●静寂
戦の前とは思えぬ静けさに満ちていた。
既に互いが布陣を終え、後は激突の瞬間を待つばかりだというのに。
胸に抱くのは熱の筈だ。戦意に猛り、怒りに悲しみ。どんな形であれ、それは激しく現れる筈。
だというのに、アルリエルの率いる群青色の軍勢は物音一つ立てずに撃退士へと穂先を向けるだけ。
サーバントだからこそ主の命令を待っているのかもしれない。ならば、主たるアルリエルの心境とはこんな静謐なものなのだろうか。
いいや、違う。これは誇りの表れ。彼女なりのこの戦への意思の表明。
「弔い――ですか」
上空へと飛翔した青い燐光を伴う大天使へと、アクセル・ランパード(
jb2482)は呟いた。
届かない。届くわけがない。彼我の距離は現実よりも遠く離れ、例え背中越しの距離であっても意味を成さないだろう。
それが悲しくて、やりきれないのだ。
堕天の理由で、アクセルの想いに頷くものがいればこんなことにはならなかったのにと。
「前田とて使徒の前は人だったのでしょう。何故、その想いを同じ人間には向けられないのです」
討つから討たれる。戦の大前提で、相手の命を対等に想えば辿り着く真理。
天魔の争いに巻き込まれ、失われた命のひとつ、ひとつにもどうして同じ悼みを憶えられないのか。
「これが悲劇の連鎖――というには」
切実過ぎるし、悲しすぎるし、盲目的なまでに一途過ぎた。
騎士の誇りはどうしたのだ。正義は何処にある。踏みしめた花の嘆きも聞こえないのか。
Rehni Nam(
ja5283)にはそれが身勝手に思えて腹立たしい。その欠片でも平穏を望む人に向けられればどうなのだ。
戦を始めなければ失わずに済んだものの数は多すぎて、数え切れない。唇を噛み締める。この静寂に飲まれない為に。
「あれがアルリエル……前田の主だった大天使」
だが、翼を広げてアルリエルが空に滞在するのは何もこちらを見下ろす為ではないだろう。
巫 聖羅(
ja3916)も感じる、この静けさは凪だ。すぐさま波濤となって押し寄せるに違いない。
だが、剣戟で掻き消される前にと喪失と弔いを剣に捧げている。もう永遠に握れなくなってしまった、唯一無二の使徒へと。
「――前田の仇を討ちに来たのね……」
最早、供に戦場を駆け抜けることは叶わない。ならば捧げよう。戦の熱を。
それは酷い矛盾。命を等価に見ていない。けれど、それほどに想ってくれる良き主を持っていたのだろう。心の底からの信で結ばれていたからこそ――退けるのは困難だと、巫は眦を決す。
冥府の剣でも断てぬものが眼前の群青の色彩を戦に駆り立てるのだ。
ただこの戦場に辿り着く想いはひとつだけではない。
「気まぐれでは無かったのね。なら――」
暮居 凪(
ja0503)の胸の奥底でざわめく何か。
識別は放棄する。代わりに鋼を持とう。顔には微笑みが自然と浮かぶのはきっと仕方がないのだ。
「この前は私から――この思いは届くかしら? 歓迎しましょう。私の大天使」
まだ終わっていない。辿り着くべき場所へ。まだ進むために。
「丁度良い……このまま終わらせられないのはこちらも同じだ」
散り逝く紅葉の如き炎のアウルは久遠 仁刀(
ja2464)の手ごと燃やすかのよう。
それでも良い。構わない。何も出来ずに終わりの刻を迎えるならば、炎舞に興じるまで。
追悼は終わり――銀嶺の放つ嚆矢の矢が空へと走る。
瞬間、清冽な戦意からなる雪崩が襲い掛かった。
同時に駆け抜ける両者の陣営。武威の発露に呼応して、一気に加速する戦場。
静謐な祈りはなど最早、此処にはない。
甘い感傷よりも、激しき血潮の熱を欲した剣鬼の弔いなのだから。
●烈火怒涛
向けられる意思は刃の如く研ぎ澄まされ、獣の咆哮さえも名乗りを上げるかのよう。
だが脅えるわけがない。怯む筈がない。
怒りだけではなく、悲しみだけではなく。
祈りも願いも、想いも、遺志を汲みたいというソレに尊きモノとさえ感じれど。
「――だが、それでもだ」
大剣を翳し、先陣を切り走るインレ(
jb3056)。直後に襲い掛かる刃風に鬼火の鏃。
無謀であることは覚悟の上。集団を薙ぎ払う為の爆裂以外の三割に身を晒され、身体中から血煙を飛ばすこととなる。
それでも。
「若人が征く道を切り拓くは老人の役目」
幾らかは眼前に掲げた大剣が盾となって防ぐが、それでも数が多すぎる。盾として、囮として真っ先に進む姿は炎に身を投じるかのようだ。
痛覚など最早ない。肩口へと銀光の矢が突き刺さり、衝撃で身体が止まりそうになってもなお脚を進める。
レフニー達の手で投擲された煙幕が立ち昇ったが、この程度で乱れるようなら初戦で敗北などないだろう。そういう相手だからこそ、インレは気炎を立ち昇らせる。
「戦などに若き芽を摘み、奪わせなどせん。我が心、燃える限り」
そして衝突する槍衾。何処に穂先が突き刺さったのかさえ判らぬまま、半ばで折れた白銀の大剣を振り降ろした。
「因縁は未だ断ずですが――それでも」
雫(
ja1894)の言葉に続くのは地を抉って走る三日月の斬衝だ。
刃筋に宿った鋭さと威力をそのままに走り抜けて、槍衾の陣を切り裂いていく。
禍津の神威に至り、脈動する紅光は凶兆の印。天を断つ巨剣は翻る。
「推して通らせて貰います。武器は手放していませんから」
「そうだ。言葉を刃に代えて切結び、刃に魂を込めて語ろう――言葉は不要なのだろう」
同意とばかりに音を越える速度で踏み込む大炊御門 菫(
ja0436)。手繰る槍が辿る軌道は視認も不可ならば、乱れる軌道故に予測も不可能。紅蓮の閃光、瞬いて天魔の鎧を穿つ烈刺となる。
続く久遠の白月の色を秘めた長大な一閃。砲弾と刃風の嵐を抜け、左翼に喰らい突いた前衛の武技は生半可なものではない。
「弔い合戦とはいえ、ここで止めさせて貰いますよー?」
狙うは一点突破。左翼後方に位置する双頭の巨獣を無視など出来ない。
櫟 諏訪(
ja1215)の回避射撃は接近する間に全て尽きた。結果がどうなったかと見る暇もないからこそ。
「まずは、その鎧が邪魔ですねー」
スコープを覗き、敵を射抜く瞬間だけを見据えよう。
仲間は信じている。鼓動があると感じられればそれでいい。雑念が微塵もない諏訪の弾丸は重装鎧に着弾し、射抜くと同時に錆び果てさせていく。
が、接近するまでに負った傷がない訳ではない。負傷の度合いは防御陣に衝突した瞬間に跳ね上がり、鮮血が飛び交う。
「――先陣を敗北してでも、情報を持ち帰ってくれた人達の想いを繋ぎ、紡ぐ為にも」
トリガーを引くのは容易いことじゃやない。
一発ごとに今で関わった全ての、そしてこの戦に挑む想いが篭っているのだとユウ(
jb5639)は感じている。
「天の威、射抜きましょう」
漆黒の弾丸が狙撃銃から放たれる。
光さえ食らう冥府の弾丸は負傷した獣人の額に着弾し、その上を吹き飛ばす。
だが、それを誇りとは想わない。微笑むこと、そして空を自由に泳ぐことの方がユウにとっては幸せなのだから。
「空に映すのは、戦火と血であってはダメなんです」
「――ハッ」
それが聞こえたのかどうかは定かではない。
だが、赤坂白秋(
ja7030)はこれが久遠ヶ原だと笑うのだ。
悪魔は笑う。だが、決して微笑まないと言ったのは何処のどいつだ。
天使の憐れみなど不要だ。弔いと血を求めるのならば、こちらとて銃に吼えさせるまで。
「ならば俺達も弔おう!」
貫気を高めた銃弾が、密集した防陣を貫いていく。
「かの剣鬼に奪われた命を! 四国の土に沈んだ血潮を! 烈士、志士と誇る同胞の敗北を、俺たちの手で今こそ濯ごう!」
高まる士気。波打つ戦意は焔の波の如く、燐烈なる群青の群れに襲い掛かる。
「嘗て対峙した覚えなき、あの『最悪』に殺された人々を!」
無から力を振り絞るが人の魂。
意思を昂ぶらせる言葉に、刺激されたものが気分だけとは言わせない。
想いこそが力となる。ならば負ける道理など何処にもないのだ。
それが真実とさせる為にも。
「些か実力不足なのは認めますが――覚悟で埋められる程度のものとしましょう」
闇の翼をはためかせ、砲撃を繰り返す巨獣の前へと迫る夜姫(
jb2550)。
着地と同時、魔力は既に雷撃へと練り上げ、手足へと纏わせている。巨獣が反射で後ろへと飛ぶのを見逃さず、地を這うように滑る脚撃。
「吼えるのも結構ですが、獣では魂を懸けた声には届かないと知りなさい」
己を知れと後脚を払い、転等させると同時に感電したかのような衝撃で双頭を沈黙させる。
その直後に両側面から都合、四つの顎が噛み付き、夜姫の頬に血が跳ねたが、意に介さずに黒刀を抜刀する。
「――私はこうして、私の決意の上で此処に立っている」
単独での突撃。無謀を通り越して自滅に近い。だが、夜姫の死活の突進にて一瞬とはいえ広範囲を薙ぎ払う砲撃が止まったのは事実だ。
そして、止まるのならばそのまま散れと、ひらり、淡雪が風に舞う。
「意思だって凍る。凍らせる」
はらりと、純白の桜花が空間を彩るように、水枷ユウ(
ja0591)の魔力の残滓が溶けてゆく。
瞬間の転移に気付くものはなく、続く幸福のひとなでに抗することも出来ない。結果、それが災禍もたらすと知っていても。
「微睡む世界へようこそ」
左端の獣人たちがユメに誘われて膝を付く。
一瞬でも崩れれば、陣を立て直すのは容易ではない。その上、眠りの霧は一人だけで紡ぐものではなかった。
続いて右端から中央を残し、霧に触れた獣人達の膝が崩れていく。自由に動けるのは中央だけ。
「弔いの戦……礼を欠くわけにもいかん、全力、だ。奇だろうが、騙しだろうが……出せる札は全て出す」
水枷と同様、模倣とはいえ、瞬きの合間に距離を零と化したアスハ・A・R(
ja8432)。ただ近づくだけではここまでの成果は出ない。瞬間移動で虚を突いての無力化。乱戦で行うには味方を巻き込む可能性とてあったが、躊躇っていれば即座に狙い撃ちにされていただろう。
「銀嶺は、何処?」
巫が短く呟き視線を巡らせるが、後方に隠れているのか発見出来ない。
ダアトである三人がまず警戒すべきは遠距離能力と物質創造を併せ持つ銀嶺の使徒。今ので水枷とアスハは銀嶺にとって最優先に排除すべき敵になった。
それほどの戦果――だが。
「右翼、中央、包囲陣形にて移動中です!」
上空に飛び、状況を見ていたアクセルが知らせる。
左翼への激突から五秒も経過していない。
これを速いというのであれば、逆に戦場の速度を甘く見ていたということだろう。
撃退士の側面へと鬼火の矢が飛び、刺突の衝撃波が襲い掛かる。どんな耐久力を持っていても、不意を撃たれれば十全に耐えられず、動揺すれば更に隙が広がる。
「ですが、判っているなら耐えられます」
鈍い灰色の筋が幾条も空を滑り、衝撃波を絡め取って相殺する鈴代 征治(
ja1305)。
判っていても反応が一瞬遅れた。脇腹に刺さった鬼火の矢を抜く暇も惜しみ、背中に庇った川澄文歌(
jb7507)へと声をかける。
「出端を挫きますよ」
「ええ……気持ちの上では何も変わりませんっ」
統率は見事。判っていても隙を突かれて一撃を受けているが、戦はこれからだ。まだまだ序盤。本領を見せ付けるのはこれからだ。
川澄の歌うような文句。より速く、より鋭く。風神へと祈り、願いを馳せる。
「行きますよ。こちらの中央が予定よりも薄い……包囲されたら、推し負けます」
「キャハハハ……つまり、どっちかが押し斬る戦いなワケだね!」
ゆえにと韋駄天の加護を受け、黒井 明斗(
jb0525)、雨野 挫斬(
ja0919)、レフニーが一気に反撃へと踊り出る。
文字通り疾風の如く動く四人。機先を制する筈のエインフェリア達の想定を覆す速度で迫り、逆襲と紡ぐのは流星を降らす御技。
無数の彗星が降り注ぎ、直撃して砕ければ白い粒子となってエインフェリアの機動力を削ぐ圧力となる。
「命中! 五秒間、重圧で遅延です!」
レフニーの言葉通り、予想では後一歩で届くはずがグラディウスに持ち替えたエインフェリアの脚が届かない。包囲を一瞬とはいえ防ぎ、更なる攻勢へと畳み掛ける時間を作っていた。
けれど、エインフェリアの剣は虚空を滑るだけではない。総勢十体が刺突を衝撃と変えて四人へと攻め懸かる。が、それが最大火力ではないのだろう。
「きゃはは! さぁ! アタシと一緒に遊びましょう!」
少なくとも、狂乱の中にいる雨野を止める程ではない。全力で疾走し、擦れ違い様に鋼糸で腕を絡め取り、そのまま引き裂いていく。晴やかな新緑の煌きとは裏腹に、鮮血の赤が後に続いて迸る。
無視などさせない。すれば後ろから首に糸を絡めて、その頭を奪うのみ。強いモノであれば抵抗するだろう。抵抗すればするほど欲しくなり、駆り立てられる雨野の解体欲求。生物としての本能は元より壊れて、死活の乱打による危険性など度外視だ。
よって、反転して振るわれた刃が雨野の肉を切り裂いても、その笑みは深くなるだけ。
「アハハ!アタシが死ぬ迄付き合って!」
さらには後方よりの援護狙撃。絆を以って連撃と化した鳳 静矢(
ja3856)の狙撃銃が、まずは一体目のエインフェリアを仕留める。
後退からのカウンターを危惧する静矢だが、この様子ではまずないと見ていいだろう。だが、反面、包囲がほぼ形成されてしまっているのだと気付いてしまう。
「拙い……か」
高い機動力を誇るということはそのまま回避も得意だということ。範囲攻撃で押し切ろうとして、先の範囲攻撃の三連打も半分は避けられている。単純に火力が足りない。負けることはないが、同時に殲滅するだけの火力もない。
「静矢さん、これは前に出たほうが……」
蒼姫もまた、静矢との絆により想い描き、風刃を連続で舞い踊らさる。だが、そのうち一発は避けられて虚空に消えた。
攻める、守る。どちらにせよ数が足りない。
補う為の連想撃と範囲攻撃。けれど重圧は即座に解除され、機動力を取り戻したエインフェリアを捉えるのは更に容易ではないだろう。
そして二度目の彗星たちが降り注ぐ。その六割以上が大地のみに穴を穿ちながら。
●波濤破山
ほぼ同時、中央では優勢を決める天秤が大きく揺れていた。
一進一退と云えば判り易く、同時にどれだけ危ういかも理解できてしまう。
右翼に対してカウンターを決めた形だが、火力が足りない。
「いや、横手に広がりすぎたか」
フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)の呟きは一面の真実を伝えている。
勇敢さでは負ける筈もない。が、反面で統率と数で負けているのだ。左翼の一点突破を狙いつつ、中央と右翼も同時に殲滅しようともしている。結果として横に広がっていった陣形は敵の包囲戦術に絡め取られた。
アクセルが伝える戦況はまさにそれであり、ならばこそ中央がモノを云う。
ここまでくれば、逆に中央を突破した方が良いのではとさえ判断がちらつく程に。が、それは左右も同じ事だろう。
盤上遊戯とはいえ、戦の名言が輝く。
――孤立を恐れるものに、勝利は在り得ない。
無数の赤い光を手に、ナナシ(
jb3008)が想うのは一つ。
「私は勝つ為の捨石で良い」
火力、機動力、共に二十五名の中でも最高峰だろう。
だが、自分一人で優勢を決することが出来るかと効かれれば否とナナシは首を振るからこそ、単身で迫るシュラキの群れへと迫るのだ。練り上げた魔力は全て一撃の焔の為に。
弓に矢が番えられ、長巻が構えられるが、もう遅い。ナナシの果敢さは戦況を激しく揺らす。
「だからって、無為に散るつもりもないの……!」
赤き光は禁断の果実のように妖しく光り、前線を担う五体のシュラキの元へと迫る。
刹那、炸裂したのは戦場をも揺るがす火焔の炸裂。ナナシの魂の熱を、想いを全て一撃に託すそれは天を焦がす火柱として燃え上がる。日中だというのに、周囲が夕暮れ時のように赤く染まって見える程に鮮烈な炎の舞踏。
だが、この一撃で終わる相手ならば苦労しないのだと、ナナシの苦笑が零れた。
炎の間から突き進む矢の数は五本。うち四本を空蝉で避けても、残る一本が腕を捉える。
「……ナナシ」
間に合えと戸蔵 悠市 (
jb5251)が召喚したティアマットを疾走させるが、一歩遅い。今のが斜陽だといのうなら、確かにナナシは全身全霊を懸けて放っていた。
「「アルリエル……私はね、弔いって、死者のためでは無く生者の安らぎのためにあるものだと思うの」
故に残る言葉は残照だ。
燃え尽きて、果てる赤の奥から瀕死の状態でも長巻を構えた五体のシュラキを見てしまう。
滑る斬撃は月光で描く孤のよう。避けられない。一撃目を避けた所で、どうしようもない。それならばと、代わりに想いを口にするのだ。
「だから、せめて証明してあげる。彼は、前田は、たしかに強敵と戦い、満足して逝ったのだと!!」
決して散った剣鬼の相手は容易い相手ではなかったと。
誇りを懸けるに値する。魂を削りあって、切っ先にその命を宿す価値があったのだと。
いいや。
「大天使アルリエルさえ退けるもの達と戦い、その剣を捧げたのだと!」
五つの刃に切り裂かれ、血を吐きながらも叫ぶナナシ。
勝利を疑わぬために。
「この程度の傷、気にするか……!」
ここまで重傷を負い、後方に徹していたルドルフ・ストゥルルソン(
ja0051)が駆け抜ける。
彼は銀閃。その名に恥じぬ為にありたい。
王の為、何より友の為。同胞達を想う気持ちで劣るつもりなど欠片もない。
彼が見せるのは銀色ではなく、無理に走って傷口から零れる血の赤さ。それでも地面に転がったナナシを抱え、転がるように距離を取る。
「褒めよう、ルドルフ――そして、ナナシの行為を無駄にはせぬぞ」
識別不可な重力結界を形成するフィオナ。そのままではナナシを巻き込む為に放てなかった円卓の武威は瀕死のシュラキ達に膝を付かせ、上空には赤光で紡がれた剣を形成させる。
「まずは膝を付け。我が友を傷つけた罪に、その首、跳ねてくれよう」
堕ちる刃は斬首の音を響かせ、三体のシュラキの頭部が落ちる。更には戸蔵のティアマットが鉄をも断つ刃衝を発生させ、一体の胴を両断する。
「残るは一体」
暮居と赤坂の銃が轟音を走らせ、残り火を揺らすだけだったシュラキの命を吹き飛ばす。
文字通り、一瞬で半壊した中央シュラキの部隊。ナナシの犠牲の上とはいえ、戦況を決定付けても可笑しくない戦果に、けれど誰も頬を緩ませない。
破山の勢いはあれど、感じるのだ。
ある種、誘い出してしまったようなもの。凛冽な戦意が、するりと滑って切っ先を向けている。
ならば覚悟を決めるのみ。
「光燐剣アルリエル! まだ後ろに引き篭もるか!」
フィオナの専制に応じるように、六連の放火が中央に叩き込まれる。半壊したのなら逆に好都合。例え巻き込んでも物理を半減するシュラキに大きな被害は出ない。
何とかなると想っていてもそれは大きな誤算だと知らされて、影野 明日香(
jb3801)は思い知らせる。ナナシをサポートするには機動力が足りず、菫はようやく左翼から中央へと移る途中。神の兵士とて広範囲を補えず、負傷の度合いが高いものから治癒するしかないのだが、手数が足りない。
聴覚が狂う程の爆裂の連打の中、それでもフィオナは爆炎をも裂く声を張り上げる。
「そうであるなら……騎士としても、前田の主としても我が侮蔑を免れぬものと知れいっ!!」
来るのはフィオナにも判っている。
こんな挑発なくとも、アクセルからの伝達がなくとも、肌で感じる。
だが、確実にその切っ先を己へと向けるために――
「それが言葉、覆すことはないな? 逃げる臆病者と侮辱されることも構わぬと?」
土煙を裂いて飛翔するアルリエルと飛行騎兵たち。
中央を切り裂くべく輝く剣の速さに、反応できる物はおらず。
「そして、我が使徒の名を口にするならば――覚悟は出来ていよう」
剣姫が燐光を纏いて、空を舞う。
遅れて、フィオナの鮮血が地へと流れていく。
●瞬想
「見事、とは言おうか」
騎兵たるフラムベルクと共に突撃姿勢へと入るアルリエル。
左右、中央。撃退士の戦術に応ずるならば、どれを取っても対応法は限られている。
だからこそそこを逆手に撃った中央と右翼は見事。特に中央は捨身に近いが、一瞬で半壊させてアルリエルの出陣を余儀なくされている。
「が、右と左が疎かだな。一言で言えば、火力が薄いぞ」
左と中央は最低限耐える為の戦力だけ残し、右翼の迎撃へと戦力を集中すべきだっただろう。
特に中央と右翼、同時に対応しようとしているものが多いため、向きが半端だ。右翼に限っていえば、勝つ事はないが、負ける事も同時にない。左翼に関しては銀嶺の使徒次第だが、獣人達が眠りから醒めればそのまま推し勝てる。
「――そして、中央は更に薄い」
前線を構築、維持できる程の前衛がいない。故に、騎兵突撃を止められる道理もなく。
「ここから勝利に導く為には、よほどの奇策が必要だな」
そんなものありはしないと、アルリエルは断ずる故に、その翼に光燐を纏わせた。
●銀嶺不踏
奔る銀光がアスハを貫く。
無数の黒い羽根が迎撃しようと踊るが、光に触れた途端に散らされた。
胸を貫く銀水晶の鏃。血を吐きながら、魔術で加速した歩法で後方へと離脱するアスハ。
二撃目は耐えられない。それでも前へ戻るか否かの判断は難しい。
「沈黙させたのは良い、が……やりす、ぎた、か?」
狙撃能力を持つ指揮官に狙われるというのは最悪の状況だ。少なくとも、敵に最大限に警戒され、最優先に水枷とアスハは狙われる。
「なら……!」
「せめて、突破しないと話にならないですよー?」
躊躇いは一瞬。銀嶺の使徒の狙撃の射程内にいるという事実がユウと諏訪に危険を告げたが、元より安全圏などないようなものだ。重装獣人へと冥魔の弾丸と腐食の弾丸が放たれ、着弾。
だが、それは肉を穿つ音も血飛沫も発生させない。突如発生した銀水晶の壁が二発の弾丸を受け止め、相殺している。
「銀嶺ね」
その技は知っている。まずは一枚を使わせたことに目的を果たせたと思うが、その反面で敵を仕留めそこなった。
獣人の取った自己再生は完全に耐える為のものだろう。押し切るが為、久遠の白月色の長い剣閃が走る。その先には、狙撃したことで居場所の知れた銀嶺の使徒も捉えている。
「纏めて斬らせて貰う」
薙刀から走る斬気は本物だ。だが、同時に届かないとは判っていた。
直後に響いたのは刃の弾かれる音。銀水晶の障壁が獣人の眼前に作り出され、久遠のアウルの刃を弾き飛ばしている。一瞬、使徒の銀色の瞳と久遠の赤い瞳が交差した。
「邪魔をするな!」
後一歩で踏破出来るからこそ、障壁での防御に来た。ならばそれごと砕くまでだと地を抉る雫の剣衝が障壁に激突し、半壊させてぴきりと無数の皹を走らせる。
「見つけた以上、もう逃さないわ!」
そしてついに障壁を砕く巫の真空の刃。氷が砕けるような涼やかな音ともに、銀の結晶が散って溶けていく。
「ようやく二枚目」
この障壁は厄介に過ぎる。戦場では唐突に現れるバリケード。自分の防御ではなく、全体の支援として使えば崩れた戦線を再構築するだけの時間は稼がれてしまう。
「迂回は無理、ね」
冷たい眼差しを向け、意識を白き闇へと誘う災禍の風を巻き起こす水枷の呟き。
単独や少数での迂回は自殺行為だ。先のナナシのように、浮いた駒から刈り取られる。それを覚悟の上ならば可能だろうが、水枷が行って得られる戦果は余りにも少ない。
代わりに狂った風にズタズタに切り裂かれた重装獣人が地に転がる。左右が睡眠で沈黙し、中央に出来た道。
けれど、そこに躍り出たのは銀色の姿。弓から作り変えた薙刀を持ち、切り拓いた道に立ち塞がっていた。
「妥当ではあるでしょう?」
「ああ、後は接近戦だろうな――それしかないだろう」
銀嶺の使徒は久遠の言葉に微笑むこともなく、銀水晶の礫を孕んだ嵐を巻き起こす。
敵味方問わず。識別することなど全て捨て、広範囲を削り取る銀の吹雪。撃退士への攻撃よりも、今のは眠った獣人達を起こす為のもの。霧が晴れた今、獣人達が痛みに吼えながら起き上がる。
後方では二体の巨獣を相手取る夜姫がいるが、満身創痍で残る六体を抑えられない。戦えるのも死活が消えるまでだろう。
もう一度眠りの霧を、と思った水枷に迫る重装獣人。動きこそ鈍いものの、完全に左翼に対応する撃退士を包囲するつもりだ。転移の門を開き、後方へと逃れる。
「拙い、ですねー……」
諏訪の額に冷や汗が浮かぶ。
防御陣系から今や攻勢へと変わり始めた左翼。というのも単純な話で、前線を支えるのが久遠と雫しかおらず、ラインを維持できない。銀嶺の指揮に従い、文字通り前線を突破して後衛へと雪崩れ込む重装獣人達。
「乱戦なら……!」
ユウが拳銃を取り出し、地上に降りて前衛である雫を支援しようとするが、敵の数が多すぎる。
弾丸は確かに頑丈な鎧を穿つには至る。それでも一撃で倒せるような容易い敵ではなかった。撃たれた事で標的をユウに向けたのか、獣人の長槍が突き出されて肩口を貫かれる。
雫が視認不可能な程の斬閃を繰り出し、二体を同時に切り裂いてもまだ足りない。一人で三体を同時に相手取り、後方へと流れるのを一時的に防ぐが、戦線を覆せる程でもなく、狙いである巨獣へとも切っ先は届かない。
徹底的な火力不足。その原因は狙いが攻めるのか守るのか統一されていない意思。
「だから乱戦になる。もうここまでくれば、私が取るのは戦線が崩壊した瞬間を狙っての包囲戦ですね。右翼だけが包囲に動くとでも?」
薙刀を頭上で旋回させ、銀嶺が告げる。
こうなれば無差別の範囲攻撃など不可能だ。
けれど、柔らかく微笑むような余裕はない。鋭く、そして嫌悪さえ混じった視線を久遠へと向けていた。
「だが、将が前に出てくる必要がある程だ。――一気に討ち取らせて貰う」
前へと駆け抜ける久遠の一騎駆け。指揮を執らせては確実に包囲されて殲滅されるのが目に見えている以上、それしか道はないのだ。
そして放たれるのは銀嶺の想定を覆した。久遠の持つ技の脅威を知るが為に咄嗟に障壁を創造するも、放たれた武技は水面の如く静謐な一太刀。月のように冴え冴えと、けれど確かに二体の獣人を切り裂いて銀の障壁へと衝突する。
「厄介で、面倒なヒト……」
呟いた言葉は後退せず、横手へと回った巫の放つ爆炎に飲み込まれた。
此処で討つ必要がある。討たなければならないと、燃え猛る炎舞の鮮華。
「面倒なのはアンタなのよ!」
久遠と巫の意見はこの上なく合致している。この銀嶺を放置などしておけない。
フリーにして指揮や後方からの狙撃と支援をされれば、一瞬で対左翼は崩壊する。
いいや、だからこそ――
炎の中を突き進み、久遠へと反転しながら烈閃を繰り出す銀嶺の使徒。瞳に浮かぶのは静けさではなく、苛立ちや怒り。敵意に嫌悪。
何度邪魔をすれば気が済むのだと、揺らぎさえ見える。
「私の名はセリス・神楽峰。名乗りなさい、赤髪と茶髪の撃退士……!」
明確な敵だと認識して、銀嶺の使徒は名乗りを上げて二人へと攻め懸かる。
指揮は放棄し、最後に自分を守らせる為に傍にいさせた獣人二体も前線へと投入して。
「悉くを邪魔をしてくれた者の名、覚えた上で断たせて貰いましょう」
これにて後方への狙撃はなくなり、けれど、崩壊した前線に対抗す為に後退していく対左翼。
諏訪が文字通り嵐の如く、弾幕を張って前進を止める。果敢に攻める雫が剣に吼えさせた。ユウは傷付きながらも引き金から指を離さない。
ギリギリで敗北に転がり堕ちないのは、ただ単に意思の力だ。
もしも久遠と巫が銀嶺に指揮官であることを徹底させなければ、ここに更に巨獣が投入された筈。
それがなくてもこれならば。
まるで秒読みが始まったかのよう。さらさらと、砂時計が零れるように血が流れていく。
勝敗が決まるまで、後少し。
●流水不拾
右翼の出端を挫けても、壊滅させるには火力が足りない。
己が手足千切れ、血反吐に塗れても傷つけさせない、奪わせないと猛るインレとて限界は来る。
魂が、意思が、肉体を補うのもそれはひと時なのだ。
「……ぐっ」
左翼最前衛での突撃からの右翼転進。インレが辿り着いた時には既に接戦の状態であり、識別不能な技は使えない。右を向けど左を見れど敵ばかり。が、下手に薙ぎ払えば味方を巻き込む。
ならばと前へと躍り出るインレ。最後の一撃になると知りつつ、エインフェリアへと密着する。
「───鏖殺するぞ」
直後に繰り出されるのは災禍を砕く剛の刃。
一瞬の爆発力に変えた気炎を持ってエインフェリアを額から腹部まで断ち切る。
「尊きモノ――理想を敗北の爪で濁らせなどせん」
全身の体重、全霊の気魄。放ち尽くしたインレは大剣を抜くことも出来ず、そのまま崩れ落ちる。
向こう側では狂笑を上げる雨野が文字通り孤軍奮闘しているが、限界を超えた負傷故に死活が切れれば即座に倒れる。二回に一度の攻撃ならばとうち一体が相手取るだけだ。
「もう少しです、討ち取る為に……!」
鈴代の裂帛の叫びとともに放たれる槍は三体のエインフェリアを同時に薙ぎ払い、一瞬の空白を作る。
本来ならばコメットによる三連撃を狙いたくとも、包囲され乱戦へと持ち込まれればそう上手くはいかない。ようやく三体目と思うが、後衛が前に出るや否や横に広がってしまい、後衛を守る為に動くことさえままならない。
最もこの状況を苦く想うのはレフニーだろう。押してはいるのだ。掲げた盾から放たれる光で紡がれた翼で刃を受け止め、けれど癒しの技を思うように放てない。
複数人を癒そうとすれば自然と敵も巻き込んでしまう。これでは単体回復の方がマシだと思っても、切り替える余裕もなく鈴代へと光を注ぐ。
「絶対に……耐えなければ」
黒井とて判っている。この後に及んで意思の統一がなされていないということぐらい。
殲滅を前提とする鈴代、レフニーとは故に連携が上手く取れず、カウンターを脅威と思う静矢と蒼姫は後ろに下がりすぎている。加え、後衛の二人は包囲された為にシュラキにもエインフェリアにも的を絞れず、弾丸と風刃が虚空に消え続けていた。突破に対して恐れ過ぎて、攻撃に意識が集中できていないのだ。
敵が前列五体ならば、こちらも最低五人が前衛いなければそもそも回り込まれるか突破される。今や横に広がったエインフェリア七体を三人で対応している形だ。
雨野が何とか一体討ち取り、残り六体となったがそれでも数の差は倍。
中央への援護に回りたくとも、この状況では不可能に近い。黒井が抜けた穴を埋められる人材がいないのだ。
故にここで堅守、鉄壁という黒井の選択は間違いではない。むしろ、火力を揃えられなかった時点でそうすべき所。……いいや、違う。
「優先順位ですか」
今の陣形と情勢が全てを物語っている。
左翼の後方の双頭巨獣、中央のシララキ、右翼のエインフェリアの同時攻略を目指したが為に横に長く広がり、数の不利を大きく受けて包囲されている。
仮にもし、火力の優先順位が包囲に来た右翼の壊滅を最優先に揃えていればこの戦の筋書きは変わっていただろう。ナナシの大火力をコメットの連打に混ぜていれば、確実に右翼は壊滅していた。
最低三種の撃破を狙いたい。ならば、どの順から確実に攻略するか。切っ先が目指すものが不揃いだから、揃えられたモノには到底勝てない。
「などと、言っている場合ではないですね」
最早シールドも尽きて素の敏捷性頼り。避けこねた剣に二の腕を裂かれながら、黒井は反撃へと移る。
こちらはいずれは勝利するだろう。
だが、右翼だけ勝利したところでどうにもならない。
●凛冽烈刃
勝敗を分かつ激突を起こすのはフラムベルク――つまりは炎の柱だ。
その名の通り、駆け抜ける様は青炎の波濤。前衛を担う戸蔵のティアマットが剣撃の威力で吹き飛ばされ、ルドルフは薙ぎ払う一閃で擦れ違いざまに意識ごと断たれている。
ようやく到達した菫とて、受け様に元いた方へと吹き飛ばされ、残る二騎は赤坂と影野へ迫る。
瞬きの暇もなく迫る群青の閃光。大剣は疾走の勢いを乗せて刺突と放たれている。
迎撃に放つべき弾丸は、そもそも銃口を向けるのが間に合わない。
「――ハッ」
笑い飛ばす赤坂は獣のよう。だが、双銃の銃身では捌き切れないほどの衝撃を受けて息が詰まり、後方へと吹き飛ばされて転がっていく。迎撃の射撃など、体勢が完璧でなければ不可能だ。そして、騎兵は迎撃が不可能と見た瞬間にのみ突撃を敢行する。
胸からどくどくと血を零しながら、けれど赤坂は牙を向く。
「猛銃が牙、堪能あれ」
空飛ぶのであれば、地を駆ける猛獣の猛りを知るまいと吼える双銃。
放たれた弾丸はフラムベルグの頭上で炸裂し、雨のような猛射となって降り注ぐ。その一本、一本が赤坂の牙爪。翼へと襲い掛かる墜天の猛威に抵せれず、墜落するフラムベルグ。
「ちくしょう」
だが、同時に赤坂は感じている。今の一撃は必死になりえず、地面に落ちても再び駆け抜ける騎兵の剣。二発は耐えられないと。
「が、最後まで笑わせて貰うぜ!」
次こそカウンターを決めると、最後まで諦めなかった赤坂の意識が鮮血とともに散り、地面に崩れる。
前衛は吹き飛ばされて後衛に突き刺さる騎兵の切っ先。
中央は文字通り、無数の剣で切り裂かれたかのようにボロボロだ。陣形としてマトモに機能出来ず、そこに後衛へと下がったシュラキが鬼火の矢を仕掛ける。
それでも、まだ勝敗は決していないと信じるから戦える。
燐光が舞い、剣が踊る。
翼持つものは空を自在に舞い踊る。その手に握った剣もやはり同じ事。
強襲の速度が尋常ではないのは当然だが、アルリエルの真の剣威はそこではない。
眼前に迫った瞬間に翼が広がり、側面に回りこまれて右腕を斬られたフィオナだからこそ判る。事前に予測をしても、地上を走るモノでは在り得ない軌道で迫り、切り返す暇もなく離脱されている。
単純な速さと翼での高機動力は反応を許さない舞踏に至って剣を振るう。
「どうした。まさか、翼があるモノに、翼を使うなと――そんな弱者のダダをこねるか?」
光燐剣アルリエル。その手にある長剣の刃筋には青き燐光が集っている。
「さて、私の使徒は隻腕ながら、両腕のものに使うなとは言わなかったが」
「確かに、言う通りだ。ならば、堕とすまで」
距離を離された以上、是非もなしと放たれる高重力場の結界。そして降り注ぐ赤光剣。けれど、その悉くを斬り払い、肩口に付いた僅かな傷にアルリエルは笑みを零す。
「その通り。敵ならば討ち取るのみ。矜持を懸けて、来い」
再びの急速接近に反応が送れ、右胸を貫かれるフィオナ。そのまま翻った長剣が空へと走る。
「次は誰が相手だ?」
その言葉が終わるのを待たず、逆襲の暴威と化す白銀の竜。たった一点に凝らした龍尾の一閃。
受け止めたアルリエルの剣燐と龍鱗が火花を散らし、両者を弾き飛ばして距離を取らせる。その隙にとアクセルがフィオナとルドルフを回収して空へと逃げた。
「……これでは弔いにもならんだろう」
戦場の音色に負けぬよう、声を張り上げる戸蔵。
彼は前田の死を見た。ならば伝えるしかない。その真実の一旦を。
「前田が求めたのは結局の所、剣ではなく、たった一人の少女の命だったのだから」
それは戦意や戦術抜きの純粋な言葉。撤退するなら今しかないが、ただ撤退しても追撃される――などと小賢しいことは考えていない。
「――そうだな。貴様の言う通りだ、龍使い。求めた先で命を落とした。私の元ではなく、な」
故に、届いたアルリエルの見せた顔は何なのだろう。
泣き叫ぶのを堪える少女にも見えるし、誇りを以って怒る騎士にも見える。
ただ戦場に赴く瞳以外の何者でもないだろう。失ったものを取り戻す事はではないと知っているのだ。
「故に思うよ。その名残を祓って、私の元に戻った時は――どんなに美しい剣であったのだろうと」
燐光が増し、翼の旋回力を乗せてティアマットを横薙ぎに斬り払うアルリエル。青き光と、赤い雫。剣姫を飾るのは何時もその二色。
「騎士の身を追われても、せめて一人の主として捧げたいと思う。我が使徒に、手向けの戦華を」
その言葉の意味を解するより速く、後ろへと飛びのき傷を癒すティアマット。単純に武力という意味でアルリエルを単独で止めることは不可能だ。
「ようこそ。光燐剣。踊りましょう――前田の言葉を肴に」
故にと、二つの槍がアルリエルの前へと躍り出る。暮居の言葉は挑発も兼ねているが、他を見させないという証でもある。その瞳に、他を映すことなど赦さない。
「私はここにいるぞ。失われていない、手折れぬ華として」
菫は言葉と共に踏み込み、八重の華を描くかのような複雑に曲がる一閃を繰り出し、足元を払いに出る。同時、暮居も槍をアルリエルの胸へと突き出した。
激突音は二度。菫の柄を叩き落としたアルリエルの剣は、そのまま暮居の穂先を弾き飛ばす。
「剣を交えながらでも構わないのでしょう。言葉も武も止めずにね?」
「ならば少しでも騙ってみせろ。今度は加減などなしだ」
側面に回りこんだ戸蔵のティアマットを一瞥するや否や、燐光で紡いだ十字の刃が七つ浮かぶ。
「もう勝敗は決した故に――後は貴様らが誇りを刃筋の一点に懸けろ。刹那に裂く剣戟の華が、前田への手向けの華だ。お前達との戦いを望んだ我が使徒の」
瞬間、乱れ舞う七光刃の舞踏。
暮居と菫、戸蔵のティアマットを切り裂いて血に染める。
だがその威力も完全ではない。不思議と耳を済ませば、川澄の歌が夢を願う祈祷となって、全員の防御力を一時的に向上させている。
最後に戦線を繋ぐ、祈りの歌よ、届けと。
――そうではなくては。
アルリエルの誇りと、前田の命がこの程度で終わるものに向けられたのではないと。
●終幕急段
中央突破された時点で撃退士の敗北は確定されたのだろう。
実質、中央を砕かれて残った左右が孤立し、もはや逃げ場さえない。
騎兵を止めるものはなく、右翼もフラムベルクの増援によって崩壊。左翼はシュラキの一斉射撃で後衛射手から崩れていく。
そんな中でも、銀嶺と戦う久遠と巫、右翼の撤退を導こうとする静矢と蒼姫は諦めてはいない。
最後の一人まで抗う姿勢は見事の一言に尽きるだろう。結果、全滅の目しか残っていないが、アルリエルの兵の数は減っている。
何より、アルエリルを押し留める五人は絶望など感じていない。
「アナタの前で前田は激昂したのかしら――アナタの言葉を口にして、騙るなと」
「いいや。だが、それもアイツらしい……そんな面も見たかったとは思うが、さて」
翻る光燐剣。肩口から袈裟に切り裂かれ、零れ落ちる血飛沫。
どれ程の血を流したかは判らない。影野が治癒を連続で飛ばすが、それが間に合わないのだ。
暮居、菫と二人に交互に仕掛けているから何とかなっている。が、一瞬でも途切れれば終わる。
「固まって。纏めて癒すわ」
七光刃の乱舞に巻き込まれるのを厭わず、自分から接近して暮居と菫を癒し、ティアマットは癒しの息吹も重ねて完全に治癒する。
「――その可能性を摘んだのは、何処の誰だろうな」
「撃退士と憶えていればいいだろう。前田がそれ程、名に執着したか?」
「ああ、その通りか……その通りだな」
戸蔵から見たアルリエルは内心が不安定に過ぎる。
元より歳若き大天使。精神の均衡を保つのは得意ではないのかもしれない。ふとした拍子に激発しそうな揺らぎと、急激に醒めた感情を見せていた。
そういう意味では見た目相応の娘だ。
事実、燐光が激しく輝く時もあれば、静かに凝縮する時もある。
「人、剣、人……貴方の使徒らしいのかしら?」
再度突き出した暮居の槍。穂先が肩に突き刺さりながら、アルリエルも切っ先を凝らす。
「そうであるなら――私の信じる奴の主であり続けなければな」
諸手による裂帛の刺突。脇腹へ突き刺さり、そのまま横へと走る斬撃へと化す。
神の兵士も既に尽きている。そのことに悔しさを憶えながら、影野は暮居を後方へと下げていく。
「そうだ」
喉を狙った菫の炎槍。避けられて肩口を掠めるに留めるが、言葉は然りと届く。
「死を想い其方ばかりを見つめては足元の華を見逃すぞ……あいつは、私達を見ていた」
故に、込めるのはこの言ノ刃なり。
「手折ってみせろ、わたしたちという意思を、戦の華を。半端な戦華では、前田の死を穢すぞ!」
「……っ!」
反論に声ではなく、翻る光燐剣がこの戦で最高の剣閃の冴えを見せたのは、アルリエルの魂を貫いたからだろう。
黙れとは云えない。消えろとも云えぬ。故に、剣で語れ。刃で交われ。
首筋を削られ、菫の肩から胸へと切り裂いて落ちる光燐剣。鋭利なのは確かだ。魂を込めた一太刀を受けて、けれど未だ菫は立つ。
意識など吹き飛んで当然。だが、この程度では倒れる訳にはいかない。
「アルリエル、私は負けない」
下段から跳ね上がる紅蓮槍。かつて使徒が刃に宿した色彩に、僅かにアルリエルの瞳が奪われる。
負けない。勝つのだと。勝って当然。摘んで当然なものなど何もなく。
「悲嘆を映して曇った刃が、どうして前田を討った私達を討てるのだ!」
自らの傷を抉りつつも、下段から飛び上がった槍がアルリエルの長剣を上へと弾き飛ばし、無防備を晒させる。言葉も武技も、全てを乗せ、烈火怒涛と菫の焔槍が伸びた。
捉えたのはアルリエルの胸部。鎧に阻まれ、浅くしか突き刺さらずとも、確かに心の臓の上に達した。
「悲嘆など、戦華の色彩には不要――次に合間見えるときこそ、烈華と舞おう」
火事場に発揮する力というには清冽に過ぎた。
こういうものが、こういう剣が欲しいとアルリエルは想ったのだ。
紅蓮の剣閃、忘れる筈もない。闘争の中でも信を寄せたのは、紛れもない熱量に対して。
「――相判った」
何と無様を晒したのだろう。
これでは己が使徒だけではなく、己が使徒の戦いを穢している。
アルリエルは指が焼けるのも気にせず菫の槍を握り締め、跳ね上がった剣を振り下ろして今度こそ菫の意識を断つ。
直後、地面突き刺さるのは影野が持ち込んだ十本の剣だ。
差し出すように地面に並ぶ剣の向こうで、影野が口にする。
「倒れた者達に追い打ちなんてあなたには似合わないわ」
これで面目は立つだろう。少なくとも撤退の理由が出来ただろうという中で。
「私が欲した剣は一振りだ。だが」
火傷を負った指がその内の一本を掴む。
「取り返しに来い。再び合間見える時、これは返そう」
撤退の号令を掛けるアルリエル。戦には勝っているが、更なる進軍は不可能だ。
そして何より。
「ああ、そうだな。戦は終わっていない。私は騎士としてではなく、彼が主としてお前達に挑もう」
言葉の意味は不明。
だが、すぐに明らかになるだろう。
アルリエルが求めたのは一振りの剣。前田という天刃。
焔剣は求めていなかったが故に誰かが手に渡り、その天威を奮うのだろうが。
「私は私の信じるものを求めよう」
●
「さて、互いに生き残ったことですし……再び合間見えましょうか」
セリスと名乗った銀嶺の使徒が、魔炎に燃やされる腕をだらりと下げて息を付いた。
その前では呼吸も荒く、膝を付いたままの久遠がいる。後方にはほぼ無傷の巫がいるが、だからといってこのまま戦いを継続しても勝負が付いたとは言えない。
常に久遠の蝕を警戒した銀嶺たるセリス。使っていれば痛打は与えていただろうが、同時に久遠も倒されて指揮が磐石になっていただろう。
「あなたは、勝利が叶わない代わりに敗北も出来ない星にでも産まれたのですか?」
「……俺は」
続く言葉は喉から溢れた血に遮られた。或いは、元から持たなかったのかもしれない。
撃退士が挙げた戦果はギリギリだった。
シュラキ五体、エインフェリア六体、獣人四体。
フラムベルク、双頭の巨獣は負傷しつつも一体も倒せていない。
それでもアルリエルが撤退した理由を考えれば、予想は付くのだ。
再び、攻勢に出る。その為に一度退いただけ。
続けて進むのが難しくなったから。兵力の三割を消耗すれば撤退するのは道理でもある。
それを勝利というには、目指した理想には遠すぎて苦くとも。
弔いの戦としては、アルリエルの勝利にはなっていなかった。
ただ、風に掻き消えるように、大天使は呟いた。
――戦いの中で潰えた命の誇りこそを継ごう。
燐光の如く散り、空の中へと溶けていく。
勝利と栄光と、誇りの到達へは未だ、遥か遠い。
けれど切り拓かれた道は確かに続いていた。