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「ふわぁ……眠う……」
大あくびをしながら佐藤 としお(
ja2489)が牛舎にやってきた。
重い目を頻繁に擦りながら必死に眠気を覚まそうとする。
辺りは夜明け前だった。薄暗くて辺りはまだ良く見えない。
「おはよう、遅刻だぞ。若いんだからしっかり頼むよ!」
煌々とした室内で清掃をしていた経営者の佐藤義男が声を掛ける。
年齢の割にはとても元気そうだった。すでにとしおより早く来ていた撃退士の仲間に清掃の仕方や動物の扱い方を教えていた所だ。
名前が似ているだけに義男はとしおを気にかけているようだった。
「もっと腰を入れて! ああ、駄目駄目! それじゃあ牛が怖がる!」
としおは義男に叱られながら歯を食いしばって頑張る。
いつの間にか眠気が吹っ飛んでいた。
みっちりとつきっきりのマンツーマンの過酷な指導が始まる。
「牧場の朝は早い、か。
佐藤さん疲れきってるな……素人だけど役に立つならがんばるぜ」
床を掃く手を休めて天険 突破(
jb0947)が遅れてきたとしおを見上げた。
そういう自分もまだちょっと体が重い。
昨日もう少し早く寝ておけばよかったかなと思いつつも、頑張っている仲間を見て自分も負けてはいられないと奮起した。再び腰に力を入れて箒で掃いて行く。
「牛? 馬?
天魔に比べたら楽勝、だ、ぜ……? で、でかいな。
これは蹴られたら下手すると下手するな、オーケーオーケー、仲良くしようぜ」
ギラリと睨みつけてる闘牛を尻目に刺激しないようにしながら丁寧に辺りを掃除する。
「あの灯り壊れそうだ、何とかならないか……」
義男が不意に指導の手を止めて、天井を見上げる。
照明のひとつが点滅していた。代えなければならないが、結構高い所にあるのでいつもは業者に頼んでやって貰っていた。どうしたものかと困った時だ。
天井の煤けた照明目がけて黒百合(
ja0422)が突然、壁伝いに登り始めた。
華麗によじ登っていく姿に義男が感嘆を漏らす。難なくたどり着くと、黒百合は交換用の電灯をすばやく取りつけて一瞬の速さで地面に着地していた。
だが、世話をするサラブレッドはなかなか黒百合に服従の意思を見せなかった。
なかなか言うことを聞かない馬に対しては月下香の幽香を発生させる。
すると見る見るうちにサラブレッドは大人しくなった。
ニヤリと笑みを浮かべた黒百合に義男は拍手を送る。
ゴシゴシと黙々と馬にブラッシングをかけていたのは黄昏ひりょ(
jb3452)。
他の撃退士の誰よりも早く起きて義男に享受して貰い馬の世話をしていた。すでに彼は手慣れた手つきで作業していた。清潔になるように動物の為を思って世話をする。
小さい頃は動物と接しながら過ごしていた。
というか……動物達くらいが話し相手というか友達だったというか……そんな幼少時代だったからなぁ、と昔のことを思い出す。
辛い思い出だが、それでもこういう場所で役に立つのならと丁寧に手を動かす。
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作業服を身につけしっかりとマスクをつけた雫(
ja1894)と浪風 悠人(
ja3452)が大きな牛の背中を水で浴びせて磨いている。
「戦闘程では無いですが、結構な体力を必要としますね」
ひどい臭いに最初は抵抗感があったが、徐々に慣れてくると、手際良くこなせるようになってきた。牛も目を気持ちよさそうに閉じて身を任せている。
「午後から牛乳を搾らせて貰いますから、一杯出して下さいね」
雫達の献身的な世話にどの牛もご満悦の様子だ。
見ていた義男も感心した。普段は気の荒い動物たちだが、手際が良く呑みこみの早い撃退士達の世話によって早くも心を開き始めていたのである。
だが、ある一匹の乳牛を除いては――
モオオオオオオオオオオオオ!!
ひと際でかい乳牛の番長のハナコが息を荒げる。
視線の先には――やっぱり月乃宮 恋音(
jb1221)がいた。
鋭い目つきで恋音のそのアレを睨みつけている。
ひどく怯えたように毛をぶるぶると震わせているのか、それとも並々ならぬ敵視を恋音にむけているのかはわからないがとても興奮しているのは確かである。
恋音のソレはとても作業服には収まりきっていなかった。
わざわざ作業着の胸元をあけないといけないくらいの凄まじい張り具合。
歩くたびに二つの巨西瓜がまるでポップコーンのように弾け踊る。
ナナコ以外の乳牛は恋音を見た瞬間、一斉に地べたにひれ伏した。
格の違いを見せられて恐れおののいたのである。
恋音はつい先日の動物園での依頼でも乳牛相手に完全勝利を収めていた。
名付けられたその称号に畏怖を感じて早々に降参する。
ハナコはそれでも意地とプライドからか寸前の所で耐えていた。
モォ!
ハナコは一発、オナラをする。あまりの臭さに思わず恋音も鼻を摘む。
どうやら完全に敵視されたようだ。
勝負は午後からだと言わんばかりに恋音に尻を向けて奥へと入っていった。
撃退士達はそれぞれが朝早くから懸命に仕事をしていた。
義男は皆の頑張りに大満足していた。
これなら動物たちと打ち解けるのもかなり早いだろう。
「じゅるり……」
しきりに牛を見つめて涎を零そうとして耐えている雫がいた。
不穏なことを考えている輩も中にはいたが。
「そういえば、だれか忘れているような……」
ただ一人――礼野 智美(
ja3600)は宿舎で爆睡してとうとう起きてこなかった――。
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日が上って辺りが明るくなってきた。撃退士達は無心に動物の世話をしており、気がつくまでお昼になったことを知らない程だった。作業服やマスクをとって他の従業員が用意してくれていたバーベキューで一息つくことになった。
恋音が義男達と一緒に協力して段取りを取る。美味しそうな牛肉にたっぷりとハーブの味付けを加えて香ばしく焼きあげた。悠人も手伝って肉ばかりだけでなく、野菜もバランス良く焼きながら皆に取り皿に盛って配った。
「いやー、この肉うまいな」
「それはさっきお前さんが世話してた奴だぞ」
義男がさらりと重大な発言をする。
一瞬、突破の手が止まった。
「え、これ、さっきの牛?」
「いや、違う場所から貰ってきた牛だ」
冗談だと義男が言ってほっと突破は胸を撫で下ろす。
改めて考えると今食べている牛も誰かが一生懸命に育てたものに違いない。
全ての食材に感謝しながら突破は綺麗に残さず食べていく。
バーベキューを肉ばかり全力で食べつくしたのは黒百合だった。
流石は肉食系女子だといわんばかりの豪快な食べっぷりに義男も呆れる。
黒百合は一番乗りで牧場に駆け出して行った。
待っていたのは午前中に世話をしていたサラブレッド。
「きゃはァ、久しぶりに癒し系の依頼だわァ……。
戦闘とかを忘れてのんびり楽しみましょうかァ……♪」
不気味な笑みを浮かべながら黒百合は馬にまたがる。午前中に強制的に仲良くなったのでサラブレッドはまるで忠犬のように大人しい。
ひりょも義男に手伝って貰いながら馬の背中に乗った。
手綱の使い方や足の蹴り刀など基本的なことを頭に叩き込んで本番に臨む。
乗ってみると上下に動く馬にバランスが保ちにくいのがわかる。
子供の頃にポニーに乗ったことがあるらしいが……記憶はもうなかった。
緊張が伝わったのか、馬の動きもどこかぎこちない。
ふと、先日山で修行したことを思い出した。
禅の精神――空の境地。精神を整えて物事に動じず平常心を心がける。
不意に思い出した通りに馬の上に座禅を体現する。
為すがままに有るがままに。気がつくと――ひりょは馬と一体感を覚えていた。
この感じだ! ひりょは楽しみながら馬と牧場を走り回る。
傍らでは類まれな運動神経の黒百合も馬を乗りこなしていた。手綱を緩めて地面に降りると愛馬の サラブレッドに目で訴える。
合図もなしに黒百合とサラブレッドは牧場を猛烈な勢いで走りだす。
途轍もない脚の振りと手の振りを見せる黒百合。
四足で有利に立つはずのサラブレッドと引けを取らない速さ。
猛烈なスピードの残影にどちらが馬かわからない。
ゴールのテープラインを切ったのはほぼ同時。
一着、サラブレッド――鼻。
長い鼻の部分の僅差でサラブレッドが勝った。
黒百合は馬の鼻を愛おしそうに何度も撫でてほほ笑んでいた。
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目の前には黒々とした大きな闘牛が待ち構えていた。
競技場には義男に連れられてやってきたこの牛舎一番の力持ちが待機している。
スペイン風の衣装に身を包んだとしおと悠人が緊張気味に入ってきた。
「意外と早いんだな……」
思わずとしおは唾を飲み込む。義男の実演を見ていて不安になってきた。
赤い布を持って真正面に立った瞬間、としおに向かって猛スピードで突っ込んできた。
いきなり突っ込んでくる闘牛に死ぬ思いで布を動かす。
スピードやタイミングを考え、牛が頭を下げた瞬間にムレータを体を軸に翻し突進を紙一重で交わす。
腰が引けて角が腕を掠めて思わずその場に尻もちを着いた。
「あ、あぶねえ……死ぬ所だった」
だが、闘牛はすかさず向きを変えると、空かさず再び突っ込んでくる。
ちょっタンマアアアアア!!
闘牛は日本語を理解するはずもなく止まらなかった。
ドンンンンンンンッ!
「あ〜れ〜☆ミ」
牛ドンされて、としおはどこか遠くへ吹き飛んでいった。
「さあ、来い!」
次にに立ちはだかったのは悠人だった。
逃げも隠れもしないぞと気合を入れて叫んだ。
赤い布をこれでもかと見せつけてとしおから自分へと興味を引き付ける。
闘牛の脚の方向が変わったのを見て悠人は勝ちを悟った。
突っ込んでくる瞬間に華麗に身を翻して布を鮮やかに引く。
だが、それで終わりではない。
方向転換をした牛が大きな角で再び突っ込んでくる。
悠人は歯を食いしばりながら寸前の所まで惹きつけて交わす。
牛も負けじと再度アタックしてきた。
ギリギリの攻防が続いて不意に牛の脚が乱れ始めた。
腰の回転を足のつま先のステップを使って事前に逃げ道を確保する。
悠人はこの日何度目かの赤い布を後ろに引いた。
突然、目標を失った闘牛は場外にそのまま突っ込んでしまった。
「有難うございました!!」
悠人はお礼を言って勝利の余韻に浸っていた。
今回は殺さずによかったと、牛たちに感謝をこめて。
その頃、牛舎では乳搾り体験が行われていた。突破が乳牛の乳を掴んでこれでもかと乳を絞り出す。意外と握力のいる力仕事だった。だが、突破は何としても搾りたての牛乳が呑みたかった。
万年背が伸びないのを気にしていた。
毎日欠かさず呑んでいるのにこれはどういうわけだ?
もしかしたら新鮮な搾りたてならば効果があるかもしれない。
鬼気迫る表情で乳牛に怯えられながらも次々に搾ってはその場でバケツ呑みする。
「まだまだ呑み足りない! もっともっと俺に乳を!!」
生の牛乳を求めてひたすら搾りまくる突破。
傍らでは雫もせっせと懸命に乳搾りを体験していた。
「絞った牛乳はどうしましょうか……」
すでに頭の中は乳製品で一杯になっていた。
「分離させてバターにしても良いし、設備があればチーズにして貰うにも良いですね」
雫は義男に乳製品の作り方も教えてもらって早速作ってみようと決意する。
モオオオオオオオオオオ!
恋音が恐る恐るハナコの小屋に忍び寄る。
威嚇してくるハナコの下に潜り込んで何とか乳を鷲掴みする。
以前に体験したことを思い出し、強めに乳を搾りだそうとするが――出ない。
ハナコは往生際が悪かった。必死に我慢して出さないように努めている表情だった。
「もっと、指に力を入れて強くしごくように!」
見かねた義男が恋音にレクチャーする。
恋音はまるで後ろから手を回すように乳を鷲掴みにした。
その瞬間、ナナコが暴れ出す。慌てて突破が喧嘩を止めに入る。
「落ち着け、こいつは敵じゃないからな!」
突破が必死になだめ諭そうとするがナナコは言うことをきかない。
蹴りを入れて来るナナコに恋音は胸のエアバックで衝撃を吸収して応対した。
ナイス! チチエアバック!
あまりに激しい戦闘を経てようやく力を入れて恋音が乳をもみしだく。
「……こう、ですか……?」
「ちがう、こうだ」
「……こう?」
「もっとこうだ!」
「……こう、こう……こうですか?」
「ちがう! こうやってこうだ」
「……こう、こうやって、こうして………こう?」
ブシュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ―――――――――――!
「きゃゃあああああああああああああああああああああああああああ」
乳に強い刺激を与えれたハナコが我慢しきれずにミルクをぶちまけた。
大量のミルクを浴びて恋音の顔はドロドロになっていた。
ようやく大量噴射が収まってハナコはぐったりと体を横たえた。
目の前に仁王立ちになった恋音は顔についたミルクをゆっくりと手にとった。
ハナコの目の前で舌を出して見せつけるように舐めとる。
……モォ……
力のない声音を出してついにハナコは力尽きた。
「もぉ……お、し、お、き……ですよ」
恋音が完全勝利宣言をして乳牛界の頂点に君臨した瞬間だった。
搾乳をマスターし、これでいつでも自慢の乳搾りテクニックが使えると胸を張る。
その時だった。後ろから不穏な空気が流れてきた。
振りかえるとそこにいたのは危ない表情をした雫がいた。
手には搾乳機を持っており、血走った眼は恋音のソレに熱心に注がれている。
「……月乃宮さんも絞れば牛乳が出て来るかも」
「あのぉ……雫さん?……」
「はっ!? 私は一体何をするつもりで……」
突然我に返った雫は搾乳機を押しつけてどこかへ去って行った。
押し付けられて困惑する全身乳塗れの乳牛界の新女王。
「これを……私に……いったい…………どうし……ろ……と?………」
搾乳機を持ったまま恋音はいつまでも途方に暮れていた。