●暗い水面へと
夕刻。
長く伸びる木々の影が、ただでさえ薄暗いため池周辺を覆う。
普段なら野球の練習を行う少年らのかけ声や、バッドでボールを打つ音が響いているだろうが、現在はグランドも森を横切る散歩道の入り口にも「立ち入り禁止」のテープが設置されていて静かである。
「オオサンショウウオに似てるって聞いたんけど、本当にそれじゃないんよね?」
問題の池の手前のグランドに集合した撃退士達の中の一人、城咲千歳(
ja9494)が心配そうに、それでもどこか半分余裕を感じさせる明るい声で確認する。
「いや、オオサンショウウオかもしれないですよ」
森田良助(
ja9460)がすっとぼけたように対応する。
「それだとウチたち警察さんにガチャン!されるんよー」
千歳が手首を揃えて手錠をかけられたポーズをとると、良助も「ですねえ」と同じポーズをする。
ただ、ふざけているようでいて二人の視線は鋭くグランド周辺を見回している。
立ち入り禁止になっているとはいえ、テープ一本で仕切られているだけなのだ。
好奇心で入り込む子供が居るかもしれない。
「大きな山椒魚……とてもではありませんが可愛いとは言えませんの」
これから撃退する対象の鮮明な写真を見たわけではないが、大体のイメージに紅 鬼姫(
ja0444)はため息をつく。
紅のメッシュの入った黒髪に繊細なデザインのピアスやアクセサリーを纏った少女の姿からは、これからグロテスクな怪物を退治に行くという想像はしにくい。
「池周辺は足場も悪い様ですし気をつけないと行けませんの……ここは大丈夫そうですの」
池から対象物を誘い出した後はこの埋め立て地に作られたグラウンドに誘い出して攻撃する、というのが作戦の一つである。
「城咲さんがディアボロを水中から引きだせたら前衛は大型を翻弄し、後衛は中型を集中攻撃しましょう」
一団の中で人目を引く美しい銀髪を纏った御堂・玲獅(
ja0388)が落ち着いた口調でもう一度確認する。
もちろん、作戦を立てたとしても、相手がどう反撃するかわからないし、思いがけない行動をとる可能性もある。
この中では数多くの依頼をこなしている玲獅は頭の中であらゆる可能性を予測し、それぞれに応じた行動をイメージしていた。
「では、行きましょう」
池の周りは確かに不揃いの石や雑草、枯れ木の類いが多く、ここで戦闘を行うのは無理そうだった。
千歳はまず様子を伺うために遁甲の術で気配を消して近づく。
女子学生がディアボロに襲われかけたきっかけになったお堂をまずは目指す。
そこはまだ、かつて人がお供えをしに近寄った名残か、多少踏み分けたような道筋と足場が周辺にあった。
高い位置での視界を確保し、木の上から九条 朔(
ja8694)がスナイパーライフルを構える。
朔はできるだけ早期に動きの速い中型を仕留めたいと考えていた。
もちろん、そうやって距離を置いて狙いを付けるのには池の近くで行動する良助との信頼関係があるからである。
(何だかんだで、森田さんと実際に共闘するのは初めてですね……醜態だけは、晒さないようにしないと)
その良助は途中まで千歳に同行し、クーゲルシュライバーでマーキングを施す。
「サンショウウオに水の中に引き込まれてもこれですぐに見つけてあげるからね」
「冗談じゃないっすよー!」
「大丈夫です。私が敵の気配を先に見つけます」
二人のやりとりを微笑ましく見ながら玲獅が千歳にアウルの鎧を付与する。
千歳は立ち振る舞いや言葉使いがその容姿に見合う優雅さを持つ玲獅にしばし見惚れる。
「超美人!秘訣をぷりーず!」
玲獅は小さく驚いたように目を見張り、少し気恥ずかしそうに笑む。
ただ玲獅が不安に思う事は、同時に複数の相手をしてこちらの攻撃力を分断された場合、力技系の撃退士が少ないことだった。
だが、何人かは元から交流があり互いの特性を把握しているようであり、誰もが出来る限り万全の準備していた。
玲獅の心を察するように良助がにっこり笑いかける。
「……大丈夫、いけますよ」
そして前衛として水簾(
jb3042)が、そのやや後方で月丘 結希(
jb1914)が所定の位置で待機する。
水簾からもその古いお堂の屋根が見える。じっとそのお堂を神妙な面持ちで見つめる。
「……ひょっとして、ここで迷った兄弟の……」
兄妹が消えたのはもうここ一帯が森であった数十年も前の話らしい。その時点でこの地域ですでに天魔が活動していたかどうかは不明である。
それでも忍びの筋として何か敏感な空気を感じるところがある。
何かのきっかけでこの池が、負の気の「もの」を呼び寄せる空間になってしまったところはあるのかもしれない。
結希もまた、陰陽師としての鋭い全身の感覚をセンサーとして千歳が近づいていく池の様子を伺う。
水の音、風の流れ、わずかな臭いの変化を逃さまいとする。
「こんな場所にディアボロを配置する理由が無いのよね。さっさと町にでも向かわせるなら分かるんだけど……大して見るべき能力も無いみたいだから、失敗作を置いてったのかしらね。不法投棄の山みたいに」
結希は陰陽師とはいえわりと現代的なデータを重用視し合理的な考え方や現実的な想像をしていた。
池に近づくにつれて岸に近い部分の水の中に投げ込まれたような自転車やドラム缶らしき影が見える。
周辺も空き缶やペットボトル、コンビニの袋、そして異臭。
住宅地として開発される前の、この池のかつての姿とはおそらくかなり違うものだろう。
「捨てて忘れてしまえばいいってものじゃない……」
そして水簾、結希、そして良助が同時にその「気配」を感じた。
「……居ますね」
良助が呟いたが、まだそれははるか池の中央での、ゆるりとした水面の動きだった。
真っ黒な鏡のようだった場所に、ぼこり、と空気の泡が浮かんではじける。
千歳はそこからあえて気配を隠さず、打ち合わせた通りにまず岸に添って歩く。
ゆっくりと、できるだけ埋め立てたグランドの方向へ接近しつつ、じりじりと池の淵に近づく。
●戦端の水音
「倒すことに戸惑いは無いがーー」
後方で待機する御伽 炯々(
ja1693)もまた今回の事態を引き起こした「何か」に対する怒りに近い感情を抱いていた。
元々良くない目つきをさらに険しく光らせて頭に巻いたバンダナを今一度きつく閉め直す。
「困るから排除、ってのもどうなんだろうとは思うのだけどね」
今は殺風景な開発地区だが、じきに小綺麗な住宅やマンション、商店街となるのだろう。
開発を早く進めるためにもはやく、この池から化け物を追い出して欲しいーー、看板がそう訴えているようだった。
「好んで倒すものでもない」
撃退士は便利な掃除屋ではない。ーーそれでも、アウルの力を持ってしまった者がやらなければいけない。
それぞれの持つ能力によって配置としては万全のはずであるが、炯々は不測の事態に備えて前衛後衛どちらとしても動けるよう身構える。
ただ相手の方もいつもとは違う気配を感じ取っているのか、水面にそれ以上の動きは見られない。
千歳は好奇心一杯の子供を装うようにして水際をちょこちょこと歩き回ってみるが、暗い水面は鏡のように静まったままだった。
「思ったより慎重な相手かもしれませんね……」
玲獅はあくまで冷静である。
「感じます……来ます!」
ふいに水面がわずかに波立ったかと思うと、真っ黒な水面が盛り上がる。
大きな塊のような影が姿を現す。
「ヴぁっ!?」
千歳が驚いたような声を上げる。
だがそれはあえて標的の注意を引きつけるためで、両手を振り上げながら身軽な足取りで池の近くを走る。
「きゃあーっ、こっち来ちゃダメっすーっ!!」
木の上から朔がライフルを構える。
照準は黒い大きな影をしっかり捕らえいつでも発射できる。だが。
「ーーまだ、早い」
一発で倒せない場合水の中に引き戻られて出て来なくなる可能性がある。
完全に陸地に出て来るまで、その時を慎重に待つ。
ただ夕刻の薄暗くなりかけた光の中では、大型は良いが中型の動きによっては捕らえにくい可能性もある。
ふいに千歳がつまずいた。
「うおっ!?」
それも演技なのかどうかはわからないが、千歳の体が斜面を転がるように池に向って行く。
それにつられるように大きな水の音と共にオオサンショウウオに似た巨体が水面からせり上がった。
イルカがショーで水面から勢いをつけてプールサイドに上半身を乗り上げるように、その黒い巨体も大量の水を纏って千歳の体にのしかかろうとしてきた。
「うわーっ、臭いっす!」
ぎりぎりで敵の体をかわし、千歳は脇へ逃れた。
そのチャンスを逃さず良助が巨体の側面にマーキングを撃ち込む。
大型のディアボロはそれでも千歳の気配の方へ這うようにして襲いかかる。
素早くディアボロの前方に走り込んだ水簾が影手裏剣を敵の顔面に撃ち込む。
視力があるかは不明だが、目のような器官周辺に狙い澄まされて手裏剣を受け、ディアボロが瞬間的に身をよじらす。
次の瞬間、千歳と水簾に向けて口元から液体が発射された。
咄嗟に玲獅が間に入り白蛇の盾で防ぐ。
それと同時に、玲獅はもう一つの気配を察知した。
「もう一体、来ます!」
●水際の攻防
それは大型との戦闘が始まろうとしていたところから離れた場所から弾丸のように水中から陸地へと跳ね上がり、そして茂みの合間を駆け抜ける。
「!!」
大型に照準を合わせていた朔も咄嗟にそれを把握するが、その早さに驚く。
「追えない……!」
先に確実に大型を仕留める事に集中することにし、地上で身を躍らしている大型へ向けて弾丸を発射する。
数発が撃ち込まれたが、なおも大型の動きの勢いは衰えない。
「物理攻撃だけでは無理か」
全身がぬるりとした厚い粘膜で覆われていて効果が薄いようである。
「八卦石縛風!」
結希が唱え石化を試みる。
ただやはり全身を覆う粘液に相殺する力があるのか、大きな体の一部を一瞬変質させただけで動きに変化は見られない。
水中から飛び出した中型の方の影は素早い動きで茂みをジグザクに駆けると、結希に襲いかかる。
「させませんの」
中型が出て来ることを予測してた鬼姫が影手裏剣を撃ち込む。
敵はそれをかわすが、鬼姫も冷静にその方向を読んで続けてグリースを繰り、中型の体に鉄糸を絡ませる。
良助も同時に中型にもマーキングを撃ち込む。
中型もまた口から鋭い勢いの液体を発射した。
「!!」
グリースで敵を固定していたためにまともに刺激臭のする液体を上半身に受けた鬼姫の手からグリースが離れる。
「うう、強い匂いは嫌いですの……」
バックラーで顔にかかるのは防いだものの、手や足の皮膚が露出した部分に浴びると焼け付くような痛みが奔る。
「大丈夫か!?」
良助が応急手当を施す。
なおも走りながら口から液体を吐き出そうとするディアボロの鼻先に銃弾が撃ち込まれる。
森の方角へ走り込まれないよう朔が撃ち込んだのだ。
「縛るのは俺も得意なんだ。手伝うよ、っと」
動きがひるんだ隙に炯々が再度グリースでその体を捕らえ、液体を吐かれないよう口元と首の位置を集中的に固定する。
念のため阻霊符を張り付ける。
そのまま動きを止めようとしたが、それでもなお中型が暴れ、足場が悪い事もあってデイアボロに引きずられ転落する。
大柄な炯々が両足を地面の岩に踏ん張っても引っ張られて池まで引きずられそうになる。
「おおっと、大仰際が悪いぜ……!」
中型でもここまで力が強いとなると、大型の方を制御することはさらに困難が予測される。
その時複数の銃声と共にディアボロの頭部が吹き飛んだ。
グリースで動きが鈍くなった瞬間を朔は逃さなかったのだ。
残った体が跳ね上がる。
「朔ちゃん、カバーに入るよ!」
朔の判断を予測していたかのように良助が連携して近い距離からのたうちまわる体にスターショットを撃ち込む。
破壊された体組織や異臭のする体液が飛び散り良助の半身にも散る。
先刻までの軽妙な笑顔とは対照的に標的にトドメを刺す良助の今の表情は撃退士そのものの、冷徹な表情だ。
確実に息の根が止まったのを確認すると、ふーっと息をつき普段の柔らかな表情に戻る。
「大型の方は!?」
大型の方も動きは鈍いがなおも千歳を追うように執拗に動いていた。
中型のような素早さがないが、それでも残った手足としっぽのような部分を動かし植え込みをなぎ倒す勢いで動いている。
「オオサンショウウオさん、しつこいっす!」
千歳は最初の計画通りにグランド方向へ走る。
大量の液体を吐き散らしながら移動しているため臭気が立ちこめる。
朔も木から飛び降りて追う。ライフルからリボルバーに持ち替える。
その先、千歳が走り抜けるのと入れ替わるようにして回り込んでいた玲獅が火炎放射器を構えて対峙する。
業火が放たれて大型のディアボロの全身がアウルの炎に包まれる。
その機を逃さず水簾が忍刀・蛇紋でディアボロの前肢を一刀の元に断つ。
アウルの炎が明らかに表面の粘膜に作用して物理攻撃に対抗する能力を奪ったようだった。
炯々と鬼姫で二方向からグリースで動きを完全に止める。
それでもなお敵はグリースをこじあけるようにして顎を開き、頭を持ち上げて喉の奥から体液を吐き出そうとした。
玲獅が千歳を庇うようにシールドで防御の構えをとり、炯々と鬼姫も身構える。
「中型でもあれだけ液体をぶちまけたんだ。この大きさでやられたらたまらない。石化で……!」
良介が叫ぶまでもなくすでに結希が魔術の構えを取っていた。
「八卦石縛風!」
再度結希が全力をかけた魔法攻撃を行う。
牙を剥いた口の中から最後の液体を押し上げようとしていたその状態でぎりぎりで石化する。
良助と朔が互いに頷き合い、頭部に銃弾を交互に撃ち込む。
オオサンショウウオの形を保っていた石の象が無数のヒビを走らせて崩壊した。
液体を浴びた者らでとりあえずグランドに設置されていた水道で髪や皮膚についた液体を洗い流し、応急的に手当をする。
炯々が準備してきたタオルをみんなに渡す。
「カイロもあるぞ。まだ寒いからな」
「準備が良いですの。見かけと違って優しいですの」
鬼姫が感心したような率直な言葉を向けると、炯々はぶっきらぼうにそっぽを向いた。
誰もが任務遂行にホッとし、池に背を向けてその場から立ち去ろうとした。
その時、何か声がしたような気がして、水簾が立ち止まり、振り返る。
だがそこには、夕闇に横たわる静かな池の水面があるだけだった。
水簾は無言で池に向って手を合わしたーー。
数日後、グランドに少年達のかけ声が戻る。
そのグランドの片隅、池との中間の場所にお堂とお地蔵様が移されることになった。