●
ぎぃ……ぎぃ……ぎぃ……ぎぃ……
木造の廊下の板を踏みしめるたびに怪しい音が鳴り響く。埃が溜まっていて壁も薄汚れていた。黒い壁の染みが至る所に出来ていてまるで人の顔のように見える。
空気はひんやりとして冷たかった。夏だというのに異様な静謐に包まれている。
「うう、結構怖いです。でも、人に迷惑をかける、お馬鹿なディアボロには、お仕置きが、必要ですね」
びくびくしながら、アルティミシア(
jc1611)は川端 一成(
jb9703)と共に列の最後尾を歩いていた。あまりの異様な空間に何か違うものがいそうで背筋に寒気がする。
壁の染みを見つけるたびに顔をそむけながら歩いた。気のせいだろうか、先ほどから誰かに見られているような気がするが――。
「こういう所、苦手なんです。ひ、一人にしないで、下さいね」
皆が速く歩こうとするので置いて行かれないように声を上げて必死に付いて行く。
「人を襲う天魔は倒さないといけませんから……」
言葉少なげに髪を括った可愛らしい北條 茉祐子(
jb9584)も頷いた。しかし、ひとつ気がかりなことがあった。どうも依頼に参加した経緯が思い出せない。気が付いたらこの場所にいた気がする。
もしかして「だれか」に呼ばれたのだろうか……。
「学校の怪談が本当になったら、シャレにならないじゃないですか」
やれやれ、解ってないなと黒井 明斗(
jb0525)は首を振る。
「さっさと片付けましょう」と明斗は堂々と星の輝きで照らしながら先頭を歩く。事前に灯りは点くのか試してみたが、電気は通っていないようだった。
同じようにしっかりとした足取りで礼野 智美(
ja3600)とエルム(
ja6475)も辺りを警戒しながら廊下の横の教室を一つずつ確かめるように進んで行く。
旧校舎に出るディアボロを対峙しないといずれ本校舎の方に移動して被害が拡大してしまうのではないかと智美は考えていた。エルムも怪談は夏の風物詩だと思いながらも、やはり犠牲者が出ない内に対峙したいと気持ちを強く持って臨んでいた。
「うーん、なんていうか、こう……夜の学校って何だかわくわくしますよねえ」
エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)は楽しげに表情を浮かべていた。まるでどんなものが飛び出してくるか待ちきれぬ子供のような顔つきである。
やはり奇術師としての性分からだろうか。やれるものなら自分を脅かしてみせろと半ば楽しみに思いつつ、現場へと向かっていく。
「怪談とやらはよく解からんが、倒せる相手ならばどうという事はない」
先ほどから無表情で歩いていたのはローニア レグルス(
jc1480)だった。
人形が動いたとかそういうことにはまるで興味がなかった。倒す相手がたとえ誰であろうと自分の任務を遂行できればそれに問題はない。
●
廊下を真っ直ぐに奥へと進んで行くと「理科室」と擦り切れたか札を見つけた。直ぐその前には異様な闇の空間であるトイレが存在している。
「えぇと……玄関から左奥に理科室とトイレがあるみたいね。何か雰囲気ありますねぇ」
エルムが思わず呟く程、辺りは異様な気配が漂っている。
先頭の明斗は意を決して理科室の扉に手を掛けた。
ぎぃいいいと扉がゆっくりと開く。中は大量のホルマリン漬けの瓶が置かれていた。得体のしれない生物が体を裂かれた状態で安置されている。
一成が時計を確認するとすでに4時44分をちょうど差したところだった。不意に準備室の方でなにか物音がした。不意にアルティミシアがそちらを覗き込んだ時だった。
放置されていた人体模型と目が合った。
一瞬、あまりの不気味さに思わず息を飲んだ時――
いきなり人体模型が起き上がってゆっくりと首を一回転させた。
ぎゃああとアルティミシアはあまりの恐怖で叫ぶ。直ぐさま智美は剣を振りぬいて前線に飛び出すと大きく態勢を整えて構えの姿勢に入った。
人体模型は自分の頭を引っこ抜くとまるでドッジボールのように投げつけてきた。智美は剣を使って間一髪の所で突っ込んできた頭を振り払った。
だが、その瞬間に間合いを突っ込んできた人体模型に突進されて壁に激突する。猛スピードで教室内を駆けまわりながら落ちていた頭を回収する。
にやりと、人体模型は不気味に嗤う。おぞましい笑顔だった。しかし、ローニアは全く動じずに人体模型の前に躍り出る。
その時、後ろから大きなヒグマが吠えながら鋭い牙を見せた。撃退士達を挟みうちにしようと教室の両側からゆっくりと迫ってくる。エイルズは仲間に攻撃させまいと前線に躍り出てヒグマを挑発した。敵はすぐに大きな図体でタックルを試みてくる。
エイルズは華麗にヒグマの爪を交わす。
ヒグマは続いて鋭い爪で近くにいたエルムに襲いかかろうとしてきた。エルムは避けることなくガードを固めて防御する。下手に避けてしまうと理科室が荒らされる恐れがあった。すでに使用されていない場所とはいえ、下手に動き回って壊してしまうのだけは避けたかったのである。
エルムがヒグマを相手しているうちに後ろに明斗が回っていた。無数の鎖を出現させてヒグマの背中を向けて攻撃する。エイルズも敵の影を縫いとめるように攻撃した。
その瞬間にヒグマは遠吠えをあげて苦しむ。アルティミシアがその隙を狙って見えないアウルの弾丸をぶっ放す。急所を撃たれたヒグマはぐったりとした。
「秘剣、翡翠!」
敵の懐で抑え込んでいたエルムが目をカッと開く。剣を持ちかえてそのまま低い態勢から突進して敵に突っ込んだ。ヒグマは絶叫してその場に崩れ墜ちた。
「貴様も人形か。模型は模型らしく大人しくしていればよいものを、御苦労な事だ」
智美と一成協力して果敢に攻撃している最中に、ローニアは机と椅子を密かに移動させていた。次第に幅が狭くなっていってついに人体模型は足を取られる。そこを茉祐子が狙って鞭状のアウルを飛ばしてついに人体模型を絡め取った。
苦しみにもがく敵に対してローニアが真っ直ぐに突っ込んで行く。
「その体の中身もばらばらになるのだろう? ……そら、模型の本分を俺に見せてみろ」
大剣を大きく振って人体模型はバラバラになった。再合体させぬと智美とローニアが細かく切り刻んでついに人体模型は木端微塵になって動かなくなった。
●
理科室を制圧した撃退士達はすぐに廊下に飛び出してトイレに向かった。女子トイレに入ったのはアルティミシアである。中は個室が並んでいた。
中に一人で入って後悔した。あまりに不気味すぎる。何がどこに潜んでいるのか分からずパニックになりそうになったが、仲間を信じて一番奥の個室に向かった。
そこには恐ろしい和式トイレが存在していた。真ん中に大きな穴が開いた闇の空間が存在している。いったい下はどうなっているのか……。
落ちたらどうしようと不安になった。それでも個室のドアを閉めて、しゃがみこんで用を足す振りをする。その時だった。異様な気配を感じた。
「近くにばかり、目を向けていると……ほら」
ぎゃあああああああああああああ――
囮のアルティミシアは下を覗き込んだ時だった。
巨大なぬるぬるとしたカエルが下から飛びついてきたのである。敵の奇襲攻撃にびっくりしたアルティミシアは急いで個室から外へと飛び出した。その時、茉祐子が蜃気楼で潜行して天井付近にいた。カエルがアルティミシアに気を取られているうちに、アウルの鞭を放って敵を捕縛しようと試みる。
カエルが苦しんでいる所を智美が上段から斬りつけてカエルの脚を思いっきり切断した。緑色の液体を撒き散らしながら壁に激突した所を狙ってエルムが心臓を突き刺す。
近接から急所を抉られてカエルはその場に崩れ墜ちた。
一方で男子トイレに入ったのはエイルズだった。
壁の奥に小便器が薄気味悪く並んでいる。その横側には個室が並んでいた。取り合えずエイルズは小便をする振りをして一番奥の便器の前に立つ。
不意にその時だった。
バアアアアアンと大きな音がして個室の扉が吹っ飛んだ。
そこに現れたのは紫色の顔をした牙を生やした紫ババアだった。包丁を手に持っており、大きく振りかぶって睨みつけてくる。
「で、で、で、でた〜♪」とめっちゃ楽しそうに敵を仲間の下へ引っ張っていく。紫ババアは廊下で撃退士達が待っているとも知らずに意気揚々と出てきた。
飛び出してきた瞬間を狙って明斗と一成が両側から一斉に攻撃を繰り出す。不意うちを食らった紫バアアはあまりの苦しさに包丁を投げ飛ばした。しかし、やられてばかりいるわけではなく一成にむかって鋭い爪で掴みかかってきた。
カウンターを食らって一成もなかなか敵を引き離すことができずに苦しめられる。紫ババアが一成に引きつけられている隙を狙ってローニアが後ろに回った。
「この老婆はヒステリーか?」
短く呟いた後に、深い闇を出して敵を覆い隠す。突然に周りに現れた闇に覆われて紫ババアは前が見えなくなって恐怖に陥れられた。
「闇より濃い闇が出るとは思わなかったか?」
ローニアは幽隠を使用し敵の目を掻い潜りつつ攻撃を繰り出す。不意を突かれた紫ババアは大剣に切り裂かれて絶叫してついに果てた。
●
旧校舎に巣食っていた魔物は全て倒された。撃退士達が上手く立ち回ったおかげで校舎の備品などには最小限の被害で済んだ。
もっともこの校舎で学ぶものはもう誰も居ないわけであるが……。
怪我した撃退士も明斗が救急箱で治療する。素早い処置の御蔭で誰も深い傷を負うことなく大事に至らなかった。無事に終わってようやく明斗もほっと安堵する。
「ぐす……こ、怖かったです」
涙目になりながらアルティミシアが呟いた。やはり一人で囮になるのはかなり恐怖心を覚える出来事だった。しかし、彼女の勇敢な行動の御蔭でディアボロを素早く倒すことに成功したのはいうまでもないことだった。
「後良くある話だと、ベートーベンの顔が動くとか、ピアノがひとりでに鳴り響くとかあったけど…… 一応、他にいないか一通り旧校舎見回ってから帰った方が良いかな?」
智美がアルティミシアの近くで言葉を口にする。まだ、そんな敵が潜んでいるのかと思うと怖くなってしまった。それとも本物だろうか――アルティミシアの顔が青くなる。エルムがすぐに傍によって、もう大丈夫、と介抱した。するとようやく心が落ち着いた。
智美は見回りをしてくると言って一人で何処かに消えてしまった。一通り皆で後片づけをして旧校舎を後にしようとした時だった。
ローシアが何かにむかって小さく手を振っていた。
「……なにをしてるの?」
不審に思ったエイルズが何をしているのかと彼に質問した。
「……うん? 来る途中ですれ違った子供がいた。この学校の生徒だろうか。 ……ああ、窓の向こうにいるな。手を振っているから答えただけだ」
もう安心して暮らすがいいとローニアは手を振っていたのである。
それを訊いた撃退士達が静まり返った。
一気に辺りの温度が下がる。だが、茉祐子は目を瞑って祈った。
旧校舎に住まう「何か」については……、きっと学校に刻み込まれた児童のたくさんの思い出たちを守るものだと思うので……。
「……どうか、心静かにありますように」
本当に何かそこにいたのか、それを知るすべはもう何もなかった。真相は闇の中に撃退士たちは再び旧校舎に重い南京錠を掛けて出て行った。