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田園と蒼い空が何処までも広がっている。茅葺の農家が点在していた。
澄み切った空気が美味しい。長閑な光景だった。田圃では腰を曲げて作業している人がいる。
みんな声時折声を掛けながら一生懸命に仕事をこなしていた。
貴公子の姿をしたカミーユ・バルト(
jb9931)が一目見て疑った。毎日豪奢な物に囲まれている生活をしていた彼にとって信じられない光景が広がっていたのである。
「……と。これが田舎……と言うモノであるのか。
何も……無いな。ふふ……ははははは!!」
腰に手を当てて笑い始める。いつもは付き人がいるのだが、今回はいない。果たしてちゃんとやっていけるのか……一抹の不安がよぎる。
撃退士が向かった先にあるのはこの辺りでも最も古い農家である。茅葺の屋根に大きな天井のある囲炉裏がある古民家だった。庭がとても広くて様々な木々が植えられている。珍しそうにエルム(
ja6475)が見上げて呟いた。
「私、こういう純日本的な邸宅はあまりみたことがないので、すごく興味深いです」
早速家に上がらせて貰ってまずは雑巾を絞って床を拭きはじめた。囲炉裏の間はとても興味深く「へぇ〜」と感心しながら念入りに煤を拭いて行く。
「よぉし、がんばっちゃうぞぉ」
元気よく家に駆け込んだ白野 小梅(
jb4012)はハタキを持った。まったく無い胸を張って勢いよく跳び上がると天井を思いっきり叩いていく。
「うわ……凄い埃……、マスクした方が良かった……ゴホゴホ……!」
一緒に翼で天井近くまで舞って掃除をしていた双城 燈真(
ja3216)が突然咽た。舞い上がる埃に思わず顔をしかめる。慌てて降りてマスクを借りに行く。下では黒井 明斗(
jb0525)が、皆の動きやすいように整理整頓をしている所だった。一通り片付くと、今度は箒を持って玄関の方へ掃き掃除に出て行った。
家の中の障子や雨戸を開け始めたのは礼野 智美(
ja3600)だった。
人が住んでいないと家が傷んでしまう。風通しをよくするために意欲的に動き回る。
さらにお客様が来ることに備えて客間の布団を日向に干しにいく。てきぱきとしたその姿はまるで主婦そのものである。
「掃除機はどこかしら……って、なんで掃除機だけこんな最新なのよ! もしや通販……」
何故か最新式の掃除機を見つけて雨宮アカリ(
ja4010)は驚いた。スイッチが多くどれを押してよいかわからない。ちょうどその時、カミーユが通りかかった。彼なら最新のものは知っているに違いないと思って聞こうとした時だった。
誤ってスイッチを押した掃除機が突然暴走し始めたのだった。
「な、何をする!! ――それはボ、ボクの大事な!!」
掃除機の先がいきなりうねってカミーユの豪奢な髪に吸いついた。アカリは間違えて強力のボタンを押したのだった。慌ててアカリが消そうとするが、彼女が押したのは最も強力なやつだったのである。
「あがああああああ――――抜ける抜けるボクの大事な髪の毛ぎゃああああ!!」
部屋の中を叫びながらカミーユは廊下を走り抜けて外へ出ていった……。
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家の中の掃除が終わると、智美はエルムを連れて肉の買い出しに出ることになった。
商店街まではかなり距離があるので急いで出かけて行く。裏の山に山菜を取りに出かけたアカリたちは早速腰を屈めて目ぼしいものを探し始めた。
「んとんと、ワラビとろー」
図書館から借りた植物図鑑を手に野草を熱心に見詰める。
だが、どの草も同じような形をしており、次第にわからずにどうでもよくなってきた。
「――味噌汁ってぇ、何入れてもOKだよねぇ」
ぶつぶつ、怪しい独り言を言いながら適当に草を抜いて籠に入れようとする。
「ダメダメ、ストーップ! それはダメ、タンポポは食べれん!」
すかさず突っ込みをいれたのは燈真だった。籠からタンポポを掴んで取り出す。
他にもよく見てみるとアブラナとかが入っていて青ざめた。
不貞腐れる小梅に注意して再び燈真はワラビを探し始めた。腰を屈めて熱心に根気よく探していた為にワラビが籠にたくさんすでに入っていた。
これならば十分に皆の分の昼食になるだろうと思った時だった。不意に横を見ると、アカリが何やら変なキノコを掴んで籠に入れている。
「とは言え、私の育った場所は砂漠だったし、そんなにキノコの種類なかったのよね。まぁ、適当に見つけ次第採って帰りましょう」
彼女が手にしていたのは赤い笠に白い斑点がついている背の高いキノコ。美味しそうな色をしているなあと思って籠に詰めていたのである。
「ダメエエエエエエエエエエエエエエ!! それはだいかあああん!!」
鬼の形相で燈真が怒鳴った。
見るからに怪しすぎるよく図鑑で見るあのキノコ。
そう、それはベニテングダケ……。れっきとした毒キノコである。
「野生のキノコは食べられる物でも専門家に見せるのが普通なんだよ? だからダメ…!」
掴み取るようにしてベニテングダケを捨てる。不満そうにぶつぶつ、アカリは呟いていたが、やがて仕方がないというように帰り支度を始めた。
山を降りて帰る途中に――渓流から戻ってきた明斗に出会った。嬉しそうな顔をして籠を見せると大きなヤマメがたくさん入っていた。これでも必要以上の釣ったヤマメは逃がしてきたらしい。まさに釣り名人である。
アカリ達がどうやってそんなに釣ったのかと驚きの声を上げた。
「下流から低い姿勢で近付いて、出来るだけ深い場所や、岩陰などを狙うのがコツです」
明斗はそろそろお昼で皆が待っているからと先に降りはじめた。山に登っていた一行が家に戻ってくるとすでに驚くべきことに智美たちが戻っていた。
物凄いスピードで肉を買ってきたのであった。早速手慣れた手つきで、智美が肉や魚をさばき、明斗が野菜を煮て味付けを施していく。ようやく昼食の準備が整ってテーブルに人数分の皿を用意した時だった。
「――こんにちは、冴子です。今日はよろしくおねがいします」
不意に玄関の戸をたたく音がした。
可愛らしい花柄の白いワンピースに麦わら帽子を被った冴子がカミーユに連れられて到着したのである。どうやら偶然駅でばったり会ったのだそうだ。
「レディを心配させるわけにはいかないからね」
乱れた髪をしきりに撫でながらドヤ顔で白い歯を零す。
それにしてもそんなに遠くまで行っていたとは――恐るべしカミーユ……。
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「色々あるでしょ……? 都会だと高くて中々食べられないんだよね……、だから味わって食べてね」
冴子は燈真たちが作った山菜料理を残さずに全部食べた。
昼食を食べ終えて早速、小梅は冴子を引っ張って田圃に出かけた。その後を追いかけるように智美が網やバケツを持って着いて行く。年も近いからかすでに小梅は冴子とすぐに仲良くなってお喋りをしていた。まるで本当の姉妹のように仲が良い。
田圃の脇の用水路を覗き込むとザリガニの姿がすぐに見つかった。水路の中をゆったりと歩いたりじっとしている。しかし、小梅たちの手が水に近づいた瞬間に、ザリガニは目にも止まらぬ猛ダッシュで後ろ向きににげてしまった。
「ああ、また逃げちゃった……」
冴子は残念そうに下唇をかんだ。予想以上につかまるのが難しい。
しばらく様子を眺めていた智美がついにズボンの裾をまくった。目つきがすでに戦闘の時のように厳しくなっている。手際良く準備をしながら、ついに、用水路の中に足を慎重に足を踏み入れて武器を片手に前へ進んで行った。
「釣竿に烏賊さきつけて、ザリガニの前にもっていくと餌として鋏で掴むからそこを釣るザリガニ釣りと……」
頭の中で作戦を思い描く。ザリガニは逃げないように慎重に足を目的地の近くまで進めて、釣り竿をそっと斜め上から掲げる。
「後は、ザリガニは後ろに逃げるから、後ろにそーっと網を設置後、ザリガニの前に石を放り込む。
ザリガニは後ろに逃げるから、自分から網に入ってくれる、と――」
手際良く両手を動かしたその時だった。
ザリガニが吸い込まれるように智美の網の中に突っ込んだ。
瞬間に網を水の中から上げる。
ビチビチと跳ねるように真っ赤なザリガニが跳ねた。それを見ていた冴子と小梅が感嘆したように大きな声をあげる。小梅も負けていられないと真似をした。
「にゃははは、まいったかぁ!」
ついに小梅は冴子と協力してザリガニを捕ることができた。
背中を持って掲げてまるでピースするようにお互いに見せあった。
「ほおって置くと良い物が出来ませんからね」
近所の農家の人達と畑に出て作業していたのは明斗とアカリだった。お互いに声をかけて時節休憩を挟みながら作業を進めて行く。日中の日差しはとても暑く、用意していたペットボトルの緑茶を何度も飲んだ。冷蔵庫で冷やしていたのでとても美味しい。
雑草刈り、添え木の修正、水・肥料を撒くなどをして一通りの作業を終えてから、今度は畑の回りにちょっとした囲いを作り始める。
裏山にはたくさんのタヌキやキツネ、シカなどの野生生物がいる。
「気休め程度ですが、お婆さんが戻る間に動物に畑が荒らされたら大変ですから」
囲いは木の杭とネットで簡単に侵入出来ない用に作った。みんなで協同して汗をかきながら、農作業に取り組むのは気持ちがよかった。
「おや、どうしたんだい?」
不意にアカリの頬から涙がこぼれた。
心配したおばあさんが何かつらいことがあったのかと心配する。
「え!? いやいや、辛いとかじゃなくて!
争いの無い世界って、こんな世界なのかしらって思ったらなんか急に――」
慌てて涙を拭って言い繕った。長閑な田園風景に、つい争いごとを忘れていた。戦場ではいつも生と死の狭間をかいくぐってきた。
長閑な平和な世界があることをすっかり忘れていた。
行く先々で少なくとも天魔の存在はあったし、日本に来るまではそれこそ戦場だったしねぇ。でも、ここは……。
この平和の為に、私達は戦ってるんだわ。
アカリはようやく気が付いた。私たちの後ろにこうやって毎日を誰かの為に一生懸命に
過ごしている人達がいることを。
帰らなければ、戦場へ。
――平和な場所に戦人は必要ない。
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「ねぇ翔也…、俺達いつまでも二重人格で良いのかな…?」
草原で寝転がっているのは燈真だった。澄み渡る蒼い空をみながらまるで誰かに語りか
けるように口を開ける。だが、そこにいるのは彼一人だけだ。
「なに言ってんだ? 俺に今まで助けられてきたのはどこのどいつだったかな!」
「だからだよ…、翔也がいなくてもやって行かなきゃダメだって思ってさ…」
「まぁ確かにな…、って! 俺が消える事前提の話じゃねぇか! まだ死にたくねぇよ!」
不意に翔也の人格が体の奥底から現れた。
交互に現れる彼と燈真は会話を繰り返す。互いに喧嘩をしているようにも見えるが、本
当は互いに認め合っている証でもある。
天魔に幼馴染を殺された――あの時の悪夢が人生を狂わせた。けれども、こうやって時が止まったような長閑な光景を見ていて不意に寂しくなった。
いつかはこの景色も変わるのだろうか。
その時自分はどうればいいのか分からない。
だが、せめてその時が来るまでずっと一緒にいたい――
「なあ、あれ蜂じゃないのか?」
不意に翔也の人格が口を開いた。
起き上がると蜂の大群がこちらに向かって飛んでくる。
「ぎゃああああああああ――」
「おい、待て俺を置いて行くなよ、俺のことが恋しかったんじゃないのか!!」
言い合いをしながら一目散に逃げるように山を降りて行った。
「はじめまして、富江さん。私は久遠ヶ原学園のエルムと申します」
エルムが冴子を連れて病院に駆け付けた。富江がいる病室に入るや否や、エルムは丁寧にお辞儀をして挨拶をした。
「お婆ちゃん……!!」
冴子が堪らず、ベッドに掛けて行って富江に抱きついた。お婆ちゃんは遠くからやってきた孫娘の髪をそっと撫でてあげる。
しばらくお互いの近況を二人は話し合った。
冴子は智美や小梅たちとザリガニを捕りに行って楽しかったことを話した。エルムも留守中の掃除や農作業の状況を富江には詳細に伝える。
「今回は皆様によりくしていただいて――本当にありがとう。他の撃退士の皆様にもよろしくお伝えください」
富江は感謝しきれないというように深く頭を下げた。ようやく落ち着いた所で、エルムはお見舞いに持ってきたフルーツをナイフで剥きはじめる。
甘くておいしかったのか嬉しそうに富江は何個も口に頬張った。フルーツを食べたところでエルムがお手玉や折り紙を教えてほしいと頼む。
「もしよろしければ、教えていただけませんか?
冴子ちゃんも、お婆ちゃんに教えてもらいたいですよね?」
「うん、おばあちゃん、いっしょに遊ぼう」
「ええ、いいですよ」
富江は頷いて一緒にまずは折り紙をはじめた。まずはお婆ちゃんが手本を見せてそれに続いて冴子とエルムが見よう見まねで折っていく。
きちんと重ねて折ったり、ふくらましたりするのが難しくてエルムは苦戦する。けれども、途中で冴子が助け船をだしてくれてようやく最後まで折ることができた。
病室に飾られた三匹の――おりづる。
まるでそれは親子のように仲よしのように見えた。
「早くお元気になってください。
そして、今度は富江さんが一緒にザリガニ獲りに行ってあげてくださいね」
楽しい時間はあっという間に過ぎた。病院の消灯時間は早い。名残惜しそうに冴子はうつむいていたが、「また来るね」と約束してついに病室を出た。
今にも泣きそうになっている冴子を屋上に連れていく。
そこには満天の星が広がっていた。決して都会ではみることができない光景を見て冴子も落ち着きを取り戻していた。
「さあ、風邪をひかないうちに早く帰りましょう」
エルムは冴子の背中を押してそっと階段を降りようとした時だった。
ハアアアアックッシュン!!
フェンスに片足を掛けて腰に手を当てていた謎の貴公子。
「…折角の田舎とやら。都会と違う、この自然を目一杯堪能しよう。
しかし、何故こんなにも空気が違うのだ? ……そう言えば車やプラントもあまり、見掛けんな。便利なだけが全てでは無いのかもしれん。
――とりあえず、だ。ボク参上の証を刻込むとする、か」
鼻をズルズル啜りながらカミーユはすっと昼間からここで一人、キラキラスマイルで高らかに笑っていたのである。
まるで彼自身がお星様にでもなったかのように。
これが本当の星の王子様――なんちゃって。
彼はまるで風邪を引いたようにくしゃみを連発し続けていた。
ハアクククッシュン!!