●
転移装置《ディメンジョンサークル》を越え、戦場に集った一同を待ち構えていたのは3体のディアボロであった。
岸を渡すように張られた3本のロープ。その上で屹立する3つの影。
一体は目を蝋の様なもので覆った不見猿。
一体は口を糸で縫い合わせた不言猿。
一体は耳を粘土の様なもので固めた不聞猿。
「“見ざる、聞かざる、言わざる”――モチーフは所謂『三猿』って処か?」
小田切ルビィ(
ja0841)はその意味をかみ締めながら戦場を見渡した。
「なんか意味深な感じだな……“人間に対する好奇心”的なモンを感じるぜ」
山の上からごぉうごぉ、と大量の水が流れてくる。
そして下流を見れば、それらが一気に流れ落ちる滝があった。覗き込めば滝壺まで何十メートルとあるのが見て取れる。
「綱渡りか。昔、旅費を稼ぐ為にやって以来だな……命がけではなかったけど」
Zenobia Ackerson(
jb6752)は下流を眺めながら呟いた。
「しかも落ちたら滝を紐無しバンジーで飛ぶことになるとか。洒落にならないな……ははは」
「僕もサーカス見るのは好きですが、するのは嫌ですねー。でも……」
そう言い、間下 慈(
jb2391)は猿の足元を眺めた。
そこには人ひとり分は入れそうな繭が吊るされている。
「情報によると、あの中に人質が入ってるみたいなんですよねー。やらないわけにはいかないんでしょうねー」
慈は一番左――不見猿の下にある繭を観察した。
それはしん、と静まりかえっている。特にこれといった特徴はなさそうだ。
だが、他の二つはそうではないらしい。
真ん中――不言猿の乗るロープの繭は微かに声の様なものが聞こえてくる。それが何であるかは滝の音にかき消されて分からないが、中に何かがいるというのは確かだろう。
そして一番右――不聞猿の足元にもぶら下がる繭があるが、これが一番不可解であった。
なんと左右に揺れ動いているのだ。
「何でだろう……実際に戦う前から疲労を感じるんだが?」
月詠 神削(
ja5265)はぐったり、とした様子でそれを眺めていた。
彼らに招待状を送りつけた者……D∪r^2e√−1∈M。
「意味はわからないが……たぶんあのお嬢だよな」
神削は以前街で出会った悪魔を思い出す。お転婆な彼女のことだ、遊びと称してこういった類のことはやりかねない。
「しかしまぁそうだとしても、肝心のホストが不在とは手抜かりではないのかね」
虎綱・ガーフィールド(
ja3547)は周囲を見渡しながら言った。
確かに、この場にはその悪魔は見受けられない。
いるのは3体の猿と3つの繭のみである。
「……うん?人質は“2人”ではなかったかな?」
鷺谷 明(
ja0776)は首を傾げた。
招待状に同封された共演者の情報を思い出す。確かに、記載された人質は2人であった。
で、あれば――。
「あの3つの繭。ひとつは空か、それとも……」
享楽主義者はくつくつ、と嗤う。
「他にこれと言って隠れられそうな所もないし、あの中のどれかに“偽者”が入っていると考えるのが妥当でしょうね」
鈴代 征治(
ja1305)は考える。
曰く、人質の一人はやけに地味な人物であると。
曰く、人質の一人はやけに粗野な人物であると。
「ふん、主催者はどこかで見物しているんじゃないか」
ミハイル・エッカート(
jb0544)はこの場にいない悪魔を鼻で笑う。その様子にはこの状況を楽しんでいるようでもあった。
「たとえば、開けられるのを今か今かと期待しながら……とか」
「決め付けはよくないですよ」
彼の言葉に征治は重ねる。ミハイルは「まぁ、そうだな」と肩を竦めてみせた。
「しかし、さすが悪魔だ。趣味悪いゲームを思いつくぜ」
自らの過去を振り返りながらミハイルは張られた3本のロープを見つめる。
彼も人には言えないような仕事《ゲーム》を山程クリアしてきたのだ。今更この程度の綱渡りで臆したりはしない。
「このゲーム、俺たちが勝ち取ってやろう」
命のベットは済ましてきた。
では征こう。いざ綱渡りの舞台へ。
●
「はっ!」
征治は岸のギリギリまで助走をつけると、一気に『全力跳躍』で飛び上がった。全身のバネを使って一気に岸を跳び越す。
真下を激しく川が渦まいている。飲み込まれれば抵抗する間もなく下流に見える滝へ投げ出されるだろう。
残り10m……8m……3m……2m……。
届くか。
「よっと!」
彼の両足が対岸に足跡を着ける。無事に着地はできたようだ。
だが、
「よしこれで挟み討ちに……うわ!?」
着地の瞬間を狙うかのように無数の弾が飛来する。
それは不聞猿の放つ魔力弾であった。弾は征治の目前で大音響を発しながらはじけ飛ぶ
「み、耳が……」
それはダメージと共に相手の聴覚を犯し、平衡感覚を狂わせる。
そこへ、
「おっと。弾が得意なのはお前だけじゃないんだぜ?」
ミハイルはアサルトライフルの銃床を肩に当て、じっくりと狙いをつけた。
引き金を引く。飛び出したアウルの弾丸が次々と魔力玉を壊し、打ち消していった。
『回避射撃』の援護を受けて魔力玉をくぐり抜ける征治。彼はそぅ、と耳に当てた手を離した。
相変わらず川が下流へ流れ落ちる音が聞こえる。魔力玉の影響を受けずに済み征治はほぅ、と一息ついた。
ここで躓くのはまずい。これからの作戦に支障が出てしまう。征治は急ぎ、不聞猿の乗るロープを目指すのであった。
一方彼らより10m程上流では、
「俺の相手は“見ざる”……って訳かい」
そうひとりごちりながらルビィは敵を見据えた。
彼の目の前にはロープの上でチャクラムのジャグリングを披露する不見猿がいる。
両目を蝋のようなもので固めたその表情からは感情というものは一切感じられない。
そんな不気味な様子を意にも介さず、ルビィはぱんぱん、と手を叩いた。
「日光の猿軍団にでも転職したらどうだ?――その方が遥かにお似合いだぜ……!」
彼の『挑発』に乗せられたのか、不見猿は数歩こちらに歩み寄った。
そのまま陸地まで来てくれれば戦いはこちらの有利となる。しかし、そう簡単に事が運ぶことはなかった。
1歩進めば2歩戻り、3歩進んだと思え2歩だけ下がる。その繰り返し。
「これでは埒があきませんねー。なら……」
その言葉と同時に慈の持つクロスボウから金色の光が溢れ出した。矢にプラスのレートを乗せ、渾身の『凡人の光弾』を放つ。
「これでも喰らうといいですよー」
クロスボウから放たれた矢は一直線に不見猿へと飛び出していった。
だが、不見猿はロープの張りを利用してジャンプ。矢のはるか上空を跳び越えていった。
そしてそのまま猿は空中で宙返りを見せると、持っていたチャクラムを慈に投げ返した。
「痛っ!」
チャクラムの刃が慈に命中する。それと同時に彼の視界が閉ざされ、目の前が真っ暗になった。
「ま、前が……見えないですー」
「おいおい、大丈夫か?」
ルビィは慈の手を引き急ぎ後方へと下がった。このまま戦場で立ち尽くすのは危険だ。
同時に慈の頬を2、3度叩いてみるも『認識障害』が解ける気配は見せない。恐らく魔法的な呪いの一種なのであろう。
「チッ、物理じゃ治らねぇか。厄介なもんだな」
「お役に立てず申し訳ないですー……」
「気にすることはねぇぜ。今は少しでも早く復帰できるようにしな」
そう言って慈を手近な岩に座らせるルビィ。そして彼は獲物である鬼切を抜き放ち、切っ先を不見猿へ向けた。
「こっちに来ねぇってんなら俺らにも考えがあるぜ。これでも……喰らいな!」
●
「『挑発』による陸揚げは失敗……ま、これで上手くいくようなら綱渡りの意味がないか」
神削はこちらに来ようともしない不言猿を眺めながら呟く。
むしろ敵は赤い尻をこちらに向け、ぺしぺしと叩いている。逆に挑発するような仕草に神削はひとつため息をついた。
「猿に馬鹿にされるとかちょっとむかつくな。だけど、これもまだ想定の範囲内……本番はこれからだ」
彼の吐息に霧のようなものが混じり始める。
それは体内で練り上げたアウルの顕現。そして神削は霧状のアウルを不言猿へと力強く噴き出した。
「これを受けても、まだそんな余裕みせられるか?」
神削は霧に向け獲物を振るう。刹那、『弐式《烈波・破軍》』の強烈な爆発が不言猿を包み込んだ。
同時に別のロープでも黒い衝撃波が走る。
3本に張ったロープ。その岸から今、ルビィ、神削、征治による3つの『封砲』が放たれたのだ。
ロープの上に逃げ場はない。これで3猿を叩き落せばゲームクリアだ。
だが、敵はそんなに甘く無かった。
3猿はそれぞれ縄の張力と自らの身体能力を駆使して高く飛び上がる。衝撃波を背景に猿達は宙返りを決め、元のロープへと降りたった。
それぞれにポーズを決める。その姿はまさしくサーカス団員。いや、映画のスタントマンか。
「やるねぇ。じゃあ、おひねりをあげないと」
明の言葉と共に不聞猿の足元から亡霊が這い出てくる。
『地縛霊』により呼びだしたそれは怨嗟の声をあげると、不聞猿の体を『束縛』しようと掴みかかった。
同時にミハイルの銃口から光が迸る。
「軽業が得意とみたが、こいつを避けることができるなら大したもんだぜ」
弾丸に集中させたアウルの力を『スターショット』として不聞猿に向けて放った。だが、不聞猿は身をよじってそれらを間一髪でかわしてみせる。
猿達は揃って撃退士達に向けて人差し指を向けた。くいくい、と指を曲げる。
どうやら「こっちに来い」と言いたいようだ。
ミハイルはひゅぅ、と口笛を吹いた。
「すごいな。さすがに綱渡りしようっていうだけあるぜ」
「敵ながら天晴れなものだね。これは褒めてやるしかないだろうな」
明も猿に対して拍手を送る。その表情はやけに楽しげであった。
「でも、2度3度と同じことができるかな?試させてもらおうかお猿さん」
すでにルビィと神削と征治の3人は次の封砲を放つ準備を整えている。程なくして再度3つの『封砲』が放たれた。
しかし不言、不聞猿は飛び跳ねることで先程と同様に避けられてしまう。
そんな中、不見猿だけは違った。飛び遅れた不見猿はルビィの封砲を受けて体勢を崩す。
縄から落ちはしなかったものの、確かなダメージを与えることが出来たようだ。
「やっと当たりやがったか。チョロチョロと動きまわるお猿さんだぜ」
言ってルビィは再度『封砲』を構える。
「もう2度もかわされてる……次は当てないと」
征治も立て続けに『封砲』を放つ為、構えに入った。
神削も最後の弐式《烈波・破軍》を放つ動作に入る。しかし、なぜかその動作は鈍いものであった。
彼はある“予感”を感じていた。
「……なんだこの感覚」
虫の知らせ。第六感。胸騒ぎがする。
この際何でもいい。何か、何かとんでもないことが起きそうな予感がする。
ふと、過去の記憶がよぎった。冥魔の催した罠《ゲーム》。人質は一般人の少女。そして――猿の足元でぶら下がる繭。
「待て!2人とも封砲を撃つな!」
神削は叫んだ。
だが征治とルビィの封砲はもう止められない。
そして、彼が恐れていた事態が起こった。
不聞猿は上に飛んで征治の封砲を避けた。それはいい。
問題は不見猿だ。なんと不見猿はルビィが封砲を放つ直前にバク宙を決めると、縄を飛び降りたのだ。
そして括り付けられている繭――恐らく人質が入っているであろう――に抱きつく。
「な!?」
ルビィを始め一同は目を見開いた。
不見猿は繭を盾にしたのだ。
●
彼女はひとつ、あくびをかみ締めた。
外ではなにやら騒々しい物音が聞こえるが、暗闇に閉じ込められた今の彼女にとってどうでもいいことである。
下校途中に薔薇を持った変な男に連れ去られたと思ったら、ヘンテコな繭に押し込められるというこの状況。
「今日はついてないな……」
出かける前に見たテレビの占いでは、今日の運勢は最高だったはず。ラッキーカラーに合わせてアクセサリーもつけた。
(誰か気づいてくれるかな)
そんな淡い期待を込めてみたものの、そんな者は誰一人としていない。
そもそもクラスで彼女に話しかけるような者すらいないというのに。
「はぁ……この程度の努力じゃだめなのかしらね」
彼女は不安になる気持ちを首を振って追いはらう。
明日からはもう少し、地味子から脱却できるようにがんばってみよう。そう考えていると、
「わわ!?」
不意に彼女の入る繭が大きく揺さぶられた。何かが繭にとまったようである。
そして彼女は気づく。繭の一ヶ所から光が溢れ出ているのに。
「あれ……」
その光は即座に目も眩むほど大きくなりそして――彼女を包み込んだ。
●
不見猿が繭を落とすかも、という可能性は考慮していた。だが、猿が”繭を盾にする“など誰が予想しただろうか。
無遠慮に放たれた封砲は黒い衝撃波となって猿を――人質の入った繭を呑みこもうと直進する。
ルビィは息を呑んだ。
盆の水は零れ落ちた。誰もがそう思った瞬間、
「いかんで御座る!」
唐突に対岸から虎綱が飛び出してきた。
『遁甲の術』で潜行してから人知れず『水上歩行』で川を渡っていた彼は、こっそりと繭を引き上げようと動いていたのだ。
だが、このような事態になっては穏やかなことは言っていられない。
虎綱は急ぎ繭の前へ飛び出す。
「ぬぅううっつぅ!」
そしてルビィの放った封砲を一身に受け止めた。
そのまま水面に落下する虎綱。だが、間一髪で『水上歩行』を再発動させ水面へと着地する。
そこへ不見猿のチャクラムが飛来した。
「はぁ、はぁ……さすがに抜け目ないで御座るな!」
『空蝉』で脱ぎ捨てたスクールジャケットを身代わりに虎綱はチャクラムを回避。そしてある程度下流まで流された所で『壁走り』で岸壁を必死に走り抜けた。
「虎綱さん!」
下流で待っていた征治は虎綱へと手を伸ばし、彼の体を持ち上げる。そしてなんとか地面まで引き上げることに成功したのであった。
ルビィは急いで不見猿が抱きつく繭を見やる。
繭は衝撃で大きく揺さぶられているものの、致命的な傷は付いていない。ルビィはほぅ、と息をついた。
「ったく、なんて奴だ」
ルビィは不見猿を睨みつけた。もう少しで人として最もしてはいけないことをしてまうところであった。
そして一方、虎綱を引き上げた征治は手の平にびっしりとついた汗をぬぐいとった。
こちらは不聞猿が避けてくれたからよかったものの、一歩間違えればルビィと同じ状況に自分も陥っていただろう。
よくよく見れば、封砲の余波を受けてロープの所々に綻びが出来ていた。これ以上ヘタに範囲攻撃を撃てばロープが切れてしまう可能性もある。
彼らが封砲をもう、これ以上撃つことができないのは幸か不幸か……。
「大丈夫ですか、虎綱さん?」
征治は内心の同様を隠すように虎綱の身を案じた。
「うむ。まだまだ戦えるで御座るよ」
「そうですか。それはよかった」
その言葉を残し、征治はシュティーアB49を取り出す。
戦いはまだまだ、これからなのだ。
●
手筈では封砲を撃ち尽くすと同時に、衝撃波に紛れて明とゼノヴィアがロープを渡って接敵する予定であった。
思わぬアクシデントに足を止めることになったが、2人は予定通り作戦を決行する。
明は長杖アウロラを手に不聞猿の乗るロープを渡った。
「おっとと……これはなかなか」
左右に揺れ動く縄に『壁走り』の要領でバランスを取った。そして一気に不聞猿の目の前へ走り抜ける。
「さて、お猿さんや。さっきまでお返しをしてあげようか」
明はアウロラを振りかぶった。同時に征治のシュティーアとミハイルのアサルトライフルの弾丸がそれぞれ襲い掛かる。
3方向からの同時攻撃。全てをかわしきれない。
征治の弾丸は身を捻ってかわした。だが、明のアウロラとミハイルの弾丸をかわしきることができない。
猿の体に衝撃が走った。咄嗟に不聞猿は綱の上を側転しながら距離を開ける。
お返しとばかりに不聞猿は無数の魔力玉を放った。
だが、
「そろそろそのお手玉も見飽きたな。何か、他に芸はないのかい?たとえばラインダンス……とか」
ミハイルはアサルトライフルをフルオートに切り替え、『回避射撃』の弾丸を放つ。
魔力玉の大半は大音響と共に打ち砕かれ、明に届いたのはわずかとなった。
こうなれば縄の上でも避けるのは容易い。
足を縄に絡ませ、明は逆さにぶら下がる。魔力玉が通過するのを確認するとそのまま一回転して起き上がり、不聞猿との距離を詰めた。
魔力を込めた杖をふるう。打撃音。
ぐぎり、と骨まで届くような重い手応えを感じて明はくすり、と笑みを浮かべた。
一方、中央の縄では神削が最後の弐式《烈波・破軍》を放っていた。
先程の教訓を活かし、繭やロープに影響を与えないよう注意して爆炎を放つ。
不言猿はロープを掴み飛び降りた。そして鉄棒の演技をするかのように逆上がりを決める。
攻撃は回避された。
「着地の際は避けにくいんじゃないか?」
しかし、弐式の爆発に紛れる形でロープ上を走るゼノヴィアにとって攻撃を当てる絶好の機会である。着地の際を狙い、彼女はシルフィードを滑らす。
不言猿は竿で刃を弾く。返す刀で竿を横薙ぎに払う。
ゼノヴィアは屈みこむ。回避。
頭上を竿が過ぎるのを感じた瞬間、不言猿の足を切り払った。
不言猿は飛ぶ。上段から竿を振りあげ、彼女の頭上目掛け叩きつける。
がぎぃ、と竿と曲刀がぶつかり合い火花が散った。
縄が左右に激しく揺れる。ゼノヴィアは左手で綱を握り必死でバランスを取った。
敵の持つ竿にはスキルを封印する効果がある。彼女が期待できるのは自身の身体能力のみであった。
否。
「動かないで」
その時、背後から声が聞こえた。
同時に白いカード状の刃が彼女の頭上を通過して、不言猿の皮膚を切り刻む。振り向けば神削が川岸からラジエルの書を構えていた。
心強い援軍。ゼノヴィアは再び立ち上がると、不言猿へと立ち向かった。
「さっきの落とし前をつけさせてもらうぜ。覚悟はいいか?」
ルビィは鬼切を抜き放つ。そして不見猿の乗る縄をゆっくりと進んでいった。
目の前で猿は相変わらずチャクラムでジャグリングを続けている。蝋で固められたその表情からは内情を窺い知ることは出来ない。
「相変わらず不気味な奴だぜ」
「小田切殿!大丈夫で御座るか!?」
ルビィがいた岸と反対方向から虎綱の声があがる。
「ああ、すまねえ!そっちも怪我は大丈夫か」
「この程度平気で御座る!それよりも……」
言って、虎綱は懐から十字手裏剣を取り出す。
再び隠れて繭を引き上げるという手も悪くはないが、同じ手を喰うほど単純な敵ではないことは百も承知である。
ならば、
「これで挟み撃ちでござるな。正面はお任せ致しましたぞ」
虎綱は戦う覚悟を見せた。
「おう――よし、いくか」
ルビィはその言葉を残し、一気に不見猿との距離を詰める。
それに対して不見猿はチャクラムを投擲。
しかしルビィはカイトシールを盾にすることでこれを防御。
弾かれたチャクラムは不見猿の手元に戻る。
「もう一度投げてみな。その前にその体、刺し貫いてやるぜ」
勢いそのままにルビィは鬼切の切っ先を不見猿に突き立てようとする。
不見猿はバク転で縄を下がる。
だが、
「ここは通行止めで御座るよ」
虎綱の十字手裏剣が猿を牽制する。不見猿の動きが一瞬だけ止まった。
その瞬間、
「僕も忘れないで欲しいですねー」
ルビィの後方から声があがる。
ようやく『認識障害』から復帰した慈がクロスボウの狙いを不見猿につけた。
「山なり射撃できる弓銃は今回の戦場にぴったりなんです!」
したり顔の慈。人はそれをドヤ顔を呼ぶ。
だが、この表情も今回は頼もしいものであった。
「それに実は僕、最初に認識障害喰らっちゃったから切り札残してるんです。知ってましたかお猿さん?」
クロスボウに掛けられた矢が金色に光る。同時に銀色のオーラを纏っていた慈の全身と右目も金色に変わり、懐かしき姉のものへと変わる。
「あくまで、凡人の猿真似にすぎないですがね――猿だけに」
魔を滅する『凡人の光弾』がルビィの背をかわし、不見猿に命中した。
猿は大きな悲鳴をあげ、体を仰け反らせる。
そしてルビィは鬼切を両手に握る。狙いは猿の首元。水平に構え、
「いい演技だったぜ“見ざる”。じゃあな」
振り払った。猿の首が飛ぶ。
やがて2つの水音が響く。ロープの上に残ったのは――ルビィただ一人であった。
●
不見猿との戦いは終った。残すは中央、不言猿と右側、不聞猿である。
だが、その戦いもじきに決着が着きそうであった。
「君のお仲間は一体、川に落ちたみたいだね。君はどこまでもつかな?」
長杖アウロラで魔法攻撃による打撃を繰り返す明。
それに対して不聞猿も魔法弾で応戦する。
だが、それも悉くミハイルのアサルトライフルによって撃ち落とされてしまう。しかも背後からは征治の弾丸が襲い掛かり、まともに回避することも難しい状態にある。
いつからか不聞猿の息は荒くなり始めていた。
「そろそろお終いか坊や?」
ミハイルは聞いた。
「まあ、ここまで俺達を楽しませてくれたんだ。最後は一思いに叩き落してやるよ」
そうして彼はアサルトライフルの照準を覗き込む。
征治の放つ弾丸を避けた瞬間に合わせ、
「これは“チップ”だ。三途の川を渡るまでとっときな」
引き金を引いた。放たれた弾丸は過たず不聞猿の眉間に刺さる。
ぐらり、と不聞猿が身を崩した。どぼん、という水音が滝の轟音に混じる。
残り一体。
「こいつ……」
ゼノヴィアは苦虫を噛み潰したような表情で不言猿を見つめた。
「ゼノヴィアさん!今援護します!」
征治はシュティーアの引き金を引いた。
弾丸は不言猿へ一直線に向かう。だが、不言猿はそれを事前に察知すると高く跳ね上がる。
ひらり、と着地を決めた。
「粘るね。最後の悪あがきというやつかな?」
明は右側のロープに立ったまま、不言猿に炎息を放つ。
一見するとロープごと焼き切ってしまいそうな危ない攻撃だが、この炎はアウルで呼び出した擬似的なものだ。自然現象を再現したものではないので燃えてしまう心配はない。
同時にミハイル、慈もそれぞれの射撃武器を放つ。
だが、不言猿は竿とロープを巧みに操って避け続けた。
「さっきから“これ”なんだ」
神削はラジエルの書から刃を飛ばしながら言った。今のこの攻撃すら不言猿は回避する。
だが、敵を追い詰めていることには変わりはない。
猿は必死に竿を突き出した。
「当たるものか」
ゼノヴィアもロープを手繰って攻撃を回避する。
シルフィードを突き出す。猿は避ける。
お返しに竿を薙ぐ――と見せかけて突き出してみせる。
彼女はそれを剣で弾きかえす。
複数の弾丸が、矢が不言猿に襲い掛かる。
得意の軽業を駆使して不言猿は避け続ける。
ゼノヴィアもゼノヴィアで、不安定な縄の上にも関わらず不言猿の攻撃を避け続けていた。
その動きはまさに神業V.S神業。
だが、やはり分は撃退士の側にある。
「神回避も素晴らしいで御座るが、そろそろ疲れたのではなかろう?」
虎綱が十字手裏剣を放つ。手裏剣は見事に不言猿の左手を刺し貫いた。
不後猿が始めてバランスを崩す。
「チップが随分と増えたな。あの世で閻魔様にでも自慢しな」
続いてミハイルの銃弾がヒット。そして遂に、
「これでゲームエンドだ」
ゼノヴィアの曲剣が不言猿の口元を薙ぎ払う。
口を塞ぐ糸ごと切られた瞬間、不言猿はおぞましい叫び声をあげた。だが、それも川に落ちるまで。
着水した瞬間、滝の轟音だけが当たりに響き渡った。
●
「よいせ、っと」
不言猿との戦いの間に不聞猿がいたロープから繭を引き上げていたルビィ。神削はそれを『中立者』で観察した。
「……マイナスだな」
マイナス。つまり冥魔に属するものという意味である。
だが、
「あれもマイナス。あっちも――マイナスだ」
まだ引き上げていない2つの繭についても神削は『中立者』で見る。
「……繭に反応しちゃってますね」
征治は困った表情で言った。
「まあ、予想通りというかなんというか……腹を括りましょう。これから開けちゃいますけど、いいですか?」
一同を見渡す。否を唱える者はいない。
指を繭の隙間に突っ込み、征治は繭を開いた。
中から出てきたのは……。
「……」
ひとりの女子高生であった。
「大丈夫?立てる?」
征治は少女の手を引き繭から引き上げた。同時に救急箱を取り出して怪我の具合を確認する。
「このような状況にあってなお騒がずいられるとは、相当な精神力をお持ちで御座るな」
「まったくだ。大した肝っ玉じゃねぇか嬢ちゃん」
虎綱とルビィは感心するように言った。その内心、2人は少女が無事なことに胸を撫で下ろす。
一歩間違えれば彼女を殺していた。その事実が彼らの肩に重く圧し掛かる。
「さて、残りの繭は2つだが……」
ゼノヴィアは川に張られたロープと、そこからぶら下がる繭を見つめた。
中央のロープに掛けられた繭からは、相変わらず中から何か聞こえてくる。
彼女はひたすら『鋭敏聴覚』で耳を澄ましている慈に問いかけた。
「何を言ってるか、聞こえるか?」
「……いやー、滝の音が邪魔ですね。さっぱりです」
慈は肩を竦める。やはり、直接確かめなければ。
「私は中央の繭から明けることを薦めるよ」
明は右側のロープに吊るされ、左右に揺れている繭を見ながら言った。
「人質の一人は暗所が苦手なんだろう?暴れてるとしても前後左右不規則に動くはず。アレは綺麗に揺れ過ぎだね」
「同感だな」
彼の説明に頷き答えるゼノヴィア。どうやら他の6人も同じ考えらしい。
そうして一同は中央のロープを慎重に渡り、繭を回収する。
開けて出てきたのは、
「うう……こんなトコに閉じ込めやがって……ぐすん」
髪を茶髪に染めた、ややヤンキー風とも言える少女が涙目で震えていた。
「よく頑張った。君たちが生きていてくれて本当に嬉しいよ」
にこやかな笑みを浮かべて虎綱は人質となっていた少女達の無事を祝う。
「さて、残りの繭は一個だが……どうするよ」
最後に残った繭をルビィは訝しげに眺める。繭はまだ左右に揺れていた。
「開けたくない。川に落とそう」
神削はそっけなく答えた。
「それが妥当だな。これ以上開けても意味は無いだろ」
その言葉と同時にミハイルは銃を構える。
「スリル大好きだろ?このまま川下り楽しめよ」
そして引き金を引き絞る。
その瞬間、
「クックック……」
唐突に繭に亀裂が入った。
中からバール(のようなもの)が突き出される。
「ハッハッハ!」
そして、
「アーハハハハハ!よくわかったわね!」
高笑いを浮かべてドゥーレイルが飛び出してきた。
「ずっと楽しみに待ってたのよ!さあ、一発殴らせ――」
言って、彼女は一歩を踏み出した。
空中に。
「――ろ?」
当然、足はそのまま空を切る。そして体勢を崩し彼女は真っ逆さまに川へと落ちていった。
「ちょ、せっかく三段笑いの練習してきがばごぼがば!」
川の流れは速い。何か行動を起こす間もなく、
「アッー!」
ドゥーレイルは滝へと落ちていった。
「ドゥーレイル殿!」
「待って!」
虎綱は急いでドゥーレイルを追おうとする。だが、それよりも先に征治は彼を取り押さえた。
代わりに征治はあるものを滝へと投げ入れる。
「大丈夫みたいだよ。あれ」
そして彼は崖の一部を指差した。そこには崖に突き立てた大剣を足場に待機するメイド――ヴァニタス、ミレイの姿が。
彼女は剣を引き抜くと同時にジャンプして転落するドゥーレイルをキャッチ。そのまま岸壁のでっぱりを足がかりに下流へと降りて行った。
「……あのお嬢は相変わらずだな」
神削はぐったり、とした様子で岩に腰を降ろした。
「今日もかぼt……さすがにもう聞こえませんか」
遥か下流を過ぎていく少女に声を掛ける慈。さすがに今回は話をしている時間もないようだ。
「ミレイさんとはもう少しお話したかったですが……仕方ないですかねー」
「ふむ……」
明は懐から一冊の本を取り出してひとり唸る。
「なんだそれは?」
ゼノヴィアは不思議そうに訪ねた。
「ああ、筆記体の練習用ドリルだよ。彼女の字が少しでも上達すればと考えて持ってきたんだけど……渡しそびれたね」
「はは、今からでも繭に入れて流したらどうだ?もしかしたら届くかもしれないぞ」
ミハイルは冗談交じりに言った。
「そりゃいいな。ところで……」
ルビィは視線を征治に向ける。
「征治。あんた、さっき何を投げた?」
「え?ああ……」
滝壺を覗き込んでいた征治は、急に問われた言葉にゆっくりと振り返った。
「大したものではないですよ。ちょっとした“彼ら”へのお返事です」
「返事……?」
「ええ」
「まあ、それはともかくとして……」
虎綱は一同に聞こえるように言った。その肩には人質となっていた少女を担いでいる。
「そろそろお2人を返さねばなりませぬのう。親御さんも心配しているで御座ろう」
「そうだね」
もう一方の少女の肩を持つゼノヴィアも同意する。
こうして綱渡りは幕を閉じたのであった。
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悪魔の少女を抱き上げながら、ヴァニタスは下流へと進む。
ふと、
「何を読んでいるのですか婿娘殿?」
ミレイはドゥーレイルに聞いた。
「んー?」
ドゥーレイルは一枚の紙片を見上げている。
「あいつらの一人が投げつけてきたの。手紙みたいだったから拾っといたけど……『りきずれだた』だって」
「なにかの暗号ですか?婿娘殿の外向け用サインみたいな」
「私のサインはただ数式をもじってるだけよ?ただれずきり……違うわね。rikizure、data……?うーん、クラウンにでも渡しておいたほうがいいかしら」