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真っ赤な燃える太陽が沈もうとしていた。田園風景が広がる山の端の向こうに静かに消えて行こうとしている。まるでこの村の運命を見ているかのようだった。
「――今回の催しが成功すれば、計画の見直しが起これば良いのですが」
憂いを帯びる何処か思い詰めた表情で雫(
ja1894)が呟いた。オレンジ色の太陽の光が彼女の頬を赤く染めている。後ろで纏めた髪と水色の浴衣が良く似合っていた。
村がダムで沈んでしまう。それは変えられない事実だった。皆が通った学校、祭りで神輿を担いだ神社、お世話になった街の商店街……。
全てが水の底へと沈んで消えて行ってしまう。そんな最後の蛍祭りを楽しもうと大勢の地元住民や元住んでいた人達、噂を聞きつけた大勢の人がやってきていた。
「盛り上がってくれるといいけどな〜♪」
狐のお面を横に被った佐藤 としお(
ja2489)が月乃宮 恋音(
jb1221)と一緒に訪れる人にパンフレットを配っていた。恋音は笑顔で丁寧に会釈しながら一人ずつ手渡しで配る。としおは空き家を利用した泊まりのツアー客を家まで丁寧に送り届けることになった。村を流れる小川の清流沿いの堤防をともに歩きながら例の村の伝説の池の話をする。
「イベントのお手伝いをしましょう。何がいいかなぁ?
そうですねぇ〜。ポスターを作りましょうかぁ〜。クレヨンで描き描きですぅ」
会場の後ろで楽しく唄いながら絵を描いていたのは深森 木葉(
jb1711)だった。蒼紫と萌黄色を基調した蛍柄の浴衣が可愛らしくて似合っている。恋音達が配っているチラシがなくなったので、木葉が新たに蛍の絵を描きながら作っている所だ。
「久しぶりの祭り参加だわァ……さァ、どんな風に楽しみましょうかァ、きゃはァ……♪」
少女のようにめまぐるしく駆け回りながら準備を手伝うのは黒百合(
ja0422)。浅黄色の浴衣を着ていていつもより大人っぽく見える。的屋やヨーヨ、金魚すくい、綿菓子など準備が遅れている出店を中心に回って素早く行動する。彼女の華麗な身のこなしによって瞬く間にいつでも客が来れるような態勢に仕上げられていった。
次々に観光客が訪れて祭会場の店は大忙しだった。ルーカス・クラネルト(
jb6689)も自分が経営する籤屋の準備に追われていた。大量に用意した段ボール箱の中には男の子が好きそうなエアガンなどが入っていた。彼自身も迷彩服に軍帽を被っており、見る人が見たらわかる本格的な恰好をしている。
「おお、凄いのじゃ! 仁、早う行くのじゃ!」
堤防沿いに掲げられた提灯の列と出店を見てアヴニール(
jb8821)が声を上げた。剣崎・仁(
jb9224)の着物の裾から出た大きな手を引っ張りながら急かす。
「……っ! だから手は繋ぐな、とあれ程……!!」
恥ずかしそうに慌てて仁が抗議するがアヴニールは聞く耳を持たない。足早に会場へと急ごうとするのを結局止めることができなかった。それも無理もない。
色取り取りの鮮やかなお店が見る者を楽しませていたからだ。大勢の浴衣や着物を纏った家族連れや若い恋人たちが笑いながら店を巡っていたのだった。
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会場の特設ステージの前で人だかりが出来ていた。
そこにはいつの間にか桃色の優雅な羽織に着替えた恋音が琵琶を持って登場していた。
髪を結って後ろに後光のようなステージライトが眩しく当っている。大きく膨れ上がった胸を見た会場の客が驚きに目を瞬かせていた。
「すっげぇ……。いったい、なにが始まるんだ?」
観客が驚いているのを尻目に恋音が静かにバチを取りだして声を出す。清涼ある落ち着いた声音で語られる調べはこの村に伝わる蛍の伝承。
むかし、この村にわかい男がいた。
その男が祭りの日に神池で一人の若い女性に会う。
彼と彼女はすぐに恋に落ちた。
だが、それは一時のはかない夢だった。
彼女はふつうの人間ではなかった。
この村を守る鎮守の女神さまだった。
彼女は遠い昔に村を守るために人身御供として生贄になった。この世では一緒になることができない。すぐに天に帰らないといけないという。
彼女は涙を流しながら彼を置いて天に昇っていた。彼はそれから池に身を投げた。彼女を忘れることができずに――。
「……それからというもの、その命日の夜に数多の蛍が現れるようになりました……。まるでそれは彼らの魂だと思える程に、天高く昇って行くのです……」
恋音の弾き語りを聞きながらいつの間にかそこに居る多くの人が物語の中に引き込まれていた。中にはそっとハンカチで目元をぬぐうおばあさんの姿もあった。
やがて会場内では絶え間ない拍手が沸き起こった。恋音は丁寧にお辞儀をして答える。
「まるで弁財天様……だ。この村の守り神の……」
村の長老が感極まって大声を張り上げた。それに釣られた他の客達も「弁財天様、どうか私におっぱいのご利益を!!」と貧乳の女性が叫びながら恋音の元へと殺到する。
あまりの人気ぶりに恋音は命からがらステージの裏口から難を逃れたのだった。
「キャハ……♪」
射的場で小さな女の子が何故か次々に景品を落としていた。
楽しそうに落としまくっていたのは黒百合だった。すべての景品を落とす勢いである。すでに彼女は金魚すくいやで金魚を全てすくい、ヨーヨーをすべて制覇していた。
射的場の店長もこれには降参する。
「どれでも好きなものやるからもう勘弁してくれ……」
金魚すくい屋の店長と同じセリフを吐く射的場の店長。一番でかいクマのぬいぐるみと馬鹿でかい出目金をもって「キャハ♪」と不敵に笑いながら店を出る。
出店はどこも客が入って繁盛していた。ルーカスが店長を務める籤屋は男の子たちの話題を呼んでリピーターが出ていた。店内にはエアガンやら戦車や戦闘機のプラモデルが景品として並んでいる。瞬く間にエアガンが景品として売れて行った。ルーカスも笑顔で帰っていく子供たちをみて嬉しかった。そんな時、悲しそうな顔をした男の子が目の前を通りかかった。
「へーい、らっしゃい! ひとつ引いていかないか?」
ルーカスが物欲しそうな男の子を見つけて声をかけた。男の子は迷っていたが、明るい笑顔で声を掛けられたので決心してルーカスの籤屋にやってきた。
男の子はおなけなしのお小遣いを払って籤を引いた。おそるおそる引いたが、結果は十等のポケットティッシュだった。男の子は肩を落とした。最後のお小遣いだった。
もうこれ以上は籤を引けない。そのまま肩を落として帰ろうとした。
「待ちな、坊主! これやるよ」
ルーカスは代わりに蛍の入った籠を渡す。すでにエアガンはなくなっていた。その代わり先ほど店内に迷い込んでいた小さな蛍。
「なにがあったか知らないが、元気出せ。この蛍のように」
何度も光って輝く蛍を見て男の子は「ありがとう、おにいちゃん!」と言って去っていった。闇に消えて行く彼の後姿を最後までルーカスは見送った。
「さてと、仕事も終わったし、俺も蛍を見に行くとするか――」
小川の裏側でその時、一人で散策していたのは木葉だった。彼女は小川の藪を掻き分けて川べりに腰をおろしながら水面をずっと見つめていた。
不意に草葉の陰に蛍の光が水面に映っている。
何かを思いついたようにそっと口ずさむ。
「初夏の風 現の水面に 映る夢 幽の父母に 届けよほのか」
初夏の風が吹く中、現世の水面にも幽玄なる蛍火が漂っています。
幽世のお父さんお母さんたちにも見せてあげたいな。
蛍さん、どうか届けてください。
次々に溢れ出てくる蛍の光。木葉はまるで蛍に囲まれて光っているように見えた。
楽しくてその場でくるりと踊りながら一緒に戯れる。
不意に蛍達が風にあおられてどこかに一斉に飛んで行こうとしていた。蛍達はどうやら上流を目指して行こうとしている。
「どこに行くの? 待って」
木葉も一緒に蛍を追いかけて走り始めた。
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小川に沿って瞬く蛍の群れ――それを追うようにアヴニールと仁が駆け寄っていく。
「初めてみるのう。綺麗なのじゃ」
黙って見ているとどこか吸い込まれて行きそうだった。この水面の底には宇宙が広がっているように見える、水底の星は蛍の光。
「蛍はあの美しさを持ちながら、毒のある虫なんだ……」
美しいものには毒や棘があるのは何故なのか。
触れられるのが……怖いのかもしれない、な。
その分、ストイックで、水分だけを吸って生きている。それ以上言いかけて仁は語りを止めた。これ以上の蘊蓄は無粋に違いない。
「ほう、毒があるのか……では、触ったりはできんのかのう」
綺麗なモノは遠くから眺める位が良いのかも知れないとアヴニールは思う。
「な、アヴニール……地上のプラネタリウムみたいじゃないか?」
「確かに、星の様なのじゃ……」
「そう、星が蛍になった、と言う伝説も有る位、なんだ」
星も、触れる事ができない。手は届きそうなのに。
星が蛍に、か……。確かにそうも見える。空から落ちた星が、蛍になったのか。
何となく、分かる気もする。だから光って居るのかも知れない。
「これが魂……と言う話もあるんだ」
「魂……」
アヴニールは水面を見ながらその場に座り込んだ。
こうしてフワフワ舞う様は……少し心許ないのは、魂だからじゃろうか……。
否、心許ないのは、我の魂が映っているからやも知れんの……。
母様の魂も、この中に在るじゃろうか。 魂が、此処に在るという事は、身体はどうなっているのじゃろうか……もう、朽ちてしまっているのじゃろうか……。
母様……未だ、会えぬ。 母様だけでない。家族と未だ会えぬのは……。 否、考えるのは馬鹿げているのじゃ。 何時か、又会い、その時は一緒に蛍も見るのじゃ!
アヴニールは何かにずっと耐えているように見えた。
ずっと黙りこくっているアヴニールの横顔を見ていて仁も不安になってきた。
仄かな光に照らされている彼女は何を考えている?
何となく……俺の知らない顔。
寂しそうな……優しそうな……複雑な顔。
仁は居たたまれなくなって目をそらす。蛍の光に目線を戻した。
俺は、この蛍達に何を想うだろうか。
星と蛍と魂。
何れも何となく繋がっている気がする。
そして……死んだ女……母さん……。この中に居るんだろうか。
「……っ!?」
その時不意に、気が付いた。
蛍がアヴニールに2匹、仁に1匹、身体の周囲をふわりと回っていた。
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会場にはパンフレットや事前の広告効果で大勢の人達で賑わっていた。そんな混雑る中で静かにビニール袋を持った雫がせっせとゴミを集めていた。
「次回が有ろうと無かろうと、蛍達の住処を汚して良い訳が有りませんからね」
会場に来る人達は全ての人が、マナーが良いわけではない。
蛍を見に来ただけで遊びに来ただけの目的の人もいたのである。
だからこそ誰かがこうやって頑張ってゴミを集めるしかなかった。としおも雫に賛同してゴミを拾っていた。ゴミ箱を作ってそこに不要になったものを捨てるように注意を促す。努力の甲斐があってか、皆がきちんとゴミを分別して捨ててくれるようになるまでそう時間はかからなかった。
ゴミ拾いが終わって一息が着いたところで伝説の池の方へ向かうことになった。
昼間のうちに探して目星を付けていたのである。途中でなぜか馬鹿でかいクマのぬいぐるみを持った黒百合と合流して皆で神池に向かうことになった。
藪を掻き分けてこの村のどこかに存在するという神池に向かう。途中で一匹の蛍を見つけた黒百合が仲間とはぐれてそっちの方へと向かう。
蛍を追いかけて藪を払っていくとそこは野原だった。その向こうには大きな池が広がっている。先ほど見かけた蛍は何処かに行って見えなくなっていた。
「いい場所ねェ……。こんな場所ならまた来てもいいのだけどォ、今年で最後かァ……。残念だわァ……♪」
草地で横になりながら疲れたのかぐっすりと眠りこんでしまう。その時、黒百合がいなくなって探していたとしおや雫がやってきた。
目の前に広がる大きな池。不意に風がどっと吹いてきて何処からかやってきた蛍の大群が辺り一斉に飛び回り始めた。目映い光に照らし出される神池。
伝説の池に違いなかった。その昔、この地で悲恋が起きた――
としおは目をつぶって祈りを込める。
(最後の願い……故郷がなくなるのは誰にとっても辛い事だと思う。
伝説の蛍が見られるならその蛍の故郷も護った方がいいのだろう)
ダムで消えて行く村の人々のためにとしおは願う。
雫も静かに目を閉じて心の中に祈りを込める。
(私は、自身の願いは自身で叶えるのが信条ですし、今回の祭りは皆が力を合わせて頑張ったので成功するでしょう。
――なら、願うのは村長さんの想いと子供達の幸せで十分です)
雫は後でダムの計画の見直しを皆と一緒に提起するつもりでいた。子供たちや村長などこの村の人達のために一緒になって取り組みたい。
その想いが届くように願って、雫たちがその場を後にしようとした時だ。叢の向こうから目映い光ともに何者かが現れる。
桃色の天女の服を纏い琵琶を持った胸の大きな女神――恋音だった。皆に追いかけられて逃げてきて偶然この場にたどり着いたのだった。
だが、すぐ後ろから神池を目指してやってきた地元住民がやってくる。
「べ、べ、弁財天様――!! どうかこの村に御加護を!!」
伝説の女神が光臨したと勘違いした地元住民が恋音に向かって膝まづいた。そのたわわに揺れる豊穣のしるしに向かって御加護を祈る。
皆が顔を上げた時にそこにはすでに恋音はいない。
これで村は大丈夫だと皆は感謝してその場を去って行く。
豊満の女神?に祈った御加護が実ったからだろうか――雫やとしお達の奔走もあって村のダム計画の中止が決まったのはそれから数日後のことだった。