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閑静な住宅街だった。周りは緑に囲まれていて日当たりもいい。
放課後の早い時間に黒羽 拓海(
jb7256)と神谷春樹(
jb7335)は地図を見ながら依頼主の家を探していた。
唯・ケインズ(
jc0360)が先に集合住宅地の一角に眉村家をみつけてチャイムを押す。
程なくして現れたのは普通の容姿をした和樹だった。
中肉中背でどちらかといえば中世的な顔立ちをした優男である。
「――ありがとうございます。それでは中へどうぞ」
和樹はリビングに拓海と春樹と唯を招き入れた。
中を見渡すと小奇麗に掃除がされており台所も可愛い動物のプリントのついた調理器具が並べられていた。おそらく妹とガールフレンドのものに違いない。
まだ妹の春香は帰宅していないようだった。
部活があるので家に戻ってくるまでにはまだ時間がある。それまでに拓海と春樹と唯は今後の身の振り方について和樹と話をしておくつもりだった。
「単刀直入に言いますが、二人と同時に付き合う当人達が納得しているのであれば、法的に問題ないと思います」
春樹はソファから少し身を乗り出して喋った。
コーヒーを出した和樹はその言葉に少し驚いて手が震えた。
てっきりどちらかを選べと言われると思っていたからだ。
春樹は内心驚いている和樹をしり目に話を続ける。
「問題は倫理と世間体です」
少し厳しい口調で春樹は本題に入る。
和樹本人が「妹と恋愛する気がない」、「自分が付き合いたいのは優希亜だ」という2点を両者に伝えるしかないと口を酸っぱくして問いかけた。
「和樹様は春香様だけに想うこと。 優希亜様だけに想うこと。
きちんと伝えていらっしゃいますの? 春香様と優希亜様から逃げるばかりではありませんか? もしそうなら兄様としても恋人としても失格ですわ!」
唯も春樹に同意するように言葉を荒げた。
黙って聞いていた和樹は思わず唇を噛んで項垂れる。
「しかし、俺は二人を傷つけたくない……」
どちらも選べないから困っていた。もちろん、罪悪感はある。春樹のいうとおりにそれは和樹自身の問題だった。このままではいけないことは分かっている。
「知りたいのはどうやって解決したか、だろ?」
困っている和樹を見かねて拓海が助け船を出す。
ぱっと顔を上げてまじまじと相手の顔を見て次の言葉を待つ。
「単純だ。正直に自分の気持ちを伝えた」
拓海自身も幼馴染と義理の妹の両方で思い悩んでいたことを打ち明ける。
和樹にとって経験者からの言葉は身にしみる想いだった。自分のことを理解してくれる者がいたように感じて心が救われたような気がしてくる。
「参考にならん体験談ですまんが、要は二人をそれぞれどう見ているのか、それを考えて伝えればいい。 特に妹……家族なのか異性なのか、お前の好きはどっちだ?」
拓海が最後に問いかけて和樹は考え込んだ。
俺の好きは……
何か口に出そうとした時だった。
コーヒーを呑みながら思索を巡らせているとチャイムが鳴った。
「お兄ちゃん、ただいまー帰ったよ!」
元気な春香の声が聞こえてきて和樹はドアを開けに玄関に走った。
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「今日はお客さんが一杯だから早くご飯の支度をしなくちゃね」
春香はそう言って集まった撃退士達にお茶を振る舞う。
「有難うございます。それじゃ頂きますね」
平野 渚(
jb1264)と廣幡 庚(
jb7208)と佐野 博(
jb8593)は熱いお茶を息で吹きかけて熱を冷ましながらゆっくりと呑む。
「妹が兄様を好きなのはおかしいのでしょうか?
唯は兄様のことが世界一、大好きですのに」
唯は二人の睦まじい様子を見て自分自身のことのように思った。
「……愛。そんなに軽々しく言わない事」
渚も冷静に二人の様子を観察しながら今回の事件を思って決意を新たにする。
拓海のお友達が来ているということで春香は張りきっていた。
セミロングの肩までの髪に短いスカートをオシャレに履きこなしている今時の若い女の子だった。明るくて誰でも喋ることができる活発な印象な子だなと、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)はお茶を受け取りながら考える。
「包丁を振り回すだなんて、女らしくて可愛らしい妹さんじゃないですか。
身の丈が兄の1.5倍もあるわけでなし、得物として丸太を振り回すわけでなし、
一体何がそんなに不満なのでしょうねえ」
熱いお茶を啜りながら思わず思っていたことを口にする。
「こんばんはー、和樹君の大好きな今日はカレをー作りにきたよ」
柔らかい上品な声音が玄関の方から聞こえてきた。
リビングに入ってきたのは隣に住んでいる三田優希亜だった。
噂に違わぬ美少女の登場に思わずマステリオも見惚れてしまう。
物腰が柔らかくて所作がまるでお嬢様だった。
「今日はお客さんが来ているから、邪魔しないでよね」
優希亜の顔を見るなりあからさまに苦虫をつぶしたような表情を春香は浮かべた。
対して優希亜も先ほどの柔和な顔を強張らせて睨みつける。
すでに二人の目線の間で火花が散っていた。
空気が刺々しくなり思わずその場に居合わせた博も居たたまれずに席をはずす。
優希亜は笑顔を張りつかせて手に持った食材を台所に持ち込んだ。
手際良くじゃが芋の皮ををむきながら料理を始める。対抗するように傍で春香が皮をむき始めるが不器用なせいかすぐにガタガタになってしまう。
見かねた優希亜が文句を言いながら春香を責め始めた。
「あんたホントにやる気あんの? そんなもの食べさせられる和樹君が可哀そう」
「いちいちうるさい! あんたにお兄ちゃんの何がわかるっていうの!!」
包丁を互いに持ちながらいがみ合いの喧嘩を始める。
「隠し味はチョコレートでしょ、マヨネーズなんてありえない」
隠し味にマヨネーズを入れようとしていた妹とチョコレートをいれようとしていたガールフレンドがついに喧嘩を始めた。
「そんな不味いもの食べれるわけないでしょ! こうなったら究極の隠し味!」
春香は唾液を思いっきりカレー鍋にぺっぺと入れ始めた。
お兄ちゃんへの為の隠し味だった。負けじと優希亜も唾をたらしこむ。
「これ、私も食べるんだよ!? あんたの汚い唾をいれないで頂戴!」
二人とも目からハイライトが消えていた。
怒鳴り散らしながら和樹の名前を連呼していがみ合う。
「もう我慢の限界、消えてくれる?」
「いいわね、でも消えるのはあんた。そんなに好きなら刻まれて隠し味になったら?」
ついにブチ切れた春香と優希亜が包丁を片手に掴みあった。
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互いに包丁を振り回しながら取っ組みあいをはじめて、悲鳴を聞いて危険を悟った撃退士達が和樹とともに台所になだれ込んだ。
「落ち着いて、まず話し合いに包丁は止めましょう」
庚が両手を制しながら間に入り込もうとするが二人は血が上って言うことを聞かない。怪我人が出ないように何とか対処しようと警戒を強める。
「私は誰にも加担していません。
但し死人が出るのは避けたいのでこういう形をとっています」
邪魔を適宜しながら庚は巧みに刃の切っ先を互いにむけないように仕向ける。
だが、それでも二人はイライラを募らせて爆発した。
ついに二人が包丁を振り上げたのを見て春樹が間に入った。
振りかぶった包丁をわざと春樹が握りしめた。
その瞬間に春樹の手から鮮血が溢れだす。
「ほら、血が出てるでしょ? これは人の体だって切れる立派な凶器なんだから、相手を殺す気が無いなら喧嘩でこんなものを持ち出さないの」
「――――ひっ」
思わず青ざめた春香と有希亜が驚いて身を離す。
まさかの出来事だった。血を見て事の重大さを悟った二人が茫然とする。
まさか自分のせいで怪我人がでるなんて思ってもみなかった。
二人が茫然としている隙に拓海が二人から包丁を取り上げた。まずは落ち着かせるように二人をリビングのソファへと移動させることに成功する。
茫然としているのは和樹もだった。
二人がいがみ合ったのは紛れもなく和樹自身の責任も大きかった。
「まず和樹さん。貴方は誰でなく何が一番大切で目指す未来は何ですか?
それをはっきりさせて下さい。
遅疑逡巡の結果、貴方は結果的に刃傷沙汰を唆した最低男、
当事者は犯罪者と被害者いう全員が不幸になる未来もありえるんですよ」
言葉を失くした和樹に畳みかけるように庚が言葉を綴る。
「あとそれぞれのご両親との『戦闘準備』は整っているんですか?
ご両親の同意を得られる事の方が難問ですよ。
大切な家族を傷つけた人が相手や肉親にいるという結果になったら、
絶対同意しないでしょう」
その通りだった。うなだれたまま声が全く出てこない。
「……君は何かを失いたいの? 優しさは時に残酷。それを理解している上でその態度なら許容する。選択は必要?どちらも大切ならどちらも大切にすれば良い。違う?」
渚の言葉が胸にしみる。自分のせいで二人がこんなことをするなんて。
自分がはっきりしないのがよくなかった。もっと早く言っていれば――
和樹は後悔で胸が詰まる。
「次に春香さん、優希亜さん。喧嘩は許容範囲ですが、
傷害に至った結果、和樹さんが、
引き続き貴方たちを好きだと言ってくれる未来が想像できますか?」
「……好きな人を困らせて、君は何がしたいの? 自分が選ばれたとでも思ってる? 選んでもらってる、それだけ」
庚と渚が事件を起こした二人に向かって話しかける。
「愛を感じているなら、それは無償であるべき。そうでないならただの独占欲。君は何がしたい。何を以て好きな人の傍に居る。私だって、あの人の傍に居たい、のに――」
春香は言葉を失くしていた。
大切な人を傷つけてまで独占するのはよくない。
「自分のせいでお兄ちゃんが」
春香は言葉を漏らして力なく頭を垂れる。
自分のエゴで皆を傷つけた。
そんな自分じゃ絶対にお兄ちゃんに愛される資格なんてない。
「唯も素敵な兄様がおりますの。
世界一のとーってもとーっても素敵な兄様なのですわ♪
そして。 妹として何を一番に願うか……それは兄様の本当の幸せ。
兄様の心からの願いを、幸せを。……例えそれが唯にとって、
ツラいことだとしても……心から感じ取れるのは兄様が唯の、
特別だから。春香様はそう、思いません?」
唯の言葉に春香は決意を固めていた。
いつの間にか優希亜と対抗することに夢中でお兄ちゃんの大切さを考えていなかった。
「――ごめんんさい。私が間違っていた」
春香の口からついに謝罪の言葉が漏れた。
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春香が優希亜と兄に向って謝罪をして事件が良い方向に向かい始めた。
「私も、春香ちゃんたちに悪いことしたわ。ごめんなさいね」
優希亜も心底後悔しているようだった。
止めに入って怪我をした春樹のことも心配そうに伺う。
だが、春樹はそれほど大事にはなっていなかった。
もともと浅い傷だったうえにすぐに庚が密かに治療を行っていた。
包帯を巻いているが傷がそんなに大したものじゃないことを伝えると二人とも安堵する。
「妹が兄と結婚するのは、無理なものは無理だ。無理を通そうとして嫌われるより、 あえて兄の交際を認めることで、妹として最大限かわいがってもらう方が得だと思う。
兄の交際を認めるのであれば、その代わりに妹として最大限かわいがってもらえるよう交渉してもいいんじゃないか?」
マステリオはそう慰めの言葉を掛けながら反応を待つ。
和樹は決意を胸にしていた。
もう誰も困らせるわけにはいかない。
春香も有希亜もこの場にいる撃退士全てが固唾をのんで見守っていた。
「俺は有希亜と付き合いたい。でも、だからといって春香のことを蔑ろにするわけじゃない。春香とは血のつながった兄妹だ。結婚はできないけど、いつまでも大切にして仲良くしていきたいと思っている」
兄の決意の言葉に春香がこくりと同意の頷きを見せた。
傍で見守っていた優希亜もほほ笑む。
「あれは交換条件にならないよね。今までだって最大限可愛がって貰ってるだろうし。でも、恋愛関係になるならそんな風に可愛がって貰う事は無くなるよ。本当にいいの?」
マステリオの言葉を受けて春樹が最後に春香に念を押す。
「俺の義妹曰く、振り向かせる自信があるなら恋敵を排する必要なんて無い、だそうだ。他人の足を引くより、眩い魅力で虜にするのがいい女なんだと。
互いに認めて、自分に振り向かせるように競ったらどうだ?」
拓海達の言葉に二人とも顔をはっと上げて不敵な笑みを浮かべた。
その姿を見て和樹はぞっと背筋が凍る。何かよくない予感がした。
「言っとくけど、あんたのことを認めたわけじゃないからね」
「私も妹に認められたいと思ってませんから」
春香と有希亜はまだ互いに攻撃を繰り返していた。
荒療治の御蔭で一時の嫌悪感は削がれたもののまだまだ仲良くするには時間がかかりそうだった。二人はカレーを早速和樹に食べて貰おうとスプーンであーんを迫る。
「わたしのカレーがおいしいよね、和樹君?」
「お兄ちゃんは、わたしのカレーだよね?」
二人に迫られて逃げるように自分の部屋へと階段を駆け上がっていく。
「いや、今日はお腹の調子が……」
和樹は困惑したように部屋に戻ったが二人は追いかける。
「やれやれ、モテる男はつらいな」
まるで他人事のように言いながら拓海はその場を後にした。