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「巳年とは言え、この手の蛇は遠慮したい所ですね」
辟易したように鍋島 鼎(
jb0949)が呟く。繁華街を歩きながら、油断なく周囲を観察する。何か撃退対象の遺留物が残っていないか、というのも重要だが何よりも同じ依頼を受けた者達とが十分に動ける戦いの舞台が無いかということに意識が向いているので視線は高めだ。
そして、普段ならイベントが行われるのであろうちょっとした舞台のある広場で立ち止まって考えこむ。彼女がここに来るのは二度目だ。さっき来たときは他の場所も見て回ろうと思って記憶に留めることで立ち去った。
他の候補は2つ。一つは、ロータリー。ここはバスが停まっており運行も定常通り行われており人が来る可能性があり不向きだ。もう一つは、公園。この広場より狭いし、背が低いとは言え木々が視界を遮る恐れや、酔いつぶれた人間が来る可能性が拭えない。
鍋島の思考がこの広場を万が一の戦闘の舞台にすることでまとまる。おもむろに携帯を取り出し、事前に調べた地元警察の代表の番号をプッシュする。
「もしもし? 久遠ヶ原から派遣された撃退士の鍋島と申します。少しご相談があるのですが……」
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「まったく、巳年だからって厄介な敵を作ってくれたものだな」
苛立った様な口調とは裏腹にその表情は気負う所がない。蒼桐 遼布(
jb2501)は繁華街を歩きながら対象が残した痕跡をたどっていた。痕跡自体は、難なく見つけられた。発見された鱗自体は地元警察が回収してしまっていたが、その持ち主が移動した後には巨大な引っかき傷が無数にできている。
「本当に厄介だな……」
今度は苛立ちが滲んでいた。これで早五度目。傷痕が突如途切れる。恐らく、また五〇〇メートル程直進したところに忽然と傷痕が見つかるのだろう。まるで瞬間移動でもしているようで、どこが始点で終点なのかが解らない。
溜息を吐いてから携帯を取り出し、事前に交換していた今回参加している撃退士に途切れている場所の報告をメールで送って再び歩き出す。
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「一刻も早く止めて被害を最小限にしないと」
地元警察署内で借りた一室でモニターに目を凝らしながらルーネ(
ja3012)が呟く。
モニターには荒い画面の中、夜の繁華街が写っている。そこに映っているであろう敵を見つけようとしているのだ。
「……いつの間にか、監視した映像を残せるなんて便利な物が出来ていたのか」
ルーネの横で同じくモニターを凝視している蒸姫 ギア(
jb4049)が関心したように呟きを漏らす。
「だいぶ前からありますよ!?」
蒸姫の呟きに脊椎反射で振り向いてルーネが突っ込みを入れるが、蒸姫はそれに耳を貸さずに食い入る様にモニターを見つめる。
「……あ、いたぞ」
蒸姫が指差した先に画面のほとんどを占めるような影が映り込む。
「ほんとだ……なにこれ」
「蛇に見えないか?」
「でかっ! 何この蛇でかっ!」
画面には周囲との比較から二十メートルを超えるような蛇が映っていた。
ルーネが騒いでいる横で、蒸姫がすっと立ち上がって部屋の出口へと向かう。
「どうしたんですか?」
「鱗がかなり固そうに思えた。きっと現場に現れる時や立ち去る時に、地面や周囲をこすって出来た跡が残っていると思うから、そういう痕跡を探して現れたり立ち去った方向を推測するよ」
「……なるほど、いってらっしゃい」
蒸姫の言葉に頷いて、ルーネがその背中を見送る。
そして再びモニターの方を向いた時、ルーネの携帯がメールの到着を知らせる。蒼桐からの痕跡のあった場所の報告だ。
「この場所と、モニターに写っている移動方向を照らし合わせればどこに居るか検討がつくはず……」
そう呟いてからはっとしたように顔をあげる。
「え、これ私一人でやるの?」
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「そういえば、空き巣が流行ってるらしいで。夕方から朝方にかけて多いらしいから、夜はできるだけ家開けへんほうがええで」
「そうは言ってもねぇ……、お店閉めるわけにもいかないからねぇ。心配してくれてありがとうね、戸締りはちゃんとするから」
亀山 淳紅(
ja2261)の忠告に、老女の居酒屋の店主が嬉しそうに答える。
「そっか、気をつけてな」
「ええ、ありがとうねぇ」
孫ほど歳の離れた亀山が可愛くてしかたないのか、まだ話したそうにしているがそれを辞して店を出る。
「あかんなぁ……、情報が流されてへんから全然聞きよらへん」
人には聞こえないほどの大きさの声でため息混じりに呟く。
「とりあえず、足取りでも追うかな。……っとメール来とった」
老女と話し込んでいる間に着信していたメールに目を通す。
「戦闘場所は広場か。りょーかいっと」
返信内容を口にしながら打ってから、無駄かもと思いつつ次の店の暖簾をくぐるのだった。
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「夜に乗じるとはとことん姑息だな」
夕闇が押し迫る中、霧崎 悠(
ja9200)が廃ビルの前で怒気を漲らせて佇んでいた。
現場に急行し、昼前から手分けして探索し情報を交換しながら彼女はこの廃ビルの中にいるのではないか、と推測していた。廃ビルに慎重に踏むこむ。入っていきなり奇襲でもされたらたまったものではない。
ビルの中には天魔どころか、人の気配すらなく、埃っぽい空気が淀んでいる。床のタイルはひび割れて土がかを見せて、雑草がそれを覆うように生えている。
ここもはずれか、と思った時に後ろに人の気配を感じて、咄嗟に振り返りつつ攻撃を加えようとする。しかし、それが蒸姫だと気付き慌てて拳を抑える。
「……何だお前か。驚かさないでくれ」
「ごめん。……ところで、いた?」
蒸姫の言葉に、霧崎が首を横に振る。
「そうか。ここだと思ったんだけれど……?」
「どうした?」
蒸姫が尻すぼみに声を小さくしたことに霧崎が問いかけるが、蒸姫は返事せず、一点を凝視する。
そこは雑草が生えていないところ……ではなかった。夕闇の薄暗さの中、目をこらすとそこは根こそぎ雑草が刈り取られているのだとわかった。
「街中でみた痕よりも、何度も擦られたように見える。近くにいるぞ……」
「そのようだな……」
二人は顔を見合わせ頷いて、痕をたどっていく。無機物と違って、植物と土はどちらに向かって移動したのかが明瞭にわかる。
「この穴の中……か?」
痕の先には地面にポッカリと真っ暗な穴がある。霧崎も同様の結論に至ったらしく蒸姫の言葉に頷く。
「卑怯者相手だ、落とし穴を掘ろうとしたが穴の中にいるんじゃ意味が無い、か……」
霧崎は探索の間に、人質をとるような真似をした天魔に相応しい戦いを考えていたが、それが意味を成さなさそうだと悔しげに言う。
「皆に連絡を取ろう。ここからなら鍋島が封鎖してくれた広場も近い、そこまでギアがおびき出すから」
「わかった。広場までは私が先行して咆哮で一般人を退けよう、十分後に始めるとしよう」
蒸姫の言葉に当意即妙に霧崎が答える。
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警察が『ドラマ撮影のため』と偽って人払いされた広場で四人の若い男女が武器をもってただならぬ雰囲気で一方を見つめる。
「霧崎先輩がきたで」
咆哮を上げて駆け抜ける霧崎に亀山がいち早く気づいて、声をかける。
「……蒸姫さんと、天魔も見えました。……大きい……」
遠目からでも蒸姫と比較して巨大だとわかる蛇のような天魔の姿に、鍋島の顔が少し引きつった。
「今のところ一般人の被害は零だ、このまま片付けるぞ」
息を乱すこと無く霧崎が一気に駆け込んできて反転、そのまま他の四人に倣って天魔に向かって構えを取る。
ギチギチと金属のこすれ合う様な音を立てながら大蛇が蒸姫を追い掛ける。巨体のせいで動きが早く無いのか、蒸姫もあまり本気では走っていない。
広場まであと数秒、入った瞬間を狙うように亀山が瞬きもせずもう間近に迫った切り裂くものを見つめる。
「Canta! ‘Requiem’.」
亀山が発動歌唱を発したのと、切り裂くものが動きを止め体を縮めたのは同時。
「一閃組白兵隊隊長ルーネ、推して参る!」
ルーネが名乗りを上げて、動きを止めた切り裂くものへと駆け出す。
「こいつは……接近戦で攻撃を通すのに苦労しそうだな」
そう言いながらも笑う蒼桐の顔はそれでも攻撃を通すと言わんばかりだ。
「よくやったぞ、亀山」
その様子を見て、サムズアップせんばかりに蒸姫が亀山に声を掛けながら体を切り裂くものに向きなおそうとした時、亀山と鍋島の叫びが同時に飛んだ。
「ちゃう! 避けられとる!」
「みんな避けて!」
それが全員の耳から脳へと伝わる前に、切り裂くものが一気に蒸姫へと体当たりをする。振り返った直後の蒸姫は防御もままならず、他の撃退士の横を派手に吹き飛ばされた。
慌てて鍋島が蒸姫にかけよって応急手当てをする。
「来い、お前の相手は私だ!」
二人の方へと切り裂くものの意識を向けさせまいとルーネが大声を張り上げた挑発に、切り裂くものが頭を向けた。
「とことん姑息なやつだな!」
ルーネに意識を向けて隙のできた切り裂くものに、蒼桐が怒りと侮蔑の言葉とともに拳を打ち込んだ。大鐘を打ったような音が響き、切り裂くものの体にまで拳が届いたように感じられず、逆に殴った拳から血が滲む。その様子を蒼桐は切り裂くものを睨みつけるようにして見る。彼の体から徐々に、肌を刺すような闘気が吹き出す。
「これでぇ! どうだっ!」
水平に大鎌が薙ぎ払われ、大蛇の鱗が十数枚剥がれ宙を舞って地面に突き刺さった。そして、鱗が剥がれた所から血が滲みだす。
「物理もまんざら通らないってわけじゃないんだな」
それを見て不敵に笑みを零した蒼桐の後ろから、大蛇どころか撃退士達も気づかないうちに立ち上がった蒸姫が雷撃を放つ。しかしそれは、金属状の鱗の表面を流れ地面を伝って周囲の植木を焦がす。
「アースになっているのか……」
そう呟いた蒸姫が再び全員の意識から不自然に切り離されたように消える。切り裂くものは蒸姫を追わず、誘うように無防備なルーネに飛びかかるが、剣の腹で受け勢いを流して自身への衝撃をほぼ全て流しつつ全身に力を蓄えた。
「これでっ! どうだ!」
無防備になった切り裂くものの横っ腹にルーネが刃を叩きつけて凄まじい衝撃を与えて巨体を押しのけるが、肉体を損傷させたようには見えない。
「もうちょい冬眠しといてな、刃の大蛇さん」
押しのけられたタイミングを狙って亀山が大蛇を覆うように霧を発生させる――眠らせようとしたが、暴れる大蛇に霧を払われて無効化された。その結果を見届けたか否かのタイミングで霧崎が飛び込み、蒼桐が鱗を剥がした部分めがけて拳を打ち込み反撃を受ける前に離脱する。
蒸姫の応急手当を終えて攻撃体勢に移った鍋島が、連撃の隙間を縫うように火球を打ち込んで、大蛇が前衛の撃退士に追撃する隙を与えないよう牽制をする。牽制目的だったとはいえその火は鱗の表面を煤けさせるに留まった。
「拘束も睡眠も雷も火も効かへんねやったらこれはどないや」
戦いの流れを見ながら有効な攻撃を探るように亀山が透き通る氷の槍を生み出し、大蛇へと叩き込む。
連撃の合間、避けるまもなくその槍が深々と突き刺さる。攻撃された事に苛立ったのか、ルーネの傍から飛び退き、そのまま勢いを乗せて尾を亀山に叩きつけた。
「俺が相手だって言ってんの」
亀山に追撃を加えようとする大蛇の顎に剣を叩き込んで自身に意識を向けさせるルーネから、余裕が消えて言葉遣いが崩れる。だが、誰も気にせずに亀山と大蛇を囲むようにして攻撃を加えて意識を亀山から引き離す。
「大丈夫ですか?」
「すまん……」
その隙に鍋島が亀山の傍に駆けつけて応急手当をする。
「でも氷結が効くんがわかったな……」
「ですね。応急手当ですから、あまり無茶はできませんけど」
「十分や、ありがとうな鍋島ちゃん」
二人が再び大蛇に視線を向けると、蒼桐が再び大蛇の鱗を吹き飛ばしたもののカウンター気味に放たれた体当たりを受けて後ろに吹き飛ばされていた。
「ぐっ……!」
蒼桐は呻きながらも、飛ばされる勢いを殺すように背中から暗く輝く羽根を生み出して、そのまま上昇する。
「行け、蒸気の式よ!」
目線で蒼桐の飛行を追っていた大蛇の死角から蒸姫が符を掲げて、周囲の空気を灼熱に変えた。そして一気熱せられた空気中の水蒸気が切り裂くものの身体を熱する。そしてそれを追いかけるように、鍋島も火炎の弾丸を無数に打ち込んだ。あまりの高熱に鱗は赤く輝きいまにも溶け出しそうになる。
「もうこれ以上犠牲は出させないッ」
そう叫びながらルーネが右手に白の、左手の黒の短剣を掲げて切り裂くものを睨みつける。
「混沌をも滅する終焉の刃よ――――穿て」
その言葉を合図に解き放たれた白と黒は螺旋を描く様に交わりながら大蛇を貫く。熱せられて柔らかくなった鱗がやすやすと貫かれ鉄壁を思わせた身体から血が吹き出した。
「もう一度冷やしたるわ」
そういって再び亀山が氷の刃を打ち出して、大蛇の身体を冷やす。そして蒼桐が空中からワイヤーを放って切り裂くものの身体に搦めさせて動きを押さえた。
大蛇ももう体力がないのか身体を『縮めさせて』動きを止めたのを見てトドメとばかりに攻撃しようと撃退士達が動き出す。だが、唯一鍋島が違和感を感じて大蛇の様子を見てはっと気づいて慌てて叫んだ。
「攻撃が来ます! 避けて!」
そう伝えた事で不幸にも大蛇の狙いが鍋島に移る。ワイヤーを引きちぎりながら、鍋島めがけて大蛇が凄まじい勢いで飛びかかった。攻撃を加えようと近づいていた霧崎とルーネがそれに巻き込まれて全身をその鱗に切りつけられ、鍋島自身も叫んだことで回避が一瞬遅れ巨体が彼女の足を捕らえる。
そのまま切り裂くものは振り向かず再びバネのように伸び縮みして飛び、広場から離脱する。
味方の半数が予想外の反撃を受けたことで全員の対応が遅れ、その間に切り裂くものの姿は遠く見えなくなる。
それは事前に、鍋島が広場を取り囲む様にして配置した阻霊陣が効果を発揮させる透過ではなく力任せの逃走だった。
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「逃げられたとはいえ……ひとまず被害は収まったんやな」
亀山が忌ま忌ましそうに呟く。
「そうです……ね」
その言葉に唇を噛み締めながら鍋島が答える。
切り裂くものが逃走後、一連の事件は終焉を迎えた。
撃退士達の前で、封鎖がとかれた広場で夜を楽しむ人々が楽しげに笑い声を上げている。
時折、戦いの痕に足をとられて転ぶ酔っぱらいがいたりもするが平和で、雑多な風景だ。
もうここで、バラバラ殺人事件は起きない。だがあの大蛇はまたいつか現れて同じように人を襲うだろう、それが撃退士達を暗澹たる気持ちにさせた。