●
複数の人間が取り残された崖から三百メートル程はなれた場所に七人の撃退士達の姿があった。
悪魔の支配地域に程近いところで観光、なんて命知らずにも程がある。自分だけは大丈夫、とでも思っているのだろうか。
日本だから仕方ない、か。いい国ではあるんだけどな……。何 静花(
jb4794)は溜息を吐きながら、夏野 雪(
ja6883)から借り受けた双眼鏡を通してディアボロが通せんぼをしている崖を睨む。そこには絶望で瞳を曇らせた人が幾人もいた。当初聞いていたよりも若干人数が少ない。ここに何達が到着するまでに既に自害したか殺されたか拐われたか。
「要救助者の数が多すぎます……」
同じように崖を見るエリーゼ・エインフェリア(
jb3364)が呟く。全員を救うのは無理そうですね。多少は見捨てるのもやむなしでしょうか。と後に続く言葉は声にはしなかった。
「私達は先に崖下に回りこみます。エインフェリア、行きましょう」
夜姫(
jb2550)が双眼鏡を手放し、エインフェリアを促し二人は駆け出す。二人の姿はあっという間に見えなくなる。目にも留まらぬ速さ、ではない。地面に透過したのだ。二人はそのまま崖下まで移動し伏兵として機能する手筈だ。
「どうかご無事で‥‥武運を」
夏野は二人の背中に声を掛けながらも、双眼鏡から見える景色を注視していた。そして時間をかけずに小さな黒点を空に認めた。その黒点は徐々にこちらに近づいており大きくなっている。
「見つけた!時間との勝負です。派手に参りましょう!」
夏野は声を張り上げ、駆け出す。ハートファシア(
ja7617)も夏野を追うように駆け出す。
「最近負けが込んでますからね。初心に戻って、謙虚な気持ちで依頼に臨みましょうか」
エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)は首を捻って、べきべきと小気味の良い音をたてながおどけた風に言った。言葉の軽さとは裏腹に彼の目は崖を塞ぐ石人形を睨めつけている。そして、夏野の後を応用に駆け出した。
「フェンリア、頼む」
何の声に答えるようにフェンリアは背の羽根を羽ばたかせて両腕で背後から何を抱き上げる。
「アテンションプリーズ? 不自由な空の旅にようこそ」
おどけた声が戦いの幕を切って落とした。
●
こちらに背を向けた石人形の細部まで見て取れるようになったところで、夏野はアウルを纏いながら叫ぶ。
「私は盾。全てを征する、盾!」
更にその声を塗りつぶすようにアウルで生み出した無数の彗星をツェアシュラーゲン目がけて叩きつける。着弾による砂煙が晴れて、石人形は未だ健在でこちらに振り向こうとしているのが見える。しかし、彗星の直撃の影響で動きは緩慢で、いまだ半身もこちらに向いていない。
其の隙にハートファシアはツェアシュラーゲンの背後から大鎌を振り下ろす。それは甲高い衝突音とちいさな石片を生み出すに終わる。複数回同じ箇所を攻撃すれば、あるいはダメージを与えられるかもしれない。だが、彼女はそれ以上の攻撃はせずに、夏野の立つ位置まで下がる。
「僕達は撃退士です! 助けに来ました!」
夏野の盛大な初撃に同様した人質達を落ち着かせるようマステリオが声を張り上げる。彼の手には漆黒の長釘のようなものが複数握られている。マステリオは人質達を視界の端に捉えながら、ツェアシュラーゲン目がけて長釘を投げつける。アウルで生成されたそれは狙い違わず石人形の肩に突き立つ。しかし、浅く、石人形の動きを阻害するほどではない。
マステリオの言葉だけでは人質達の動揺は収まっていない。助けが来た今、グリフォンが戻ってこない今、逃げ出さないと次にさらわれるのは自分ではないか。多少撃退士達の攻撃に巻き込まれるリスクがあるとはいえ、悪魔に直接狙われるよりはマシ。そう考えた何人かが走りだそうとしたとき、崖の先、グリフォンが真っ先に降り立つ位置に人影が振って降りる。
「大丈夫、守る!」
盾を構えた何の姿に駆け出そうとした人間の足が止まる。このままここに留まった方が助かる可能性が高い、そう思わせるに足る安心感が何の背中にはあった。
ひとまずは石人形が倒されれば、安全に逃げられる。そう思って人質達が視線を向けた瞬間、撃退士の少年――マステリオの体が石人形の腕に捉えられて握りつぶされた。人質達の口から絶望の呻きが漏れる。
「お見事、僕が食らったら即死していましたね」
まるで教師が生徒を褒めるような調子の声がして、石人形目がけて雷撃が飛ぶ。放ったのはさっき圧死したはずのマステリオだ。
「心臓に悪いです……」
夏野が石人形に動く暇を与えまいと矢状の雷撃を浴びせながら呟く。
身代わりだとわかっていても仲間の姿をした物が死んだようにみえるのだ。当然の反応だろう。
「しばらく動かない石人形になって頂けませんか?」
雷撃が止んだ後、ハートファシアが異界から腕を呼び出して石人形を搦め取る。がっしりと体を固められて石人形の動きが止まるが、石人形に対峙する三人は積極的には近づかず、遠距離からの攻撃を続ける。
そんな様子に人質達がざわめきだす。助けに現れた撃退士達はわずか四人。一人はグリフォンを警戒して動かないし、三人も危なげないとはいえ、押しているとは言い難い。作戦の事などしらない人間が不安になるのも致し方ない。
「大丈夫です……守りますよ」
拘束を振りほどいて殴りかかってきた石人形の攻撃を即座に生み出した障壁で防ぎながら、ハートファシアは安心させるように声をかける。しかし、それは姿を見せたグリフォンの羽音の前に容易く吹き飛ばされた。
●
何はいち早くグリフォンの接近に気づいていた。ようやっと肉眼でその姿が見えるくらいなのに、すでに羽音が耳に届いていた。
何をここまで連れてきたフェンリアは人質達の傍に行ってもらい、余計な動きを見せたら多少強引にでも沈静化してもらうよう頼んでいるので後顧の憂いはない。
あっという間に攻撃圏内に飛び込んできたグリフォンに向かってワイヤーを打ち出す。アウルの力で意のままに操っているというのに、グリフォンには掠りもしない。
「……格闘戦が本業なんだけどな」
飛べないがために中・長距離戦にならざるを得ない状況にもどかしさを感じながらも攻撃の手を緩めることはない。
グリフォンが何への反撃のために高度を下げた瞬間、二つの影が崖下から挟みこむように飛び出す。
夜姫が飛び出した勢いのままグリフォンに肉薄し、雷を帯びた大太刀を横薙ぎに振り抜く。グリフォンはそれを紙一重のところでかわすが、剣圧が翼を掴み、一瞬体勢が崩れる。
そこに光の鎖が伸びてきてグリフォンを束縛する。鎖を発生させたエインフェリアは、成功したことに一瞬顔を緩ませるがすぐに引き締めて武器を持ち替える。
「拘束が解ける前に地面に落とします!」
その声に答えるように何が地面を蹴って高く跳躍する。降下途中だったグリフォンは、撃退士ならば跳躍で十分手の届く範囲で拘束されていた。鼻っ面を思い切りナックルダスターを装備した拳で殴り飛ばし、その反動で自身は地面へと戻る。
拘束されたグリフォンは為す術も無く朽ちる、とはならない。拘束されていない翼で何もない空中を打ち据える。ただ拘束に抗っているかに見えたその動きは、空気を歪めるほどの密度を持った衝撃波となって夜姫とエインフェリアを襲う。不意の攻撃に回避できず、二人はもろにその衝撃波を受けるが、一応の防御はできたらしくすぐさま反撃へと転じた。
まず夜姫が未だ光鎖で動きを止められたところに、今度こそ正確に電撃を帯びたなぎ払いを片翼を切るように叩き込む。第二波を打ち出そうとしていたグリフォンは電流によって動きを止めた。
移動手段だけでなく、反撃手段も失ったグリフォン目掛け、エインフェリアは容赦なく剣状に伸びた炎を突き立て、羽根を燃やす。それと同時に光鎖は消え、翼を焼かれたグリフォンは頭から落下し地面に叩きつけられる。
もう行動する余力のないグリフォンに何はワイヤーを巻きつけ首を切断し、確実に息の根を止めた。
人質達の口から微かに安堵の息が漏れる。だが、まだ一体健在だ。グリフォンの活動停止を見届けて、夜姫とエインフェリアは一目散に残った撃退士達の元へと文字通り飛んでいく。
「フェンリア! 頼む!」
「はいはい、ちょっと待ってよね」
何の合図に答えるようにフェンリアは人質達から離れて、何を再び抱き上げてツェアシュラーゲンの元へと急いで飛び立った。
●
「流石にきつくなってきましたね……」
足止めと攻撃をローテーションしつつも決定打に掛け、少し気を抜けばあっという間にあの世行き確実な攻撃を繰り出してくるツェアシュラーゲンに夏野は辟易する。
「焦って攻め込んでいい相手ではないです。あと少し……」
攻撃、回避、束縛を一瞬の油断も続けることでハートファシアの顔はじっとりと汗ばんでいる。いや、自身の運動量だけでなくツェアシュラーゲンが発する熱のせいもあるだろう。これでは、脱水症になってしまう。
「堅いですねえ。……まあ、それだけですが」
軽口を叩くもののマステリオの目は一瞬の油断すまいと張り詰めている。
そう長くは持たない。そう思った瞬間、少し先の空中で炎が上がり、そのまま地面に落ちていくのが三人の視界の端に入る。
「いい加減熱いので、そろそろ冷やしますね」
グリフォンが堕ちた事を察したハートファシアは今まで温存していた能力を解放する。彼女の呼吸に呼応するように氷の錐が空中に生まれ、鋭く空気を切り裂いてツェアシュラーゲンに突き刺さる。着弾と同時に、氷錐はツェアシュラーゲンの体表の熱を一気に奪って蒸発する。一瞬ツェアシュラーゲンを覆った水蒸気が絶え間なく崖を吹く風に拭われると、ひび割れた体表があらわになる。
「抑えますから一気に叩いてください!」
夏野の声を受けて、マステリオはアウルを凝縮して生み出したトランプを投げつける。それは吸い込まれるようにツェアシュラーゲンのひびに突き立つ。威力が無いのか突き立っただけ。だが、これでいい。
空から降りて、飛行の勢いをそのまま一気に前への跳躍に乗せた夜姫の拳が、マステリオが打ち込んだカードの上から叩きつけられて深くめり込む。内部に達したのか、亀裂から血が吹き出す。まだなお息のあるツェアシュラーゲンが掴みかかってくる前に一気に飛び退く。
そこにあたりが暗くなったか、と錯覚するほど眩い光を放つ槍をエインフェリアが放つ。それは吸い込まれるようにツェアシュラーゲンの胸を貫き、上体を崩したツェアシュラーゲンを地面に縫い付ける。
「まだ息があるか……」
フェンリアから降ろされた何はツェアシュラーゲンの生命力に驚嘆しつつ、槍を構えて一気に詰め寄って、
「哈!」
――頭を貫いた。
●
確かに依頼されたディアボロ二体は倒した。
残されていた人々の命も救った。
だが、撃退士達の顔は晴れない。
「全員を救えるとは思っていませんでした。多くを助ける為に必要な犠牲なら少数は切り捨てます。さすがに今回は人手も戦力もこの数を助けるには……」
エインフェリアが言った言葉に、非難の目を向けようとした何はすぐにやめた。その言葉に一番納得していないのは、エインフェリア自身だと顔を見てわかったからだ。
夜姫は深く息を吐いて、ゆっくりとその場を立ち去る。とぼとぼと疲れきった顔で誘導される元人質達の顔を見るのが忍びなかったのかもしれない。
この場を去る夜姫とは対照的にハートファシアは元人質達に駆け寄る。
「絶望も混乱も、生きているからこそ、です」
数が減ったということ、ここが観光地だということ。それは親しい人間が居なくなった人がこの場に居るかもしれないということ。
そういった明るさを取り戻す役割を率先して行いそうなマステリオはその様子を黙ってみているだけだった。疲れているのか、思うところがあるのか、沈みだした日が彼の顔に影を生み出し心の内を読み取ることはできなかった。
「戻りましょう……」
夏野の声で、残った撃退士達も久遠ヶ原への帰路についた。
●
「遅い……」
何時まで経っても戻ってこないグリフォンにローエン(jz0179)の苛立ちはピークに達していた。
日が沈んで尚、戻ってこない事に彼女は事情を察する。
「やられた、か」
下賜されたディアボロが死んだ、という事態に彼女は慌てるどころか苛立ちを露わにする。
「人間ごときに出し抜かれるような恥知らずは死んで当然、だ。……予定より人間が集められないとはなっ!」
苛立ち交じりに手近にあった壁に拳を勢い良く叩きつけた。まるでガラス細工のように砕け散る壁材が小さな悲鳴を呼ぶ。
「うるさいぞ、人間ども。じきに栄えある我らが同胞に迎え入れてやるのだ、光栄に思え。まぁ、もっとも――」
崖から連れさらわれた人達は、固唾を飲んでローエンの言葉の続きを待つ。訪れるのは更なる絶望だというのに、健気に待った。
「貴様らの自我は残らんがな」