静謐な森の中、使われなくなってからかなりの時を感じさせる建物が撃退士たちを迎えた。
「よーし、やるかあ」
獅堂 武(
jb0906)が手のひらに拳を打ち付けて気合いを入れる。くたびれた体育館を彼が見上げた瞬間、赤い髪紐で纏められた髪の毛が後頭部でライオンの尻尾のように揺れた。
全体は蔦に覆われ――というよりもほとんど蔦に飲み込まれたような状況で、経年から来るヒビが柱や壁のあちこちに走っていた。
時刻は昼過ぎ、真上から降り注ぐ太陽に照らされながら獅堂は目の前にあった鋼鉄製の扉を力一杯引き開けた。
体育館内の空気が動き、外から差し込む太陽光線の中で床に堆積したホコリが舞い上がり揺れている。
「うわ、こんな所で戦うのか」
げんなりと、逢見仙也(
jc1616)が顔の前で手を振ってホコリを遠ざけようとしている。
「やっと来やがったか。怖じ気づいたかと思ったぜ」
体育館の奥から太い声が飛び、全員の視線が集まる。
壇上の上に腰掛け段差で足を投げ出した悪魔がそこにいた。
「冗談だろう? 人質を取らないと交渉も出来ないような腰抜けに怖じ気づくわけがない」
口元を引き上げるシーン・カーライに向かって咲村 氷雅(
jb0731)が言葉のナイフを突き立てた瞬間、悪魔の顔が醜悪に歪む。
「そうだそうだ! あんたなんてあたいたちがやっつけてやるんだから!」
雪室 チルル(
ja0220)が両手を振り回しながら怒り心頭とばかりに言葉を投げつけると、彼女の横にいた鴉乃宮 歌音(
ja0427)、Ilona・H・Creasy(
jc1867)もシーンを睨み付けながら口を開いた。
「その通り、後悔させてあげる」
「私も悪魔だけどあなたみたいなタイプは大っ嫌いだわ」
「口だけは達者なヤツらだ」
歯を食いしばりながら一行を睨み付けるシーンに向かって仙也が一歩前に出た。
「さて、提案なんだが。人質を解放してもらえないか?」
「ああ? なんだと?」
「別にかまわないだろ? 俺たちはこうやってきたんだし、彼女はもう用済みだ」
壇上で椅子に縛り上げられた女性を仙也が指さす。目元には涙の後が色濃く残り、血の気もない。悪魔に拉致され、こうやって束縛されているのだから無理もない。発狂しないだけでもたいしたものだ。
そんな彼女の横にはゲートがあり、虚ろな口をこちらに向けていた。
「言うことを聞く必要があるか? こいつを解放した途端、お前らが逃げ出すかもしれん」
「つくづく小さな男だな」
氷雅がまた言葉のナイフを放ち、シーンの眉間にシワがよる。
「人質のいる優位な状況でなければ落ち着かないんだろう?」
歯を食いしばり今にも爆発しそうなシーンだったが、一つ大きな息をつくと。撃退士たちを見渡した。
「その手には乗らねえよ、俺からの要求は伝えたろう? この女を助けたければ、俺と俺の配下を倒してみせな」
シーンがそう言って歯を見せると、当の氷雅は『残念』と仲間に向かって肩をすくめてみせた。
「上手くいくかと思ったのに、意外と頭が回るみたいだ」
「まあ、仕方ないよな」
武も同様に肩をすくめ。
「となれば、力尽くで彼女を救出するしかないな」
静かな声ながらも、仙也が不敵な笑みを浮かべてシーンを睨み付ける。
「それじゃあやろうか」
グッと背筋を伸しながら歌音が言うと、『おー!』とチルルが両手を振り回して、やり場のないエネルギーを発散させていた、早く暴れたくて仕方ないらしい。
「今どきオラオラ系なんてモテないわよ? 礼儀知らずにはお仕置きしてあげるわ」
「行けぇ、お前ら!」
シーンが右手を振りかざして叫ぶと、壇上の左右にある暗幕の影からのっそりと三体のディアボロが現われた。
狼型のディアボロは人の背丈ほどもあるその巨躯を震わせながら、周囲によだれをまき散らし。鳥形のディアボロは天上近くまで飛び上がると、金属同士をこすり合わせるような不快な鳴き声をあげている。
そして猿型のディアボロはその巨大なこぶしを地面に打ち付け、体育館の床を陥没させてしまう。
「……ああ、犬猿鳥で桃太郎。御山の大将にぴったりだ」
迫力満点の威嚇だったが、撃退士たちは意にも介さなかった。
思わずといった感じで漏らした歌音の小さな呟きに、仙也と武が吹き出す。
「何がおかしい! お前ら、殺せ!」
彼らの態度が気に入らないシーンが体育館の空気を揺るがすほどの大声を上げた瞬間、上空を旋回していた鳥型が、歌音めがけてミサイルのように急降下する。
「甘い」
しかしディアボロの動きをいち早く察知していた歌音は、相手めがけて素早く矢を射掛けた。
矢は鳥形の羽の一部を吹き飛ばし、その痛みに相手は軌道を変えてまた天上へと逃げ帰る。
「おお! にいちゃんやるなあ!」
なぜか嬉しそうなチルルに向かって、歌音は小首を傾げた。
「にいちゃん? 私はおねえちゃんよ?」
「お? あれ? ……そうだっけ?」
歌音と同じように首を傾げたチルルの真横を猿型の拳が通り抜け、空気を巻き上げた。
「おお!? 危ない!?」
「あっはは、ゴメンゴメンちょっとからかっただけ。信じちゃった?」
「時と場所を考えるべきだろ」
小さく注意する氷雅の周りに黄金に輝く東西様々な形の刀剣が浮かび上がると、武、仙也と斬り結んでいた狼、猿、さらには上空の鳥ディアボロに向かって飛んでいく。
「避けろ!」
その声に素早く反応した武と仙也が後方に飛んだその瞬間、彼らのいた場所に無数の刀剣が降り注ぎ、盛大に舞い上がった粉塵が二匹のディアボロを包み込む。上空の鳥型は身を捻ったものの歌音にやられたのとは逆の羽も負傷し、粉塵の中へと消えていった
「流石にこの一撃で死ぬほど弱くは無いと思うが」
「ならダメ押しだ!」
薄くなり始めた粉塵の向こう側に二匹の姿がうっすらと見えた瞬間仙也が叫ぶと、粉塵なびく位置に真っ赤な魔方陣が浮かび上がり、建物を揺るがす轟音をたてながら爆ぜ、犬、猿、二匹のディアボロが爆発によってはじき飛ばされた。
すかさず武とチルルのふたりがその二匹との距離を詰める。
口元から涎と血をまき散らす狼ディアボロが起き上がろうとした瞬間、額にチルルの放った矢が突き刺さった。
「大当たり! さっすがあたいね!」
『キャン』と甲高い声を上げた狼は、その場にドスンと音を立てて倒れると二度と動くことはなかった。
その姿を見た瞬間、猿型ディアボロが雄叫びをあげ周囲を威嚇する。
「どっち見てんだ?」
舞い上げる粉塵に紛れてディアボロの背後をとった武が両手に持った小太刀を閃かせた刹那、猿型ディアボロの全身から血が吹き出し、こちらもまた地面に倒れた後でピクリとも動かなくなる。
「これで全部か?」
仙也の呟きに答えるように爆発の中心部からか細い鳴き声が聞こえてきた。
「これで最後ですね」
Creasyが右の拳をかざして声の方に真っ赤な光弾を放つと、粉塵の中から悲鳴が聞こえ。今度こそあたりが静寂に包まれた。
「あ、違った。アンタが最後だったわね」
Creasyが今度はシーンに拳を向けて睨み付ける。
「少しはやるみたいじゃねえか。おかげで退屈せずに済みそうだ」
笑みを浮かべながら壇上から飛び降りたシーンの両足が地面を捉えた瞬間、周囲に軽い地響きが起きる。
「その前に提案。ちょっと一休みさせてくれよ」
「ああん?」
仙也の言葉にチンピラのような声を上げるシーン。しかしその身体から発せられる気迫はチンピラなどとは比べものにならないほどだ。
サファリパークなどで肉食獣の前にいけば、この雰囲気を少しでも味わえるかもしれない。
「アンタの目的は強い相手と戦う事だろ? だったらその方が都合が良いんじゃないか?」
「むぅ……」
顎に太い指を当てて思案するシーン。
「こんな要望にも答えられないとはやっぱり小物か」
「同じ悪魔として恥ずかしい」
「見た目に寄らず肝が小さいんだな」
「臆病者」
「あ、えーっと? ……そうだそうだ!」
「うるせえ! 勝手にしろ!」
氷雅、Creasy、武、歌音、チルルの順で口々に罵られたシーンがとうとうキレた。獣の咆哮に似たその声を聞きながらも、撃退士たちはニヤリと口元を歪めたのだった。
☆
「こんな風に休めるんだったら、紅茶でも持ってくるんだった」
思い思いに身体を休めて二十分ほど経ったころ、心底残念そうに呟いた歌音の言葉がシーンに我慢の限界を迎えさせた。
「……そろそろいいだろう?」
イライラを隠しもせずに放たれたその言葉。撃退士たちは顔を見合わせて頷きあった。
「その前に、やっぱり彼女を解放してくれないか? 気になって戦いに集中できないんだよ」
「これだけテメエらの要望を聞いてきたんだ充分だろ? さっきも言ったが助けたければ俺を殺してからにしな!」
流石にこれ以上譲る気はないようだ、声には厳格な色が乗っている。
「まあ、仕方ないか。念のために聞くけどアンタがやばくなったりした時に人質にしたりしないでくれよ?」
「誰がそんなことをするか!」
挑発された時とはまた種類の違う怒りがシーンの顔に浮かぶ。こと戦いに関してのプライドは高いらしい。
「余計な言葉はここまでだ! さあ、サッサとかかってきやがれ!」
両の拳を打ち付けるシーン。
撃退士たちが相手の様子を伺いながら展開し始める。
「先手必勝」
シーンの横にまわった歌音が静かに矢を放つ。
視界外からのその攻撃の音を聞きつけたシーンは素早く反応したが、流石に避けきることは出来ずに筋肉の隆起した肩に突き刺さった。
「っは、へでもねえな」
強気な言葉を放ちながら自らの肩に刺さった矢を引き抜いて握りつぶし、床に投げ出すと同時にその巨体に似合わぬ速度で走りだした。
「うおお!?」
そのターゲットは比較的近くにいたチルルだ、遠距離攻撃を仕掛けようとしていた彼女との距離を一気に詰めると引いた右拳を真っ直ぐに突き出す。
チルルが顔面の前で交差させた両腕でその攻撃を受け止めた瞬間。おおよそ肉体同士をぶつけたとは思えないほどの固く重い音が鳴り、チルルの小さな身体がきりもみしながら後方に飛ばされていく。
「うおお……なんのお!」
器用に空中で身を捻った彼女の両足が地面を捉えるが、その勢いは止まらずに更に数メートルほど滑っていく。
「……おお?」
目を白黒させるチルルだが、小さな身体が幸いしたらしい。ダメージらしいダメージも受けず吹き飛ばされただけですんだ。
「っち、やりそこ無かったか」
「相手は彼女だけじゃないぞ!」
「そういうこった!」
チルルに意識を向けていたシーンの背後を仙也と武がとり、それぞれの武器を振るう。
仙也の鉄鎖がシーンの顔面を襲うと、彼はチルルのように腕を掲げて受け止めた。
「クソが!」
怒りにまかせた右拳を仙也にたたき込もうとするシーン。しかしその攻撃は、間に割って入った武の手によって邪魔される。
彼は両手の小太刀をシーンの腕に当てるとそのまま攻撃を受け流し、身体が泳いだシーンの側頭部に小太刀の柄をたたき込んだ。
「反撃ぃ!」
武の一撃で体勢を崩したシーンの太ももに、チルルが放った虹色に輝く矢が深く突き刺さる。
「ぐあ!?」
片膝をついたシーンに向かって氷雅が無数の蒼い蝶を呼び出すが、シーンは片膝の状態から地面を転がって群がり始めるそれを避ける。
「意外と素早い……なら」
氷雅の瞳が壇上にあるゲートに注がれる。
その視線に気付いたシーンは太ももに矢を突き刺したまま地面を蹴り、恐るべき速度で氷雅に迫るが、その身体をCreasyが放った光弾が空中でたたき落した。
「させないわ!」
「くそが!」
さらに歌音の放った矢が襲いかかるが、シーンは眼前にかざした右掌を犠牲にしてこれを受け止める。
「残念だったね」
そんなシーンを尻目に氷雅がゲートに向かうために方向を変える。
「させねえって言ってんだろうが!」
シーンは無事な左手で床板を引きはがすと、ゲートに向かおうとする氷雅めがけてフリスビーのように投げつけた。
「危ない!」
『キュン』とおおそよ手から放たれた投擲物とは思えない速度で空気を切る床板。武の声でその飛来に気付いた氷雅は咄嗟に地面に伏せてそれを避けるが、床板はその肩口を軽く斬り裂いたあとで壁にぶつかって粉々に砕け散った。
「……今のは危なかった」
「外したか」
シーンはその攻撃が外れたのを確認するなり立ち上がると、右掌に突き刺さった矢を引き抜いて両腕を大きく開いた。
「くらえ!」
大きく開いた両腕を柏手でも撃つように動かしたシーン、しかしその両手が打ち合わされる直前に、仙也の放った黒鎖がシーンの右手を絡め取った。
「なに!?」
「なんだか分からないけど嫌な予感がしたんだよね」
戦いに身を置くものの勘か、シーンの行動をいち早く防いだ仙也がニヤリと笑う。
「クソ! 放しやがれ!」
「よそ見してる場合じゃないぜ?」
黒鎖の柄を握った仙也はそう言って顎をシーンの背後にしゃくってみせた。
シーンが慌てて振り返るが時既に遅く、チルルの放った矢が向き直ったシーンの腹部に突き刺さった。
その矢を一度は避けようとしたシーンであったが、その行動は右腕を封じていた仙也が許さなかった。黒鎖を引き彼の動きを阻害したのだ。
信じられないものを見るような目で自らの腹部を見るシーンは地響きをあげてその場に膝立ちになる。
「俺たちを甘く見てるからそういう目にあうんだ」
シーンの真横に立った武が言うと、シーンは目を見開いて彼を見上げる。
ふたりの視線がぶつかった瞬間。武は小太刀を使って印を切ると、身体の正面で交差させた両腕を思いっきり左右に開き、純白に光り輝く小太刀でシーンの首をはね飛ばしたのだった。
☆
戦いが終わり、撃退士たちは体育館の外で撤退の準備を始めていた。
「勢いの割に、あっけないヤツだったな」
「あたいたちが強すぎたのがいけなかったのね」
武の呟きに腕を組んでうんうんと頷くチルル。そんなチルルを『そうねえ、凄い凄い』などと歌音が調子づかせるものだから、チルルは背骨が折れるんじゃないかと思うほどに得意げに仰け反っている。
「はい、ホットココア。落ち着きますよ」
救出した少女を毛布でくるみ、ポットから注いだココアを渡すCreasy、すべて彼女が人質の身を思って用意したものだ。
そしてその効果は劇的だった。ココアの入ったポットの蓋部分を両手で受け取った瞬間、安堵からか少女は大粒の涙を流し始めた。
「うんうん、怖かったよね」
そっと少女の頭をCreasyが撫でる。
「こっちは終わったぞ」
「ゲートの破壊完了、これにて一件落着だ」
氷雅と仙也が体育館の入り口から出てきて全員に報告する。
その言葉を聞いたCreasyは少女の前でかがみ込み、笑顔を浮かべた。
「もう安心よ。さあ帰りましょう、ご両親が待ってるわ」
少女は言葉もなく涙を流し、しかし力強くその言葉に頷いた。