●
「やあ、よく来てくれた」
撃退庁、四国支部仮本部。
その廊下に集まった5人を見て、鷲ヶ城椿は頼もしげに頷いた。
「貴方が天魔対策司令室・四国支部の鷲ヶ城司令ですね。よろしくお願いします」
リョウ(
ja0563)は椿の前に出る。そして固い握手を交わす。
握った手からは温もりと同時に確かな信頼を感じ取る。
「ああ、頼りにしてる」
椿は真っ直ぐに彼らを見つめた。
蒼波セツナ(
ja1159)も同様に椿へ挨拶する。
「この尋問でいかに情報を引き出せるか……それが今後の鍵になるわね。事は慎重に、だけど大胆にいかないと」
「そうだな」
セツナの言葉に同意するように咲村 氷雅(
jb0731)は言った。
「人類の未来を左右するといっても過言ではないだろう」
崖ヶ岳 無縁(
ja7732)も頷く。
と、彼は椿に対して「ところで」と切り出した。
「司令。頼んでいたくじらの同行についてはどうなっています?」
「いつでも呼び出せるようそこで待っててもらってるよ」
椿は親指で近くにある応接間を指す。
しかし「ただ……」と言いづらそうな表情で言った。
「まだあの子の精神状態が不安定でね。一応アタシがすぐ隣に控えてるけど、イールと対面させるのは5分が限度。
それ以上は危険だから引き下がらせてもらうよ。それでいいかい?」
「了解しました」
一方、久遠 栄(
ja2400)はある疑問を感じていた。
「あの天使さん、ずいぶんボロボロみたいだったね」
司令室の調査により、イールは最近まで冥魔側に捕えらえていたのだろうという報告が出ている。
加えて、非効率なやり方による回復に頼らざるを得ないという彼女の状況。
溢れ出る、生への執着。
「何か、生きて戻らなければならない理由でもあるのか?」
「気になるなら、聞けばいいさ」
椿は時計を見て一同に目を送る。
「時間だよ。さあ、行こうじゃないか」
彼女は扉を開けた。
これから始まる数分間。彼らは人類の未来を掛けて天使と対話を始める。
――さあ、尋問を始めよう。
●
扉を抜けた先は、6畳間程の広さを持った正方形の空間があった。
武器になりそうな装飾品は一切置かれていない。そのせいか部屋はがらん、として広く感じられた。
椿は部屋の隅に置かれた個人用デスクに座る。どうやらそこで調書を取りながら、一同の尋問を見学するつもりらしい。
そして5人は、部屋の中央に置かれた大きなテーブルを見据える。
そこには手錠を嵌められた状態で座る天使――イールがいた。
イールは一同を睨み付けている。舐るような視線はまるで炎のようである。
リョウは視線を受け止めながら、彼女の対面に座った。
「初見ではないが、改めて話すのは初めてだな」
「……そうね」
イールは苦々しく答える。
中央市の学校で彼女を捕えた者達の内、一人がリョウがなのだ。多少の苦手意識もあるのだろう。
「俺はリョウだ。今回はよろしく」
彼の言葉にイールは口を閉ざす。返事を返すつもりもないらしい。
「まずは俺から質問させてもらおう。赤熊や青蛙を僕とする存在に心当たりはないか」
イールは答えようとしない。
知っていて口を閉ざすか、それとも知らないから答えないのか――。
その表情からは窺い知ることはできない。
「答えないのならそれでいい」
リョウは次の質問を投げかけた。
「俺たちがなぜここに来ているのか既に聞いていると思う。例の、街を焼き払った力についてだ。まずは名前が有れば教えて欲しい。貴女もアレやソレ等と何度も言われるのは耳障りだろう。
まさか名前すらも誇れないようなものでもあるまい?」
「誇りがあるからこそ」
イールは苛立たしげに言った。
「軽々しく口に出すべきものではないの。特に人の身には恐れ多きものね」
「それはそうだろうな」
氷雅が二人の会話に入り込む。そしてリョウの隣に立つと、
「あの威力を見れば、神器に近いものだとすぐにわかる」
氷雅は事もなげに告げた。
「その性能実験の為に街を攻撃したんだ。そうそう口を開くわけはないさ」
イールの表情がより険しくなる。それは明らかな“敵意”であった。
「あなた達はどこまで知っているの?」
「質問をしているのはお前ではなく俺なんだがな……連絡する暇もなく一夜にして街が滅んだ。上級でもたかがサーバントにそんな芸当は不可能。並みの天使や使徒もまた同様だ」
視線が交錯する。
今にも射殺してきそうな視線を捕え、氷雅は言葉を続けた。
「上位の天使なら分からないが、例えそうであっても理由が無い。お前たち天使の目的は、俺達人間から感情を吸い取ることだ。殺戮ではない。たとえ撃退士が邪魔なら本部だけを狙えばいい。一瞬で街を滅ぼすほどの力を持つなら簡単なはず。
エネルギー源である一般人ごと滅す必要性が無い。結果的に損しているだけだ。
なら、わざわざ街を滅ぼす理由として考えられる可能性は……実験」
「……」
「沈黙ではわからないな」
立て続けにリョウが尋ねる。
「俺からももう一度聞こう。灰になるまで街ごと消し飛ばす火力は過剰だ。
天界の目的が感情の収集であるなら、その目的に沿うものではない。
力を求めることだけが優先され、目的が果たされないとなればお前達のやっている事は、武闘派が主流と聞く天界全体からも危険視されかねない。
その点について、貴女はどう思っているんだ?」
イールの目が逸れる。そんな事は無いと、思っている。けれども、一抹の不安が目を逸らさせた。
確かな手応えを感じた一同。同時に重い沈黙が部屋に流れはじめた。
「少し気分を落ち着けましょうか」
セツナは小袋から一口サイズのチョコレートを取り出す。
それらを一個一個仲間たちに分け与えると共に、包みからチョコを取り出してそれをイールの手のひらに置いた。
「どうぞ。甘いものは考え事をするにも最適なのよ」
「いらないわ」
イールは机上にチョコを乗せる。
「今は、そんな気分じゃないの」
「気分じゃなくても」
セツナは袋からもう一つチョコを取り出す。それを自らの口に含む。
「こういうことは大事な事よ。覚えておくといいわ」
「話を変えようか」
氷雅は貰ったチョコを口にしながら言った。
「ずいぶん衰弱している様だが、どうやら今まで悪魔に捕まっていたようだな」
「それは……!」
イールは声を荒げる。
だが、反論の声は鈍い。それは紛れもない“事実”であることを示していた。
「悪魔に捕まっていた――なんて、君みたいな天使には屈辱だよね」
栄の声がイールの心に刺さる。
図星を指され、彼女は唇を噛み締めた。
「まあそれはそれとして、そのボロボロな姿で? 追手もかけられずに? それってどうしてかな?」
「どうして……?」
「だって、そうでしょう」
栄は真っ直ぐにイールを見つめたまま答えた。
「君に逃げられたはずの悪魔は何をしてる? 人間の、それも一般人の子供が助けるほどボロボロな君を放っておいたのか? 君が生きていると推測出来る情報を得ながら何もしなかったのは何故だ?」
「何故……?」
イールは考える。
ボロボロになりながらも、なんとかコンチネンタルの手から逃げ延びることに成功した。
追っ手も無事に振り切ることができた。
何も間違ってはいない…?
「お前を発端として起きた『神隠し』だがな」
氷雅の声がイールの耳朶を打つ。
「例の騒動の間、冥魔側の動きは確認されていない」
「なんですって?」
イールは驚愕に目を開いた。
冥魔側の追っ手には細心の注意を払っていた。いずれ彼らの魔の手が、自らに襲いくるものと信じていた。
それが――ない。
「これほど衰弱しているなら例え不意を付いてもお前を捕らえる事も殺す事も容易のはず。なのに、だ」
「考えられるのは罠だね」
「罠……」
栄の言葉にイールはぽつり、と呟く。
「そう、罠。君に何か仕掛けたのか、あるいは何かを吹き込まれたのか……逃げ出す時に何か聞いてないかい?」
イールは悪魔から手に入れた情報を思い出した。
人間と悪魔が、裏でつながりがあるという証言。それは貴重な手土産になるはずだった。
「その様子は何か身に覚えがあるみたいだね」
栄は笑みを浮かべた。
「俺は穏便派との停戦交渉にも関わっていてね。天界の不利になる罠を見逃して君を引き渡す訳にはいかないと思って居るんだ。話してくれないか」
イールは答えない。答えるわけにはいかない。
この情報は天界に持って帰るものと決めていた。そうやすやすと口を開くべきものではない。
だが――それが盛られた『毒』であるならば?
「もう一つ」
栄は苦悩するイールに言葉を掛けた。
「君はもう知っているだろう。君の行動は目立ち過ぎていた。
俺達が気付いたんだ、天界や冥魔が気付かない訳がない。だが、動いたのはサーバントのみだ」
「サーバント!?」
イールはさらに驚愕する。
中央市にサーバントが現れた。しかもイールの神隠し騒動に連動する形で。
「それは……本当なの?」
栄は頷き返す。
それは、逃げ出したイールを救助するための戦力ではないのか。
直前まで差し出されていた救いの手。それをつかむことができず、ここにいる自分に不甲斐なさを感じ、
「……くっ!」
腕を拘束する手錠がじゃらり、と鳴った。
「落ち着いて」
セツナの手が、イールの手に重なる。
「頭に血を登らせては冷静な判断は難しい物よ」
そして、イールの手のひらにチョコレートを乗せる。
天使の手は熱く火照り、置かれたチョコを溶かしていく。
それをイールは口の中に入れた。ほんのりとした甘さが舌を包み、逸る気持ちを抑えつける。
イールの気が落ち着くのを待つこと数分。
「司令」
今まで無言でいた無縁が椿に声を掛けた。
「そろそろくじらを呼んできてもらえませんか?」
「わかった」
そう言って椿は取り調べ室の扉から出て行った。
僅かな時間だが、天使と生徒だけの空間が出来上がる。
その事に後押しされたのか、慎重にイールは口を開いた。
「……くじらは無事なの?」
それは今までのイールの口調と表面的には変わらないように聞こえる。だが、
イールの問いかけに「ああ」と無縁は答える。
なぜだか、それを聞いたイールは胸につかえていた澱みが取れたような気がした。
と、
「ふむ、人に紛れて守られてと思わんでもないが、それも不本意だったのでしょうなぁ」
ぺらり、という音が響いた。
ふと壁を見る。そこにはいつの間にか入室していた虎綱・ガーフィールド(
ja3547)が寄りかかっていた。
「くじら殿は無事に御座る。ただ、少しばかり不自由しておられるようですがの」
イールは新たな人物が部屋に入っていることに顔を顰めた。その不機嫌そうな眼差しに虎綱は肩を竦める。
「驚かせてしまったで御座るか。ハッハッハこれは失敬」
虎綱の笑いが響く。リョウともセツナとも、栄とも違う反応に、イールはどのように反応するかを決めかねた。
そして、それが決まり切る前に彼は彼女に告げるのだ。
「さて、待ち人が来たようで御座るよ」
促す声と同時にドアがノックされた。
尋問という名の駆け引きは、新たなカードが切られる局面に入ったのだった。
●
開いた先には、椿に連れ添われる形で立つ高知くじらがいた。
イールと同様に手錠で繋がれた手がだらり、と垂れ下がっている。その表情はやはり、堅い。
「やあ、お久しぶり」
まず顔見知りである虎綱がくじらに声を掛けた。
「君との約束と彼女を守るため、彼女の説得を手伝ってほしいので御座る」
「説得……」
くじらはぽつり、と呟いた。
「そうだ」
無縁が謳うように囁く。虚ろな瞳で無縁を眺めた。
「きみも、彼女に対して思うことがあるだろう。まずは好きに話すといい」
くじらを前に通す。それぞれがスペースを空け、イールの対面に立たせる。
天使とその協力者が久々に会した。
「天使さん……」
くじらの問いかけにイールはきつく目を閉じる。
しばしの沈黙が続いた。
互いに、どう声を掛ければいいかわからない様子であった。
やがて無縁がくじらの肩に手を置く。
「今、四国では大きな事件が起きているんだ。それは知っているね?」
くじらは緩く、首を縦に振った。
「その事件を解決させるために、お姉さんは忙しくしている。実は、その事件の事をその子は知っているんだ」
「天使さんが……?」
「そうでござるな」
虎綱が快活に答える。
「四国の事件が終われば陽子殿も休めるのだがのう」
「彼女が知っている事を話せばお姉さんの仕事が減って早くきみの元に帰って来られる。だからきみからも聞いてくれないかい?」
愛媛を襲った“力”の存在を。
やがてくじらはゆっくりと口を開いた。
「お願い」
それだけ。たった一言。
だが、イールには充分に伝わったはずだ。知っていることを話してほしい、と。
「……開けば」
ぽつり、と。
「私が口を開けば、くじらは殺されないの?」
イールは乾いた声で聞いた。
「それは司法の問題だ。アタシ達にもわからないね」
椿の言葉に「そう」とだけ零す。
そして期限の5分は過ぎた。くじらが退室する。
「……なぜ彼女が君に協力したのだと思う?」
リョウはイールに問いかけた。
「姉に会いたい。そう言ってたわ」
イールの答えに彼は頷き返す。
「焼き払われた街に関しての処理に追われ、会えなくなった姉の気を引く為だそうだ。
その為に他者の命を奪い、自身の命さえ懸けた。方法はともかくとして、そこまで他者を想い、必死に行動する」
その言葉にイールは己の主を思い浮かべる。
戦場に於いて共に戦うことを誓い、時に命さえ投げ出す覚悟で付き従う存在。
「……貴女達にもそうした相手はいるだろう。そういった点ではこの地に生きる人々と天界の住人は変わらない。それは知っていて欲しい」
口には出さない。
だが、イールは心の中で待ち人の名を呟く。
――アルリエル様。
「きみにはいないかい?会いたい人」
無縁の言葉にはっと我に返る。
「まあ、どうでもいいけどね。ところで――」
君が望むものは何だい?
彼はそう、問いかけた。
「きみはいったい、何のためにプライドをかなぐり捨てたんだい」
何のため。
それは他ならぬ、主アルリエルの下に戻るため。
また生きて、共に戦場を駆けるため。
「まあ、それが何であれ、きみがそこに座る限り。それは達成されないんだけどね」
無縁のあっさりとした言葉が耳に残る。
「ぼくらは情報が欲しい。きみが年経て死ぬその瞬間まで、きみの口から情報が零れ落ちる希望を捨てない。でも、それはきみの望むところではないだろう」
「あたりまえよ」
イールは力なく答える。
だが、現状ではそれを打開することすら難しい。
「だからね、きみが情報を吐けばきみはきみの最も望む事を叶えられるんだよ」
天使に対して囁きかけた。
それは甘い誘惑。情報の提供と対価で得られる、報酬。
それは、
「……本当?」
彼女が手を伸ばすには十分なものであった。
「ここで騙すほど我らは落ちぶれてはおらぬよ」
虎綱の言葉が響く。
「逆にいえば、イール殿が頑なになればなるほど我らも手放すわけにいかなくなるで御座る」
イールは黙考する。
ここで口を開かぬことと、無事に天界に帰ることを天秤に掛ける。
それは僅かな時間であったようにも感じられるし、長い時間であったようにも感じられた。
そして――
●
「レーヴァテイン」
イールははっきりとその誇り高き名を口にした。
口にすれば、背筋は自然と伸びた。その名に含まれた多くの想いによって。
「街を焼き払った原因は十中八九“レーヴァテイン”よ
その剣は一振りで全てを焼き尽すわ。まさに――却天の刃」
リョウは、過剰だと言ったその力。
それはそうだろう、あれは天と相対する程の力を持った敵を討つ為の力とする事を目指しているのだから。
椿は調書を取る部下を見ながら、希望が繋がった喜びを感じていた。
だが、それに浮かれることはできない。まだようやく、謎の一端を掴んだだけなのだから。
ふと、栄は先日苦渋を飲まされた依頼を思い出した。
とても無関係とは思えない。
だから、
「最近、四国で天使の騎士をよく見かけるんだけど……何か心当たりあるみたいだね」
その言葉を聞いたイールが、真っ直ぐ瞳を逸らさず頷いたのをみても、驚く事は無かった。
全ては、やはり繋がるのだ。
確信めいた予感を含ませて、
窓から差し入る夕日が、部屋を朱く包み込んだ。