●おばあさんの家にて
「…心配である早く探し出すのである」
ラカン・シュトラウス(
jb2603)が手にしている写真にはキジトラの子猫が写っていた。
「この写真はどなたが?」
問いかけた和泉早記(
ja8918)に、おばあさんが穏やかな声で答える。
「親切な撃退士さんが居てねえ。こまめに様子を見に来てくれるんだけど、その人が撮ってくれたのよ」
話を聞きながら、なるほどと心の中でうなずく。
依頼を出したのもその人に違いない。
「それにしても、わざわざごめんねえ」
「いいえ、これも依頼……の一環ですから」
依頼主がおばあさんに詳しいことを言っていないこともあって、早記は少しぼかして答えた。
そして、話は実務的なことに移っていく。
「尾根山殿には子猫が帰ってきても良いように家で待機して欲しいのである」
「ではそうしましょう」
「あと、できれば食べさせている餌をもらえばありがいのですが」
「子猫の匂いのついたタオルとかも欲しいのである」
「はいはい、ちょっと待ってね」
おばあさんは奥へ引っ込んでいく。
姿が見えなくなってから、フロレンツィア(
jb5351)は大きく息を吐いた。
表立って問いかけてくることはないが、おばあさんはフロレンツィアの頭にある角を見ては視線を逸らしている。
肉親を天魔によって亡くしていることを考えれば無理もない。
ラカンについて意識していないのは単純に着ぐるみを着た変わった人と思っているのだろう。
(……おばあさんとも猫さんとも仲良くなれたらいいんだけど……不安がっててもしょうがないよね)
自分らしく元気に行こうとフロレンツィアが思い直す。
「お待たせ」
おばあさんもちょうど帰ってきた。
それぞれに求めていた物を受け取ると、
「良かったら名前、考えておいてください」
必ず連れ帰りますからと付け足して、早記が仲間たちを促す。
(猫だって、一緒に暮らせば家族な訳で。こういうこと言うと、哀れまれるのかな)
果たしておばあさんはどうなのであろうか。
いずれにせよ、猫を見つけて来なくては説得どころではなさそうだ。
「なんかおいらのばあちゃんのことや、愛犬さくらを思い出させる依頼だな…」
敷地から出た途端に、神野コウタ(
jb3220)からつぶやきが漏れた。
優しそうな笑み。
きっと、あのおばあさんも孫とかが生きていたら大事にしていたんだろうと思う。
「子猫もばあちゃんもできるだけ安全な所で暮らして欲しいしな、頑張らないと!」
そのためにもまずは子猫の捜索だと、コウタは意気込みを強くした。
(うん、もうこれ以上おばあさんに悲しい思いをさせる訳にはいかないよね。ちゃんと元気な子猫をおばあさんと対面させてあげないと)
竜見彩華(
jb4626)がうなずきを返す。
他の者も似たような思いだ。
次いで、撃退士たちはそれぞれに住宅地図のコピーを広げた。
先ほどおばあさんから得た情報を書き加えて、捜索場所を絞り込んでいく。
「仔猫は狭いところに潜り込むのが好きということでしたので、ちょっとした隙間も注意した方が良さそうです」
鑑夜 翠月(
jb0681)がおばあさんから聞いた情報を口にして、仲間たちに喚起する。
それぞれが思ったことを言い、地図のコピーはあっという間に注意書きで埋まった。
(おばあさんに安全な場所へ避難して頂くためにも、まずは猫さんを見つけましょう)
この後の説得にも必ず繋がると、翠月は確信している。
何故なら地図にはおばあさんの探した場所が大きな円となっていた。
●子猫を探して
撃退士たちは三つに分かれて子猫を探していた。
見当をつけた場所を分担して手早く捜索を行っていく――
「……はぁ、どこも同じやね」
彩華の口から溜め息が漏れた。
避難した人たちの家を回っているのだが、その度に寂寥感が心を苛む。
急いで逃げたのか家財道具がかなり残っている。
人の営みも途絶え、次第にこの家も朽ちていくのだろうか……。
「見つかりましたか?」
そこに、フロレンツィアが声をかけてきた。
「ううん…どうも、この家にはおらんみたいだべ……い、いや、いないみたいよ」
「だべ?」
「そ、それよりもフロレンツィアちゃんはもう一度、家の中を見てきてもらえるかな? あたしは周りを見てくるから」
「わかりました……それにしても誰も居ない家ってこんなにも寂しいものなんですね」
おばあさんの先ほどの態度も当然だと、フロレンツィアは心の中で付け足す。
「気にしたらだめだよ。これはフロレンツィアちゃんがやったことじゃないんだから、それよりも早く子猫を見つけないとね」
「…そうですね」
返答には少しだけわだかまりが感じられる。
それでも幼い姿の悪魔は元気な顔を見せて、狭い隙間や物陰を確かめ始めた。
(みんな、色々と思うところはあるよね)
彩華はフロレンツィアの姿をしばらく追ってからヒリュウを召喚する。
「…あたしも依頼に集中しないと」
ヒリュウから見える視界に意識を回して――その光景が一気に高度を上げた。
「いけーさくら2号!」
コウタの呼び出したヒリュウが空へと飛び立った。
視覚情報が得られる時間をむだにしないためにも要所要所を手早く確認していく。
そうして50秒後に視覚共有が解けると、傍らの翠月が問いかける。
「どうでしたか?」
「…いませんね……この辺りの屋根や壁とかに登って下りられなくなっているわけじゃなさそうです。あと、木もある程度は見ましたけど猫の姿は無かったと思います」
「それがわかっただけでも大助かりです」
翠月は労いの言葉をかけると影に溶け込むように身を潜める。
近くにいても気を抜けば見失ってしまいそうだ。
「僕が先行しますから少し遅れて付いてきてください……」
「わかりました。順番通りに行くんですね」
スケルトンがこの辺りに出るということもあって二人は警戒を払いながら子猫の捜索を行なっている。
そして、30分後。
二人は子猫と別の対象を発見していた。
(……スケルトンが2体)
物陰に隠れて、翠月は道路を歩いているスケルトンを観察する。
周りに仲間はいない。
何らかの行動を取っているというよりは、彷徨っているという感じだ。
「はぐれたみたいですね。どうしますか?」
「僕らだけでも対処できそうですが、念のために仲間を呼びましょう」
コウタの問いに答えて、翠月はそっと携帯を操作する。
その間も二人の目はスケルトンと、どこからか子猫が飛び出してこないか注意を払っていた。
「うむ、わかったのである。それでこちらの状況なのだが――」
携帯を顔から離して、ラカンは早記の背を、更にその先を見る。
崩れたいくつかのダンボール箱。
「…ちょっと待ってください。驚かせてもいけないので」
早記が手を伸ばすと、その奥から「みゃあみゃあ」と掠れかけた子猫の声が聞こえてくる。
目星をつけていた家のひとつで、倉庫が開けっ放しになっていたの見つけ、試しに声をかけてみると途端に鳴き声が聞こえてきた。翠月から連絡が来たのもちょうどその頃で良い結果を届けるべく、注意してダンボール箱を動かす。
暗がりの奥にキジトラの縞模様が見えた。次いで子猫の覗き込んでくる顔も。
「…間違いなさそうです」
もう一度よく確認してから、早記は断定した。
「思ったより早く見つけられて良かったのである」
「手を貸してください。この子、今にも飛び出してきそうです」
「わかったのである。二日近く何も食べてない割には元気なのであるな」
ダンボール箱をラカンが持ち、早記が逃げられないように警戒しながら恐る恐る手を伸ばす。
手にはおばあさんからもらった子猫の餌があった。
警戒していたのか少し時間は掛かったが、ダンボール箱の奥から餌を食べる音が聞こえてくる。
もう少し子猫の警戒を解くために二人は時間を置いて、遂に子猫を捕まえた。
「このまま寮まで誘拐…いや、これは連れ帰る依頼」
「そうである。さあ、尾根山殿のところに届けるのである」
スケルトンたちの前に、コウタが姿を現す。
「よし、さくら3号仕事だぞ!」
「こっちも行くよ。ストレイシオン、召喚! 防御効果、発動して!」
反対側からは彩華が。
二人の呼び出した暗青の竜が咆哮を上げてスケルトンを挟み込む。
その間に翠月が冥府の風を纏ってアウルの力を増幅させ、フロレンツィアが闇の翼を広げた。
二体のスケルトンが錆びた長剣を向けて襲かかってくるが、既に準備段階で大きく差が開いている。
「思いっきり行け、さくら3号!」
コウタの声に応えて青い燐光が大きくたなびいた。
竜が放った魔法の残滓が視界に広がり、スケルトンが受けた衝撃にたじろぐ。
「そのまま足止めをお願いします……」
声のした方から放たれる影のような何か。
翠月の撃ったそれがスケルトンに立て続けに突き刺さり、半壊したところに今度は頭上から声がする。
「何もやらせないのです」
スケルトンの真上を取ったフロレンツィアが投げつけたのは一枚の札。
当たると同時に爆発してスケルトンを完全に破砕すると、間髪を容れずにコウタの放った雷の玉が走る。
狙ったのはもう一体の方。
背面から突き刺さってスケルトンの態勢を大きく崩し、
「――そこよ!」
彩華の叫びに合わせえてストレイシオンが大きく息を吸い込む。
口から漏れる魔力の煌き。
同時に、彩華自身も間合いを詰めて魔法を叩き込もうとしている。
迎撃に振り上げられたスケルトンの長剣は、翠月の放った二の矢が牽制となってタイミングを遅らせる。
故にこれを阻むものは何もない。
渾身の力を込めた二重の魔法がスケルトンの体をくの字に折って、そのまま動きを止めた。
「…ふぅ、あっさりと終わったわね」
もうスケルトンが動かないのを確認して、彩華が息を吐き出した。
●おばあさんと子猫
子猫を連れて帰ると、おばあさんはおはぎを作って待ってくれていた。
で、ご好意に甘えさせてもらい。
今は子猫と遊びながら説得するタイミングをうかがっている。
「……あの、ひとつ聞いてもいいですか?」
フロレンツィアが恐る恐ると尋ねる。
「…何かしら?」
おばあさんの返答に少しだけ間のあったのが怖い。
「私は悪魔です。嫌われていても当然とは思うのですが……」
面と向かって態度に出していないだけに、フロレンツィアは説得よりも先にそのことを問いかけた。
「我も天使なれど人に拾われた猫なのである」
そこにラカンが口を挟む。
「我が人と共に歩んでいるのは祖父殿と祖母殿が良くしてくれたからなのである」
「…私は興味からでしたが、これからも人間と一緒に学園生活を送ってみたいと思っています」
「……そうなのかい、天魔にも…色々といるんだねえ」
納得がいったとうなずく、おばあさん。
いささか拍子抜けした反応に本当に分かっているのか、疑問が浮かんでくる。
「人間も色々といるからねえ。分かり合えて平和に暮らせるんならそれが一番いいんだよ」
どこか懐かしむような声色に、おばあさんの年齢がふと浮かんだ。
お年からして戦前の生まれ――昔の記憶でも思い出しているのだろうか。
「それならば話が早いのである。我を拾った祖父殿と祖母殿は今は安全な場所へ引越しているから、我は安心して学園へ通えるのである。尾根山殿のお孫殿やお子達も生きていれば、尾根山殿の安全と長生きを願うと思うのである」
ラカンの言葉に、おばあさんは寂しそうに顔を曇らせる。
「子猫のためにもおばあさん自身が思い出や必要な場所になってあげて欲しいな」
コウタも加わって、そのためにも安全なところへ避難して欲しいと伝える。
おばあさんの視線が撃退士を見て、次いで子猫に向く。
「仔猫を探していたところに天魔に遭遇しました。今後散歩に出た仔猫が襲われる可能性があるので、仔猫の為にも避難してほしいんです」
「それにおばあさんが亡くなったら猫さんに餌をあげる人はいなくなるかもしれません……」
翠月が畳み掛けると、フロレンツィアも口を開いた。
「我ら撃退士も神では無い故…もしもがあっては遅いのである。きっとゲートを破壊してこの地域を開放するゆえ安全区域へ避難していただけぬか?」
最後にラカンの誠実な言葉が一同の耳朶を打った。
おばあさんからどう答えたものかと逡巡の気配がする。やはり気にしているのは思い出の詰まったこの家のことか……迷いがあるところを見ると、同時に子猫のことや、ラカンの言ったことも胸中に渦巻いているに違いない。
(おばあさんに避難して貰いたいのは山々だけど、思い出を大事にしたいという気持ちも分かるなあ)
考え込んでいるのを見て、彩華はまだ説得するべきか迷いが生まれた。
年齢を考えれば、ラカンの言うように再びというのにも難しいものがある。それならば、思い出と共に最後を迎えたいというおばあさんの気持ちは分からなくもない。
彼女の背を押したのは寂寥感に包まれた町の光景で、
「私も、かつて大切な人を失いました。…その時誓ったんです。沢山の物を見て、感じて、あっちに行った時の土産話にするんだって」
それは自分が下した決断であった。
「生きていれば色々なことができます…その子に名前をつけてあげることも……サトミさんと子猫ちゃんが元気でいてくれたら、私は嬉しいです。だから…生きてください」
次いで口から零れたのは切なる願いだ。
(自分を大事にすることが、死んだ人の自分に向けた想いを大事にすることだと思うから……無理強いはできないけど、生きる事を選んでくれたら)
口にはできなかった思いも込めて、生きる道を選んで欲しいと願う。
見つめ返してくる、おばあさんの目はどことなく優しさが感じられた。
そして、早記を見たのは彼もまた何かを語ろうとしていたからだ。
早記が小さくうなずいて思いを声にする。
「命は意思より重いのか分からないし思い出も俺には推し量れません、けれど――」
おばあさんの膝の上に乗っている子猫を見る。
「この猫は、安全な所で遊び回って欲しいです。そして一度親と別れた子を、また家族と引き離したくない」
だから、お願いします、と早記は頭を下げた。
全員から話を聞いて、おばあさんはゆっくりと口を開く。
「こんなにも心配してもらえるなんて『私たち』は果報者だね」
子猫を撫でてやりながら、
「わかりました。安全なところに避難させてもらいます」
と言って深く頭を下げる。
「はい、可能な限り力にならせてもらいます」
翠月が声色を上げて応える。
同様に一同の顔に笑みが浮かんだ。
「なら、まずはこの子に名前をつけてあげてほしいな」
「もう決まりましたか?」
「……それがまだなんだよ。一緒にいい名前を考えてくれないかい?」
問いかけてくるおばあさんの膝の上で、子猫は体を反らして大きく伸びをする。
そして、何も知らずに呑気な声を上げるのであった。