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元より空とは翼あるモノの領域。
だからこそ、縦横無尽に駆け抜けることを止められない。
降り注ぐ爆炎と稲妻。爆撃機というより、意思を持った一つの天災の塊のようだ。
その技は幾つある。操る魔術に限りは。天使としても魔術の才に長けたフェッチーノは、空を飛翔して地を制圧し続ける。
少なくとも空から墜落させなければ戦いにすらないだろう。
タブレットから薬を一錠取り出し、噛み砕く亀山 淳紅(
ja2261)には苦笑が浮かぶ。
遠くから見る限りでも純粋な実力差というものが解ってしまうのだ。魔術師として強敵であり、淳紅ひとりでは絶対に勝ち目のない相手。
けれど、心躍るのは確かなこと。胸で脈打つものは留められない。
「翼を下さい、なんて、まるで歌みたいやね」
もう一錠噛み砕いて呟く。まずは空より落とすためにと狙撃と接近でメンバーが分かれていく。
密集している機材を遮蔽物代わりに爆裂音と光へと近づいていくが、空からの攻撃は少しずつその激しさを増していく。
まるで獣のよう。負傷して怒り、狂うが如く魔術の驟雨を降らせていく姿にフィオナ・ボールドウィン(
ja2611)は僅かに眉を潜めた。
「手負いほど危険な相手は居ないな……何をしでかすかわからぬ」
紛れもない天使を相手に獣と断じるのがフィオナの本質。事実、手負いの獣という表現は的を得ているだろう。
「Bridge is broken down Broken down, broken down……」
ハンズフリーの通信機越しに、狙撃の為に隠れながら近づく暮居 凪(
ja0503)の歌が届く。
呆れ交じり。獣というのなら確かにそう。ならばその身に翼も不要だろう。
「……その力を振るうだけの愚か者など、私は許しはしないわ、落ちてしまいなさい。童話の如く」
「こちらの事を研究して来ているみてえだが」
はっ、猛獣のような笑い声を零すのは赤坂白秋(
ja7030)だ。
銃撃手としては射程が届かない。それは百も承知だが、地に立つこの身が携える牙と爪がその翼を切り裂くと確信しているのだ。何も解りきった力だけが全てではない。
調べたのだろう。対策してきたのだろう。
ならば、こちらとて同様にするまでだ。墜天の瞬間を心待ちにしろ、と双銃を握り締めて。
「が、やり方が女々しいんだよ。気に食わなねえ」
吼える瞬間を待つ赤坂。狗月 暁良(
ja8545)もフェッチーノの名前とよく似た何かを思い出して、笑いながら空を見上げる。
「ああ、パスタだパスタ。平べったくて薄い奴。ネ、ならそんな名前の天使、撃ち抜いてみせルぜ?」
暴れまわるフェッチーノ。範囲攻撃に巻き込まれないよう散開し、包囲する為に移動は遅くなり接敵まで時間が掛かっているが、焦るわけにはいかない。
舐めて、甘く見て、勝てる相手ではないのだ。
「……っ…!」
決して頭が悪い訳ではない。付け入る隙は功を焦る様子から十分に見える。
だが、果たして侮っているだろうか。あのフェッチーノは。事実として、キイ・ローランド(
jb5908)の振るった剣盾が切り裂いたのは空に記された印。一瞬反応が遅れれば魔術による攻撃を放つ拒みの陣だ。
「罠、それも多数あるようですね」
誘いこまれたというべきなのだろう。近くで別の陣印を発動させ、ダメージを受けながらもオブリオ・M・ファンタズマ(
jb7188)が波打つ刃を一閃させる。
「フェッチーノ……!」
流れる血と痛みは、オブリオの憎悪を加速させるだけ。
止まるのだろうか。止まらないだろう。ここまで来れば衝動に身を焼き尽くされるのみ。
これが終わればどうなる。オブリオの憎悪と憤激は止まるのだろうか。
解らない。解らない儘に、ついにその宿敵を目にしたオブリオは叫ぶ。
今はただ、決着をつける為に。その翼を奪うと、誓約を果たすが為に。
「地に墜ちろ――――フェッチーノ!」
開戦の号砲として、戦意に奮える大気。
空は、誰がものか。
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「……また、あの小娘どもか」
暗鬱に、けれど何処までも深い怒りを込めて見下ろすフェッチーノの瞳。
視界の端で瞬いた光に反応して首を動かせば、地上から放たれた雷撃が頬を掠めて通り過ぎる。
「……魔術で勝負を挑む気、か? この程度で?」
淳紅の雷撃とて温くはない。が、結果としては嘲笑と共に降り注ぐ暗き炎の爆裂。
周囲を薙ぎ払う炎。必死で抗う淳紅の周囲に展開されるのは交差する五線譜の障壁だが、それでも完全に防ぎきれない。周囲の機械が破壊され、焼かれる激痛に唇を歪ませる。
「流石は天魔、バケモノやな。せやけど、侮るんではないで?」
安い挑発に乗って魔に抵抗の強い淳紅に初撃を叩き込んだフェッチーノに、四方から放たれる銃撃。
高度差のせいで射程ギリギリ。むしろ、見誤って虚空に消えるアウルも多数あるがそれでも全方位からの射撃にフェッチーノが息を飲む。
オブリオの拳銃に、狗月のマシンガン。フィオナとキイの矢が飛翔し、包囲されていることを知らせる。
「……ウザい奴等だ」
それでも空を飛ぶモノの優位は覆らない。僅かに弾幕が薄い場所を見つけ、そちらへと滑り込むように飛び行くフェッチーノ。これ以上施設が破壊されない為に誘導されていると気づいていないのか。
どちらせにせよ、侮りはあったのだろう。真正面から、連続した銃弾が直撃し、血飛沫を地面へと降らせていく。
呻き声は確かな負傷を与えたことを知らせていた。下からの攻撃ばかりに気を取られ、自分とほぼ同等の高さからの銃撃があるとは思わなかったのだ。
「おや、肉体的な強度はそこまでではないようですね」
半壊した電送塔に登った鈴代 征治(
ja1305)がアサルトライフルを構え、動きを止めたフェッチーノを見つめる。
驚異的な火力と範囲こそ誇るが、僅か一撃の銃撃で体勢を崩していた。何事も万能なものなど存在せず、全てが優れているなどとは、頂点を極めた無双の域にあるものだけが冠する言葉だ。
そして、少なくともこのフェッチーノはその領域に辿り着いていない。反撃で鈴代へと白い稲妻を降らせるが、耐えることも可能。
ただし、長期戦など不可能だろう。施設の破壊もあるが、この火力相手では長期戦は耐え切れない。
爆炎に雷撃と立て続けに四方へと放ち続けるフェッチーノ相手に、瞬く間に負傷を重ねていく撃退士達。僅か一瞬の隙を作り出し、地上に落とさなければまず戦いが成立しない。
「と、なるト少しは無茶しナいとね?」
故にと前へと躍り出るのは狗月だ。フェッチーノの高度から見て射程はギリギリだったのを確実な射程範囲に収めて、手にしたマシンガンのトリガーを引き続ける。
地獄の番犬の吼え声は、空飛ぶ体を幾度となく撃ち抜いていく。当てる場所など関係ないと、命中重視の連射にフェッチーノの身体に弾痕が刻まれていく。
決して軽い負傷ではあるまい。ただし、これを好機と捉えたのも事実。
「……鬱陶しい」
落下するのは爆裂の炎。頭上へと、足元へと、相打つように交差する弾丸と魔術。炸裂した炎と爆風で狗月が弾き飛ばされて瓦礫の上を転がるが、フェッチーノもまた同様に姿勢を崩す。
恐らくはもう二度とないだろう好機。オブリオが光の翼を顕然させ、空へと、フェッチーノの舞台へと舞い上がる。
「今度こそ、その枯れた翼を奪わせて貰います。フェッチーノ」
白い瞳。冷たい言葉。だが、その中に秘めたのは灼熱の戦意。
フェッチーノが僅かに目を細めた。翼を掠めた刃を持つ堕天使をどうしようかとした、その瞬間。
ようやく、始まる。
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「僕が憎いですか。いいですよ、どうぞ狙ってください。この中で一番弱い僕を」
その時を図って、電送塔にいた鈴代は鉤爪の付いた鎖へと持ち帰る。
暮居は狙撃銃を持って合図を待ち、瓦礫に潜んだ赤坂は鋭く眼光を光らせた。
それらに一切気づかぬまま。
憎悪と激怒。その二つを、翼持つ二人がぶつけ合う。
「――尤も、弱い僕にゲートを阻止された貴方は、推して知るべきといった処ですか」
「……翼、翼」
ああ、とフェッチーノが小さく、笑って首を傾げる。
「……一撃でも与えられたことがあったかな? 言葉だけの無力な堕天使」
「……っ!」
敗北したのは共に。目的を果たせなかったのは両方。
まるで白炎を宿したかのように染まったオブリオの瞳。剣を構え、無謀なまでの突貫へ、フェッチーノの白雷の蛇が迎え撃つ。
轟音と閃光。弾ける稲光の前に、減衰するオブリオの勢い。
また今度も切っ先は届かず。けれど、他のものが届く。
それは意思疎通でオブリオの激情を受け取った暮居の狙撃。後方から放たれた弾丸は一人のものに在らず。
オブリオが作り出した隙に、フィオナとの絆と想いで紡いだアウル。それもオブリオが挑発して攻撃を誘発した為、二連の狙撃が確実なカウンターとしてフェッチーノを打ち抜き、その高度を下げる。
暮居の頬に苦笑が浮かぶ。個人ではなく、仲間の力を借りて身に纏い、連ねる弾丸とするなど。
きっと十年前も八年前も、そして三年前の自分も驚くだろう。
けれど、これが今。これが現実。天使をも打ち抜く力として紡いでいるのだ。
フェッチーノの翼は健在だが、これで白き猛銃の爪牙が届くまでに高度が落ちている。
「はっ!」
隠れていた瓦礫から飛び出し、青の双銃を構える赤坂。銃口に込められたアウルは、天墜の為の力を宿している。
帯びているのは飛翔する者への特効の性質。これをもって翼に牙突き立てると、トリガーを引く共に叫ぶ。
「食い千切ってやるぜ、その翼!」
そして着弾の直前で弾ける弾丸。フェッチーノの頭上から無数の五月雨の如く降り注ぐ猛射は全て片方の翼へと収束している。
「……っぐ」
実力の差が開き過ぎて落下させることは不可能。だが、完全に姿勢を崩したところへと、鈴代が全力で跳躍する。
それは、空を飛ぶものを狩るかのように。
繰り出される鎖の鉤爪が、その足へと絡みついて墜落へと誘うのだ。
「…捉えたぞ! 墜ちろ!!」
三連の狙撃、加えて鈴代の鎖と体重についに落下するフェッチーノの身体へ、まるで同じく墜落するかのように剣を突き立てるのはオブリオ。
翼を捉えた。浅い。だが、確実に届かせたのだと、まるで体当たりをするような無様な刺突を以って。
「さあ、今度はお前が狩られる番です」
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落下の衝撃を殺せずにバウンドする枯れ木のような姿。
声が漏れたかどうかも怪しい。間髪も挟まず、地に落ちた瞬間に放たれたのはキイが重戟の突進だった。
「そろそろ終わりにしましょうか」
後方へと軽々と吹き飛ばされるフェッチーノ。背後にあった鉄柱に激突し、息を詰まらせた瞬間、襲い掛かる金色の狩人。
「誇りの欠片もない賊は這い蹲るがお似合いだ。いや、手負いの獣に容赦などせぬが」
フィオナの巻布に織り込められたアウルもまた絆故の加速と威力を持つ。王が臣下や騎士の想い束ね、力とするように。力を重ねた拳撃として、脇腹へと突き刺さる一撃目。
「そもそも、逃がす気とてない。ここで狩られろ。鷹狩りというには、貴様は醜いがな」
そして二撃目にと襟を掴み、腰払いを。肉体面で虚弱なフェッチーノが対応することが出来る筈もなく、無様に転倒する。
「……き、貴様ら……!?」
マウントポジョンを取られかけ、即座に翼をはためかせてフィオナの真下から抜け出すフェッチーノだが、地に落ちた天使へ淳紅が魔を物理へと変じた魔歌の共鳴の追撃を繰り出す。
歌は振動。ならば衝撃ともなろう。立ち上がろうとした所へと、更に押さえつけるような一撃に、潰されるような声を漏らすフェッチーノ。
息も絶え絶えに起き上がり、逃げよう膝を付くが、その眼前に立ち塞がるのはキイ。
剣盾を構え、まるで仲間を庇い、そして人を守る楯の如く立ち塞がる。決して逃さない。そして、誰も傷つけさせない。
「魔の真髄を持ってしても、この盾は砕けない」
そんな意思を込めて、剣盾を構える姿。
――勝てない
いいや、万が一、戦い続ければこの八人を全滅まではもっていけるだろう。
フェッチーノは衰弱しているとはいえ、その程度の力を持つ天使だ。切り札とてまだ何枚かある。が、その後、撃退士が街中にいるのに逃げ切れる筈がない。生きて、この秋田を脱する為に。
「……逃げる…俺……が!?」
咳き込むように吐き出した声。けれど、もはや選択の余地はないと赤坂の放った冥魔の弾丸が腕に突き刺さって知らせる。
「……おのれ、おのれ、おのれ……!!」
ゲート展開に続いて二度までも。狙いは外され、敗北は確実に。
今とて逃亡の為、風圧による檻を展開し、付近にいたものを束縛して低空飛行で逃げようとする。
だが、それも既に知られた手札。銃に、弓に、持ち帰られた武器で即座に追撃を受けて身を削られるフェッチーノ。更に、追撃として黒光が奔る。
「それが急所ですね……仲間の言ったこと、僕達で成し遂げましょう!」
もはやボロボロだった右翼へと、鈴代の放つ封砲が、薙ぎ払われた槍の穂先より飛翔刃として走り抜ける。
「……ぐ、ぐ……っ……!」
深く、深く、それこそ半ばまで断たれた翼。加え、追撃に追ってきた場合の為の、逃亡しながら設置した印も諸共に破壊されている。
もはや片方の翼しか飛行能力は残していまい。傷は癒えるだろう。だが、ここまで深手であれば、それは容易ではなく。
これから先、すぐに起こるだろう戦いで功績を残せる可能性も薄い。
この時点で。そして、更に走り抜ける影。低空とはいえ飛翔しているフェッチーノに追いついた。
「ナ? ちょっと俺の事忘れていタだろう?」
気づけば、最初に仕留めたと意識を完全に切っていた狗月がフェッチーノに併走している。
倒したと思った相手のことは忘れている。意識の何処かで撃退士など格下と見ているのがこのフェッチーノ。
その執念、闘争心、誇りに矜持。想いの熱量をどうしても甘く見積もるのだ。
平たく言えば――
「あれだ、小物の自信過剰ってヤツ? ……舐めンじゃナいよ!」
故に紫焔が燃え上がり、鬼神の強力を宿して振り上げられた脚が、星墜の如くフェッチーノの右の翼へと振り下ろされる。
響いたのは断末魔。砕け散り、二度と戻らぬ醜い翼の命。
翼を奪うと誓ったのはオブリオだが、その片方を確かにここに果たして。
もはや原型も留めない翼を、それでも酷使し、魔術で支え、逃げ飛ぶフェッチーノ。移動力を跳ね上げる魔術も併用したのだろうか。一気にその姿が遠のいていく。
「まずは、片方……」
自分の手で切り裂けなかったことに、悔しさを感じて。
けれど、オブリオ自身でやっていれば、憎悪と闘争に歯止めが掛かっていたか、僅かな惧れを抱く。
仲間の絆にて、勝った一面があるからこそ。
「…………それでも」
まずは決着を。
それは近い。決して、遠くはない。
もはや空も自在に飛べぬ天使は、次に何を成すのか。
何が、出来るのか。