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「痕跡を追うのは、バイトで馴れてっからな……」
厚木 嵩音汰(
jb4178)は女子寮への立ち入り許可を貰い立ち入った部屋で呟く。部屋に同行したエルレーン・バルハザード(
ja0889)に向けた言葉ではない。痕跡を探すことに集中しているのかぼんやりしているのか。確かめてみようと厚木は調査の手を休ませず口を開いた。
「エルレーンさん……長いな、エルさんでいいか?」
返事は無かった。なかばそうなることを予想していたとはいえ、少しさみしい。顔を上げて反応を伺うと、微かに頷いているのが見えた。了承したということだろうと厚木は納得した。
何故彼女の反応が鈍いのか。彼女の性格に起因する点もある。しかし、なによりも無報酬であること。それが彼女を上の空にさせていた。――ちぇー、おこずかい稼げるとおもったのに……――口にこそ出さないが、そんな事を考えていた。その時、ぽっかりと壁に開いたこぶし大の穴が彼女の目に入った。
「あ、あったよ」
バルハザードの声に厚木が近づく。箪笥の裏、穴が開いていた。ねずみの仕業だろう。
「よし、みんなに連絡だ。その穴から見える範囲でコード確認をしておいてくれ」
携帯を取り出しながら告げた厚木にバルハザードは不思議そうな顔をした。
「ネズミの所為でコードからの出火は珍しくない。要注意、マジで」
厚木の言葉にバルハザードは頷いて、穴を覗きこんだ。
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木花 小鈴護(
ja7205)が小走りに近づいてくる。ダッシュ・アナザー(
jb3147)は丁度通話の終わった電話を仕舞いながら彼の姿を認めた。
「そっちはどう……だった?」
「下水道の地図のコピー。人数分あるから」
アナザーの問いかけに木花はポケットから折りたたんだ紙を取り出す。アナザーは礼を言いながら受け取る。
「ねずみの足取りはどうだった?」
地図を見つめるアナザーに今度は木花が問いかけた。
「ねずみが、通ったと……思われる、場所は……ここに」
そういって彼女は寮の壁を指差した。木花は目を白黒させる。
「外を歩いていたんだ?」
アナザーは静かに首を振る。それで彼は察しが付いたらしく、なるほどと頷いた。
「透過したんだ?」
「そう。厚木さんから連絡があった……そこから辿って見つけた」
「どこにつながっていたんだ?」
「それは……今ゼオン(
jb5344)さん達がたどっている」
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「腹が減って怒っているんかは知らんが、鼠駆除とか・・・・・食うのか? 美味くはねぇと思うぞ」
苦笑を浮かべて、ゼオンは皮肉げに呟いた。九十九 遊紗(
ja1048)は首を傾げて問い返す。
「え? 戦闘訓練でしょ? ねずみさん殺しちゃうのはちょっと可哀想な気もするけど増えすぎて病気とかその他いろいろ被害とかあるんだったら仕方ないよね……」
あまりに純粋無垢な返答にゼオンは閉口してしまう。
「それに……」
九十九は尚も己の純真さを惜しげもなく晒そうとする。ゼオンは目だけで先を促した。
「それに訓練だって言ったら撃退士の一員としてはやるしかなの!」
言葉にも拳にも、顔にも力をいれて宣言した。ゼオンは肩を竦めて、地面に目を落とした。そうして暫く二人連れ立ってウロウロと寮の周りを歩いた。
「このあたりがねずみさんの通った場所に近いんじゃないのかな?」
二周したあたりで、九十九はマンホールの一つを指差した。少し離れた所に、アナザーと木花の姿があった。ゼオンは頷いて腰を屈めた。
「みたいだな。俺が蓋を開けておくから、てめぇは他の奴を読んでこい」
「わかったー!」
元気よく駆け出した九十九を尻目にゼオンはマンホールの蓋に手を掛けた。
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蓋を外したマンホールの周りは異様な風体の者が立ち尽くしていた。
「わー……なんかすごいカッコになった……遊紗ってわかる?」
炭鉱夫の様な姿になった九十九の声。低身長と相まって、お伽話に出てくるドワーフのようでユーモラスだ。
「大丈夫、わかるよ」
似たような格好をした木花は苦笑しながら答えた。
「……かぁいくないけど、しかたないのっ」
バルハザードも同じく全身の肌を隠した姿。先の二人のやり取りからも女子らしさはない、と判断したバルハザードは自分に言い聞かせるように呟いた。
「あなた達はそれで……いいの?」
これまた同様に完全防備をしたアナザーが振り返って問いかける。異様な風体の物と対照的に普段とさして変わらない厚木とゼオンが気になったのだ。
「耳はコレだし手はコレだしな。まー最低限になるのは仕方ねぇ」
ゼオンが耳と手を大げさな身振りで見せる。確かに急に人間と同じもので身を護れ、といわれても困りそうな形状である。
「命を無駄に狩るだけじゃなく、自身の身に付ける技術として活かしてやろう、それが俺の手向けだ」
当たら無いことこそに訓練の価値有り、と言外に伝える。厚木は目を閉じて、剣の鞘を鳴らせた。命を狩ることに彼なりの考えが垣間見える。
「みんな準備できただろう? そろそろ行こう」
全員一様に木花の声に頷き、暗がりへと続く穴へと降りていった。
「ここが久遠ヶ原アンダーグランド……!」
下水道に降りるなり、九十九はそう呟いて身を震わせていた。それは感動からくるものなのだろうか。木花はそんな様子の彼女を気にもとめないで周囲を見回していた。
「何箇所か、固まって生命反応があるみたいだ」
そう言いながら、地図に手早く印を付ける。大まかな範囲を囲った丸は丁度三つであった。
「それじゃあ……またさっきの班にわかれて行こう」
アナザーの言葉で二人ずつに別れて移動を始めた。未だ感動(?)に震える九十九とそのペアであるゼオンを除いて、だが。
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「鼻がもげそうです……」
足元に意識を向けながら木花が呟く。汚水で滑った地面は気を抜けば脚を取られそうである。
「下水だから……ね」
対するアナザーは危なげなく、地面をしっかり捉えて歩いていた。
二人はほぼ同時に立ち止まった。目線は同じく地面の一点を捉えている。そこにはねずみの糞が転がっていた。
「この先に大きな集団があります……、巣がありそうです」
先にある気配を探る木花。アナザーはチャクラムを取り出し確かめながら問いかける。
「どれくらい……居そう?」
「数え切れないくらいいますね……」
言葉を交わしながら二人は慎重に先へ進んだ。T路地になるところの壁に穴が開いていた。おそらくそこがねずみの巣であろう。
目線で合図をして、タイミングを測る。木花が一呼吸置いて巣穴に雪球を打ち込んだ。着弾の破裂音の後に、ねずみの甲高い悲鳴が聞こえて穴から我先にとねずみが這い出してきた。蜂の巣を突いた様な騒ぎ、とはまさしくこのようなことだろう。
「貴方達は、許可しない…ここで、さようなら」
一匹たりとて逃がすまいとアナザーがチャクラムを投擲する。それは一擲毎に確実に下水の民の命を奪っていく。
「種類によっては、人を恐れない……要注意」
追い立てるように雪球を打ち込んでいる木花にアナザーが忠告する。その言葉をねずみたちは理解したのか、逃げることを優先していたねずみたちは逃げられないことを悟った。ならば目の前の人間たちに立ち向かって勝つしかあるまいと思うのは動物の生存本能として至極当然であった。窮鼠、猫を噛む。
「殺鼠剤使った方が確実なんですけど……」
彼に向かってくるようになったねずみを雪球で撃ち落しながら木花が呟く。彼の表情は晴れやかではない。決して命を奪うことに対しての忌避を感じている訳ではない。穴から次々と出てくるねずみに終わりを感じられそうにないことが原因だ。
「逃がさない、よ……?」
アナザーはそう言いながらチャクラムを投擲し続ける。こちらに向かう、がねずみの総意だったとしてもやはり逃げ出そうとする者もいる。抜け目なくそれらを屠っていた。
数分も経つと、そこに動く者は木花とアナザーだけになった。あたりには凍傷、打撲、切傷のいづれかによる致命傷によって息絶えたねずみが累々と積み重なっていた。
「これ……どうする?」
「このままにしておけません。ちゃんと処分しましょう」
死骸を指さすアナザーに、木花は火バサミと袋を取り出しながら答える。手早く袋に詰め込んでいく。
「みんなも終わった頃でしょう。入り口に戻りましょう」
死骸を詰め終わった木花にアナザーが頷いた。彼女の視線は木花の持つ袋を若干気持ち悪そうに見ていた。
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下水道を往く二人からは全く音がしなかった。野生動物であるねずみでさえ気付くことは困難だろう。
『水上』を音もなく歩くバルハザードは印と自身の位置を確かめる。そろそろねずみの巣穴が近い事を確認した彼女は足を止めた。
それに習って、厚木も立ち止まる。彼らの前には開けた場所があった。降水時に、流れこんできた雨水で下水が溢れかえらないように意図的に水を貯められるようにしている場所だ。そこにはねずみたちがひしめきあっていた。さながらねずみたちの社交場のようだ。
バルハザードは取り出した粘着テープとサンドイッチを地面に設置した。そして二人は少し距離を取る。さほど時間を置かずに匂いに誘われたねずみたちがやってきて、粘着テープに囚われる。効果は抜群だが、ねずみの数が多い。あと数秒で粘着テープが埋まってしまうだろう。
「さって、戦闘訓練と往きましょうか……」
自身に喝を入れて厚木が『壁』を蹴って駆け出す。そのままぐるりと開けた場所を駆け巡って、反対側へ。逃げ道を塞ぐ位置に着いた。そして拳銃を引き抜く。連続した発砲音が鳴る度にねずみはその数を減らしていく。
「天魔じゃないけど、ごめんねっ!」
厚木が発砲を始めるのと前後してバルハザードも影を圧縮したような黒い手裏剣を投擲していく。厚木とバルハザード。どちらもねずみにとって脅威ではあった。しかし、音も伴っている厚木のほうが生物として脅威だったのだろう。バルハザードの方へと我先に逃げ出そうとねずみが殺到する。
手裏剣では埒が明かないと判断したバルハザードは光り輝く刀を取り出した。暗がりに慣れたねずみ達はそれだけで怯む。そこを思い切りアウルで造られた刀で薙ぎ払う。先程はねずみたちに謝っていたというのに、その振りには微塵の容赦もなかった。
反対側で面制圧を掛けている厚木は余裕の表情だった。何匹か厚木を排除しようと飛びかかってくるものもいたが、厚木が居るのは地面ではない。天井近い壁を縦横無尽に駆け回り、尚且つ連続して発砲しているのだ。彼らの牙が厚木に届くことはなかった。
こちらもものの数分で全てのねずみが死滅した。
バルハザードの元に厚木が悠然と戻ってくる。厚木は何一つねずみの攻撃をもらって居ないが、肩を落としたバルハザードに少し動揺する。
「どうした、エルさん。攻撃を貰ったのか?」
そうであれば、急ぎ地上に戻って治療させたほうがいいだろう。不衛生な地に生息する物に傷を付けられたとあらば、病気になる恐れがある。しかし、バルハザードは力なく首を横に振った。
「うーん、どろどろだよぉ……」
見境なしに刀を振り回し続けた結果、彼女は飛び散った汚水に塗れていた。その事が彼女のテンションを下げていたのだ。
なんだそんなことか、と厚木はそれ以上彼女に身を気遣う事を保留して背後を振り向く。そこにはねずみの死骸が積み重なっていた。
「下水に遺したままにすっと、今度は蛆でも沸くだろうし……」
このまま捨て置けば発する新たな問題に厚木は溜息を禁じ得なかった。依頼主はどうやら金が無い様だ。最悪自腹で業者を呼ぶことを心に決めた。
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「あっちからざわざわする音がに聞こえる!」
感動から立ち直った九十九は鋭敏な聴覚で捉えたねずみの気配を、ペアであるゼオンに伝えた。地図で確認すると、二股にわかれた片方の真ん中あたりに居るらしい。一人が回りこんで挟み撃ちにしよう、という提案にゼオンは頷いた。
携帯からの連絡で反対側に九十九が到着したことを確認したゼオンは大仰な火器を構えた。暗闇の中でも、彼には明瞭に見える下水道の中。狙いを付けて一気にアウルで生み出された擬似の火炎を放つ。暴れまわるねずみに巻き上げられた下水の悪臭にゼオンは眉を顰める。しかし、攻撃の手を緩めることはない。
ねずみたちは突如現れた業火に焼かれる。難を逃れた者は一目散に火と反対に駆け出す。
「わっ! すごいきた!」
狂乱したねずみたちを前に九十九は慌てた声をあげた。しかし、慌てているのは声だけだ。時にピストルで一匹ずつ正確に。時に剣でまとめて。逃げ出すねずみを全て排除していった。
しばらくして逃げ出すねずみもいなくなり、ゼオンに終了の合図を送る。しばらくして、彼がこちらにやってきた。その顔は不快げに歪んでいる。
「うわ、消し炭だな。……あの女の餌にもならねえぞ」
「あのお姉さんもこれ食べるつもりはないと思います……」
鼻を鳴らしながら、死骸を見下ろすゼオンの言葉に九十九はやんわりと訂正を入れた。しかし、ゼオンは特に興味なさそうに下水に蹴り落とした。死骸が片付いたのを確認すると九十九を促して合流地点へと向かった。
「おかえりなさい。ゼオンさん、悪いんですけどこれも焼いて下さい」
先に戻っていた木花が持ち上げた袋詰のねずみ。それを見てゼオンは辟易したように溜息を吐いた。
口を開こうとすると、戻ってきた厚木がゼオンに声を掛けてきた。曰く、彼とバルハザードが処理した地点の死骸も焼いてくれとの事だ。
「火炎放射器つってもアウルでそう見せてるだけで、んなもんやけねぇよ」
溜息交じりに答えながらゼオンが思うことは唯一つ。とっとと帰って水浴びて寝たい、だった。
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報酬もないことから、メールで依頼主に完了の報告を入れた一行はそれぞれ帰路についた。そしてさっさと下水の匂いを落とすことにしたのだった。
後日、彼らの元に幅野あずさの名で封筒が届いた。そこにはこう書かれていた。
依頼達成おめでとうございます。皆さんは訓練を見事のりきりました。
間違いなく一流の撃退士です! ワンダフル!
下水は汚かったと聞いていますので、健康にお気をつけください。
せめてものお礼にこちらを受け取って下さい。
幅野あずさ。
そして同封された健康祈願お守り。
それを見て脱力しないものは居なかったという。