『もう一度自分の足で走りたいでしょう。――できますよ、今すぐにでも』
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山沿いの街の空全体を雨雲が包み、黒い煙が数カ所立ち上る。
それを見下ろす一つの人影が小高い場所のビルの上に立つ。
「人間が我々天魔に立ち向かおうとすることがどれだけ無駄か、なぜ人間は気がつかないのでしょうね」
そう呟くとひらりとその場から飛び降り、坂道を降りていく。その先に、今まさに天魔の襲撃を受けようとする建物があった。
●
駐車場内で更に新たな爆発音が響き、窓ガラスが吹き飛び、各フロアで署員が床に伏せる。
「全員3階へ……! 単独や少人数で動くな!」
フリーの撃退士の不破 勢二 (jz0204)が無線機へ告げる。
「いやしかし、入り口周辺は固めなければ……!」
署長が不破の指示に不満げに口を挟む。
激戦地への出動要請などなかったのんびりとした地方都市で、まさかここまで激しい襲撃が起こるとは夢にも思っていなかったであろう。
相手は怪物と言えど攻撃自体は単独で行われていた。それなら数の力で一気に押さえ込めばなんとかなる、なんとしても部下にこの警察署を守らせなければ、という甘い考えが署長にはあった。
その時。
「見知った顔のフリをして自爆に巻き込む、か……何ともまあ、趣味の悪い」
司令室のドアの横に新井司(
ja6034)が腕組みをして立っていた。
そして他にも。
「さぁて、とりあえず、三つの班に分かれて対応しましょうかねぇ」
司令室内のぴりぴりしたムードとは対照的な気怠い話し方で、帽子をかぶり直す仕草で雨宮 歩(
ja3810)が司とは反対側のドアの横に立つ。
「署内に残られては足手まといになり、かえって署の制圧を早めることになりますよ」
クロフィ・フェーン(
jb5188)が進み出る。深い紅い瞳でかける言葉は署長を黙らせる程度の厳しさを持っていた。
応援の撃退士らの到着だった。
不破の表情が安堵したものに変わる。
歩らは到着前に分担を決めていて、既に歩と共に1階を担当するA班の有田 アリストテレス(
ja0647)と赤槻 空也(
ja0813)が陽動の戦闘に突入していた。
その間に他の者が署内で配置についた。
敷地内の燃え盛るパトカーの影にいる5体のディアボロと指揮官と思われる人物。
玄関口の内側からアリストテレスがショットガンで侵入を防ぐ。
だがその指揮官が一瞬高く飛び上がると同時に構えた銃で空中からアリストテレスに向けて撃込んで来た。
「ちっ」
その指揮官の行動を合図とするように他の5体のディアボロも一斉に散開する。
「……ッ! こっちだァバケモン!」
すかさず空也がアリストテレスから敵の注意を引きつけるよう叫び、全力跳躍で指揮官の横っ面に拳を叩き込もうとする。
それを指揮官も両腕で防ぎ、地面に着地したところをアリストテレスが更に銃撃を重ねる。
だが指揮官が更に地面を蹴って素早く移動したために銃弾は指揮官の体をかすめただけだった。
他のディアボロは窓ガラスを突き破って次々と建物内に突入していく。
「クソ野郎……ッ」
指揮官本人が真正面から向かってくるとは思わなかったが、ただそれだけに、はっきりと相手の様子を見る事ができた無表情で、戦闘服の体の上に赤黒い何かを張り付かせたような異様な姿だった。
「侵入された。こちらも後方から援護する」
アリストテレスが司に連絡を入れると、司からは冷静な返事が返って来た。
「大丈夫、問題ない」
B班として二階を受け持つ無明 陽乃璃(
jb1773)は、ディアボロが全て建物内部に侵入したことに動揺する。
「……お、怯えてる場合……じゃない……ですね……」
暴力的なものに抵抗が強い陽乃璃は若干過呼吸気味な様相で声を震わせる。
入り口での空也の叫び声が聞こえてきて、更に緊張が高まったようだった。
「赤槻……さん! め、明鏡止水……常に……心は波立たせず……!」
空也と自分自身に言い聞かせるように呟き、陽乃璃は刀を構え直した。
「わふ! なかなかに強敵のようで御座るが、全員無事に帰れるように頑張るで御座るよ! 」
同じくB班の小柄な体を忍装束で包んだ静馬 源一(
jb2368)が口癖のようにわふわふと話す。
その様子はなんとなく忍犬を連想させる。
事態は逼迫していたが、それでも入り口でA班が足止めをしている間に見取り図を元に戦いの場を想定する事ができた。
「狭い廊下で一体ずつ確実に倒しましょう」
司の指示で廊下で構えると源一が気配を嗅ぎ付けた。
「わふっ! 来るでござる!」
ディアボロが姿を現すのと同時に源一が床を蹴り、そこにディアボロが銃を向けるがそれをかわして壁を走り抜けてまずディアボロに迫る。
するとディアボロの背後からすぐに別のディアボロが遠くから飛び跳ねるようにして向かって来た。
「わふっ!」
ディアボロの手先から伸びたかぎ爪のような武器を寸前でかわす。
最初に源一がかわしたディアボロには司が対応する。
「――まずは確実に1体」
先頭のディアボロに司が絶氷を与えて、動きを止め、渾身の蹴りを撃込む。
「――今! 逃さず撃って!」
「こ、これで……! 無明流……いきます……っ!」
陽乃璃が機械剣を振りかざし、インパクトで切り込む。
それだけでは足りないと判断し源一が正確に影手裏剣で攻撃する。
戦闘の中でも司はディアボロを観察していた。
少しでも自爆の兆候が見られたら回避するために。すると――。
廊下の先に指揮官が立つのが目に入った。
それと同時に源一が戦っている相手のディアボロが、源一にしがみついた。
「危ない、離れて!」
「わふーっ!!」
司の叫びに源一が小柄な体全身の力を込めて壁を蹴り、ディアボロごと廊下の窓のガラスを突き破って外に飛び降りた、次の瞬間に凄まじい爆発音が響き渡った。
廊下の窓がひび割れ床に散乱する。
「静馬……さんっ!!」
陽乃璃が窓の外を覗き込む。すると意外にも源一はさらに上の窓のヘリに掴まっていた。
身軽さを生かし、転落の際に自爆寸前のディアボロの体を蹴って3階の窓に取り付いたのだった。
「わふっ、大丈夫でござるよっ。ちょこっとおしりが焦げたでござるが」
あと4体ーー
源一の無事を確認して安心したのもつかの間、指揮官が司に向けて銃器を構えた。
その指揮官の背後から音もなく刀を振り下ろそうとする歩の姿があった。
そこには何の迷いも躊躇もなかった。知り合いだろうがなんだろうが、事態の打開にはまず指揮官を倒すべきである。
「こういう役目を果たすモノが必要なのが戦場だから、ねぇ……」
手応えはあったはずだった。
だが。
背中を切り裂かれたはずの指揮官は無表情に体の向きを変えて歩の額に真っすぐに銃口を向ける。
それをかわして体勢が崩れた歩の代わりに空也が間に入り込み、掌法で突く。
「クソヤロォオ……ッッ!!」
怒りを込めたスマッシュで指揮官の胴体に拳を撃込むとそのまま指揮官の体が廊下に吹っ飛んだ。
その場に居た者が自爆を警戒するが、そのまま指揮官はゆらりと立ち上がった。
その時――、若干だが司は違和感を感じた。
指揮官が立ち上がる様子が何か当人の意識と関係なく、体にまとわりついている筋組織みたいなものが指揮官の肉体を持ち上げるような、そんな印象だった。
だが疑問を考える間もなく別の一体が背後から現れる。
アリストテレスが追って来たディアボロだった。
狭い空間内で自爆させた方が被害が少ないと考え、空也がディアボロを給湯室内へ「突き飛ばす」。
「死ぬんならお前1人だけで死ぬんだな!!」
拳銃に持ち替えたアリストテレスがディアボロの顔面に撃込むと、給湯室内で激しい爆発音がした。
そして残り3体は3階に向かい、陽乃璃と源一が追う。
歩は3階にいるC班の雨宮 祈羅(
ja7600)に連絡を入れる。
「姉さん、こっちはこっちで手一杯だからそっちよろしくなぁ」
恋人でもある祈羅にあえて淡々とそう呼びかける。
「先に言っておくけど、死んでも骨は拾わないからねぇ。それが嫌なら、意地でも生き残りなぁ」
そして蛍丸【黒刀】に装備を切り替えて指揮官との接近戦となる。
相手の素早い動きと少しでも隙を見せると容赦なく銃弾の雨を浴びせられる。
自爆しようとしたら『迅雷』で攻撃後距離を取り、自爆範囲外に退避を狙うつもりだった。
指揮官相手に少しの気の弛みも許されない。
(絶対に一緒に帰ろう、絶対に……)
祈羅もまた、祈る。
●
3階でクロフィはディアボロとの戦闘を避けられるタイミングで外の非常階段からの全署員の脱出のタイミングを計っていた。
その合間に、不破と今回の敵に関する確認をしていた。
「……つまり、その矢崎さんという元同僚の方は、足が動かないはずなんですね」
ウィアドとの戦闘経験があり、そのやり口を理解しているクロフィの存在は不破にはありがたかった。
「もちろん撃退士としての回復力は大きかったが……、矢崎は、足の筋肉組織をかなりやられてね。指揮官としては優秀な奴だった」
「リハビリ施設からの脱走、そして敵へとまわる、か……ウィアド……」
クロフィはぽつりとそう呟き、何か思いついたように話す。
「……矢崎さん、幻惑を受けてしまったかもしれないですね」
その時一部の警官が「まだあそこに仲間がいる!」と場所を離れようとした。
「牧田と岩城だ! あいつら帰って来たんだ!」
3階の廊下の先に現れた者らは、署員らの馴染みの顔だったのだろう。
だがクロフィの目に映るのは2体のディアボロでしかない。
「お願い、正気になって!」
するとその署員らの襟首を背後から掴んで次々と後方に放り投げる巨躯があった。
3階を担当するC班の獅童 絃也 (
ja0694)だった。
「……」
そして無言で腰を落として身構えてもなお圧倒的な存在感は、署員らが「新たなディアボロが来た」と蒼白になったほどだった。
同じくC班として避難活動の護衛をしていたアストリット・クラフト(
jb2537)がシールドを両刃の片手剣に持ち替えて、絃也のフォローに走る。
「未知を未知を未知を、さぁ、私に未知を見せてくれ」
2体のうちの1体を引き受け、ひたすら剣を繰り出し、突く。
ディアボロの体が削がれ、削られていく。
どこまでヤれば自爆が起こるのか、ギリギリの境界をアストリットは楽しむ。
周囲で響き渡る爆発音の響きを心地よいと感じていたのだ。
ここにやってきた動機は、不純かもしれない。
大いなる破壊の側に今自分が居る事に興奮していた。
「敵に下手に攻撃を加えて自爆されるよりは……」
絃也は震脚と拳術の構えをとる。
「我が武の真髄、その身に刻み朽ち果てろ」
向かって来る1体のディアボロが振り下ろす爪状の武器を最小の動きでかわし、錬気+乾坤一擲による沖捶を叩き込むとディアボロの体が吹っ飛び、廊下の狭い壁に体がめり込むように叩き付けられる。
「……運が悪ければ自爆に巻き込まれるだろうが、其れもまた一興」
絃也の覚悟は揺るぎない。
絃也の腕がディアボロの胸部を貫いた。
アストリットもまた、片手剣を一振りでディアボロの首を切り落とす。
●
「異界の呼び手」で階段で1対のディアボロの動きを押さえ込んでいた祈羅だったが、決意をして、その場は陽乃璃と源一に任せ、歩のもとに向かう。
――指揮官から話を聞く為に。
無理かもしれないが、でも。
歩の一太刀がさらに指揮官の肩口から腰までを切り裂いた。
血が吹き出て、誰もが自爆を覚悟した。しかし、爆発は起こらなかった。
壁にもたれかかり崩れ落ちて動きが止まった指揮官に祈羅が念のために異界の呼び手で更に動きを封じる。そうしてから「シンパシー」を使うため、指揮官の体に触れる。
祈羅の頭の中に出来事が流れ込んで来る。
ーーーー
息を切らし床を這ってリハビリをしている矢崎の前に現れた銀色の髪の男。
『もう一度自分の足で走りたいでしょう。できますよ、――今すぐにでも』
その言葉に矢崎が思わずその相手の顔を見る。
ーーーー
「……こいつは自爆はしない……他のディアボロの動きを統制し……動かしているだけだ」
矢崎は正常な意識を取り戻した様子で言葉を発した。
「あの天魔の言葉にオレの心が惹かれて、あいつの幻惑に落ちた……あとは意識が」
矢崎の体を包んでいたディアボロは筋肉の動きを補助するもので、他の人型ディアボロにも同様のものが張り付いているのだった。動きの指示や自爆の司令の信号はこのディアボロから発せられているという。
矢崎には思い切った攻撃はできないだろうというのが、ウィアドが設定した筋書きだったのかもしれない。
矢崎の体を覆っていた赤い筋組織が崩れてはがれ落ちた矢崎自身も深手を負っていたが、ただ撃退士からの攻撃のダメージのほとんどは表面を覆っていたディアボロが浴びたようだった。
と、同時に3階で戦闘中だった絃也とアストリットの相手の2体のディアボロも動きを止めた。
最初に表面の筋組織状態のものが床にはがれ落ち、そして人型のディアボロ本体も床に倒れる。
階段で戦闘中だった陽乃璃と源一の相手のディアボロも同じ状態だった。
アストリットとは若干物足りないようで「もう爆発しないのか?どうかな?」とディアボロを剣で突つこうとする。
絃也も無言でディアボロを窓の外に放り投げようとした。
そんな二人に祈羅から詳細な報告を受けたクロフィが冷静に注意する。
「今はもう自爆はしないみたいだけど、後は爆発物処理班に任せましょう」
念には念をと空也が建物内を見回る。陽乃璃も追随して「な、何とか終わって……良かった……ですね」と声をかけるが、
「クソが……ッ! どうせ大元の外道は高みの見物なんだろッ!」
と空也が拳を壁に打ち付けるのに驚いてへたりと座り込む。
まだまだ、私たちは危ういーーそんな不安を抱く。
非常階段から順次署員も脱出し、ようやく犠牲者を出さないですむ、と不破が一息つきそうになった。
その時最後尾に居た警察官が不破に「署員、これで全員です」と敬礼し、ニヤリと笑んだ。
「……!」
その警官は素早い動きで階段の手すりを蹴ると屋上まで舞い上がり、硝煙の中に立つ。
帽子の下の黒髪が銀色に変化する。
ウィアドだった。
駆けつけた他の撃退士も武器を構える。
ただ全てのディアボロを制され、指揮官も取り戻されたというのはウィアドにとっては計算外だったのだろう。
「これで今回は終わり、負けは認めるよね?」
クロフィの言葉に、ウィアドは歪んでいるような笑顔を見せた。
帽子を取って腰をかがめ、挨拶をする。
「ぜひ、新たな次の舞台をご用意させていただきます」
「いくらでも一緒に踊ってやんよ」
歩が迅雷で突っ込む。ウィアドはそれをかわして建物の向こう側へと跳び、
ーーそして木々の間に消えた。
夕闇に紅く警察署の壁が染まる。
悪夢の襲撃はこうして退けられた。