●怯える谷
木々の間を濃厚な草木の匂いを含んだ風がそよぎ、静かな渓谷の水流もキラキラと輝く。
「気持ちいい風ですね」
御堂・玲獅(
ja0388)が風になびく髪を手で押さえながら笑顔で話しかけると、向坂 玲治(
ja6214)も少しぎこちない笑顔で答える。
「ああ、こういう日は色々動物が見れそうだな。もっと、上流の方も行ってみようか」
頷く玲獅も生命探知で周辺を探るが、今の時点では周辺に動くものは居なかった。
「川を散策にきたカップルっぽい、いい感じですね。うまくディアボロに捕まって行方不明者の場所がわかるといいけど……」
少し離れた場所でデジタルカメラの望遠レンズで二人の様子を眺めながらルーネ(
ja3012)が呟く。
久遠 栄(
ja2400)と共に携帯のGPS機能で画面の中の地図上に二つのマーカーが表示されるのを確認する。
「これなら二人の後を追えますね」
その場には今回の依頼に参加した他の撃退士らと、捜査に協力する一般人の星田が居た。
「学生さんたち、怖くないのかい?」
星田は中年らしくいくぶん目立ちかけた腹はしているが、案内人としてこうして玲治らを見下ろせる山林の中まで一緒に来てくれていた。
「わっるい天魔は、ふゆみが退治しちゃうよっ☆彡だから安心して!☆」
新崎 ふゆみ(
ja8965)が明るく微笑む。
「何だかよ〜わからんコトがおきておるよ〜じゃが、ここは我輩がズバッと解決するのじゃ」
時代がかった言葉で話すハッド(
jb3000)は、ポテチの袋を抱えている。
行方不明となっている男女の服装の色等に特徴があれば、意思疎通で渓谷周辺の動物からも何か情報を得られるかもしれない。
ポテチはそういった動物を引き寄せるためのものだ。
ただ星田の話では最近この周辺から小動物の気配がないらしい。やはり何か異常事態が起こっているのだ。
「それでも、どこにでも好奇心が強いやつはいるはずじゃ」
「出来ることをする……それだけだ」
静かに周辺を警戒していた翡翠 龍斗(
ja7594)が小さく呟く。
龍斗は「羽のある人物」の件が気になった。天魔も居るとなると難しくなる。
「攫われた人の捜索とディアボロの退治……やることは多いがうまくやらないとな」
蒼桐 遼布(
jb2501)もまた、厳しい表情で渓谷全体を見回す。
悪魔か人間かは関係なく理不尽な殺戮はされるべきではない。
「では、行動開始しましょうか。星田さんも気をつけて」
栄はふゆみと共に先行して被害者が捕われている可能性がある場所の一つへ向かう。
星田に確認したが、上流にいくつか岩穴があり、それとは別に林業用の作業小屋が一つあるらしい。
「こうゆー山って、デンパこないこともあるもんねっ☆」
もしもの場合に備えてあゆみが無線機を用意した。
ハッドとルーネが玲治らの姿を捕捉しつつ星田と動き、さらにディアボロに警戒しながら遠巻きに龍斗と遼布が潜行し行動する。
撃退士らが瞬く間に静かに木々の間に姿を消すのを見て、星田は「ほお〜」と感心した。
●変調
兄弟が異常な状態に落ちいったキャンプ場からはもうかなり上流まで来ていた。
(やはり警戒されているのか……?)
今回あえて囮役になることを決めた玲治だったが不安もないわけではない。
するとまだ新しい携帯電話が2つ、岩場に落ちているのを見つけた。
「これは……!」
裏側にそれぞれ同じプリクラのシールが貼ってある。
「例の行方不明の男女みたいですね……」
玲獅は嫌な予感を感じる。
その時、玲治が「う……」と小さく呻いた。
「向坂さん?」
玲治の目には渓谷の水流や岩肌ががみるみるうちに赤黒く染まっていくように映っていた。
そして上流の方に羽のある人物がゆらりと立ち、玲治は自分の荷物をそこに捨て去り、ふらふらとそちらへ歩を進める。
(向坂さん……幻覚に)
玲獅は聖なる刻印を使い幻覚作用を防ごうとした。
そんな玲獅の目には一面銀世界の渓谷が写った。
「……えっ!?」
森も岩も何もかも自分の髪の色と同じ白銀。その合間を深紅の水が流れる。
玲獅はなんとか抗おうとするが、いつしか無意識に自分も荷物を捨てて玲治の後についていく。
「連絡がつかなくなった……?」
作業小屋に向かう途中、栄はルーネからのその報告を受けた。
『見ていたら明らかに様子がおかしくなって、二人とも携帯や荷物を捨てて移動し始めちゃったの。今はハッドが後を追っているわ』
「それだけ幻覚の作用の力が強いということか……?」
するとふゆみの携帯に龍斗から連絡が入った。
『大丈夫だ。俺が向坂と御堂の姿を補足している』
龍斗の報告に一瞬安堵するふゆみ。しかし。
『……今かなり上流の岩場を南へ登ろうとしているところだが……うわっ』
「翡翠さん!?えっ?なに?」
龍斗からの返事は途絶え、ふゆみが心配そうな表情で栄を見る。
「翡翠さんなら大丈夫でしょう……今はまず第一の目的の作業小屋を目指しましょう」
突発的にディアボロの攻撃を受け、既の所でかわしたが、龍斗の携帯は茂みの中に吹き飛んでいた。
「後をつけてくるのを予測済みか」
木々の隙間からと現れたのは1体の大きな黒い毛の狸のようなディアボロで牙をむき出し威嚇してくる。
龍斗は冷静な面持ちでアズラエルアクスを構える。
するとディアボロの背後から別の2体が左右に分かれるように駆け出し、3方向から龍斗に同時に向かってくる。
2体の攻撃はかわす。しかし1体のディアボロにアズラエルアクスを奪われる。
「チッ」
素早くもう1体が襲ってくるが何かに阻まれたようにはじき返される。
「加勢しますよ」
いつのまにか追いついて来ていた遼布がグリースを操りディアボロたちの接近を阻んでいた。
「俺のことはいい……向坂たちを」
「そっちはハッドが追ってる。……しかし、ここでぶちのめせないのが面倒だな」
するとそれぞれのディアボロが一斉にピンッと尻尾を立てた。
遼布は咄嗟に闇の翼で瞬間的にその場から舞い上がって風上に逃れる。
だが龍斗は視界に違和感を感じた。
周辺の木々の葉が燃えるように真っ赤に染まる。
「これか……っ」
そう感じた瞬間龍斗は小型ナイフを左腕に刺す。
痛みで木々の色が一瞬でもとの深い緑に戻る。
ただその間に3対のディアボロは別方向に逃走した。だが玲治らの姿も見失った。
「ハッド、今どこらへんに居る?」
遼布は携帯でハッドに確認しようとしたが、ハッドの携帯にはつながらなかった。
(……まずい、こっちも見失ったかもしれん)
ハッドもかなり深い渓谷のかなり上流に来ていた。
木々で視界が悪く、幻覚に操られているとはいえ撃退士だけあって二人は思ったより歩が早かった。
渓谷の先が2つに分かれている場所に来てしまい、どちらに向かうべきか判断がつかない。
携帯を取り出すと「圏外」の表示が出ていた。
その時、かすかに気配を感じ、ハッドが周辺を見回すと木々の合間に1羽の山鳩の姿が見えた。
ハッドはサンドイッチやポテチのかけらを岩の上にまくと、藁にもすがる思いで、山鳩が近寄ってくるのを祈った。
●打開
「えーっと、つまり、おなら、ですか……」
「おならとは言っても数メートル四方に影響を及ぼす立派な武器だがな」
ルーネは入ってくる連絡を星田とより可能性のある場所を絞り込むために状況を確認整理していた。
何か幻覚を起こす作用のものを噴霧されたのではという予測はあったが、蒼桐らの報告で確信できた。
「閉鎖されたような空間や風下は危険というわけね……」
作業小屋はもう何年も使用されていないらしく、ほぼ朽ち果てたように傾いでいた。
この周辺ももう携帯は圏外だった。
「久遠さん、女の人が倒れている!」
小屋周辺を慎重に周辺を見回っていた栄が中に入ると、ふゆみが女性の体をそっとさすりながら声を掛けていた。
「助けに来たんだよっ☆、大丈夫?」
被害者の顔写真や服装の特徴からも、行方不明のうちの一人なのは確かだったが、ひどく衰弱していた。
「……呼んでいる……行かなくちゃ……」
と力なく呟く。
「この人、足首が腫れている……、歩けなくてここに置いていかれたのかな」
「ただ、ここは岩穴へのルートからはだいぶ離れています。こちらの戦力を分断するためかもしれません」
栄はあらゆる可能性を想定する。
ふゆみが応急手当を施し、星田に無線機で連絡を入れて救護の手配を頼んでルーネが到着するまで女性に付き添うことにする。
栄はもう一人の被害者のもとへ急ぐことにする。
「別の候補として岩穴が数カ所ある場所、おそらくそのうちのどこかに……」
薄暗い空間に横たわっている状態で玲獅は目を覚ました。
地面はひどくしめっていて、ところどころに天井から木の根が垂れ下がっていて、岩と木の根が一体となった狭いトンネルのような空間だった。
見回すと玲治と、そしてもう一人の男性が横たわっていた。
「向坂さん!」
玲獅は玲治の体を揺さぶった。クリアランスをかけてみる。
「うーん……」
それでも玲治はまだ酩酊しているようだった。玲獅自身もひどいめまいがした。
「微かにガスの臭いが……かなり強力な作用なのね……」
男性の方は服が汚れていて意識は失っているが、大きな怪我はなさそうだった。
撃退士でも強い作用を受けるのだから、この閉鎖的な空間でガスを受け続けたとしたら当然とも言えた。
捕らえた者を幻覚でここまで自分で歩かせて集めようとしているのだろう。
玲獅は生命探知で周辺を探ったが今のところ反応は感じられなかった。
とにかく外に出ようと思い、男性の体を起こそうとするが足場が悪く転倒しかけ、後ろから支えられる。
「……悪い、寝坊したな、俺が替わる」
そう言って玲治が男性を肩に担いで歩き始める。
見ると玲治の腕に血が滲んでいる。
一刻でも早く目を覚ます為に自ら傷をつけたのだろう。玲獅も反対側から男性の体を支え、出口に向かう。
鬱蒼と草木に覆い隠された倒木の間にその岩穴はあった。外からではまず見つけられない場所だ。
だが、その時玲獅は近くに何かの存在を感じる。動物のようなうなり声がする。
「俺が引きつけるから、この人を」
玲治の言葉に玲獅はシールドで男性を庇うようして身を伏せる。
玲治はタウントを使用して倒木の上に駆け上がる。
「お前らの相手は俺がする!」
3方向からディアボロが飛び出す。
小天使の翼で玲治の体が高く浮き上がり枝の上に飛び上がる。
「そら、早く倒さないと鍋にして食っちまうぜ!」
ディアボロに対し手招きをする。再度3体のディアボロが飛びかかるのを寸前で別の枝に移動する。
敵の動きをかわしながら玲治は空に向かって聖火を打ち出す。銀色の炎が木々の隙間を縫って放たれる。
が、一瞬で閃光が消えてしまう。
「発煙筒があれば……」
3体のディアボロが再度飛びかかって来た。
その時突然音もなくハッドが姿を現した。
「発見できたのじゃ〜!山鳩さんには後でたくさんごちそうするのじゃ〜」
ハッドは雷霆の書で雷剣を取り出しディアボロの鼻先に振り下ろす。
山鳩が詳細にこの位置を伝えてきたわけではなかったが、意思疎通に対し「こっちに何か居るよ」という様子を示してくれた山鳩を追ったところ、どこかに向かう3体のディアボロの姿を見かけ、ハイドアンドシークで後をつけてきたのだった。
ハッドは玲獅が捨てた荷物から発煙筒を拾って持って来ていて、それを使った。
空に向けて白煙が吹き上がった。
「ここに居たか!」
遼布が透過能力と闇の翼を発動させて最短距離を突き進んで来た 。
「さぁて……それじゃ、双極active。Re-generete!!狩りをはじめるとしようか」
被害者さえ確保できたのなら容赦はいらない。
闘気開放で薙ぎ払いをかける。1体が木の幹に叩き付けられる。
間もなく龍斗も駆けつける。
「そら、こっちだ」
龍斗が同じく闘気開放で修羅の如く別の1体のディアボロにリボルバーで撃込む。
残りの1体も玲治が引きつけ、脳天にウォーハンマーを叩き込む。
1体1体の戦闘力は対した事がなく、3体のディアボロは瞬時に動かなくなった。
栄も到着し、無線でルーネとあゆみの元へ連絡を入れようとする。
だが、その時、
「もう1体いるわ!!」
感知した玲獅が叫んだ。
と同時にその場の全員の視界が赤く染まった。
玲獅が癒しの風を放ち、遼布も蛇矛を回転させ気流を起こす。
それでも影響が強いのか血塗られたような色彩の遠くで羽のある人物の影が揺らぐ。
栄と龍斗も迷う事なく自分の腕にナイフを突き立て、意識を正常に戻す。
「天魔……?いや、違う!」
龍斗がそこに見たものは倒された3体より一回り大きな体で全身が銀色の毛に包まれたディアボロだった。
「こいつがボスだったのか……他のやつより更に強力な幻覚作用があるようだな」
他のディアボロの幻覚作用でまず獲物の意識を奇妙な色彩に引きつけ、次に強い幻覚作用を起こすガスを大量に吸わせていたのだ。
そのディアボロは身を翻して逃走しようとした。
栄がとっさにマーキングを撃込み、緑火眼で追う。
「もうごまかしはききませんよ。逃がしません!」
遼布が闇の翼で先回りし、グリースで拘束する。
「うおりゃああっ」
玲治のウォーハンマーの一撃のもと、銀色のディアボロの首が飛ぶ。
次の瞬間凄まじいガスような物質を全身から吹き出させた。
咄嗟にそれぞれがその場から離れる。
だが一瞬防御が遅れたハッドが吸い込んでしまう。
「うっ」
ハッドは一瞬足下をふらつかせると、別人のような話し方を始める。
『ふふふ、……どうやらかなり優秀な撃退士の皆さんがお揃いのようですね……』
何者かに操られるようにハッドがゆらりと武器を構え、その場に居た撃退士らの間に一瞬緊張が走る。
『いずれ皆さんにはお返しを……うぐっ』
ガスッと鈍い音がして、ハッドは白目を剥いて前に倒れ込む。
背後から玲獅がシールドで思いっ切りハッドの頭をぶん殴ったのだった。
「あら、私としたことが……」
あゆみとルーネ、そして星田の連携で応急手当と速やかに搬送されたこともあり、被害者の二人は衰弱しているが命に別状はないとのことだった。
「これで元の静かな渓谷に戻る……みなさん、どうもありがとう」
星田が頭を下げる。
「それにしても嫌な敵でしたね……」
栄の呟きに全員頷く。
最後のハッドの操られたようなあの言葉は、あらかじめそういうメッセージを幻覚時に発するようディアボロを作った者が仕込んだのだろう。
それぞれの思いで山を見上げる。
まぶしい新緑の光と爽やかな風が撃退士らの頬を撫でた。