●
「隆が昨晩から家に帰ってこない。どうしよう? もし事故とかに巻き込まれていたらお母さんはどうすればいい? お願いだから早く帰って!!」
三橋清美が自宅でヒステリックになりながら喚き散らす。
昨晩から最愛の息子が家に帰ってきていなかった。最悪の事態を考えると胸が傷んで今にも探しに飛び出したかった。息子が帰ってくることを想定して待っていたがそれも我慢の限界に来ていた。夫をなくして独り身の清美にとって息子の隆は最愛の人だった。
「三橋さんのお宅ですか? 隆さんの後輩の新崎ふゆみです」
新崎 ふゆみ(
ja8965)が家の玄関で挨拶をした。
「貴方達は一体? それよりうちの隆はどこにいるの!?」
突然現れた袋井 雅人(
jb1469)と鈴代 征治(
ja1305)を見て清美は問いかけた。もしかして何かあったのではないかと清美は血相を変えて詰め寄ってくる。
「安心して下さい、清美さん。息子の隆さんは今、突然の依頼の出張に出かけているんです。あまりに急なことだったので連絡できなかったようです。今日は出張に隆さんから部屋の掃除を代わりに頼まれて僕達がやってきました」
征治は清美を落ち着かせるように丁寧な口調で答える。もちろん征治の言った内容は本当のことではなかった。現在隆は征治の家の寮に一時避難をさせていた。
詳しい隆の現在の様子は中で、と巧みに征治は家の中に上がり込むことに成功する。
家の中は意外にも綺麗に片付いていた。
整理整頓好きで掃除が好きな彼女の徹底した性格がうかがい知れる。その真面目さがエスカレートして今回の事件に繋がったのだろうと雅人は思った。
隆の部屋はベッドが起きかけになっていた。
これがあのお母さんが毎晩潜り込んで来るベッドだと思うと雅人は少し感慨に耽った。自分にも昔母親と一緒にベッドで寝ていた頃が会ったに違いない。
ふゆみは清美にどんな息子かを尋ねた。すると清美は堰を切ったように喋り出す。夫を失ってからどれだけ息子が自分にとってかけがえのないものになったか。
小さい頃から家族で楽しく過ごしてきた思い出を語り始めた。息子がいなくてずっと不安に思っていたからこそ清美は止めどなく隆への愛を告白し続ける。
「なるほど清美さんはとても素敵なお母さんじゃないですか、これは隆君が強く言えなくて困ってしまうのも仕方がありませんね」
雅人が慰めたが相変わらず清美はどこか落ち込んでいるようだった。これは早い目に本当のことを話した方がいいと雅人はふゆみに目配せする。
「実は、今日来たのは本当は隆さんに依頼されたからなんだよ」
ふゆみの突然の言葉に清美は絶句した。清美は隆が自分のせいで家を出て行ったことを知ると信じられないといった様子で顔を手で抑えた。
「隆さんの気持ちを考えて上げて下さい。それからどうですか? 清美さん自身もカルチャースクールなどへ行って気を紛らわしてみるのも。思いつめていた気持ちが少しは楽になっていい方向に向かうかもしれませんよ」
征治は清美が学生時代にお茶やお花を習っていたことを聞き出して薦めた。もしかしたらそこで同好の士が見つかるかもしれない。
それからペットを買うことも薦めてみる。清美はまだ気持ちの整理がつかないのか上の空で聞いていたがやがて征治達の話に耳を澄ますようになった。
「きっと、隆さんは……おかぁさんが哀しすぎて疲れちゃったんじゃないかな? って心配なんだよ。おとーさんと一緒だったころと、違ってしまってるから。多分、隆さんは……『その頃のおかぁさん』に戻ってほしいんだって、思ってるんだよ……」
ふゆみは自分の両親が離婚していることを打ち明けた。
親がいない苦しみは誰よりもわかっているつもりだった。だからこそ今いる母親だけには元気でいてほしいと隆の気持ちを代弁する。
「清美さん、隆さんから手紙を預かって来ました。よかったら読んで下さい」
雅人は清美に一通の手紙を渡す。清美は受け取ると一心不乱に読み始めた。そしてすぐに目の色を変えて自宅を飛び出して行った。
●
「美咲さんこんにちは、緋流美咲です。同じ『美咲』同士仲良くしてね」
緋流 美咲(
jb8394)が笑いながら春日井美咲に最初に接触した。
隆のことで少し話があると外のあまり人通りがない校舎の裏へ天羽 伊都(
jb2199)と月乃宮 恋音(
jb1221)と連れ立って赴く。
美咲は緋流達の様子に何となく気がついていた。案の定、隆から関係を修復してほしいと依頼を受けたことを聞かされると苦虫を潰したような顔をする。
やはりまだ美咲にとって許すべきことではなかった。
実の母親と息子がベッドで一緒に寝るなんてそんなことは絶対にあってはならない。
今まで親身になって世話してきた分裏切られた気分になっていた。
恋音がまず隆の現状の気持ちを伝えるがなかなか耳を貸そうとしない。
「美咲さんはなぜまだ怒っているのですか? もし本当に嫌いになってしまわれたのならそのようなことはないはず。心のなかでは仲直りをしたいと思ってらっしゃるのではないですか?」
丁寧に言葉を選びながら恋音は美咲の本心を探り出そうとした。
言い返すことができずに口唇を噛み締めている。
「美咲さんは誰よりも隆さんの事を理解してるんじゃないんですか? 彼はそういう人じゃないって事は誰よりも理解してるはずでは?」
伊都が事前に収集した情報を元に確信を持って尋ねる。
隆は強気に出ることができない性格で流されやすい。そこを母親に漬け込まれてしまっている状況だ。付き合いの長い美咲はそのくらいのことは当然分かっている。
「隆さんは心を入れ替えてしっかりしようと努力しているみたいです。そのためにはどうしても美咲さんの力が必要なんです。お願いします。隆さんと仲直りしてください」
緋流は誠心誠意を込めて美咲にお願いをした。強気で世話好きな彼女ならもしかしたら話を聞いてくれるかもしれないと想いを一生懸命に伝える。
同じ名前の緋流に何度も口説かれてようやく美咲も心を動かされた。
緋流から渡された手紙を何度も読み込む。
すでにその顔には怒りや恐れといったものは微塵もなかった。
「大丈夫だよ、彼を信じてあげて」
緋流が背中をぽんぽんと勇気づけて美咲は待ち合わせ場所へと駆けて行った。
●
「俺はもう誰も合わせる顔はない。お母さんにも美咲にもこのままでは迷惑をかけてしまう。いっそこのままどこか知らない場所へと行けたらそれが一番いいのかもしれない」
隆は征治の寮の部屋のベッドで沈鬱な表情を浮かべていた。もし説得が上手くいかなければその時はもう学校を止めて一人で遠くに行くとも考えていた。
「まあ……そんなに気を張らないで、ゆっくり連絡を待とうか」
神埼 葵(
ja8100)はまずは落ち着くように隆を促した。
寮に着いてすぐに葵は台所を借りて料理をつくる準備を始める。冷蔵庫に残っていた材料を使って軽食を手際よく拵えた。雪風 時雨(
jb1445)と男三人で休憩を取る。
「多分、この後君はお母さんとも、春日井さんとも沢山話をしなくちゃいけないと思う」
食べながら葵は隆の不満を聞いた。この後二人と話す前に少しでも気分的に楽になってもらうように葵は適宜相槌をうちながら隆の愚痴を受け止めた。
「しかし、我のようにきっちりと拒絶せんかった隆にも此度の事態の原因がある」
それまで黙っていた時雨が隆の話を突然遮って強く言った。
あまりの剣幕に隆はともかく葵までもがびっくりして振り返る。
「隆はもっと自己主張しても許される、父が死んで苦労したのは母だけではあるまい」
時雨は、母親を気遣うのはいいが、嫌なことは嫌とはっきり言えと言い放つ。
自分の家ではひっきりなしに既成事実化でメイドや清掃や炊事などがベッドの中に潜り込んでくるのは日常茶飯事だった。一々相手にして気にしていたらキリがない。
それに父が、女房と車は新しい方がいいと言ったことも伝える。その話を聞いていた隆はあまりの時雨家の壮絶さに度肝抜かれてしまう。
もしかしたら自分はなんてちっぽけなことで悩んでいたのかもしれない。時雨の家に比べたら母親一人のことなどどうってことないような気になってきた。
「すなわち、隆よ! 春日井美咲に想いを告げるのだ!」
勢いに任せて時雨は隆に怒鳴った。あまりの展開に流石に聞いていた葵もどうかと思ったが時雨はそんなことは全く気にもせずに言葉を続ける。
一六歳になれば恋もする。
それに美咲も憎からずに思っているに違いないと諭す。
「しかし、そこは女として男らしさを見せて欲しいと、そなたの告白を待ち続け……結果がガチマザコン疑惑! 最悪であるな」
マザコン呼ばわりされて隆は激しく傷ついた。絶対にそれだけを言われたくなかった隆にとってもはや屈辱だった。その恨みを晴らすためには行動しかない。
「俺はマザコンじゃない! 絶対に告白して間違っていることを証明するんだ!」
隆は決意を込めて寮を飛び出していった。
●
学校の屋上に先にまっていたのは美咲だった。
そこへ勢い良く走って現れたのは隆である。激しく息を切らせながら何とか落ち着こうと胸に手を当ててゆっくりと息を吐くことを心がける。
美咲の方は夕日に隠れて表情はよくわからない。
だが、手紙を握りしめていた。隆が事前に書いた手紙をすでに読んでいる。
それがわかって余計に隆の心臓は最大限に高鳴り始めた。
「本当にこれからは周りに流されずにしっかりとやっていけるの?」
美咲が振り向くと思った以上に真剣な表情をしていた。校舎の裏側でひそかに見張りをしている恋音や緋流や伊都も思わず固唾を飲む。
「本当だ。これからは誰にも迷惑をかけない。もちろんオカンの誘惑も断ち切る。だからこれまでのように元の関係に戻って欲しい。俺には美咲が必要なんだ!」
目をそらさずに真っ直ぐに隆は美咲の目を見て言った。
美咲が激しく動揺するかのように目を潤ませている。
「隆、私は……今まで貴方のことを」
美咲がふらふらと力をなくしたようにその場に崩れかけた。
すぐに隆がダッシュして美咲を受け止める。何かを期待するように美咲はその柔らかそうな口唇を広げて何かを言おうとしたその時だった――。
「たかしいいいいいいいいいいいい!!」
現れたのは清美だった。美咲と隆が抱き合っている所を見て勘違いした清美は履いていたハイヒールを片手に持って振り上げて襲いかかってきた。
「危ない!」
後ろから追いかけてきた時雨がヒリュウを召喚してすんでの所で食い止める。
羽交い締めにして言い聞かせてようやく清美を大人しくさせた。
清美は頭では分かっていたもののつい仲良くしている光景を見て嫉妬してしまった。
「むむー、これでムスコさんがこどもだったらホホエマシ……うん、ほほえましくなかったね」
思わずふゆみが苦笑するが、依然として状況は膠着状態だった。ようやく現場には今回関わっていた撃退士一同が追いついて勢揃いしていた。
「お母さんには悪いけど亡くなった旦那さんが唯一の恋人なんじゃないですか? 息子さんはあくまで息子さんですよ」
伊都は近づいて行って清美に声をかけた。
はっと我に帰った清美が息子たちから視線を逸らして蹲る。
「三橋君は、ちゃんとこうやって、自分の言葉で、自分の思っている事を言いましたよ」
葵も清美の手を持って立ち上がらせた。
するとそこへ時雨が決死の形相で後ろから迫ってきた。
「目を覚ませ、己が息子と同じ16歳で45歳の男に下着姿で迫られたらどうする?」
いやああああ、と清美は叫んだ。あまりの恐ろしさに腰を抜かしてしまう。
ぐったりとして清美はついに負けを認めた。
「母さんももう大丈夫だよ、俺は何とかもうしっかりやっていける」
隆は美咲と手を繋ぎながら言った。
「だから母さんも立ち直ろう。俺も美咲も応援する。だから前みたいに仲の良い普通の家族に戻ろう。それが父さんも望んでることだと思うから――」
息子の隆に優しく最後は諭されて清美はむせび泣いた。
美咲が側に行ってそんな清美の背中をぽんぽんと擦っている。
それはさっき美咲が緋流にされたのと同じように。
「正直言ってしまえば今もこうしてお母さんが側にいてくれる隆君が羨ましいですよ。これからもお母さんのことを大切にしてあげて下さいね」
雅人が羨ましそうに隆達に向かって挨拶した。隣では今回はお互いに別々の場所で頑張った恋人の恋音が嬉しそうに腕にしがみついて来る。
自分には家族のことは全く記憶にはない。
けれどいつか新しい家族ができたなら僕は幸せにしたい。
恋音の笑顔を見ながら雅人達は足取りよくその場を後にした。