●
久遠ヶ原の敷地内は今、どこもかしこも人で溢れている。
年に一度の文化祭なのだ。みんなそれぞれの出店やアトラクションを楽しんでいるのだろう。
その証拠に、どの教室も賑々しい声が響いていた。
そのうちの一つ、民俗学第四ゼミ。
ここは喫茶店なので雰囲気的にも静かなもの……、
「きゃーーー!?」
ではなかった。
ここは喫茶店でも『妖怪喫茶』。
中は遮光カーテンで光を遮っており、所々に置かれた間接照明の明かりだけが頼りであった。
そんな店内の雰囲気に興味を持った女性は、店内に目を向けると同時に悲鳴をあげる。
彼女の目の前には薄ぼんやりとした明かりに浮かぶ首の無い騎士、デュラハン――ヴィルト・クリーガー(
jb1234)がダンボールを抱えて立ち尽くしていた。
「あ、いらっしゃいませ。『妖怪喫茶』開店中です。よろしければ、どうぞ中へ」
よく見ると鎧の胸部分に2つの穴が空いており、そこから人の目が覗いている。そこに頭が来るように調節されているのだろう。
「い、いえ!結構です!」
彼女は逃げ出すようにその場を立ち去った。
「……あれ、行っちゃいましたね」
「まだ始まったばかりですからね〜……あふ」
暗闇からふ、と現れた鳥海 月花(
ja1538)が眠そうに声を掛けた。
サングラスをずらし、瞳に溜まった涙を拭う。
その目はコンタクトによって蛇のような縦の切れ目ができてる。
古代ローマ人のような衣装を纏った彼女は今、メドゥーサのコスプレをしているのだ。
「なんか眠そうですね」
「むぅ……臨時アルバイトとはいえお仕事ですから、しっかりしないと」
「無茶はしないでくださいね。俺はコレをバックヤードに置いてきますので」
そう言ってヴィルトは抱えていたダンボールを軽く持ち上げると、暗闇に消えていった。
「あふ……いけませんね……これだけ室内が暗いと、本当に眠ってしまいそうです……」
もうひとつあくびをかみ締めたところで、店内から「すみません」と声が掛かった。
客の一人が呼んでいるようである。
「あ、はいただいま〜」
眠気をさますようにぱたぱたと駆けて声の元へ走る。
テーブルに付くと、頭に飾った動く玩具を見せ付けるように頭を下げる。
同時に「うわっ、びっくりした……」という声が聞こえた。
鳥海はにやり、と笑みを浮かべると、
「ご注文はお決まりでしょうか?」
と最上級のスマイル顔で頭を上げるのだった。
「すごく凝ってるね、ここの仮装って。それは……メドゥーサ?よく似合ってるよ」
とグラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)は言うほど驚いた様子を見せず、柔らかい口調で言った。
「はい、そうです。ありがとうございます」
「よくコスプレとかしてるの?」
「いえ、今日が初めてなんです。なので、すごいドキドキしてます」
「そうなんだ。えっと……この『山姥の作るミートサンド』と『雪男のアイスコーヒー』をひとつずつ貰おうかな」
「かしこまりました。少々お待ちください」
グラルスからの注文を受け取ると、月花は調理室として区切ってあるスペースへ入っていった。
「2番テーブル、ミートサンドとアイスコーヒー入りました」
調理担当のゼミ生が「りょうかーい」と答えた。
入口を見ると、まだまだ人が入ってくる気配がある。
お昼時も近くなるので、これからますます忙しくなりそうであった。
ふと、彼女は遮光カーテンが風で翻っているのに気づいた。
そこはベランダに出る窓があるはずである。
いつのまに窓が空いていたのかと不思議に思いながらカーテンをめくる。
そこには、
「…………」
ベランダの影に隠れるようにサボっているヴィルヘルム・柳田(jz0131)の姿があった。
月花は彼に気づかれないようにこっそりと近づくと、
「な に し て る ん で す か ?」
「うおぉ!?」
サングラスを外し、頭の玩具の動きを全開にして、これ以上ないほどの笑顔(と殺気)で声をかけるのであった。
●
「ご馳走様、なかなか美味しかったよ」
「ありがとうございました。またどうぞお越しください」
デュラハンの姿で会計をするヴィルトに代金を払うと、グラルスは妖怪喫茶を後にした。
廊下を歩いていく彼の横を、血糊でべったりと染まった白衣を着た人物と獣のような姿をした人物がすれ違う。
それは妖怪「マッドドクター」のコスプレをした、ジェニオ・リーマス(
ja0872)と、狼男のコスプレをした英 御郁(
ja0510)であった。
「妖怪喫茶やってるよ!楽しいから是非来てねー」
血染めのメスと聴診器(紙製)を振り回して通行人に声をかけるジェニオ。
丁度その廊下は日陰で暗い場所であった為、彼の『星の輝き』により2人はばっちりと注目を集めていた。
そんな彼に英は「おい」と声をかける。
「気合入ってんのはいいがよ、もっと色んな人に声をかけろよ。さっきから特定の奴にしか声かけてねぇじゃねか」
「う……」
ジェニオは言葉に詰まった。
「だ、だって下手に怖い人に声かけて絡まれたら嫌でしょ……そういう御郁くんだって女性ばっかり……!」
「んあ?そりゃお前、口コミは女性の方が伝わりやすいだろ?商売は女性層ゲットが基本だって言うじゃん」
「『商売』が違うような……」
「ま、細けぇこたぁいいんだよ。お、そこの可愛い赤ずきんちゃん達」
と御郁は廊下を歩いていた女子高生の一団を見つけると、近づいて声をかけた。
「ちょっとホラーで美味しいひととき、『妖怪喫茶』で楽しいお茶会はどうだい?」
急に狼男のコスプレをした御郁に声を掛けられれて、女子高生達は驚いて悲鳴をあげる。
そんなジェリオは呆れたように「はぁ」とため息をつくと、
「待ってよ御郁くん、そっちに行くと巡回ルートから外れちゃうよ。それに他人に迷惑かけちゃだめだってばー」
女性の通行人に次々と声を掛けつつどんどん先に進む御郁を追いかけるのであった。
「……思っていたより恥ずかしいわね、これ……」
露出度の高い、小悪魔のようなスーツを着て紅 アリカ(
jb1398)は呟いた。
その手には『妖怪喫茶』の看板が握られている。
彼女は今、サキュバスのコスプレをしているのだ。
通行人の好奇な視線が突き刺さる。
それをぐ、と耐えつつはにかんだ笑みを浮かべ、
「……妖怪喫茶やってます……もしお暇でしたら、是非寄って行ってくださいね」
と周りに声をかけるのだった。
そんな彼女の目の前にひとつの影が現れる。
それは全身をさらしや包帯で荒く巻き、所々素肌を晒すマミー――鴉乃宮 歌音(
ja0427)であった。
「どうしました?表情が固いですよ」
「……あ、いえ……大丈夫です」
そもそもアリカはあまり感情を表に出すことがない。
こうして自分から多数の注目を浴びるという機会も少ないのだろう。
歌音は包帯だらけの手を差し出すと、
「よかったら一緒に巡回しませんか?」
とアリカに声を掛けた。
「……え、でも」
「大丈夫ですよ。ちょっとぐらい巡回ルートから外れても問題ありません。それに……」
と歌音はニヤリ、と笑みを浮かべた。
「ちょっと私にいい考えがありましてね……」
「……はぁ」
「まあ、聞くより実践してみるほうがいいでしょう。ほら、丁度カップルがやってきましたよ」
歌音が視線を向ける。そこには、男女の仲睦ましい一組のカップルの姿があった。
「ねぇ、次どこ行く〜?」
「そうだなぁ……」
と腕を組みながら廊下を歩いている。
そんな2人に「……あの」とアカリは声を掛けた。
「はい?」
「……民俗学第四ゼミで妖怪喫茶をやってます……よかったら来てくださいね」
無表情でそういうアカリではあったが、そのプロポーションには効果があったらしい。
彼氏の方はぼう、とアカリの妖艶な姿に見惚れていた。
それを見た彼女は、不機嫌な顔で「ちょっと!」と彼氏を小突く。
「なに鼻の下伸ばしてるのよ!」
「の、伸ばしてねぇよ!」
「嘘言わないでよ、まったく……」
すっかり彼女の方は機嫌を悪くしたらしかった。
オロオロと彼女を宥めようとする男性であったが、
「彼氏さん彼氏さん」
と歌音はこっそりと男性に忍び寄ると、耳元でささやきかけた。
「ここは男を魅せるチャンスですよ。妖怪で驚く彼女を守ってあげる……最高のシチュエーションじゃないですか?」
「お、おぅ……?」
「ほらほら、彼女さんそっぽ向いちゃってますよ。このままじゃ文化祭が終っても、相手にされなくなってしまいます。良いトコ見せてあげてください」
と歌音は男にチラシを渡す。
「あ、あんた……」
「いってらっしゃいませ。良い恐怖時間を」
そう言うと歌音はくるり、と後ろを向いて立ち去る。
「っ!!」
その背中――包帯の隙間からは無数の赤い眼が男を見つめていた。
(お客さんたくさん来てくれるといいな〜!)
一つ目小僧の頭を模した着ぐるみと甚平を着て看板を手にし、廊下を身振り手振りとダンスするようにパフォーマンスするのは露草 浮雲助(
ja5229)である。
彼の周りにはなぜか子供達がたくさん集まっていた。
(誰かのお連れさんかな〜?それともこの子達も撃退士なのかな〜?それにしても大学のゼミって、こんな楽しいことをするところなんですね〜。僕も何年か後にここへ通うのかな〜……って、あわわわ!頭は取らないでください〜!)
力強く体に張り付いてくる子供達にきゃっきゃ、と弄ばれる浮雲助。
その隣では美しい着物に『妖怪喫茶』の文字が書かれた提灯を持った江見 兎和子(
jb0123)が顔を手ぬぐいで覆い「うふふ……」と妖艶な笑みを浮かべている。
「一つ目小僧さんは子供に好かれやすいのですね」
そう言いながら空いている片手で一つ目小僧の頭を撫でた。
ゆるかわいい表情と程よいもふもふ感に癒やされながら率先して頭を取ろうとする彼女の前に、一人の人物が現れる。
「すみません、チラシ一枚もらえますか?」
「あら、ごめんなさい。はいどうぞ」
チラシを一枚手渡すと同時に、その男は兎和子の手を掴んだ。
「ありがとうございます。こちらにも寄らせていただきますが、よければ一緒に文化祭を楽しみませんか?」
(うわ〜、ナンパだ〜)
子ども達に抱きつかれながら浮雲助は着ぐるみの覗き穴からその男を見る。
当の兎和子はと言うと、
「まあ、いけない人。でしたらまずはお店でお話しませんこと?」
「それもそうだ。せっかくチラシも貰ったことだし。お名前を聞かせてもらってもいいですか?」
「それはお店でお教えしますわ。来て下さったら、サービスもして差し上げますわよ……」
その言葉に気を良くしたのか、男は兎和子の手を引いて歩き出そうとした。
しかし。
「……こんな私で良かったら」
はらり、といままでずっと顔を覆っていた手ぬぐいを落とす。
その表情は、
「え……のわぁ!?」
目も鼻もなく、ただただ真っ黒に染まった歯が印象的な大口だけがある、のっぺらぼうのような顔。
妖怪『お歯黒べったり』の特殊メイクであった。
「ふふ、お客様?お店はあちらにありますの……それはそれは、愉快で恐ろしい妖怪たちがお待ちしてますわ」
兎和子はにたぁ、と口だけの顔で笑う。
「のわぁ!だってー」
「かっこわるーい!」
浮雲助の周りに集まっていた子ども達が笑いたてる。
周囲からもくすくすと笑い声があがると、男は顔を真っ赤にして兎和子の手を払いのけて立ち去ったのであった。
●
「先輩、あのお店なんか面白そうです。いきませんか?」
と紅野 葉幸(
jb0141)はカップルとして連れ添って歩いている水無瀬 快晴(
jb0745)に声を掛けた。
「……妖怪喫茶、か」
快晴はお店の張り紙を見るやぽつり、と呟いた。
「…まあ、面白そう、か」
「ですです!ささ、行きましょう先輩!」
葉幸は快晴を引っ張るように店内に入る。
薄暗い店内に足を踏み入れた瞬間、
「ヒャッハーッ!イーラッシャイマセー!!」
「きゃー!?」
いきなり暗闇から飛び出して来たドラキュラに葉幸は驚き飛び上った。
「あ、お、お客様?大丈夫ですか?」
そのまま涙目で固まる彼女にドラキュラはあたふたと慌てふためいてしまう。
しかし快晴は落ちついて彼女の頭をぽんぽん、と撫でるように叩く。
「……ん、大丈夫だから」
「ふぇぇ……」
その後落ち着きを取り戻した葉幸と快晴はドラキュラの案内でテーブルに着いた。
「どんなのがくるんでしょうかね」
「……さあ?それなりの雰囲気の料理が来るのかもしれないな」
「楽しみですね!」
と料理を待っていたところで、薄暗い店内の向こうから一匹の羊が近づいてきた。
いや、性格に言うと羊ではない。
羊のようなふわふわもこもこの衣装に身を包んだ『安眠妖怪ミシェール』ことミシェル・ギルバート(
ja0205)であった。
「お待たせしましたー!『安眠妖怪の特製ミルクセーキ』だし!」
そう言ってミシェルはマシュマロ入りのホットミルクセーキを葉幸に差し出した。
「わー、おいしそうです!」
「えへへー、眠くしちゃうぞー」
そう言うとミシェルは葉幸をもふもふと抱きしめた。
本人は軽いハグのつもりなのだが、
「え?あわ、はわわ……」
葉幸は突然抱きしめられ、赤い顔をして固まってしまうのであった。
「おいおい、大胆すぎんだろ」
とバックヤードの影から恋人であるミシェルを見守る癸乃 紫翠(
ja3832)は呟いた。
彼は羊を襲う狼男という役割をしている。
そんな彼をからかうように、
「あらら、ヤキモチかい?」
と天河アシュリ(
ja0397)は言った。
「ハグなんて挨拶みたいなものじゃないか」
「それぐらいわかってますよ。でも……」
紫翠はハグされて固まっている葉幸の隣に座る快晴を見つめる。
いや、むしろ睨みつけるという方が正しいだろう。
「隣の男にもハグしたりしないだろうな……」
「そこはワキマエるだろ。あのお客さんもカップルっぽいからな。それにしても、そんなにラムが好きかい?」
怪しげな笑みを浮かべてアシュリは彼に聞いた。
「羊(ラム)は好きですよ。いろんな意味で」
一転して笑顔でそう答える紫翠に彼女は苦笑いを浮かべるのだった。
「ほら、戻ってきたぞ」
アシュリの言葉通り、元気にトレイを持って近づいてくるミシェル。
「ただいま戻りましたし〜!」
ホールとバックヤードを区切るカーテンを潜る。
それと同時に、
「わーい、もふもふだし〜」
ミシェルは九尾狐のコスプレをしているアシュリの尻尾に抱きつこうとした。
しかし。
「おいミシェル。少しは遠慮しておけ」
紫翠はミシェルの行動を諌める。
「えー、だめだし?」
「仕事中だ」
「しょぼーん」
そんな2人の様子にアシュリは「あたしは構わないんだけどね」と笑みを浮かべるのだった。
「……ただ、これでも驚かそうとしてるんだけど、どーも尻尾をもふもふされてばかりな気がする……恐怖サービスって言うか、こりゃ何サービス?」
その時、調理を担当していたゼミ生が「きつねうどんできたよー」と声を掛けてきた。
「きつねならあたしが持ってくよ」
とアシュリはきつねうどんを受け取ると、ホールへと歩みだした。
ホールは不気味な雰囲気を演出する為、全体的に暗くおどろおどろしい。
(……ダ、ダイジョウブ)
彼女は内心びくつきながらもしっかりとした足取りでテーブルに進んでいった。
しかし、
「ひっ!?」
暗闇から唐突に現れた猿のような顔と虎の体、二股の蛇の尻尾をした――鵺の姿に、思わず「きゃぁ〜〜!!」と大きな悲鳴をあげてしまった。
ついでにうどんも高く放りあげる。
「お、おわ!?」
悲鳴に驚いた鵺、いやそれを擬人化してコスプレしていた島津・陸刀(
ja0031)は反射的にジャンプして宙を舞う碗をキャッチすると、麺と具をひょいひょいと回収していった。
「よ、ほ!」
着地。
あまりの早業に、それを見ていた人々は思わず拍手を送る。
上手くいった。そう思った矢先。
出汁のシャワーが彼に降り注いだ。
●
その後、陸刀はアシュリの襟首を無言で掴んでバックヤードに引っ込んでいった。
「うう……陸刀の恰好が怖くて、驚いて、その、うどん……コボシテマシタ……ゴメンナサイ……」
アシュリは正座のまましょぼん、と反省する。
一方の陸刀は鵺の衣装も相まってとても恐ろしく見えた。
しかも髪から出汁の雫を垂らしながら腕を組んで仁王立ちする姿は、とても直視できるものではない。
「紫翠、新しいうどん頼む」
「わー……良い出汁の香りがするヌエだ……いや、冗談だ冗談。うどん承りました」
そう言って紫翠は調理スペースへ入っていった。
「さて、この落とし前どうしてくれようか……」
「モ……モウシワケゴザイマセン……」
「とりあえずモップと雑巾!」
「は、ハイ」
アシュリは急いでバックヤードに積まれた掃除道具を持ってきた。
「ほれ、きびきび歩け」
「ひ〜ん」
こうしてアシュリはうどんの出汁に塗れた床掃除に駆り出されるのだった。
一方、料理を食べ終わった葉幸と快晴は『妖怪喫茶』を後にしていた。
「あのお店面白かったですね。おばけが沢山いました。料理もおいしかったです」
「……不味くは無かったし、妖怪の衣装も面白かったかな」
「そうですね。また来ましょうね、先輩!」
「……ああ」
そんなことを言いながら2人は廊下を歩く。
その様子を見て、妖怪喫茶に興味を持つ人々は少しづつ多くなっていったのだった。
白い和服に髪を白く染めて雪女の姿をしている酒井・瑞樹(
ja0375)は、チラシを受け取る人が多くなってきているのに俄然やる気が出てきた。
「色々な妖怪の居る喫茶だ。刺激的だぞ」
ドライアイスを手持ちの籠に入れ、冷気を演出する。
しかし室内とはいえ、季節的にもすでに冷え込む時期である。
小さくくしゃみをするも、
(武士の心得ひとつ、武士はいかなる仕事も全力で取り掛からねばならない!)
という心情を胸にひたすらチラシを配っていくのだった。
そんな彼女であるが、
「……む?」
ふと、とある教室の前で足を止めた。
その教室は特に使われていないのか空き教室であったのだが、パタパタとなにか飛んでいるのが目に入った。
それはボロボロに破けた服を纏ったヒリュウである。
「か……可愛い……」
彼女はふらふらと、教室の中へ入って行こうとする。
「は、いかんいかん!私はまだ仕事の途中なのだ!こんな誘惑になど……」
ちら、ともう一度教室の中を覗く。
小さく、愛くるしいその姿に瑞樹はたちまち引き込まれていった。
「や、やはり可愛い……」
「なにしてるんだい?」
「ぬわ!?」
唐突に教室のなかから一人の女性が現れる。
それは刑部 依里(
jb0969)であった。
慌てて「い、いや私は……」と言うが、
「ああ、お前も『妖怪喫茶』のアルバイト受けた人か」
と一人納得するように頷いた。
「僕は刑部依里っていうんだ。お前は?」
「あ、わ、私の名前は酒井瑞樹だ」
「瑞樹か。瑞樹も一息つきに着たのか?」
「一息……?」
そう言って瑞樹は教室内に視線を送る依里の目を追って中を覗いた。
教室のテーブルの一箇所に置かれた缶コーヒーと、ヒリュウが着ているようなボロボロの衣装が置かれている。
さらに『妖怪喫茶、百鬼夜行中』と書かれた看板も傍に立てかけてあった。
「大学校舎って結構広いからね。疲れちゃったから、一休み中なの」
「な、なるほど……」
妙に納得するように瑞樹は言う。
しかし「い、いやいや!」と首を振ると、彼女は依里に厳しい表情で向かい合った。
「まだ仕事は終ってないぞ。勝手に休むのはよくないのではないか?」
「別にサボってるわけじゃないさ。あらかた巡回ルートは巡ったし、仕事は一段落付けてるよ。それに……」
と依里は近くを飛んでいたヒリュウを手招きする。
ヒリュウは小さく鳴くと、瑞樹の目の前までやってきた。
「瑞樹も可愛いの見つけてこんな所へきたんだろう?ん?」
「そ、そんなこと……!」
依里の言葉に顔を赤くして瑞樹はそっぽを向く。
「わ、私は空いてる教室を利用して広告を張ろうかと思っていただけ!決して可愛いものが気になる訳ではないのだぞ!」
そう抗議する瑞樹に「あはは」と笑い飛ばすと、
「面白いね子だねえ。ま、煙草も吸い終わっちゃったし、そろそろ行こうとは思ってたんだ。……そうだ、お近づきのしるしに、はいコレ」
そう言って依里はポケットから白い粉末の入った袋を手渡した。
「これは……?」
「ゾンビパウダー、もとい重曹さ。瑞樹の持ってるソレみたいなものさ」
依里は瑞樹の手元で冷気が漏れ出る籠を指差した。
そして彼女はゾンビパウダー(重曹)を、妖怪喫茶の教室の場所が書かれたメモと共に教卓に置いた。
「こうしておけばネタにもなるだろう。小道具での演出も、大事だと思うのだよ」
●
フードを目深に被る2人組みの男達が廊下を歩いていた。体をすっぽりと覆うローブは、一見すると魔術師のように見える。
それは速水啓一(
ja9168)とディートハルト・バイラー(
jb0601)であった。彼らのフードの天辺からは2つのでっぱりが覗いている。
「この年になって仮装とは……少し恥ずかしいね」
「いいんじゃないか?たまにはこうやって楽しむのもアリだろ」
恥ずかしげに俯く啓一をよそに、不敵な笑みを浮かべてディートハルトは道行く人にチラシを配る。
「わー、わんわんだー」
「わんわんー」
ふと、後ろから歓声が聞こえてきた。
2人が振り向くと、どうやらディートハルトのローブの下から覗く犬の尻尾に子供達が気づいたらしい。
「ははは、さすがに見えちゃったかな」
しゃがみこんで駆けつけた子供達を受け止めるディートハルト。
啓一も一緒に座って子供達を迎え入れるが、
「んー?なにこれー」
とフードから突き出すでっぱりに気づいた子供の一人が、啓一のフードをめくった。
「あ、ちょ……」
その手を抑えるようとするが、時既に遅し。
フードが完全にめくれ上がると、
「わー、にゃんにゃんだー!」
「にゃんにゃんー」
「ああ、だから待ってって……」
啓一の頭には猫耳が付けられていた。
慌ててフードをかぶり直すと、隣に居たディートハルトは「あらら、ばれちゃったか」と苦笑する。
そう、彼らは単に魔術師のコスプレをしていたわけではない。
啓一は猫の精霊ケットシー、そしてディートハルトは犬の精霊クー・シーのコスプレをしていたのだ。
ちらり、とディートハルトも頭の犬耳を子供達に見せると、
「これはボク達だけのヒミツだ。誰にも言っては、ならないよ」
悪戯っぽくウインクしながら「しーっ」とでも言うように人差し指を口元にあてる。
子ども達は「ヒミツ」という言葉に目を輝かせると「はーい」と静かに返事をするのだった。
「ああ、そうそう。きみ達にこれを渡しておこうか」
と啓一は妖怪喫茶のチラシを子供達に手渡した。
「今行けば僕達のお友達が面白い事をしているから、お父さんやお母さんを連れて見に行ってごらん。きっと楽しいよ」
そうして2人はやって来た子供達の親も交えて妖怪喫茶の宣伝を続けるのであった。
その同時刻、妖怪喫茶ではまさしく「面白い事」が始まろうとしていた。
教室の中央では3体のキョンシーが並んでいる。
それぞれ仁科 皓一郎(
ja8777)、桝本 侑吾(
ja8758)、紫ノ宮莉音(
ja6473)なのだが、一様に無表情で生気のない顔をしていた。
「さてお立会いの皆様。こちらに居並ぶキョンシーによるショーをどうぞお楽しみください」
道袍を纏った道士の姿でアラン・カートライト(
ja8773)は言うと、店内からぱちぱちと拍手が起こる。
そしてアランは三体のキョンシーに指示を送った。
3人はそれぞれ白磁器風の花柄茶碗が乗った盆を片手に、紅茶の入った注ぎ口が異様に長い金属製の水差しをもう片方の手に持っている。
無表情のまま3人は同時に片手でヌンチャクを操るように水差しを一回転させる。
客席からは歓声が上がった。
そのまま息を合わせてくるくると回していると、唐突に侑吾は手を滑らせてしまう。
かくん、と傾く水差しからは大量のお茶が零れるが、
「……」
それを莉音は片手に持った茶碗で受け止める。
そして莉音も水差しを傾けると、待っていた皓一郎の茶碗に紅茶を注ぎ込んだ。
見事なお茶の架け橋に、店内は割れんばかりの拍手に包まれるのであった。
「へぇ、たいしたものだ」
テーブルの一席に座るリュシアン・ベルナール(
ja5755)は拍手を送ると、コーヒーを口に含む。
そんな彼の目の前でラル(
jb1743)は「吸血鬼風血みどろスパゲッティ」をひたすら食べ続けていた。
「君は随分美味しそうに食べるな……吸血鬼風とあるが、味はどうだ?」
リュシアンは口の周りをトマトソースで赤く染めラルに聞いた。
リュシアンとラルは別に顔見知りという訳ではない。
妖怪喫茶に来店したラルは、たまたま座る席がなかったのでリュシアンの席と相席になったというだけである。
そんな関係の2人だが、
「トマトが効いてる……食べる?」
とラルは何ともないようにパスタを巻いたフォークを差し出した。
そんな様子にリュシアンは苦笑していると、
「淹れたてのお茶はどうだい?」
とアランが声を掛けてきた。
どうやらキョンシーたちを連れてお茶を入れて廻っているらしい。
「そうだな、丁度コーヒーも尽きたところだ。頂こう」
「あ、あたしも……頂戴」
「シェイシェイ」
おどけた様にそう言うとアランは莉音の後ろに経ち、人形を操るように莉音と侑吾を動かした。
「此奴はイケメンでな、嗚呼、札が付いてるから分からねえか。そりゃ残念。代わりに俺で満足して貰おう」
と言いつつアランは皓一郎の肩に手を回す。
その途中、アランは侑吾に耳打ちした。
「俺はレディの相手しかしたくねえ。お前は可愛い良い子だから、やってくれるよな」
それを聞いた侑吾は無表情を保ちながらもふ、と口の端に笑みを浮かべるのだった。
(道士になっても、アランさんはやっぱりアランさんだ)
「ちなみに今紅茶を入れている此奴は従順で可愛い奴だが、少々暴れん坊でね。
寂しがりなのか札を剥がしたら最後、仲間を欲しがってて暴れまわるんだ」
「ふぅん……どうもありがとう」
リュシアンは莉音が入れたお茶をラルに渡す。
そんな2人にアランは悪戯っぽく「一度剥がしてみるか?」と聞いた。
「いいの?」
ラルは口についたソースを拭うとそう聞いた。
「ああ。俺がいるさ」
その言葉に従いリュシアンは莉音の、ラルは皓一郎の額に張られた札をぺり、と剥がした。
その瞬間。
莉音は声にならない声をあげ、また皓一郎はにやり、と笑みを浮かべて襲い掛かってきた。
「甘いなっ!」
リュシアンは噛み付こうとする莉音の攻撃をぎりぎりで回避する。そして横目にナイフでラルの首筋に押し付けようとする皓一郎を視界に入れると、そのナイフを手刀で叩き落した。
リュシアンはそのまま剥がした札を皓一郎の額に貼りなおす。
一方の莉音はというと、後ろから抱きつくアランによって新しい札を張られるのであった。
皓一郎と莉音は元の無表情に戻る。
「お客さん強いんだな」
「ふん、所詮は屍。生けぬ者に居場所などない」
一瞬の出来事に、周囲の客たちは一斉に沈黙する。
そしてこれもパフォーマンスと思ったのか、再び拍手が巻き起こった。
リュシアンははっと我に返ると、照れた様子で咳払いしつつ椅子に座るのであった。
そしてナイフを当てられていたラルはと言うと……。
「……(もぐもぐ)」
「別に気にしない」というように再びスパゲッティを口にするのであった。
食後のお茶を味わった後、ラルは急に「ああ、そうだ……」と呟いた。
「使い捨てカメラ……持ってきてたんだ。ねえ、そこの……道士さん」
彼女はお茶をお客に配っていたアランに声を掛けた。
「写真撮って……いい?」
「そうだな……ここだとフラッシュが客の迷惑になるから、廊下でならいいぜ」
「わかった……」
そう言うと彼女はアランたちと一緒に廊下に出て行こうとした。
その途中、
「……リュシアン、あんたも来て」
と声を掛けた。
「僕も?それはいいが、何でだい?」
「何でって……記念だもの……当然でしょ?写真、焼き増したげるから……」
ラルはさも当たり前のように言った。
「女性から誘われてはしのびない。ご同伴に預かろう。ところでシャッターは誰が押す?」
「それはあたしが……」
「記念だ、つうならお前さんも入れよ?」
キョンシーを演じていた時とは打って変わった笑みを浮かべながら皓一郎は言った。
「は?あたしは……って、ちょっと!」
「はいはい、一名様ごあんな〜い」
莉音は笑顔でラルの背中を押す。
こうしてしぶしぶラルも写真に参加することになった。
ちなみに誰がシャッターを押したかと言うと……。
「何で僕が……面倒な」
店内で適当にサボっていたヴィルヘルムが役目を負うことになった。
「サボってたのが悪かったんだろ」
侑吾はぼんやりとした表情で言うのであった。
●
こうして妖怪喫茶は大繁盛の内に閉店を迎えることになった。
遮光カーテンを下ろし、テーブルを片付ける。
窓からはオレンジ色の光が差し込んでくる。
「……zzz」
羊姿のミシェルはクッションを枕に、教卓の下で安らかな寝息を立てていた。
その姿は、まさしく『安眠妖怪』の名に恥じないものであった。
「こんな所で、気持ち良さそうに……」
行方のわからなくなったミシェルを探していた紫翠は教卓を覗き込むと、呆れたように言った。
「ほらミシェル、帰るぞ」
「んにゅ……もう食べられないし〜」
「はは、そんな寝言言うやつ本当にいるんだな」
ひょい、とミシェルを担ぎ上げると、
「すみません、後で衣装返しにきますね」
教室内で残りの片付けに勤しむゼミ生達にそう言うと、彼らは帰路に着いた。
文化祭では様々な思い出が残る。
ひとりひとりがそれを胸に、新たな青春の一ページを埋めていくのであった。