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朝の日差しに新井司(
ja6034)は目を醒ます。
布団の温もりに抱きしめられていると、階下から「起きなさーい」という母の声が聞こえてきた。
「ん、んぅ……」
もぞもぞと身じろぎをすると、枕元に置かれた時計が目に入った。
その瞬間、
「え、もうそんな時間!?」
司は大きく布団を蹴飛ばし、呑気に時を刻む時計を握り締めた。
急いで制服に着替え、キッチンに向かう。
食卓に置かれたトーストに齧りつくと、トマトジュースを一口で飲み干した。
慌しく朝食を終える彼女は自室に戻ると、寝癖を直すために鏡に向かう。
その時、ある違和感を感じた。
「あれ、こんな傷あったっけ?」
頬を走る擦り傷に手を当てる。
それは今の彼女にはまったく覚えのないものであった。
「え……これも……え?」
鏡の中に写る、傷だらけの自分に驚愕する。
そして目の前には無愛想な顔。
『英雄』を目指す者の、顔。
彼女はしばし逡巡する。
やがて握りこぶしに蒼い光を纏うと。
鏡を粉々に粉砕するのだった。
「さあ、英雄志願を始めましょうか」
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常塚 咲月(
ja0156)は今、幸せであった。
幼馴染である2人に抱きしめられ、温もりを感じている。
最初はいきなり目の前に現れた彼らに、彼女は驚きの表情を見せた。
しかし2人に笑顔と同時に抱きとめられると、そんな感情もすぐに消え失せてしまう。
「うん、やっぱり2人に体温を感じられるのは……すごい幸せ」
2人は黙って咲月を包んでいる。
まるで母の胎内にいるような心地に、彼女は目を瞑った。
「でも、違うよね」
瞼を上げる。
手にはスローイングダガーが握られていた。
その刃を、彼女は手のひらで強く握り締める。
鋭い痛みと同時に、二の腕にかけて血が流れ落ちた。
「私はディアボロを倒しに来た……なのに、なんできみ達はここにいるの?」
幼馴染の2人は答えない。
ただひたすら、笑顔のままに彼女を抱きしめるだけであった。
「―─覚めない夢はぬるま湯と同じ……」
彼女はオートマチックP37をヒヒイロカネから具現化する。
そして銃口を彼らに突きつけた。
「この世界にずっとなんて……少ししか存在しない……」
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「あ、あの……!」
とある駅前で袋井 雅人(
jb1469)は彼女に声をかけた。
それは彼がまさしく理想とする、素敵な女性だった。
「すみません、待たせましたでしょうか?」
心配そうに言う彼に対し、彼女は答える。
『ううん、私も今来たところ』
「そ、そうですか。それはよかった。では、行きましょうか」
彼女の手を握り、彼は歩き出す。
しかし彼女はその手を離すと、
「え?」
素早く彼の二の腕に腕を絡ませた。
『こっちの方がいいわ。さ、行きましょう』
彼女はまるで悪戯っ子のように舌を出して微笑む。
そんな表情に雅人は頬を赤くし、ただ前を向くことしかできなかった。
『どうしたの?』
「い、いえなんでも……」
ふと気がつくと、目の前に映画館があった。
入場口で映画のチケットを2枚スタッフに手渡し、劇場に入る。
映画を見ている途中、肘掛に置いた手に暖かい温もりを感じた。
それはまさしく、彼女の手のひらであった。
(ああ……)
雅人は、記憶喪失となって自分自身すらわからなかった昔をとても懐かしく感じていた。
彼の隣には、彼をちゃんとわかってくれている女性がいるのだから……。
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刑部 依里(
jb0969)は手を伸ばした。
その指先が懐かしい恋人の頬に触れると、
「――!」
まるで電流が走ったかのように彼女は手を引っ込めた。
(生者には時がある)
そんな思いが彼女に、かつての恋人に触れることを戸惑わせていた。
しかし……。
「お前は頭撃たれて死んだだろう。いまさら未練なんてないさ」
そう言いながらも、懐かしさのあまり再び依里は彼に手を伸ばそうとする。
そしてまたひっこめる。
この動きをひたすら繰り返していた。
(『私』達は最早、結ばれない――オルフェウスとエウリュディケになど、なれはしない)
彼女の葛藤はまだ、続くのであった。
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「みんなー!今日は来てくれてありがとー☆」
満員の会場に、割れんばかりの歓声が響いた。
今日は彼女、アイドル陰陽師三善 千種(
jb0872)の単独コンサートが行われているのだ。
まばゆいスポットライトが彼女を照らす。
それは彼女が待ちに待った瞬間であった。
「2階席の人たちー!ちゃんと顔見えてるからねー☆」
見上げた遠くの客席から再び歓声が上がる。
その中には「三善千種ファンクラブ」の横断幕が掲げられていた。
(……あれ?)
ふと、千種は疑問に思った。
ファンクラブの横断幕を持つ人々の顔に、誰一人として見覚えがない。
ファンクラブというなら、これまでも何度か彼女の前に現れているはずである。
ならば、彼女にも一人くらい見覚えのある顔があってもいいのではないか。
彼女はもう一度会場を見渡した。
そして気づく。
ライトで色とりどりに彩どられた客席に、見知った顔が誰一人としていないことに。
手に持っていたマイクの重みが消失した。
変わりにその手に握られていたのは……。
(……弓?)
彼女が得物とする天翔弓であった。
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周囲で激しい銃撃や剣戟の音が響いている。
現在、新田原 護(
ja0410)は天魔との激しい戦闘を繰り広げているのだった。
「……隊長、新田原隊長!」
やってきた伝令の声に、護は大きく目を見開く。
「第一隊、第二隊共に現在、天魔に対し優勢を保っています」
「よし」
護は部下からの報告を聞くと、銃のセーフティを解除して隠れていた建造物から雄々しく飛び出していった。
「今から敵の側面を叩く!さあついて来い!」
背後から国家撃退士達が雄たけびをあげ、護の後ろに付き従う。
やがて目の前に先遣隊と戦う天魔の一団が目に入った。
「さあ!怯えろ!竦め!天魔よ!貴様らが弱いと言っていた人間が精鋭たる国家撃退士を揃え!今、正に集結したぞ!」
護の言葉に天魔達は不意を突かれたことに気づき、慌てて逃走しようとする。
「逃すものか!総員!銃構え!狙え!」
彼の部下達は素早く彼の前に隊列を構えると、天魔に向けて照準を合わせるのだった。
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「……お、おめェ」
赤槻 空也(
ja0813)は驚きのあまりその場から動くことができなかった。
彼の目の前には、殺されたはずの親友や家族の姿がある。
「……死んだ、ハズ……じゃ……!?」
『なに可笑しなこと言ってるんだ』
友人は笑いながら言った。
『俺らが、いつ死んだってんだよ?』
『なあ。アハハ』
彼らは一斉に笑いだす。
その平和な光景は、かつて彼らと共にあった時間と重なるものがあった。
「そ、そうか……そうだよな……」
誰一人死んでいない。
死んでなど、いない。
その『事実』に安堵のため息をつくと、軽く頭をつかんだ。
その指先に、硬い布の感触が走る。
「……鉢、巻……?」
目の中で火花が散った。
空也は鉢巻を一度緩めると、再び結びつける。
硬く、今にもどうにかなりそうな頭を押さえつけるように。
「……そうだ、あの日……」
脳が悲鳴をあげながら告げる。
目の前にあるのは『虚偽』だ、と。
「テメェらはもう生きてねェ!」
空也は力の限り吼えた。
「『バケモン全部、ブッ倒してくれ』って言ってコイツを託したんじゃねェかッ!失せろ紛いモンッ!」
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世界は月丘 結希(
jb1914)の研究によって変わりつつあった。
アウルによる魔術と現代科学が融合した学問が成立。
すでにそれは社会インフラとなり、現代社会になくてはならない存在であった。
彼女は今『時代を変えた』という実感に打ち震えている。
そんなある日の事。
TV局によるインタビューが行われ、ある質問に差し掛かった時であった。
『では、これまでの研究で一番苦労したことはなんですか?』
「苦労……?」
レポーターの質問に、結希は詰まってしまった。
窓の外を、空飛ぶ自動車が駆け抜けていく。
あれも彼女の理論を応用したものだが、作り出すまでの過程がまったく思い出せない。
それ以前に、このインタビューを受ける直前に何をしていた?
まるで霧に包まれたように記憶が混乱する。
やがて彼女はひとつの結論に達した。
「よく出来た幻覚ね……」
周囲の光景が陽炎のように揺らぎ、消える。
「だけど、あたしの夢を実現する過程に失敗も試行錯誤も無いなんてありえないのよッ!」
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「─―あの2人かと思ったけど……生きてる2人だった……」
幻覚から目を醒ました咲月は感慨深げに呟いた。
「幻覚とはいえ2人を撃つって……結構きつい……」
ため息を零しながら手持ちの救急箱で手のひらの傷に応急処置を施すと、気を取り直して敵である『マッチ売り』の姿を探しだした。
と。
「貴様らが弱いと言っていた人間が精鋭たる国家撃退士を揃え!今、正に集結したぞ!」
すぐそばで大きな声が聞こえてきた。
それはいまだに幻惑状態に陥り、ひとり銃を構えようとする護であった。
「総員!銃構え!狙え!」
「おーい……だいじょぶ?」
ぺちぺちと咲月は頬を彼の頬を叩く。
「なんだ貴様!今は天魔との交戦中だぞ!」
「ああ……もう……」
もう一度、今度は強く咲月は護の頬を張り倒した。
護ははっと目が覚めたように目を見開くと、キョロキョロと周囲を見渡した。
「……ん?天魔は……部下はどこへ行った?」
「聞こえてる……?幻覚は解けた……?」
「幻覚……そうか今のは全部幻か。すみません、ありがとうございます」
「どういたいまして……ところで『マッチ売り』はどこに……」
2人は国道に並ぶ家屋の屋上に登ると、繁華街へ向けて駆け出した。
「む、あれは……」
護は道路を進む黒い影を見つけた。
マッチ片手に歩く姿は、まさしくディアボロ『マッチ売り』であった。
同時に背景がぐにゃり、歪みだす。
陽炎を目にしたことで再び幻覚を見せられようとしているのだった。
「そう何度もかかってたまるか……」
目の前に幻の部下達が揃い、天魔達へ攻勢を掛けようしている。
その後ろで、護は血が出るほどに強く唇をかみ締める。
「危うく味方殺しの称号を得るところだった。お礼にP37カービンカスタムの弾を進呈しよう。
夢は自分で叶えてこそ夢。中毒になる夢は悪夢だよ。だから歩く麻薬は成敗しないと」
『マッチ売り』を目視した方向へ『ロングショット』を放った。
弾は『マッチ売り』の横を通過し、地面に突き刺さる。
しかし銃撃の反動と頬を鼻をつく火薬の臭い、そして『これは幻覚である』という強い意志が彼を襲う幻を弾き飛ばしたのだった。
続けて咲月も幻惑に耐えながら『ストライクショット』による射撃戦を展開。
強烈な発砲音が周囲に響き渡った。
「っ!」
依里の顔面に衝撃が走る。
彼女は赤くなった顔を抑えながら、ヒリュウの頭を撫でた。
「……容赦ないな。次は気を付けるさ」
心配そうに周囲を飛び交うヒリュウに彼女は「もう大丈夫」と声を掛けた。
「ヒリュウ。僕がまた幻惑に惑わされたら、同じように体当たりで僕を攻撃するのだよ?」
ヒリュウはその言葉を聞いて、鳴き声をひとつあげる。
「あのディアボロには過去の夢を見せてくれたことに、礼を言わなくてはならないな。だが、最早『僕』はそれを望んでいないのだよ」
彼女はヒリュウを連れて歩みだした。
一方その頃、国道を進む一人の姿があった。
「……いいか俺、真っ直ぐ行って、ブッ飛ばせッ!俺ぁ今から機械だ……ッ!」
ぶつぶつとその言葉を繰り返す空也の髪は朱色に塗れ、瞳は憤怒で金色に輝いていた。
幸い周囲の仲間達のほとんどは幻覚から自力で抜け出している。
後は味方と協力し、敵を倒すだけである。
そのまま繁華街へ向かって道なりに進むと、彼の前方に黒い影が現れた。
マッチを片手に子供のような姿をした敵――『マッチ売り』である。
その姿を捉えた瞬間、再び今は亡き人々の姿が現れだした。
「いい加減うぜェぞ蜃気楼ッ!」
ぱん、と頬を強く張った。
彼の強い意志によって幻は霧散し、代わりに陽炎を登らせる黒い影が出現する。
「ありがとよクソムカつく幻をよォ……ッ!これで遠慮しねーでツラぁブン殴れるぜぇえッ!」
空也は一息にマッチ売りとの距離をつめると、
「吹っ飛んでいきな!」
思いっきり拳を振り下ろした。
衝撃に『マッチ売り』は車に撥ねられたかのように飛ばされ、家屋の壁に激突する。
しかし『マッチ売り』はよろよろと立ち上がると、再び繁華街に向けて歩き出した。
「悪いけど」
そんなマッチ売りの前方を塞ぐように司は躍り出る。
その拳は『鉄拳』によって固く握られていた。
「今はまだ、この武器の重さを手放せないの」
彼女は蓄えたアウルの力を『絶氷』というスキルとして放つ。
直撃を受けたマッチ売りは再び壁に叩きつけられた。
「ヒリュウ、マッチを狙え」
依里は『トリックスター』により、マッチ売りの手に握られたマッチを叩き落す。
「楽しい夢をありがとうございました、でも余計なお世話ですね☆」
そう言うと千種は懐から炸裂符を取り出した。
「夢は“見る”だけじゃダメなの。実現させてこそ意味がある」
同時に結希は手にしたスマートフォンのアプリを起動させる。
炎が吹き上がり、火の鳥朱雀が姿を現した。
「あたしの夢の実現の為、成長の糧になってもらうわよ。陰陽五行が火行の象たる朱雀、行けッ!」
「炸裂符、くらっちゃってくださいね」
千種の炸裂符と結希の朱雀が同時に『マッチ売り』に接触する。
瞬間2つの小爆発が混じり、連鎖的な爆発を引き起こした。
爆炎が晴れる。
そこには陽炎の力を失い力尽きた黒い人影が横たわるのみであった。
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「……楽しい素敵な夢をありがとうございました。この夢は忘れずに今ここにいる自分の宝物にしますね」
いままで幻覚に捕われていた雅人は、マッチ売りの亡骸の手を合わせ、呟く。
今の彼に過去は無いに等しい。
今を生き、それを「過去」とすることが最も重要なのだ。
「……クソが、それもこれも……テメェらのッ!」
一方空也は握りこぶしを固め、ここにいない天魔を睨むように天を仰いだ。
(俺ァ……やっぱひとりだ)
幻とはいえ、再び懐かしい人々に会えたのだ。
あの光景が今、本当に『現実』だったら……。
「……なんだか、2人の声が聞きたくなっちゃったな……」
咲月はポケットから電話を取り出し、登録された番号へ掛けようとした。
しかし、手に施された応急処置の痕が目に入ると彼女はぴくり、と動きを止める。
「怪我したこと知ったら……2人に怒られるかな」
「新井さんの幻はなんだったの?」
千種は明るい笑顔で司に聞いた。
「……さあ、もう忘れちゃったわ」
「あら、ちょっともったいないねー」
「そうね。それなりにいい夢だった気はするのに勿体ないわよね」
そう言いつつ、彼女は胸を押さえる。
それぞれの感情を抱き、彼らは帰路に発つのであった。