないのだ。
「御免なさい」
だからこれが最後の謝罪。何を優先すべきか、もう迷わない。
何時か平和な世界が来るという夢をナナシは抱いている。けれど今は、哀しみと哀しみが零れるのだ。
「アルリエル。自らをも焼く強い焔は、周囲を巻き込んで全てを灰に変えるわ」
強すぎる存在は、時に弱き者を焼き殺す情熱を孕んでいる。
かつての前田がそうだったように。自分も、そして絆結ばれていた人を自ら殺して、自分も消えて。
「……それでも、貴方は止まるつもりは無いのね?」
同様、胸に焔宿す大炊御門 菫(
ja0436)は物陰へと隠れた。視線が瞬きの合間に燐光に引き寄せられた。
息を吸えば胸の鼓動、焔が波打つのだ。握り締めた管槍には炎神が彫りこまれている。あれを魔とも妖ともいいはしない。だが、護り活かすべく奮った槍に懸ける願いはひとつ。
「燃えよ。この程度、始まりに過ぎないだろう」
真正面より対峙するのを堪え、アルリエルのいる方向に背を向ける。
「そう、まだこの場で雌雄を決する訳ではない」
故に何れ。また何れ――言葉でも、言ノ刃で足りぬ想いを向けよう。
「……随分と思い切った行動に出たね」
いいや、それはこちらもかとアルベルト・レベッカ・ベッカー(
jb9518)は呪詛に蝕まれる生命力に唇を歪ませた。
本来なら即座の迎撃と制止を狙う所だ。陣奥まで切り込まれ、一瞬とはいえ更に自由にするとはリスクが大きすぎる。が、此処で狙うのは一つだけだ。
「セリスだっけ。悪いけれど、ただでは返さないわよ?」
毒が回り、陣が切り裂かれていく。その中で、中央を担う銀嶺の使徒、セリスへとスコープ越しに覗き込む。
狙いはこの使徒、セリスだけだ。一手相手に自由を与える代わり、布陣はほぼ完璧に整っていた。
ユウが用意したハンズフリーの携帯のお陰で、タイミングだけは完全に一致させられる。潜む猟犬として、影野 恭弥(
ja0018)も拳銃のグリップを握り締める。此処までして敗北も逃亡も許す訳にはいかない。
――例えば、そう。
「今度は『勝敗』をつけようか」
焦がす激情の焔が紅葉と散り、自らの掌を焼かれながらも久遠 仁刀(
ja2464)はセリスの真正面へと位置取る。
瞬間、セリスの瞳に浮かんだのは今までのような無感情さでも、嫌悪でもなく戦意だった。
鋼珠のような瞳が久遠を見据える。刃のような鋭い視線に曇りや加減というものはない。
「良いでしょう。全身全霊を以て――殺してあげます」
生死を懸けた闘争の気配に燃え盛るよう、久遠の薙刀が更なる火焔を撒き散らす。
ならば返礼を。殺すというのなら、そもそみ久遠は最初からそのつもりなのだ。都合四度目に渡って直接、切り結んだ中で得たの敗北感。現実がどうのこうなのなど、戦いが終わった後に言わせておけばいい。
剣戟の刹那に、越えるべきものがある。
これが窮地か好機か。決めるのは久遠達次第。ならば力を以て引き寄せ、心に蟠った暗がりを払うのみ。
「セリス・神楽峰……改めて、名乗ろうか。久遠 仁刀、ただの一撃退士だ」
今はまだ敗北者でも。
そのままで終わるだなんてつもり、更々ない。
注意を引く。久遠はそんな程度で終わるつもりはなく、一太刀でも浴びせるつもりなのだ。
「ええ、私もただの使徒として」
だから必死なのはお互い様なのだ。
一気に後ろへと跳躍し、別の建物へと移り飛ぶセリス。久遠との接近戦を嫌うのかと思えば、そうではない。
「――貴方たちを甘くなど、もう見ない。私を倒すならば、この道を踏破してみなさいな」
瞬間、煌いたのは銀水晶の茨。辺り一面を覆う膝まで延びた棘の道。
一手、二手と相手に自由と先手を許してしまったのは失敗だったか。位置の調節、間合いや準備は上手くいっても、セリスは基本的に撃退士を甘く見ない。対策や対応を覚えていく。何より、生存を最優先しているのだ。
が、勝利を求める心に僅かな鈍りもない。セリスが言い終るや否や、銀棘の中へと駆け抜ける。飛び散ったのは火のアウルか、それとも血飛沫か。
「この程度、前回の言葉で胸に刺さったものにくらべれば針だ。――棘を抜き、拭わせて貰うぞ」
漆黒の靄を纏う薙刀。闇色の斬閃は月天を蝕む牙のように、音を置き去りにして奔り抜けた。
●
肉を断つ音は起きず、衝突して弾かれ合う銀水晶と闇刃。砕け散った音が後に続く。
己が誇る矛と盾、激突すれば相打ち砕かれるのは当然だ。そして、これが幾度目になるのかとセリスが思案し、障壁の欠片を突き破って迫る影を捉える。
久遠が生命力の半分近くを払って踏破したのに対して、菫は石突きを突き立てて跳躍し被害を軽減している。けれど、反面、出遅れた。
のみならず、背後の物音。障壁破りなどただの捨身で、後に続くものが本命だと予測を付けられていた。
「何度目でしょうね、こういうのは」
「……っ!?」
半身を取られて菫が狙えるのは右側だけ。加えて影野をセリスは視界に捉えている。障壁が破られたその瞬間をこそ警戒されていたのだ。これではセリスに届かない。
「だが、まだだ……まだ、この槍は活きている!」
硬衝の威を槍に宿し、旋回しながら菫の放つ掬い上げるような薙ぎ払い。重ねた双剣で受け止められ、高く澄んだ鐘のような激突音を響かせる。意識こそ奪えずとも、セリスの身が浮き、双剣の握りを弱くするほどの震動を骨にまで伝えている。
「いつかの戦いの再現だな」
悔しくも避けられた影野の腐食の弾丸。意識され、警戒された瞬間に放った部位狙いが決まる程安い相手ではないのだ。
だが、だからどうしたと唇に冷たい笑みを浮べる
「まあ今回は前回と少し構成が違うが」
瞬間、外周側から轟いたのは生命の樹を模した巨大な魔導銃。禁断の知識を宿し、陰影の砲撃が空を激震させる。瞬きは一瞬闇に染まる程。警戒していたセリスも、菫の旋槍で軸をズラされてはこれは受けらも避けられもしない。
着弾の音がないのは触れた左肩を根本から吹き飛ばしたせいだ。銀色の髪と透けるような肌を、自らの血飛沫で染めてセリスの苦鳴が漏れる。
神殺しの一射。それはまるで漆黒の神槍を投じたか如く。
「と、まあ今回は前回と少し構成が違うが」
更に左側からアルベルトの無慈悲な狙撃が続く。右腕へと食い込んだ銃弾の痛みにセリスが眉を顰めれば、その間に影野の姿を見失っている。
「……どれから」
砲手一人に、狙撃手二人。更に眼前には無視出来ない前衛も二人。
一気呵成に討ち取るつもりで他を最低限、ある程度の犠牲は許容しての逆襲だ。ならば、まずどれを討つかとセリスの思考が巡る。
だが、それをナナシは許さない。
「貴女も生きたいのかもしれない。目的があるのでしょう。けれど、今は守るべき人々のために、私は貴方達を打ち砕く!!」
もはや位置がバレるのなど構わない。むしろ、ナナシへと敵を引き付けられるのならそれでいいのだ。
再び陰影の弾丸が朝焼けを駆逐する。けれど、その猛威を身で知ったセリスの障壁が間に形成され、共に虚空へと弾けて消える。注意がナナシへと向いた瞬間、影野の腐敗の弾丸が胸に着弾し、白銀の衣装に赤黒い色彩で穢す。
「宿難!」
叫びと同時、セリスは双剣を瞬かせて二連の斬撃を久遠へと放つ。武器を選ばない程の武芸を身に付けているのは確かだ。届けば傷つき、毒の呪詛に二度侵された久遠の意識が断たれていたかもしれない。
だが、響いたのはアウルの霞が銀閃を二つ受け止めた音。うち一つは庇った菫の肉を断つが、もう一方は広げたアウルで減衰させ菫色の甲冑の表面で弾かれている。鋭さを乗せても、この朧月に掛かる柔らかな守りの霞は破れない。
が、驚きも躊躇いもないのはこれが想定内ということだろう。自らも銀棘で傷つけらながら建物の上から下へと飛び降りるセリス。
ナナシの射線から逃げ、更に建物を影にして他二人の狙撃手から逃れるつもりなのだ。宿難の増援まで耐えれば、或いは今の攻防にアルリエルが気づいていれば状況は逆転する。
だが上空、建物の上より飛翔したのは漆黒の弾丸。腹部を撃ち抜かれ、更に血を流す。
狩られる立場にあるのだと、幾つもの傷を穿たれた身が警戒を鳴らしている。
「それでも、私も使徒の一人ですよ」
セリスは飛び降りて追撃する久遠と菫を見据えて、唇を引き締める。
言葉を違えるものであってはならないのだと、双剣を握り締めた。
●
地響きはナナシの背後からだ。
跳躍して着地。それだけでアスファルトが砕ける程の巨躯が降り返ったナナシの眼前にいる。二つの面からぎょろりと覗く瞳は、禍々しくも何処か神秘性を感じさせる。鬼神、その意味が解るのだ。これは転じれば戦神。天の暴威を振り撒き、勝利をもたらす荒神に他ならない。
巨大な斬馬刀が叩き下ろされ、踊る二刀がナナシを襲う。衣も脱ぎ捨て殻の囮として逃れるが、次の交差で頼りの空蝉も切れる。セリスへの射線を確保しにいきたくとも、それをこの鬼は許さない。
事実上、使徒に近い戦闘力を誇るサーバントとの一騎打ちだ。勝利の目は皆無。だが、だからと退けない。
ここで逃がし、行かせれば仲間が危機に陥る。そんなこと、絶対にさせない。
「天を守りし鬼よ。さぁ、しばらくの間、私とつきあってもらうわよ!!」
砲撃は変わらずセリスを狙い、けれど鬼の足止めも。そんな無謀を貫く為、眦を決して鬼を見据える。
●
「貴女は美しいけれど、同時に悲しい」
対して、アルエリルは微笑んだ。
それは剣の美しさだ。鋭い戦意を孕み、続けてみせろと切っ先を向けている。
眼前に躍り出た、闇の翼をはためかせるユウの言葉に思う所があったのだろう。
が、視線を切ってセリスへと狙撃したユウ。それで眉を顰めず、誇りがないのかと問わないのは続く声色が真実、共感できるものだからだ。
「空はそんな風に、切り裂いて舞うものではありませんよ――どんなに綺麗でも、刃で閉ざされた空は悲しい」
「……その通りだな」
だから放つ光燐の裂破はアルリエルなりの気概の試しなのだろう。
ただの無謀と勇敢は違うのだ。その差異と、覚悟の程を試させて貰うと燐光が爆ぜて舞い散り、ユウの全身を焼いていく。これに耐えられるようであれば、我が剣、受けるに値するとのだと。
結果は、嘆息するアルリエルの言葉が示している。
「見よ、あのゲートを。あのように引き籠っていれば空を飛べず、窒息してしまうよ。自ら閉ざして何になる。手にする望みの為、駆け抜けずにどうするのだ? 誇りとは、勝てば手に入るものか? 違うだろう」
「……ゲートに籠るのをお嫌い、と」
「ああ。私が人の脅威であることも、悲しいと云われることも仕方があるまい。私は天使だ。それを誇っているし、斯在るべしと剣に誓っている」
事実、真正面からの勝敗を望んでいるのだろう。
思い出せば、京都での枝門での攻防で、前田はゲート内ではなく自ら討って出た。その主であるのなら。
そして空を舞うと、濃霧に閉ざされたあの場所を窮屈だというのであれば。
元から断っていた痛覚を再び遮断し、気迫のみで身体を動かすユウ。視線はアルリエルに合わせ、銃口もやはり大天使へと向けて、口にするのだ。
「十数秒の僅かな間ですが、舞の相手を勤めさせて頂きます」
剣姫に単独で挑むという暴挙、いや、その勇敢さに、アルリエルは清冽な眼差しを向けた。
ユウの身は既にボロボロ。後一撃と云わず、自滅するのが目に見えている。
だが、その姿は確かに空の舞手だった。
それはまるで風に撫でられるだけでもその翅が散ったとしても、魂で羽ばたく美麗な黒蝶。
最後の瞬間まで微笑みを絶やす筈もない。命を削って、舞うというのだ。これに応じなければ、何が天使だ。剣の誇りは何処に。故にアルリエルは剣を捧げ持ち、ここに宣誓する。
「今は私は騎士の身ではないが――その姿、天使として誇りをもって切り結ぶに値する。加減など侮辱だと」
故に、烈華が咲く。
美しく、しかし、天威と化した剣姫がユウへと剣閃を閃かせた。
「だから―その擦れ違いこそ悲しいのです」
何処かで、剣や銃を置いて空を舞えないのか。
人が優しいものであると知れた筈では。ユウはそんな夢を、光燐の剣に見てしまう。
●
鼓動が煩い。
黙れ。汗も血も止まれ。ただ、燃え尽きるようにして刀身を手繰れればそれで良いのだ。
敵はそこに。見ているし、見えたのだ。
「相打つつもりはない。勝たせて貰う」
「路傍の花のように、女性を扱い手折るものではありませんよ」
闇を凝らした刃筋と、水晶壁が再度衝突して砕け散る武威。
何処までも真っ直ぐな久遠の性根はセリスにとって厄介だ。そして、それを感じているからこそ久遠の前進は止まらない。結果、僅か二度目の交差で使い切る水晶壁。共に全身全霊で激突しており、楯を失ったセリスは攻撃へと転ずる他に道はない。
だが、久遠を補佐するのは菫だ。月食の猛で刻む者を、菫は戦華を宿す槍から展開した月霞で庇護し銀の刀身を受け止める。怖れるならば超えること能わずと、都合四発を受け切った菫。
消耗の具合でいけば互角に近い。が、ここに続く攻撃がある。
「私は屋上から。影野さんは私と久遠さん達が誘き出した所を狙い討って!」
「……くっ」
アルベルトの言葉が嘘ではないのは、飛来した狙撃銃の弾丸が示している。右の剣を振るって叩き落とすが、物陰から物陰へと隠れるしかない。そして、その手の分野にはセリスは長けておらず、執拗なまでに追い縋る久遠と菫がいる。
「次は、何処から……」
双剣から薙刀に切り替えないのは、単純に手の裡を知られているからだけではなく、受けて凌ぐという意味もある。再度、菫が腕を狙って刀身に浸透撃を織り込んだ払いを受けるが、直撃すればダダではすまない。
大きく円を描く槍の軌跡はまるで一輪の花のよう。だが、その裡に密した威には抵抗し続けなければならなかった。酩酊に誘われることはなくとも、一瞬でも気を抜けば影野という狙撃手が狙い撃つだろう。
序盤の位置取りは、そのままセリスへの包囲戦へと展開している。それぞれが理想とした位置取りが、まさにセリスを閉じ込める檻となっているのだ。
加え、狙撃手として看做したアルベルトの攻撃はアシストだ。味方へ攻撃する瞬間、味方の攻撃が当たるようにと間を当てる援護であり、同時に狙撃の方向からセリスが逃げる方向も誘導している。結果、セリスは十全な立ち回りが出来ない。下手をすれば建物に隠れた影野と遭遇して即座に打ちぬかれる危険性もあった。ようするに、天からの目。俯瞰の支援。
が、ナナシの砲撃に対して、宿難は身体を遮蔽物としながら斬馬刀を楯に受けた。その刀身に大きく罅が入るが、返しの太刀がナナシを襲う。
ユウの方は身を守る術などないのだから、血を、いや命そのものを零しながら大天使と空で舞い続けている。死への舞踏は長くはなく、着々とカウントダウンが始まっていた。
轟く銃声、打ち鳴らされる剣戟。全ては加速して止まらない。セリスが後退し続けた為に銀棘の領域を抜け、ついに増援として外周部に斬り込み、宿難の近くまで後退されてしまった。
「……拙いか?」
拳銃を、より冥魔の気質に寄せる為、魔将の名を冠するものへと持ち替える影野。更に使うべき技をより高威力なものに。頭上である建物の屋上を位置取れば常に攻撃できただろうが、逆に的にもなる。
「油断したほうが悪い。死んだ奴は文句も言えない」
勝つ為、殺す為なら何でもする。そういう意味では、より暗殺者に近しいところがある。
真正面から武芸を磨いた菫と久遠を相手にしつつでは、隙を突かれた瞬間が危険に過ぎた。
激戦は予期せぬほどの迅速さで終幕へと近づく。
●
初撃の時点で、ユウは本来ならば戦闘不能だっただろう。
血を燐粉のように散らし、黒蝶は果敢に、儚く光燐の剣姫に挑む。擦れ違い様に右肩を深々と斬られ、けれど、逆さ風に向かうがごとくアルリエルへと接近する。
そして引き金――引いたつもりだった。
剣を構え直した瞬間に轟かせた黒雷の弾丸はアルリエルでも避けきれず、肩口を射抜いている。だからこそ、続け様に至近距離から畳み掛ければ或いは戦力を削れると闘志を燃やす。今だに心折れないのはそのせい。初撃の光燐衝破で左腕が折れていても、だから何だというのだろう。
「無様に舞うつもりなんて、ない……!」
だから魂切るような声が響き、銃が沈黙する現実に涙さえ溢れそうになる。
どうして届かないのか。たった一撃与えただけで、この様なのか。彼我の実力差が天と地ほど開き過ぎていて、もうや物理的に握れなくなった銃が右手から滑り落ちた。
「無様ではあるまい。どうして、右の肩骨を断たれ、左腕が折れても戦えるのだ?」
現実として戦える身体ではない。これ以上は再起不能であり、翅を自ら千切って死河へと飛び込むしかないのだ。
けれど、どうして。後一撃で良い。
僅かな間でも、この大天使を留めるのが役目。剣が人を貫くことなどないように。
「……誇りか。倒れるまでは相手しよう」
秒読みとなる倒れる時間。ぼたぼたと雨のように血を地面に落とし、けれどユウは味方へはいかせないと身体を張る。邪魔だとアルリエルが剣を払えば、その首が飛ぶような状態で。
「そんな果敢さは好ましいよ。これは私としての礼儀だ、倒れるまでは供に舞おう」
「……っ…!」
ユウを誘うよう上空へと飛翔するアルリエル。
無視してもいいかもしれない。だが、そんなこと出来ず、太陽に焼かれて堕ちるまでユウは羽ばたく。
●
そしてついにナナシは死地へと踏み込む。
いいや、そうでない場所など何処にもないのかもしれない。
ならば元からかと、口元に笑みさえ浮かべてしまう。身を守る為の空蝉は使い切り、、禍々しい赤黒い光を纏う槌へと持ち替える。汝の罪こそを砕こうと――罪亡きものなどいないが故に。
「此処に、原罪を穿つ杭を!」
雷撃が漆黒の結晶体からなる杭へと形成する。それを振るう槌にて宿難へと打ち込む。
当然のように斬馬刀は楯のように掲げられたが無視する。重要なのは足留めであり、確実に当てること。わざわざ無理に受ける体勢を取り、皹の入った武器で留めようとするならそのまま打ち抜き、砕くまで。
落雷の如き騒音。事実、斬馬刀が中ほどで圧し折れ、身に突き刺さった黒雷の杭が宿難の身体の内部を走り回る。
「…………そっか」
だが、勝利ではない。敗北をこそ、ナナシは知る。
宿難にスタンは効かない。強敵であればある程、その耐性を持つのが常だが、折れた斬馬刀を放り投げる緩慢な姿に、死さえ見える。あの手のものが強敵に効くのであれば、負けることがなくなってしまうのだ。
そして変わり、地面に突き刺さったのは銀水晶の双剣。その主たる使徒の意は言葉にならなくとも汲むのか、斬馬刀の代わりに持ち構える。
瞬間、四刀がナナシを切り刻み、鮮血を散らして地面へと転がす。
カタカタ、カタカタ。呪詛と逆回しの祈祷の仮面が、今だに啼いている。
●
双剣を宿難の足元へと投げ棄て、セリスはついに薙刀を創造する。
頭上で旋回し、風切る凄烈な音。反面、その動きに合わせて傷口が開き、流血が激しくなる。
「さて、そろそろ決着といきましょうか」
「ああ、勝敗を決めるとしようか。お前こそ、失敗続きの星の元に生まれたようだらな」
「というよりは――穢れた人の血が混じっていますからね。優秀な人同士で交配して、アウル覚醒者を増やそうとする……などという狂気もまかり通る人の世ですから」
「なら、その通りにお前も狂気と血を引いたんだな」
「…………よく囀る」
最早、お互いに言葉と楯を失ったもの同士、紅と銀の薙刀が真正面から重なり合う。
飛び散る火花。澄んだ金属の悲鳴。まるで激しき戦歌を奏でるような久遠とセリスの勝負に、ユウの死活のカウントダウンが重なる。ゼロとは唱えられることはなく、空中から落ちていく影が見える。天から降りてくる青き燐光。
「任せたぞ、久遠」
「此処まで負担をかけっぱなしだ、気にするな。……今更だが」
一瞬の溜め。が、放たれた殺気の波濤に反応して半身を翻すセリス。けれど、久遠の動きは一拍遅れている。
見た技だが、身体は反応する。音を切るのが剣術の極意なら、これは意で敵を討つ武技の一つ。
「……勝って、言葉を覆させて貰う!」
下段から跳ね上がった斬撃、斜めに走る朱線の鮮やかさ。
ならばとセリスもここに勝負を懸けた。身を転して斬閃を瞬かせる。旋回の勢いを乗せて繰り出される銀色に煌く三連斬。銀の武威を乱舞させる奥義に対して久遠は余りにも無謀だった。そして、そういう人種であること……負傷を厭わず、突き進むからこそセリスはこの手の剣士が苦手なのだ。
銀の一閃目に、紅の刺突が重なる。肉を切らせてとは言葉の響きがいいが、骨を断たせても骨を断つつもりなのだ。残る二発はどうするつもりなのか。
聞けばこう応えるだろう。
――勝つ為にやっただけだと。
「……かはっ」
「ぐっ……!」
貫かれたセリスの腹部。燃え散る紅葉のアウルに、そして熾烈な刀身に刺れた儘に動き、残る二連を放とうとするが、その最中にアルベルトの弾丸が肩に突き刺さる。結果、虚空を斬った二閃目。そして、渾身を込めて斬意を煌かせた三つ目は、余りにも無粋な悲鳴に掻き消される。
戦闘不能にならなければ良い。肉体を斬られなければ、ではなく急所こそ庇えれば継戦は可能だ。だからこそ、首筋すれすれに立てた久遠の薙刀の柄が、セリスの薙刀を受け止めている。
避けずに受けたことに唖然とするのも無理はない。皮を破り、肉に食い込み、動脈の近くへと近づいていた刃筋。今も血飛沫が桜吹雪のように久遠から散って、あと少しの力があれば殺せていたのに。
そんな果敢さを知らぬ、儚さを認めない銀嶺。
天光は耐えぬと、歌った使徒。その背後で、銃が構えられたのにも気付かない。
「勝つ為ならなんでもするさ」
もはや言葉を発することも出来ない久遠の代わりに、引き金と供に放った影野の言葉。
全身は漆黒に染まり、黒焔に燃える弾丸が銀嶺の聖域、命の源である心臓へと走る。避けられただろう。本来なら。せめて急所は避けられたはずだが。
「油断するやつが悪いんだよ。何をしても勝とうとする奴に、生き残ることが目的の奴が勝てる道理があるか」
心臓を貫かれ、銀色を内部から燃やされていく銀嶺の使徒。最後の言葉さえ、逆流する血に呑まれていく。
「死んでも勝とうとする。結局、お前は俺たちを舐めたんだ」
殺意の溜めは、後に続く久遠の剣閃の光を導く。
そのまま崩れゆく銀嶺の使徒、セリス。
言葉はない。が、介錯をする必要もないのだと久遠は身を翻す。雌雄は決しているのだ。
もう命は事切れているからではなく、勝利したから。そして、ならばその道を更に切り拓く必要があるから。
言葉は、もう紡げない。代りに瞳が敵を映す。
だが、まだだとカタカタと鳴り響く加持祈祷の逆回しの仮面。ナナシを討ち、胴が欠損してもまだ動く鬼神の暴威。
負傷は甚大。それは同じこと。同時に、宿難のせいで治癒が出来ない。
ならば。
「………」
意志の疎通は最低限。
久遠が疾走し、天光を蝕む闇を刀身に纏わせ、横薙ぎの一閃を繰り出す。全力を出し尽くした後の、無からの一閃。何もせずとも、次の仮面の効果で倒れる身でこれほどまでかという苛烈な黒焔の刃だった。
カタカタと仮面が鳴り、ついに久遠が呪詛の前に倒れる。完全な虚無へと意識が堕ちて、けれど武器からは手を離さない。
そして続くのもやはり禁忌の闇弾。精神さえ侵蝕する闇の波導を一点に凝らし、放たれた一撃が宿難の胸を貫いた。
それでも止まらない。アルベルトが膝を狙撃して撃ち抜くが、やはり止まらない。
アルベルトが軌道を逸らそうとしても、カオスレートの変動の後では無意味だ。四つの鬼神の斬撃に晒され、銃で捌くことも出来ずに斬り裂かれる影野。邪魔なものを地に伏せて、鬼は進む。少なくともアルリエルが撤退するまでは。
だからあの狙撃手を、アルベルトを狙うのだ。
「……拙いかな」
けれど、膝をついて狙撃の体勢を崩さないアルベルト。
スコープは現実のみを映す。他は要らない。騙し、騙され。奇策に不意打ち。
それらを支えるのが自分の役目だからと、もう一度同じ膝へと弾丸を叩き込む。満身創痍なのは確かだが、では決定打は何処に。
それは、起死回生を狙った猟犬にある。毒の呪詛であるこの瞬間ならばと、気絶した身で地を蹴って跳ね起き、その銃口を宿難の喉へと突き当てる。
「ゲーム、オーバーだ」
これが加持祈祷の逆回しならば、逆に重体へと突入していただろう。
だから、これはある意味ロシアンルーレット。何をしてでも勝つのだと、鬼神を穿つ弾丸が放たれる。
●
「して、またこの相対か」
上段に構えた菫の管槍に対して、更に上空から剣を払って強襲。喉を刈る光燐剣は、菫が肩口を上げて致命傷こそを避ける。
刺突を誘発しようとするが、乗ってこない。斬、或いは払い。槍の柄で絡め取ろうにも速さが足りない。単純に剣速と翼での体捌きについていけないのだ。これが本領であり、前回のは曇ったまま、悲嘆で錆びていたのだと。
ならばこそ、ここで菫は問う。
「アルリエル、信じるものとはなんだ」
もはや勝敗は決している。セリスが討たれ、宿難が果てて、これ以上の戦いの意味がない。
痛み分けというには苦い戦果だ。撃退士を褒め称えたくなるが、これがウルリエル様にとっての背信だろうか。
「誇りを以て戦い、道を切り拓くことだ」
だからこそ言葉に迷いはない。
嘘対割りなく、だからより苛烈に刺突の軌跡描く菫の瞬閃。
「私は守りたい。私は護る為に、今、此処にしかない儚くとも輝かしいものを」
「私とて誇りたい。天の威光はかくあれかしと、私は胸に抱いている」
「それは自分にしか出来ないことか? 自分の胸で産まれたものか?!」
少なくとも、菫は槍に纏う霞と己が胸に宿った焔に従い、旭と共に駆け抜けた。命を懸けて。仲間を守りたくて。
「誰かに言われ、教えられたものではないな、その誇り……誠に己の魂なのか。応えろ、アルリエル!」
ついに菫の胸を貫く光燐剣。孤で戦うにはアルリエルは苛烈に過ぎた。清冽で、燐烈で。
そして、凛と声を響かせる。
「……私の誇りを背信、反逆と云われても、例え騎士団から除名されても、変わらなかったよ」
以前の返しだと、刀身を掴もうとする菫の指先。だが、のろのろとしか動かなくて、変わりに刀身に血の雫を落すだけだった。
「戦ってでも守りたい信念がある。本当の平和とは遠くとも、私は……それを信じているよ」
例えば誰しも同じ価値観を持っていれば戦いなんて起きないのだ。
アルリエルが掲げる理想は、アルリエルだけのもの。かつて共有してくれた使徒はもうおらず。
「故に、我が悲願は成就させて貰う」
誰に頼るでもない。
「戦の果て、光が射す場所こそ、陽だまりと信じる。光燐のように眩しきものではない。……真に正しいと思えることを口にする為、その剣となりたい」
我、その道を往くと告げるのだから。それがまるで死を覚悟しているように見えて。
「ならば、私はその戦をこそ、終らせる。戦の華とは……戦場の後に咲いた華なのだから」
それこそが、アルリエルの求めるもの。切り拓くか、守るかで違っても。
そして、ここでまたしても菫は敗北してもだ。
「それを、みせてやろう。護るという、焔を。同じく焔抱くならば、甲乙など言葉でつけられず、言ノ刃では足りず」
「ああ」
それは戦場に連ねた信念と矜持。
宿した切っ先にこそ。
最後の最期まで、果てぬと願い続けた方が叶えるのだから。
誰が正しく、誰が間違いなど、神でさえ口に出来ない。