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まさに大人のパラダイス――
静謐な森の奥に佇む悠久の西洋館。
月が湖面に浮かび上がり、今宵の宴を盛り上げている。
豪奢なシャンデリアにワイン色の絨毯。貿易商が収集した貴重な船来品がパーティに訪れた各方面の紳士と淑女を驚かせていた。
不意にそこへ訪れたのはタキシードを纏ったRehni Nam(
ja5283)こと、レフ夫。
スラリとした物腰とまるで女性のような端正な顔。
「なんだ、あの若い素敵な紳士は誰だ!?」
……みんな彼女をイケメンの男だと誤解しているようだった。
彼女――いや、彼の中性的な容姿が客達の間で話題になる。なぜか、登場した途端からヴァイオリンを手にしており、おもむろに弾き始めた。
流れるような旋律に客達も優雅に踊り始める。
今宵のダンスパーティの幕開けだった。
「なんだ、あの絶世のマドモワゼルは!?」
今度はさらに大きな声が轟いた。
二階の階段からゆっくりと降りてきたのは真里谷 沙羅(
jc1995)。
シンプルなドレスに髪はアップスタイルだが、そのあまりに美しい美貌は参加者の度肝抜かれていた。さっそく若い紳士たちが彼女元へと殺到していく。
「私と踊っていただけませんか?」
沙羅は練習ならよいと柔らかい笑顔で返す。
その笑顔にやられてますます沙羅の人気が上昇し始めた。
料理も各テーブル席に運ばれてきた。給仕を務めていたのは、御剣 正宗(
jc1380)とユーラン・ソエ(
jb5567)である。二人ともなぜか距離が近かった。
「こういう盛り付けとかどう……?」
「いいと思うよ……」
正宗の質問に熱い眼差しで応えるソエ。
なぜか密着してイチャイチャなムードを醸し出している……。
――もうすでに周りが見えていないようだった。
「お嬢さん、それは貴女がおつくりになったのですか?」
髭を生やした年配の紳士が料理を並べていた木嶋香里(
jb7748)に声をかけた。
今宵のテーブルに乗せられた料理は全て彼女指揮して作ったものである。
飾り串で刺したローストビーフ・エビの生春巻き・トルティーヤ・キッシュ・カナッペなどが皿に盛りつけられていた。どれも新鮮な高級食材で作られている。
食事と共に数種類のノンアルコールカクテルが提供されている。
割烹を得意とする香里のお手製の自慢料理である。
「お口に合えばいいのですが」
香里は謙遜したが、その年配の紳士が口に入れてすぐに「デリシャス! すばらしい出来栄えだ」とほめちぎった。
瞬く間に香里の料理の評判が参加者の間に広がって行く。
「パーティーでも壁の花になりません。ダンス未経験でも簡単にできるレッスンもあり」
張り紙をしてチラシを配っていたのはミハイル・エッカート(
jb0544)。もちろん、今日はトレードマークのサングラスはしていない――この公の場に野暮だからである。流石にタキシードを決めたその姿は西洋人だけあってこの場にサマになっていた。
一言でいうと、キマっていた。
若い淑女の目線がミハイルに向けられているのがわかる。
もっともそれは、彼の自意識過剰かもしれないが――。
不意に宣伝を終わってダンスの練習相手を探している時だった。後ろ姿がとてもセクスィーな女性が後ろ向きにハイヒールを直していた。
どうやら履きなれない靴に難儀しているようだ。
「お嬢さん、私でよければお手伝い致しましょうか?」
さすが、ミハイル。困った女性がいたら助けるのが紳士の務めである。
よそ行きの紳士の態度で優しく手を刺し伸ばした時だった。
振り向いたその彼女は――ごつい青じょりの髭を生やしたニキビだらけのキモい男。
……嫌な予感がした。
「あら、いいお・と・こ。ねえ、ワタクシと踊ってく・れ・る?」
「おい、ちょ、やめろお!」
ミハイルが返事をする間もなく、そのホモ男ががっちりと腕をホールドしてくる。離そうとしたがあまりの馬鹿力に離すことができない。
レフ夫のヴアィオリン曲に合わせて二人はワルツを踊りだす。
さすがに騒ぐわけにもいかず、紳士のミハイルはしぶしぶ従った。
はやくおわってくれ……。
内心では、冷や汗を掻きながら必死に耐え続けたのだった……。
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パーティもすでに興が乗り始めてきた。レフ夫はようやく一通りのジャズ、クラシック、ブルースのレパートリーを弾き終わって若いピアニストとステージを交代した。
その瞬間に観衆から拍手が巻き起こる。
「そこのレディ、一曲ご一緒願えませんか?
壁の花にしておくなんて勿体無い」
中世的な魅力を備えた彼の元へ若い淑女が殺到してきた。
どうやら……こちらから攻める必要は全くなさそうだった。
男だと勘違いしたレフ夫の元へ次々に列が出来て順番にレフ夫は踊ることになった。その様子は大佐が必死になってビデオを撮っていた。
あまりにも重労働だったので終わった後、大佐はへとへとになっていたが……。
「君の好きな物を教えてくれ?」
「はい……貴方です……」
顔を赤らめる淑女とイケメンのレフ夫。
このようなやり取りがパーティが終わるまで続いた。
まったく会話になっていなかった……。
一方で、給仕を終えた香里はダンスに参加する為に着替えてきた。
衣装は素材から高級感の溢れる翡翠色の際どいビスチェラインがセクシードレス。腰回りのチュールが印象的なタイトミニドレスだ。
シースルーの生地に多くのラメをちりばめた透け感の強いストールを巻いている。
あまりに刺激的でかつ大胆な衣装。
「こういった催物もたまには楽しんでみましょうか♪」
妖艶な笑みを浮かべて早速プロポーズ競争に参戦する。瞬く間に彼女の前にも若い紳士たちが殺到してきた。もはやすでに人気ナンバーワンである。
先ほどとのイメージギャップが凄過ぎた。
おまけに持ち前の女将を務める和風サロンで磨いたおもてなしの交流術と学生時代に磨いたダンス技術で相手を虜にする。
まるで華を感じさせる踊り。
明るい笑みと会話で紳士のハートをギッチリと掴み取っていた。中にはどさくさに紛れてお触りしてこようとした不届き者もいたが、ハイヒールで相手の靴を思いっ切り踏んだ。
「ぎゃあああああああ」
さすがは腕のいい撃退士でもあった……。
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イチャイチャラブラブ、イチャイチャラブラブ……。
先ほどからまるでくっつくようにして正宗とソエが密着していた。テーブル席で隣になって、なぜかソエの上に正宗が乗って料理を食べていた。
「ママ、あの人達何してるの?」
「みちゃいけません!!」
幼い子供がママに腕を引かれて去って行った。
まさにそれ以外――何と表現してよいか分からない程のイチャ付きぶりである。
「ほら、あ〜ん」
「おいしいよ、ソエ」
「うちとどっちがおいしい?」
「決まってるよ、君に」
「いやん」
……もう、帰っていいですか?
あまりのイチャ付きぶりに他の参加者から苦情が来て、とうとう二人はテラスへと追い出されてしまったのである……。
だが、そこは幻想的な夜景。
瞬く夜空に浮かんだ星と月が湖面に浮かんでいた。
もう邪魔する者は誰もいない。
まさに二人だけの世界。
「……この日の為に練習してきた……」
正宗はソエの手を取ってテラスで踊り始めた。
中から微かに流れてくる音楽に身を乗せて優しいワルツを踊る。ステップを踏みながら彼女の足を踏まないように気を付けて優しくリードした。
今宵の誰もが祝福していた。
月や星や動物達が皆。
もう誰も触れない。入れない二人だけの国――。
まるでおとぎ話の世界のように。
「ソエ……」
不意に二人が見つめ合う。
濡れた瞳に気が付いてそっと正宗は唇を近付けた。
永遠にも近い――キッス。
「愛してるよ、ソエ」
「ありがとう……うれしい」
熱い抱擁の中で二人はしばらく抱き合っていた。しばらくして、「ちょっと休もう……?」と正宗が問いかける。もうそれ以上は言わなくてもわかった。
永遠の夜は幕を開けたばかりだった。
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――以上、起きたことの大体がミハイルにも起きたことである。
もっとも、最後のキスだけは別だったが。
ミハイルはその男から何度も離れようとしたが無理だった。結局、パーティの最後の曲までずっとそいつと踊り続けるハメになったのである。
その男は刑事らしい。おとり捜査で女装しているというが、本当かはわからない。
ぜったいにこいつの趣味だ……。ミハイルはすでに失神寸前だった。
すでに相手の男は「ホ」の字だった……。
このままではヤバい……貞操の危機だった。
踊っている途中で何故か腰に固いモノが当ってきた。
ゴツゴツした固いモノがしきりに。
「おい、やめろ、ブツがあたってるぞ!!」
「あら、いやだ、ワタシのマグナムが」
顔を赤らめてなぜか離れるどころかさらに密着しようとしてきて、ミハイルは不意に彼を突き飛ばした。さすがに我慢の限界だった。
「ミハイルさん、はやくこっちへ!」
不意に見上げると、そこにいたのは沙羅である。
文字通り救世主だった。
まるで聖母マリアのような美女が其処に立っていた。
ミハイルは寸前の所で沙羅に助けられた。
「ミハイルさん探しました。
せっかく踊る約束してましたのに。最後の一曲になってしまいました」
「ありがとう、そしてすまん。俺としたことが紳士失格だ」
そう、すでに最後の一曲になっていた。
せっかく沙羅と踊る約束をしていたのにこんなことになるなんて。
それでも沙羅が最後に助けて貰えて嬉しかった。
「ふふ……ミハイルさんはいつも以上に格好良いですね」
そっと胸元に白の薔薇を挿す。
その感謝の気持ちを込めて精一杯情熱のタンゴを踊る。少し早めにステップを踏んでみたが、それでも沙羅は付いてきた。おっ、やるな――と思ってさらに、早めるとそれでも彼女は付いてきて、不意に切り返しを入れてきた。
不意を突かれて転びそうになったが、寸前の所で付いて行った。
あぶなかった――それにしても沙羅はやるな。
卓越した技術と身のこなし、こんなにダンスが上手い女性はそうはいない。
「ブラボー」
しまいには観客たちも拍手を送り始めた。
ミハイルは楽しかった。ここまで熱いタンゴを踊った女性は初めてだった。
不意に見上げる沙羅と目があってしまう。憂いを帯びた瞳があまりにも眩しかった。今まで気が付かなかったが沙羅は、サイドアップで緩く纏め花で飾り後れ毛を、ドレスは白からグラデーションで真紅、金糸の花で模様が入りスリットが入ったもので動きやすく少しセクシーに決めていた。その女性と今こうして体を密着させている……。
「あの、ミハイルさん、さっきから――様子が」
「おおおおおおお 、いけない、いけないいけない!!」
ミハイルは激しく動揺した。
「あまりに美人過ぎるからつい見惚れて――」
とっさに沙羅から体を離す。
何が起きたのか一瞬わからずにきょとんする沙羅。
必死に言い訳をするミハイル。何とかごまかして紳士に徹する。
それ以上はミハイルの顔が怖くて、聞けなかった……。
不意にその時、音楽が終わる。
観客の間から拍手が巻き起こった。
終わりは無情にも訪れた。もっと踊っていたかった。
短い一曲が終わってしまったのである。
今宵も大変なことがあったが、それでも――。
沙羅は笑顔でミハイルに声を掛けた。
「ありがとうございます、ミハイルさん。もっと踊りたかったです」
聖女の一言にミハイルは救われた気がした。