海辺にそびえる巨大な貝の形を模したホール。そこで極めて慎重に動くいくつかの人影があった。
ふたつの人影は正面玄関脇で、もうふたつの人影はホールの天井で音もなく行動している。
「こちらは準備完了ですわ。皆様は?」
ホールの天井で動いていたふたつのうち、こぢんまりとした方の影が可憐な声で問いかけた。その声をインカムが拾い、他の場所にいる仲間に届ける。
正面玄関の脇に取り付いたふたつの影がちいさな声で『オッケー』と返し、天井で小さな影の横にいた天宮 佳槻(
jb1989)も頷く。そして少し遅れてから『準備完了』の旨を伝えるふたつの声が聞こえてくる。
「それではまいります。皆様手はず通りにお願いしますわ」
全員の返事を確認した斉凛(
ja6571)は満足そうに微笑むと、天上の中心部に備え付けられたハッチのロックを予め関係者から受け取っていた鍵で開け、音を立てないようにハッチを引き上げてその隙間に身を躍らせた。
続いて佳槻がハッチからホール内部に侵入し、そっとハッチを閉じた。
ふたりが足を下ろしたのは、ホールの天井に張り巡らせられた空中通路だ。人ひとりが通るのがやっとなほどの細いその通路は、金属製で両脇には平行に走る三本の柵があり、足許は丈夫な金網だ、その隙間からは舞台が見えているが、高所恐怖症の人間であれば間違いなく目眩を起こす高さだった。
「いましたね」
佳槻が鋭い声を発した。
舞台上にはマジックショーで使われる幾つかの装置、そして舞台には似つかわしくない簡素なパイプ椅子があった。
その椅子には真っ赤なドレスを身につけた女性が太いロープで縛り付けられている。
彼女こそがこのサーカスの花。今回の興業での注目株マリア・ジネッティだった。
その他にも舞台上に動く影があった。
毒々しい色の派手な衣装。ペンキで塗ったような真っ赤なアフロヘヤーに丸いからだ。
いわゆるピエロだ。
サーカスなどではその名の通り道化を演じるその存在が、コミカルな動きで身体を左右に振りながら舞台上を行き来している。
「続きましては、人体切断マジックでーす!」
耳に突き刺さるキンキン声を上げたデビルがいったん舞台から姿を消すと。観客席から女性の悲鳴が聞こえ、やがてデビルに手を引かれた女性がひけた腰でやってきた。
抵抗して逃げだそうとするがそこは一般人だ。デビルの力に敵うはずもなくズルズルと舞台中央まで引きずられ、台の上に置かれた長細い箱の中に閉じ込められてしまった。
デビルは箱をしっかりと閉じるとその脇に立ち。自分の背丈とかわらないノコギリを取り出した。
「種も仕掛けもございませ〜ん」
マジックの常套文句であるが、このデビルが言うと意味が違った。言葉通り『種も仕掛けも』ないのだろう。
「急いだ方が良さそうだ」
「そのようですわね」
佳槻と凛。ふたりとも険しい顔で頷きあうと、凛はインカムのマイクに向かって言葉を発した。
「作戦開始、お願いいたしますわ」
☆
「りょうかーい」
正面玄関脇で待機していたふたつの影のうち、背の高い方がインカムから聞こえてきた作戦開始の声に応えた。
すぐに扉の逆側に控えていたもうひとつの影に頷くと、そっと扉から建物の中をうかがう。
「こうしてみるとピエロってこえぇ」
横に伸びた長い廊下には、玉乗りをする二体のピエロがいた。玄関の左右に位置取り周囲をキョロキョロと見渡しながらよたよたと移動している。
そしてその二体のピエロの視線が玄関から外れた瞬間。
「今だ!」
佐藤としお(
ja2489)が扉を打ち壊す勢いで建物内に飛び込むなり右側のピエロに向かい、一泊遅れてから春都(
jb2291)がとしおとは反対側のピエロに向かっていく。
「くらいな!」
不意を突かれたピエロの動きが一瞬遅れる。右手に持ったチェーンソーを慌てて起動しようとするが、としおの方が早かった。
アサルトライフルを活性化、構えて発射までをきわめてスムーズに行い、やっとエンジンがかかったチェーンソーを構えるピエロめがけて弾丸をたたき込む。
数発の弾丸はチェーンソーの表面で弾けたが、いくつかはピエロの腕と脇腹を掠め。弾丸が当たった場所が腐食を始めた。
「油断大敵だなぁ、おい?」
挑発するとしおめがけてピエロが玉を転がして殺到する。しかしとしおが身を躱すと、急停止できないらしいピエロは彼の横を通り過ぎてそのまま反対側へと行ってしまった。
「あ、おい。春都さん、気を付けて!」
「え? きゃ!?」
としおとは反対側にいたナイフを持つピエロと相対していた春都は、その声に振り向き、自分めがけて疾走してくるもうひとりのピエロを慌てて横っ飛びで避けた。
「このお!」
身体を空中に投げ出しながらも彼女が右腕を振ると、相対していたピエロとたったいま通り過ぎていたピエロの間に魔方陣が出現。次の瞬間火炎をまき散らしながら爆発した。
「よっと」
彼女は振った右腕で地面を叩くと、その勢いを利用して半回転。見事足から廊下に着地した。
「少しは効きましたかね?」
爆炎と煙が収まると、その向こうから身体のあちこちが焼け焦げたピエロの姿が現れた。
ダメージはあるようだが、しかし残念ながら致命傷というわけではないらしい。
ピエロには似つかわしくない凶悪な表情を浮かべると、ふたりそろって玉を転がし春都へと疾走しだした。
「春都さん! こっちだ!」
入り口脇に立ったとしおが手招きしている。春都はその姿を確認するなり、ピエロに背を向け一目散に走り出す。
「いそいで!」
としおはライフルを肩につけて構えると、春都を追うピエロめがけて弾丸を浴びせかける。
春都のすぐ後ろまで迫っていたピエロたちはその弾丸を浴びると玉の上から転げ落ちてしまう。
この隙に春都は建物の入り口へとたどり着く。
「よし行くぞ!」
「はい!」
ふたりが扉を潜った瞬間。その空間をピエロが蹴り飛ばした玉が通り過ぎ、ズシンと重い音を立てて壁にめり込んだ。
☆
ホールの外で銃声が響き、にわかに騒がしくなると。女性が入った箱に今にもノコギリを入れようとしていたデビルが動きを止め、ヒョコヒョコと舞台の端へと歩き始めた。
それを見るや否や、凛と佳槻通路を蹴って空中へと身を躍らせた。
あっという間に地面が迫る中、ふたりは空中で身を捻ると、デビルと観客席の間に音もなく舞い降りた。
「メイドが皆様をお守り致しますですの。ご安心くださいませ」
凛がスカートの縁を掴み、観客に向かって恭しく頭を下げる。
「おお! 文字通り飛び入りのご参加! ひゃひゃひゃひゃひゃ!」
ひとしきり笑ったデビルはそこでやっと首を傾げて不思議そうな顔をする。
「どちらさまで?」
その時だ。舞台にドラムロールが鳴り響いた。デビルが大げさにステージを振り返り。キョロキョロと首を巡らせる。
一際大きなドラムの音が鳴り響いた瞬間。舞台端の装置から紙吹雪が撃ち出され。仮面を付けた男がゆっくりと空中を降下し、舞台袖に着地した。
そしてもう一度ドラム音。今度は舞台中央にある縦長の箱から派手な衣装を着た長髪の男が飛び出してきた。
「さぁさぁ始まりました今宵の舞台! 今回は参加型の脱出……どわあ!?」
高々と口上を述べようとした仮面の男に向かって、デビルが舞台上にあったナイフを投げつけた。
恐ろしい勢いで飛来したそれを仮面の男が避けると、すぐ脇の壁に根元まで突き刺さる。
「アブナイやろがボケェ! 最後まで言わせんかい!」
ゼロ=シュバイツァー(Jb7501)が仮面を投げ捨てながら怒鳴りつける中、箱から現れた長髪の男が胸元に手を当てて頭を下げる。
「やあやあ皆様こんにちはこんばんはさようなら! 私はコミヤン、こちらは斉藤さんでございます」
『おい何退場させようとしてんだ馬鹿』
「冗談です」
どこからともなく取り出したパペットでひとり芝居をする小宮 雅春(
jc2177)。ホール中が呆気にとられ、全ての視線、デビルまでもが彼に集中する。
その隙を見逃さず、凛は佳槻に目配せすると静かに観客たちを避難させ始めた。
こっそり静かに、デビルが舞台に目を奪われているうちに観客にジェスチャーで逃げろと促す。
先頭には佳槻が立ち、ホール出口に到着すると静かに扉を開き、そっと向こう側を覗き込んだ。
(ここのディアボロは誘導し終えたみたいだな)
後続の観客に頷いてみせると、佳槻はホールを抜けて真っ直ぐに出口へ向かった。
「ああ! 何してる!」
流石に数多くの観客が動く気配にデビルが気付かないはずもない。皆が逃げようとしていることを見とがめると、彼らに向けて両手を突き出す。
次の瞬間、クラッカーが破裂するような音が響き。衝撃波が襲いかかる。
「させませんわ!」
盾を具現化した凛が、逃げる観客の一団に向かって真っ直ぐ伸びる衝撃波の間に割って入ると、金属同士がこすりあうような不快な音が鳴り響き、華奢な彼女は大きく吹き飛ばされて観客席の横に叩きつけられる。
デビルは空中を歩くような仕草を見せたかと思うと、そのまま空中に浮かび上がる。
「させるかぁ!」
ゼロの手から輝く鎖が伸びると、空中のデビルに絡みついて舞台上に引きずり落とした。
地面に叩きつけられた凛もすぐに応戦。弓を取り出すと倒れたデビルに射掛ける。
「ぎゃあ!」
肩に矢を受けて叫ぶデビルを尻目に、雅春は掴まっていた観客を救い出しマリアの許に向かっていた。
「私は大丈夫!」
椅子に縛られていたはずの彼女が立ち上がると、その身を拘束していたロープが地面に落ちる。
「マジシャンですもの。縄抜けぐらい」
「お見事、それでは早く避難を」
「だったらアレね」
マリアが舞台上にあった水槽を指さす。
「彼女はあなたが来た箱に」
そう指示を出すなり、彼女は身軽に水槽の中に飛び込んだ。
「それではマジックショーの始まりです! ……はい!」」
雅春は観客を箱の中の押し込むと、いったん蓋を閉めてすぐに開く。するとそこにいたはずの観客は影も形もなくなっていた。
「続きましてはこちら! 舞台を彩るこの美女は、無事に脱出出来るのでしょうか!?」
雅春は水槽の足許にあったカーテンを持ち上げ、水槽を覆い隠す。
そして――
「はい!」
カーテンを勢いよくどけると、そこにマリアの姿はなく。その代わりにアロワナがゆったりと回遊していた。
「見事、美女は悪の手から逃れたのでした」
そう言って雅春は大きく頭を下げた。
☆
建物の外で観客を誘導していた佳槻は、離れた所でディアボロと闘う仲間に目をとめた。
「このまま真っ直ぐ走れ。そうすれば逃げられる!」
彼はすぐ後ろにいた観客にそう言うと、仲間の許に走りだした。
ピエロの片割れが、五つのナイフを一気に放り投げる。
「させるかよ!」
としおが四つのナイフを空中で撃ち落とし、残りのひとつは春都が太刀ではたき落とした。
その春都めがけてチェーンソーを振り下ろすもうひとりのピエロ。春都は身を引いてその一撃をギリギリで避けると、すれ違い様にチェーンソーへ炸裂符を貼り付けた。
一瞬の間を置いて符が爆発すると、腐敗しかけていたチェーンソーは粉々に砕け散ってしまう。
「……喰らえ。因陀羅!」
駆けつけた佳槻が静かな、しかし力強い声をあげると、周囲に稲妻が走り。二体のピエロを強かに打ち付けると、ピエロたちは全身から煙を吹き上げながらその場に跪く。
「もらった!」
としおの周囲に無数の銃器が浮かび上がり、一斉に火を噴く。
まさに弾丸の嵐。数え切れないその射撃を浴びたピエロたちは一瞬で身体を削り取られ、その場に倒れ伏しピクリとも動かなくなった。
☆
「おらあ!」
ゼロは自らの身長を超える大鎌をもってデビルに仕掛けたが、相手はあろう事かゼロに背中を向けると、手足をワチャワチャ動かしながら逃げ出した。
「またんかいボケ!」
しかしデビルはそのまま走ると、正面にいた雅春めがけて口から火を吹いた。
「おっと危ない」
雅春は身を翻してその攻撃を避けると、斉藤さんを使って反撃する。
「ぎゃあ!」
斉藤さんの攻撃をまともに受けたデビルはその場に転んだが、ゼロの追撃はそのまま地面を転がって避けた。
「見た目の割に身軽なやつやな!」
デビルは転がりでゼロから距離を取ると、丸いお腹で反動をつけて飛び上がり着地。顔を天井に向けると口から剣を吐きだした。
「いくぞ〜!」
デビルは吐きだした剣を右手に携えると、軽快な動作で斬り付けた。
「逃げるんは上手いみたいやけど、攻撃はいまいちやな!」
ゼロは鎌で相手の攻撃を受け流すと、体勢を崩したデビルの身体を柄で思いっきり打ち付けた。
仰け反ったデビルの右足に凛の放った矢が突き刺さり、さらに雅春が斉藤さんを使った連撃を打ち込む。
「あぎゃぎゃ!」
それだけの攻撃を受けながらもデビルはどこか楽しそうな悲鳴を上げて舞台の上を転げ回る。
「加勢に来ました!」
「春ちゃん!」
ホール内の飛び込んできた三つの影を認めるなり、凛の声が弾み笑みが浮かんだ。
しかし状況を思い出した凛はすぐに真顔に戻ってデビルへと向き直る。
「そっちは大丈夫ですの?」
「うん、皆避難したしディアブロも倒したよ」
隣に並ぶ遙人の姿を見た凛は大きく頷くと、今一度矢を放った。
その一撃を足に受けたデビルがその場に片膝をついた瞬間、ゼロの鎌が左腕を切り落とす。
鮮血をまき散らす左腕が地面に落ちる前にとしおの放った弾丸が剣を打ち砕き、佳槻の術が砂塵を生み出し、デビルを痛めつける。
「ひ、ひや−!」
「させませんよ」
連続攻撃に腰を抜かしたデビルは空中を駆け上がったが、先回りした雅春と斉藤さんにたたき落されてしまう。
「い、いけえええ!」
丁度正面に落ちてきたデビルめがけて春都が炸裂符を投げつけると、デビルの身体は真っ赤な爆炎に包み込まれ、やがて静かになった舞台上には真っ黒に焼け焦げたデビルが転がっていた。
その結果にポカンと口を開けていた春都だったが、やがて『やったー』と声を上げ、その場に座り込むと、駆けつけた凛が彼女に抱きつき嬉しそうに歓声を上げあった。
「しかし薄気味悪い相手だったな」
としおの呟きにゼロが大きく頷いた。
「なんかホンマに死んでるんか確信が持てん、そのうち起きあがるんちゃうか? なあ、かっちゃん」
「確かに死んでるよ、問題ない」
佳槻はデビルを足先でつつくと、静かに首を振った。
そんな彼らを横目で見ながら、雅春は舞台中央に歩み寄り空の観客席へと向き直る。
「それでは、これで幕締めとさせていただきます!」
ウィンクひとつ。彼は両腕を広げながら笑顔でそう言い放ち、お辞儀をしたのだった。