●開幕
夕刻になれば鳥達は塒を求めてそれと選んだ木々に集う。
だが今この場所に集まっている「もの」は、翼と嘴を持っているとはいえ、グロテスクな黒く光る鱗にところどころ身を包まれた異形の生物だ。
それらが、鋭い嘴を開き赤い舌を見せて威嚇の騒音を響かせる。
互いの戦意をかき立てるように、狂った金属音にも似た声が朽ち果てた植物園の門内の鬱蒼とした密林の中に響く。
赤い回転灯を光らせて周辺の道路を埋め尽くすパトカーの隊列。
近づく者には容赦なく鋭い爪の洗礼が待ち受ける。
防護服やポリカーボネイド製の盾を構えた警官らは、年若い少年少女らが園内に突入するのをただ遠巻きに見守るしかなかった。
麻生 遊夜(
ja1838)が無言で右手を合図し、行動が開始される。
植物公園の蔦が絡む大型な門の脇に管理者用の小さな扉がある。
それを素早く全員で通り抜けると広大な森が続く。
空を舞うものの威嚇をものともせず冷静に方向を見定め、隊形を維持し移動する。
「飛べる人、頼む」
遊夜の小声での指示に命図 泣留男(
jb4611)、クロフィ・フェーン(
jb5188)、ユウ(
jb5639)ら翼を持つ3人が一斉に飛び立つ。
3者がそれぞれの特徴ある光纏の翼を纏い、あらかじめ分担してあった全方位の敵の位置を見定める。
空を舞うカラス型のディアボロらが一斉に集合し、戦闘開始の合図となった。
地の者が攻撃に備える。
「喰らってカンジて身悶えな……俺の魔弾は鋭いぜ?」
泣留男が大柄の体格の両手で光状の衝撃波を発し、数体のディアボロの首が落ちる。
クロフィは突入時は幼い少女の姿だったが、空中を翔る今は大人びた女性の姿に変質している。
冷静に双眼鏡で園内を見回し、敵の位置や建物の配置を確認する。
「……半道さんの姿は確認できず。天魔も今は見当たらない」
同じく飛び立ったユウが、遠くのコンサート会場のステージ上に人影を確認する。
「ステージ中央、多分、真柴さんじゃないかしら」
そのコンサート手前の最初の目標の温室の建物まで一気に駆け抜ける。
「にしても今回の奴は豪く悪趣味ですね…」
十三月 風架(
jb4108)は地上に降り立ったクロフィと共に隊列の殿を努め、背後から狙うディアボロをスピアで薙ぎ払う。
「人を操り、自分は高みの見物なんてホント……ボクの嫌いなタイプだよ 」
先頭を走る桐原 雅(
ja1822)もまた低く呟き、空から敵の位置を知らせる者の声を聞き分けながら雲雀翔扇を操り確実にディアボロの数を削る。
「撃退士を操れる能力とそれに見合う実力があるのならこの状況でまともに対峙するのは厳しいね……」
まだ今回の事件の主犯格である相手の姿を見ぬまま、雅も、他の誰もが嫌な予感を嗅ぎ取っていた。
「開いたぞ」
温室にたどり着き、遊夜が温室のドアを開錠し、様子を伺いつつ中に滑り込む。
ムッとするような蒸し暑い濃厚な空気が充満している。
と同時に天井が割れて数匹のカラス型ディアボロが強襲。それを予測していたように両手で構えた銃で撃ち落とす。
低い位置でも数カ所ガラス窓が砕かれているのを確認する。
濃厚な空気の中に漂う血なまぐさと獣の息づかいの気配。
天魔の導きのようで苦笑する。
「敵のテリトリーで戦う義理はねぇ、突破させてもらうぜ!」
室内に入ると泣留男と神城 朔耶(
ja5843)が生命探知で敵の動向を探る。
「右前方、天井付近、鳥型居いるなあ!」
「前方床付近……3体、これは多分狼型です」
泣留男と朔耶が神経を集中し気配を捕らえ次第敵の配置を告げる。
取り抜けを阻むように足下から這い出るように狼型のディアボロが飛び出してくるのを雅が薙ぎ払い、後退させる。
「人の心を操り弄ぶとは……決して許せるものではありません……! 」
敵の気配と同時に朔耶が必死で探すのは天魔に操られている半道剛士である。
一刻も早く保護して手当をしたい。
そんな朔耶に応じるように、視界の先、コンサート会場のある中庭への通路となる場所に人影が立つ。
半道だった。
痛々しく体に巻き付いている包帯は既に赤黒く染まりきっている。
「半道様、正気に戻ってください」
朔耶はできるだけ相手を刺激しないよう、相手の目を見つめ、強く呼びかける。
「貴方の本来の目的はこんなことでは無かった筈です……!」
それでも、冷ややかな無表情で武器を構えて立つ半道に反応は見られない。
朔耶が語りかけている隙にユウが素早く飛び立ち半道に接近しようとする。
しかし激しくガラスが割れる音がして新たなカラス型のディボロが舞い込み、他の者全員で迎撃態勢を取るが、ディアボロらは半道周辺を舞ったかと思うと外部に飛び去り、同時に半道の姿も消えていた。
半道が立っていた位置には夥しい血痕が残されていた。
「……早くしないと、彼は失血死するかも」
ユウは悔しげに唇を噛む。
その時だった。
「天海さんの姿が……」
周辺を見回してクロフィがそう呟き、遊夜もハッと目を見開く。
混乱の中でいつの間にか天海キッカ(
jb5681)が居なくなっていた。
今回の依頼が初めてという、まだ経験が少ない撃退士だが、隊列から離れないよう行動していたはずだった。
想像したくない可能性がその場にいた撃退士らの間に広まった。
その不安は、園の外で警戒する不破もまた、同じだった。
ーー植物公園に突入する少し前。
風架は不破から敵に対する詳しい情報を確認していた。
「爪のようななにかでの攻撃に警戒が必要なんですね。……もしかしたら、それによって状態異常に陥る可能性がある?」
風架がそう尋ねると、不破も頷く。
「傷自体のダメージよりも、その時に受ける恐怖感みたいな精神的なダメージを負うと強い暗示をかけて来るみたいだな。最近そういうタイプのディアボロの情報もあったようだ」
その時、キッカも不破の携帯の電話番号を尋ねに来ていた。
内部から情報を不破に伝える為だった。
「わんは足手まといになりたくないんです。初めての依頼だから、がんばらないと」
不安がないわけではないだろうが、一生懸命明るい笑顔でそう話すキッカに不破も表情を和らる。
「誰だって最初というものがある。落ち着いてがんばれ」
ーー『現在温室内部です。ディアボロの数は確実に減っています。このままコンサート会場に向かいます』
先刻までキッカからの内部の動きに関する連絡を受けて、不破も警備の配置をそれによって調整していた。
だが、ふと、不破は思い出したのだ。
『撃退士になったばかりだけど、他の人の足を引っ張りたくないんだ』
不破が止めるのも聞かずにバスの屋根に立つ天魔に向かっていった撃退士の少年ーーあの少年もそう言っていた。
不破の胸に急速に不安が広がり、すぐにキッカへのリダイヤルするがそれは通じる事はなかった。
代わりに風架からキッカの姿が消えた連絡が届いた。
不破は天魔逃走に備え警備を強めるしかなかった。
温室内の一角、生い茂る木々の間で赤い口が笑む。
あくまで冷静に、遊夜は今はコンサート会場に向かう事を決断する。
「……舞台は整えたってか?上等だ、潰してやんよ……!」
●終幕の始まり
温室までの鬱蒼としたジャングル状態と違って、そこは、白いコンクリートのステージを囲うように彩る満開の薔薇園だった。
放置された園内でまるでこの空間だけ丹精に人の手によって管理されたような美しい景観だった。
その舞台の中央で、互いの守備位置を保つようにして歩き回る5匹の狼型ディアボロと共に、凍り付いたような表情で床に座する女子学生、真柴がいた。
「助けに来たのよ!怪我はない?」
ユウが呼びかけながら、闇の翼で高く飛び立ち、周辺に半道の姿がないか警戒する。
操られた半道が真柴を襲う可能性もある。
しかし真柴は返事をすることはできなかった。
ーー『声を出したらいけないよ、私の可愛い子達が一気に興奮してしまう』
そう天魔の指示がなされていたからだ。
声を出したらみんなが危険だと思い、ただ青白い顔を左右に振る。
その様子に撃退士らも察する。
真柴の呼びかけがあれば半道も正気を取り戻せるのでは、という期待さえも天魔は摘み取っていた。
雅は冷静に周辺を見回す。
必ず天魔はどこかで見ている。
ステージから一斉に狼型のディアボロが駆け出し、四方の空からも異形のカラス達が撃退士らに向かって来る。
「オイタは感心せんぜよ、カラスさんよぉ」
遊夜が双銃を扱い、撃ち落とし、それでも接近する相手には蹴りを入れ素早く後方に跳び距離を取ると地表から低く飛びかかって来た狼型にはアッパー気味に腹部に銃弾を撃ち込む。
風架もまた、どこかにいるはずの天魔の気配を探りながらもカラス型を薙ぎ払う。
狼型は1匹、また1匹と確実に倒されていくが、空から次々と呼び出されるカラス型が後を絶たず、なかなかステージの真柴に近づけない。
すると気配がして、振り返ると座席の最後の列の中央に立つ半道の姿があった。
撃退士らに緊張が高まる。
朔耶が真柴に危険が及ばないようにシールドでいつでも庇えるように待機し、他の者らで一気に半道を取り押さえようとする。
半道は鉤爪を構え、全てを見失ったかのように血走った異様な光を放つ目つきで撃退士を睨み据えている。
「あの武器に気をつけなければ……」
風架は身構える。
恐怖感を感じないで、落ち着いて対応すれば暗示に打ち勝てるはずだ。
狼型のディアボロを従えて、半道が地面を蹴って素早い動きで向かって来る。
その時だった。
朔耶がそれを察知したが間に合わなかった。
一発の銃声がコンサート会場に響き渡り、一番後ろにいた泣留男が背中側から肩に銃弾を撃込まれ負傷する。
「うおおおーーーっ」
突然の攻撃にも臆することなく、本能的に泣留男は振り返ると他の撃退士を庇うように大きな体を盾のようにして両手を広げ、銃弾が発せられた場所に向いて仁王立ちになる。
2発目が胸部に被弾する。
3発目が発射される前に風架が瞬間的に加速させた脚で音もなく銃撃者の元に近寄る。
茂みの中に潜んでオートマチックCS5を構えていたのはキッカだった。
風架に振り返ったキッカもまた、半道と同じ異様な光を持った目だった。
風架はそのキッカの首の後ろ当たりにレイアーバンドで拳を叩き込む。
手加減をする余裕はなかった。
3発目は銃は地面を撃ち、キッカの体が揺らいで地面に伏した。
風架がキッカの体を抱えて起こしてみると、肩口から腹部にかけて真っ赤に染まっていた。
半道が受けたあの爪痕と同じだった。
風架の援護の為に駆けつけたクロフィもその様子に言葉を失う。
思わぬ展開に言葉と表情を失いながらも遊夜は残りのディアボロを撃退しながら朔耶に泣留男の緊急手当を、雅に半道の捕獲を指示する。
半道が素早く跳躍し両腕の鉤爪を振り回して来る。
その爪先がぎりぎり雅の体をかすめ、制服が切り裂かれる。
ユウが威嚇射撃で半道の意識を引きつけ、雅の放つニグレドが半道を捕らえた。
ニグレドにはあらかじめ雅が自分の血を付けて切れ味を弱めてはあったが、それでも激しく抵抗する半道の体や傷口に食い込む。
「うぐあ、があーーっ」
半道が獣のようにうなり、痛みに喘いだ。
「やめてええーーーっ!!」
真柴が耐えきれず泣き叫ぶ。
キッカの手当をクロフィに任せて戻って来た風架が、やむを得ず暴れる半道に当て身をし、半道の体が地面に伏した。
コンサート会場を見下ろせる形の少し小高い場所の木の枝に腰掛けて、天魔は嬉しそうにそれらを眺めていた。
「楽しんでもらえましたか?」
ふいに声をかけられ、満足そうに天魔は振り返る。
天魔の気配を察知した雅は半道を捕らえた直後にそれを追った。
ディアボロたちとは桁違いの、強い悪意を纏ったものがそこにいた。
上質そうなシャツにブランドもののネクタイと革靴姿で、白色に近い銀髪を指で梳きながら、天魔は木の枝の上で丁寧にお辞儀をした。
「素晴らしい役者さんたちに心からの拍手をーーこの庭園全てを祝福の花束としてどうぞ」
まだ何か仕掛けがある可能性があり、雅は距離を保った位置の木の枝に留まり、無言でその悪意と対峙する。
「興味深いショーのお礼に、お二人はお返しします」
天魔はまだいくらでもカラス型のディアボロを呼び寄せられる、そう言いたげだった。
仲間らはみな傷を負い激しく疲労している。
半道と真柴を保護できた今は、一度終幕させることだけが今の雅達が選べる術だった。
「そうそう、せっかくですから、自己紹介を。私の名はーーウィアド」
天魔が満足そうに赤い口元で笑むのを、雅は感情のない目で見つめ、そして去って行く天魔の後ろ姿を睨み据えた。
一斉にカラス型のディアボロらが夕暮れが始まった空の彼方に散開する。
「異常ありません」と報告に来た警官の目つきに違和感を感じ、不破はその警官に近寄り、その背中側に爪痕があるのを見つけた。
その直後警官はその場で地面に人形のように崩れ落ちた。
園の外側の一角を警備していた警官が同じようにすべて傷を負い地面に倒れて昏睡していた。
天魔がその方向から街の中へ逃走したのは明らかだった。
園内の出来事の連絡を受けた不破は重い表情でため息をついた。
「……死者をださずに済んだだけでも十分か……」
数分後、ストレッチャーに乗せられて待機させてあった救急車へと運ばれる真柴と半道、そしてキッカと泣留男の姿があった。
真柴が半道の手を握り、名を呼ぶと、ようやく半道は目を開いた。
何かからようやく解放された、通常の目の光だった。
「……オレがみんなを守らなきゃ……撃退士になったんだから……」
まだ負傷した傷と操られていた状態で意識が混同しているようだった。
真柴は泣きながらその手を強く握りしめ、他の撃退士らも悲痛な表情でそれ見守る。
キッカと泣留男も二人とも傷は深いが意識はあった。
キッカに対する天魔の暗示は時間が短いので弱かったらしく、今はもう異常はみられない。
「……弱い暗示だったのかもしれないな、敢えて」
と遊夜は独り言ちた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……わんは……なんてことを」
並んだストレッチャーの上で、泣留男が身を起こし、大きな手で悔しさと自分に対する腹立だしさに涙が止まらないキッカの頭を撫でる。
「これくらい蚊に刺されたようなもんさ」
そして上着のポケットから小さな乳飲料を一つ、取り出す。
「いちごオレ 、飲む?」
半道と真柴は保護することができたが、戦士らに笑顔はなかった。
「……ウィアド」
天魔が口にしたその名を、雅は苦々しく呟いた。