● 鏡の中の天使
ウィル・オー・ウィスプと呼ばれるサーヴァントはひんやりとした鏡の中でじっとしていた。ほんの少し前までは昼間には引っ切り無しに少女が目の前で鏡の中を覗き込んで身だしなみを整えていたりもしていた。しかし、昼間に襲いかかる事はしなかった。目立った動きをすれば撃退士に殺されるぞ、と彼を生み出した天使によく言われていたからだ。
仕方が無いので夜に、時折現れる人間を襲う事にした。月に1度訪れるかどうかの食事の時間、正直若干物足りない。だが彼にとてはそれなりの安全と、少ないとは言え食事と住居が提供されるここは素晴らしい居場所であった。娯楽がないといえばないのだが、彼は知能が極めて低い。
親代わりだった天使が赤髪だったので、赤い物は襲ってはいけない。なんて事でしか親の事も覚えていない。だから、なんという事はなかった。
そろそろ飢えが限界なのだが、そろそろ三日月だ。三日月の夜は不思議と人間がここに訪れる。彼は今夜は食事にありつけるかな、と心を踊らすのであった。
● 夜の校舎へ
「怪談話か、嫌いじゃないわね、怪しげな状況とかぞくぞくするわ」
夜の校舎を前に蒼波セツナ(
ja1159)がさも天魔でない存在の出現を期待に胸膨らます様な事を言うが、言葉とは反対に口調からはあまり嬉しさが感じられない淡々としたものだ。
「真夜中に現れるもう一人の自分…あまり良さそうな幽霊には感じないね」
調査対象が幽霊である前例のように永連 璃遠(
ja2142)が左胸にさした薔薇が落ちないか確認しながら言う。
「『何か』は、天魔だと……いいな。幽霊だと、私じゃ……狩れないから、ね 」
蒼波とは対照的にダッシュ・アナザー(
jb3147)は、幽霊でなく天魔であって欲しいと願っているようだ。
「何が出るかわからないけど、都市伝説の正体見たりってなるといいわね」
ヨナ(
ja8847)が、そちらには目を向けず薔薇のトゲをむしる事に集中しながら呟く。
「……どうでも……いい……」
会話の流れを断ち切って校舎へと歩を進めた炎とともに眠るもの(
jb4000)を追うようにに全員が夜の校舎へと踏み出す。
「とりあえずここなら落ないよね!」
薔薇をどこに身につけようか悩んでいた菊開 すみれ(
ja6392)は、置いて行かれそうになり、慌てて身軽さを追求した大きく開いた胸元から谷間に薔薇を挟み込んで小走りで追いかけた。
● 枯れ尾花見たり
零時まで後少し。校舎の中は昼の賑やかさの揺り返しの様に静まり返り、六人の足音が響き渡る。
「夜の学校、か……何か、落ち着く気がする」
対象が現れるという三階へと向かいながら、ダッシュが呟いた。対象が天魔だった場合に感づかれるのを恐れてか、囁く様な声だ。
「敵は、相手の容姿を、コピーするかも……だから、もし、自分の姿を……真似された時に、判別ができる様……各々、言う言葉を決めておく」
唐突に炎とともに眠るものが言い、誰かの返事を待たずに言葉を続ける。
「コレは……、『疑わしきを爆せよ』」
「今夜の月は綺麗だね、かな。僕はこんな感じの唐突な事をいいます」
「そうねぇ……。私は、都市伝説かしら」
炎とともに眠るものと同じ事を考えていたのか、間をあけずに永連とヨナが答える。他の面々は何と言えば自分だとわかるだろうかと考えこんでしまい、ぱっとは出てこないようだ。
「……っと。この話はここまでね、あそこが例のトイレだわ」
話している間に、三日月に薄く照らされた廊下の奥にトイレの入り口がうっすらと確認できる距離まできていた。
ヨナの言葉に全員が顔を引き締めて事前に話し合った配置に素早く移動し戦闘に備える。
――23:59:38
蒼波は、トイレからやや離れた廊下に待機する。首元に赤いマフラーを巻き、支給された薔薇をピンで胸元に刺す。いつでも攻撃できるように手元に符を取り出している。
――23:59:45
蒼波もややトイレよりの位置にモラクスホーンを装備した永連がいつでも攻撃に移れるように身構えて立つ。
――23:59:48
入り口を挟んで反対側に炎とともに眠るものがいつでも召喚できるように呼吸を整えている。
――23:59:52
それらから離れた所、廊下の電気のスイッチのところで菊開が闇を見渡しながら、電気を付けるタイミングを図っている。
――23:59:56
そして、トイレの入り口の脇で、ヨナとダッシュが全員の配置と準備が整うの待ちながら、時計を見ながら零時になるのを待つ。
――00:00:00
時間になった瞬間、ヨナが一気に女子トイレへと駆け込む。その後ろで天魔を逃すまいとダッシュが入り口前に陣取る。
「ヨナさん……、女子トイレにはいるのは問題なかったのかな……」
入り口で阻霊符を展開したダッシュがふと気になったのか今更な事を言って、ヨナがそれに何か答えようと口を開きかけるが、鏡の様子を見て剣を引き抜いた。
鏡が淡く光ったかと思うと、それが人の姿――ヨナと全く同じ姿に収束する。そして、ヨナに掴みかかろうとするが、何かに気付いたのかためらったように立ち止まる。ヨナはそれを好機とばかりに剣を振りぬく。彼我の距離が少しはなれていて、ヨナの攻撃は空振るかと思われた。しかし刀身が空中で幾つにも分離して伸び、鞭のようにしなってヨナの姿をした何かを切りつけた。
「……グゥァ!?」
ヨナの姿をした何かは、しかしヨナとは違う獣のような声を上げて、一歩後退する。攻撃されたことで、ヨナを敵と認識したのかさっきのためらいを打ち消して、思い切りヨナの方へと踏み込む。ヨナはバックステップで距離をとってトイレから飛び出して声を上げる。
「出たわよ! ……しかし本当にそっくりね。ドッペルみたいじゃないの」
ヨナの知らせを聞いた菊開が電気のスイッチを入れた。急に明かりがついた事で、全員の動きが止まる。その隙を逃さずにヨナの姿をした何かがヨナを殴り付ける。たいした痛みはないものの、自らの失態にかヨナは顔を歪める。
「させないよ……!」
さらなる追撃に移ろうとしているヨナの姿をした何かに、ショットガンを放つ。完全にヨナに意識を取られていたそれはもろに攻撃を受けて吹き飛ぶ。ヨナの姿が揺らいで、白い光の塊へと変わった。
「何だ……ただの天魔なの……」
心底がっかりしたように蒼波が言いながら、照明を受けて煌く氷の錘を放つ。それを天魔――ウィル・オー・ウィスプは歪めるようにして体の形を変えて躱す。そして、今度は蒼波の姿へと変わる。
「幽霊じゃ、ない……なら、それでいい」
蒼波の言葉に応えながら、ダッシュが牽制するように銃弾をばらまく。
「術式展開――管理番号零零弐号解放要請――解放確認――C『G』顕現――」
ウィル・オー・ウィスプと蒼波の間を塞ぐように、炎とともに眠るものが炎の翼を広げる竜を呼び出す。そちらには攻撃に移れないと悟ったウイル・オー・ウィスプは身を反転させて、炎とともに眠るものへと向き直って跳びかかる。しかし、またも直前で動きを止めた。
「術式展開――管理番号零壱壱号解放要請――解放確認――C1st1発現――」
不審な天魔の動きであったが、炎とともに眠るものはそれを意に介さず呼び出した炎の竜へと攻撃を命じる。背後から迫る爆炎を立ち止まった天魔が避けられるはずもなく、爆炎に飲まれて吹き飛ぶ。
爆発による煙で、一瞬視界が遮られた。煙が晴れると、そこに炎とともに眠るものが二人立っている。
「疑わしきは爆せよ」
そう片方が発したのを聞くや否や、永連が何も言葉を発さなかった方へと踏み込んで、顎を思い切り殴り抜ける。人間であれば首の骨が折れる程の力で殴られたにも関わらず、ウィル・オー・ウィスプは半歩足を引いただけで踏みとどまる。そして、永連に掴みかかる。だが、掴みかかられたところを永連が足払いを掛けて、二人が抱きあうように転がった。
埃を巻き上げて、立ち上がるとそこには永連が二人。
「今夜の月は綺麗だね?」
そう言いながら、永連が自らと同じ姿となったウィル・オー・ウィスプのこめかみを殴る。二度に渡る頭部への攻撃に流石にダメージが蓄積したのかウィル・オー・ウィスプの動きが止まる。
「ころころと姿を変えないでください!」
そこへスイッチの場所から駆けつけた菊開がアウルを練ってウィル・オー・ウィスプへとぶつけた。
「一気に敵を落とすわよ」
マーキングで合言葉なしに区別が付くようになったところへ、蒼波が再び氷の錘を打ち出す。狙い違わず天魔の姿を貫き、壁へと縫い付けた。
「集中! 私の眼からは逃げられません!」
完全に動きが止まったウィル・オー・ウィスプを、絶対に逃すまいと深く息を吐きながら菊開が長弓を引き絞って放つ。
「……なんというか。味方を攻撃してるみたいですね……」
吸い込まれるように、胸元に矢が尽きたったの見て気分が悪そうに菊開が感想をもらす。
完全に動きが止まったところにヨナとダッシュ、そして炎とともに眠るものが召喚した竜が止めを刺そうと跳びかかった。しかし、その誰かが到達するよりも早く姿を光の形へと変えて呪縛から逃れる。
「また……ちょこまかと……!」
「また姿変えようっていうのかしら、無駄よ!」
ダッシュとヨナが攻撃を躱され、苛立たしげに天魔を目線で追う。召喚の有効時間が切れたのか、炎とともに眠るものが呼び出した炎龍はその姿を消す。
光が収束した姿は、菊開の物だ。服装まで真似ているのだから当然だが、胸元を開いた服を纏い、前傾気味の姿勢は今にも胸が零れ落ちそうだ。
「――!!」
それを見た菊開は顔を強張らせ、頬を紅潮させて天魔へと一直線に駆け寄って懐からハリセンを取り出す。
スッパアァン!!
「わ、私はこんなにえっちじゃないです!」
音の割にまったくダメージがない攻撃だ。気が動転したあまりの攻撃だったが、無防備に天魔に近寄った事には違いない。誰もが反撃を受けて吹き飛ぶ数瞬後の菊開の未来を予想した。
スッパアァン!!
「な、な! 何を胸ばっかりみてるんですか!」
菊開の胸元を見つめる、もう一人の菊開を菊開が再びハリセンで天魔の頭を叩く。
――正確には、天魔は谷間の薔薇に目線を奪われているのだが。
急に始まったどつき漫才に攻撃の手が止まる。――ただ一人を除いて。
「術式展開――管理番号零壱壱号解放要請――解放確認――C1st1発現――」
炎とともに眠るものが、再度呼び出した竜へと攻撃を命じる。爆炎に天魔が飲まれた。
「……! わ、私は本物です!」
危うく巻き添えを食らいそうになった菊開が抗議の声を上げるが、炎とともに眠るものはそれを意に介さず追撃を命じる。竜が天魔の体を翼で打ち据える寸前、再びその体を光へと変えてそれをすり抜ける。攻撃が躱され、勢い余ってたたらを踏む竜へとウィル・オー・ウィスプが一際明るく輝いたあと、光線を放つ。それは、竜の体だけでなく床までも一瞬にして貫く。
「すごい攻撃だね……。当てられる前に始末しなきゃね……!」
竜の方に気を取られた、ウィル・オー・ウィスプへ向かってダッシュがアウルを纏わせた剣で切りつけた。アウルを纏った攻撃はその体をすり抜ける事無く、切り飛ばす。
切りつけられた勢いで、吹き飛んだ先にはヨナが待ち構えていた。
「光の子なら、これとか痛いんじゃないかしら?」
天魔の姿と対象敵に、全ての光を吸い込む闇を刀身に纏わせてヨナが薄く微笑む。
振りぬかれた闇が、光を両断した。
「……終わったわね」
確かな手応えを感じてヨナが呟く。
夜の学校に静寂が戻った。
● 結局のところ
「なるほど……鏡に透過で隠れていて夜な夜な人間をおそっていたのね」
蒼波はしげしげと天魔が現れた鏡を眺める。その表情はどこかつまらなそうだ。
「でも何故、この天魔は……オカルトに、沿うような……行動を? オカルト好きな、天魔……だったの、かな?」
ダッシュは自分が展開した、かつて阻霊符だった炭をつつきながら疑問を呈する。阻霊符は、戦いの最中爆炎に耐え切れず燃えてしまっていたらしい。
「怪談が、流行るのも……誰かが……死ぬのも……。コレには、関係無い……。コレは……爆せれば、それでいい……」
そう炎とともに眠るものは呟きを残して、皆に背を見せてさっさと帰ってしまう。
「わたしはえっちじゃない……わたしはえっちじゃない……」
考察をする皆をよそに菊開は壁にぶつぶつと何かをつぶやいていた。
――さて、どこにでも規則というものを破るものがいる。
立入禁止と言われれば入りたがる者が居るように。
規則を破って撃退士の戦闘を見ていた学生によって、『胸元全開で男子生徒を誘惑し生気を奪い取る幽霊が現れる』という新たな怪談話が作られるのはまた別の話。