●
ゲートへ向かうと思われた暗い洞窟を、撃退士らはお互いの存在を確認し合いながら進んでいた――はずだった。
ポツポツと細かな水滴が顔を打ち、次の瞬間サァ――ッと雨が降り出し、一層冷ややかな空気に包まれる。
「また、雨……か」
ヤナギ・エリューナク(
ja0006)はフッと笑む。
「……そんなハズは無ェじゃねーか」
幻惑と自覚していてもなお雨音に包まれる。
嫌な出来事には常に雨がつきまとう。
すぐ近くにいるはずの、他の撃退士らの姿が消えていた。
前方に佇む小さな――子供のような人影が見える。自分に似た人影がこちらに向かって何かを叫んでいる。
「「こ れ で 良 か っ た の ?」」
止めろ……止めてくれ、と念じる。
体が、心が、冷えきる前に、自分は「あの場所」から逃れたのだ。
「「お ま え は が ま ん を 知 ら な い」」
全身を叩く雨が囁く。
「「だ け ど 見 捨 て た」」
違う――見捨ててはいないっ!!
その証明の為に、ヤナギは武器を構え、止まらぬ雨の先へと、駈けた。
慎重に進んでいた蒼桐 遼布(
jb2501)は、周囲の気配が変わったことを察知した。
「「こいつ……悪魔の、仲間、か?」」
一人が、二人が、そして周囲の全員が、自分たちと「違う存在」として遼布を見る。
「俺を、そんな目で見るな!!」
向けられる憎しみを、押し寄せる悪意を止めることができなかった。その結果、自分を守ってくれた家族が血まみれになって倒れた。
ただの悪魔のままでいれば良かった人と共存できるなんて、思わなかったら良かった。
「「そうよ、あなたのせいよ」」
「「お前のせいだ」」
そんな言葉がいくつもの針状の枝のような形になって遼布の体を突き通し、幻惑だとわかっていても堪え難い痛みが全身を貫く。
「……後悔しなかった時はないよ」
全てのその過去を受け入れるようにして遼布は暗い道を進む。
「ここで止まる訳にはいかない」
悪夢に向かって、両刃の大剣を振り下ろす。
●
洞窟内に旧家屋が建っている。
その家屋が炎に包まれ、火の粉が渦を巻き滝のように降リ注ぐ。
逃げなければ。
何よりも大事な存在――双子の妹の手を掴んで各務 与一(
jb2342)は炎の雨の中を走っていた。
火の粉が生き物のように、赤く炎を纏った巨大な蛇になって与一の体にまとわりつく。
気がつくと自分が掴んでいた妹の手の先がなくなっていた。
炎に包まれ、皮膚が解け落ちる激痛の中で、アウルの矢を取り出し、腕に突き立てる。
「……っ。この、痛みは今この場に俺がいる事を証明するモノ。俺が今立っているのは、戦いの場」
炎が、家屋が消え去り、暗い洞窟の静寂に戻る。
呼吸を整え、与一は普段の冷静な表情を取り戻して歩みを進めようとした。
狭い暗闇の洞窟の中から幾筋もの手が伸びて来る。
アステリア・ヴェルトール(
jb3216)が鬼神のごとく白髪を逆立て目を赤く光らせ、剣と槍でそれらを一気に薙ぎ払う。
他の仲間の姿はない。だがそのほうが安心できる。
なぜなら、今の自分は敵と共に全てを破壊し尽くしてしまいそうだから。
次から次へと闇から這い出る闇の使いのものを本能のままに蹂躙。即ち純粋なまでの『殺戮』の欲求。
好きな食べ物を見て「食べたい」と思う様に。
美麗な景色を前に「眺めていたい」と思う様に。
極自然に、当たり前の様に「殺したい」と湧き上がる願い。
普段であればそれを「己は人である」と信ずる強固な理性と誇りを以て自制している。
だが、ゲートに近いここは制御が効かない空間であり、激しい戦闘が続いてアステリアの感覚は研ぎすまされより『本来の姿』であろうとする。
そして再び闇から現れた「敵」に、無慈悲な一撃を与えるべく、アステリアは吠える。
洞窟内に武器同士がぶつかり合う音と火花が散る。
アステリアの槍を受けたのは与一だった。
「落ち着いてください……!」
思い切って一撃を与えて――と思ったその時、アステリアの姿が、妹の姿に変化する。
与一が躊躇した次の瞬間、アステリアの剣が与一の肩に深々と突き通った。
●
「ウィアドとは植物園で以来、か……」
厄介な相手だったなと思い返しながら、十三月 風架(
jb4108)は己の体が野獣に変化するのを感じる。
「今の仲間を確実に守る……! 」
決意が強い程に力が高まる。
周囲の壁から鋭い爪を持った無数の手が伸びて来て、かつて自分が暴走させて傷つけた仲間達の群れに囲まれる。
どんなに強い力を持っていてもそれを制御できなければ意味が無い。
「ごめん、自分が弱くて――ごめん……」
立ちはだかる「敵」に向けて、風架は武器を構える。
「おいおい……」
風架の激しい攻撃を受けて麻生 遊夜(
ja1838)は苦笑いする。
洞窟の中を進んでいると、いつの間にか他の撃退士の姿が見えなくなった。
警戒しながら進んでいると風架が現れた。
その風架の様子から幻惑に捕われているのはすぐにわかった。
仲間を失いたくない。誰も傷つけさせたくない。守りたい。
クロフィ・フェーン(
jb5188)の望みは常にシンプルであった。
裏返せばそれは極度に孤独を恐怖する故の願いであった。
だから不破が様子がおかしくなって銃口をクロフィの顔面に向けた時も微動だにしないで、信じた。
クロフィと不破の周囲を黒い闇が押しつつみ、銃を持った不破が冷ややかに微笑んで、引き金に指をかける。
ほんのわずかでも不破が指に力を込めれば、クロフィの顔面は吹き飛ぶだろう。
「――もう貴方の幻には、堕ちない……」
クロフィの口元がそう動くと、不破の表情が苦しげに歪む。
不破は銃を持たないもう一つの手で必死にポケットの中のナイフを探り、その刃を強く握りしめていた。
指の隙間から血が滴り落ちる。
やがて不破の瞳が正常の光を取り戻し、ゆっくりと息を吐き、銃口をクロフィから天井近くに点在する光を撃った。
不破の首に食い込んだ矢崎の手の幻覚が消える。
正常に戻った様子の不破に安心したようにクロフィが息をつく。
不破も、トラウマを利用して同士討ちを仕掛けられる可能性を感じとり、引き金を引くのを必死に拒否していた。
そこへ気を失っている風架を抱えて遊夜がやってくる。
互いにアウルの能力をかなり抑え込まれて致命傷を与えるような攻撃にはならなかったが、それでも双方が負傷し血を流していた。
不破にも幻惑から抜けられないようなら問答無用の一撃をお見舞いするつもりだった。
「トラウマねぇ……家族が天魔に殺されたことか? 確かに好き好んで直視したいもんでもねぇし、後悔がないこともねぇけどな」
ウィアドとの戦闘を重ねて来た遊夜も、ウィアドの懐に入る以上、そういった精神的な内面の弱みにつけ込んだ攻撃をしてくることは予測できた。
「もしも仲間を攻撃していたらそれこそ更につけ込まれて精神的に支配される、それをウィアドは狙っていたんだろう……」
不破は重ねて幻惑に引きずられる恐怖を感じていた。
「……嘆き悲しんで崩れ落ちる時期はとっくに過ぎちまったんだよ 」
淡々とそう呟く遊夜の横顔を、クロフィは黙って見遣る。
天魔の支配すら届かない闇が、人の中にはあるのかもしれない。
ただ困った事に、周囲の道が闇に閉ざされて進むべき道が見えない。
「幻惑で操れない奴はお断りってか。やれやれ」
そう呟きつつ、遊夜は来崎 麻夜(
jb0905)のことが気になっていた。
いつも自分の側にいるはずの麻夜の姿が、どこにも見えなかった。
すると正気に戻った風架が、ある方向を指差した。
「――向こうに……ウィアドが居る」
「わかるのか? 」
「幻惑の中で呼ばれていた……最後の舞台はこっちだよ、と」
●
無機質な色の室内。
天井からぶら下がる、大きな丸いライトと、メスや細いドリルといった禍々しい機材とテーブルの上に並ぶ手術道具。
麻夜は、ある部屋の中の診察台のようなものに横たわっていた。
扉が開く。
現れるのは『顔のない』なにかが『じっけん』を行うため。
投薬、電流反応、耐久、獣・人・下級天魔との殺し合いを経て、同属殺しまであらゆる実験の対象とされる。
この世の全ての痛みを経験した。
自分は動けないまま、ただ、されるがままに。
何の感傷もなく、淡々とその時の記憶をたぐり寄せていた。
ふと横を見ると、自分と同じような姿で診察台に横たわる子供がいた。
白銀の髪の、白い術衣を着た色白のガリガリにやせこけた少年。
いろんな管が、額や首筋、手首、両足につながれている。
やせ細った首をゆっくりと麻夜の方に向けて、微笑む。
「……きょうは、なんの、じっけんかな?」
それに応えるように、麻夜も口元を緩める。
その時無機質な室内の灰色のドアが開いた。
遼布に肩を貸すようにして現れたヤナギだった。
ヤナギもまた、全身から血を流している。遼布を正気に戻すには、こちらも本気を出す以外なかった。
(どっちがホントか、見極めろ……ヤナギ! )
雨の中で先に違和感に気づいたのはヤナギだった。
相打ちの後にようやく正気を取り戻した遼布が、何かの気配を感じて二人で向かった先に、この空間があった。
天井に浮かぶゲートと、その傍らに椅子にコードで繋がれて横たわるウィアド、そして麻夜がいたのだ。
「ここがラストステージか。辿り着くまでに嫌らしい演出をしやがる」
別のドアが開き、肩から大量の血を流す与一を抱えて、アステリアも現れる。
アステリアは赤い目を更に真っ赤に燃えたぎらせて、ウィアドを睨みつける。
「許さない……ウィアド、よくも」
肩を貫かれながらも与一が冷静にアステリアの、その腕に――「すみません」と呟いて矢を突き立てた。
与一の血を浴びながら、アステリアは正気を取り戻したのだった。
アステリアが与一をそっと床に下ろすと、剣を構えた。
ただ、そのウィアドを庇うように麻夜がその前に立ちはだかった。
ウィアドの幻惑の中にいるのかと、その場にいる撃退士らに緊張が走る。
全員がアウルの能力を抑え込まれ、負傷をしている中で麻夜だけが全身に強大なアウルの光を纏っている。
天井の禍々しい機材の、ドリルやメスが機械音のうなりを上げて一斉に撃退士に向けて生き物のように向かって来る。
アステリアが槍を構える。
アステリアの激情を具現するかのように赤い血のような雫を滴らせるその槍を繰り、生き物のようにのたうつコードや器機を破壊する。
ヤナギに抱えられていた遼布も、本能的に騎槍を具現化する。
幻惑に捕われたからこそ、改めて両親が自分に残した最後の言葉が鮮明に蘇る。
――生きろ、という。
「ゲートを破壊する……! 」
少年から今は元の姿に戻ったウィアドが、口元を歪める。
「できるのかな?」
麻夜のアウルが一層激しく燃え立ち、反撃にでると思われた。
凄まじい破壊音と衝撃が炸裂した。
麻夜の攻撃が破壊したのはウィアドの体だった。
何かが焼けて蒸発するような煙と周辺の床や壁が破壊されて立ち上がる噴煙の中に麻夜は立っていた。
その麻夜に近づき、頭に手を乗せたのは遊夜だった。
「……浮気してんじゃねーよ」
遊夜のその言葉に、今まで無表情だった麻夜が笑む。
「ボクのトラウマを、ウィアドがすごく気に入ったみたいだったんだよ」
幻惑の中で、白衣を着た実験を行う人々が蠢くように大量に近寄って来るのを眺めながら、麻夜は、これは自分のものではなく、ウィアドの中の記憶ではないか、と感じていた。
今までのウィアドが仕掛けて来た罠の一つ一つが意味していたもの。
ウィアドもまた、深いトラウマに捕われた存在だったのだ。
「……せっかく素敵な舞踏会を楽しめると思っていたのに……残念です」
コードに接続された椅子ごと破壊されたものと思われたが、下半身を失ったウィアドをそれでもコードが持ち上げるようにして空間に浮かんでいた。
ウィアドの胸部部分に、ぼんやりと光りながら脈打つ石のようなものが埋まっているのが見える。
ヤナギが叫ぶ。
「コアだ!コア破壊してしまえばこっちのモノだ」
遊夜と不破で、銃で狙い撃つ。
だが、空間自体がアウルの力を歪め、複数のコードを操り自在に空間を移動するウィアドにかわされる。
逆に周辺から爪のある腕が触手のようにうごめき、反撃してくる。
幻惑と現実が入り乱れ現場が混乱する。確実に魔手によって撃退士たちの肉体が削がれ血しぶきがあがる。
「先輩に、触るなっ! 」
麻夜が遊夜の攻撃の補助にまわる。
「ここがどういう場所か、忘れていませんか? 」
ウィアドが冷ややかに笑む。
まだ何か反撃する方法があるのか、その表情からは読み取れない。
だがもう撃退士らに迷いの気持ちはなかった。
「……一瞬で良いです、協力を」
与一が失血で青白い顔色ながらも体制を整え、風架に呼びかける。
風架は意図を理解し、『白炎黒風』でウィアドに接近、血針を撃つ。アステリアも援護をする。
与一が弓を放つ。
それに追随するようにヤナギと遼布の、精一杯のアウルの攻撃が、ウィアドの胸部に炸裂する。
コアが崩壊しゲートに無数の亀裂が入る。
空間全体が軋む音が響く中、目を見開いたウィアドの耳が最後に捉えたのは、麻夜の哀れむような表情と言葉だった。
「貴方はもう、動けないの……おやすみなさい」
それでもなお、残存するエネルギーを放出するように、最後の反撃のような黒い光がコアから散開する。
嫌な予感を察知したのは、クロフィだった。
「みんなももう、傷つけさせない! 」
クロフィが舞い上がり咄嗟に白い翼を限界まで広げてその黒い光を身を以て防ぐ。
「クロフィさん! 」
不破が落下するクロフィを受け止める。
最後の最後まで抗われて、ウィアドは消滅しかかった意識の中で、呟いていた。
「……ゼドー様……」
ウィアドが誰かに何かを伝えようとしていた。
「……彼らに興味を持ちすぎてしまったのかもしれませんね……」
麻夜に限らず撃退士らの過去を、ウィアドは興味深く眺めてきた。
自分が逃れられなかった底の無い痛みに共に引き込む相手を求めていたのかもしれない。
見開いていた目を、ウィアドは、ようやく閉じた。
ゲートが今まで飲み込んだ人々の魂が蠢くような音を立てて壊滅する。
周辺の空間が歪んだような、撃退士ら全員が体が持ち上がるような浮遊感を感じた後、感覚が戻ると全員山林の中に居た。
眼下に実験施設が見える。
深い地下空間に居たような気がしたが、裏の山の内部のかなり上部まで来ていたらしかった。
ゲートが破壊されたことでゲートがあった空間から吐き出されるようにして地表に転移されたのだろう。
地響きが数回して、――やがて静かになった。
医療班が到着して重体の撃退士らが収容された。
こうしてウィアド討伐とゲート破壊は完了した。