この季節特有の抜けるような高い青空に、穏やかな気候。そして目にも眩しい紅葉。思わず口元が綻びそうな風景を眼にしながらも、森をいく彼らの表情は優れなかった。
「いねえな。もうそろそろ目撃情報があった場所なんだがねぇ」
甲斐 銀仁朗(
jc1862)が愛刀で目前の枝を切り落としながら眉を寄せた。振り返って後続のメンバーを見るが、全員が彼の顔を見るなり首を振る。
山道から外れた森の中。足場は悪いが、彼らは一般人が平地を走るような速度でどんどん駆け上がっていく。
「話によればかなりでけぇヤツだ、見つけ損ねるってことはねぇと思うが……ん? あれは?」
甲斐の視線の先に、地面に落ちた真っ赤なバックパックがあった。更にその向こうには横たわる人影。
「遭難者か? おい! 助けに来たぞ!」
甲斐が呼びかけたが、人影はピクリとも動かない。彼のすぐ後ろにいたエカテリーナ・コドロワ(
jc0366)はその様子をみるなりショットガンを取り出して肩づけし、滑るような足取りで人影へと近づいていく。他のメンバーも彼女をカバーしながら進みはじめた。
「……なんだこれは?」
相手を射貫くようなエカテリーナの眼光が『それ』に注がれた。それは確かに人だった、しかしその身体は縦半分しかなかったのだ。かなり高齢の男性だ、顔は驚愕に固まっている。
「どうすればこんな傷口になる?」
「さあねえ?」
エカテリーナの呟きに答えながら、猪川 來鬼(
ja7445)が無造作に遺体の横にしゃがみ込んだ。黒髪を揺らしながら首を傾け、じっと傷口を見つめる。
「斬ったって感じじゃないね。傷口が潰れてるわけでもないし、溶けたりしたわけでもない」
「あらあら?」
落ちていた枝で遺体の傷口をいじりながら見聞していた猪川の横に、瞳を輝かせた瑞朔 琴葉(
jb9336)が、艶っぽい仕草でしゃがみ込んだ。
「本当ねえ、不思議な傷口」
楽しくて仕方ない、瑞策はそんな瞳を山頂に向けた。
「これをやったのがすぐそばにいるのね」
それを聞いた甲斐もまた笑みを浮かべ。
「面白くなってきやがった……おいそっちはどうだ?」
と、遙か上空で偵察しているはずの仲間に呼びかけた。
☆
「手がかりなしだ」
上空で目を凝らしていた南條 侑(
jb9620)が眉を寄せた。巨大な肉の塊だと聞いていたので、あっさりと見つけることが出来ると思っていた、しかし長い時間影も形もなく、内心焦り始めた時。
「ん!?」
彼の左前方でカラスの群れが飛び上がり、生木の裂ける音が静かな山に響いた。
「あそこか……うわ!?」
飛び上がったカラスの群れが真っ直ぐ彼に向かってきた、まるで小型のミサイルだ。
「くそ!」
慌てて高度を落としてカラスの群れを避ける。『なにか』から逃げるのに必死なのか、目前にいる彼のことがまったく見えていない。
「あの慌て方、間違いないな」
群れが飛び上がった場所に近づくにつれ、何か重いものを引きずるような音が聞こえてきて、そして彼は目撃した。
どう形容したものか――およそ生き物とは思えない。むき出しの内蔵のような、もしくは子供が生肉をでたらめにこね回したような。その表面は動く度に脈動し、あちこちカラスや人、山の動物が肉の中に半ば埋まっている。肉の左右からは、人の胴ほどの太さがある長い触手が生え、獲物を求めるようにのたうっている。
そしてその肉の前方に、要救助者たちの姿があった。
肉の移動速度はそう速くないのだが、山道で子供連れとなれば、到底逃げ切れるものではない、徐々に距離が縮まり、触手が届いてしまいそうだった。
子供たちを先に走らせて後を追っていた少女に触手が迫り、それに気付いた彼女があげた悲鳴を南條の耳が捕える。
「させるか!」
彼の掌がオーロラのような光を放ち、扇が飛ぶ。その扇は伸びた触手を地面に叩きつけると、旋回して彼の手の中に戻ってくる。
「逃げろ!」
彼女は南條の声に怯えた表情を浮かべたが、すぐに子供たちと一緒に走り出した。
触手を撃ち落とされた肉は彼女たちを追いかけるのをやめると、南條に向き直るように動き、肉の中心に埋まる長い嘴を持つ若い男性の顔を向けてきた。相手は頭上にいる南條をじっと見据えて触手を伸ばしたが、届かないことを知ると、少しの間彼を見つめた後で方向を変えてしまう。
「気を引けないか……」
南條は悔しそうにいうと、すぐにディアボロを追いかけた。
☆
皆月弥生一行は逃げるのに手間取っていた。朽ちた樹木や飛び出した岩、更には地面に積もった落ち葉のマットは天然のアスレチックだ、この上なく歩きづらい。
しかも運の悪いことに――
「きゃ!?」
先頭の女児が悲鳴をあげて姿を消した。一瞬ぎょっとしたが理由はすぐに分かった。先が小さな崖だったのだ。高さにしてみれば一メートルほどしかないのだが、慌てた子供たちにとってみれば致命的だ。後続の子供たちも止まりきれずに崖から転げ落ちてしまった。
「皆大丈夫!?」
皆月の声に、子供たちが次々と頭を上げた。落ち葉のおかげでどうやら怪我はないようだが――その足止めが致命的だった。
「……っひ!?」
自分にかかった大きな影に気付いた皆月は、恐る恐る背後を振り返って悲鳴を上げた。すぐ目の前に肉の塊がいて、無機質な黒く濁った瞳を彼女に向けていたのだ。
恐怖に身体を引きつらせながら、背後の様子を伺うと、子供たちも似たような状況だ。皆目をむいて肉の塊を凝視している。
肉の塊の触手がゆっくりと向かってくる。恐怖のあまり膝が震え歯が鳴るが、自分の意思ではもう止めることが出来ない。
「ひ……いや。いや……」
ぴたりと触手が頬に触れた。表面は何かに濡れ、動物の舌が舐め挙げるように動いたのを感じた瞬間、感情が爆発した。
「いやああああああ!」
その時、絶叫する彼女の前に何かが落ちてきた。
――人?
それはこちらに背を向ける、長く輝く金髪を揺らめかす女性だった。
「ラファルタイタアァァァァス!」
彼女の叫びに、金属同士がぶつかるような音が重なった。
重い音のアンサンブルと共に、彼女の白かった肌がとげとげしい金属に変わっていく。
「いけ! 走れ!」
ラファル A ユーティライネン(
jb4620)の力強い声を浴びた皆月は、びくっと身体を震わせてから戸惑ったように周囲を見渡す。
「走れ!」
今一度の力強い声。それが引き金になった。脚を動かし、崖の下にいた子供たちの所に向かう。
「逃げるよ!」
だが、子供たちは皆月の言葉も聞かずに泣き叫ぶばかりだ。
「ほら、お姉ちゃんの言うことをちゃんと聞いて」
いつの間にやってきたのか。黒髪を肩まで伸した女性が、まるで凍えた身体を温かい湯につけるような、恐怖で壊れかけた心に染みいってくる声で話しかけてきた。
「いい? アイツはうちたちがやっつけるから、逃げな。ね?」
子供たちは、今まで泣いていたのが嘘のように静まりかえり、話しかけている女性をじっと見ていた。
「あなたは大丈夫?」
これまたいつの間にやってきたのか。和装の女性が隣に立っていた。こんな状況なのに、思わず見とれてしまう美貌の持ち主で、話しかけてくるその声にすら色香が乗っている。
「山降りたら安全だから、頑張れるわよね?」
その言葉は柔らかく、しかし有無を言わせぬ迫力で、皆月は頷くことしか出来なかった。
「僕が今から陣をはって、君たちが逃げやすいようにする。大丈夫、安全だよ」
背後から聞こえてきたその声には覚えがあった。振り返った皆月が見たのは、さっき空から声をかけてくれた男性だ。
「あちらに進めば山道に出ることができる、子供たちのことを頼んだよ?」
促されるように肩を押され、皆月は子供たちをみた。いつの間にかすっかり落ち着いたようだ。この様子ならいける。
「わ、分かりました。皆いこう?」
子供たちが同時に頷いた。
☆
「これで邪魔者はなし。思う存分遊べるぜ」
他のメンバーから離れたところで、ライフルのスコープを覗いていた甲斐が口角を上げた。狙うはラファルに攻撃を加えようとしているディアボロの触手、その根元だ。引き金を絞り、肩に反動を感じた瞬間。スコープ内に写る触手があらぬ方向に跳ねた。
「……ビンゴ」
山に響き渡る轟音を聞きながら、エカテリーナも仕事をこなすために動いていた。逃げる子供たちの反対側に移動しながら、ディアボロの顔面に炸裂弾を撃ち込む。狙い違わず、弾丸は敵の顔で爆発した。
その攻撃で目をやられたディアボロが、身体を揺らしながら触手をでたらめに動かす。
「くらえ!」
しかしラファルはその攻撃を軽やかな身のこなしで避けながらディアボロに狙いを付けると、背中からいくつものロケットアームを発射。有線誘導でコントロールされたそのアームは、触手の間を絶妙な軌道で避けて巨体を掴み、動きを封じてしまう。
「今度はうちの番だよね」
子供たちの安全を確認した猪川が振り返ると、彼女の足下から数条の光り輝く鎖が飛び出し、こちらもディアボロの巨体に巻き付いて動きを封じる。
「ふふふ。あたしも楽しもうかしら」
いうなり、瑞朔は取り出した弓矢を構えてディアボロに矢を放つ。
空を切る風切り音を上げたその矢は、ディアボロの貌のすぐ横に深々と突き刺さり、巨大な身体には似つかわしくない、甲高い鳥のような悲鳴をあげさせた。
「あらあら、みっともない……ふふふ」
瑞朔はニヤリと笑いながら、悠然とした足取りで戦場を移動し始めた。
南條もまた、行動を開始していた。背中に羽を顕現させながらふわりと飛び上がり、手近な枝を蹴りつけて一息に上昇すると、武器を取り出して、ディアボロの視界の外から攻撃を加える。
方々から攻撃を加えられたディアボロは一度身体を震わせると、大きく口を開き、黄褐色のガスを吐きだした。ガスは意思を持つように近くにいたラファルと猪川に襲いかかったが、彼女たちは素早く飛び退いてそれを避ける。
次の瞬間。大きく口を開いたディアボロの顔が爆発した、エカテリーナの炸裂弾だ。その衝撃でディアボロの顔の右半分が吹き飛んでいた。
ディアボロは悲鳴をあげながら、苦し紛れの触手をラファルに振るうが、彼女はロケットアームでディアボロと繋がったまま素早く飛び退き、身をひねり、回転し、その全てを避けていく。その一連の動きはまるで舞踊だ。
ディアボロは執拗にラファルを狙うが、また銃声が響き、触手が逸れた。甲斐の狙撃だ。
狙撃で跳ねた触手に南條が追撃し触手が地面に叩きつけられると、ディアボロの左側が完全に空いた。
猪川はそれを見逃さず、敵に肉薄すると刀を抜き。光り輝く刀身で思いっきり斬り付けた。
「ギィィ!」
「もらったわ」
瑞策が悲鳴を上げる肉塊の口を狙って矢を放ったが、ディアボロが痛みに顔を捻ったせいで少し横に逸れてしまう。
「あら? いやね」
ディアボロが近くにいたラファルに襲いかかるが、彼女はそれを横に避けながら右手を振る。その瞬間、彼女の腕部に搭載されていたナノマシンが動き出して集積、彼女の腕部を一振りの長い刀へと変える。光を跳ね返すその刀身は、見事触手を切り落とした。
触手を切り落とされた痛みにディアボロが口を開き、隙を見逃さなかったエカテリーナが弾丸を撃ち込んだ。ショットガンが火を噴いた瞬間、彼女が黒い切りに包まれる。
「……さあ、豚のような悲鳴を上げろ」
エカテリーナの声の答えるようにディアボロが口から血液を噴出させた。今撃ち込んだ弾の効果だ、今頃ヤツの体内は弾丸の効果でグズグズに溶け始めていることだろう。
ディアボロが苦しみながら、血液と一緒にガスを吐きだした。そのガスは風に乗り、近くにいた猪川に押しかかる。
「やば!?」
飛び退くのが一瞬だけ遅れてしまった。少量だがガスを浴びてしまい、思わずディアボロから視線を外してしまった猪川の頭上に触手が襲いかかる。
「危ない!」
空からその様子を伺っていた南條の投げた扇が触手を打ち、その速度を減衰させ。その声に反射的に顔を上げた猪川は、襲いかかってきた触手を何とか刀で弾くことに成功する。
「……つぅ」
それでも完全に無傷とはいかなかったようだ、弾いた触手が掠めたのだ、服の右袖が破れて軽く血がにじんでいた。
更に触手が襲いかかってきたがその攻撃は甲斐の狙撃が阻み、猪川は怒りにまかせて刃を振るい、その触手を半ばまで断ち切った。更にラファルの刀、エカテリーナが炸裂弾を撃ち込み、触手を完全に分断してしまう。
「……そろそろ頃合いか?」
甲斐はそう言うとライフルを収納、刀を取り出して笑みを浮かべた。
「いくぜ!」
走り出した甲斐は、あっという間にディアボロとの距離を詰めると。触手をなくして反撃も出来ないディアボロの顔面に深々と刀を突き刺した。
ディアボロはその瞬間、大きく口を開けたが、もはや悲鳴を上げることもなかった。
「どうだ、効くだろ? ……あ?」
甲斐の目がディアボロの表面に見覚えのある男性の顔を見つけた。左半分しかないその顔はさっき山道で見つけた被害者のものだ。どうやらあの遺体はこのディアボロに取り込まれる瞬間千切れたものらしい。
「ようおっさん、カタキはとったぜ?」
☆
子供たちは先に避難していたが、そこはやはり撃退士。麓近くで彼らに追いついた。
皆安堵した表情を浮かべているのだが、ラファルだけががっかりと肩を落としている。子供たちに気を遣って手でも繋ぐかと聞いたのだが、強めの口調で拒否されてしまったのだ。どうやら擬装を解除したところを見られていたらしい。
南條がそんな彼女を慰めているとやっと山が切れ、アスファルトで舗装された道路が見えてきた。
「もう大丈夫だな、皆月君。子供たちは全員いるか? 怪我はないか?」
エカテリーナに聞かれた皆月は、彼女の迫力にたじたじとなりながらも子供を振り返り、小さく頷いた。
「ならばいい。一般人でありながらよく頑張ったな、たいしたものだ」
「あ、ありがとうございます」
「あれ? そういえば甲斐のヤツどこいった?」
瑞朔の髪に手櫛を通していた猪川が、ふと周りを見渡しながら呟いた。いつの間に姿を消したのか、甲斐の姿がなかったのだ。
「あれじゃないかしら?」
瑞朔の細い指がさす先に、古めかしく厳つい車があった。かなりの速度で一行の前までやってくると、甲高い音を立てて止まる。
「よう、琴葉。あれじゃあ遊び足りないだろ? どうだこの後?」
運転席の窓から顔を出した甲斐がそう呼びかけると、瑞朔がニヤリと口元を歪め歩き始める。
「あ、ちょっと琴葉」
「それじゃあね」
呼び止める猪川に笑いかけた瑞朔が助手席に乗ると。エンジンが唸り声をあげて、車はあっという間に走り去ってしまった。
「……やっぱり、アイツはいけ好かない」
どんどん小さくなる車体を見送りながら、猪川はそう呟いたのだった。