山間の寺の境内に、耳を塞ぎたくなるような、蝉の声が鳴り響く。
「地上に生きるものでさえ水を求めて喘ぐ季節だ。眠りの国でもさぞかし喉が渇くだろう」
墓所の入り口に並ぶ、小さなお地蔵さんの頭に、杓子で掬った水を何度も何度もかける。
都合で参ることができない家族に代わってお墓の清掃や管理を請け負うその男は、次の墓石に向かう為に石段を降りる。
その時一人の痩身にワンピースの少女とすれ違う。
互いに無言で会釈し合う。
遠い光と風になった大切な人が眠るこの場所で、静かなひとときを過ごすために、今日も訪れる者がいる。
●
学園に来る前にお世話になった人の、その実家の近くのお寺の敷地内。
照りつける日差しも意に介さずといったように、黒夜(
jb0668)が足早に石段をあがる歩を進める。
黒夜が通る一瞬だけ、周囲の木々の幹で鳴いていた蝉の音が止まり、再び響きだす。
揺れる黒髪と対照的に、白いワンピースと片目を包んだ白い包帯が夏の光に一層白く目立つ。
まだ新しい墓石はそれ自体も周辺もあまり汚れや雑草の類いはない。
それでも石の表面を箒で丁寧に払い、線香立てに残された古い欠片を取り除く。
さすがに身を屈めて一通りの掃除をしていると、汗が頬を伝わり落ちる。
持って来た花を生けながら、静かに語りかける。
「報告 、前に墓参りに行った後、重体に3回なった 」
線香を立て、柄杓で水を注ぐと、墓石の表面が日の光に反射してキラキラと光る。
「ついこの間重体になって治ったばっかだ。おたく、生きてたら目が飛び出るくらい驚いただろーな 」
普段あまり多くの言葉を発しない唇が、今は自然に心が伝えたいことを紡いで行く。
「それと、絶対に壊したくない居場所ができた。 いいヤツばっかだよ、あそこにいるのは。そこの管理人も、いい人で……」
言い方はかなりぶっきらぼうではあるが、話しかけるその表情は柔らかい。
そこに相手が座って静かに微笑んで聞いてくれている。
そして、ぽつりと心の中で呟く。
(……どうして死んじゃったんだろうね、あなたは……生きてたら絶対楽しかったのに……)
自分とそっくりな双子の姉と入れ替わっても、すぐさま気がついて笑顔で自分の名を呼んでくれた、一番上の従兄。
自分を見つめてくれた、自分を見つけてくれた、ただ一人の相手。
太陽のような人だった。
そして古びた桜の花モチーフの飾りが先に付いたヘアピンを供える。
「おたくが知ってる『ウチ』の遺品、預かってて。来年まで生きてたら、返してもらうためにまたここに来る。ま、来年まで生きてるかどうかわかんねーけどさ。そん時は、『ウチ』として葬ってもらうかな、なんて」
さらりと風が吹き抜けて、黒夜の前髪を揺らす。
「じゃあね、……大好きだったよーー兄さん」
少しだけじっと改めて墓石を見つめ、そして背を向ける。
●
「……なんだか、どういう感じか初めてでそわそわしてしまいますね」
周辺のお墓を見回しながら進む月乃宮 恋音(
jb1221)に付き添う形で、袋井 雅人(
jb1469)がすぐ後ろを歩く。
学園からそんなに遠くは離れていない、小さなお寺。
その墓所にお参りに向かう者らとしてどこか不自然というか、足取りが軽く見える。
というのも二人が向かう先はまだ誰も眠っていない、自分たちの為のお墓だからだ。
部員の仲間と共同で選んで購入したその場所へ、初めていろいろ準備する為に足を踏み入れるのだ。
「ですねぇ、どんなお墓なのか早く見てみたいです……」
雅人もあまりない経験なので少しいつもより緊張した面持ちだった。
自分達が入るお墓を先に用意しておくなんて、縁起でもないと、そう受け取る人もいるかもしれない。
ただ、恋音からすると、雅人や大切な仲間とずっと一緒にいたいという願いが込められている。
墓石があるその一角は、綺麗に区画が整理されていて、同じように建てられたばかりのような新しい墓石がいくつかあった。
その内の一つの、まだ名前が記されていない和風の墓石の前で恋音らはあまり多くはない荷物を降ろした。
軽く墓石を布で拭き、まだ綺麗な周辺の砂利の上に落ちている落ち葉などを丁寧に取り除く。
雅人が水鉢をどかすと、墓石の下のまだ何もない空間があった。
そこに恋音は他の仲間から預かって来た品を大事そうに入れる。
仲間のいろんな気持ちをそこに収める。
そして恋音自身は[壊れた小さな首飾り]を入れた。
お墓を先に作ろうと思った理由の、もう一つの願い。
それは過去との決別。
もう振り返らない、囚われたくない過去を、ここに封じ、手を合わせる。
それと同時に大切な仲間と生きていきたいという誓いでもある。
ーー久遠ヶ原に来るまでは、そんなふうに誰かのことを思うことや自分が何かの望みを持つことすらできないのだと、そう思い込まされていた。
長く祈るような恋音の隣で、雅人もまた目を閉じて手を合わせる。
いつかは、やがては「その時」が来る。
それは同時かもしれないしどちらかが先かもしれないけれど。
帰り道、二人で歩きながらどちらからともなく、手をつなぐ。
仲間が待っている場所であるなら、こうして仲間が来てくれる場所ならば、寂しくはないーー。
●
「安里……安里……っと、ここであってるのかな?」
墓所も少し規模が大きくなると、初めて訪れる場合は似たような墓石の中から目的のものを見つけるのは若干苦労する。
ナデシコ・サンフラワー(
jb6033)は学園で教えてもらった地図を元に、一つ一つ墓石に刻まれた名前を確認しながら歩く。
まだ低学年の学生らしいスクールジャケットとスクールシューズで仏花を抱え、すれ違う他のお墓参りの人に笑顔で頭を下げる。
お年寄りは「暑い中感心だねえ」と、つられて柔らかな笑顔で返す。
ナデシコの明るい笑顔の様子から、遠いご先祖様か恩師か、そういった相手のお墓への挨拶として訪れているように見えたのかもしれない。
ただ、目的の、ーー自分がお参りするその墓石の正面に立った時、一瞬、少女の表情は硬くなった。
「ただいま、お母さん、お父さん……」
でも、すぐに笑顔に戻す。
あまり慣れてない手つきで、それでも花を花立てに丁寧にバランスよく入れながら、普通に学校であったことを報告するように話しかける。
楽しいこと、ちょっとヒヤヒヤしたこと、笑ったことーー
「あ、そうそう友達も出来たんだよ!可愛い女の子とカッコいい男子と綺麗な上級生と……え〜と……とにかく沢山出来たんだよ!」
表情豊かに、身振り手振りで一生懸命話す。
二人が笑顔で話を聞いて暮れている気がして。
「だから“ナデシコ”は馬鹿でダメダメな子だけど……皆と居れてとても幸せなんだ♪」
笑顔のままで、
「だから……だからさ……心配しないで眠っててね……来年も、再来年も帰って来るから!きっと来るから!」
それでも、頬を何かが伝わって落ちて。
花を抱えて通りかかった若い夫婦が、少女が一生懸命話しかけている様子に一瞬歩を止めるが、二人で見守るようにして静かに通り過ぎる。
顔も声も解らないけど……二人の娘で良かった
もっと色んな事話したかった……
胸の中から溢れる、いろんな想い。
いつもは奥底に押し込めて、出さないようにしていた本当の気持ち。
一度溢れ出すと、それは止まらなかった。
次々と頬を伝ってそれは地面に落ちた。
でも、しばらくすると、立ち上がっり、笑顔で振り切るように
「だから今日は皆の所に帰るね♪」
墓前からくるりと向きを変えて歩き出す。
でも、心の中のもう一人の自分は、今少しだけお墓の前に佇んでいる。
もっと撫でて欲しかった……
もっと甘えたかった……
もっと……もっと……
遠くで蝉の声が高く遠く響いて、墓所を囲む深い森がもう一人の自分の想いを見守っている。
今だけ、少しだけ、もう少しここに居させて……
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新緑の山間いの林道は耳が痛くなるほどの蝉の大合唱であった。
鳴き声が重なり響き合い、強い日差しと木の陰のコントラストの強さと、空から降り注ぐ灼熱の光。
その墓所はそんな山深い中にひっそりと在った。
さらに山道を分け入るようにして神雷(
jb6374)は草履で石段をゆっくりと登っていく。
古い時代に人の手によって積み上げられたのであろう、石垣と、人の手によって削りだされたのであろう石碑が、数カ所点在する。
小さなお地蔵さんも傍らに数体並んでいるが、長い季節の風雨によってかろうじてそれとわかる形状をとどめているにすぎない。
周囲には雑草が迫り、ここを訪れるものが誰も居ないことを示している。
水音がするのは墓所の脇に自然のわき水を利用した水場があるからだった。
そこで水桶に水を汲み、持って来た向日葵の切り花を入れておく。
「掃除しがいがありますねぇ……」
日傘を脇に置いて和装の袖口を軽くまくり上げると、身を屈めて生命力旺盛な雑草を引き抜きにかかる。
予想はしていたのでそれなりの庭用の道具を持ってきていて、根を掘り返し、手際よく除草いていく。
注意深く全面を覆う苔を削って取り除いてみるが、墓石に刻まれてあるはずの文字も、もうほとんど読み取ることはできない。
それでも、その窪んだ名がある場所を指でそっとなぞる。
ただそうすることで呼びかけられる気がする。
その人の頬に触れている気がする。
名前も知らない相手だった。
「おい」とか「お前」とか、互いの名前を呼ばなくても通じ合う、そんな間柄だった。
行き倒れて居た自分を助けてくれた心優しい「人間」の少年。
墓前で手を合わせ、目を閉じると、その相手と過ごした時の記憶が蘇る。
彼に出会うまでは、自分にとって「人間」は玩具程度の存在でしかなかった。
でも、そんな垣根も忘れさせてくれるくらい、彼は優しくて。
村が天使に襲われた時も、彼は神雷を逃がそうとしてくれて、そして帰らぬ人となった。
思い出に浸っていると、あっという間に時間が過ぎていた。
日が傾き、煩かった蝉の声が物悲しく静かに響くものに変わった。
「気が向いたら、また来ますね」
来た時と変わらない表情で別れを告げる。
思い出の中の少年もきっと笑顔で見送ってくれる。
古い墓所の中に佇む、鮮やかな向日葵の色彩と共に。
●
町の中に山の手が入り組み、高低差が激しく目がくらむような高い石段があちこちにあるこの町は、それでも苦労して上がった場所からの町の眺望は絶品だった。
杜屋 葫々杏(
jb7051)が訪れた墓所もそんな高台の中腹にある。
長身に夏物のジャケットを羽織り、強い光に晒された下でもそれを意に介さず、淡々とした表情で墓前に佇む。
「母さん、父さん、遅くなったな……」
バッグの中から水筒と小さなバスケットの入れ物を取り出す。
そして紙コップ。
水筒からまだ温かいセイロンティを注ぐと、ふわりとした茶の香りが漂う。
バスケットの中には綺麗に焼き菓子が並べられている。
「これ、二人の好きな紅茶とマドレーヌ……私が作った奴だ……」
昼下がりのティータイムを、自宅の食卓で親子で囲む時間を過ごしているように、葫々杏は少しずつ、ゆっくりと話す。
自分の周囲であったこと。今の自分の生活。
そして、少し息を吸い込んで、少し重い出来事も報告する。
「知っているだろうが、叔母さんは死んだよ……私はまた一人になったさ……」
お墓の向こうで、一瞬両親が心配げな表情になった気がした。
「いや、今は学園が家族か……」
そして【Cardinal】でヒリュウを召喚する。
「こいつが相棒のカーディナルだ……可愛いだろう?……」
小さな翼をはためかせて赤い鱗に身を包んだ小型龍が葫々杏の肩にとまり、「キィ」と小さく甘えるように鳴く。
母親と父親が、ホッと安心したような笑顔になった気がして、こちらも笑顔になる。
今は店を営んでいること、紅茶好きな仲間が集まっていることを話す。
「『Cafe・Hamelin』と言う店だ……父さんがよく読んでくれたハーメルンの笛吹からとったんだ……」
お店のこと、今は撃退士としてがんばっていること、 話したいことは尽きない。
「何故かは知らないが、紅茶好きが集まってな……繁盛しているさ……。ちゃんとステンドグラスも作ったさ……」
話しながら無意識に胸元のペンダントと、腕輪に触れている。
「もっと話したいが、やめておこう……、帰りたくなくなるからな…… 」
両親と過ごしたかった時間はあっというまに過ぎて行く。
夏の日差しの下の、静かな、小さなティータイムだった。
「必ず又来る……それまでは、見守っていてくれ…」
両親が見守るこの町を、両親を見守るこの町を、自分も見回す。
「又来るよ……」
少しだけ空が高くなり、和らいだ日差しと通り抜ける風が、遠くない夏の終わりを告げていた。
多くの想いを包んで、夏は過ぎて行く。