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「きゃっほぉ、ぷーるんるんるん〜♪」
黒いタンクトップに、下は腿まで捲くったジャージ姿という掃除には持って来いな格好をした卯左見 栢(
jb2408)は、デッキブラシをくるくると回転させながら楽しげにプールに併設された女子更衣室から出てくる。
その後ろを、やたら重装備な体操着姿の黒髪の少女が付いて行く。礼野 智美(
ja3600)だ。彼女の手には網、バケツ、デッキブラシ……ここまでは特に問題ない。何故かV兵器をしっかりと握り占めていた。
「あれ……必要かなぁ……。男子が覗いた時に殺るつもり……だったのかな」
指定水着姿の幅野あずさ(jz0181)は礼野が握った武器を眺めながら懐疑的な視線を向け、首をひねる。彼女は一人の少女が引き摺るようにして歩いていた。
「……うぅぅ……。……は、恥ずかしいですねぇ……」
月乃宮 恋音(
jb1221)は幅野に引き摺られながら顔を真っ赤にして自身のTシャツの裾を引っ張って体を隠そうと必死だった。ゆったりとしたTシャツはうっすらと透けて、晒しを巻いている事が伺えたが、それでもその童顔で小さな体躯に似合わぬほど胸部が主張している。恥ずかしがって更衣室から出たがらない月乃宮を幅野が引きずりだしたであろうことは容易に想像できた。
「まーみー●ーめー藻〜」
プールサイドをかけながら指定水着姿の御供 瞳(
jb6018)は、プールにはびこる緑色を見て不思議なリズムで歌う。
「これをみんなで掃除するっちゃか。うん、燃えてきたっちゃー」
あまりにも汚いプールの有様は、御供の意思を萎えさせず、やる気のスイッチをオンにさせた。自身とそう変わらない大きさのデッキブラシを握りしめ今にも藻の海に突撃しそうである。
「夏だ!いや、まだだけど泳ぐぞー!! その為には掃除ですよーーーー!!」
水着の上からTシャツと短パンを着て髪をまとめた掃除向きの格好をした相川北斗(
ja7774)は、掃除さえも楽しみの一つだと言わんばかりに快活な声をあげながらデッキブラシに手をとった。
女子達よりも早く着替え終えていた男子達はプールサイドで、その様子を眺めていた。
「あずさ先輩の水着姿拝めるんですよ? いつ頑張るの?」
水着姿で惜しげもなく引き締まった体を晒しながら藤井 雪彦(
jb4731)は自らに問いかけた。その顔は死地へと赴く戦士の様である。
「今でしょっ!!」
藤井の魂の叫びが青空の下響いた。
「あずさ、そんな楽しそうな事に誘ってくれないなんて、水臭いじゃないか……!」
一人力んでいる藤井を意図的に視界から外しながら文 銀海(
jb0005)が幅野にいたずらっぽく笑いながら手を振る。その姿は男物水着を着た女性、ではなくれっきとした男性である。顔ではなく、その鍛えあげられた胸筋を見れば分かる。
「……わかってるけど、どきっとするね〜」
卯左見が文を見ながらにやにやと厭らしい笑みを浮かべる。
「何か言ったか?」
「さー掃除しようぜ!」
殺意のこもった文と目を合わせないようにしながら卯左見は周囲に声をかけながら、藻でぬめったプールの水を抜くべく動き出す。「待って下さい」
だが、それを黒井 明斗(
jb0525)が制止する。卯左見だけでなく、全員が何事かと彼の方を向く。黒井は銀縁眼鏡を光らせてプールをじっと見ながら口を開く。
「中に生き物が居るようです。流してしまうのは可哀想なので保護します。皆さんは掃除に専念して下さい」
言うやいなや、藻が体にまとわり付く事も厭わず、プールに飛び込んで手にしたバケツに次々と小さい何かを放り込んでいく。
その様子を見ていた礼野は、少し驚いた表情を見せた後、微笑みを浮かべる。そして、網とバケツ意外の荷物はプールサイドに残して藻の浮いたプールへと入り込む。
「俺も手伝うよ」
「助かります」
礼野の助力に、黒井は柔らかく微笑みながら礼を述べる。二人は、手早く次々にヤゴやらおたまじゃくしを捕まえてはバケツの中に入れていく。
「俺の地元田舎だからカエルがプールに卵生み付ける事多々あってな……小学校時代は学校の前に川が流れていたからそっちに放流してたんだけど」
手を休める事無く、バケツにどんどんと溜まっていく小さな命を見ながら少し困った様に礼野が呟く。保護したものの、どこに逃がそうか考えあぐねているのだろう。
「遊び終わったあとで、一緒に放せる場所を探しましょう」
黒井がそう提案すると、礼野は嬉しそうに頷いた。
「さて、私たちはプールサイドを掃除するよ!」
黒井と礼野が動物保護活動を行なっているのを視界の端で捉えながら、幅野が呼びかける。放置されていたプールサイドは土埃で汚れている。たしかにここも掃除しなければ、プールから上がった途端汚れてしまう。藻だらけのプールに入るのに躊躇っていた残りの人間は幅野の発言に異論を唱えること無く従った。
●
プールサイドの掃除をしているあいだに、黒井と礼野の小動物保護は無事完了した。二人がバケツを木陰に持って行っている間に残った人間がプールの水を抜いて、いよいよ掃除が始まる。
「……エレナがいない……逃げたな……」
途中まで一緒だったルームメイトが逃げ出した事に今更気づいた幅野が恨めしそうに呟く。
「いいじゃないですか、僕が居れば掃除なんてあっという間に終わりますよ!」
藤井が幅野に素早く近づいて、逃げ出した桐生の分も頑張ると言って自身を売り込む。幅野はユッキーの方を振り返りながらじっと顔を見つめる。
「ほんと?」
「はいっ! 任せて下さい!」
「ユッキー……」
「あずさ先輩……!」
顔を赤らめながらも、藤井も幅野をじっと見返す。
「ありがと! じゃあこっちは任せたね! 私塩素の準備してくるから!」
「はいっ! って、え? あ……待って下さいあずさせんぱーい!」
幅野はとても良い顔で笑ったあとさっさとプールから上がって視界から消えてしまう。とっさに返事をしてしまって引き止める言葉は届かず、藤井はがっくりと肩を落とす。
「ほら、掃除しよう。あっという間に終わらせるんだろう」
「文せんぱぁいだって……あずさ先輩がぁ……」
文が半ば呆れた顔で溜息を吐きながら藤井の肩を叩く。藤井は実質掃除を押し付けられただけという事実に涙目になってしまっている。
「あずさも色々あるだろう。いいとこ見せたいなら掃除しないと、ほらあっちを見て」
困り顔の文は、藤井をプールの真ん中の方へと目を向けさせた。
「どいてどいてぇ! 轢いちゃうよー! あははー!」
卯左見がぬめりを利用して滑りながらデッキブラシでプールの底をこすっていく。結構なスピードが出ていて壁にそのままぶつかるかと思いきや、壁を蹴って華麗にターンを決める。丁寧とは言いがたいが、彼女が通った後は藻が剥がれて綺麗なプールの底が顔をのぞかせている。
「……! ……? ……うぅ」
そんな卯左見に轢かれないように隅っこでプールの壁面を一生懸命にタワシでこすりながら月乃宮は困った様な声を上げる。ある程度は藻が剥がれるのだが、上の方で少し乾いた藻が力を込めてもなかなか取れないでいるのだ。
「あ、恋音ちゃん。乾燥してこびりついたのはこうやって一回濡らして……」
意地になって、何度も何度も力を込めてこすっていると、相川がその様子に気づいて、ホースを片手に近づいてきて声をかけた。そして、月乃宮の手を退けさせて藻に水を掛ける。
「……はい?」
月乃宮は相川の行動を首を傾げて不思議そうに見つめる。
「……ほら、簡単にとれるでしょ・」
「……わぁ……ほんとですねぇ……」
水でふやけた藻をサッとブラシでふきとって相川が得意げに笑うと、月乃宮は目を見開きながら感心したように頷いた。
そのまま二人は藻を水でふやかしては、二人で手分けして擦っていく。大雑把だが早い卯左見のカバーとして順調に機能している。
御供 瞳(
jb6018)は、と言えばブラシをかけようとしているのだが、ぬめる足元に慣れないのかへっぴり腰だ。さっきから何度か転んだらしく、背中と尻にべっとりと緑色の藻が付着していた。何度か、卯左見に轢かれかけても居た。だが、彼女の顔は至って真剣で、ふざけているのではないのは明白だ。
それに、徐々にコツを掴んできたのか、あまり転ばなくなってきている。徐々に彼女の足元は藻が排除されて輝きを取り戻し始めている。
そこに、捕まえた生物の放流を終えた二人が戻ってくる。
「遅れを取り戻さないといけませんね」
黒井は置いていたデッキブラシを拾い上げると、力を抑えつつもアウルをまとってプールサイドを跳躍。着地の寸前にデッキブラシをなぎ払い藻を一掃する。そうしてできたぬめりのない足場に着地して、片足を軸に一気に体を旋回させ、デッキブラシを円を描くように回す。普通であれば藻を撫でるだけに終わるその動作も、アウルを纏えば藻を削ぐ程度造作もない。黒井を中心として円形にどんどんプールが磨き上がっていく。
「……スキル使ったら、たったと終わるかな?」
黒井の様子を見てヒントを得た礼野は頷きながらデッキブラシを手に取って、プールに降りて軽く関節をほぐす。そして、デッキブラシをプールに接地させて、前方に障害物がいないのを確認しながら息を吐き出し、短い掛け声の後――彼女の姿は先程とは逆のプールの壁に移動していた。デッキブラシが削りとった藻の跡が彼女が一瞬で移動したことを告げていた。
「ほら、ぼーっとしてたらあっという間に掃除が終わるのがわかっただろ?」
藤井に語りかけながら、文はデッキブラシで足元をせっせと擦る。
「何もしてない役立たずだとあずさに思われても私は知らないからな」
文が意地の悪い笑みを浮かべて、汚れた場所を求めて移動する。藤井はその声を背にうけて、肩を震わせた。泣いているのでは、ない。
「恋の力は絶大ですよっ♪」
やる気に満ち溢れた顔でデッキブラシを握りしめ、遅れを取り戻すべくアウルをまとって藻を駆逐するべく駆け出した。
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掃除も終わり、だというのに肝心の依頼主の幅野もおらず全員が手持ち無沙汰だ。相川が用意していたレジャーシートに全員が腰掛けて、幅野の帰りを待っていた。掃除が終わる手前から、暑さに負けたか飽きたか卯左見はプールサイドで休憩をしていたのだが。
暇を持て余した御供がデッキブラシにまたがって力んだり、アウルを纏ったりしてはおかしいな、と首を傾げている。
「魔女の……」
「みんなーお待たせー、水と塩素用意できたから一気に貯めるよ―」
御供が何か危険な発言をしようとしたのを遮る様に幅野が表れて声を上げる。言葉に従う様に、ポンプが開いて一気に水が流れだす。そこに塩素の錠剤をほうりこんだあずさは全員の方を向き直る。
「貯めてる間に準備運動しよ!」
●
「……えぃっ……えぃっ」
月乃宮が小さな掛け声を上げながら水のたまったプールにビー玉を投げ込んでいく。
「準備がいいな、月乃宮。私と競争しよう」
文が声をかけると、彼女ははにかみながら頷いた。
「他の人も誘おう。ユッキー……ってどうしたんだ?」
文の目線の先にはレジャーシートでぐったりしている藤井の姿があった。
「あはは……文先輩……。掃除……張り切り過ぎたみたいで……」
力を使い果たしたのか、もはや立ち上がる気力すらないらしい。
「……帰って休むか?」
「嫌です! せめて眺めるだけは……!」
「そうか……それでいいならいいけど。仕方ないから二人でやろう……月乃宮?」
必死な藤井をそっとしておくことに決めて、視線を戻した先には月乃宮がおらず、波紋だけがあった。
「触らせてケロー、触らせてケロ―」
「……!? ……うぅ……やぁ……」
月乃宮は御供に抱きつかれていた。御供は抱きつくだけでは飽きたらず、必死で手を月乃宮の胸へと伸ばしていた。水を飛び散らせながら、月乃宮は必死の抵抗を見せる。二人の攻防は御供が卯左見に抱き上げられることで終わる。
「あっはっはー! 漁夫の利ー!」
潜水しながら近づいた卯左見は、嬉しそうに御供をお姫様抱っこしながら頬ずりをする。
「次は恋音ちゃんだぜ!」
「……!」
突然の事に恋音はなすすべもなく抱き上げられる。そして身動きが取れなくなったところに御供の手が伸びる。
「ふぉぉぉぉぉ。やっぱ都会は進んでるベー」
さらしとTシャツの上からでも、しっかりと押し返す柔らかく弾力のある感触に御供は歓喜の声を上げる。
「何をやってるんだお前たち……」
その様子を呆れたように見ながらプールに入った文の死角から再び潜水した卯左見が忍び寄る。足を払って、文の体勢を崩し一気に抱き上げる。
「銀海がえ……」
「何か言ったか?」
「ゲホゲホ……何も?」
「そうか……。で、何をしてるんだ!? 恥ずかしいから止めて欲しいんだけど……!?」
卯左見に抱きかかえられながら、文が抗議の声をあげるが彼女は面白がって全く離そうとしなかった。
「……きもちいい」
騒がしい集団から離れて、隅っこで礼野は水面に浮かびながら重力から解放された感覚を楽しんでいた。
「すきありぃ!」
そんな声が聞こえたかと思うと、礼野の顔に水がかけられた。突然の事に体が硬直して、水中に沈んでしまう。
「ゲホッ……。何だ……」
立ち上がって顔を拭きながら周囲を見回すと、水鉄砲の銃口をこちらに向けて愉快そうにしている相川と目があった。
「あなたですか……」
「銃撃戦に自信はある?」
不敵に笑う相川に、礼野は溜息を吐く。だが、礼野の顔は楽しげに笑っていた。
「負けませんよ。……武器は貸して頂けるんですよね」
「もちろん。盾は……いらないよね?」
水鉄砲を礼野の方に投げて寄越して、一呼吸置く。そして、激しい銃撃戦が始まる。白熱して打ち合いをしていると、再びあらぬ方向から礼野の顔に水がかかる。
「私もいるんだなー!」
笑いながら、幅野が銃口を向けていた。
「あずさ! こいつを撃ってくれ!」
「えっ……ちょ!」
文の悲鳴に、三つの銃口は一斉に卯左見に狙いを定めた。
「みんな楽しそうで何よりです」
プールサイド腰掛けながら、黒井はプールではしゃぐみんなの様子を眺めて満足そうに微笑む。
水着姿で露わになった彼の肌は幾つもの傷痕が見て取れる。楽しげな光景を穏やかな表情で眺めるその姿は、戦いの後の平和を喜ぶ老兵のようでもあった。
「藤井さん、大丈夫ですか」
「うん、大丈夫……。僕も一緒に遊びたかったなぁ〜」
黒いは横でぐったりしている藤井を気遣う。藤井は、幅野が礼野と相川の銃撃戦を血の涙を流さんばかりな悔し気な目で眺めていた。
「何をしてるんですか?」
「デジカメだけど……。うん、シャレにならないよね。だめだよね」
別に黒井は咎めた訳ではないのだが。デジカメでせめて幅野の水着姿を収めようとした藤井は、勝手に自省して姿勢を正した。
みんなが遊び飽きて帰る時まで、藤井は体育座りを崩さなかったという。