結局、今実習は説明通りの6人1組チームで行なわれることに決定した。ずらりと並んだ新入生に対する上級生は3人。距離感はきっかり3メートル。ちょうど何かの壮行式を思わせる陣形で向かい合うと、まずはアーレイ・バーグ(
ja0276)が礼儀正しい一礼をなした。同タイミングで高瀬 颯真(
ja6220)もぺこんと頭を下げている。犬乃 さんぽ(
ja1272)に至っては、愛器のヨーヨーを構えて決めポーズをかます程の気合いの入り用だ。
「ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします!」
「今回はよろしくお願いします」
「ボク、犬乃さんぽです。先輩、今回は宜しくお願いします!」
「おお〜いいねぇ、元気な挨拶!」
上級生の白玉が顎を跳ね、歯を見せて笑う。
「いついかなる時も礼儀を欠かさずに。こちらこそ宜しく!」
勝負事ではお決まりの儀礼は会釈で一段落し、そのあとは皆一様に真剣な面持ちと化す。相変わらずの炎天下にも関わらず、薄笑いで余裕を漂わせる先輩達を凝視するまま、麻生 遊夜(
ja1838)はゆっくりと立ち位置を転じる。アーレイを護衛するための壁となり、額に滲んだ汗をぐいと拭いざまにごちる。
「分が悪いけど、やるしかなさそうだ」
「皆もっと薄着すればいいのに……」
後ろからひょっこりと顔を覗かせた少女を一瞥するなり、麻生は軽く肩を竦める。
「そうは言ってもアーレイさんはちょっと薄着すぎであるな」
「そうですか? ブラとか蒸すじゃないですか」
恥の字を知らないように、ほとんど剥き出しと言っても良い凶悪な胸の谷間へぱたぱたと風を送る少女には話が通じない。
新入生達の雰囲気は概ね前向きな印象であるが、隅の方で一人物静かにしている藍 星露(
ja5127)だけはどことなく雰囲気が違った。
勝利への意欲を見せる仲間の顔をゆっくりと見渡し、それから何か思うところがある素振りで目を伏せる。
「──よし、そろそろいいか−! 戦闘開始!」
熱波を切り裂く教師の号令。
こうして、それぞれがそれぞれの思惑を胸に、対戦実習は幕を開けたのだった。
***
(暑さでちょっとふらふらするけど、ニンジャの力で頑張るもん! ていうか、早く飲物飲みたい〜! あああ……!)
もしかしなくても仲間内で一番熱中症にほど近い位置にいるかもしれない──そんな犬乃は、文字通りふらつきかける両脚を叱咤するように地面を踏み締め、キッと前を睨んだ。今のところ他の仲間の出方に気を取られていると見える白玉へ狙いを定め、ニンジャパワーを発揮。滑らかな忍び足で気配を殺し、間合いの外を取るようにしながら、ゆっくりと後ろに回り込んでいく。
(よーしよしよし、気付いてない、気付かれてない)
「──来ねえのか下級生。ならこっちから行くぜ」
ジリジリとした膠着状態に痺れを切らしたように、まずは木瀬が攻勢に出た。回復役から崩そうという寸法か、真っ先に狙う先には龍崎海(
ja0565)の姿がある。手甲を嵌めた拳が疾風を起こし、敏捷な接近に目を剥く龍崎の鳩尾目掛けて吸い込まれていくが、
「とっておきだ」
衝突寸前、黒の双眼が涼しげに細められた。怯んだ素振りが嘘のように盾を翳し、強烈な一撃を難無く受け止める。先読みが巧みでなければこう上手くは行かない。衝突の煽りで生じる風を受けながら木瀬は僅かに眉を上げ、唇を笑みに撓らせる。呼応するように龍崎も微かに笑う。
「ふらついているのは、水分不足による影響だよ。──ダメージは0だ」
「ハ、」
打撃の重みが尾を引いて少しばかりよろめくが、あっけらかんと虚勢を張る。
そのまま退く龍崎と入れ違いに躍り出る高瀬が、ショートソードを振り上げる。虚を衝かれた木瀬の首に傷が走るものの、血がしぶくよりも先に、背後の月岡の指から放たれる光が、瞬く間に肌を癒していく。立て続けにもう一本の刃を踊らせる高瀬の顔には闘志が漲り、開始前の温厚な印象はまるで伺えない。
「後輩だからって舐めてるんですか? さっきみてーな一撃寄越してみろよ!」
刀身を手甲で受け止められた刹那、好戦的な笑みを向けて挑発する。
「そんなんじゃねえよ。お前ら凄ぇいい連携するな。ただ真っ先に俺を狙いまくるのは」
高瀬と競り合うまま、木瀬は今しがた傷の癒えたばかりの自らの首筋をトントン、と叩き示す。
「どうかな」
***
「うーん、木瀬結構押されてる? よしじゃあそろそろ月子ちゃんがあのハニーフェイス君を──」
「──俺がいることを忘れちゃ困りますよ、先輩」
「ッ!?」
切り込み隊長の挙動を仁王立ちで眺めていた白玉の耳を、突如として銃声が劈く。慌てて飛び退くと、ひび割れた地面から暗黒の煙が立ち上った。あきらかに足間接狙いの的確な発砲。続けざまに上がる砲音に顔を上げると、仲良く標的となったらしい木瀬が銃弾を躱すのが見える。麻生はピュウと口笛を吹き、
「あーあ、うまくやれたと思ったんだがなあ」
引き金に指を掛け直しながら、唇を苦く歪めた。そのまますらりと抜かれる黒刃を警戒し、麻生が一歩下がる。接戦になるとすれば銃は手放した方が得策だろう。短時間で頭をフル回転させ、さり気なくシルバーレガースを模したヒヒイロカネに手をやるが、
「ハッハ、惜しい惜しい! アタシのば、んッ!?」
白玉が哄笑したその時。
「──行かせないよ、空刃烈風シュリケーン!」
「ギャッ!!!!」
すっかり透明人間と化していた犬乃が、頃合いを見計らって放つ形無い刃──それが麻生にすっかり気を取られ切った白玉の背中を叩き、ぐらりと身が傾く。
「あぁあああ! っぶない!」
あわや転倒かと見せかけ、ギリギリで踏み止まる白玉の背後には、忍術書を銜えた犬乃の姿。あまりの展開に、集中攻撃を受ける木瀬と、それをカバーする月岡が同時にバッと振り向き雄叫びを上げる。
「「お前危なすぎるだろ!」」
奇跡的に生まれた隙をアーレイは見逃さなかった。
「──さてと」
豊かなバストを無駄にたゆたゆさせながら魔法書を開き、
「私の一撃……受け止められますか?」
風も無いのにパラ、と舞い上がるページ。指を這わせるなり、そこから生まれる雷が蛇のように地上を駆ける。異音に気付いた木瀬が振り向きざまに瞠目するが、逃れる寸前で電撃を喰らい、爪先から脳天までが大きく震え上がる。
「木瀬!」
響く月岡の声。アーレイは唇に悠然と弧を描き、ふらつく木瀬の姿にほくそ笑む。
「先輩とは言え阿修羅が魔法に強いわけはないですよね」
「っつ……」
目論見通り、全身が一時的な麻痺状態に陥った木瀬は、立つ状態を維持するのがやっとのようだ。それに追い打ちをかけるべく姿勢を低めた藍が猛進する。言葉少なな跳躍。が、攻撃に移るより早く素早く前衛に出た月岡が掌中から陽炎のような鎖を生んだ。光り輝く連環は伸ばされた左脛を危うく掠り、藍は咄嗟の判断で飛び退く。
「ッ!」
「惜しいね」
表情を歪めて着地し、藍は胸を喘がせる。冷静な顔はあくまでも崩さない。
(……転ばせることだけに集中しても、やっぱり難しいわね)
ダメージを与えることは忘れて、何はともあれ転ばせることだけに集中する。
撃退師としてまだまだ未熟である自分達が、正面からまともに戦ったところで勝てる訳が無いのだ──ゆっくりと深呼吸して目を閉じると、瞼の裏にヴァニタスにボロ負けして帰還した幼なじみの姿が過ぎる。
(隙を探るのよ)
***
「くそ」
すんでの所で月岡に庇われた木瀬はいまだ攻守不能な状態でよろめき、目の前の奇怪な現象を見ていた。目の前には──犬乃がたくさんいた。たくさんの犬乃に取り囲まれ、眩暈が起こりそうになる。というか既に起こっている。狼狽え続けていると、エコーがかった犬乃の声がうわんと響き渡った。
「「「同じ由緒正しき戦闘服を着てる者同士だもん、負けられない!」」」
「……どれがホンモノだからわからねえよ」
アーレイに喰らわされた電撃のダメージが尾を引いているらしい。黙って見ていることしか出来ずに舌打した瞬間、背後に覚える殺気。
「鏡影投射ミラー☆シャドー!」
「ぅっ!?」
実体の犬乃が放つヨーヨーが、実に鮮やかな軌跡を描く。辛くも木瀬が躱した瞬間。
「今だ!」
高瀬が叫び、その手が投擲する鋭利な忍苦無がヒュンと肩を掠った。たったそれだけで、状態異常に侵された木瀬のバランスはがくりと崩れ掛ける。
「ふむ、」
そこで出方を窺っていた麻生も動く。先輩よりも、寧ろ仲間の動作に感心するように音を上げ、
「ああいう動き方もありか。──これで止めになりますかね」
銃を木瀬に向け、片目を眇めて照準を合わせる。直後の発砲が木瀬の足にとどめをさし、たちまち腰が抜けるように膝をついた。
硝煙を垂れ流す銃口にフッと息を吹きかけ、麻生が晴れ晴れと笑う。
「よし、これで残り2人ってことだやな」
***
いざ始まってみると、新入生達はのぼせを感じさせない中々良好な動きをしている。
見たところ回復が必要な程にダメージを受けた人間もまだ存在していないようだ。遠巻きに競り合いを眺める龍崎は首筋に伝う汗を拭い、
「ならば」
倒れた木瀬を一瞥するなり、愛用の三節棍を引き抜いた。三本の棒を無駄の無い動きで連結させ、藍と対峙し続ける月岡の姿を凛と見据える。
「物理攻撃のほうがまだ威力が通る」
味方と睨み合いを続けている月岡は他者に対しての注意が些かお留守だ。その瞬間を見逃すまいと真っ直ぐに踏み込み、三節棍を突き出すと、直前で接近に気付いた月岡が息を呑んで後ずさる。それを許さずに瞬発力を発揮し、棒の先端でしたたかに肩を押す。激痛に音を上げる月岡。
「くっそ月子、こいつ何とかしろ!」
「無理こっちで手一杯! 恨むなら木瀬を恨め!」
大きく弾かれた月岡は辛うじて踏み止まるものの、護りがいない状態で狙われるのはきつい。舌打ち一つで再び鎖を生み、立ちはだかる龍崎の身体を捕縛しようと手を伸ばしかけ──目端を過ぎる閃光に瞑目する。瞬時に顔を庇い、腕の隙間から見えたものは輝きを放つ緑色の巨竜、否、しなやかな藍の片脚だ。先程は躱した強烈な膝蹴りを喰らい、月岡は呻きと共に弾き飛ばされる。闇雲に振り回される鎖が目標を転じて藍へ向かうが、飛び出す高瀬が翳す盾でそれを受ける。
「させねーよ!」
的確な盾役だ。悔しげに目を歪める月岡にニィと笑み零し、剣に持ち替え肩を狙う。突きの動き。逃げる月岡に一突き目こそ風を切るが、二刀流の高瀬の攻撃は全て躱せなければ意味が無い。得物を追い詰める目付きで高瀬はすかさずもう一方の剣を突き出し、遂に月岡の肩を掠る。
「ッいって!」
傷口を庇い、月岡が大きく前掲する。虚空に身を躍らせた藍は着地するなり高瀬の後を追い、足払いの追い打ちを喰らわせた。直前の一撃で既に碌な防御が取れなくなっていたのだろう、月岡は為す術もなくよろめき、鉄板のような地面の上に伏して動かなくなった。
「やった! 一丁上がり!」
途端にガッツポーズをする高瀬。その横で分解した三節根をしゃらりと垂らし、龍崎は感嘆の音を上げた。
「上手く連携出来たな」
「……そうね」
呼吸を整えるための時間を置いて藍もゆっくりと立ち上がり、目を回す月岡をジッと見下ろす。
「思っていたよりは」
だがその顔には、やはり手放しで喜ぶような色は伺えぬまま。
***
「残ってるのは白玉先輩だけですよ!」
「ひえー!」
啖呵を切るアーレイに白玉は飛び上がり、既にグラウンドの端で敗者らしく体育座りをしている木瀬と、膝を突くどころか大の字で失神している月岡の姿を見回す。魔法書で余裕綽々と顔を仰いでいたアーレイがページを開き、薄ら笑いと共に残る一人へ狙いを定める。
「膝をつかせればいいというだけなら、やはりスタンさせるのが一番早いようですね」
「クッ……」
実感の籠った一言を聞いて唸り、追い詰められた白玉は後退して行く。汗ばむ掌が得物を握り直し、ジッとアーレイを見据える。最初は愛くるしい顔を凝視していたのだが、なぜだか徐々に目線が下がり、
「……巨乳……」
ぼいーんと突き出した白い下乳に視線を定めるなり、額に青筋を浮かせた。響く咆哮。
「舐めんなよ一年!」
「きゃっ!?」
飛ぶような肉薄を見せ、振り上げる刃が翻るアーレイの襟元を容赦なく狙う。が、横合いから麻生が滑り込み、シルバーレガースを装着した片脚で際どく攻撃を押し止めた。
「っと、俺が動いてる限りアーレイさんは傷つけませんぜ」
顔を突き合わせ、口角を上げるような笑みを浮かべると、白玉が歯噛みする。
「あーもうアタシはそっちの女に用があるんだよ! 悩殺攻撃かい生意気な!」
「えっ、そんなつもりないのですけど……」
「うるさい!」
暖簾に腕押し糠に釘。
悩殺する気など毛頭無いのだろうが、アーレイが男組とまともにやり合ったら不味かったかもしれない。
白玉と麻生のじりじりとした競り合いが続き、互いの額に流れる汗が顎まで伝う。だが、ふと爪先に感じた違和感に片眉を上げた白玉の視線が一瞬地面に落ちた。隙有り。麻生は腹に力を溜め、白玉の身体を勢い任せに押し退ける。
「覚悟!」
大きく仰け反った白玉の肩の高さへ、高々と蹴りを見舞う。白玉は息を詰め、だがすぐにスッと双眸を細めて刀身の半ばでその打撃を受けた。受け流すような軌道で腕を払い、麻生の脇を擦り抜けてニッと笑う。
「惜しいね! っと、わっ! 何!?」
前衛を突破されて身構えたアーレイの前で、白玉の足が引っ張られた。先程爪先に覚えた違和感再び。
見下ろすとそこにはいつのまにか綱糸があり、転ばせるための罠のようだ。もう少し強く引かれれば、身体は完全にバランスを崩して倒れたかもしれない。しかし綱糸はそれ以上強く引かれる事無く──罠をしかけた張本人は疾風のように接近するなり白玉からペットボトルを奪い、緊急離脱を果たした。
「白玉先輩、飲物は貰ったよ!」
「しまっ……!」
犬乃がキャップを捻り、白玉の瞳が大きく瞠られる。それはさしずめ強力なアイテムを奪われて絶体絶命と化した様相にも見えたが──。
「ぶわっ!?」
なんてことある筈も無く──犬乃はプシャッと噴き上がる炭酸水の洗礼を、モロに浴びた。
同時に響き渡るチャイムの音。
飛び散る水滴を読んだように躱す龍崎。
教師の号令……。
「狙うなら他の二人の飲み物にすればいいのに! 惜っしいなあ一年坊、でも難しい事やろうとする姿勢はいいね」
どこか微笑ましげに白玉が告げる。
──こうして、計2名の先輩を倒した新入生達には無事「○」の評価が下されたのだった。
「研究の余地がありますね」とか「いつか追いついてみせます、その時は……全力で」だとか、真摯な精進を願う新入生達の傍らで、炭酸に目をやられた犬乃が暫く悶え苦しんでいた事は言うまでもない。