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夥しい蜘蛛の糸に絡まれた人の中に正太郎の母富江の姿があった。必死に息子の無事を願ってここから逃げるように諭している。
すぐ近くにディアボロの蜘蛛がいるにも拘わらず富江は全く自分の身を省みない。
正太郎は膝まづいて項垂れていた。涙で顔がすでにぐちゃぐちゃになっている。
逃げることも助けることも出来ずにその場で茫然としている時だった。
「しっかりしなさい! 戦うのが無理なら、早く下がりなさい!!」
顔を上げるとそこにいたのは八神 翼(
jb6550)だった。ロングの黒髪に気の強そうな紫色の瞳を宿した正太郎好みの美女が立っていた。
押し合いをして混乱状態にある人達がいる方向を指さす。
「貴方も撃退士の端くれなら、避難誘導くらいはできるでしょう?」
正太郎はようやく事態に気が付いた。茫然としている間に罪なき人達がディアボロに襲われて逃げ惑っていたのである。
「久しぶりだな、正太郎。ここは俺達に任せて、お前には一般人の避難を任せる。
必要なら警察を呼べ――格好いいところ、見せてくれよ」
「その声は――ハード・ボイルドさん!?」
金髪を掻き上げてグラサンをキメているのは紛れもなくミハイル・エッカート(
jb0544)。先日、正太郎を助けてくれたスタイリッシュな恩人である。
なぜか、名前を間違って覚えていたが……。
すぐさま後ろからやってきて正太郎の肩を叩いたのは鐘田将太郎(
ja0114)である。動揺している正太郎に力づよく声をかけた。
「母親が捕らえられ茫然とするのはわかるが落ち着け。
お前にもいろいろ手伝ってもらいたい」
将太郎は同じ名前の正太郎を気にかけていた。こんな所でくたばるんじゃない。そう言い残して自分はすぐに敵を抑えるために現場に突っ込んで行く。
「正太郎殿、で、ござったか? 立ち上がる機会は『今』でござるよ」
エイネ アクライア(
jb6014)も笑顔で近寄る。母御殿は自分たちが助けるから――とすぐにエイネも敵陣の中に突っ込んで行った。迷彩服を着たルーカス・クラネルト(
jb6689)も態勢を低くして正太郎の前にやってくる。
「……これ以上後悔しないような選択をするんだな、今のお前で出来る事のな」
まだ躊躇している正太郎に喝を入れるように話す。銃をぶっ放しながら突っ込んで行くルーカスの背中を見て自分も続こうとした。
だが、足が震えて全く動けない。こんな腰ぬけの自分が果たして役に立てるか。正太郎はぶるぶる震えて膝をついたまま動けない。
『聞こえているな? 挨拶は抜くぞ、今から俺達が戦闘とお前の家族を助け始める、だが一般人の避難まで人は割けん。警察と協力して避難を手伝ってくれ、警察に流れ弾がいかないか見守るだけでも出来るはずだ、また後で何も出来なかったからと泣くのか? ……お前に今出来る事をしろ!!』
不意にその時だった。耳鳴りがしていきなりガツンと言葉が心に飛び込んできた。声の主はすでにディアボロと戦闘を始めたジョン・ドゥ(
jb9083)だ。
「鬼姫へ示した覚悟……とは、その程度でしたの?」
真っ赤な目に黒い蝶を頬に止まらせた紅 鬼姫(
ja0444)が一瞥していた。正太郎は鬼姫の顔を見た瞬間に背中に雷を撃たれた感じがした。
「師匠……、紅さん……俺は、俺は――」
「たらればで救える命も、想いも、ありませんの。今目の前にある現象、それこそが現実ですの……やる気が無いなら邪魔ですの。下がってるとよろしいですの」
鬼姫は嘆息し、それだけを言残して、すぐに舞いあがった。富江を救出するためにエイネと共に向かう。激しい敵の攻撃を物ともせずに鬼姫たちは奮闘する。
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正太郎は戦闘を始めた撃退士達を見つめていた。絶対に助けられると信じて戦っている。そして――彼のことを信じて戦っていた。
ついに正太郎は立ち上がる。混乱している人達を避難させようとすぐに群衆の中へ入って声をからして呼び掛けた。
「早く公園から出てください! 安全な場所まで走って!」
翼も敵を撹乱するために蜘蛛に闇を放つ。その隙に人々に逃げるように呼びかけた。
「蝙蝠に、援護させる訳には、いきません。ここで抑え、殲滅します」
上空を飛び交って正太郎の邪魔をしようと蝙蝠が二匹同時に飛びこんでくる。アルティミシア(
jc1611)は正太郎を庇って前に立ちはだかる。
「喧嘩は、嫌いですが、人助けの為なら、ボクは、身を呈しますよ」
歯を食いしばって敵の攻撃を耐える。ルーカスも隣で弾丸をぶっ放し続ける。
お返しに接近してきた蝙蝠の腹に銃弾を叩きこむ。
両手を広げて蝙蝠の進行を食い止め、アルティミシアも高く飛び上がって追いかける。蝙蝠が堪らずに逃げようとするがルーカスが銃の照準で狙っていた。
動き回る敵を予測して銃口を合わせる。
片翼に命中して蝙蝠は悲鳴をあげた。続け様にアルティミシアも怒涛の弾丸を放つ。もう片方の翼も失った蝙蝠は真っ逆さまに地面に墜落して果てた。
ミハイルが前線に躍り出る。巨大な火球を出現させて炸裂させた。
その瞬間に、辺りを覆っていた糸が一斉に払われる。
ミハイルは赤く輝く装飾のフラガラッハにアウルを込めながら銃を構える。
「なかなか面白い銃だな。こいつは血の色か――さあ、暴れるぜ」
新しい相棒で猛烈な射撃を開始してケルベロスを将太郎と共にけん制した。
蝙蝠やケルベロスの攻撃が減った隙を狙ってエイネが母親を救出しようと抜刀する。絡まった糸を払いながら救出の道を作って進んで行く。
だが、鋭い牙を持つ鬼蜘蛛が立ちはだかって簡単に前に進ませてくれない。鬼姫も双剣を振るうが敵も次々に糸を吐いて苦しめられる。
このままでは富江の体がもたない。
「こんなモノで私をどうにかできるとでも!?
死ね、ディアボロ! 雷帝虚空撃!!」
絶体絶命のピンチに吠えたのは翼だった。片手に呪符を持って唱えると、猛烈な大気を切り裂くような雷撃がディアボロを襲った。
鬼蜘蛛は口の中に攻撃を叩きこまれて堪らずに後退した。その隙を狙ってついにエイネが母親を取り巻く糸をすべて斬り払うことに成功する。
「母御殿、御無事で!?」
助け出された瞬間に富江は緊張の糸が切れた。ぐったりとしている。早く治療するためにすかさず鬼姫が富江を抱えて戦線離脱した。
避難を手伝っていた正太郎の元へ鬼姫たちが近寄ってくる。
「オカン、オカアアアアアアアン!!」
死んだのかと思った正太郎が泣き叫び始めた。
その瞬間、正太郎の頬がバチンと叩かれる。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
「お母様はご無事ですの。鬼姫は母親を識りませんが、大切なのでしょう?
護る力が、正太郎にはあるのでしょう?」
鬼姫は正太郎の頬を強く叩いていた。それでようやく正太郎も目が覚める。
「鬼姫は戻りますの。自分に出来る事をしますの……避難誘導くらい、正太郎にもできるはずですの」
剣の師匠でもある鬼姫はエイネとともに戦場へと戻る。
正太郎もすぐに母親を連れて、逃げ遅れた人々を避難させに向かう。
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蜘蛛を相手どっていたジョンは母親たちに攻撃がいかないように引きつけていた。すでに満身創痍の蜘蛛は糸を切られて満足に動けない。
だが、翼も蜘蛛に接近を許して腹をやられていた。先ほどから出血している。ジョンが一旦下がるように促すが、翼は引かなかった。
「これぐらいの傷、まだいけるわ」
翼の言葉にジョンが頷いた。驚異的な身体能力でもって攻撃をしかける。
敵の懐に飛び込んで一気に殴り込んだ。
顔面に渾身のストレートを叩きこんで後ろに吹き飛ばす。
翼がそこで仁王立ちになって立ちはだかった。呪符をもって上段から一気に両腕を振り下ろす。圧倒的なまでの空を切り裂く雷撃が鬼蜘蛛を倒した。
上空に残った蝙蝠が堪らずに急降下して襲ってくるが、ルーカスとアルティミシアの攻撃に蜂の巣にされてしまう。
逃げ場を失った蝙蝠が上空に再び舞いあがろうとした時だ。
黒い影の風刃のような鬼姫が鋭くすれ違いざまに双剣を振り抜いた。
一瞬にして両翼を切り裂かれた蝙蝠。
地面に落下する刹那、再び急降下した鬼姫の双剣の刃が光った。
首が音もなく血を吹いて空に跳んだ。
鬼姫は冷たい視線で無残な死体になり果てた蝙蝠を一瞥する。
「――ワンコ狩りといくかね」
ケルベロスが吠えながら火球弾を放ってくる。猛スピードで駆けながら、前にいるミハイルと将太郎に襲いかかってきた。
互いに目を合わせて不意に二手に分かれる。突っ込んできたケルベロスの牙を紙一重で交わす。一瞬でも遅れていたら鋭い牙の餌食になっていただろう。
敵の尻に向かって将太郎は大鎌を振るう。
ケルベロスは血を吐きながら公園の塀に激突した。
しかし、すぐに吠えながら起き上がる。流石に強靭な敵だった。やはり簡単には終わらせてくれない。
ミハイルと将太郎は背中を合わせていた。
上空から蝙蝠もにらみを利かせている。敵はどこから襲ってくるかわからない。
歴戦の二人はなかなかコンビが合っていた。
背中から伝わってくる熱気が頼もしい。
「そこのワンコ、頼むからこれでおとなしくしやがれ!」
再び突っ込んできたケルベロスにミハイルは弾丸を放つ。
だが、捨て身の攻撃で敵も噛みついてきた。腕を抑えられ、そのまま鋭い牙で潰されそうになったが、銃を顎で使え棒をして防ぎきる。
将太郎が背後から大鎌を叩きこむと敵は血を大量に撒き散らした。
「ミハイルさん! いまだ!」
「すまんが、今の俺では一撃でもくらえば危険でな。
――手も足も出ないままくたばってくれ!!」
ミハイルは敵の口の中で相棒をぶっ放す。その瞬間、ケルベロスの頭部が吹き飛んだ。巨大な地獄の番犬は絶叫しながらその場についに崩れ墜ちた。
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正太郎が一般人を避難し終えたときにはすでに事は終わっていた。ディアボロは撃退士達によって無残な姿に晒されていた。
怪我を負った者もいたが、すぐに手当てを受けて事が大きくならずに済んでいた。
迅速な正太郎達の避難の御蔭で一般人にも被害は出なかった。母親の富江もすぐに手当てを受けて目を覚ますことができた。
母親の無事を知った正太郎は安堵の涙を浮かべていた。
「戦闘ばかりが大事ではないですから、貴方も立派な撃退士でしたね」
涙を流す正太郎の背中をそって翼は撫でる。あまりに優しい彼女の言葉にようやく正太郎も落ち着きを取り戻し始めていた。
だが、今後どうするかはまだ決めていなかった。
母親に迷惑をかけたのは言うまでもない。
自分が撃退士として家をでなければ今回のことは起きなかったに違いない。
正太郎は悩んでいた。
撃退士をやめるのか、それとも続けるのか――。
「他人がどうこうではなく、自分が何をしたいのか、それを考えるんだな」
ルーカスは落ち込む正太郎の背中から声をかける。無愛想にみえても実はおせっかいな元軍人である。それだけを言い残してルーカスは静かに立ち去った。
まだどうするかもわからない。
それに母親にどう接すればいいのかも分からなかった。
「母親に何か話したいことがあるんだろ? 隠したってわかるぜ。顔に書いてある」
「だけど、俺――」
「何かあったかは知らんが丁度良い機会だ。腹括って思う存分話し合え」
将太郎の言葉に少し気が楽になった気がした。
「母親ってのは、息子の望む道を応援するものだ。
母親に無理して格好付けることは無い。ありのままを言うんだ」
ミハイルも正太郎に促した。ようやく心を決めた正太郎は母親がいる場所に行って今後どうするかを話し合いに行ったのである。
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「で、どうだったんだ?」
帰ってきた正太郎に堪らず将太郎が訊いた。
「――俺、撃退士続けます」
正太郎が母親と話して出した結論だった。
迷いに迷った結果だった。自分は誰かの力になりたい。
今まで自分をここまで支えてくれた全ての人の為にも――。
それを聞いて撃退士達もようやく安堵した。
「そうか、一応撃退士は続けるか。
……俺はお前がもう這い上がれたとは思っていないが、決して這い上がれないとも言わねぇ。良い意味で諦めの悪い人間は嫌いじゃないぞ」
険しい顔をしたジョンが横に立っていた。
まだ正太郎のことは認めていない。しかし、今日彼がおこなった行為に関しては、ジョンは賞賛を送っていたのである。
「……あと、少し慌て過ぎだな。男なら虚勢の一つでも張り切ってみな。
そして常に余裕であれ、だぜ」
ジョンは、最後に少しだけニッと笑って見せた。
なれないことをしたと、恥ずかしそうにジョンは頭を掻いた。
「貴方が息子の彼女?」
富江が挨拶をしにやってきた。
エイネの姿を見て勘違いした母親に正太郎が慌てて弁解する。
母親はついに全ての事情を悟った。
それを聞いた母親はショックを受けていたが、代わりに鬼姫にむかって――。
「息子のことを今後ともよろしくお願いします、鬼姫さん」
母親の富江が帰り際に鬼姫に頭を下げる。
息子のことを師匠の鬼姫に託すと、安心して笑顔を見せた。
「ボクも、普通の家族が、欲しかったなぁ」
アルティミシアが親子のやりとりを見て思わず呟いた。
満足した顔をして去っていく母親を見おくって鬼姫が口を開く。
「弱さは迷いを生みますの。ですが後悔をしても過去は変わりませんの。お母様も、理由なく反対しては納得する筈がありませんの」
師匠の言葉を聞いて正太郎は気を引き締める。
これからの日々を胸に、俺は強くなりたい――。
「母親は大事にしろよ」
ミハイルがグラサンを付けながら華麗にスタイリッシュに背を向けた。