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辺りはすでに日が暮れていた。周りは住宅街が立ち並び、帰宅するサラリーマンやOLが時折通り過ぎて行く。新庄良昌は今日も残業で帰宅が遅くなっていた。
良昌のスーツは大分くたびれていた。
妻が生きている時はいつもアイロンや洗濯がきちんとなされていた。
良昌は亡き妻のことを考えて辛くなる。
最近の仕事の疲れと娘の愛実のことで頭の中は終始穏やかではなかった。
一時も心やすまる時がなくていつ怒りが爆発してもおかしくない。
せめて愛実が元のように清楚で可憐に戻ってくれさえいれば。
そして一緒にお風呂やベッドで横になってくれさえいれば癒やされるのに。
あいつさえいなければ――。
良昌は愛実の付き合っている不良彼氏の秋庭翔を思い出して握り拳を作る。
愛実が付き合っている金髪リーゼントの不良だった。今度会えばただでは済まさないと追い返していた。自分を苦しめている全ての元凶だと思えてならない。
「新庄良昌さんでいらっしゃいますか?」
背の高い厳しい精悍な顔立ちの男が良昌の前に立ちはだかった。
不二越 悟志(
jb9925)は警備員の服装を纏っている。有無を言わさない口調に一瞬、良昌も心臓が止まりそうになった。自分はなにか悪いことをしたのかと冷や汗である。
「娘さんの愛実さんのことで話があります」
警備員の横にいる霧島 零時(
jb9234)が穏やかな口調で語りかけた。思わず良昌は娘が何か事件を起こしたのではないかと心配になったが、零時がそうではないと説明する。
愛実が父親を何とかして欲しいと頼んできたことを零時は伝える。
「娘さんを大切に思うこと、そのことに関しては僕は何も言いません。むしろ、成長を見守ってあげるくらいの気持ちでいることも必要なのではないでしょうか?」
良昌は事件ではないことにまずは安堵した。だが、見ず知らずの人間に親子の仲に首を突っ込まれるのは流石に不愉快だった。
「すまんが、君たちには関係ない。とにかく今日は帰ってくれ」
良昌は悟志と零時を冷たくあしらって家の玄関に足早に入って行こうとする。
「僕の話を聞いてくれませんか?」
悟志は良昌の前に躍り出て訴えた。
何かを言おうとする良昌の口を遮って悟志は訴えるように声を絞り出す。
「僕には中学生の妹がいます。 妹がまだ小さい頃、両親を亡くしましたので僕が面倒を見ました。 ご飯を作り、妹と一緒に寝たり、お風呂に入ったり、トイレに付き添ったりもしました。 中学生になると『お兄ちゃんキモイ!』と避けられて……。どうしてでしょう?
亡くなった両親がこの状況をどう思うか……」
悟志は良昌の目を見ながら言葉を丁寧に紡いでいく。もちろん、これは父親を説得するための作り話だった。それでも真実に見えるように気持ちを込めて喋る。
良昌も真剣な悟志の言葉に耳を傾けた。見ず知らぬの者だと思っていたが、どうやら自分と同じ境遇で悩んでいるということで親近感を妙に覚えた。いつしか悟志と零時に向かって良昌は今までの不満をぶつけ始めていた。
「でも、愛実さんはあなたの妻ではありませんよね?」
零時は良昌の考え方に釘を刺す。エスカレートして見境がなくなる癖を指摘して、良昌が妻と娘を混同してしまっているのではないかと問いただす。
「確かに……だが、愛実がいなければ俺は生きてられないないんだ」
良昌は振り絞るように言葉を出す。心の中でどうやら葛藤しているようだ。良昌自身もどうにかしたいと思いつつもどうにもできない状況を話した。
「亡くなった奥さんが、今の親子の現状を見たら、どう思うでしょう? 天国で悲しんでいると思いませんか? 娘さんが大事なのはわかりますが、奥さんのことも考えてみませんか? 僕も他人のことは言えませんね。 両親のことを考え、妹との接し方を少しでも変えるようにしてみます。話が長くなってすみません。自宅までお送りします」
悟志はそう言いながらうつむく良昌を自宅まで送り届ける。
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「……夜分に……失礼を……此度は、ご同行の、許可を……ありが、とう……ござい……ます……」
寿 誉(
jb2184)が穏やかに二人の前に出て挨拶をした。父親の良昌が帰ってくるまで部屋に上がらせてもらって事前に話をさせて貰えることになった。
新庄愛実が気丈に振舞っているのに対して、不良彼氏の秋庭翔の方は終始何か落ち着かない様子でいた。今すぐにも帰りたい様子が明白に見て取れる。
誉はまずは部屋の掃除を申し出た。家の中は先日の言い争いで滅茶苦茶に散乱していた。こうも汚れていては話し合いも満足にはできない。
早速着物の腕を捲くって掃除機を手にするとテキパキと取り掛かった。
対して翔は面倒事が嫌だとはっきりと顔に出ていた。おまけに面倒くさい父親と話をしなければならないかと思うととても我慢ならない。
「俺、ちょっとトイレ」
秋庭翔は口実を見つけて部屋を出ようとした。今ならまだ父親も帰ってきていない。今のうちに帰ろうとして翔は後ろから誰かに呼び止められた。
「ねえ、もう帰っちゃうの?」
ツインテールの髪を揺らした姫路 ほむら(
ja5415)が翔の袖を引っ張っていた。何するんだと引き剥がそうとして翔は息を呑んだ。
上目遣いでほむらが大きな瞳を潤ませていた。
思わず翔は振り上げていた腕を引っ込めて正面からほむらの顔をまじまじと見る。
好みのタイプの女の子だった。それもかなり可愛い。
翔は唾を飲み込んだ。翔はこう見えても顔が良い女には目がない。もちろん、愛実には内緒だが他に付き合っている女はどれも美人ばかりだった。
だが、目の前にいる女はその誰よりも整った顔立ちをしている。
「……私にも翔さんのような人がいたら」
ほむらは突然翔の腕を掴んで泣き崩れた。
翔は優しくほむらの身体を抱きとめて彼女が語る内容を真摯に受け止める。ほむらは自分も父親に亡くした母親の面影を重ねられて育って苦しんだことを打ち明けた。
この想いが満たされるためには翔の力がどうしても必要だと訴える。すっかり信じこんでしまった翔はほむらを連れてゲームセンターにプリクラを撮りに行った。
「俺が好きなのはほむらだけだ。俺と付き合おうぜ」
「でも、他にも付き合っている女がいるんだよね?」
「全部別れる。だから俺と付き合え」
ほむらは迫ってくる翔をやんわりと制しておあずけを食らわす。
「翔さんには愛実さんがいるのに悪い子だな……こんなの初めて」
ほむらはその瞬間、勝利を確信した。
まるで恋人同士のように振る舞って、キスをするような写真を撮らせる。
そして密かに会話を録音してほむらは陰でほくそ笑んだ。
「ごめんね、家に忘れ物しちゃったから取りにもどらなくちゃ」
ほむらは頃合いを見計らって翔とともに新庄愛実たちが待つ家へと戻る。
一方家で待っている愛実はあからさまに不満をぶちまけていた。取り付く島もなく地父親に対する嫌悪の数々を吐露する。これには流石の誉も口を挟めない。
そこへ話し合いを終えた父親が帰ってきた。
部屋の中は張り詰めた空気が流れる。
父親と目があった瞬間に、愛実はキッと目を吊り上げて側にあった枕を投げつけた。
「おい、やめろ!」
それまで部屋の隅で黙っていた黒夜(
jb0668)が声を張り上げた。ラファル A ユーティライネン(
jb4620)も、急いで愛実を後ろから羽交い締めにして押さえつける。
二人がかりで暴れようとする愛実を取り押さえた。対する良昌もやり返そうとする。
「……如何な、理由が……あれど……大人が……子供に……手を上げる……べき、では……ありません……今一度……頭を……冷やされた、方が……よろしい……かと……?」
誉に諭されて良昌はすんでの所で止まった。平生を保つために、誉が皆に持ってきた金平糖を配った。甘い糖分を口にして両者とも落ち着きを取り戻す。
良昌の方は先ほど零時達が話をしたおかげもあってすぐに我に帰った。それでもやはり娘の顔を見た瞬間に翔のことを思い出して気分が悪くなったのである。
「大人しく俺の言うことを聞いたらどうなんだ?」
「いやよ、絶対彼氏とは別れないし一緒にお風呂には入らない!」
二人の言い分が平行線を辿るのを見て黒夜が間に割って入る。
「父さんとお風呂とかトイレは小学校に上がる前に卒業しましたよ? 娘持ちの従兄(本当は息子)も小学生で一緒のお風呂は卒業だーって言ってましたし。トイレは幼稚園に入って少しして一緒じゃなくなったって。高校生の娘さんと風呂やトイレに一緒に入るとか変態みたいじゃないですか。間違ってるのは貴方だと思いますよ」
まずは娘の肩を持つようにやんわりと父親を制した。本当はもっときつい言葉で叱りつけたかったが、ここで激昂させてはよくないと言葉を慎重に選ぶ。
良昌は黒夜に変態と呼ばれて口を噤んでしまった。
「……娘を嫁さんと一緒にすんな。子供は親の人形じゃねーんだ。嫁さんは嫁さん、娘は娘。別人なんだよ。今のおたく、娘に嫌われてもしょうがねーぞ」
はっとして良昌は膝から崩れ落ちた。
忘れていた。自分は真っ直ぐに娘を見ることができなくなっていた。
「父親とどうなりたいの?」
ラファルは愛実に先ほど二人で話していたことを思い出させようとした。昔は母親がいなくて寂しい思いをさせないと頑張っている父親が好きだった。
本当は昔の父親に戻って欲しい――。
それが愛実の偽りならぬ真実だった。
休日はいつも自分のために尽くしてくれた。だが、最近になってやたら良昌が自分を母親と混同している言動が目につくようになる。
愛実は悲しかった。結局は自分は父親にとってお母さんのかわりでしかないのだと。
自分はあくまで自分だった。ちゃんと自分のことを見て欲しかった。
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「こいつの証拠をがっちり掴んできたわよ」
ほむらが翔と帰宅して皆の前に現れた。翔は突然のことに慌てる。ほむらはそんな翔を無視してすぐに今までのやりとりを記録した音声と物的証拠を皆の前にさらけ出す。みるみるうちに愛実の顔が青ざめた。
翔が他の女4人と付き合っていること。
それに、さらにまたほむらとも関係を迫ろうとしていた動かぬ証拠だった。
「人は見た目じゃないって言葉、嘘だよな」
黒夜が冷たく言い放つ。厳しい目で翔を睨み付けた。
「これはどういうことなの!?」
愛実は翔に詰め寄って胸ぐらを掴んだ。
「あっ、えっ……これは……だな」
はっきりとしない翔に向かって愛実が手を振り上げる。今度は誰も止めようとしない。その瞬間に盛大に翔は愛実に頬を叩かれていた。
殴りつけられた反動で翔は壁にぶつかって鼻血を流す。
「すみません……彼女の前では、どうかと思ったのですが、あなたは彼女の気持ちを弄んだ。僕にはそれが許せない……!」
普段は穏やかな零時も黙って翔をこのままにしておくわけにはいかなかった。
やり返そうとする翔を力ずくで締めあげて悲鳴を言わせる。
翔は強面の悟志が別室へと連れて行った。ようやく親子が互いへの素直な気持ちを現した所で邪魔が入るわけにはいかなかった。悟志はきっちりと翔に正義の鉄槌を加える。
「人を大切に思うというのは、気持ちの押し付けではありません。互いのことを理解し合い。支えあうことなのだと僕は考えています」
ようやく静かになった部屋でまず零時が話を切り出した。
素直になれたがお互いの気まずさから何も言わずにいる二人に向かって易しい言葉をかかける。せっかく血の分けた親子として育ったのだから絶対に分かり合えるはず。
「二人とも、お互いに謝ってください。過剰に干渉し合いました。それが互いの思うという形であってもです」
愛実と良昌が互いに頭を下げた。
二人とも自分が間違っていたと「ごめんなさい」を言う。
愛実の目からは涙が溢れていた。良昌も肩を震わせて言葉が出てこない。
「俺は何でお前ら親子が仲違いしてたのかよくわかんねーよ」
状況を見守っていたラファルがぶっきらぼうに言った。不貞腐れた物言いだが、台詞の所々に嬉しさが混じっていた。ようやく今までの話し合いが報われたと安堵する。
だが、まだまだこれからだった。
互いへの疑念が晴れたとはいえこれで全てが解決したわけではない。
これからも二人には困難が待ち受けている。
母親がいない生活は今後もなにかしら困難が訪れるだろう。
「二人共……幸せに……なって……ほしい……ですね」
誉は抱き合う二人の姿を見てそう思わずにはいられなかった。