翼を追う視線が語るのはただ一つ。
逃さない。猟犬のように疾走しながら言葉もなしに共有する想念。
迷う暇もないのであれば是非もない。戸惑いなど振り切るのだと、オブリオ・M・ファンタズマ(
jb7188)は純白の翼を広げる。
決着への執心の結果がこれ。人の街に戦禍の爪痕残すなど、まさに悪魔らしい。
必死で戦ったのだ。絶対に討ち取りたい、刈り取る翼としてフェッチーノの魂を切り裂いた。
だが、その結果があの天使がやったことと変わらないのであれば、天魔というのはそういう過ちと災禍振りまくものではないのかと自問が止まらないのだ。
でも、空を舞うモノ、皆がそうであるたせなんて信じたくないし、認めたくないのだ。
ならば、語るはこれより。マントの襟を引き上げるオブリオ。
「ともあれ……今はやるべき事をやるのです」
隣で死神たるゼロ=シュバイツァー(
jb7501)がその刃のような戦意を瞬かせたのだ。
「おう、迷うてる時間はないな」
先行する天狗の早さは確かなものだ。ゼロとて必ず先手を取れるようなことはありはしない。
だが、だから何だ。闇の翼を形作るゼロに、死神から逃げられる道理が何処にあるだろうか。
「あいつの忘れもんか……手にかけた身としては後始末はきっちりしとかんとな」
狩り取り忘れた命ではあるが、逃すつもりなど微塵もないのだ。
後藤知也(
jb6379)も元は自衛隊。人々を守る義が強く、逃せばどうなるか解らない天狗を許すはずがない。
「絶対逃がさない……来て、スレイプニル!」
主たる竜見彩華(
jb4626)の声を聞き届け、空間を波打たせて現れるスレイプニル。
蒼と黒の馬竜は宙を駆け抜けるべく、甲高い嘶きをあげる。それこそ竜の戦歌のように。仲間の士気を跳ね上げ、開戦を告げるかのように。
「そして、時計の針を進めましょう。幸せな夢こそを、アナタは抱いている。駆け抜けた先に、幸福な空が残るのですからっ」
召喚した竜に、まるで祈り託すように語る竜見。
夢と浪漫は鋼鉄の暴力で粉砕されることもあるだろう。だが、鋼を切り裂くユメもまた人の胸にはあるのだ。
それを主と竜がどの程度の深さで共有しているかは解らない。だが、疾走する竜馬は夢と理想の具現のように勇猛で、惧れを微塵も抱かない。
――では、どちらが狩られるかな?
相手とて甘くはないだろう。
アウルを脚部に収束させ、翡翠 龍斗(
ja7594)が狙うのは一瞬。狩るか、狩られるか。それこそ追走劇に興味はなく、戦いの場に引き摺り下ろすつもりだ。
ゼロに視線を巡らせれば、同意だと頷きが返る。
「さて、何としてでも、止めないと、ですよー?」
阻霊符にアウルを注ぎ込むと同時、狙撃銃を構えて前方、天狗へと走りぬける櫟 諏訪(
ja1215)。
ほのぼのとした声はは裏腹に、銃の光沢は冴え冴えと。油断も隙も、加減も容赦もそこにはありはしない。
スコープを覗き、前方の空飛ぶ天狗の背を捉える諏訪。瞬間、命中を低下させながらも、爆発的に増えるアウルの弾丸。狙撃銃でありながら、三連射を許すのは常人の領域を超えている。
「早速ですが、逃がすわけにはいかないので墜とさせて貰いますよー?」
そして、常識を覆すアウルの弾丸が、瞬く間に三つ飛翔する。
そんな中でも笑うのが諏訪という少年。みんなが笑顔でいることを祈っているし、それが銃口からの光でも、天からの威光からでも、かき消されたくはないのだ。
「早速ですが、逃がすわけにはいかないので墜とさせて貰いますよー?」
その為に尽くすのだ。想いと願いを乗せ、放たれた銃弾が、笑顔を壊す為の天魔へと強襲する。
●
一発であれば避けられただろう。
背後からの襲撃に反応し、初手は凌いで臨戦態勢を取りながら半身で後退。それまでは背を見せても全力での逃走を図る。
ある意味、理想的ではあるが、逆にそれを覆されてはどうしようもない。一発目は飛来する気配で避けたのだけろうが、間髪を要れずに二発目、三発目と弾丸が背中を打ち抜き、地上へと落下させる。
そして追走は瞬く間に。連続で移動した竜見のスレイプニルが青白い煙を尾と引き、三つ目の天狗へと迫る。
天狗の判断は一瞬だ。スレイプニルを包み込む束縛の風はそのまま追走を阻む鎖となった。が、追撃は流麗なほどに滑らかに、淀みなく天狗に迫るばかり。
更には左右から魔の大鎌に持ち構えたゼロと、曼珠沙華の描かれた刀身を携える翡翠が地面が爆ぜるかのような勢いで駆け抜ける。
驚異的な速度に天狗の反応は確実に遅れていた。
「ほな、始めましょか龍斗さん。龍と黒鴉の殺戮ショーを!」
己を黒鴉と言うゼロ。だが、確かにこの時のゼロは翼を得ている。
戦いにおいて、相手を上回るだけの力。飛翔して勝利へと近づく為のもの。漆黒の鎌刃には雷が纏われ、一閃と共に天狗の身を切り裂き、その雷撃が弾ける。
咲き誇る菊の如きアウルの雷。全身を奔るそれは動きを止めるものだった筈が、瞬間、逆にアウルが弾かれた。確実に決まった雷菊の威が後から打ち消されるとなれば、この手のものに耐性があったのだろう。
「だが、一瞬――止まったな」
翡翠が手に執りしは修羅道の主が名を冠する直刀。
刹那の硬直とて見逃さず、その斬威を奮うのだ。
闘争の気配に歓喜し、刃鳴り起こす錯覚さえ指先が憶える。いいや、翡翠の騒ぐ血が刀身に伝わっているのか。
どちらにせよ、答えはひとつ。結びつく行動と因果は、絶えず唯一無二。
「……ああ、そうだな、ゼロ。ただの殺戮ではなく、恐怖と絶望を刻み付ける」
瞬間、天を斬る翡翠の剣閃が天狗の翼へと放たれた。
半ばまで食い込み、そのまま捻って傷口を抉る修羅の刀。天狗の体から赤い彼岸花が咲いたかのように、鮮血が周囲に飛び散る。
「――ここで、落とし、釘付けにします」
更に空からは銃口を向けるオブリオ。弾丸の代わりに放たれた無数の妖蝶。
群がられ、まるで部分を喰われたかのように喪失する天狗。触れれば侵蝕する胡蝶の舞は肉体に留まらず、精神にも影響を及ぼす筈だが、三つ目の天狗の瞳はどれも正気を保っている。
「……手強い、ですね」
呟く竜見。その前方では光の幕を纏っていた竜馬が再び嘶き、束縛から解き放たれた。
一筋縄では捉えきれず、絡め取るにも実力の差がある。何とか初撃で地上に落としたからこそ状況は有利だが、何時ひっくり返されても可笑しくはない。
「しかし、包囲は出来たな」
三方から翡翠、ゼロ、竜見のスレイプニルが囲む以上、早々に離脱は出来ない。
すれば隙を見せて致命の一撃を負いかねず、空に逃げるにはオブリオが邪魔なのだ。
ならばと三つ目の天狗が放つのは旋風の刃。ゼロとスレイプニルを巻き込み、切り裂き唸る魔の技だ。物理で斬られた以上、反撃は魔撃であるのはある種の当然だろう。
一瞬で生命力の大半を持っていかれたゼロ。高い攻撃力の反面、脆さが出ている。後一撃は耐えられない。
「なら、後一撃の前に倒すだけ、ですねー?」
側面に回りこみながら、諏訪が口にして引き金を引く。
発砲音が響き、天狗の足を打ち抜いてよろめかせる。もはや地に落ちた身。逃げ場はないのだ。
そして僅かでも姿勢を崩せば、どんなに負傷してもその隙を見逃さすはずがない。
「さて、ここで一気に決めさせてもらいますよー!」
一気呵成と、波状攻撃が繰り出される。
●
魔具にそのアウル、生命力の殆どを費やしているゼロだが、その斬威が甘いものである筈はない。
むしろ逆。生命を犠牲にしてまで引き上げている斬閃が、三つ目の天狗を窮地へと追い立てる。
「よう、やってくれたな……!」
瞬くは漆黒。翻るは漆黒。付き纏う稲妻は斬撃の鋭さを増している。
文字通りの蹂躙へと変じる程だ。これを耐え切ったとして、だから何だというのだ。魂魄切り裂く冥魔の斬舞いは止まらない。
加え、重ねられる猛撃は一つではなかった。武器を刀から巻き布に持ち替えた翡翠が打撃の嵐を反対側から重ねている。頭部を打ち据えれば眼を狙い、喉や間接を捉えればそのまま、絡めて圧し折ろうとする殺し技の数々。
「人が鍛錬の先に見につけたモノへの、恐怖を知れ」
或いは人を棄てた先か。修羅と悪魔、龍と黒鴉の猛撃を捌く三つ目の天狗。
これもこれで異常なしぶとさ。一瞬でも油断すれば、或いはこの猛威の嵐が止まれば、次の一撃でゼロは倒れるだろう。
だからこそ、竜見は命ずるのだ。
「スレイプニル、砕いてください!」
竜馬が狙うのは翡翠が刻んだ翼への一撃。蹄を振り上げ、振り下ろすという単純かつ強烈な一撃が更なる出血を促す。ただでさえ巨体なスレイプニル。その全体重を乗せて作られた急所へと放たれているのだ。決して甘い一撃な訳がない。
「まだ悲しみが終わっていない人達が沢山いるんです!」
そして、竜見が此処に立つ覚悟も同様に軽い訳がないのだ。
「ここで逃がしたら、更に皆さんを不安に突き落とす事になる。それだけは絶対にダメ!」
陳腐だが、人の悲しみは時間が癒すのだ。ただし、それはとてもゆっくりと、長い長い時間をかけて。
ふれあい、重なり合い、心の傷は癒えるのだ、肉の負傷のように縫い合わせればそれで大丈夫なわけがない。そんなのはやせ我慢で、罅割れたままで、痛みを堪えているだけなのだ。
安心して、悲しみ、涙を流すことだって大事だから。そんな時間が、必要だって竜見は知っている。
指先で触れるサンストーンとシトリンのブレスレット。
猛る気持ちより、守りたい切実さが勝っている。そんな想いを汲み取り、スレイプニルが再び嘶く。五月蝿いとばかりに、天狗の起こす風が縛鎖になっても、それは守っているという証拠。
私も、助けられた筈なのだ。親友を、助けられる筈なのに出来なくて。
そんな悲しみ、もう二度といやなのだ。疼く胸の痛みが、血を流す傷口より激しくなる。
「これ以上悲しい思いをする人はいなくていいんです…!」
「…………」
こういう想いが人なのだろう。
人の心とは不可思議だと、オブリオは思わず息を呑んだ。
出世の為に人々を苦しめたフェッチーノが脳裏を過ぎ、彼を討つ為に守るべきものを放棄したオブリオ。
人々からすれば理不尽だっただろう。フェッチーノも、オブリオも、自分の目標の為に他を棄てた。
そんな今のオブリオが、フェッチーノを非難する資格はあるのか。守る為に戦うといいながら、戦う為に守ることを棄ててしまった気がして。
「悲しみは、終らせる!」
清廉な祈りように、凄烈な願いのように叫ばれる竜見の想いに、迷いの霧が少し晴れた気がするのだ。
「……ええ、そうですね」
光で紡がれたナイフを手にし、即座に投擲するオブリオ。
今だに悩むし、答えは出ないから光刃の方が先に出てしまう。
――けど、今は戦わなければいけないのです。
悲しみを終わらせるといった。
もう二度と、悲しませないために。守ることを、棄てない為に。
――戦う事で何かが救える、それだけは間違いの無い事実だから……!
指で掴む投擲ナイフの光が増す。必ず当て、貫くと意識が光となって凝縮する。
「ダレかの」
自分の。
天使の。
悪魔の。
そして、生きる物の心として。
「想いで、因縁で、執念で。――踏みにじられる人を、もう出さないためにです!」
放たれる、オブリオの言ノ葉と光刃。
では、どうなのだろうと波状攻撃を続ける諏訪は思うのだ。
もう天狗が逃げるには一発逆転を狙うしかない。けれど、逃げた先でどうするのだろう。
「天使には、天使の事情ですかー?」
そして翼へ向けて発砲。殆ど壊れたといっていい翼を見つめた後、続けて鋭い言葉を空に投げた。
「けれど、それで人の笑顔をかき消していいわけないですよねー? ……されたら嫌、でしょう? 自分と違うセカイの種族だからと、やりすぎですねー?」
まるで子供をあやすように。
激闘を繰り広げる中ではなく、もっと遠くへと投げかけるのだ。
天狗が逃げようとした、天使の居場所へと。
「さて、ここで一気に決めさせてもらいますよー!」
●
終局の気配を真っ先に感じたのは他の誰でもない、三つ眼の天狗そのものだ。
命が尽きる、生命が消える。ならばと当然、繰り出すのは奥の手だ。もう翼は朽ちて空は飛べない。
だから何だと、鬼灯のような瞳が光を放つ。
違和感は天狗を包む全員に。翡翠、ゼロ、オブリオに竜見のスレイプニル。全てが幻惑に囚われ、まとな判断と認識が出来なくなる。
「……くっ」
故に起きるのは同士討ち。それを避ける為にカッターナイフで自分の腕を刺そうとした翡翠だが、痛みが来ない。貫いた感触だけがある。
「……な」
自傷さえ許さない幻惑。ゼロの腕に刺さったカッターナイフと、そこに天狗がいたかのように薙ぎ払われる漆黒の大鎌。攻撃を止めない限り、同士討ちは止められない。
「……っ」
故に真の意味で逃れられたのは竜見のスレイプニルのみ。聖なる幕を纏い、抵抗力を高め、攻撃をしないという選択こそが最善。オブリオの光刃がその装甲に突き刺さるが、まだだと奮い立たせる。
幻惑の光は一瞬。その間にするりと抜けた三つ目天狗。
ある意味、これをどう攻略するかが問題点だった。そして、それは。
「残念、ですねー?」
後ろに回りこんでいた諏訪の、至近距離からの銃撃に阻まれる。
腹部に受けた銃弾の衝撃でよろめき、そこにスレイプニルの放つ真空の鋭衝が放たれる。鉄でも断つだろう斬閃に、膝をついた三つ目の天狗。
再び龍と黒鴉が幻惑を振り切って迫る。
「えぇ夢、見せて貰ろうたわ。――三途の川の渡り賃や、受け取れ」
下段、地面さえ薄紙の如く切り裂いて至る烈火の激情乗せた黒の斬撃。天狗の右腕が飛び、腹部には斜めに奔る鮮血。
「人を棄てた鍛錬の先にある答えの一つだ……受け取れ」
そしてこちらも、修羅の刀が斬滅を謳って繰り出される。疾風より迅く、稲妻より苛烈に。烈威を帯びた刀身は三つ目の天狗の首筋へと食い込み、肉を切り裂いて骨を断ち、そして虚空へと抜けいく。
斬り飛ばされ、空を舞う三つ目。きっと何かを知らせるべく作られた鬼灯の、戦継の瞳は自分を討った撃退士たちを見ていた。
●
「さっきは悪かったな、ゼロ。カッターとはいえ、痛かっただろう? ……癒してやる、歯、食いしばれ」
「ま、待ち。同士討ちはお互い様や。龍斗さん? どう考えても回復する構えには見えないし、それ烈風つ……グハァァ!?」
恐らくは拳に癒しを乗せて叩き付けた翡翠と、殴られて癒されるゼロ。
戦いなど束の間で、平穏な時間が流れていく。
そんな中、この東北でどんな結末があるのだろう。
オブリオは今だ答えが出ない。東北の動乱の中に、ソレを見つけられるのだろうか。
笑い合える今こそが幸福なら、もっとと願うのは……悪魔がもたらした、人の堕落という罪なのだろうか。
それを断罪するかのように、天使の脈動が開始される。