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深い森の奥は木々が鬱蒼と茂っていて溢れ日が僅かに覗いていた。
小鳥の囀りや美しい野の花が至る所に咲き誇っている。
鹿や狸といった野生の動物達が時折目の前を足早に通り過ぎていく。
本来は人間が入ってくるような場所ではない。深い藪や小枝に足を取られないようにして目的の柚木菜々子が囚われている場所へと近づいていく。
敵が作っている幻影のお菓子の家はもうすぐだ。
「瑠璃、緋音、無茶はしないでね? 瓜生さん、二人をお願い」
春名 璃世(
ja8279)は心配そうにその緑色の目を顰めた。今日この依頼に来ている仲間は皆気心が知れている大切な仲間たちだった。
普段の依頼よりもずっとその分頼もしい。だが、大切な双子の妹や大親友が心配なのは言うまでもなかった。両手を広げて豊かな胸に二人を順番に抱きしめる。
「任せて下さい。絶対に無事に帰してみせますわ」
瓜生 璃々那(
jb7691)は笑顔で答えた。他なる璃世に頼まれたとなっては絶対に二人を危ない目にみせるわけにはいかない。胸を張って得意気に手を上げてみせる。
「大丈夫だから、そっちも十分に気をつけて」
春名 瑠璃(
jb9294)は苦笑しながら姉のことに気を遣った。双子の姉妹同士お互いに考えていることはなぜか同じだ。妹の瑠璃も姉の璃世が無茶をしないか心配だった。あまり言い過ぎると逆に心配されすぎてしまうので控えめに言う。
「もう、全く心配症なんだから――でも嬉しいよ」
御崎 緋音(
ja2643)は大親友の言葉に優しく受け答えする。
戦闘前に思わず微笑んでしまった。これから過酷な闘いが待っている。
その前に緊張が少しほぐれて緋音は璃世達の存在に心から感謝した。
「微笑ましい光景だな。話し合いが済んだらそれじゃ行くか」
ロベル・ラシュルー(
ja4646)は璃世が二人を抱きしめているのを後ろから温かく見守っていた。その間も周囲から敵が襲ってこないか気を張ることも忘れずにいたのは言うまでもない。そろそろ頃合いと見て作戦開始を告げる。
「罠や不意打ちに気をつけて進みましょう」
山里赤薔薇(
jb4090)は先頭に立って皆に警戒を促す。早くしないと柚木菜々子がディアボロの餌食になる危険があった。昔、自分が憧れたこともあるお菓子の家にはちょっと興味があったが、そんな女の子の夢を利用して襲うディアボロは許せない。
「あま〜い香りは乙女の誘惑、だね☆ でもでも怖い狼さんは早く退治しちゃわないとだよ」
スピネル・クリムゾン(
jb7168)も赤薔薇に頷いた。楽しく鼻歌を歌いながらでも進んでいきたい気分だったが周囲には十分気をつけなくてはいけない。赤薔薇の言葉を受けてしっかりと辺りを気にしながら皆に歩調を合わせる。
「皆気をつけろ! 何か気配がする」
神谷春樹(
jb7335)が不意に声を上げた。その時、周囲の木々の合間から微かに何かが動くような気配を感じた。春樹は警戒して銃を取り出して構える。慎重に姿勢を低くして移動すると目の前に甘い匂いを放つお菓子の家が現れた。
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お菓子の家は甘い蜜を放っていた。家の屋根はクッキーの板でできていて、金平糖が眩してあって太陽の光でキラキラと輝いている。
家は等間隔にちょうど5つ並んでいた。家と家との間はそう遠くない。
春樹は最大限に注意を払う。すぐそこに敵がいる可能性が高い。
「でも、美味しそう……」
壁はチョコレートの板で出来ていた。あまりにも美味しそうな光景に思わずスピネルが食べたくなる衝動に駆られるがぐっと我慢する。
窓硝子は透明な蜜飴で出来ていた。中の様子はここからでは伺えない。
璃々那は皆に臭いのする「茶フ」を散布していた。その臭いに惹きつけられたのか、何かがやってくる物音が聞こえてきた。
その時だった。草場の陰から大きなピエロが現れた。大きな玉をジャグリングしながら見つけた撃退士達に向かって一目散に攻撃を仕掛けてくる。
緋音はピエロに向かって射撃をして援護した。
強力な包囲網の射撃の弾幕に敵はそれ以上前へと進むことが出来ない。
ピエロは逃げるように方向転換をして璃々那の方へ追いやられる。
璃々那は十分に敵を引きつけて武器を握りしめた。直前まで迫ってきたピエロの足に目がけて強烈な一撃をお見舞いする。
春樹は素早く身をこなすと態勢を崩しながらピエロの玉を避けた。地面すれすれに身体を寝かせながら双銃の照準をピエロの頭に据えて狙い撃つ。
ピエロは一瞬判断が遅れて春樹の弾丸に撃ちぬかれた。驚いたピエロが次々に仲間を呼び寄せる。瞬く間に周りに四体のピエロが撃退士達を取り囲んだ。
「ぐずぐずしてはいられない。纏めて全部相手してやる!」
ロベルは近くにいたピエロに突進した。ブレイドの柄を強く握り締めると襲いかかってきたピエロの腹に向かって強烈な一撃を叩き込む。
ピエロは苦悶に歪んだ表情を見せて地面に崩れ落ちた。木々に隠れていたピエロが援護しようとロベルの背後からさらに鋭利な刃で襲いかかってきた。
ロベルは背中を切り裂かれて倒れこむ。
「大丈夫よ、すぐに治してあげる!」
すぐに緋音が駆け寄ってヒールで回復を施す。その間にピエロが一撃離脱をして大木の裏に回りこんで再び奇襲の機会を狙おうとする。
「悪い子見っけ☆ もう! 大人しくしてて!
そうじゃないと……刻んじゃうんだよ?」
だが、スピネルは好都合とばかりそのままワイヤーを伸ばした。ピエロはワイヤーに巻き込まれてそのまま木に縛り付けられて身動きがとれなくなる。
「気合を入れて行くわよ!」
瑠璃がその隙を見逃さなかった。
勢い良く跳躍すると思いっきり腕を振りかぶる。
強く地面を蹴って高く跳躍した。そのまま振り上げたブレイドをピエロの頭に向かって真っ直ぐに叩き落とす。その瞬間にピエロの頭が割れて砕け散った。
「ほら、私たちが相手だよ!」
赤薔薇は救出班の璃世達が動きやすいように目の前のピエロを挑発する。
木々の間を走り回って狙いを絞らせない。
痺れを切らしたピエロがついに赤薔薇に釣られて迫ってくる。
するとピエロは両手を広げて火炎弾を叩き込んできた。強く燃え盛る炎がやってくる。
だが、赤薔薇は唸り声をあげた。集中して高めると自身も胸の前に大きな火球を作り出す。敵の炎目がけて赤薔薇は自身の作った火球とともに突進した。
「絶対に私の火力は負けない!」
赤薔薇の強力な火球がピエロの炎を破った。
まっすぐに突っ込んでいった火球がピエロの顔面に直撃する。
敵はその瞬間に膝から崩れるように地面に落ちた。
「絶対に助けに行くから待ってて」
璃世はついに敵の包囲網を突破することができた。不意に揺らぎ始めた幻影はおそらくあの中には菜々子はいないと判断する。後ろから追いかけてくる敵に、璃世は自分が間に割り込んで先に春樹を行かせた。
「この中に恐らく菜々子がいる。微かな寝息が――」
春樹が叫んだ。一番奥にあるお菓子の家の窓から気配がする。すぐに窓に向かって弾丸をぶっ放すと勢い良く中へと入り込んだ。
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柚木菜々子はお菓子の家で眠りこけていた。甘い蜜の眠気の中で永遠の夢を見続けている。その中ではもう二度と会えない両親の姿があった。
菜々子は両親を失っていた。もう二度と会えないはずなのに、夢の中では二人共元気で優しく自分を包み込んでくれる。ずっとこのまま夢の中でいたいと思った時だった。
「戻ってこい! 君がそのままだと悲しむ人がいるだろ! いないって言うなら今から僕が友達になってやる。遊びにだって付き合うし、楽しい所にもいっぱい連れて行く。僕で足りないなら僕の友達をたくさん紹介してやる。だから、僕を悲しませないでくれ。それとも君は友達が悲しんでも平気な子なのか!?」
その時だった。外の世界から強烈な声が聞こえてきた。
菜々子は急に意識を取り戻していく。すぐに菜々子を発見した春樹達が決死の呼びかけを行っていた。不意に菜々子は今まで見ていたのが現実ではなく夢だと悟る。
このまま眠るのか、それとも現実に目をさますべきか――
菜々子は春樹の言葉に葛藤し始めていた。
ロベルが続いて菜々子の側に言って優しく問いかける。
孤児院で淋しく……か……。 孤児院仲間とは皮肉だね。 ま、俺は両親も知らんし、独りだったが淋しさを感じた事は無かった。
お前さんもそうだろう?
ロベルの言葉はまるで菜々子の心の中に入り込んでくるようだった。
両親は居なくとも こうして助けに来る奴が居るって事を覚えておいて欲しいね。
それに、両親は居るんだろう? 心の中ってヤツに。
様々な物が、様々に在るんだ。決して独りではないだろうよ。
撃退士、やり遂げろよ。応援はする。
次第に菜々子は現実に目覚めなければならないと思うようになった。このまま夢の中にいては何も解決しない。苦しむのは自分だと――
「さあ、姫、お目覚めかね?」
菜々子が目を開けるとそこにいたのは優しい目をしたロベルだった。
「わたし……わたし……」
現実に帰ってきた菜々子はあまりの悲しみに泣いてしまう。
ロベルは何もそれ以上は言わず、ただ菜々子を胸に抱きとめた。
「早くしないと敵がやってくる」
璃世がピエロの存在に気がついて大声をあげた。
璃々那と春樹がすぐに菜々子を後ろに庇って脱出を試みる。ピエロが近づかないように春樹が威嚇射撃しながら時間をかせぐ。
邪悪な姿をした一際大きいピエロが獲物を横取りさせはしまいと、怒りの形相で火炎弾を放ってくる。璃世はすぐに菜々子達を庇って前に出た。
火炎弾を受けて璃世は昏倒する。そこへ緋音がやってきて助けに入る。フルカスサイスに武器を持ち替えた緋音がピエロを横から逆に不意をついて攻撃する。
逆を突かれたピエロが絶叫して身体を壁に叩きつけた。
「しっかりして……私が助けるから!」
「緋音……!」
緋音は倒れこんでいる璃世を背負って窓の外へと逃げる。その間にも追撃しようとしてピエロが再び鋭利な牙で切り裂こうとしてきた。
瑠璃が姉の危機をしって横から体当たりをしてピエロを弾き飛ばす。
「今のうちに早く!」
瑠璃の言葉に頷いて緋音は璃世を背負って窓から脱出した。
すでにピエロは血だらけになっていた。ふらふらとふらつくピエロに向かってスピネルが雷剣を振りかざす。ピエロは激しい衝撃に耐え切れずその場に動けなくなる。そこへ赤薔薇が背後から近づいて渾身の一撃を叩き込む。
グアアアアアアアアアア――――
ディアボロはまるで地獄の断末魔をあげるように地面に崩れ去った。
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甘い蜜を放っていたお菓子の家はディアボロが潰されるのと同時に、次々に消滅した。助けだされた菜々子は春樹や緋音たちがすぐに応急手当をして無事だった。
いまだに放心していた。自分は撃退士になって強くなろうとしていたのに、やはりまだ心のどこかに隙があって今回のことを招いてしまった。
結果として助かったものの他の撃退士達に多大な迷惑をかけてしまった。
「わたしは撃退士には向いてないのかもしれない……」
菜々子は弱気になって俯いてしまう。その様子を見ていた赤薔薇がそっと菜々子の傍に近寄って腰を下ろした。そして菜々子を叱咤するように語気を強める。
「あなたは私と似てるね。天魔に家族殺されたこととか……。でも、あなたはもう守る側なんだよ。守られる側じゃない。甘えや逃避はほどほどにしなきゃ」
赤薔薇は自分と似た境遇を喋った。いつまでも誰かに依存していては、この先強くなることはできない。絶対にどこかで挫折してしまう時が来る。
そこを乗り越えるためには今、自分の力で立ち上がらないといけない。
菜々子は赤薔薇の言葉に耳を傾けた。今までずっと一人だと思っていた。だけど、こんなに親身になって自分を助けてくれる人が大勢いる。
それに何としても報いたい気持ちが強くなった。
「大丈夫、もう独りじゃないよ。目を開けて一緒に目の前の世界を見てみよう。楽しいことばかりじゃないけれど、皆となら乗り切れる。キミが勇気を出して踏み出した撃退士としての一歩の先を、一緒に歩こう。お友達になろう、柚木さん」
今まで怪我をして横になっていた璃世も何とか回復して菜々子の所に寄ってきていた。優しく菜々子の手を握りしめる。これからはもうひとりじゃない。
後ろでは瑠璃や緋音も笑顔で見守っていた。今回は逆に二人に助けられてしまったが、やはりそれでも彼女たちに怪我がなくてよかったと思う。
「ほんと、心配したよ」
緋音と瑠璃がそう言ってきて璃世は思わず胸が熱くなった。大丈夫だと言って聞かせるが二人はやっぱり璃世のことが心配なようだ。
「ありがとう、これからよろしくね」
菜々子は照れたように撃退士達に向かってようやく笑顔を見せた。
――これから先も大切な仲間と一緒に頑張っていこう。