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澄み渡る緑の木々と空気に囲まれて禅寺は佇んでいた。
山桜が咲き始めており、都会の喧騒から外れた山奥にも春が訪れようとしている。
撃退士達はふもとに到着して長い石段を見上げた。
「おおぉ……。ながぁ〜い階段なのですぅ……。の、登れるかなぁ……」
思わず嘆息したのは深森 木葉(
jb1711)である。あまりの急勾配に挫けそうになったが、こんな所でめげているわけにはいかないと奮起する。
他の皆に遅れないように一段ずつ足元を確かめながら登り始める。ルーカス・クラネルト(
jb6689)は体力に自信があるものの皆に歩調を合わせて登ることにした。
登りきると待っていたのは住職の冴場了海だった。
初老の柔和な表情をした和尚である。
「はじめまして、ルーカスと申します。今日は何卒よろしくお願いします」
「こんな、山奥までようこそいらっしゃいました」
ルーカスは和尚と対面して丁寧にお辞儀を互いにした。表面上は冷静を装っていたが、今回日本の精神に触れることができるということで内心わくわくしていた。
早速和尚は大雨で壊れてしまった庭へと案内する。
裏庭に回るとそこには枯山水の広大な庭が広がっていた。
大きな岩が泰山を表し、砂利が水の流れを作って一つの世界を造成している。
「枯山水……『静寂』『空の世界』……美しく儚いですね……」
人里離れた美しい光景に、まるで女性的のような顔立ちの水城 要(
ja0355)が嘆息する。傍にいる友人の苑邑花月(
ja0830)も要と一緒に立って枯山水に見入った。
「庭園造形、の……中にある自然美……を、高度に詩訳したもの、ですわ……ね」
「お嬢さん、よく知っておいでですな」
花月の感想に和尚が感心したように答える。
「水を用いない庭、とだけの……意味のものではなくて……水に対して、不可能……を可能、とする 芸術性、に徹した作品……」
そんな芸術、……触れられること、も……喜びです、わ、と和尚に答えた。
近頃の若者はなかなかやりおる、と和尚は頼もしく思った。撃退士達を壊れた堀の方へと案内する。庭一面に土砂が入り込んできていて砂利が汚されていた。
砂利を掃除するために新井司(
ja6034)が要や木葉とともに箒を持って掃き始めた。
「水の流れをイメージして、か。見えない物を表現するのは難儀ね……」
下調べしてきた侘び寂を表現するのは難しい。ただ掃除するのでなく、きちんと意味を理解して形を整えないといけないのでなおさらだった。
「ん……流木? ……どこから?」
斉藤 茜(
jb0810)は流木を片づけながら自問する。
「ん……土砂と分けるの……難しい……」
想像以上に骨のある仕事だった。
ずっと背を曲げていると腰が痛くなってくる。
茜は休憩を挟みながらも和尚に言われたように丁寧に掃除を続けた。
「……お手伝い……こういうのもいい……」
夢中になってやっていると段々自分でも楽しくなってくるのがわかった。
「これ位の大きさの岩なら、一定方向に対する見せ方も考えて配置されてたんじゃないか?」
難しい顔をして千葉 真一(
ja0070)が事前に和尚から入手した写真を取り出す。
そこには壊れる前の美しい枯山水の様子が映し出されていた。
大きな岩が特に動いてしまっている。
「もうちょい……こんな感じか。この位置でどうだろう」
力のあるルーカスや黄昏ひりょ(
jb3452)とともに男達が率先して岩を動かす。やはり力仕事はまず男が頑張らないと――ひりょは特に気合を入れて腰に力を入れる。
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男性陣の踏ん張りによって大きな岩が元の位置に戻すことができた。砂利道も元のように美しい曲線を描いて枯山水に輝きが戻った。
念には念を入れるため、真一は和尚に承諾を得て塀などに補強作業をすることにした。和尚に資材の在り処を教えて貰って竹や土留めの材料を揃える。
「また同じような事が起きないとも限らないしな。対策はしておいて損はないと思うぜ」
時間はかかったが何とか補強作業が完了して一息ついた。
その間に一足先に作業を終えていた花月達女性陣が先に露天風呂に向かっていた。
「あら? これは桜……? ふふっ、春……ですわね」
天然の露天風呂には咲いたばかりの桜が舞い散っている。
山奥の広大な景色を見渡すことができる場所だ。
これなら疲れも癒すことができる。
髪をアップにした要はわれ先にと露天風呂に入っていこうとした。
そこは看板の表示に女風呂と書かれてある場所だ。
「……? いえ、僕は正真正銘の男、ですが……何か?」
当然とばかりに要は言い放った。何がいけないんだと言わんばかりに。
「違います! こっちですわよ!」
が、寸前の所で花月に止められてしまう。
仕方なく花月と分かれて要は別の温泉へと脚を運んだ。
「ふぁ……きもちいいいの……れす〜」
木葉が花月や茜達と一緒に湯に浸りながら気持ちよさそうに頬を赤くする。
一方でようやく作業を終えたルーカスやひりょや真一達も男湯に浸かれていた。体力仕事をしていただけに疲れが溜まっていた。湯の温度がすごく気持ちがいい。
「労働の後の風呂は癒されるぜ……」
真一は肩までしっかりと浸かりながら山奥の景色を眺めて楽しんだ。
風呂からあがるとお腹が空いているのに気がついた。午後から皆の食事の準備をするために山へと食材を集めにいくことにした。
釣りの道具と山菜を入れる籠を持って真一は出かけていく。
「山菜が豊富なあたり、この辺は豊かだなぁ」
見渡すばかりの山菜が溢れている。
春の七草と呼ばれているセリやナズナといった草を見つけることができた。
他の雑草と間違えないように一つずつ確かめながら採集する。
ふと、こういうのは侘び寂の境地なんだろうか、と思う。
「山の中で、木漏れ日を浴びながら鳥の囀りを聞いてると、すごいのんびり出来るんだけど、そういうのに似てる感じかな」
籠がたくさんになってきた所で今度は魚を釣りに行くことにした。
流石に山奥とだけあって渓流の流れる音はすごく新鮮だった。足元を滑らせないように注意しながら岩の間を歩いてポイントを探す。
魚達を驚かせないようにしながら静かに竿を振って糸を垂らした。
「――よし、かかった!」
程なくして浮に手ごたえがあって竿を引っ張った。
敵はなかなか手ごわくて容易に引き上げられない。それでも柔軟に竿をしならせて一気に引き上げると大きなイワナを釣り上げた。
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ザアアアアアアアアアアアアアアアアア――――
目をつぶると心がどこにあるのかわからなくなってしまいそうだ。
ひりょは全身に水を浴びながら只管精神を集中させる。
まるで大自然と一体になったような感覚だった。
全身を強く打ってくる水に感覚が麻痺して自分じゃなくなりそうだった。
心を研ぎ澄まして大地の心理をつかみ取ろうと打たれ続ける。
傍らでは同じくルーカスが神妙な顔で目を閉じていた。
軍に居たころに同じような水の訓練を行ったことがあった。
だが、それはあくまで軍の訓練だった。文化を学ぶ精神修行とは違う。
果たして「禅」や「詫び寂」について知ることができるのであろうか――。
願わくば、体得して帰りたいとただ只管ルーカスは冷たい水に打たれ続ける。
司も静かに目を閉じながら問答していた。
――考える。英雄という在り方を目指すことは是なのか否か。
足りぬものに充足を見出すことが侘びの精神だ、と調べ物は語っている。
それに沿うならば、足りぬ力を尚求める在り方はその精神には反していることになる。
つまり英雄は侘びから程遠い存在なのだろうか。
精神が統一できずに横から和尚に何度も叩かれた。
そのたびに気を取り直して再び精神を統一させようとする。
禅問答を繰り返してひたすら修行に耐え続けた。
考えてもなかなか答えはでないまま一行は本堂に移動した。
滝修行で得た姿勢をもとにして座禅を組む。
和尚が鞭を持ってきてバシバシと叩く真似をして見せた。
物凄く当ったら痛そうである。
薔薇の鋭い棘の付いた鞭を見て思わずひりょやルーカスが顔をしかめる。
「鞭じゃなくて……警策(棒)ではないでしょうか」
何故か楽しそうな和尚をやんわりと制する。
「お、っこりゃ、間違えておった、失礼、失礼」
和尚は直ぐに警策棒を取りに向かう。
本当に間違えていたのだろうか、非常に怪しいと司は思わずにいられない。
和尚は年齢に見合わず何故か飄々としている。
程なくして現れた和尚の号令で再び座禅修行が始まった。
ルーカスは精神統一には慣れていた。
先ほどの滝修行でコツを掴んでほとんど身動きをせずに取り組む。
――特に最近色々思い悩む事も多い。
ひりょは再び思案する。
人との関わりについて、戦いについて、学園生活について。
一人になるとふと考え事をしてしまう癖がついてしまっている。
時には雑念捨てて無心になる事も大事だよな。
だが、程なくして足が痺れてきた。
あまりに痛くなってどうしようもなくなってくる。
バシシシシンッ!!
「あああああっ!」
ひりょは背中に激痛をくらって叫んだ。
精神を乱してしまって叩かれてしまう。
再び、ひりょは精神を集中するために――思索の中に入り込んだ。
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枯山水の脇にひっそりと佇む草庵。
丸い小さな窓から明かりが照らし出してきている。
室内は薄暗くてまるで幽玄の間を体現しているようだった。
「お嬢さん、お上手ですね。着物の着付けができない近頃の若者とは違う」
和尚はきちんとした着付けをしている木葉を褒め称えた。
褒められて木葉は嬉しそうに笑った。頑張るぞと気合を引き締める。
着物を着こんだ木葉や花月と要、さらに茜が和尚の点てる茶をまずは見学する。
茶碗の回し方、茶の点て方、所作のやり方――どれも奥深い。
和尚は侘び寂を体現するように優雅な所作で極めていた。
まさに侘び寂の極致である。
和尚のお手前が終わってまずは茜が実践することになった。
「……初めて……うまくいくかな……」
茜はくるくると茶碗を回す。
だが、どれくらい回せばいいのか分からず只管回していた。
要は心得があるのか流石に手慣れた手つきだった。
所作は品を極めており、流れるような美しい動作で茶を点てる。
「そこは、もっとゆっくりと」
「なるほど……こうです、か?」
傍で茶を点てる花月にアドバイスしながら茶を楽しむ。
「ううっ、緊張しちゃいますぅ……。お抹茶は苦いのですぅ……。えううぅ……」
木葉は振る舞われた茶を飲みながら舌を出す。
流石にまだ小さくて茶が渋すぎたのだろうと和尚は思った。
代わりに木葉には和菓子をあげる。貰った包み紙をあけると、美味しそうな羊羹であり、木葉はすぐにつまんで平らげてしまった。
皆で茶菓子を食べて休憩すると今度は生け花に取り組む。
剣林に指を刺されないように注意しながら木葉は黙々と花を挿していく。
咲いてるお花より、これから咲こうとするつぼみの方がいい。
未来への可能性、どんなきれいに咲いてくれるかなぁ?
木葉はそんな願いを込めて一本ずつ丁寧に花を挿していく。
先ほどと一転して今度は花月が器用さを見せた。
「初めてにしてはお上手ですね、なにかやられていたんですか?」
「フラワーアレンジメントを少々……でも、全然違っていて、むずかしいです、わ」
初めてとはいえ、花月は上手かった。
今度は要に花の飾り方を教えながら、手際良く順番に飾っていく。
センスがあるのか花の飾り方がどこか侘び寂を体現させていた。
花月はいろいろ違う点を発見できておもしろかった。
華道の花の見せ方の思想が違う。
できるだけ侘び寂を出せるように花を飾ることを意識する。
「どんな心で向かい合うべきなのですか?」
「全てを体現するのではなく、奥ゆかしさを出すこと。自分の心の中を自省して、それをこの世界のどこに体現しているのかを見つめれば――おのずと見えてくるはず」
要に対して和尚は静かに禅問答した。
すぐに答えがでるような問題ではなかった。
「茶道と華道。うまく出来たかなぁ? 和尚さま、どうでしょう?」
「ふむ、なかなかお上手ですよ」
木葉と和尚はまるで本当の爺と孫のように仲よさそうに笑った。
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侘び寂を体験した後は本堂で食事だった。
真一が取ってきた食材で皆で手分けして精進料理を作る。
お腹が空いていた撃退士達はあっとういう間に全て平らげてしまった。
侘び寂を体得できたかはわからない。
そもそも短期間に会得できるものではないことは分かっている。
それでも今回の経験を通して何か自分の中で成長できたような気がしていた。
「この度は誠にありがとうございました」
帰り儀にルーカスが和尚の所へ行ってお礼のお辞儀をした。
ここまで丁寧なお辞儀をされると思わなかったので和尚は嬉しく思う。
互いに握手を堅く交わして健闘を讃えあった。
「えへへっ。わびとかさびとか、よくわかんなかったけれど、楽しかったのですぅ。また機会があれば訪れたいなぁ〜」
木葉も生け花や茶道を楽しめてほんとに楽しかったと笑みを零す。
「こちらこそ、ありがとう。また、こんな山奥でよかったらぜひ来てみてくれぬか。
今度は寺名物の枯山水の祭りがあるからよければ皆で楽しんでほしい」
和尚は笑顔で石段を下る撃退士にお礼を言いながら見送った。