「豪華な船ですねー」
客室の一つを覗き込んだユウ(
jb5639)がそんな感想を漏らした。
足許の赤い絨毯は彼女たちの足を優しく受け止め、客室の中にある調度品や家具も、一級品。一流ホテルと比べても遜色はない。ここが船内だなんてとても思えはしなかった。
「そうですの?」
ユウの感想に紅 鬼姫(
ja0444)は小首を傾げると、興味なさげに周囲を見渡した後で服のポケットから錠剤の詰まった瓶を取り出すと、その中身をざらざらと口の中に流し込んだ。
「興味ないですか?」
「鬼姫には分かりませんの」
客室にある金細工で縁取られたクローゼットに一瞬目をとめた鬼姫であったが、すぐに首を振りながら視線を逸らして部屋の外に出る。
「それより早く悪魔を見つけて戦いたいですの」
「早く見つけなきゃいけないのは事実ですね」
ふたりは最上階船首突端部にある巨大な扉の前に立った。他の部屋を封じている扉四つ分の大きさがあるその扉の前でふたりは顔を見合わせると、同時に扉を開いて中に飛び込む。
他の部屋とは一線を画すスイートルームであったがそこにも悪魔の姿はない。唯一目を引く物といえば、部屋の中心に備え付けられていたガラス張りのテーブルが砕け散っていることぐらいだ。他には物音一つも無い。
「異常なし」
「残念ですの」
肩をすくめる鬼姫の前で、ユウは耳に付けたインカムに指をあてた。
「こちらユウ、最上階に悪魔の姿はなし。これから一階下に移動しますが、皆さんの方はどうですか?」
☆
「こちら山里異常なし」
山里赤薔薇(
jb4090)が抑揚に乏しい声で応えた。
場所は操舵室。
五十鈴 響(
ja6602)と共にそこを探索していた彼女は異常な光景を目撃していた。
「奇妙ですね」
本当にそう思っているのかと首を捻りたくなるようなゆったりとした声で響が言うと、赤薔薇はその声の方に瞳を向ける。
確かに奇妙な光景だ。操舵室の中には彼女たちふたり以外にも、本来ならばこの船を操舵するためにいる乗員たちがいるのだ。
その全員がそれぞれの持ち場で仕事をする姿勢をとりながらマネキンのように固まっている。
瞳は焦点を結ばず、口元に耳を近づけないと聞こえないほどに息も細い。
「以来の時の映像でも見ましたが、操られているようですね」
響の言葉に頷いた赤薔薇は、操舵室をもう一度見渡すと一瞬目を伏せてから操舵室の扉を開いた。
「あ、待ってください」
響が慌ててその後を追い、ふたりは操舵室から一度甲板に出て更に船尾に向かって歩きだす。
「赤薔薇ちゃん、次はどこを探しますか?」
響は船に乗り込む前に、船を所有する会社から受け取った見取り図を取り出した。
「一番確率が高いのは、あいつらが最初にいたレストランだと思う」
赤薔薇が上層一階の中央部にあるレストランを指さしながら答え、その後で指を船首方向に動かす。
「でもその前にこっちにあるシアターも調べてからの方が良いと思う」
「凄いよね、船内に映画館があるなんて。今は何を上映してるのかしら?」
「……のんき?」
「ああ、ごめんなさい。そんな場合じゃないわよね。悪魔を探さないと」
『よし!』と気合いを入れ直した響を先頭に、ふたりは操舵室の後方に位置する船室へと歩みを進めたが、シアターにいたのは固まった鑑賞客だけ、空振りをさせられたふたりはその足でレストランへと向かう。
「レストランはそこを右にいったところよ」
響の言う通り、シアターを出て少し歩くと右手にそれらしい扉があった。
赤薔薇は素早く扉の脇に移動すると、ガラス張りになっている扉の上半分から顔を覗かせた。
「……ここにもいないみたい」
振り向いた赤薔薇は響にそう告げるとなんの躊躇もなくレストランの扉を開けて足を踏み入れた。
響も後に続いて入店する。
レストラン内も他の施設と変わりない光景だ。皆何かをする途中で人形のように固まっている、他所と違う点が一つあるとすれば、依頼内容を確認していた時に映っていた特殊部隊の隊員たちが銃を構えた体勢で固まっているところだ。場面とマッチしていなくて違和感が溢れている。
「悪魔がいないのは残念だけど」
赤薔薇は荷物の中から小さなメガホンを取りだすと、大きく息を吸ってから口元にあてがった。
やがて聞こえてきたのは、その小柄な身体のどこにと目を見開きそうな程大きな、澄んだ声だ。
彼女の口から紡ぎ出される歌を聴いた瞬間、レストラン内で硬直していた乗客たちがその場で一斉に倒れ伏した。
彼女の歌声は、静まりかえった船内に行き届き、耳にした人々がどんどん倒れ伏していく。
やがて彼女の歌声が止んだ時、パチパチと小さな拍手が鳴る。
「凄いのね赤薔薇ちゃん。今度私が演奏するから歌ってみない?」
「……のんき?」
素っ気なく瞳を逸らした赤薔薇の頬は、しかしほんの少しだけ朱に染まっていた。
「何々? 今の歌声〜?」
レストランの入り口からのんきな声が飛ぶ。素早くふたりが視線を送ると、そこにはタキシードを着た金髪の少年がいた。
「こちら山里。レストランで一匹発見」
ちいさな声で赤薔薇がインカムごしに連絡を飛ばすと、ドヴァーが小首を傾げる。
「何か言った?」
「いいえ、何も。それよりも演奏はお好き?」
響は荷物からリコーダーをを取り出すと、おおよそ敵対する相手に向ける物とは思えない屈託のない笑みを浮かべた。
☆
「今回の任務で重要視しなくてはいけないことはなんだ?」
「えーっと……乗員乗客の安全?」
アルドラ=ヴァルキリー(
jb7894)の厳格な声に新谷 哲(
jb8060)は一瞬眉を寄せてから答え、アルドラの表情を窺うように瞳を向けた。
「その通りだ。私たち撃退士の仕事は天魔と戦う事。しかし、必ずしも一対一で闘うわけではないし、このように周りに民間人がいることも珍しくない。その場合は当然彼らの身の安全を考えなければないし、物を守らなければならないこともある。時には天魔に背を向けなければならないこともだ」
アルドラの言葉はまるで教師か教官のそれだ。哲はその言葉を真剣に聞きながら頷いていた。
「その時依頼で何が一番大事なのか。それを考えるのが大事だ」
「なるほどな」
ふたりがいるのは船の下層部。一般的な乗客であればまず足を踏み入れない場所だ。
普段であればうるさいほどに唸りをあげているであろう機関部は、不気味なほどに静まりかえっていた。
「ふむ……やはり子供を探すには不適当な場所だったかな?」
「そうか? ガキって意外とこんなの好きだぜ?」
哲は肩をすくめながら脇にある物を指さした。幾つかのハンドルに、何かを示す計器類。様々な機械が並んでいる。
「そういうものか?」
「そんなもんだよ」
しかし残念ながら今回の悪魔は機械系に興味は無かったようだ。アルドラと哲は撃退士の心構えなどを語りながら、それでも周囲を十分に注意して船内を進んでいく。
やがてたどり着いたのは、機関室の奥で階段の脇にあったモニタールームだ。
アルドラを先頭にしてその部屋に入ったふたりは、正面に並ぶ多数のモニターを眺めだした。
「映ってるか?」
「いや、見つからねえ……あ、待て! ここ!」
哲が指さしたモニターに赤薔薇と響、そして彼女たちの前に佇む少年の姿がある。
「あれ? 船内の人はみんな操ったはずなのに?」
突然聞こえてきた子供の声に、アルドラと哲が同時に振り向く。
果たしてそこにいたのは今までモニターの中に映っていた少年と、うり二つの姿をした悪魔であった。
「君たちはだれかな? どこに隠れてたの?」
素早く身構えるアルドラと哲、その二人の前でトリーがニヤリと口角を上げた。
「まあいいや、遊び相手が増えた」
☆
一階下のフロアに移り、丁寧に客室を覗いてまわるユウと鬼姫。その二人の耳が、ふいに少女の歌声を捉えた。
「これは、山里さんの? 綺麗な歌声」
「そうみたいですの」
山里の歌声に答えるようにフロアの奥からヴァイオリンの音が聞こえ、ふたりは顔を見合わせた。
「悪魔?」
「ラッキーですの」
毛足の長いカーペットのおかげでほとんど足音はないが、それでもふたりは更に足許に気を使い、長い廊下の先にあった別のスイートルームに扉の前に立つと、これもまた慎重に扉を開き室内を覗き込んだ。
そこには赤薔薇の歌声に合わせて気持ちよさそうにヴァイオリンを弾く少年と、ワルツを踊る若い男女がいた。
部屋の状況を確認したふたりが頷きあって室内に入ると、その姿に気付いた悪魔が演奏をやめ、踊っていた男女が動きを止める。
「あれ、まだ人間がいた? どこに隠れてたの?」
アジーンが首をかしげる。
「ドヴァーかな見逃したのは、それともトリーかな……まあいいや、お姉さんたちも僕のおもちゃになってよ」
「それよりも面白い遊びがありますよ?」
「え?」
その言葉に意表をつかれて固まったアジーンの前でユウが踵を返し、部屋の外に向かって一目散に走りだした。
「鬼さんこちらですの」
続いて鬼姫がクスクス笑いながら部屋から飛びだす。
「あ! こら、待て!」
やっと事態を理解したアジーンは、手に持っていたヴァイオリンをマジックのように消し去り、ふたりの後を追って走りだした。
☆
目の前に迫る扉を蹴り開けユウが甲板に飛び出した、さらに鬼姫が続いて姿を現し、今自分が通り抜けた扉を睨み付ける。
「お前ら、撃退士だろ?」
ふたりからほんの少し遅れてアジーンが扉から出てくる。その表情にさっきまでのあどけなさはなく、悪魔としての本性が浮かび上がっていた。
「あまり怖い顔しないでほしいですの」
そんなアジーンを挑発するように鬼姫が笑い、彼の表情が険しくなる。
「この……」
何か言おうとしたアジーンの背後から聞こえた慌ただしい足音に、彼は何事かと振り返る。
「どけえ!」
アジーンを突き飛ばすように、哲とアルドラが扉から飛び出した。
「逃げるなあ!」
彼らの後を追って現われたトリーが顔に驚きを貼り付ける。
「何してるのさアジーン?」
「それはこっちのセリフだ! こいつらは撃退士だぞ!」
「……人間にしては逃げ足が速いと」
作りの同じ二つの顔が、まったく同じ怒りの表情をうかべて撃退士たちを睨み付けるその時、そんな怒りを霧散させるような軽い音色が甲板に聞こえてきた。
「あれ? アジーン? トリー?」
アジーンとトリーが飛び出したのとは別の扉が開き。ニコニコと楽しそうに笑いながらヴァイオリンを構えるドヴァーが現れた。
「何しるの?」
「こっちのセリフだ! 撃退士たちが船に来てるんだよ!」
『え?』と背後を振り返るドヴァーの目の前で、響が申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「ごめんね」
「だ、騙したなあ!」
自分が甲板におびき出されたことをしったドヴァーが叫んだ瞬間、赤薔薇と響は彼から距離を取った。
「役者が揃ったな」
満足そうに頷くアルドラ。図らずしも悪魔を取り囲む形になったからだ。
「行くぞドヴァー、トリー!」
「乗客を巻き添えにする恐れがなければこっちのものです」
「そういうことだ」
走り出そうとしたアジーンめがけて、ユウとアルドラが銃撃を浴びせかける。
カウンターで入った銃弾は痛烈なダメージを与えたようで、アジーンの身体が大きく後方に飛ぶ。
「アジーン!」
「あなたの相手はこっち」
静かに言い放つ赤薔薇。彼女は自らの掌の上に火で出来た龍を作り上げ、フッと息を吹きかける。
その瞬間、龍は砲弾のように飛び出すとドヴァーの身体に着弾して周囲に爆炎をまき散らせた。
「まずは弱ってるヤツからですの」
吹き飛んだアジーンめがけて走りだした鬼姫だが、彼女の目の前でアジーンの身体が風景の中に溶けるように消えた。
「幻惑ですの? それなら」
彼女はすぐにターゲットを変更して、手近にいたトリーに向かって両手の小太刀を閃かせた。
「クソ!」
胸元を軽く流れたトリーが爪を使って鬼姫に襲いかかるが、彼女は小太刀を使って軽々とそれを弾く。
「これでもくらえ!」
吹き飛ばされたドヴァーは起き上がりざま、哲を睨み付けた。
「なに……?」
その瞳をまともに見た哲の視界がぐにゃりと歪んだ次の瞬間。
「しっかりしろ!」
アルドラがライフルを哲に向けて、迷い無く引き金を引いた。
爆音と共に撃ち出された弾は、哲の頭の近くを通り過ぎ。哲はその衝撃で我に返る。
「あ、あっぶねえ。アルドラ先生よ! 次はもっとお手柔らかに頼む!」
いいながら哲は薙刀振るい、ドヴァーへと復讐する。
ドヴァーは腕をクロスさせて切っ先を受け止めたが、その身体は大きく弾かれた。
「くらいやがれ!」
更に薙刀を振るう哲だったが、その直前ドヴァーの身体も風景に溶け、切っ先は空を切った。
「ごめんね」
申し訳なさそうな響の周辺に小さな羽の生えた光球が浮かび上がると、トリーめがけて殺到し、その身体にめり込んだ。
「ぎゃあ!」
その威力に吹き飛んだトリーの身体を、ユウの一撃が追い打ちし、彼の身体を船体に叩きつける。
「くっそお」
あまりの一撃に動けないのか、怨嗟の声を上げるトリーのすぐそばに突然ふたつの掌が現われた。
「トリー、こっち」
アジーンとドヴァーだ。姿を消したまま掌だけをトリーのそばで出現させて彼を助けようとしているのだ。
「させん!」
全員が固まったところを見逃すほど甘いメンバーではない。アルドラを中心に走った冷気がアジーンたちに襲いかかり、それをまともに浴びた彼らは、糸が切れた人形のようにその場に倒れ伏した。
☆
「殺せばいいじゃないか」
アジーンが拗ねた声を上げた。
アルドラの術で兄弟と共に眠ってしまった彼は、意識を取り戻すなり状況を悟り言い放った。
そんな彼の声でドヴァーとトリーも目を覚ます。
「君たちにチャンスをあげよう」
「はあ?」
「君たちが学園にやってくるというなら、命は助けてもいい。幸いなことに乗員たちに被害はないようだしな……どうだ?」
「僕たちに人間と同じようにすごせって? バカバカしい、人間なんてただのおもちゃじゃないか。それに僕たちが行っても避けられるだけだ」
兄弟たちも頷く。
「そんなことはない、人間とはあれで中々奥が深い生き物だぞ?」
アルドラの言葉を聞いてユウが頷く。
「人間はとても優しいんです、私もいっぱい助けられたました。きっとあなたたちも受け入れてもらえます」
ふたりの悪魔の言葉には妙な説得力があったようで、アジーンは黙りこくってしまう。
「ドヴァーちゃん、よね? また一緒に演奏しましょ? 私とっても楽しかったわ」
響が柔らかく笑いかけると、ドヴァーは困ったような表情で彼の兄を見た。
「……わかったよ! そんな顔で見るなドヴァー! どうせここで死んでたんだ、いうことを聞くよ」
観念して叫ぶアジーン。
それを聞いた瞬間アルドラはにこりと微笑み。
「久遠ヶ原学園にようこそ」
そういって彼らに手をさしのべた。