●
これは果たして運命の出会いなのだろうか?
舞い落ちる赤い紅葉
御神木の後ろから突然、現れた少女
前にも似たような光景
遠い以前の記憶
笑顔と共に差し出された紅葉の葉
俺は分からなくなっていた
ひとつだけわかることは
寂しいという感覚
――そう、俺は一人だった。
「俊一くん、荷物運んじゃうから手伝って」
沙織さんが車の向こうから呼んだ。俺はすぐに振り返って返事をする。
頼んでおいた引越業者のトラックが到着していた。
実家から送ってきた大量の荷物が下ろされている最中だった。
不意に木枯らしが吹いた。
厳しい冷たい風に俺は一瞬、顔を反らした。
御神木の樹の枝が一斉に揺れ出して紅葉を大量に散らした。
俺は、はっとその時気がついた。
後ろを振り返ると、そこには誰も居なかった。
急いで御神木の裏に向かったが、何もそこにはなかった。
そんな馬鹿な――だってあの娘は――。
紅葉を差し出したあの笑顔の少女は何処かへ消えていなくなっていた。
ジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリ
「うぉあああああわああああああわあああああああああ」
俺はその瞬間、絶叫した。
目を覚ました時、俺は全てを理解した。
まさか――そんなことがあるはずがない。
「全部、夢だったあああああああああああああああああああ」
まさかの夢オチ。
いや、ちょっと待て、落ちつけ俺。
周りを見渡すとそこには見慣れない天井が広がっていた。
昨日まで過ごした実家の部屋とは明らかに違う様相。
俺は、ほっと安堵のため息を漏らす。
よっかた、夢じゃなかった。
全部ウソでした――って冒頭から夢オチなんてシャレにもならない。
どうやら昨日は荷物の整理に疲れてそのまま眠ってしまったようだった。部屋の中には大量の空きの段ボール箱が重ねて置いてあった。
ハンガーは今日から通う学校の学生服が掛けてある。
はっ、学校?
俺はその時、重大な事実に気がついた。
ベッドの脇の時計を、おそるおそる確かめる。
「八時三十分……」
頭からさーっと血が引いてくのが分かった。
やべえええええええええええええええ
ダメだ、もう完全に遅刻だ。
一時間目が始まる。
転向初日から遅刻ってヤバすぎる。
ようやくそこでボケた頭がはっきりと覚醒してきた。
沙織さんは朝が弱い俺が遅刻しないように仕事に出かける前に起しに来てくれていた。その時、俺は生返事をしたのだが、そのまま二度寝をしてしまったのである。
俺はラップに包まれていたサンドイッチをほおばって家を飛びだした。走りながら学生服を着こんで行く。そのまま神社の参道を抜けて普通の道を右に曲がった時だった。
「――そういえば、学校ってどっちだ?」
肝心なことを忘れていた。
昨日、沙織さんから道順を聞くのを忘れていた。
「おい、ちょっと待てよ、何の冗談だよ、これじゃあ学校にいけねえじゃん……」
むなしく独り言を呟いたが当然誰も聞いてない。
こんな時、同じ制服を着ている奴がいれば聞けるんだが。
当然、こんな時間に登校している馬鹿は誰もいるはずがない。
俺はどうするか迷っていた。引き返して家に地図を取りに行くか――
不意に、そう思った時だった。
「なんだ、あれは?」
道の向こうに大きな箱のようなものが動いている。
のろのろと不気味に歩いているのを見て、俺は怖くなった。
いきなり朝から怪談――と背中が震え始める。
だが、不意に「きゃあ」とその箱がその場で崩れ墜ちた。
俺は何が起きたんだとすぐに駆け寄った。
「……いたたたた、あっ」
俺と目があったのは間違いなく女の子だった。
赤いマフラーに白い手袋に茶色のコートを着ている。背中に自分よりも大きな箱を背負っていたが――それ以外は普通の女の子だった。
「おい、立てるか?」
俺は取り合えず、手を差し出して彼女を立たせた。
その瞬間、手袋越しに彼女の小さな手のぬくもりを感じた。
まるであの夢で見た少女の時に見た感覚。
俺はまだこの時、わかっていなかった。
それが後になってどれ程大事な事になるのかを――。
「ありがとうございます――私、転んじゃったみたいで」
「怪我してなきゃいいんだ。それより何だ、この大きな箱みたいなやつは?」
俺は道に倒れていた箱を彼女に渡す。やけに重い。こんなものを背負っていたら絶対に転ぶに決まっている。どこにこんな体力があるんだ?
「コントラバスです。私、吹奏楽部なんです」
「えっ、ブラックバス? 水槽で飼ってるのか?」
その瞬間、また彼女はズッコけた。
「おい、大丈夫か? そう何度も転ぶなよ」
「すみません――って、あっ、遅刻して学校に行く途中だったんだ!」
彼女は慌てだした。俺もそこでようやく自分の本来の目的を思い出す。
「そういえば、この辺りに久原学園って知らないか? 俺、今日からその学校に転校してきたんだ。けど、地図を家に忘れてきて行き方がわからないんだ」
「久原学園は私の学校です。私は一年生でシノン=ルーセントハートって言います」
彼女はシノン=ルーセントハート(
jb7062)と名乗った。何でも十歳までオーストリアに住んでいてその影響で音楽を始めたのだそうだ。
まだ日本の文化に慣れていなくて勉強中だったと言う。
一緒に走りながら横を見ると確かに雰囲気が何処か普通の少女と違う。
ちょっと天然というか。他の景色とは違って見えるような。
よくわからないがそんな雰囲気を俺はシノンから感じ取っていた。
「ちょっと、近道しませんか? このままじゃ絶対に間に合いません」
シノンが近道を知っているというので彼女の意見に従った。
どうせ俺は普通の道も知らないんだ。シノンの言うとおりにするしかない。
俺とシノンは住宅街の脇にある雑木林に入った。この道を斜めに抜けて行くと――学校の裏側のグランドに出られるという。俺達は道なき道の藪を掻き分けながら――ようやく学校の裏側に辿りついたと思った時だった。
「――ここは何処だ?」
「どっかの家の庭みたいですね」
「迷ってないよね」
「かもしれませんよね」
「そうですよね――って、なんで他人口調なんだよ!」
「きゃあああ、ノゾキのヘンタイ!」
俺はその家の奥さんと目があった。
俺達は見事に迷ってしまった。あげくにノゾキ扱いだ。すぐに走った。結局、通常の二倍の時間をかけてようやく俺たちが辿りついた時には二時間目が終わっていた。
●
「おい、転校生、くれぇ顔してっと、女にモテねぇぞ」
不意に顔をあげると、そこには赤いリーゼント頭のいかつい不良がいた。まるでボディービルダーのように筋肉がついていて傷だらけである。
周りにいたクラスメイト達が陰で何やらひそひそ話をしている。
初日から不良と仲良くする転校生……。
――そりゃ噂になるに決まっている。
瞬間、目を反らしたくなった。もうこれ以上、朝から面倒事はごめんだった。
シノンとともに生活指導の先生にこってりと搾られたのである。しかし、本当のところを言うと俺は転校生だったのでそこまで怒られる言われはなかったはずだ。
誤解が解けたのは担任がやってきたからである。
おかげで初日から遅刻した転校生として学校中の笑い物になった。
そりゃしけたツラも一つはしたくなるというもんだ。
今日は休み時間くらい大人しく無難に過ごそうとしたつもりだったのに。
「すまんが――そこは俺の席だ」
いや、間違いなく俺の席なんだが――。
不良がそう言うので彼を怒らす前にその席を立とうとした時だった。
半分ズラした所に彼のケツが入ってくる。
えっ、一緒に座るのか!?
不良と同じ席で半ケツで仲良く座る転校生――
「やめろ、狭すぎる! 隣の席が空いてるだろう? そっちに座れよ」
俺は誰も座っていない隣の席を指した。
不意にその時、紅蓮が真剣な表情になって黙った。
「――その席は、ダメだ」
紅蓮はさらに尻を押しつけてきた。
「これがダチになるための仲良くなる方法じゃ」
「そうか――ってなわけねえ!」
その奇妙な光景を見てクラスメイトがますます遠ざかって行く……。
嗚呼、友達は百人計画がこいつのせいで台無しだ。
「なんだかほっとけなくてよ」
いや、できれば放っておいてほしかった。
暑苦しい顔が俺の顔に接近してくる。なぜか瞳が濡れている。
やめろ、俺にそんな趣味はない!
なれなれしくしてくる不良から隙を見て腰を上げようとした時だった。
「おめぇ見てると、昔わしが声を掛けられなかったあいつを思い出すんじゃ――」
不意に不良は寂しそうな顔を見せた。
いかつい不良が時節見せた寂しい表情になぜか俺も心が動揺した。
「まあ、そんなわけだからよろしく頼むぜ」
不良は一文字 紅蓮(
jb6616)と名乗った。
握手を迫ってくるので根負けして差しだしたがぎゅっと強く握られた。
なかなか離してくれず気付いた時には彼の汗でびっちょりになっていた……。
思わず背中に怖気が走る。なるべく彼には拘わらないようにしよう。
ボクシング部の時期エースで実家は酒屋だという。ちょうど学校と俺の住んでいる神社の中間地点にあるらしい。
不意に彼が話していた「あいつ」とは誰か気になったが時間が来てしまう。
紅蓮と会話していると休み時間の終わりのチャイムが鳴った。
●
担任の先生からいろいろ転校の手続きがあるというので、俺は放課後職員室に遅くまで残っていた。帰されたのは下校のチャイムが鳴る頃だった。
すでにこの時期だ。辺りはすっかり暗くなっている。
まったく初日からさんざんな目にあった。
朝から遅刻して先生に怒られ、あげくには変な不良のクラスメイトに絡まれる。
これが転校生に対する仕打ちだろうか。
俺はどっと疲れを背負いながら誰も生徒のいない廊下を歩いていた。
不意に壁に部活のお知らせのポスターが張られてあった。
サッカー部に野球部、そして吹奏楽部に、ボクシング部………。
「部活か……なんか面倒そうだし、やめておくか」
ただでさえ朝に弱い俺だ。朝連とか部活の体質に俺はなじめない。そうやって適当にポスターをみていると「久原学園新聞」とう文字が目に入ってきた。
へえ、新聞部か――何か情報がないかなあと目を通すと、なぜか目に飛び込んできたのは「久原七不思議――特集! 久原神社の怪」とあった。
「おい、これ……俺の住んでる神社じゃねえかよ!!」
思わず突っ込んでしまう俺。
冗談じゃねえ、勝手に人の家を怪談にするな。
これを沙織さんが見たら涙で悲しみに暮れてしまうかもしれない。
だが、そうはいっても俺は怖いのは実はあまり得意じゃない。
見なかったことにしようとその場を立ち去ろうとした時だった。
不意に肩を後ろから叩かれた。
「ぎゃああああああああああああああああああ」
俺は、誰もいないはずの廊下で絶叫した。おそるおそる後ろを振り返ると、そこにいたのは学校の制服を来たツインテールの眼鏡をかけた少女だった。
「お、脅かすなよ、心臓が止まるかと思ったじゃねえか」
しかし、彼女はそんなことも気にせず、俺の目の前に何やら紙を突きつける。それは俺がさっきまで見ていた久原新聞の記事だった。
「君、七不思議とか興味あるかい」
口元から漏れてきた声は明らかに男の声だった。
俺は、その瞬間、真っ青になった。
「お、おまえ、もしかして……」
「ううん? ああ、自己紹介がまだだった。ボクはジャック=チサメ。
浅川先輩が通う学園の高校1年生だよ」
「そうじゃなく――って、なんで女装……いや、お前、俺の名前を知ってんだよ!」
ジャック=チサメ(
jc0765)の登場に俺は激しく動揺した。
明らかに男なのに女子の制服を着用している。
初対面のはずなのになぜか俺の名前まで知っている。
――こいつは一体何者だ?
「新聞部に所属していて地元や学園の伝説とか七不思議とかを調べてるんだ。カメラと手帳を持って日々調査している。作った新聞は学園の掲示板に貼るだけじゃなくてお店に配ったりポスティングしたりしているんだ――ちなみにチョコプレッツェル派」
聞いてもいないことをつらつらと語るチサメ。
だんだん突っ込むのも疲れてきた。
お願いだから今日はもう早く帰って寝かせてくれ。
「えっなんで知っているかって?
そりゃ、転向初日からノゾキで盛大に遅刻してきて、さらにあの一文字先輩に目を付けられた浅川さんといえば、用務員のオバサンでも笑いのネタになってましたよ」
チサメの言葉に俺はますます頭が重くたくなってくる。
「言っておくが俺は何もしてないぞ。それに勝手に絡んできたのはあいつの方だ」
「まあまあ、それより――いま、久原神社に住んでるんでしょ」
チサメが小声で耳打ちをしてきた。
どうやら先ほどの呟きを聞かれたようだった。
部室から変える等中に偶然俺が呟いていたのを聞いたのだという。
どんだけ地獄耳なんだよまったく……。
「よっかたらボクと一緒に新聞部に入らない? 人数も少ないし、実質動いているのボクだけだから放課後は二人きりで過ごせるよ、ウフン」
「いや、だが断る」
「異世界に繋がる路地裏とか灯台近くの岩場で歌う謎の美女磯姫とか、誰にもバレずに覗きが出来る更衣室とか……色々あるけど、今ボクが調べてるのは久原神社の伝説の楓」
――見つけ出すと願いが1つ叶うとかありきたりだけど。
チサメは本当かどうか分かわからないが、と付け足した。
一瞬、最後のキーワードに興味が惹かれたが、どうせ嘘に決まっている。
俺は、問答無用でその場を立ち去ろうとした。
「面白そうな話きいちゃった」
不意に目の前で壁ドンをして俺の行く手を遮る男。
ぎゃあああああと、俺は驚いてその場に尻もちをついて倒れる。
「驚かせてすまない。俺はこの学園の3年生にして年は二十歳を超えている、知る人ぞ知るこの学園の名物学生さ」
金髪のなよなよした優男は名前を霧谷 温(
jb9158)と紹介した。
また変なのが出てきたと俺は頭を抱えた。
次々にヘンな奴に絡まれて、頭がおかしくなりそうだった。こんな所に転校してきたのは間違いだったかと後悔の念がよぎる。
「ああ、貴方が噂の留年しまくってる伝説の霧谷先輩ですね。一度お目にかかりたいと思っていました。なにせめったに学校に来ている所を見たことがありませんから」
「卒業しないんじゃない……この学校が、俺を離してくれないんだよ」
「……それは単に出席日数不足だ」
俺の呟きもむなしく、彼らはまったく聞いていなかった。
学校に来る日よりも来ない日の方が圧倒的に多い。
もはや今の三年生のクラスメイトでも彼を学校で見かけたのは数回程度。
本当に実在しているのか疑われる七不思議のひとつとして囁かれていた程だ。
チサメの解説に俺もどう返していいかわからない。
とりあえず、こいつは普段なにやっているんだ?
疑問が溢れ出してとまらない。
まるで絶滅危惧種の天然記念物に遭遇したようにチサメがシャッターを切った。温の方もなぜか頼みもしないのにドヤ顔ポーズや斜めに壁に手を置くポーズでキメていた。
「じゃ――そういうことで失礼します」
俺は二人が写真を撮っている間に帰ろうとした時だった。
不意に後ろから首を掴まれた。
「少年……覗きは、好きかな?」
「やめろおおおおおおおお、首が、首がしまるううううううううううう!!」
俺たちはその場に押し合うように崩れ墜ちた。激しくむせ返る。
もう体力の限界だった。もうどうにでもしてくれ……。
「ふっ、みなまで言わなくていいよ。
丸みを帯びたライン、ふくよかな胸部……おっと、ないからこその魅力も捨てがたいよね……さあ、行こうか、覗きに! 俺たち男のフロンティアに!」
●
これは現実じゃない、夢だ。
ブランコに乗って俺は一人で遊んでいた。
夕暮れ時だった。地面に大きな影が伸びていた。
公園には誰もいなかった。
すでに子供たちは家に帰っていった。
お母さんに連れられて手を振って去って行く。
また、ひとり、また、ひとり。
笑顔で去って行く。
俺はついに一人になった。
誰も迎えにこないことはわかっていた。
だって俺の母さんはもうこの世にはいないから。
わかっていた。そんなことはとっくに。
だけど、こうしていれば来てくれるのではないかと思っていた。
いつものように、何事もなかったように。
不意に目尻が熱くなっていた。
「おまたせ――待った?」
俺は、はっとして顔をあげた。
そこには名前の知らない少女が笑顔で立っていた。
「ああ、遅刻!! ――って、今日は日曜日か!?」
ベッドで飛び起きたまま俺は硬直した。
カレンダーを見ると確かに今日は、学校が休みである。
ほっと一息を吐いた。
怒涛の一週間が流れていた。
慣れない学校の生活に慣れるのに休む暇もなかった。それに変な奴らに絡まれて俺の学校生活は波乱の元に幕を開けたのである。
とくに、あの一文字――。
あれからというもの、毎日なれなれしく話しかけてきた。
御蔭で怖がった他のクラスメイトはついに誰も俺に近づこうとしない。あいつが札付きの悪であるというのは後でチサメから聞いた。
「まあ、いい。俺もずっと一人だったんだ――今更友達なんて必要ない」
俺は、久しぶりの気分転換も兼ねて外に出ることにした。不意に歩いているといつもの癖で学校に向かっていた。いけない――こっちは学校の方角だ。
まだこの町に慣れておらず、学校への行き方しかしらなかった。
俺は慌ててその場を引き返す。
この方向はあいつの店の方向だった。
せっかくの休日だ。あいつに会うのだけは避けたい。
ただでさえ、学校で毎日会っているんだ、今日は絶対に会いたくない。
「よう、浅川! なんだ、遊びに来てくれたのか!!」
バアアアンと、その瞬間、肩を盛大に叩かれた。
あまりの痛さに俺は悶絶してしまう。
「いきなり、後ろから叩く奴がいるか馬鹿野郎!」
「ずまん、すまん。なんだか嬉しくなってな。お前の方から会いにきてくれるなんて――お礼に今日は俺が出血大サービスしてやるぞ!」
「いや、俺はもう帰る所だったんだ」
「そんな照れることねえ、俺達ソウルメイトじゃねえか」
「いつ、ソウルメイトになった!?」
俺は激しく抵抗するも、紅蓮の強靭な肉体に阻まれて――ついに彼の実家の酒屋に立ち寄ることになってしまった。
店内は日曜日だと言うのにあまり客入りはなかった。それでも地元のオジサンやオバサンが楽しそうに数名世間話をしている。
「いやあ、この酒は美味しいねえ――ああ、浅川君おはよう」
「おはようございます――ってなんであんたが酒飲んでるんだよ!!」
入った瞬間、思わず、ずっこけそうになった。
そこでオジサンやオバサンと混じって飲んでいたには優男は温だった。
「知ってる? 俺は三回留年して二十歳を超えているんだ。つまり、お酒が飲めるっていうことさ。ヤッタネ!!」
ひっく、としゃっくりをしながら一升瓶を飲んでいる温。
すでに酔っているようだった。
もしかして学校に行かずに毎日、こうしているんじゃ――。
彼の留年の謎の一端が垣間見えたような気がした。
「なんだ、浅川、こいつと知り合いなのか?」
「――いや、人違いです」
紅蓮の問いに俺は無視を決め込んだ。
よりにもよってトラブルメーカーに成りそうな奴が二人も揃っている。なるべく拘わらないようにして隙を見て店からこっそり出ようと機会を伺っていた時だった。
「一仕事した後の酒は美味いのぅ」
不意に奥のカウンターで新聞を読みながら飲んでいた爺さんが呟いた。
「おお、いらっしゃい。んむ。おぬし、酒を飲むにはちィと年が足らんのぅ。
じゃが、せっかくじゃしお近づきに爺ちゃん奢っちゃるわい。紅蓮〜、マムシドリンク一本あげちゃって〜」
あまりに慣れ慣れしく話しかけてきたのはグレン・ダンドルフ(
jc1805)だった。すでに酔っぱらって何を言っているのかわからない。
すでに俺は帰りたくなってきた。
「そういえば、この前の覗きの約束、今度一緒にいこうぜ」
酔っぱらった温が後ろから手を掛けてきて俺は必死になって振り払う。こないだ学校で会った時にそういえばそんなことを言われたような記憶がある。
「そう――儂等のえりゅしおんは湯煙の向こう――ごふぅ……ッ!」
そのワードに何故かじじいが咽ながら反応した。
もしかしてこいつ、すけべジジイなのか……?
俺は頭を抱えたくなった。さらに余計な事に紅蓮が俺のことを紹介する。久原神社に居候していることを知って急に顔の色が変わった。
彼は持っていた新聞を広げて見せた。
それは間違いなく――チサメが作っている久原新聞。
記事の内容は神社の七不思議に関するものだった。実はグレンはチサメの作る新聞の熱心な愛読者であり、いつも町に張り出される新聞を貰って読んでいたのである。
「ほほぅ。神社にか。あそこには思い出がいっぱいじゃ〜。べっぴんでぼいんぼいんの未亡人……じゃなくて……ところでものは相談じゃが、浅川君。ちィと頼みがあるのじゃが」
なにやらものすごく嫌な予感がする。
「儂の孫と友達になってやってくれんかのぅ。近頃塞ぎがちでの。顔見知りとは会いたくないようじゃが、こんな田舎じゃと他人も親戚みたいな状態でのぅ」
聞けば、俺と同じクラスに所属しているという。
俺は頭を傾げた。それに該当する奴が思い浮かばない。
「ほら、お前の席の隣」
紅蓮が話しかけてきて俺はようやく合点がいった。
いつも空いている隣の席。
てっきり余りだと思っていたが――
ずっと一学期から引きこもって学校に来ていないのだという。
「それに――心の痛みを知る者でなければ、他者の痛みは分からぬ。
……おぬしなら安心じゃ」
グレンはさらに酒をぐいと飲み干してそのまま酔いつぶれてしまった。
●
「うわあ、寒い、はやく帰りたい」
俺は夜の港の先にある灯台の近くに来ていた。あまりに寒すぎる濱風が吹いてきて凍死にそうになってしまう。隙を見て帰ろうとするがチサメが鋭い目で監視している。
俺はグレンの爺にぜひ孫に会ってくれと頼まれた。
当然、即断ろうとしたが、なぜか紅蓮が引き受けてしまった。
「ぜってえ、あいつら許せねえ、このダブルグレンが!」
俺はニヤニヤ笑う奴らの顔を思い浮かべて海に向かって絶叫した。
あろうことに今日はその元凶であるダブルグレンが来ていない。
どうしても外せない用事があるとかで二人とも来なかった。代わり彼らはいつもお世話になっている新聞部のチサメを代わりに寄こしたのである。
七不思議のひとつである磯姫を取材するついでだとかいってチサメは張り切っていたのだった。どうやら件の彼は最近この辺りでロードワークしていることが多いらしい。
なにか情報を知っているのではないかとチサメは期待していた。彼は人見知りが激しく、なかなか人とは話そうとしない難しい性格のようだった。
ただでさえ拘わりたくない人種なのに、さらに人嫌いだという。
マジで勘弁してほしかった。これ以上、ヘンな奴とはかかわりたくない。
「なんでお前ら裏で繋がってるんだよ、グルなんじゃねえか?」
これはきっと何かの陰謀だ。
かよわい主人公の転校生を罠に陥れる策略だ。
今頃はきっと可愛いヒロインといちゃつきロマンスをしているはずなのに。
俺はありもしない美少女ゲームの主人公になった気分を思い描いていた。
しかし、現実は厳しかった。美少女どころか次々にヘンな男たちに絡まれる始末である。こんな展開は絶対に美少女ゲームではありえない。
俺は溜息を吐かずにはいられなかった。
「見てください、浅川先輩――あそこに謎の男がいますよ」
見ると本当に男が浜辺に立っていた。
フードを目深に被っていたのは彪姫 千代(
jb0742)である。この寒いのになぜか上半身をさらけ出して筋肉隆々の姿を覗かせていた。
「…………」
鋭い暗い眼光でこちらを睨みつけている。
いや、マジでもう帰っていいですか?
「ダメですよ、話が聞けるまで帰すつもりはありませんから」
チサメが俺の服を強引に掴んで離なさい。なぜか首筋にコンパスの針を突きつけていた。
なんでそんなもん持ってんだよ! ――って、地味にいてえし……。
俺はもうやけくそだと言わんばかりに話しかけた。
「あんたの爺さんと紅蓮からお前に会ってくれって言われてきたんだ。まあ……それはどうでもいいんだが、磯姫って知らないか? この町の七不思議らしいんだが」
「知らない。帰ってくれ」
千代は間髪いれずに即答した。
俺はそれから粘ってみたが、全く彼は相手にしてくれない。方向変えて爺さんの話から攻めてみようとしたが彼は一層態度を固くした。
「お前に何がわかる。爺さんに何言われたか知らないが帰ってくれ」
どうやら爺さんのことを嫌っているように思えた。
無理もない。あんな奴が自分の爺さんだったら俺でも発狂している。
「のうのうとノゾキなんてしてる奴に俺の気持ちなんて分かるわけないだろ! 失せろ!」
紅蓮の奴、何を吹きこんだんだ?
まさか俺がノゾキのヘンタイだって教えたんじゃないだろうな。
俺は必死になって誤解を解こうとしたが無駄だった。
「放っておいてくれ。俺に構うな」
拒絶の一点張りで何も情報を聞き出すことができそうになかった。
俺は諦めて帰ろうとした。元々やる気があったわけではない。奴らの陰謀やチサメに脅されてイヤイヤやってきただけである。これ以上、付き合う義理はない。
「チサメ、もう諦めろ。七不思議なら俺の神社の――願いが叶うなんちゃらだっけ? あそこからでいいだろう。そこなら俺がいつでも付き合ってやるから」
俺は早く帰りたいとばかりに説得しようとした。このままここにいたら風邪を引いてしまう。それだけは絶対に勘弁だった。
チサメも残念そうにしていたが俺の言葉を聞いてようやく納得したようだ。
俺はチサメが心変わりしないうちに早く帰ろうと促す。
「待て――もう帰るのか?」
不意に千代が俺たちに声を掛けてきた。
「もう帰るのか? 俺を置いて行くのか?」
不意に千代の様子が変わった。
もしかして――こいつ本当はかなりメンドクサイやつなんじゃ――
嫌な予感がした。
「願いが叶うだと、バカバカしい。だが、本当に願いが叶うのならその話、俺に教えろ。あのろくでもない爺をこの世から消し去ってやるチャンスだ。そうしたら特別にお前らと友達になってやらんでもない」
……やっぱりだった。
俺は頭を抱えたくなった。
その時、俺は彼が立ちあがった所にあった「あるもの」に気がついた。
「なあ――それってもしかして」
俺は見てはいけないモノを見てしまった。
そこにはあったのは彼のブーメラン型の海パンと水泳用のドルフィンキックの尾ひれ。
「……おまえ、いつもここで泳いでいるのか?」
「だったらどうだといんだ? 文句あるのか?」
その瞬間、チサメもようやく気がついた。
七不思議の伝説の磯姫の正体に。
冬の夜に港の灯台に現れる謎の美女の磯姫。
暗闇に紛れてそれを見た人は勘違いをしたのだろう。
誰もこんな寒い日に泳いでる奴なんて他にいるわけがない。
勘違いするのも無理はなかったが、あまりの真実に俺は流石にしばらくの間、絶句してその場を動けなかった――。