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牧野 穂鳥(
ja2029)は虹を見上げながら物憂げに溜息をついた。
見上げた虹は彼女の知る虹とは異なっている。まず色が妙に鮮やかで、色の並びも記憶と異なっている。そして、雲に遮られるどころか雲を霧散させてしまっていた。
……普通じゃないですよねぇ。
心の内でそっと呟きながら村をゆっくりと歩く。恐らく一時間も歩きまわれば隅々まで歩き尽くせるだろう、それくらい狭い村だった。だが行き交う人は多く、その多くは都会の繁華街を歩いていそうなおしゃれなカップルや夫婦だった。
自分の格好といえば……まぁそこまで変ではない。表情以外は他の人と同じ観光客に見えているはずだ。
とぼとぼと歩く。本当のところ、さっさと歩いて怪しい所が無いか虱潰しに見て回りたいのだが、今彼女は『天魔により家族を失ったことによる自殺志願者』と言うことになっている。そんな元気一杯な動きを見られる訳にはいかない。
「はぁ……」
演技ではなく、本心から溜息が出る。怪しい虹、行方不明者、村人が関与しているかもしれない。天魔は居るかどうか不明。その因果関係を洗えとは、まるで雲を掴むような依頼だ……いやこの場合虹を掴むようなと言った方が気が利いているだろうか。
……天魔が関わっているのは村に来て虹を見れば一目瞭然だったのは幸いでしょうか。
後は、村人の関与を洗って、天魔を倒せばお終い。言葉にすれば容易いがそう簡単に行くものでないことは牧野自信解っている。
「はぁ……」
「おやおや、お嬢さんどうしたんだい。彼氏さんとはぐれたのかい?」
またも本心からの溜息をついた所で声をかけられる。首を巡らせると、頭に手拭いを巻いた腰の曲がった老婆が気遣わしげにこちらに近づいてきていた。
「いえ……、そうではないです」
「そうかえ、一人でどうしたんね。他の人は?」
「あの、私は一人でここにきたので……大丈夫です」
「あんれ、珍しいねぇ。ここには皆アベックできよるのに」
心底驚いた顔をする老婆。恐らくこの人は失踪事件に関与していないだろう。だが狭い村だ、一人に事情を漏らせばあっという間に話は広まるだろう。優しさがその顔に皺として刻まれた老婆を騙すのは気が引けるが、これも任務だと割りきって口を開く。
「天魔に家族を殺されてしまって……。この村の虹を見れば、家族との思い出も消えないで私の中に残るかと思って来たんです」
「あんれ……お気の毒様にねぇ……。あの虹はねぇ、山神様が作っているんだよぉ。お嬢さんの家族の思い出もきっと、山神様が消えない様にしてくれるよ」
牧野の話を聞いて老婆は涙目になって何度も頷く。そして牧野の手をとって両手で包み込む。
「つらいだけんど、がんばってねぇ」
「……はい。ありがとうございます」
老婆とその後二、三言葉を交わして畑仕事をするという老婆と別れる。
偽りの身の上を話す事で餌は巻いた。あとは掛かるのを待つだけだ。
●
村の少しひらけたところにある、岩の上に少女が画板を広げて一心不乱に消えない虹を紙に書き写していた。頭はボサボサ、両手には包帯が巻かれおり、露出した足には幾つもの擦り傷が見えた。その顔は深く被ったフードで、また俯いて画板に釘つけになっていて全く伺うことができない。
まともな家庭で育っている子供には、到底見えない。
『DVから逃げてきた家出娘』
夏木 夕乃(
ja9092)が村に潜入するためにとった身の上である。擦り傷まで作るとは中々に気合の入ったカモフラージュだ。
虹は希望の象徴っていうけど……さて、この村の虹はどうなのかな。
虹を見上げながら包帯の上から腕を撫でる。その包帯の下にも幾つもの傷がある。皮膚が変色する程の怪我の痕があるのだが、これは今回用意したものではない。幼少期に本当にDVに遭っていたのだ。その事をわざわざ他人に言い触らす必要もないので、知っているのはこの場では彼女だけだが。
「ちょっ先輩まずいですって……」
「だからってほっとけないだろうが」
一組の男女が小声で言い合いながら、こちらにやってくる。他の人間には聞こえて居ないようだが、撃退士たる夏木は一般人よりすぐれた聴覚で二人の言い合いを聞きとることができた。
……かかった。警察、かな。
夏木の前、虹を遮るように男が立つ。その横におろおろした女が来る。夏木はおもむろに顔を上げて、無言で男が何か言うのを待つ。
「君、こんなところで何をしているんだ? お父さんかお母さんは一緒じゃないのか?」
低く抑えた声で話す男の目線は包帯を巻かれた腕や、擦り傷のついた足を見ていた。
「……一人です」
「学校は?」
「……行ってません」
男は首を巡らせて、周囲に人が居ない事を確認して懐から手帳を取り出す。
「俺は警察だ。少し、話聴かせてもらえるかな?」
「ちょっと……先輩! 身分明かしたらまずいですって……!」
「家出児童ほっとけってのか。それに今更言ったって遅ぇよ」
それを受けて女は頭を抱えて蹲ってしまう。
「……一週間も好きでもない先輩と恋人ごっこやって潜入したのが水の泡だぁー」
「……お前後で泣かす」
泣き崩れる女を脇目に、夏木も周囲を確認して人目が無いことを確認して二人に告げる。
「私は久遠ヶ原の撃退士です」
その言葉に、男女は引き締まった顔を夏木に見せた。
●
一見幸せいっぱい過ぎて頭の中がピンク色になったカップルばかり、に見えたこの村もよくよく見てみればそうでもない。手を繋ぎながらも暗い雰囲気を漂わせた極端に荷物の少ないカップル、涙の跡がくっきりと残った女。どうみたって幸せそうには見えない人間がいた。
……ただ天魔が証拠を残さず人を襲っている、とも考えられますが。人の社会で大きな騒ぎにならない相手を選ぶ知恵を有するとなると……。氷野宮 終夜(
jb4748)は恐らく行方不明者を生み出しているのは人間ではないか、と当たりを付けていた。
「綺麗な虹ですよね、貴方も虹を見に来たんですか?」
カップルよりは一人の方がより狙われやすいであろうと、沈んだ表情の女に声を掛ける。自暴自棄にならないように、一人にならないようにと説得するのが目的だ。説得に失敗したとしても、自分が傍に居る限りに置いては迂闊に手出しはできないはずだ。それに、氷野宮という部外者が接触したことで迂闊に連れ去ることもやりづらくなるだろう。
自分一人では手が回らないくらいちらほらと暗い雰囲気の人間が居るのが困り物だが。地道に声を掛けていくしかあるまい。
「……そうです」
尋常ならざる落ち込んだ返答に氷野宮の心は折れそうになる。しかし、だからといって見過ごして死なす訳にはいかない。
「ここには一人で?」
「そうです……。亮介……恋人が死んでしまって……」
「それは……ご愁傷さまです」
「消えない虹をみれば二人の思い出も消えないかなって……」
乾いたはずの涙が流れた跡に新たな雫が潤いを与える。
「きっと、貴方の心の中に残りますよ」
「そうですね……」
「だから、貴方は少しでも長くその記憶を残すために生きて下さい。辛いでしょうけど……」
「……はい」
頭を下げて離れて行く女の背を見送りながら、氷野宮は小さく嘆息する。見ず知らずの会ったばかりの人間にどれだけの事が言えて、どれだけ相手の考えを変えられたものか。
もし彼女が自らの命を絶つ決意を持ってここに来ていたとして、先の言葉で思いとどまらすことは恐らく出来ていない。
だが、彼女は諦めない。
次に説得する相手を探して歩きだす。
仮に自殺したとして、それは仕方ない。他人がその生命を食い物にするよりは幾らかマシだ、と。
●
「消えない虹ね……消えるからこそ綺麗だと思うんだが」
虎落 九朗(
jb0008)は一人呟きながら黙々と山道を登る。目指すは虹の根元だ。ここに来るまでに散々胡散臭い物を見た。
まず、登山道の入り口が封鎖されて、村の男が数人詰めていた。押し通る事は難しくないが、今の段階で事を荒立てるのは良くないだろうと考えた結果、適当な藪から山へと入った結果体中虫刺されだらけだ。さて、わざわざ封鎖する理由はなんだろうか。観光資源としているなら、消えない虹の根元もさぞやいい見世物になるはずだが。 次に虹。これは村についたときに全員が抱いた感想のようだが、色が変だ。並び順がおかしい、というのもあるが見ているだけで胸糞悪くなるような歪さ、不自然さがあった。虹からは微かに、天使の力の残滓が見て取れたのだ。写真では変な色なだけだったが、今回依頼を受けた久遠ヶ原陣に悪魔の出自の者がいたら唾を吐き捨てたかもしれないくらいはっきりと天使の力の残滓だと解った。
虎落は天魔の存在も、村人の関与も確定だろうと、虹の元へと足を早める。
そして頂上に程近い所で、少しひらけた場所に出る。その中央から虹は空に向かって伸びていた。
「……はい、決定だな」
虹は何かトカゲの様な物から生えていた。トカゲは動く気配はなく背中に割れ目が見えて、中は伽藍堂だ。
「抜け殻か何かだろうな……」
木陰に身を潜めて、様子を伺う。トカゲは半透明で、日の光を受けてキラキラと輝いていた。どうみてもアレは動かないだろう。では、アレの持ち主はどこか。
もう少し近づいて確認しようか、と思った矢先に虎落の耳に何かが木くずを踏む音が届く。
「……何か居るな」
しかし、視界には静かな森の風景しか映らない。人間にぶつけ様と持ってきていたカラーボールは今は置いてきてしまっているし、仮に持っていたとして今ぶつけて反撃に出られるとまずい。
幾らかは腕に自信があるとはいえ、天使と1対1で挑むのは得策ではない。虎落は静かに後ろにさがる。十メートルほど後退して、足音が近づいてきていない事を確認して反転、一気に駆けてその場を離脱した。
山を降りて、携帯を取り出して電話を掛ける。相手は向坂 玲治(
ja6214)だが、万が一村人に見られた時に備えて、恋人(脳内)を想定して話す。
「あーもしもし、俺だけど」
『ああ、そっちはどうだ?』
「んー、取り敢えず見たけれど、どうだろ。お前アレ好きだっけ?」
『好き? 何だ、なんの話だ。というかその気持ち悪い声どうにかしてくれ』
気持ち悪い、に若干傷つきながらも必死で彼女に話しかけている体を装う。だが、肝心の単語を伏せていては伝わらないので素早く周囲を確認して告げる。
「虹の正体は天使の抜け殻だ。本体は姿を透明して隠れてる」
『……なるほど、解った。他にはなにかあったか?』
「えー、まじかよー。わかった恥ずかしいけど村の人に聞いてみるよ」
『何が恥ずかしいんだ。じゃあ、聞き込み頼んだ』
「うん、わかった。……だいすきだよ玲」
『おい、何ふざけてるんだ! 本気でキモ……!』
向坂が電話口で怒鳴るのを遮って携帯を仕舞いながら、村の中へと戻る。都合よく、目の前に男が歩いていた。村人であることは、日焼けした逞しい体、身に纏った作業着で一目瞭然だ。だが、一応の確認は必要だ。
「すいません、村の人ですか?」
「あ、ああ。そうだけんど、なんね」
突然話しかけてきた虎落に驚きながらも、村の男は律儀に返事をする。
「デートの下見に来たんですけど……結構賑わってますね」
「そうだろ、そうだろ。これも山神様のおかげだて」
相手なんていねーと内心涙を流す虎落を他所に、男は笑顔で虹を見上げて嬉しさを隠しもせずに言う。
「虹が見えて二人きりになれそうな場所ってないスか?」
「んー……? 二人きりねぇ……えっちぃことすんのか? だったら旅館のほうがええぞ?」
「いや……そういうんじゃなくて……」
「ガハハハ! わーっとる、わーっとる。冗談じゃ冗談! そんだら、ここをまっすぐいってだな……」
村の男が言う場所を頭に焼き付けて、礼を言いながらその場を離れる。あまり離れすぎない程度の位置でまた携帯を取り出して向坂へと電話を掛ける。
「あ、玲。おれおれー、あのさー」
『その呼び方やめろ……』
●
「おい、お前。最近この村で行方不明者が出ているそうだが、何か知らんか」
不動神 武尊(
jb2605)は村人を捕まえて、包み隠さずに自信が失踪事件を調べている事を告げた。
問われた若い男は驚きに目を見開かせて、しばし黙り込む。
「そんだね……なんかどっか行きよったってんでおまわりさんは良く来よるねぇ……。あんたおまわりさんかねぇ?」
探る様な目つきの男の言葉を不動神は鼻で笑って見下ろす。
「お前には関係ない事だ。それより俺の質問に答えたらどうだ」
「なんね……そげな怖い顔せんでも……」
「……」
なおも答えを返さない男に、不動神は苛立を隠しもせずに顔に表す。男はそれに完全に怯えてしまっていた。
「……知らん……俺はなんも知らん」
「そうか、ならいい」
その答えに不動神は興味をなくしたように目をそらして歩き去った。
男はほっとして、慌てたように駆け出した。向かう先は公民館だ。
不動神は、興味を失くしたと見せかけて男の後を付けていた。公民館に入っていく男の姿を見て口元を歪めた
「一人では何もできない脆弱な人間の事だ、秘密の死守の為にそう動くだろうと思ったぞ」
思惑通りに行った、とほくそ笑みがら携帯を取り出す。向坂に伝えるためだ。
可能であれば自分一人で片を付けたいと思わないではない。向坂に電話する、ということは今自分が口にした人間の欠点を自分もなぞっているようなものだ。しかし、一人でできると勝手な行動をして結果依頼をむちゃくちゃに引っ掻き回してしまえばそれは天使は傲慢だという型に自分が当てはまってしまう。それはそれで、気にくわない。
「……俺だ」
そんな葛藤が、不機嫌さとして声ににじんだ。
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『じゃあまた電話するよ、玲』
「だから! やめろ! ……ちっ、切れた……」
げっそりした表情で向坂は携帯を見つめる。先程までの虎落の電話が軽くトラウマに成りかけていた。
「そういう趣味だったのか……」
呟いた物の、冷静に考えれば村人に対してのカモフラージュだろう。だが男に甘ったるい声で玲なんて呼ばれたら虫酸が走ってしまう。
村の移動までに使った小型バスの中で、クリップボード片手に今まで仲間が聞き込みをした情報を書き込んで行く。ある程度情報が集まったら、村に潜入しているらしい警察を尋ねようかと思ったが夏木が接触したらしい。
「堅苦しいのは苦手だから助かったな」
頷きながら、夏木が警察から得た情報を見返す。
「不信な動きを見せている人間は……」
そこに携帯が着信を知らせる。さっきまでは誰からか確かめずに取っていたのだが、虎落に植え付けられたトラウマのせいで一度ディスプレイを確認する。そこに映る名前は不動神だ
「セーフ」
そう呟きながら電話を取る。言葉少なげに要点を語る不動神は、普段であれば無愛想な奴だと少なからず苛立ったかもしれないが、今に限ってはオアシスだった。
「はいよ、そっちじゃそういう風になってんだな。纏まったら折り返し連絡するぜ」
不動神にそう告げて電話を切る。会話中にメモしたものと、先程までの情報照らし合わせる。
「不審な男、公民館に逃げ込んだ男。見た目が一致してるな……きっちり話を聞いた方がいいな」
そして、一緒に来た撃退士の一人に連絡を取ろうとアドレス帳を検索する。
「もしもし、俺だ。悪いんだが、今から公民館に向かって欲しい……」
●
「ほんまに消えへん、綺麗やなぁ……」
亀山 淳紅(
ja2261)が虹を見上げながら歩いていると携帯が震える。
「あ、向坂さんからや」
一緒に行動していた天宮 佳槻(
jb1989)に一言断ってから電話に出る。
「はい亀山です。え、はい。わかりました、ええですよ。ほな天宮さんと行ってきますわ」
「向坂さんはなんと?」
通話を終えて携帯をしまう亀山に天宮が問いかける。
「公民館に挙動不審なお兄さんがおるから話聞いてこいって」
「そうですか、じゃあ行きましょう」
「なぁ、天宮君」
歩きながら、何かに気付いたのか弾かれたように天宮に話しかける。
「どうかしましたか?」
「うちらってカップルに見えるんかなぁ?」
「……見えないと思いますよ」
「そらそうや」
天宮は単に性別を指摘しただけだったが、亀山的には良いツッコミだったらしく楽しげに笑っていた。
二人は何食わぬ顔で真正面から公民館に入る。見るからに旅行者の人間も道を訊くためにか普通に出入しているので、変にこそこそした方が目立という判断だ。
暫く公民館の中をうろつくと、向坂から電話で聞いた特徴の男がいた。
「どうします? 人の目があるますけど」
「自分にまかせといてや。とりあえず、天宮君はあのお兄さんに話しかけて」
「わかりました」
二人して男に近づいていき、天宮が声を掛ける。
「あの、すいません」
「えっ……ああ、はい。な、なんでしょ」
さして暑くもないというのにじっとりと汗をかいて、言葉もどもり気味。明らかに挙動不審だ。
それを見て、亀山の目が光る。何事か呟いた途端、男が意識を失って倒れる。
「どうしました!? あかん、意識ないわ。亀山君人呼んできて!」
「……わかりました」
ウインクしながら言う亀山の意図を汲みとって、天宮が人を呼びにその場を離れる。周囲の人は付かず離れずの距離でこちらを窺っていた。
「お兄さん、大丈夫?」
その隙に亀山は男の額に手を当てる。一見体調を気遣っているようだが、違う。ダアトの能力を遺憾なく駆使して、男の記憶を読み取っているのだ。
男の記憶があまりに不快さに亀山の顔が険しくなる。
天宮に連れてこられた公民館の職員に気づいて表情を戻す。
「なんかこの人急に倒れはってん。病院連れて行ったってくれへん?」
「は、はい。わかりました。ありがとうございます」
職員は頭を下げて、男を背負って去っていく。それを見届けてから、天宮が口を開く。
「それでどうでした?」
「真っ黒や」
亀山が頭をふりながら答える。
「とりあえず、地下牢に閉じ込められた人がおるからその人から話訊くのが手っ取り早いかな」
「牢、ですか。鍵は?」
「秘書さんが持っとるみたいや」
「秘書……? 村役場もなくて公民館を使ってるのに、秘書が居るんですか?」
「そこ驚くとこなん? まぁええやん。行こ」
村長室、と書かれたプレートを確認して亀山が一気に扉を開けて中に入る。後ろから、油断なく天宮も付いて来る。
「こんにちは」
「ここは関係者以外立ち入り禁止、なんだがね」
立派な執務机の脇にたった男が咎めてくる。恐らく、彼が秘書だろう。
「観光客を天使に食わせてるやろ」
亀山の直球に秘書は眉一つ動かさない。しかし、執務机に肘を付いた男、村長は目を見開き明らかに動揺している。
「何を根拠にそんな事を?」
「無駄なシラを切るの辞めてや。もう全部わかってんで」
「なるほど……久遠ヶ原ですか。どこから話が漏れたのやら」
悪びれも焦りもしない様子に天宮が怪訝な顔になる。
「お前……何を考えているんだ?」
「いえ、別に。……ただ、折角の餌場が無くなって残念だとは思っています」
「なるほど、天魔か」
天宮の指摘に、秘書は肩をすくめる。
「まぁバレてしまっては仕方ないです、鍵置いていきますね」
「なっ、待ってや! あんた何者や!」
亀山の誰何に答えず秘書は忽然と姿を消して、鍵が床に落ちる甲高い音が響いた。
「あかん……逃げられた。シュトラッサーかなんかやったんやろうか……」
「それよりも亀山さん、あの人どうしますか」
天宮が指す先には、がっくりと項垂れる村長がいた。
「……ひとまずほっとこ。逃げる気もなさそうやし、話は後でじっくり聞こう」
「……分かりました」
そうして二人は地下牢へと急いだ。
地下牢に降りて鍵を開けると、中には髭をのびるに任せた男がいた。
亀山と天宮はその男――村長の息子から事の顛末を聞いた。
曰く、この村は消えない虹を生み出す天魔を、観光客を生贄にすることでこの地に留めていると。
話を聞くに連れ湧き上がる激しい憤りに、亀山は拳を震わせた。
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「……なるほど、な。解った、じゃあ虎落が聞き出した誘拐スポットに夏木に囮として行ってもらおう。他の全員で亀山が聞き出した祭壇布巾に隠れて待機だ」
電話を切った向坂は、全員に向けて亀山に伝えた今後の作戦をメールで送る。
「……やっぱり天魔の仕業か……いや、半分は人の仕業か」
電話の内容を反芻しながら呟く。
思考が駆け巡る中、指示を出した手前もたもたしているわけにもいかず、小型バスから降りて祭壇へと向かった。
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祭壇、と言うよりは木材を大雑把に組み立てて台にして白い布を被せただけの物が山の中腹におかれていた。日は沈みはじめ、当たりはいくらでも隠れる場所ができている。牧野と夏木を除く六人が木陰に身を潜めていた。
村長は捕まえて、潜伏していた警官に引渡した。
しかし、まだ終わりではない。村人は単純に村長の指示で動いているのではなく、自分たちの生活の為に他者を犠牲としているのだ。組織の頭を潰した位で、この生贄を捧げる儀式は終わらないはずだ、とは天宮の推測。
そして、予想通りに誘拐スポットに一人で向かった夏木からの連絡が途絶えた。
「夏木さんは人間相手だし大丈夫でしょうけど、牧野さんが心配ですね……」
氷野宮が落ち着かなさそうに呟く。しかし、連絡がつかない、居場所が分からないではもはや牧野を信じるしかあるまい。
「きた……」
虎落の言うとおり、こちらに向かってくる複数の足音。木々の隙間からは足元を照らすための懐中電灯の灯りがちらついている。
「あ……牧野ちゃんおった」
亀山の声に目を向けると、男たちに羽交い絞めにされた牧野の姿があった。隣には同じく羽交い絞めにされた夏木も見える
「無事だったか……」
向坂が安堵の息を漏らす。一般人ならどう見ても無事じゃないが、撃退士ならあの状態はわざとそうされていると解る。その証拠に、牧野の目は苦痛ではなく不快さを顕にして周囲を睨んでいた。
「じゃあ、捕まえるか」
向坂の声を合図に一斉に村人を囲む。急な包囲網に村の男達はうろたえる。
「な、なんじゃあ!」
「なんじゃあ、ちゃうわ! 大人しく捕まってな!」
亀山が夏木と牧野を捉えていた男を一気に夢の国へ叩き込む。自由になった牧野と夏木は一つ大きく伸びをしてから、周囲の男達に目を向ける。
「乙女はもう少し丁重に扱ってくださいね……」
「はい、暫く寝てて下さいねー」
あっという間に男たちを昏睡させた二人が息を吐く。
「それで、この人達どうしましょうか」
「あ、大丈夫です。警官を呼んで連れていってもらいます」
天宮の言葉に夏木は笑顔で答えて、携帯を村人から取り返して村に潜入していた警官を呼び出す。電話で現在地を告げて、昏睡した男たちの身柄確保を依頼して、通話を終える。
「それじゃあ、これからどうしますか」
「決まっとるやん、天使退治や」
夏木の言葉に亀山が答えて、全員が一斉に山頂へと駆け出す。
「敵の場所はどこですか?」
「頂上のちょっと手間に開けた所があるんだ。そこに天使の抜け殻と、本体がいる」
氷野宮の問に、走る速度を緩めずに昼間調べた内容を虎落が告げる。
「……移動してないといいがな」
移動していたところで構わないが、とつまらなさそうに不動神が呟いた。
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頂上近く、開けた場所を取り囲む様に撃退士達が展開していた。真ん中には今尚虹を放ち続ける抜け殻があった。日は既に落ちて周囲は闇に沈んでいた。
「何か……居ますね」
撃退士達のものではない、重い足音を指した牧野の呟きに虎落が頷く。
「ああ、全然見えないんだけど……これ、持ってきて正解だったな」
虎落が手にしたカラーボールを見ながら言う。
「こんだけ暗かったらトワイライトで影ができるんちゃうかな。それで検討つけてそれなげてくれへん?」
「あ、私も照らします」
亀山の後を追うように牧野が話す。
「わかった」
二人の言葉に虎落が了承する。
「それじゃあ俺がタウントで引き寄せる、そしたらスタートだ」
向坂の言葉に全員が頷いた。
「よし、じゃあ――行くぜ!」
向坂が一気に駆け出す。そして、向坂の背中から亀山と牧野の放った光球が周囲を眩く照らす。
「そら、かかってこいよ。」
向坂が見えない敵の場所を適当にあたりをつけて指で手招きして挑発する。
それに誘われるように、見えない打撃が向坂を襲うが風切音を頼りに盾で受け切る。
再度風を切る音がして、向坂の隣にいた氷野宮は咄嗟に立てて受けながら攻撃を受ける。瞬間視線を巡らせて攻撃元を辿ると、光に照らされてきっちりと影ができていた。
「虎落さん! あそこ」
「よっしゃあ!」
氷野宮が指差す先に虎落も影を認めて、思い切り振りかぶってカラーボールを投げつける。狙い違わず、そこにいた何かにあたって何もなかった筈の空間にベッタリと塗料が付く。
「ティアマット、抑えろ!」
不動神が呼び寄せたティアマットが、ペンキで体の一部があらわになった天魔を抑え付ける。動きが止まったらしい天魔に、ティアマットの隙間を狙って天宮が銃弾を打ち込む。宙に浮いた塗料着弾し、そこから鮮血が吹き出す。
全員が正面から天魔に向かっている隙に夏木はぐるりと回りこんで、背後と思しきところに電撃を打ち込む。これもまた塗料にあたって弾ける。
「……見えないと効いたかどうかわからないよね」
困ったように呟いた夏木に答えるかのように、ズシンと重い物が倒れこむ音がする。不動神が召喚したティアマットが苦もなく何かにのしかかっている様子から麻痺して動けないようだ。
「燃やしたら見えるんちゃうか!?」
いくら優勢とは言え、見えない事に苛立った亀山が天魔目掛けて炎を放つ。一直線に進んだ炎は天魔にあたって激しく燃え盛る。その炎から逃れるようにティアマットが離れて開いた空間目掛けて氷野宮が銀の焔に包まれた弾丸を放つ。
赤と銀の焔に焼かれて、天魔の姿が現れる。その姿は巨大なカメレオンとしか表現できなかった。
「見えさえすれば倒すのは容易いぞ!」
不動神が叫び、その叫びを塗りつぶす騒音を上げるドリルをカメレオンの脳天に突き込む。
カメレオンは何度か痙攣した後に、完全に沈黙する。そして、沈黙したと同時に虹が徐々に薄れていく。どうやら抜け殻もカメレオンから何らかの影響力を受けて発光していたようだ。
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「全員連れて行け。一人だけに責任を擦り付けることは許さん」
公民館前に集められた関与したと思われる村民を前に不動神が警官に告げる。
「ああ、協力感謝する。本部からの車を待って全員連れて行くよ」
警官の言葉に不動神は頷いて、さっさと小型バスに乗って帰り支度を始める。
力なくうなだれる村民達につかつかと夏木が近寄る。彼女にはどうしても言いたいことがあった。
「人を殺して食べられるご飯は、さぞ美味しかったんでしょうね。ご家族にも同じご飯を食べさせて、満足でしたか? ――貴方たち、最低です。蛆虫以下です」
夏木の弾劾に誰からも返事はなく、ただ嗚咽だけが返ってきた。さらに不快感を感じて夏木もさっさとバスに乗り込んでしまう。
「人目にさらされ死ぬより辛い目を見てもそれは身勝手を他人に押しつけ犠牲を強いたツケが回っただけだ」
処置無し、と村民に一瞥もくれずに天宮もさっさと荷物をまとめていってしまった。
「みんなきついな。まぁ……その通りだが」
「とやかくいうのは俺の柄じゃない。これからどうするかは残った村人の良心に期待だな」
「流石、玲は心が広いな」
「やめろ」
虎落と向坂のじゃれあいを眺めながら、氷野宮が口を開く。
「いずれ破綻する方法に頼ったところで……本当に村を、家族を守るなら降ってわいた何かに頼っていては歪むだけです」
「人の犠牲で成り立たせた幸福は儚いものです。そうでなければならないはずですからね」
痛ましそうな氷野宮を慰めるように、牧野が彼女の肩にそっと手を置いた。
四人は村人たちの行末に関わるつもりがなかったらしく、最全員が乗り込むのをバスで待っていた。
「何でこんなことしたんや?」
亀山が村長に詰め寄る。
「あいつが突然やってきて、過疎の村を立て直す方法があるといってきたんだ……」
「それで?」
「知っての通り、それは他人様を生贄に観光資源を作る方法だった……。駄目だと思いつつ、寂れていくこの村を指を咥えて見ていることは……私にはできなかった」
それを聞いて奥歯が砕けるほど噛み締めながら一つ深呼吸をして亀山が口を開く。
「どんな理由があろうと、直接手を下すんが天魔であろうと、それは人を殺してええ理由になんざ一切ならへん。あんたらは人の法で裁かれて、一生を後悔と償いの中で生きてもらう。……それが、犯した罪の重さや……!」
村長の胸ぐらに掴みかかりそうな勢いで亀山が怒鳴る。まだまだ言いたい事はあったが、これ以上言ったら怒りと哀しみで涙がこぼれてしまいそうだった。
悔しげに拳を握りしめて、バスに乗り込む。彼女が最後だ。
勢い良く座席に座った瞬間、尻の下に違和感を覚えて弄る。何かを下敷きにしてしまったようだ。手でそれを引っ張りだしたとたん、けたたましい電子音が鳴り響く。
「うわぁ、うるさっ! 何これ!」
「あ……私の防犯ブザーです」
自己申告してきた牧野を見て、亀山は思わず吹き出す。
「しまらへんなぁ……」
亀山の言葉に全員が苦笑した。