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「うわお☆センセーのヅラ、取っちゃうの?! うっくくく……おもしろそうっ、ふゆみも一枚かんじゃうよっ!」
新崎 ふゆみ(
ja8965)が嬉しそうに笑いながら幅野の手を握りしめている。二人の笑顔は可愛らしいといえば可愛らしいのだが、どこか悪い雰囲気が感じ取れる。
「ヅラね。大して興味はないが、実物は見たことないんだよな」
悪い笑みを浮かべている二人を眺めながら、八幡 叶(
jb3941)がポツリと呟く。知的好奇心がこの依頼への参加理由らしい。
「それじゃあ、サクっとヅラ取ってきて下さい」
「……別に構わないんだけど、これボクらの理科の点数にも影響するんじゃないのだー……?」
喜色満面に撃退士を見送る幅野を背に、フラッペ・ブルーハワイ(
ja0022)が首を傾げる。
「強襲ヅラ奪取なの! ダッシュで逃げるなのー!」
しかし、あまね(
ja1985)が元気な声と共に駆け出して行くのを見てフラッペは思う。
――これも仕事だし、…うむ、最速の修行だと思えば…うん、これは修行、修行なのだ……と。
● 作戦1
目的の教師がサッカーボールを小脇に抱えた緋野 慎(
ja8541)の視界に入る。手にしたボールを置いて、何のためらいもなく思い切り教師目掛けてボールを蹴り飛ばした。
教師は一応の反応を見せて、ボールの方を向くが、それが仇となってもろに顔面でボールを受け止めることになる。
「センセー!ごめんなさーい!」
着弾を確認した緋野が教師にもう訳なさそうに駆け寄る。
「大丈夫ですかー?」
「あ、ああ……気をつけろよ。窓ガラス割ったりしないようにな」
怒鳴りつけることもせず、ただ危ないと注意する教師の頭部を緋野が注視する。しかし、頭部に不自然な点は見られなかった。
● 作戦2
悩みがあった。
最近太り気味の体。毎日の晩酌とそのツマミがどんどんと腹に蓄えられている。問題児ばかりの学校での勤務は彼から運動する時間を奪っていた。
そして、もともと汗っかきだったのだが肥満に伴って最近特にひどくなったように思う。加齢と合わさって悪臭を放っては居ないか気が気でない。
年頃の女の子も大勢いるのだ、『くさーい』などと言われればあっというまに臭い先生としてのレッテルが貼られていかに正当な注意をしたところで『汗デブが何か言ってる、キモイ』としか思われないに決まっている。
自意識過剰だ、と思わないでも無いが身だしなみを整えておいて悪いことはない。
一時間置きにトイレの個室に入って、使い捨ての汗拭きシートで体を拭くことにしている。いつも通りの習慣。だが、今彼の頭上にはいつもと異なる出来事を引き起こす者が潜んでいた。
トイレの天井裏に緋野が潜んでいる。依頼主から受け取った釣竿から糸を慎重に垂らしている。
ワイシャツを脱いで一心不乱に体を拭いている教師の頭上につーっと糸が伸びていく。
そして、糸が後頭部に引っかかる。
チクリとした痛みに教師が頭を巡らすが、いくら首をめぐらしても糸は死角に入って見えない。返って、糸が突っ張っていきそこで禁断の扉が開く。
「……!」
「おっと……」
緋野が息を飲む。
ずれたズラ。直す教師。
これ以上長居すればバレてしまう。手早く糸を引いて撤収するのだった。
● 作戦3
「センセーっ★ シツモンがあるんだよっ、助けてー!」
「えっ?」
廊下を歩いている教師に新崎が声を掛けると、教師は驚いた顔をして立ち止まる。
「君は……中等部だよね? 僕は高等部の教師だんだけど……」
「いいじゃないか、むしろ簡単に教えられるだろう?」
断られかけたのを八幡が単語帳片手に、新崎の横で教師を引き止める。
「う、うん。いや、まあいいけどね……。何がわからないんだい?」
「えっとねーここの燃焼? のところのね……」
そう言って新崎が教科書を開いて教師に質問をする背後に怪しい影が四つ。
談笑しているように見せかけてちらちらとこちらを伺っているフラッペと出雲 楓(
jb4473)。柱の影に釣竿を持って待機している緋野に、校舎二階に男装して待機しているあまねだ。
全員の準備が整ったのを確認した八幡が、教師の意識が完全に新崎に向いている事を確認して、単語帳を手から落とす。
事前に決めた『釣り』開始の合図だ。
それを見届けた緋野が釣り竿を教師の頭部目掛けて一気に振りぬく。狙い違わず、頭部に針がヒットするが教師は新崎の質問に答えることに集中していて気付かない。これを好機と一気に引き上げる。
「そーい!」
響き渡る緋野の声。
舞うヅラ。
風通しの良くなった頭部。
慌てて頭部を確認する教師。
「とったどー!」
再度響く緋野の声。
有るべきものがない事に気づいて振り向く。
宙に待ったヅラを二階に待機していたあまねがキャッチして針から外し、一気に壁を駆け抜けて離脱を開始した。それに合わせてフラッペと緋野もあまねを追うようにその場を離れる。
「ああ! ちょっ! 返せ!」
慌ててあまねを追いかけようとした教師が背中から思い切り何者かにぶつかられて体勢を崩す。何事かとふりむくと、さっきまで質問していた生徒、新崎だった。
「ちょ、ちょっと待ってよ、センセー!」
「え!? いや、いまそれどころじゃ……!」
がっちりホールドされた腕を振りほどこうとすると、悲しそうな新崎の顔が目に入る。
「ふゆみのっ、化学のセーセキがどうなってもいいのっ?! 二酸化炭素がどーなるのっ☆ミ」
「あ……あとで教えるから!」
必死で質問の答えの続きを要求する新崎を振りほどこうとしているところで、自分の頭部に視線が突き刺さっている事に気づく。
「へぇー、やっぱヅラだったのか」
「……ぐっ!」
ヅラ疑惑が生徒たちの間で囁かれている、というのを教師から聞いたことはあったがそれを直に聞くとなかなかキツイものがある。しかも、今は最悪の形で疑惑が疑惑でなくなったタイミングだ。
そこに、もう一人近づいてくる。
「ちが……これはだな」
「違わないでしょ? 先生カツラなんでしょ? 違ったら違うって言って?」
出雲が容赦なく真実を突きつける。そして、ヅラがなくなって未練がましく毛が残っている頭部を眺めながら追い打ちを掛けるべく口を開く。
「隠し事は良くないと思うなぁ。潔く剃っちゃえばかっこよくなるかもだし」
それを聞いた教師は、新崎を振り払ってあまねが逃げた方へと全速力出かけだした。
取り返さないければならない、まだ数人にしかみられていない。誤魔化せるはずだ、と信じて。
ふりはらわれた新崎は、逃げられた事を悔しがる様子もなく教師の背中を見送る。
「出雲さん、頼んでおいたのどう?」
「これでいいの?」
出雲から差し出されたデジカメを操作して写真を見て、新崎がにんまりと笑う。そこにはヅラが取られた瞬間がばっちり収めれられていた。
● キャッチアンドリリース
あまねが結構逃げたか、と思って後ろを振り向くと遠くにこちらを追ってくる教師が視界に入った。大人と子供では、やはり身体能力以前に体格差が一歩の大きさに開きを作った結果、少しのアドバンテージを埋めようとしていた。
このままでは追いつかれる。だが、これも想定のうちだ。一旦校舎の影に入って立ち止まる。そこに追いついてきたフラッペと合流して、ヅラを手渡す。
再びあまねは校舎の影から出て、さもヅラを持っているかのように駆け出す。教師は何の疑いもなく追いかけてくることを確認して、あまねは作戦の成功を確信する。
教師が走り去った後、新崎は未だにがおかしそうに笑っている。
「へへへ……私が止めた時の顔……ほんとどうしようっていってておかしかったー」
そう言って出雲の取った写真を見返してまた笑い出す。
「うん、上手く行ってよかった。私達は実行犯どころか共犯ともおもわれてないだろうな」
八幡がさっきの混乱と焦りが綯い交ぜになった教師の顔を思い返しながらしみじみと呟く。
「ほんとだよねー。……っぷ! ダメだー、笑い止められない!」
笑いすぎて腹筋が痙攣し始めたのか、新崎がお腹を抱えて体をくの字に曲げる。
「そこまで面白かったか?」
確かに多少愉快ではあったが、呼吸困難になるほどではないだろうと八幡が不思議そうにしている。
「ところで……これからどうするの?」
二人の会話をつかずはなれずの位置から見ていた出雲がこの後について聞いてくる。
「最大の見どころは既に終わったとは言え、まだ面白いことは残っているだろうな」
その指摘に新崎は笑うのを辞めて顔を上げる。その顔は先程と違った種類の笑顔が浮かんでいる。
「もう一回センセーの頭みにいこっ! ヅラ装着のケッテー的瞬間を見たいな!」
「なるほど……それは妙案だな」
八幡の同意に新崎は嬉しそうに頷いて、出雲の方を見る。お前はどうするか、と聞いているのだろう。あまり話したくはないのか少しためらった後に出雲が口を開く。
「うん……それもなんかおもしろそうだな」
「ケッテー! レッツゴー★」
張り切って駆け出す新崎を先頭に三人は教師が去っていった方へと向かった。
ヅラを受け取ったフラッペは手元のヅラを困ったように見る。
「……これどうしたらいいのだ?」
若干湿り気を帯びたヅラの遣り場に困って呟いた所に、緋野がやってくる。
「なんでこんなものつけてるんだろうね? 楽しいのかな? 」
無邪気に聞いてくる緋野にフラッペは困ったような顔になる。
「楽しいとかじゃなくて……。 緋野も大人になったらわかる……のだ」
性別的にあまりヅラのお世話になることのないだろうフラッペは、しかし年長者としてヅラ着用者の心理を慮って言う。
緋野は、その答えに釈然としないながらも、そんなものなのかとう曖昧に頷いた。
「そろそろあまねがつかまった頃だと思うから、これを返しにいくのだ」
そう言って二人はあまねと教師が駆けていった方へと歩き出した。
「まだ……小学生……には……負けない……よ」
息も絶え絶えになりながら、腕をつかんだあまねに話しかける。
「さぁ……ソレを……返して……くれないかな」
「ないよー」
あまねが両手をひらひらさせて手ぶらで有ることをアピールする。
「そん……な……どこに……やったの?」
「さぁ?」
教師は絶望に打ちひしがれながら、頭皮の輝く汗を拭う。
そこに高笑いが響く。
「ハゲ! やっぱハゲじゃん!」
依頼主の幅野が教師を指さしながら、涙を浮かべるほど爆笑していた。
「……幅野さん」
教え子である幅野が斡旋業務をアルバイトとして行なっていること、この前の居残りが不服そうだったことを思い出す。そして、この状況が把握できる。すべて彼女が仕組んだ事である、と。
「なんです……ぷっ!」
教師の頭部を見て笑う幅野の後ろに人影が立つ。そして、軽く幅野の頭を叩いた。
「……これで満足のはずで、依頼も完了のはずなのだ。皆のセンセをいじめること、あんまりボクはいい気がしないのだ」
フラッペが少し怒ったような顔をしていた。それを見た幅野はバツが悪そうな顔をして黙る。
「あーっと…とりあえず、えと、ボクと一緒にダイエット…します?なのだ…」
フラッペは教師に近づいて、気まずそうにヅラと制汗スプレーを差し出す。教師は力なくヅラを受け取って装着して、制汗スプレーは手で不要だと伝える。
そんな教師とフラッペの様子を見て、ハゲは隠したいものなのだ、だから必死でヅラを守っていたのだろうと緋野が納得したように頷く。
疲れたような顔で、心なしか肩が落ちた教師に元気な声がかかる。
「本当、生徒ってろくなことを考えませんね☆彡」
追いついてきた新崎が、さも自分はこの出来事には一切関係ありません、と言った体で明るく教師を慰める。
「大変だったのー!」
雰囲気からもう依頼は終わったと察したあまねが口を開く。
「先生が追いかけてくるのこわかったなのー!」
今まで必死で逃げていた反動からかお喋りが止まらない様子で、新崎に話しかける。
「え? そう……タイヘンだったね」
折角バレていないと思ったのに、今ので完全に当事者で有ることが露見して新崎がしどろもろになる。ちらりと横目で教師を確認すると諦めたのか呆れたのか半笑いでこちらを見ていた。
「走った分のスタミナ補給したいなのー! ケーキとか!」
「いいねー! ケーキ! 食べに行こうよっ!」
居た堪れなくなった新崎は、あまねの手を掴んでさっさとこの場から逃げ出していった。
そんな様子を少し離れたところから出雲が眺めていた。
「まぁ、楽しめたかな」
わずかに口元に笑みを浮かべて、背を向け自室に向かって歩き出した。