●旅館のお仕事開始
「宜しくお願いします!」
旅館に着くや否や、千葉 真一(
ja0070)は勢い良く頭を下げた。
「今日は良い社会経験の機会と思って頑張ります!」
「はい、こちらこそ、宜しくお願いいたします」
女将である北条春子は丁寧に頭を下げた。相手が学生であるにもかかわらず、一部の隙もない仕草。彼女の人柄の表れだろう。
その他の参加者達も各々挨拶をすると、春子は丁寧に頭を下げ、彼らを奥へと導く。
「では、早速作業をお願いいたします。どうぞ、こちらへ」
しずしずと歩く女将の後ろを撃退士達はついて行く。料理への興味や社会体験、宿題免除など、様々な想いを胸に秘めながら。
「先にこちらで着替えをして頂きます。お召し物が汚れてしまっては申し訳ありませんので」
通されたのは、客であれば通されることのない旅館の裏手だった。彼らは作務衣を受け取り男女別の更衣室へ入って行く。
「たくみくん……覗いたら天誅だからね?」
更衣室に入りかけた所で、思い出したかの様に藤咲千尋(
ja8564)が顔を出す。
「大丈夫! 任せて!」
名指しされた如月 拓海(
jb8795)は親指を立てて返事をする。何がどう大丈夫で、何をどう任せるのか疑問だが、千尋は扉を閉め、鍵をかけた。
●初日・営繕さんのお仕事
「おやおや、よくお似合いで。ところで、作務衣は寒えないですか?」
ナハハ、と笑いながら営繕の西山冬真が竹箒を差し出す。
「おっさんセンスあるわぁ……いや、寒くあらへんよ。オッサンのギャグも」
冬真の親父ギャグにゲラゲラ笑って答えつつ、梅垣 銀次(
ja6273)は竹箒を受け取り、早速作業に入る。
(古臭い匂い、デカい建物……実家のこと思い出すなぁ……)
旅館の外観を眺めた銀次の目に、ふと京都の店先が重なる。
(まぁ、そこまでの年でもあらへんにゃけどな)
竹箒を肩に担ぎ、銀次は冬真の後に続く。京都であったことは、とりあえず消化できている。感傷的になることはないのだ。目下、この仕事を終わらせて……
「夏休みの宿題が免除……これはデカいわ」
「宿題無しになるのか。そりゃ羨ましいね。まぁ、ここの宿だいは出してあげられないけど、頑張んなよ?」
「オッサン、流石にそれは無理あらへん?」
二人はゲラゲラと笑いながら裏手へ回って行く。
親父ギャグはともかく、冬真の手際は非常によかった。庭木の剪定をしながら随時銀次に指示を出し、庭を整えて行く。
「掃いたもんはどこに集めたらええのんや?」
「そうだねぇ、そこにシート引いて、その上に集めといてもらえる?」
どこの手伝いをするか迷っていた拓海を捕まえた銀次は、拓海にシートを任せ、庭木の枝葉を集め始める。竹箒と熊手を巧みに使い分け、シートの上に山を作る。
「兄ちゃん上手いね、道具の使い方が」
「こう見えてもガキの頃は家の前よぉ掃除させられてたんや」
褒められて上機嫌な銀次。作業に俄然力が入り、どんどんゴミが集まっていく。
「あら、随分作業が早いですね。庭の掃除が終わったら、薪なんかの作業もお願いしようかしら?」
進み具合を実に縁側にやって来た春子は、手慣れた銀次の様子に相好を崩して言う。
「まだ他にやることあるなら……そうやね、お任せやし」
ぐっと親指を立てた銀次と冬真に、春子は「宜しくお願いしますね」と頭を下げ、他の作業を見回りに行った。
「……しっかし、女将はん美人さんやなぁ」
「お孫さんいるよ、春子さん」
「まじ……?」
ボサ、と竹箒を芝生に落とす銀次だった。
●二日目・板前さんのお仕事
紅 貴子(
jb9730)が希望したのは板長の手伝いだ。
面白そう、という理由で参加した彼女にとって、興味を最も引くものがこの仕事だったようだ。趣味であり、一通りの基本は身に付いているが、それが何処まで通用するのか。いくつかの料理本を読みあさり知識は付けて来たつもりだ。
気合いを入れて来たは良いものの、初日は道具の場所や使うものの説明などでほとんどの時間を使ってしまった。しかし、道具の手入れや導線の確認など、大切なものであると理解した貴子は文句を言わずにその全てを覚えようと真剣に向き合っていた。
そして、二日目。届いた食材を見ながら貴子は密かに胸を躍らせる。
(職人の技、みせていただこうかしら……)
普段は下ろしている髪を一つにまとめ、白い割烹着に三角巾姿の貴子は、密かに板長の東秋男の技に期待を寄せていた。
「じゃあ、始めるか……」
秋男がそういうと、貴子はあてがわれた作業スペースで包丁を握る。
貴子が任せられたのは野菜の下ごしらえが中心だ。予約客の食事用はもちろん、当日客の分としてストックしておかなくてはならず、その量は一人では捌き切れない。その為の仕事だったのだが、希望したのは貴子だけだった。秋男は何を言うでもなく、無言で腕を動かし始める。まるで貴子に「目で覚えろ」とでも言う様に。
貴子もそれを感じ取ったのか、作業を食い入る様に見つめる。
簡単なものは貴子も付いて行ける。根菜を小さく切り分ければそれを真似て小さく切り分けて行く。バットに並べ、ラップをかけ重ねて行く。
ちらり、と秋男が貴子を見れば、貴子はどうだと言わんばかりに微笑んでみせる。すると、人参を取り出した秋男は飾り切りを始める。好戦的な性格が首をもたげ、貴子も人参を手に取る。
人参の花が咲き、胡瓜の鳥が羽根を広げる。
「どうかしら……?」
「……まぁまぁだな」
秋男は口の端を持ち上げ、それだけいって作業に戻る。
切り出しの時間、出来映えをみて、貴子は内心で舌を巻く。長年職人として仕事をしている男の、これがその技術であった。なまじ料理に精通している貴子は、その技術の確かさに感服し、同時に、それを間近で見られることに喜びを感じていた。
二人は黙々と作業を続ける。
(料理は美しさが大事。でも……)
山のような野菜を崩しながら貴子は考える。誰かに食べてもらう為の料理なのだ。職人とは、その誰かを思いながら料理を作る者のことを言う。
「お客様を思う気持ちが何より大事……」
「……そうだな。それは忘れたらいけねぇよ」
独り言のつもりで言った貴子の言葉に、秋男は短く答えた。顔は上げず、作業も止めず。
ただ、その頬には笑みが浮かんでいたのを貴子は目の端で見ていた。
●三日目・仲居さんのお仕事
「学園に来る前は使用人、所謂メイドさんをしてた事もあるの」
懐かしいわね、と零すのはエリシア・ジェネリエスト(
jb2911)。三日目ではあるが、未だに着慣れない作務衣を見ながら南原夏鈴の後を付いて行く。
「へぇ〜、エリシアさんってメイドさんしてたんですね。やっぱりメイド服とか着てたんですか?」
隣を歩く千尋が興味深げに聞いてくる。「執事も居たわよ」などとエリシアが答えると、彼女は身を乗り出して更に質問を重ねる。
「元気なのは結構。今日も作業はしっかり出来そうね」
夏鈴の言葉に、千尋は自分がはしゃぎ過ぎた事に気付いた。
「ご、ごめんなさい」
「いえいえ、いいのよ? こちらこそごめんなさいね。色々重なってちょっとピリピリしてるのかも」
夏鈴はそういうと、千尋に笑いかけた。
「お、お手柔らかにお願いしまーす……」
「そこはそこ」
「デスヨネ」
二人のやり取りに、エリシアが小さく笑う。
「和風の建物だと、また違った工夫もあって面白いわ……引き続き、ご指導のほど、宜しくお願いします」
エリシアが頭を下げると、千尋が慌てて同じ様に頭を下げた。
「じゃあ、最後は部屋の備品の整備よ。今からやる事を言うから、よく聞いてね」
一番端の部屋に着くと、夏鈴はそういって三人を振り返る。
「よし! 力仕事なら任せろ!」
そう意気込む真一だが、当初高い所を壁走りを活用できないかと思っていたが、客室の天井はそこまで高くなっておらず、脚立を使えば十分だと分かり断念していた。ジョブチェンジもして体を動かしたかった彼にとって、力仕事やあちこち走り回る仕事は寧ろ歓迎する内容である。
「じゃあ、俺は布団を干してくるから、部屋の整理頼むな!」
「ええ、良いわよ」
「うん! 任せて!」
真一の言葉に二人は頷き、各々作業に取りかかる。
「ここが布団部屋かぁ……客としてくる時は気付かない事だよなぁ」
普段何気なく使っている布団。山の様に詰め込まれたそれらを一つ掴むと、ふんわりとした感触が返ってくる。この布団で、客は一日の疲れを溶かすのだ。なら、これは利用客達には非常に重要な役割を持つ。
「気持ちよく使ってもらえるようにしないとな」
真一は布団を一抱えすると、布団部屋を飛び出した。
布団は山ほどあり、部屋も山ほどある。頼めば仲間が手伝ってくれるだろうが、真一は敢えて一人で『戦う』ことを選んだ。
その方がトレーニングになり、強くなれる気がする。そしてなにより、ピンチはヒーローを熱くさせる! 真一の心は燃えていた。巨悪(もちろん悪ではなくただの布団だが)に立ち向かう孤高(頼めば仲間は手伝ってくれる。敢えて一人で作業をしているに過ぎない)のヒーロー。
彼が目指し、力をもってもなお求め続ける姿がそこにあった…………のかは疑問である。今自分が熱い、それが彼には重要なのだ。多分。
休憩中の貴子が真一のその姿を見て首を傾げていたが、それはまた別の話。
「ふんすー!!」
一方、客間では千尋が元気よく作業をしていた。部屋に備え付けられている座椅子、座布団、座卓などを廊下に出していく。
そのあと、エリシアと共に掃き掃除をする。高い所はエリシアに任せ、千尋は畳みを綺麗に掃き清めていた。
「高い所から低い所へ、掃除はどこも同じなのね」
手慣れた様子のエリシアに、少々怪しい手つきの千尋。和室の掃除にまだ慣れない様子。
そんな千尋の様子をエリシアは優しく微笑む。天魔であるエリシアは、長い時間人と過ごしていた。
メイドとして屋敷で働いていたのも、人間からすれば昔話と言っても良いほどだ。
人間の一生は短い。でも、誰もがそれを精一杯生きている。寿命のないエリシアにとって、それはとても眩しいものだった。
だから、こうして一生懸命に何かに打ち込む事は、彼女にはとても大切な事だった。そして、目の前で一生懸命に働く少女もまた、彼女にとって眩しいものだった。
「……エリシアさん?」
「ううん、何でもないわ。頑張りましょう」
自分をじっと見ていたエリシアと目が合い、千尋は首を傾げる。エリシアの想いなど、知る由もない千尋は、疲れてるのかな、などと思いながら作業を再開する。
千尋は感謝していた。彼女はこの三日間、ミスをしなかったとは言えなかった。怒られたその日は部屋で落ち込みもした。しかし、千尋は千尋なりに出来る事をこなし、そして、出来ない事はエリシアが代わりにやってくれていた。
同じ作業をしていて、どうしてかいつも一緒に居るエリシア。
慣れた手つきでフォローをしてくれるエリシアに頼りっぱなしの自分に反省しつつ、作業を続ける。
「エリシアさん、疲れてるなら、少し休憩しようか?」
「……そうね、ちょっとだけサボっちゃおうかしら」
二人はそういって窓際に寄りかかる。空は青く、風は涼しい。千尋は体を窓際に預けた。このまま寝てしまおうか、とすら考えた。うっすら開けていた目が、だんだんと閉じてくる。
「おう、お二人さん。あんじょう気張ってるかぁ」
庭から声をかけて来た銀次の声に目を開ける。銀次と冬真が竹箒片手に手を振っていた。その横には拓海の姿もあり、ひらひらと手を振っている。
男の中に混じっているので元気がないのだろうか。千尋は苦笑し、手を振り返す。
「気張ってるよー! 銀次さんも頑張ってね! たくみくんも!」
「お嬢ちゃん、おじさんの応援もして終えんと悲しくなっちゃうよ」
「オッサン、ネタ尽きひんなホント!」
ゲラゲラと笑う二人に笑いかけた千尋は、楽しかった三日間を振り返る。
始めのうちはちょっとお礼を期待した。始めて少し経って、大変だなぁ、と思った。そして、今は楽しかったなぁ、と思う。できれば、もっと色々やりたい。けど、それはまた別の機会になるだろう。そう考え、体を起こす。
「さぁ、最後まで頑張ろー!」
「三日間、お疲れさまでした。おかげで何とか間に合いそうです」
辺りはすっかり暗くなった頃、全ての確認を終えた春子は頭を下げた。少ない人数の中、彼らの頑張りのおかげで直前の作業は全て終了していた。
「学園の方には私からご報告さし上げますね。ほんとうにありがとうございました」
撃退士たちは各々やり切った顔をして春子に頭を下げる。
「……あ、そういや女将さん。風呂の掃除とかって良かったんですか?」
布団を干しながら考えていた事を真一は尋ねる。旅館の目玉である温泉の作業は、この三日間何も言われなかった。あわよくば入れれば、と思っていた面々は少々残念そうだ。
「それは、私たちが済ませようと思います。私たちにもお仕事残しておいてくださいな」
悪戯っぽく笑う春子は、最後に封筒をそれぞれに渡して回る。
「これはほんのお礼です。宿泊、とまではいきませんけど、機会があたったら浸かりに来て下さいね」
封筒の中には、当日の入湯券。撃退士の面々はそれぞれ謝辞を述べ、久遠の湯を後にするのだった。