「なるほど、私に変身すると」
森の中を移動しながら、霧島は興味深そうに頷いた。
「はい、それを撮影すればお嬢様に報告する時便利でしょ?」
不知火あけび(
jc1857)がウィンクしながら笑った。
「それで私の服が必要だと」
「はい、サイズがあって助かりました。変化すれば身体の形も変わるけど、変化前は自前の身体ですから」
霧島と同様の黒いスーツ姿のあけびが、袖をつまみながら笑う。
「そうそう、それに敵の死体の偽物を私が作るから、それも使ってね」
「便利な能力ですね、私の現役時代にはありませんでした」
『ほら、こんな風に』と高瀬 里桜(j
ja0394)がすぐ頭の上を飛んでいた鳥をその手の上に作り上げた。
「なるほど、本物同様ですね」
「あ、さわっちゃ――」
霧島の手が触れた瞬間、鳥はあっけなく崩れて去ってしまった。
「おや?」
「私以外が触れるとそうなるの、壊れないような物を作ることも出来るから、霧島さんに渡す時はそっちでね」
「かしこまりました、注意いたします」
恭しく頭を下げる霧島を、里桜がまじまじと見つめた。
「どうかいたしましたか?」
「霧島さん、ボディーガードというよりメイドさんみたいだなあ、って」
その言葉に霧島が『なるほど』とまた頷いた。
「ボディーガードとはお嬢様の身を守ること、つまりその健康を守ることです。なので、私はお嬢様の身の回りのお世話もさせていただいております。ウィルス、添加物、ハウスダストなどお嬢様を脅かす全てからお嬢様を守るために尽力しています、そもそもお嬢様は――」
そこで、霧島は皆が頬を引きつらせていることに気がついた。
「おや? ご理解いただけない?」
「ひくわー」
ラファル A ユーティライネン(
jb4620)が自身の被るペンギン帽子のツバを触りながら呟いた。
「おや? 辛辣なご意見で」
「お嬢様に誉めてもらいたいって、なんだよそれ」
「なるほど、ラファル様には分かりませんか」
「ああ?」
「お嬢様のあの小さく、可憐で、花びらのような唇から紡ぎ出される賞賛の言葉。太陽よりも眩しいあの笑顔。それを一度見れば分かります、お嬢様がいかに素晴らしい存在であるのか……お嬢様の輝く瞬間をまとめてあるのですが、ご覧になりますか?」
「いやー、興味ないわ」
懐からノートを取り出そうとする霧島に、ラファルは冷め切った目を向けた。
「残念です、気が変わったらいつでも仰ってくださいお嬢様がいかに――」
「ところで、霧島さんの現役時代はなんのジョブを?」
いよいよラファルの瞳が危険な光を放ち始めた時、黄昏ひりょが(
jb3452)二人の間に割って入った。
「陰陽師です」
「へえー、偶然ですね。俺もなんですよ」
ニコニコと霧島の話を聞くひりょの横に、龍崎海(
ja0565)が並んだ。
「ディアボロと出会った場所はまだ遠いのか?」
「そうですね、もう少し」
もう三十分以上移動している。足場はそれほど悪くなく、樹木の根がたまに飛び出しているぐらいのものだ。撃退士の足で考えると、かなりの距離を歩いていることになる。
「大きな敷地ですね」
山里赤薔薇(Jb4090)の呟きに、霧島が瞳を輝かせた。
「そうなんです、まるでお嬢様の心の広さを表しているようでしょう? お嬢様のその心の広さといえば――」
「あなたは女性が好きなの?」
それ以上は語らせるかと、赤薔薇がカウンター気味に問いかけた。言葉を遮られた霧島は一瞬だけ口を尖らせてから、首を傾げた。
「いえ? 特別そういうわけでは……お嬢様は特別なのです。私はお嬢様に出会えた事を神に感謝しましたよ。撃退士をやっていて神に感謝というのもおかしな話ですが」
霧島は自嘲気味に笑うと、咳払いを一つ。声の調子を整えだした。
「どうしたの?」
「乱れた声でお嬢様の事を語ると、お嬢様を汚してしまいますので……」
不知火の問いかけに、霧島はさも当然と言い放つ。
「まあ、私の話はよいのです。それよりもお嬢――」
「いや、敵がどこにいるか分からない、そろそろ口をつぐんで索敵に気を使うべきだろう」
「……それもそうですね」
海の提案に不承不承口を閉じる霧島を見て、全員が『ナイス』という視線を向ける。
「あはは、私は霧島さん好きだなあ。面白い」
「不知火様の好意は嬉しいのですが、私にはお嬢様が」
「……そういう話じゃないんだよね」
あけびはがっくりと肩を落とすのだった。
☆
一同は森を更に進んでいた。未だに敵の姿はなく、おまけにラファルの姿もない『これ以上お嬢様の話聞いてたらどうにかなっちまうぜ、俺は上から捜す』と飛行翼を展開、空の住人になってしまったのだ。
「ダメだな、反応はない」
「こっちもそれらしいのは、いないですね」
海も赤薔薇も首を振り。離れた場所にいたあけびも『だめー』と肩をすくめていた。
「以前はこの辺りで遭遇したのですが」
「そのディアボロの擬態は、どの程度のものなんですか?」
ひりょが霧島に向き直って尋ねると、彼女は唇に右手の人差し指を当てて記憶を呼び起こし始めた。
「……見事なものでしたよ。以前まみえた時はたまたま移動する瞬間でしたので、みつけることができたのですが」
「なるほど、やっかいそうですね」
「そうですね、たしか前回目撃した時は丁度黄昏様の後ろにあるような形の枝で――」
「ひりょさん! 飛べ!」
霧島の言葉を遮って海が叫んだ瞬間、ひりょは反射的に前方に身を投げ出していた。同時に風を切る音が聞こえ、寸刻前まで彼の立っていた地面がえぐれる。
「……私がけしかけたわけではありませんよ?」
「わかってますよ!」
地面を転がって来たひりょは、霧島の横で立ち上がる。
霧島が指さした枝が鞭のようにしなっていた。獲物を取り逃がした悔しさを表すようにもう一度地面を叩くと、また地面が一直線にえぐれて土煙が舞う。
あと少し動くのが遅ければひりょはその餌食になっていただろう、海の言葉とほぼ同時に動けたのは歴戦の勘か。
「それでは皆様、よろしくお願いします」
霧島はそういうなりディアボロからゆっくりと距離を取り始めた。
全身がうねり、静止している間は森の木にしか見えない体。胴は細身の女性ほどで、手足は更に細く、触手のように自在に動いていた。そして胴の中央部にウロのような二つの穴がある、それが目なのだろう。
ディアボロは自分の周囲を取り囲む撃退士たちを見渡してから、木上を蛇のように移動する。その速度はすさまじく、並の脚力では到底追いつけそうにないが彼らは撃退士だ、さらに。
「韋駄天!」
ひりょが叫んだ瞬間、撃退士たちが爆発するような勢いで駆けだした。
「ラファルさんに連絡を取りました、すぐにきます!」
霧島が叫んだ――あけびの声で。
変化の術だ。
見た目は本物の霧島とまったく変わらない。違うところといえば声、それと本人にはない溌剌とした雰囲気だろうか。本物より三割増しで元気そうだ。
「食らいなさい!」
先行していた赤薔薇がライフルを具現化すると同時に、その場に片膝立ちになった。
「ふー……」
細く息を吐いたあとで、止める。
次の瞬間ライフルが火を噴いた。発砲音と同時に森の中にいた鳥たちが飛び立ち、木上を移動するディアボロの進行方向にあった枝を吹き飛ばすと、ディアボロは慌てて右へ進路を変える。
「ナイスだぜ」
何もない空間から声が聞こえたかと思うと、進路変更したディアボロの身体がいきなり吹き飛び、地面に叩きつけられた。
「俺様の方がかくれんぼはうめーみたいだな」
木上にラファルの姿が急に現れた。枝の上に仁王立ちして地面のディアボロをどや顔で見下ろしている。
何が起きたのか分からずに、取り乱すディアボロの胴を霧島――もとい、あけびが刀で斬り付ける。
口を閉じて、戦いに集中したその姿は霧島そのものだ。
ディアボロは怒りに身をよじると、両手の触手を振り回す。しかしあけびはふわりと飛び上がると近くにあった樹木を蹴って空中で転身、ディアボロの頭上を通り過ぎながら更に刀で斬り付ける。
彼女はまだ止まらない。反撃の触手を、頭をそらして避けるとまた飛び上がり、樹木から樹木へと壁走りの要領で駆け抜けてディアボロを幻惑する。
困惑するディアボロは片手を振り回しながら、空いた手を鞭のようにしならせ、木上のラファルに向けても放つ。
「甘いんだなー、それが」
再びラファルの身体が空間に溶け、触手は彼女が断っていた枝を吹き飛ばすだけだった。
「こっちこっち」
次の瞬間にはディアボロの背後にラファルが現れ、相手の身体を蹴り飛ばした。吹き飛んだディアボロが振り返った時にはもうラファルの姿はない。
「どこみてんだよ?」
またもディアボロの背後からの声、姿を現したラファルの右ストレートが振り返ったディアボロの顔をとらえた。
地面と水平にディアボロが吹き飛んだ。かなりの距離を飛んだが、何とか踏ん張り転倒は免れた。だが、その身体に無数の鎖が絡みついた。
「逃がさんぞ!」
鎖の根元は海が握っていた。彼の腕から伸びる数条の鎖がディアボロを絡め取り動きを封じる。
「龍崎さん、ナイス」
海の横をひりょが駆け抜ける。遅れて風がやってくるほどの速度だ。彼はそのまま射程まで走ると。霊符から氷の刃を撃ち出した。
刃は拘束されたディアボロの身体に深々と突き刺さり、透明な体液を溢れさせる。
「うわ、血まで樹液みたい。気持ち悪―い」
ふわっとした口調とは裏腹に、里桜の手から音符型の刃が勢いよく飛び出した。
ひりょが作った傷を更に広げたのだろう、ディアボロの身体から勢いよく体液が飛び散り、苦しみに身を捻ったディアボロが拘束から抜け出して木々の隙間に姿を消してしまう。
まさか拘束を破るなんて思わなかった一行は、それをただ見送る事しか出来なかった。
「火事場のナントカというやつかな、まさか束縛を破るとは」
術をかけた海自身が苦い物をかみつぶしたような表情を浮かべる。
「まいりましたね、また探し直しでしょうか?」
あけびの言葉に全員の眉が寄る。
「マジかよ、面倒だぜ」
「確かに、さっきの擬態の精度を考えると。また不意打ちされる危険が」
自身に匹敵する長さのライフルを担ぎながら、赤薔薇がディアボロの逃げ去った方向を注意深く観察している。たまに銃に付いているスコープをのぞき込んでいるが、収穫はないようだ。
「……あ、ねえねえ。じゃあさ、こういうのはどうかな?」
表情を曇らせる一同の中で、里桜の顔だけがニコッと輝いた。
☆
ディアボロは木上を注意深く移動していた。
周囲に襲ってきた連中の気配はなく、物音も聞こえない。
一度は逃げだそうかとも考えたが、彼は自身の擬態に絶対の信頼を置いていた。本気で擬態すれば、誰にも見つからないと。不意打ちで一人ずつ殺してやると決意していた。
注意深く、注意深く。周囲の様子を伺いながら、木上を移動しては擬態を繰り返し、自分を襲ってきた連中がいたところに戻る。
勿論、逃げた時とは別のルートだ。
たっぷりと時間をかけてさっきまで場所にたどり着いた。
――いた。やつらのうちの一人。その姿を見た彼は自分の身体に音符型の刃を撃ち込まれた時の痛みを思い出した。
同じ痛みを与えてやる。
そう決めると、彼女の死角を音もなく移動して近づくと、渾身の一撃を放つ。
彼の目の前で女の頭部が砕け散った。攻撃成功だ。
しかし彼の思考は戸惑いに支配された。あまりにも脆すぎる、生き物の身体はこんな風には砕けないはずだ。
だが彼はその疑問に答えを出すことが出来なかった。
次の瞬間、頭部に衝撃を受けたかと思うと、周囲に爆発音が響く。
あっという間に暗くなっていく視界の中で、彼が最後に見たのはこっちに向かってアッカンベーをする、たったいま殺したと思った女と、その横でライフルを構える女の姿だった。
☆
「見事な手際でした」
あけびから映像データ、里桜からディアボロの遺体を模した彫像を受け取った霧島は、深々と頭を下げた。
さっさと逃げたかと思いきや、戦いが終わった途端ひょっこりと現れたのだ。
「皆様には後日改めてお礼をさせていただきますが、今日はこれで失礼させていただきます、お嬢様が報告を待ちわびておりますので」
「ちょっと待って」
赤薔薇が呼び止めると、素早く踵を返していた霧島が首だけで振り返った。体は屋敷の方を向いている、早く帰りたくて仕方ないらしい。
「なにか?」
「あなたからは誰かを守ろうとする意思が感じられない。自分の見栄ばかりで。大事な人を失いたくないならもっと研鑽してください、心身共にね」
首だけ向けていた霧島が体ごと向き直った。そして再び深く頭を下げる。
「肝に銘じておきます。それでは」
今度こそ霧島は、屋敷に向かって歩き出したのだった。
☆
「よし! よくやったわ霧島! それでこそ私のボディーガードよ!」
「恐れ入ります」
頭を下げる霧島の前で、クリスティは満面の笑みだ。
(ああ、お嬢様。今日の笑顔も満点でございます、その笑みの前では太陽すらも陰って……)
「それにしても仕事が早かったわね、もう少し時間がかかるかと思ったけど?」
(お嬢様、お嬢様、その肢体に漲るエネルギーときたら……)
「ええ、彼らもよく頑張っていましたから」
「……彼ら?」
「……おや?」
「……霧島? どういうこと?」
クリスティの瞳がスッと細くなった。
☆
「ああ!? バレただと?」
『改めてお礼』を実行するために集められた撃退士たち。
ラファルが受付嬢の横に立つ霧島の報告をきくなり大声を出した。
「はい、考え事をしていたためうっかり口を滑らせてしまいまして」
「おいおい、じゃあ報酬はどうなるんだよ? そっちのミスなんだから、ちゃんと払ってもらうぜ?」
「それは勿論! むしろ報酬には色を付けさせていただきます!」
撃退士たちの頭の上に『?』が浮かぶ。
「山里様!」
「な、なに!?」
霧島が赤薔薇の前に立つなり彼女の両手を握る。
「ありがとうございます、あなたのおかげです」
「はい?」
「私を叱りつけるお嬢様の顔! 怒りに燃える激しいエネルギーを内包しながら、その瞳は刃のごとく冷たく鋭い、そのアンビバレントなお嬢様の素晴らしさといったら! ああ!」
ラファルは立ち上がるなり受付嬢の肩を掴み、素早く赤薔薇の前に立たせた。
「え? へ? え?」
「知り合いなんだろ? 後よろしくね」
困惑する受付嬢にそういうなりラファルは歩き出し、残りのメンバーも後に続く。
「私は気付いてしまったのです、叱られるのも決して悪くない、と。赤薔薇様の言う通り見栄など張らずに正直に……」
熱弁する霧島は目前の人物が入れ変わってることにも気付いていない。
「私、アドバイス間違えたかなぁ?」
「いやー、アレは仕方ないと思うよ」
首を捻る赤薔薇をあけびがフォローすると、その場にいた全員が深く頷いたのだった。