目にも痛いほどの夏の光を跳ね返す生命力溢れる緑の中に、周囲の風景には似つかわしくない寂れた建物がある。
随分と昔に廃業したホテル。
地元の人間でも年老いた人しか名前を知らないような、とっくに訪れる者も場所だが、その日は四つの影が建物を見上げていた。
「それでは打ち合わせ通りに」
雫(
ja1894)の声を合図に、四人の影が目を見張るような速度で動き出す。
全員の姿が見えなくなったことを確認した雫が、意識を集中させると、次の瞬間その背中に純白の羽が現れた。
彼女が慣れた様子で羽を動かすと、小さな身体が宙に浮かび上がり、あっという間にホテルの最上階である五階の窓枠に手をかける。
とうの昔にうち捨てられた建物の窓は、誰かのいたずらなのか全てが破られて、彼女は易々と侵入することに成功した。
「さて、問題のデビルはどこでしょ?」
雫は静かに、周りの気配をうかがいながらゆっくりと歩き出した。
☆
「どこかな? どこかな〜?」
のんきに聞こえる声を出しながらも、その目を油断なく周りを見渡しながら、不破 十六夜(
jb6122)がホテルの一階部分を探索していた。
そこまで豪華な作りではないとは言え仮にもホテル、探索場所はそれなりに広く彼女を含めた三人のメンバーは手分けして周囲を探していた。
事前の情報によれば、綾子以外の人質は宴会場にいるはずだ。その場所も予め地図を見て調べてある。
デビルが人質を移動させていなければ、彼女が今いるホールにある受付の右側にある通路に向かい中庭を脇に見ながら進めば行きあたる。しかし確実にそこにいるという確証があるわけでもなく、また三人揃った状態でデビルに出くわした場合、人質の救出が面倒になるという理由での戦力分散である。誰かがデビルに出会った場合囮になり、人質救出の時間を稼ぐ。
「流石にこの通路でデビルに出くわすと面倒だよね……よし」
彼女が不意に空間に溶ける。能力によって周囲の風景とどうかした彼女はできるだけ物音を立てないように、受付の脇を通り抜けていった。
電力の供給もとっくに切れ、薄暗い廊下を進む十六夜を両開きの巨大な扉が出迎える。彼女が首を上に向けると、扉の上にあるネームプレートには『宴会場』の文字がある。
そっと中の気配を探って見るが、物音一つ無く実際中に人がいるのかは分からなかった。
(開けて確認するしかないよね)
デビルもいるかもしれない。気を引き締めて十六夜がドアノブに手を伸した瞬間。
「……!?」
思わず大声を上げそうになってしまった十六夜は慌てて自分の口を両手で塞ぐ。
「びっくりした……」
「悪い悪い」
彼女のすぐ脇にあった壁から、透過を使い現れた逢見仙也(
jc1616)が声を落として謝ると、十六夜はほっと胸をなで下ろした。
「あっちも来たみたいだ」
仙也が十六夜の背後を指さしたので、彼女がそちらに首を捻ると彼女がやってきた廊下とは股違うルートを使って宴会場までやってきた佐藤 としお(
ja2489)の姿があった。
彼もこちらの存在に気付き、小さく身振りをする。
「ここに人質がいれば話は楽なんだけどね」
仙也の言葉に十六夜が頷いた。
☆
「……どうした?」
ミシュの許から一度捕えてある人間の様子を見に行こうと廊下を歩いていたデビルは、自分の配下であるディアボロが何かに気付いて首を跳ね上げたのを見逃さなかった。
「侵入者か?」
彼の言葉に応えるようにディアボロが短い唸り声を上げた。鼻をひくつかせながら、滋養げに首を振っている。
「上……下にもいるのか。何者だ?」
そうはさせるものかと、羽を生やして廊下を飛び上がったデビルであったが、透過するつもりだった天井に頭部をぶつけた瞬間、自体を理解した。
「撃退士か! いけ!」
再び廊下に降り立った彼の号令を聞いた瞬間、ディアボロが弾丸のように走り出しあっという間に階段を駆け上がっていく。
「こうなってはミシュさえ確保できれば人間などどうでも良い。やってきた撃退士をコロしてからまた集めるだけだ」
柳眉を逆立てながら、デビルも配下が向かっていた方向に歩き出した。
☆
五階を調べ終え。四階の半分程を調べ終えた雫は、とある客室の前で足を止めた。
「ココだけ地面が綺麗ね」
何年も使われていないこのホテルはあちこちにホコリが堆積し、さらには風雨によって打ち破られた窓から入り込んだ砂が層を作り上げている。ところがその汚れがその客室の前だけ少なくなっているのだ。
誰かがこの部屋を使い、出入りしているせいだろう。
雫が素早く動き、客室の扉に耳を当てる。
会話や物音は聞こえてこない。かといって中にデビルがいないとも限らない、雫は武器を実体化させると音がしないようにゆっくりとドアノブを回し、慎重に扉を開けた。
いつでも動けるように身体をたわませながら室内に入った彼女に鼻に、ホコリと何かの饐えたような臭い、更には血の臭いが混じって届いた。
物陰を覗き込みなが部屋の中央まで進んだところ、左手側で椅子に縛り付けられ血を流す金髪の青年がいた。
雫の接近にやっと気付いたのか、青年は呻き声を出したあとでゆっくりと顔を上げた。
「君は?」
「ミシュさんですか?」
彼の許に素早く駆け寄った雫は、ミシュが頷いたのを見た瞬間武器を使って彼を束縛している物を斬り裂いた。
ガチャッと音を立てて落ちる、金属製のワイヤーを蹴り飛ばした彼女はミシュの顔を覗き込む。
「時間がありませんので手短に、前田綾子さんの依頼であなたを助けに来ました? 動けますか?」
「撃退士か、綾子! 彼女は無事なのか!?」
「はい、問題ありません。あなたは」
「見た目ほどじゃないさ」
身体のあちらこちらに刃物で付けられたような傷があり。幾つかはかなり深く、未だに出血が止まっていないが、それでもそこはデビルゆえのタフネスか。
意外にもしっかりとした足取りで立ち上がった彼は、薄く笑って見せた。
「それは良かった。デビルの相手は私たちがします動けるようならば他にいる人質の救出をお願いしたいのですが」
「そうはいかないよ。この傷の借りは返さないと」
「いくらデビルといえども、その傷では全開では動けませんよね。あなたを無事に帰還させるのが任務です、何かあれば前田さんが悲しみますよ」
その名前を出されると弱いのか。ミシュは一瞬悔しそうに口元を歪めたが、やがてため息をつく。
「わかった、君の言う通りだ。他の人質はぼくが責任を持って苦そう」
雫はその言葉に頷くと、彼を伴い部屋の外へ。仲間にミシュを救出したと連絡を取ろうとしたとき、ふと感じた気配に右側を向くと、自分の背丈を遙かに超える体高の犬型ディアボロが牙を剥いてこちらを睨んでいた。
「ミシュさん行ってください!」
「すまない!」
行く手を阻むように巨大な剣を構えた雫の背後でミシュは走り出し、迷うことなく窓の向こう側に身を躍らせた。
「行かせません」
ミシュの後を追おうとした犬を牽制しながら、雫は鋭く睨み付けた。
☆
爆発音に続いて、小さな振動がホテルを揺らした。
「始まったみたいだな?」
人質を縛っているワイヤーを切断しながら、としおが言うと十六夜と仙也も頷いた。人質はディアボロに変えられるでもなく、全員が縛られて床に転がされていた。
ミシュを優先させ、後回しにされたのかもしれないが、なんにせよ好都合だ。
「急ごう」
最後のワイヤーを切断した仙也は人質を立たせ、宴会場の入り口に向かって歩き出した。
「おっと!?」
そんな声を上げながら仙也は人質を庇うように立ち、身構えた。
入り口に何者かの影が見えたからだ。
「……君たちは、彼女の仲間か?」
血にまみれた金髪の男。特徴から言ってそれがミシュであるのはすぐに分かった。
彼の姿を見た瞬間、人質たちが揃って悲鳴を上げて後退った。事情を知らない人質たちにしてみれば、彼は自分たちを攫ったデビルのひとりにすぎない。
「アンタがミシュだな? 手間が省けた」
仙也は口元に小さい笑みを浮かべながらミシュに近づいた。
「人質はぼくが責任を持って逃がそう。ぼくを助けた少女に頼まれたからね」
「佐藤さんと彼女に人質を逃がしてもらおうと思ったんだけど、都合がいい。あんたら彼について……」
振り返った仙也が見たのは、引きつった顔をする人質たちだ。
「あー、これは」
「恐怖を抱かれても仕方ないさ」
「それじゃあボクも避難のお手伝いするよ!」
十六夜が元気よく手を挙げ他のをみて、全員が頷く。
「というわけだ、彼女が先導する。んで、こっちにいる彼も心配は無い。保証するよ。一緒に逃げてくれ」
仙也がそう促し、十六夜が先導すると。人質たちは顔を見合わせて恐る恐るとった足取りで歩き出した。
「急げ急げ!」
仙也にけしかけられて、やっと人質たちが走り出す。
彼らに続いて、仙也ととしおが宴会場の外に出たときだ。中庭に巨大な影が降り注ぎ人質たちが悲鳴を上げた。
巨大な犬型ディアボロは、人質たちを見るなり遠吠えを上げる。
「っち! 来たな!」
としおが素早く武器を取り出し、人質と影の間に入った。
「いけ! 食い止める!」
としおが構えたライフルを発砲すると、人質たちは口々に悲鳴を上げながら耳を塞いで走り出す。
「ボクが先導するから! こっち!」
「ごめんなさい! 思ったより素早くて!」
十六夜が走り出した瞬間、そんな声と共にもう一つの影が中庭に現れた。
雫だ。彼女は身軽に着地するとディアボロの横で武器を構える。
「おのれ! 人間などはどうでもいいがミシュに逃げられたか……」
更にもう一つの影、デビルが忌々しそうな表情を浮かべながらゆっくりと降下してきた。
「役者が揃ったな、それじゃあ始めますか」
仙也が不敵に笑う。
「やかましい! そこをどけ!」
ディアボロとデビルが同時に走り出す。
「おっと!」
としおは横っ飛びでデビルたちのサイドに出るとライフルの引き金を引き、銃弾の雨をディアボロに浴びせかけた。
悲鳴を上げて飛びさがるディアボロの身体に、雫の放った三日月上の白刃が突き刺さる。
ディアボロはあまりの痛みに更に悲鳴を上げると、大きく口を開いて鞭のようにしなる舌を雫めがけて放つ。
しかし彼女は軽く後ろに向かって飛んでその攻撃を避けると。ディアボロは勢い余って大きくい体勢を崩した。
「隙あり!」
仙也が放った雷がディアボロの全身を叩くと、真っ黒に焼け焦げたディアボロはその場に崩れ去った。
「ふむ……その変のザコというわけではなさそうだな!」
デビルが仙也に襲いかかった。一気に距離を詰めると、爪を使った連撃を打ち込む。
「おっと!?」
仙也はその攻撃を避け、両手で受け、最後に大きく飛び退いた。
「あぶないあぶない」
不敵な表情を崩さない仙也、しかし右腕の袖口が避け、薄く出血していた。
さらに仙也に向かって走り出そうとしたデビル向かって白光が走った。
「ぬう!?」
デビルは咄嗟にその攻撃を防いだが、衝撃までは急襲出来なかったようで吹き飛ばされた。
「お待たせ! 人質は逃がしてきたよ!」
いつの間に戻ってきたのか、中庭にやってきていた十六夜がニッコリと笑っている。
撃退士たちはデビルが体勢を崩した瞬間を逃さなかった。
さらにとしおが銃撃を浴びせ、雫の放つ白刃がデビルを斬り裂く。
「おのれ!」
デビルは地面を蹴って飛び道具から大きく距離を取ったが、その先には仙也が待ち受けていた。
「させるか!」
その姿に気付いたデビルがもう一度爪を使っての連撃を繰り出した。
しかし仙也は出現させた槍を使ってその攻撃を全て打ち落としていく。
「二度も喰らわないよ!」
アクション映画のような動きで攻撃を全て受け流した仙也の槍が、今度はデビルに襲いかかる。その攻撃を防ごうとしたデビルの両腕を弾き、槍はデビルの腹部に深々と突き刺さる。
「貫け! オフィウクス!」
仙也が力強く槍を突き出すと、デビルの身体が地面と平行に飛びその身体を中庭の壁につなぎ止めた。
「今だ!」
十六夜の放った白光に身体を打たれ、悲鳴を上げたデビルの額をのとしおの放った銃弾が撃ち抜いた。
その瞬間悲鳴がやみ、デビルの全身から力が抜けた。
☆
ホテルから離れた国道。
デビルの退治を終えた撃退士たちを、ミシュと人質が迎えた。
だ人質たちの顔に既に恐怖はない。
「なに? 随分仲がよさそうじゃない?」
「いや、綾子のことを話したら皆打ち解けてくれて」
「なるほど」
肩をすくめる仙也の横を雫が通り過ぎる。
「この後はどうするの?」
「分からない……先ずは彼らを攫った罰を受けるべきか。その後は何とか綾子と過ごせれば」
「そう……あなたが協力的だったと報告書には書いておきます。それがどれほどの役に立つかはわかりませんが、無いよりかは良いはずです」
「ありがとう」
微笑むミシュの後ろから『俺も協力するぞ』『私も』などと人質たちの声が上がる。
どうやらミシュと綾子のドラマティックな恋愛模様は、随分と彼らの心を掴んだようだ。
「よし! それじゃあ帰ろうか!」
としおの号令でみんな歩き出す。
ふと、十六夜がミシュの横にならんだ。
「ねえねえ、前田さんのどこが一番気になったの?」
ニコリと笑って話しかけると。
「……先ずは彼女の性格だ。掴まった状態でもあるのに、自分の身よりも周囲を気遣っていた、それから――」
その後立て続けにミシュの口から放たれる、綾子に対する美辞麗句。止まらないその口撃(こうげき)に十六夜は目を白黒させる。
「わー! わー! じゃあ、自首して罪を償った後はどうするの? 学園に来るとか!?」
十六夜が声を張り上げてミシュを止めると、彼は少し考える素振りを見せ。
「なるほど、それもいいかもしれない。それよりも綾子はね――」
話を逸らす作戦は失敗。
その後30分は続いた惚気に、十六夜は気軽く訊ねたことを激しく後悔したのだった。