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銀色の月の光が夜の廊下を照らしだす。
リノリウムの床に冷たい足音が聞こえてきた。
背の高い凛とした少女は剣を構える。無機質な表情はなにかに追い詰められているようだ。
虚空の黒い影に厳しい視線を投げかけて誰もいない廊下を進んでいく。
「今宵も素敵な月夜ですの。……さぁ、狩猟のお時間ですの」
紅 鬼姫(
ja0444)は二刀小太刀を鞘から取り出して呟いた。彼女もまた長い髪に美しい端正な表情を見せている。少女の気持ちを考えると足取りは少し重い。
「まさかこんな事になるとは……」
佐藤 としお(
ja2489)は短く思いつめた顔で呟いた。とにかく自分の今やれることに全力を尽くして菫を救うしかないと拳を握りしめる。
「過去に囚われないで前に進む……きっとそれは大事な事だよね。神代さんにとっても、ボクにとっても……」
鈴原 りりな(
ja4696)も薄暗い闇の向こうに怖気づきそうになっていた。いったいどんな闇がそこに待っているのだろか。大きな胸さわぎが先程からしている。
「菫ちゃんを助けるんだねぇ、おっけ〜♪」
暗く沈みそうになっている仲間たちを見て白野 小梅(
jb4012)が勇気づける。一刻も早く魔物を倒して菫を助けたいと前へ前へと自然に足が進んでいた。
「トラウマを見せるディアボロさん……ですか。心を強く持っていても幻影に負けてしまうかもしれませんね」
佐藤 マリナ(
jb8520)は冷静に言葉を発する。落ち着いた雰囲気で焦りも不安にも思っていなかった。まずは周りを見失わないようにいつもの平常心を保つ。
「トラウマか、特に何もないな。仮にあったとしても、問題ない」
南部春成(
jb8555)もきっぱりと言い切る。トラウマを見せられて心を惑わされていたら助けることも敵を倒すこともおぼつかない。
「トラウマを突きつけるディアボロっすか。自分の弱さと決着をつけるのにちょうどいいっすね」
セレステ(
jb8874)も高まる興奮を抑えて言った。これを機会に苦手を克服して一回り成長してもっと強くなりたいと心から願って先へと進む。
「それでは参りますか」
カッツ・バルゲル(
jb5166)も冷静に短くそう述べた。すでに周りの撃退士たちは準備を整えている。仲間はそれぞれマリナと春成を先頭に二手に別れた。
神代菫と魔物が現れている廊下の両端の階段へと向かう。まずは春成がディアボロに向かって業火の炎を辺りに放って攻撃を仕掛けた。
「ばねぇっす! これで上手くいけばディアボロを炙り出せるっすね!」
セレステが叫ぶと同時にその隙をついて鬼姫が後から続く。
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「みんなの守護天使参上ぉ! さぁ、悪しきディアボロをやっつけるよぉ!」
小梅が春成の陰に隠れてちょっぴり胸を張って皆に叫んでいた。
撃退士達が挟み撃ちをするように両側からディアボロと菫に向かう。
菫はすでに何かに惑わされていた。うわ言で怯えながら自分の心の中と格闘を続けている。額から汗を流しながら見当違いの所に向かって剣を振るっていた。
鬼姫は気配を殺して天井から魔物へと一目散に駆ける。だが、ディアボロはすんでの所で何かが近づいてくる気配を察して幻影の黒い影を撃退士達に放った。
「……また、逢えましたの……さぁ……もう一度、殺し愛ましょう?」
鬼姫の前に現れていたのは血まみれの父親だった。
愛おしそうに娘の鬼姫に向かって手を差し伸べてくる。
父親はにこやかに嗤って一緒に行こうと誘いの言葉をかけてきた。
鬼姫は思う。このまま一緒に行くのも悪くはないかもしれない。
かつて鬼姫は父親と知らずに愛した。そして彼の命を奪っていた。
心の奥底で波のようにざわめきが起きる。それでも鬼姫は手に持った二刀小太刀を持ってかつての最愛の父親の幻影を容赦無く切り裂いた。
「……殺意(愛)が…足りませんの……もう、結構ですの……」
父親の姿をしたソレは絶叫しながら再び彼女の前から霧散する。
「そうだっ! 俺はすごく弱い人間だよっ! ……でも……それでも……どうやったって守りたい人がいるんだよっ!」
としおは巨大な大きな黒い塊に向かって叫んでいた。恐ろしいほどの不安や孤独や猜疑心が彼を押しつぶそうと膨張しながら押し寄せてくる。
倒しても薙ぎ払ってもそいつはまた膨らんで目の前に現れる。
どんなに力を得た所で全てを助ける事が出来ない事実が彼を不安にしていた。
自分はどれだけ頑張っても意味がないのかもしれない。いつしか幻影に圧迫されて苦しみもがいていた。だが、これまで関わってきた人々が走馬灯のように浮かんだ時、としおは巨大な闇から目を覚ましたように唸り声をあげる。
その影は自分自身だった。
自分が創りだした不安に押しつぶされていたことにようやく気づいた。
「だって俺は皆に受け入れてもらえるヒーローになるんだからっ!」
としおは自分の弱さを受け入れた。その上でそれを乗り越えるために力を尽くす。
「例え私が悪魔とのハーフであろうと私は私」
りりなは自分に必死に言い聞かせていた。目の前にいるのは義理の両親を壊し義理の姉を傷つけた悪魔だった。りりなは今まで人界に害をなす天魔を壊そうとしていた。
だけど私も同じ悪魔の血を引いていた。
それは紛れもない現実だった。どう足掻いても変わらない現実だ。
なら私はそれを……受け入れる……!
「あはははっ! 何だ、簡単な事じゃないっ!」
恐怖に打ち勝ったりりなは咆哮して幻影の悪魔に向かって拳で突き進んだ。
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「人ごときに心を寄せる、貴様は不要」
「いりません」
指導役の天使や世話役の天使から小梅は厳しい言葉を突きつけられる。
彼女にとっての恐怖は誰からも見捨てられることだった。天界から捨てられ、自分の存在自体を否定されてしまう。孤独の影に小梅は苦しめられていた。
天界を追われるように学園に入ったがそこでも小梅は絶望を味わった。
「出来損ない」と誰もが背を向ける。
だが、小梅はその中に光り輝く美少女のメイドを発見した。
小梅はそちらに思いっきり手を伸ばした。
幻影のほころびを見つけて一気に闇を切り裂いてそちらに向かう。
「そんな事、絶対ない!」
小梅はついに絶対の信頼を寄せる彼女をみつけて自信を取り戻していた。
「ああ、やっぱり……予想はしていたけど、やっぱり……キツイなぁ」
マリナの前に現れたのは愛する両親の姿だった。
躯となった父に泣きつく自分と母親。
そして母親が死ぬ瞬間に見せた表情が走馬灯のように駆け巡る。
マリナは心の奥底でずっと恐怖していた。
だから恐れていたのだ。こうして幻影でまたこの姿を見せられるのではないか。
「お父さん……お母さん……大丈夫。大丈夫だよ。大好きな2人から貰った大切なものを私は忘れたりしないよ」
覚悟していただけにマリナはもう恐れていなかった。
これは全て嘘だった。本当の親なら自分のことを苦しめたりは絶対にしない。
「だから、こんな幻惑に絶対負けない!」
マリナは両親の幻影を思いっきり力を込めて切り裂いた。
「こらああああ待てええええええ!!」
春成は何者かに追われていた。裸の男が血走った目で春成を睨みつけてくる。
さすがの春成もこれには焦った。今の今まで忘れていたが、絶対に二度と会いたくなかった思い出の人に再会して恐怖する。取り敢えず逃げ出しそうになった。
だが、春成はぐっと堪える。ここで逃げてはいけない。
漢ならここで敢えて立ち向かうべきだ。
「あああああああああっ」
春成はやってきた男に組み伏せられながら絶叫した。
耐えて耐えて耐えしのぎながらついに男の大事な部分を蹴り上げる。
変態はついに雄叫びをあげながら地面に崩れた。
「――だから、姉さん。ちゃんと救ってあげるよ」
セレステの前に現れたのは最愛の姉だ。
ディアボロになって醜い姿をした姉は弟に魔の手を差し伸べてくる。
恨みつらみの言葉を発しながら接近してきた。
一瞬大好きな姉が生き返ったかと思ったが、セレステは寸前でぐっと我慢する。
これは幻影だ。自分は姉を不幸から救うために撃退士になったんだ。
そのことを忘れてはいけない。
だからもう苦しまないように――
セレステは容赦無く渾身の一撃を姉の幻影に向かって叩き込んだ。
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「お願いもう許して。私は何も健一にしてあげられない」
菫は幼馴染の健一の姿に苦しめられていた。自分の運転していた自転車の事故で健一を死なせてしまった。そのことでこの十年間心の中で責めてきた。
一度も忘れたことはなかった。
孤独だった。誰も自分のことをわかってくれる人はいない。
「貴方が目にしているのは貴方の心の傷に付け込んだ幻影であって現実ではないよ。私は浅羽さんの事は分からない……だけど貴方を恨んではいない」
その時だった。闇の中から一筋の光が差してきた。
りりなが菫の意識の外から必死になって呼びかけていた。目をさますようにもう健一が恨んでいないことを訴え続ける。
「心を強く持たなくてもいいんだよ。辛くて悲しくてどうしようもなくて仕方がないよ。でも、思い出して! その出来事の後『どうしたいか』と思ったか!」
菫ははっと気がついた。マリナの言葉に目の前にいるのが幻影だと気がつく。
これは健一ではない。
「今まで長い間自分を許さず、ここまで自分を追い込んで、思い詰めて……。
もういいっ! 彼が亡くなってしまたのは逃げようのない事実だけど。
でも、全てが君のせいじゃない!
彼は同じ時間を一緒に過ごした君や周囲の事を怨んだりはしない!
だって、それが君が好きになった人だろう!?
だったら、今の君の眼に映っているのは偽物だっ!
彼を大切に思っているなら彼を信じて!
目を覚ましてっ!」
としおが必死に呼びかけて全てを菫は思い出す。
気がつかないふりをしていただけだった。そこには春成が懐かしい菫と健一のツーショット写真を持って佇んでいた。ようやく目を覚ました菫は剣を振りかぶる。
幻影は菫に切り裂かれて全て霧散した。
ようやく全ての撃退士が幻影を打ち破ることに成功する。先に幻から目を覚ましていた鬼姫とセレステは協力してディアボロを押さえつけていた。
セレステが風刃を受けながらも自らが盾になって必死になってかばい続けている。このままでは危険だと思った時、幻影から覚めた味方が次々に援護に回った。
カッツが援護して薙ぎ払うと敵はうめき声をあげた。マリナがその隙を突いて傷ついたセレステ達を癒して回る。息を吹き返したセレステは弓で敵を追い払う。
「自分達は撃退士っす。トラウマや影に隠れてこそこそするしかない臆病モノのお前ごときには負けないっすよ!」
ディアボロはセレステには傷つけられて後退する。
鬼姫が跳躍して小太刀を回転させて斬りつける。ダメージを受けながらも魔物は片方の刀を何とかして振りきって逃げようとした。
「そうはさせるか……!」
としおがアウルを練り込んでディアボロに叩きこむ。
マーキングされた魔物はどこにいても手に取るようにわかるようになった。
小梅が機会を逃さずに魔物を締め上げる。呪縛されたディアボロはどうすることも出来ずにただもがいて苦しんでいた。
りりなは背後に回って魔物の死角から腹に渾身の一撃を食らわした。
春成も遠距離から弾丸の雨を降らして徐々に魔物を追い込んでいく。
ディアボロはすでに体力を失っていた。りりながその時、目を覚ましていた菫の肩を抱いて勢い良く魔物に向かって送り出す。最後は他ならぬ菫にトドメを刺して欲しかった。
菫は剣を握り締めると高く跳躍した。
大きな月を背にして一瞬菫の姿が目が眩んでディアボロは慌てる。
菫が大きく振りかぶった剣を振り下ろすと魔物の首が吹き飛んだ。
ディアボロは首を引き裂かれてついに突っ伏す。
「これでよかったんだよね……健一」
菫は振りかぶっていた剣を下ろして最後にそうつぶやいた。