「巡回員であることを示す身分証です」
撃退士たちに、顔写真入りのカードが手渡される。
「園内の地図も用意したので、必要なら使ってください。イベントの開催時刻、場所などは、ホワイトボードに書いてあります。質問はありますか?」
説明を終えた運営委員が、撃退士たちを見回す。
「開園まで、場内を見て回ってもいいですの?」
手を挙げ、運営委員に質問したのは、ミリオール=アステローザ(
jb2746)。
「俺も、自分の目で園内を見ておきたいと思う」
続いて、礼野 智美(
ja3600)が、すっと立ち上がる。
「構いませんよ。開園の十分前には、ここにいてくださいね」
腕時計を見た運営委員が許可を出す。
「では、行ってきますワ」
部屋を飛び出していったミリオールとは対照的に、智美は、静かに部屋を出て行く。
「展示エリアと、聞かれそうな場所のチェックをしておきましょうか」
「そう……ですね。催し物がある場所、は、聞かれること……が多いと思います。しっかり、案内……できるようにしておきましょう」
地図とホワイトボードを交互に見ながら、鈴木千早(
ja0203)と苑邑花月(
ja0830)は、作業を進める。
「午前と午後、一回ずつですね」
「リクはヒーローショーに興味があるの?」
開催時刻を確認している城前 陸(
jb8739)に、声をかける夢屋 一二三(
jb7847)。
「興味があるというか、決して見逃さないようにチェックしてるわけではないですよ。聞かれたときに困らないようです」
どぎまぎしている陸の様子から、楽しみにしていることは丸わかりだ。
「ショーが行われるということは、ステージがあるのね」
「使っていない時間は、一般に開放されるそうですよ」
ステージの存在を気にかける一二三に、陸がそう教える。
「そろそろ、開園時間です。皆さん、今日はよろしくお願いします」
運営委員が、祭の始まりを告げた。
「晴れて良かったですね」
「ええ……。とても、きれいな青空、です。千早さん、は……、制服なのです、ね」
制服姿の千早の横を歩く花月は、白いワンピース姿で、首元に淡い花柄のストールを巻いている。
「おかしい、ですか……?」
「そんなことないですよ。花月さんに良く似合っています」
「嬉しい……です」
ワンピースのすそが、春風に揺れた。
「アリッサムは、花月さんに似合いますね」
「千早さん、には……、凛とした花が似合いそうです……」
「あの花時計……の文字盤、少しずつ、花を入れ替えて、いるので、一年中……、花が咲いているそうです」
「そうなんですか。手間がかかっているんですね」
展示エリアを巡る千早と花月の周りには、色とりどりの春の花が咲き誇っている。
「屋内の展示会場には、どう行けばいいのかしら?」
花時計を眺めている千早と花月に、年配の女性が二人、声をかけてきた。
「その場所でしたら、俺たちも行くつもりなので、ご案内しますよ」
「助かるわ。地図を見ながら来たんだけど、迷っちゃって」
「デートの邪魔しちゃって、ごめんなさいね」
「デート……なんて、そんな」
「ち、違いますよ」
デートという単語に花月と千早は、ほぼ同時に反応を示した。
「会場は、ここですよ」
「道案内してくれてありがとう。本当に助かったわ」
「お邪魔しちゃってごめんなさいね。しっかりやりなさいよ」
年配の女性は千早の背をたたくと、会場内へと姿を消した。
「お手伝い、しましょうか……?」
展示会場の入り口で、スロープをうまく上がれず困っている車椅子の男性に気づき、花月は声をかける。
「助かるよ。重くないかい?」
「大丈夫……です、よ」
車椅子を押し、スロープを上がった花月は、展示会場内へ。
「ここで大丈夫。ありがとう、お嬢さん」
「お役にたてて……、よかったです」
かけられた感謝の言葉に、花月は柔らかな笑みを浮かべた。
「これより、花で描いた絵の架け替え作業を開始します。別の絵に変わる瞬間をご覧になりたい方は、屋外の会場にお越しください」
展示されているフラワーアレンジメントや生け花を鑑賞するため、千早と花月が歩を進めようとしたとき、園内放送が流れた。
「ここには、またあとで来ましょうか」
「絵の……架け替え作業、見てみたい、です」
「ですね」
屋外の会場を目指し、千早と花月は、足早にその場をあとにした。
「これより絵の架け替え作業を開始します」
その声を合図に十数人のスタッフが、花の鉢植えを次々に並べ替えていく。
「別の……絵に」
十分ほどで、花にとまる蝶の絵が、空にかかる虹の絵に姿を変えた。
一度、崩れた絵が徐々に新しい絵になる様を見ていた花月は、無意識に隣の千早の手を握り締める。
前触れなく、花月に手を握られた千早は驚きの表情を見せたが、花月の横顔を見て不意に湧き上がった、花月さんの笑顔を守りたい、という強い思いを込めて、その手を握り返した。
「あ、あの、花月ったら、千早さん、のお手を……、す、すみません」
絵の架け替え作業が終わり、千早の手を握り締めていることに気づき、慌てる花月。
「その、お、お嫌でなければ……、もう少しだけ、このまま……」
「はい。もう少しこのままで……」
紅色のストックの花のように頬を染めた千早と花月の手は、しばらくの間、つながれたままだった。
「ちゃんとゴミ箱に捨てて欲しいですね」
ヒーローショーの会場を目指しながら、ゴミ拾いをしている陸の頭には、ネットで購入したヒーローのお面が燦然と存在感を示している。
「お父さん、お母さん、早く。一番前で見るんだから」
よそ見をしながら駆けてきた男の子が、陸の前で、こてんと転ぶ。
自力で立ち上がった男の子だが、擦りむいた腕を見て、目に涙がにじませる。
「ちゃんと手当てしてもらった方がいいですよね。案内します」
男の子と両親を救護所へ連れて行くため、陸は進行方向を変えた。
「そんなことしてたら、一番前の席とられちゃう」
楽しみにしているヒーローショーのため、泣かずに痛みをこらえている男の子は、その場を動こうとしない。
「お姉ちゃんに任せて。いたいの、いたいの、とんでいけー」
男の子の気持ちがよくわかる陸は、こっそり手助けしようと決め、擦り傷に手をかざす。
声に気を取られている男の子は気づかないが、陸の手はアウルの光を帯びていた。
「すっげー。お姉ちゃん、魔法が使えるの?」
「みんなには内緒ね」
「うん。ありがとう。お姉ちゃん」
擦り傷の癒えた腕を大きく振る男の子に、陸も手を振り返す。
「私のバッグ、返して!」
突如、人ごみから聞こえた女性の声。
通りの脇で、スタッフと共に男と女の痴話げんかを聞いていた智美が、声の方へと視線を向けると、女物のバッグを脇に抱え、走ってくる男が。
瞬時に、猛烈なダッシュで詰め寄り、智美は男の腕を取る。
すると、走っていた方向の逆に腕を引かれた男は、大きく体勢を崩す。
その瞬間を狙い澄まし、男の足を払う智美。
「少し、汚れてしまったな」
地面に転がっている男を警備員に任せ、バッグを拾い上げた智美は、持ち主の女性に手渡した。
「ちょっといいかな?」
引ったくりを見事に撃退した智美に、男が声をかけてきた。
「代役ですか?」
呼び出された陸が、驚きの声を上げる。
「午前の部に間に合わない二人の役をどうするか、悩んでいるときに、引ったくりを華麗に撃退した彼女に出くわしてね。あとひとり、代役が必要だから、君を呼んでもらったんだよ」
「そういうわけだ。城前さん、手を貸して欲しい」
「私は大歓迎、あの、全然構いませんけど、どんな役なんですか?」
「それは……」
ショーに欠かせない二役が、代役を務める智美と陸に告げられた。
「戦闘員ども、さっさと子供を連れて来い」
真っ黒な鎧に身を包んだ智美が、組まれたセットの上に立ち、命令を下す。
「みんな、こっちよ」
お姉さん役の衣装に着替えた陸は、会場から選ばれた子供達を指定の場所へと誘導している。
「逃げられると思ってるのか」
智美がマントを翻すと、増援の戦闘員が現れ、陸たちを取り囲む。
「誰か、誰か助けて」
戦闘員に腕をつかまれた陸が声を上げたとき。
「そこまでだ。俺たちが来たからには、子供たちに手出しはさせない」
赤、青、黄、黒、ピンクのスーツを着たヒーローが会場の外周に登場し、それぞれの方向から、ステージへと駆け寄る。
陸の腕をつかむ戦闘員を投げ飛ばしたレッドが一言。
「みんなの応援が俺たちが力になる。勝てるように、応援してくれ」
その言葉に頷いた陸は、アクションの邪魔にならない位置へ、子供たち連れて移動する。
「こしゃくな。私が直々に相手をしてやろう」
足場から飛び上がった智美は、宙返りを決め、とび蹴りの要領でステージへと降り立つ。
数回、拳と蹴りの応酬を繰り返した智美は、レッドのサイドキックをくらった振りを装い、大きく後方に飛び、その場にひざをついた。
「生意気なこやつらに、悪の鉄槌を」
片手を挙げ、怪人を呼び出した智美は、ステージから姿を消す。
「みんなで、レッドたちを応援しましょう。怪人に負けないで。頑張って」
智美が去ったあとも、ステージに残った陸は、怪人の勢いに押されるヒーローたちに、子供たちと一緒に声援を送り続けた。
「君たちのおかげで、ショーは大盛況だったよ。ありがとう」
「握手してもらえて大満足、あ、その、よかったですね」
「役に立てたなら、何よりだ」
着替えた陸と智美は、責任者に見送られ、巡回業務へと戻っていった。
「ワふー、お祭りですワ!」
綿あめにかぶりつきながら、ミリオールは混み合った通りを進む。
「次は焼きそば、いえ、たこ焼きも捨てがたいですワ」
食べ物の屋台を物色しているミリオールの目に、困り顔のおばあさんが映る。
「どうかしたんですの?」
「トイレの場所がわからなくて、困っているの。お嬢ちゃんも迷子?」
「わ、わたしは迷子じゃないのですワ!」
「あらあら、ごめんなさいね」
「ここから一番近いトイレは、こっちですワ」
端から見ると、孫娘がおばあちゃんの手を引いて歩いているように見え、目にした通行人の顔がほころぶ。
「お嬢ちゃんのおかげで、おばあちゃん、助かっちゃった。ありがとう」
トイレに入っていくおばあさんを見送ったミリオールは、新たなおいしさとの出会いを求め、屋台めぐりを再開した。
「なにかありましたの?」
「男が二人、殴り合いを始めそうな勢いで、口げんかしてるんだよ」
巡回に戻ったミリオールだったが、騒ぎに気づき、近くの人にたずねた。
「これは私の出番ですワ」
すたすたとミリオールは、口げんかしている二人へと近づく。
「おじさんたち、楽しいお祭りですのに、喧嘩なんてやめるんですの」
「ガキが大人の喧嘩に口をはさむんじゃねえ」
「私は巡回員ですワ。揉め事を見過ごすわけにはいきませんの」
「うるせえ」
いらついている男が、ミリオールを突き飛ばしにかかる。
「少しは冷静になりましたの?」
小さな手のひらで、平然と男の拳を受け止めるミリオール。
「す、すまん。こんな小さな子に暴力を振るうなんて」
「それはいいですから、迷惑をかけた皆さんに謝ってくださいですの」
「お騒がせして、申し訳ない」
現実離れした光景に、理性を取り戻した男たちが謝ると、見守っていた人たちは苦笑を浮かべ、歩き始めた。
「さてと、次はお花の種でも見てみようかな。おじさん、このアスターってどんな花なんですの?」
種を売っている露店を見つけたミリオールは、興味を持った花について、無邪気にたずねた。
「お母さん、お母さん、どこ」
か細い声を耳にした一二三の側を、べそをかいた男の子が、とぼとぼ歩いている。
「どうかしたの……?」
「お母さんが、見つからないの」
声をかけた一二三を見上げる男の子の目から、涙が一筋、零れ落ちる。
「一緒に探してあげる。だから泣かないで……」
頷いた男の子は、涙をぬぐう。
「お人形さんが出てくる時計のところで、待っててね、って、お母さんに言われたんだけど」
「動いちゃったのね?」
「うん。そしたら、場所がわからなくなっちゃって」
「時計のところまで行ってみましょうか」
公園入り口の仕掛け時計だと気づいた一二三は、男の子と手をつなぎ、歩みだす。
「お母さんに怒られるかな?」
真っ青になって自分を探している母親の姿を見て、男の子は一二三の手をぎゅっと握る。
「この花、スミレの花言葉は小さな幸せ。あなたに幸福のあらんことを……」
「くれるの?」
「ええ。さあ、お母様のところへ」
「お姉ちゃん、ありがとう」
渡されたスミレのミニ鉢を手に、男の子は母親の元へ全速力で走っていった。
「何かあったの?」
イベント会場に流れる悪い雰囲気を感じ取った一二三は、近くにいたスタッフに問う。
「あの男たちが、ステージに立つ人に野次を飛ばすんですよ。そのせいで誰も上がらなくなっちゃって」
スタッフの視線の先、二人の男がカップ酒をあおっている。
「私も参加していいのかしら?」
「きっと、ひどい野次を飛ばされますよ」
「構わないわ」
赤ら顔の酔っ払いをちらりと見やり、一二三はステージへと立つ。
「おやおや、今度はずいぶんとかわいらしいお嬢ちゃんだな。流行曲でも、さえずるのかな?」
「ピィピィ、小鳥のようにさえずるんじゃねえの」
げらげらと笑う酔っ払いたち。
マイクを辞した一二三が、歌をつむぐ。
会場中に朗々と響き渡る、艶のある柔らかい歌声。
原語のまま歌われるオペラアリア、その歌詞の意味はわからずとも、観客達は圧倒されている。
歌い終えた一二三が一礼しても、会場は静寂に包まれたまま。
ステージを下り、酔っ払いに歩み寄った一二三は、こう言い放つ。
「楽しい雰囲気に水をさすなんて、無粋だと思いませんか?」
いまだに、歌声に圧倒されたままの二人にまともな返答などできるはずもなく、ぽかんと口を開けている。
そのとき、一人から拍手が起こり、徐々に会場中に広がっていく。
拍手に応えた一二三が、その場を離れるまで、拍手が鳴り止むことはなかった。
「皆さんのおかげで、何事もなく祭を終えることができた。本当にありがとう」
運営委員長から、ねぎらいの言葉が贈られる。
「祭の来園者に、夏に咲く花の種まきをお願いしていたんだが、君たちも、どうかな?」
花の種が、撃退士たちに手渡された。
撃退士たちの手でまかれた、ひまわりの種。
太陽のような花が夏空に咲くのは、もう少し先のこと。