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町の外れにある人寂れた映画館は時を止めていた。壊れた椅子が散乱している。唯一剥がれかけたセピア色のポスターが昔の名残を残していた。
暗闇の館内は静けさに満ちてもう二度と賑わうことはない。
スクリーンは何も映し出さない。
かつて人々はそこに何をみたのだろうか。
今となっては知るすべもない。
永遠に空白のままだ。何も語らずにじっと潜んでいる。
ただ最後の誰かの訪れを待っているかのように。
「――想っても現実は変わりませんの」
赤い切れ長の瞳をスクリーンに向けて紅 鬼姫(
ja0444)は呟いた。館内に入った時から何やら嫌な胸騒ぎがしていた。端正な顔つきが今は無表情に曇る。嫌でもあの時を思い出しそうになってぐっと我慢するように鬼姫は細い脚で地面を踏みしめた。
「いやな悪寒しかしないな、この場所は」
長い髪を描き上げながらCaldiana Randgrith(
ja1544)も入り口から中の様子を伺う。あまりに深い闇の向こうに吸い込まれそうな気がする。不安と恐怖が入り混じるが、それでも鬼姫の後に続いて劇場の中へと侵入した。
「夢でもしあえたら……すてきな事……ね? ……ですねぇ」
ふと何か思い出したように黒瓜 ソラ(
ja4311)は口ずさむ。これから恐怖の闇の中へと入っていく甘い罠の中で自分はいったい何を見るのだろうか。
「ここには思い出しかないのかもしれない」
Erie Schwagerin(
ja9642)の赤く染まった髪と服までもが闇に覆い尽くされていた。まるで全ての現実を夢に呑み込んでしまうようにエリーの身体を包囲していく。
「壊れた廃墟か――まるであの時のようだ」
天宮 佳槻(
jb1989)は思わず息を飲み込んだ。あの時の記憶が突然フラッシュバックとして浮かび上がってくる。目の前の廃墟が記憶を急に鮮明に蘇らせようとしていた。
「深い闇の向こうには何が待っているの?」
うらは=ウィルダム(
jb4908)は闇の中で怪しく光る白スクリーンに目を奪われていた。まるで何かが自分を招いているような気がしてならない。
「それは、夢の様ですね。えぇ、夢です……わかっております」
まるで誰かに問いかけるようにイーファ(
jb8014)は呟いた。そっと優しくその小さな胸に手をおいてこれからやってくる夢に備えて目をつぶる。
「ただの、自己満足ですけどね」
城前 陸(
jb8739)はしっかりとした足取りだった。事前に神秘の衣を纏わせてすでに準備を整えていた。あとは覚悟を決めて自分のことをなすだけだった。
スクリーンの後ろに潜むのは黒ベールを纒った男だ。表情は一切フードが邪魔をしていてわからない。ただ手元に大きな水晶球を手にしていた。すぐに撃退士達が親友してきたことを知って暗い幻想の闇を放ってくる。
撃退士達は残らず全員が闇の夢想の中へと入り込んでいった。
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紅い満月が闇に浮かんでいる。黒羽が空に向かて散る。
辺りにはまるで雨が降った後のような血溜まりができていた。
無残にも殺された死体が無数に転がっている。
鬼姫が呆然と立ちつくす。
「……殺意が……足りませんの……そんな生ぬるい愛。……黒羽はくれませんの」
鬼姫は熱くこみ上げる物をその紅い目に宿していた。
もう動けなくなった黒羽を見て鬼姫はどうすることも出来ずにいる。
先ほどのやりとりを思い出して堪らず鬼姫は膝を着いて崩れた。
「貴方を……いただきに参りましたの……」
鬼姫は黒羽に向かって告げた。
「識ってる。この首を取れと雌狐に言われたんだろう? だが、お前には無理だ」
黒羽は笑った。もうなにもかも知っているというように。
彼の言うとおりだ。今の鬼姫には彼を殺すとは決してできない。
なぜなら鬼姫は貴方のことを――
その時だった。他の方から鋭い銃声が聞こえた。
何が起きたのか分からなかった。
気がついた時は目の前に大きな背中が見えた。
「……どうして……?」
「お前以外には殺されてやらん。そして……俺はお前を殺さねぇよ」
黒羽は腹に銃弾を受けて血を流していた。
大量に流れる赤い迸りが瞬く間に鬼姫の身体にも伝わってくる。
「……鬼姫は、貴方にっ」と叫ぶと同時に抱きしめられる。
「一緒に、逃げてやるよ……どうだ?」
怖ろしい笑顔で彼は答えた。すでに死によってどす黒く変色している。
鬼姫は正気に帰った。もう彼の呪縛から解き放たれるために。
刀を振りかぶって最愛の人の首筋に刃を突き刺した。
「けっ……やっぱ出てくんのか、この堅物」
キャルはそう呟いた。夜の廃れた教会に立っていた。
目の前にはいかにも厳しそうな黒い肌をしたシスターがいる。
かつての上司であり、姉であり、相棒だった。
何かと口うるさく言ってくる教育係兼お目付け役。
「こんな所で何をしているのです? 早く部屋に戻りなさい!」
シスターは口うるさく迫ってくる。
「かぁ〜っ、死んだ後まで説教かよ。勘弁してくれや。てめぇの小言貰いに来たわけじゃねえんだっての!」
キャルは叫んだが、目の前のシスターは全く聞き耳を持たない。キャルの腕を強引に掴んで闇の向こうへと引きずり込もうとしてきた。
まるで引き千切らせそうだ。壮絶な痛みにキャルは叫ぶ。
「Auf Wiedersehen meine Kameradin 次に会うのは、もちっと後になる。それまで、ゆっくり寝てろや」
キャルはシスターに向かって強烈な拳を繰り出す。
その瞬間、シスターの顔面が潰れて盛大な真っ黒な血飛沫が吹き出した。
「……あぁ、やっぱり、『貴方』ですか」
真っ白な空間に、椅子二つある。
その一つに、老齢の男性が一人腰掛けていた。
背筋は伸びていて、とても老齢には見えない力強さが伺える。
「こんにちは……『おじいさま』」
ソラはようやくその一言をどこか諦めたような口調で老人に放った。
老人はしばらく何も喋らなかった。まるで向かい合っている老人はソラの心を見透かしたように真っ直ぐに見つめ返す。次第にソラは沈黙に耐え切れなくなった。
「それで……何か仰らないので?」
「何かを言うのは簡単だ。だが、君は今の私がそれを言うのは望んでいない」
老人はそれだけを口にした。相変わらず微動だにせず瞳だけを見つめてくる。
ソラは金縛りにあったように何も返せない。
「何故なら、あくまでも私は『君が想像した私』だからね」
ようやく老人は口元を僅かに動かしたように見えた。何かを考えるようにゆっくりとまばたきをすると再びしわがれた言葉を紡ぎだす。
「それでも、何か言って欲しいなら、何か言葉を並べようか?」
「結構です」
「そうだろうね」
「ボクは、貴方が嫌いです」
「知ってる」
「ボクは、貴方が大嫌いです」
「あぁ」
「ボクは、貴方と……一緒に過ごして……みたかった」
不意にソラの目頭が熱くなった。言葉が震えて満足に喋ることができない。このままではおかしくなりそうだった。自分が自分でいられなくなりそうな恐怖に陥る。
「もう、行きますね」
ソラは何かを振り切るように席から立ち上がった。
「あぁ、行ってらっしゃい」
「……行ってきます……おじいさま」
白が、割れる。
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「学園はどう? うまくやってる?」
長い豊かな髪に黒い瞳の落ち着きを持った女性だった。目の前に母が現れた瞬間に、エリーの心の奥底に眠っていた感情がかき乱される。
昔住んでいた自宅の酒場だった。アルコールの臭いがどこからか漂ってくる。あまり明るくないオレンジ色の照明に一匹の蛾が舞い込んできていた。
「これが話にあった幻覚。ってことは……久しぶり、ムッター」
エリーは目の前の母親に挨拶をした。だが、母親はそんなエリーの言葉を不審にも思わず次から次へと世間話を繰り出していく。エリーは懐かしさにこみ上げながら一つずつ相槌をうって母が述べる話題に身を任せた。
「――ふふふ、そんな事を気にして。本当にこの子は。あなたの名前は?」
母親が突然話題を変えていたずらっ子のように問いかける。
「え? ……エレノア……」
エリーは戸惑いながら母の問に返す。
「そう、エレノア。「光」と言う意味よ。だから、仇討なんて陰気なことせずに、目一杯輝いてちょうだい――」
不意に心の内を見透かされた。母親はずっとエリーのことを心配していた。敵討の葛藤に囚われているエリーの呪縛を解き放つために。
母親は椅子から立ち上がってどこか暗い場所へと行こうとする。
「時間ね。名残惜しいけど、お別れよ。身体には気を付けるのよ? 姉妹喧嘩は程々にね。それと――」
「言われなくてもわかってるわよ。大丈夫。もう、大丈夫」
「そう。なら、言う事は一つね……いってらっしゃい」
「うん。行ってきます――」
エリーが返した瞬間には、もうそこには母親の姿はなかった。
焼け落ちた施設には残骸しか残っていなかった。
人が焦げたような鼻をつく臭いがどこからかしてくる。不意に佳槻の目の前に三十代と思える眼鏡をした男性教師が現れた。どこにでもいる特徴のない顔をしている。
「あの子達を逃がす為に他に方法はない。 君はゴミなんかじゃない、賢いいい子だからわかってくれるね。 だから、皆を助けてくれるね? 私は君を信じているから」
教師は能面のような笑顔で佳槻に問いかけてくる。
あまりの白々しい台詞に佳槻は気分が悪くなって吐きそうになった。
「相変わらずですね……当然か。もう死んでるんだから」
ようやく収まった佳槻は睨みつけるように教師に向かって言った。
彼が上辺だけで喋っているのは明白だった。自分は、確かにその時、そう言われて初めて人と認められたと思った。
でも、今なら解る。
先生はポーズを取っていただけ、僕はそれを認めたくなかっただけだ。
佳槻は教師の幻に向かって武器を突きつける。
僕は後悔していたのかもしれない。
価値のある人達が死んでゴミの自分が生きた事に。
だから、人として生きる事も後ろめたくて、 少し前ならその言葉に従ったかもしれないけれど。でも、今は自分が果たしたい約束がある。だから……。
「さよなら、先生」
武器を切りつけた同時に教師の姿が霧散した。
僕は全ての過去と一緒に、これからも生きていく――
白、見渡すばかりの白、白、白。
白い、真っ白の空間が地平線の向こうまで広がっている。
穢れ無き世界にはたった三つ、うらはと白いベンチ。
そしてベンチに座る、黒髪の少年が一人だけ。
うらは懐かしさに襲われて胸が苦しくなる。
少年はずっと笑っていた。うらはもそれを見ているが嬉しくて、知らないうちに自分もとびきりの笑顔を向けていた。もっと彼の笑うところを見ていたい。
良いユメだった。
もう二度と見ることは叶わないと思っていた。
だけど――
ごめんね。
今、私の隣には、泣いたり、照れたり、落ち込んだりする人が居るんだ。
うらはは懺悔する。少年の顔をまともに見ることがもうできない。
過去の君はもう笑うことしか出来ないけれど、今居る誰かは笑う以外の顔も、私に見せてくれるん
――
「久しぶり。会えて嬉しかったよ」
たった一言だけうらはその少年に向かって呟いた。
うらははベンチから腰を上げ、まっすぐに歩き出す。
もう戻れない。それでもやっぱり。
少しだけ離れて、未練がましく後ろを見た。
彼は、少しだけ泣きそうな表情で、でも笑ったまま見ている。
最初の時と同じように彼はただ笑顔で手を振ってくれた。
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「お父様、この木は? この花は?」
優しい父の背中を追いかけながら野原を駆け巡る。イーファは初めて見る草花に好奇心を向けながら心が踊るような気持ちで父と一緒に過ごしていた。
優しく答える父、嬉しそうに微笑む娘。
覚えていたかった優しい時間だった。
実際にイーファはその場面を記憶としては持ち合わせていない。
後で聞いた話から作り上げた想像だった。
それでも幻想の中の父親はまるで生きているかのように活き活きとしている。父が私達に優しくあったからこそ、母は、私は人を憎まずに生きられたのだ。
イーファはそう思わずにはいられない。
「すまない」
父は自分と同じ瞳の色で突然謝ってきた。
イーファには父が何を言おうとしているのかが手に取るようにわかった。
最愛の娘を、ハーフなのに天使であるが故に、人の世界で生きてきたのに同族殺しへの道を歩ませる故に苦しんでいた。
「いいえ」
穏やかに笑って答える。
決めたのは私。動いたのは私。
私は、私をこの世界に存在させてくれた貴方達に恥じぬよう生きる為に戦います。
だから心配しないで――
イーファは武器を振りかぶって父の幻影を切り裂いた。
薔薇の咲き誇る庭園の一角に佇んでいた。
優しそうな瞳を持つ青年が陸に向かって喋りかけてくる。
兄と慕っていた4歳年上の忘れもしない人。
ベンチに座りながら彼と話していると自然にこちらも笑顔になった。
彼といるといつも楽しかった。こちらがしゃべり、彼が茶々を入れ、笑いあう。そんな繰り返し。 会話が終わり、しばしの沈黙が訪れる。
「リクは、これからどうするんだ?」
不意に彼が陸に向かって問いかけてきた。
思わずそのまますぐに返しそうになった。
またあの時と同じように「ずっと待ってる」と――
だが、陸は寸前でその言葉を飲み込んだ。
「貴方には今でも未練の気持ちでいっぱいだよ。
でも、貴方の思いを果たすためには、ここで立ち止まるわけにはいかない。
だからボクは……私は先に進みます」
陸は思いを振り切るようにして立ち上がる。
青年はただ何も言わず陸のことを見守っていた。
陸が泣き出しそうになっているのをあえて気づかない振りをしながら。
笑顔で口だけを動かして最後の言葉を告げる。
――さようなら
館内に解き放たれた幻影は次々に撃退士達によって破かれた。すぐに目を覚ましたエリーがまずは星の輝で館内を明るく照らしだすと黒のベール男がいた。
男は止む終えないとばかりに火炎弾を放つ。だが、うらはが皆の前に立ちはだかって仲間を火炎弾からシールドで守る。だが、キャルが攻撃を受けてしまう。
陸は傷ついた仲間をすぐに回復させて支援する。
キャルがソラと協力してお返しに男に弾幕の雨を降らす。
「グアアアアアアア!」
ベールの男は陰に隠れようとしたが、不意突かれて頭を撃ち抜かれた。
男は撃退士達に反撃の火炎弾を放つが、 鬼姫が刀を振りかぶって間合いを詰めると頭からベールの男を容赦無く切り裂いた。
「有難う御座います。素敵な夢を見せて頂いて」
イーファはトドメに男の首を撃ちぬいて静かに息の根を止める。
古びたスクリーンは再びただの元の白い幕に戻った。