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――出発前
暮居 凪(
ja0503)が部員を問い詰めていた。
「まず確認するわ。サーバントの目についての研究は済んでいるのよね?」
「他の人に退治されないように、急いで依頼を出したのでまったく!」
「透過されることを避けるための阻霊陣相当のツルの開発は?」
「偉大なる眼鏡を透過する者などいるのだろうか。いやない!」
「……………………」
暮居の笑顔がだんだん凍りついていき、蒸し暑い部室に氷点下の吹雪が吹き荒れた。もっとも、それを感じているのは撃退士サイドだけで、部員サイドは自らの答えに誇らしそうであった。
「正座。『今』『すぐ』そこに正座」
笑顔とは裏腹な冷たい声音で床を指す暮居に、さすがによからぬものを感じとったのか、狂的眼鏡部はマッハで膝を折った。
一方、部室にある眼鏡を借りていた犬乃 さんぽ(
ja1272)は、レンズの分厚い眼鏡をかけて「わわわわ、世界が歪むよぉ」と、そこら中にぶつかっていた。
津宮から巨大眼鏡を取り上げた暮居は、隣で佇んでいた御堂・玲獅(
ja0388)に手渡した。
「……度は入っているようですね」
巨大眼鏡のレンズ越しに部室を眺めながら御堂が呟く。
「当然! たとえイベント用の立て看板でも、メガネについては妥協しない!」
誇らしげに叫んで立ち上がった津宮を、無言で指を下へ向けることで黙らせ、座らせる暮居。
巨大眼鏡をテキパキと改造しだした御堂を尻目に、暮居は部員達に説教を始める。
「眼鏡の伝道師として失格よ、その態度は。知らないのかしら? 大戦の引き金となった悲劇の眼鏡の話……」
一方、頭にいくつものたんこぶを作った犬乃は、度のきつい眼鏡を何とか取り外し、赤縁の可愛らしい伊達眼鏡を代わりに装着していた。
「今度はちゃんと見える! …にっ、似合うかなぁ」
頬を赤く染めて鏡に向かう犬乃に、シンプルでスポーティな伊達眼鏡を装着した武田 美月(
ja4394)
「うん、すっごく似合うよっ!」
と相槌を打っていた。
「では、臨時講義を始めるわ。まず眼鏡史からよ」
そして暮居の説教は、何やら怪しい方向へとエスカレートしだしていた。
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7人の撃退士達は老眼のファイアドレイクが出るという噂の峠道を歩いていた。
そう『7人』である。その中には暮居と狂的眼鏡部二人の姿は無い。
暮居が「彼女達には眼鏡の何たるかを教え込む必要がある」と、部員達と共に部室に残って説教を続ける事を選んだのである。
……暮居が狂的眼鏡部を凌駕した眼鏡信者のように思えてしまうが、違う。彼女は狂的眼鏡部が戦いに巻き込まれないように、あえて部室に残ったのである。
彼女自身がパーティから抜けるという戦力ダウンが痛くないわけでは無かったが、ファイアドレイクと正面から戦うわけでは無かったし、何よりも狂的眼鏡部がいるほうが危険だという結論に、他の撃退士達も達したのだ。
「最悪、眼鏡を担いで特攻しかねないですしね、あの人達……」
苦笑しながら陽波 透次(
ja0280)が言った。
「まぁよい。吾輩が彼女達の分まで眼鏡をかけてきてやろうなのじゃ〜」
ハッド(
jb3000)も尊大に言った。かける眼鏡は一つでいいのだが。
さて、こうして集まった撃退士達だが、狂的眼鏡部の皆が皆、部の方針に賛同して集まったわけではない。だが、懐疑的な者がほとんどだった前回の活動と比べると、今回は好意的な者が多いようにも見受けられる。
「メガネって凄い力が有るんだね! ボク知らなかったよ!」
瞳をキラキラさせて、完全に狂的眼鏡部の主張を信じ込んだ犬乃はその典型である。その無垢さに、部員の主張は何の根拠も無いとは吹き込み難く、何だか騙しているような気にもなってくる。
「目が良くなるだけではなく、知的に見え、普段とは違う外見にみんなメロメロになってしまう……あぁ、なんていいことづくめなのかしらっ!」
そして、眼鏡を借りるなり眼鏡の信奉者となってしまった紅鬼である。眼鏡から覗く新たな世界が、彼女を覚醒させてしまったらしい。なおそんな彼女は、狂的眼鏡部部長の香取からデジカメを託されている。
「そうなんです! 前も凄かったんですよぅ。眼鏡をかけたスケルトンさんやグールドッグさんが『もう戦いはこりごりだ! 皆も眼鏡をかけよう!』って言って和解したんです。あれは感動的でした〜♪」
後は、過去に狂的眼鏡部の活動をその目で見た鳳 蒼姫(
ja3762)である。最もその話は大幅に脚色されていて、記録とは違うようだったが……。
他の撃退士達もおおむね好意的なのも、過去の狂的眼鏡部の活動が一定の成果を挙げたことが一因としてあるのかも知れない。
「でも、眼鏡って思ったよりも楽しいねっ! 最近のはオシャレなのも多いし!」
漫画で眼鏡キャラがよくやるように、中指でフレームを押し上げる動作をやってみながら、武田が楽しそうに語る。
「そうですか? 私もかけてみたくなりました」
部員がいないこともあって、眼鏡をかけなかった御堂が少し残念そうに言う。
「じゃあ、ボクの眼鏡貸してあげるよ!」
そう言うなり、犬乃が自分の伊達眼鏡を御堂に押し付ける。眼鏡は本来あるべき場所に吸い込まれるようにして御堂の顔へと収まった。しとやかな彼女と眼鏡はたいへん相性がよく、日本人離れした彼女の容姿も相まって、まさしく北欧の文学少女と言うべき姿に大変貌を遂げた。
狂的眼鏡部がこの場にいれば、こう叫んでいたに相違ない。ビバ! 眼鏡!!
「くぅ! まさしく知的美人!」
紅鬼がどこか悔しそうに叫ぶ。
「ほほう……これはこれは」
「御堂さん、似合ってますよ」
男性陣の評価も上々だ。
「これが……私ですか? まるで別人のようです」
鳳から差し出された手鏡に映る生まれ変わった自身の顔を見て、御堂は頬を赤く染めた。
「そんなにも良いものなら、儂にもかけてほしいものだな……」
「いいよー、はい!」
後ろから、魔窟から響くようなしゃがれ声が聞こえたので、犬乃は御堂から伊達眼鏡を返してもらい、ハッドへと手渡す。
「む? 吾輩は何も言っておらんぞ〜」
眼鏡を渡されたハッドが首を傾げる。古風な口調だったので、犬乃はハッドが言ったのかと勘違いしたのだが、そう言えば語尾も一人称も違うような……。
犬乃は声が聞こえた背後へと、ゆっくり顔を向ける。
彼が見たものは、視界いっぱいに広がる、唾液でぬらぬらと輝いた赤い口腔内であった。
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「……そして、ルビコン川の渡河を決意したメガネウス・ユリウス・カエサルは、こう叫んだと言われている『眼鏡はかけられた!』と」
暮居は狂的眼鏡部に眼鏡史を教授していた。もちろん眼鏡史などというものは彼女の捏造であり、実際のローマ史に眼鏡を交えてでっちあげている。
次々と明かされる新たな眼鏡の真実に、狂的眼鏡部は真剣な眼差しで授業を聞いており、嘘を伝え続けるのが申し訳なく思うほどである。
「!?」
外から凶暴な唸り声と、悲鳴が聞こえたような気がして、暮居は教科書から顔をあげ、外を見た。
部室の窓からは覗けるのは、ちょうどドレイクが現れるという山のある方角だ。時間的には撃退士達が交戦していてもおかしくない時間である。
「頼んだわよ、皆……」
生徒もとい狂的眼鏡部に聞こえないように暮居は呟いた。
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身を逸らした犬乃が、紙一重でファイアドレイクの牙を避ける。
「ああ〜 ビックリした〜」
ほっと胸を撫で下ろす犬乃。一方、彼の背後から奇襲を仕掛けた噂の老眼竜であろうファイアドレイクは悔しそうに舌打ちをした。
「聞いた、今の?」
武田が陽波の脇を小突いて尋ねる。
「ええ、聞きましたけど……」
陽波は歯切れ悪く答えた。
「確かに『眼鏡をかけてほしい』と私も聞いたわ!」
紅鬼が陽波の代わりに断言する。
「つまり、彼は最初から眼鏡を欲していたということですね!」
鳳が嬉しそうに両手を合わせた。
撃退士達の中で『天然』に属するメンバーの誰もがこう思ったに違いない。
勝機は我にあり!!
「いや、たぶん僕らに隙を作るため、サーバントが話に乗っかっただけじゃないかな……」
陽波がしどろもどろになって反論しようとするが、聞いて欲しい者に限って誰も聞いてくれず、ため息をついた御堂だけが彼の肩をポンと叩いてくれた。
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ファイアドレイクは困惑していた。
撃退士達に奇襲を仕掛け、案の定、狙いが定まらずはずしてしまったことはまぁいい。それに慣れてしまったことは歯痒くもあるが……問題はそこではない。
その撃退士達から当然反撃が来るかと思いきや、驚くべきことに彼らは上位サーバントたる自分に眼鏡を薦めだしたのだ。
「見える事は素晴らしいのです。そして、それが平和なのです!」
蒼色の髪をした女が、知ったような口で主張する。まるで眼鏡をかけることで平和になった世でも見てきたかのようだ。
「近くの物が見え辛いとお悩みのそんなあなたに、超巨大眼鏡っ! 今なら何と、手入れとかしてあげるアフターサービス付きだよ!」
短い髪を束ねた活発そうな女が、まるで『オシウリ』とやらのように叫ぶ。長く生きてきた老サーバントは、人界の俗な事柄にすら精通しているのだ。
「さぁ、あなたも眼鏡をかけるのよ! さぁ、早く!!」
赤紫の瞳を血走らせた女が、巨大な眼鏡を押し付けてくる。なるほど。この眼鏡なら、確かに自分も装着できるだろう。
「私達は貴方の物を見る力を回復する為に参りました」
まともそうに見えた銀髪の女も、どうか眼鏡をかけてもらえるようにと説得をしだした。
「騙されたとしてもボク達に負けるほど弱くないよね?ねっ?ねっ?…それとも怖い?」
失礼な言葉を吐いたポニーテールの女? 男? たぶん女だ――に対しては、炎を吐きかけて黙らせた。
やっぱりその火炎は命中しなかったが、髪の先を数ミリ焼くことには成功したらしく
「ああ〜 ボクの髪が〜」
と涙声になっていた。ざまあみろ。
(さて……)
冷静になったドレイクは改めて考える。眼鏡をかけろという撃退士達の誘いに乗るべきか、否か。
老獪なドレイクにも、撃退士達の意図は理解しかねた。
罠にしてはもう少し上手くやるだろうし、眼鏡の効果が本物だとしたら、撃退士が自分の味方をする理由が分からない。
彼の思考は堂々巡りを続ける。
悲しいかな、この場にいる者達の中で最も真っ当なのはファイアドレイクだった……。
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「……わかった」
10分近く押し黙っていたファイアドレイクが重々しく口を開いた。説得のタネも尽きて、同じく黙り込んでいた撃退士達が身構える。
「その眼鏡とやらを儂にかけてみろ。ただし、謀ったと分かった時には……」
ドレイクが研がれた牙をギラリと剥いた。ただ、やっぱり目が悪いのか、見当違いの方向を凄んでいたため、大して怖くなかった。
「では、特別に吾輩から授けよう」
巨大眼鏡を持っていた紅鬼がデジカメの準備をし始めたので、代わりにハッドが眼鏡を受け取り、ドレイクへとゆっくりかけていく。
見た目は高貴なハッドとドレイクのやりとりなだけに、やっていることはともかく、まるで戴冠式の様な荘厳さだ。
ファイアドレイクへと眼鏡が装着された。彼は閉じていた瞳をゆっくりと見開く。
「おお!!」
目を開くなり、ドレイクは歓喜の声をあげた。狂的眼鏡部の狂気が起こした奇跡か、巨大眼鏡はドレイクにジャストフィットしたようである。
「こっち向いて、こっち!」
紅鬼は眼鏡をかけたファイアドレイクを四方八方から写しはじめた。まるで狂的眼鏡部の魂が乗り移ったかのようにデジカメのシャッターを切り続ける。
「では、礼を兼ねて……」
「そんな礼だなんて……」
人間の様に頭を下げて礼をするドレイクに、武田は両手を振った。
「視力の戻った儂の力を味わわせてやろう!」
「へ?」
呆ける武田めがけて、ドレイクは喰らいついた。
ポーン
その瞬間、激しく首を動かしたドレイクから、眼鏡がすっぽ抜けた。眼鏡が森の奥深くまで飛んでいき、視力を失ったドレイクの牙がむなしく空を噛む。
「……な!?」
ドレイクが切ない声をあげた。
「眼鏡の素晴らしさは味わったかしら? でも、残念。落ちてしまったわねぇ」
紅鬼がドレイクに向かって挑発するように言う。
「眼鏡を固定するバンドがここにあるのだけれど……あなたが人を襲わないと約束するのなら、渡してもいいわよ」
「断る」
紅鬼の交渉に、ドレイクは即答した。
「正確に言えば、そのような約束はできん。捨てられたとは言え、儂の忠誠は我が主にある。主にひとたび命じられれば、儂はまた人を襲う」
ドレイクは正直に告げた。その瞳は老眼で虚ろながらも、己のサーバントたる矜持に満ちていた。眼鏡などに頼らなくとも、彼の目から光が失われる事は無いのだ。
「……気が抜けたわ。戦う意思が無いというのなら、今日だけは見逃そう」
ドレイクは踵を返し、森の中へと帰っていく。
「待ちなさ――!」
武器を構えてドレイクを追おうとした武田を、陽波が押し留める。
「最低限の目的は達成しました。ひとまず退いたほうがいいでしょう」
「何より、上位サーバントが戦闘を放棄したんですよ! これで眼鏡の効果がまた証明されたのです☆」
鳳の主張に全員がハッとなった。
『天魔にもメガネを掛ければ、世界が平和になるんじゃね?』
この言葉は、あながち間違いでは無いのかも知れない。
少なくとも、その言葉を信じきっている愛すべきバカとは、誰も戦おうとは思わないだろうから。
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「……そして、自分以外の眼鏡着用を禁じた独裁者、メガネウス・ユリウス・カエサルは、最も信頼していた腹心が眼鏡をかけた姿を見て、最期にこう叫んだという『ブルータス! お前もか!』」
長い長い眼鏡史を語り終えた暮居は、ふうと一息ついた。狂的眼鏡部は感極まった様子で暮居を見つめている。このまま、彼らを通じて眼鏡史とやらが世に広まれなければいいのだが……。
何とはなしに暮居は外を見る。日は落ちかけ、紅い夕日が目を焼いた。
「……あれは!?」
目を細めた彼女の視線の先に、ありえないものが写った。眼鏡をかけたドレイクが悠々と夕焼けをバックに飛んでいるのだ。
目をこすり、再度窓の外を見渡すが、そこにはもう何もいなかった。
「気のせい……よね」
どっと疲れを感じた暮居は、狂的眼鏡部に解散を命じて、自らも部室を出た。
時は少し遡る。
撃退士達が帰った後、ドレイクは森の中を捜索していた。あの、巨大眼鏡をだ。
ほどなくして見つかった眼鏡を、どうにか一人で装着する。そして、ドレイクは翼を広げ飛び立った。主の下へ。
この眼鏡があれば往年の力を取り戻せる。はずれやすい難点はあるが、主や他の天使に頼めば接着してもらえるかも知れない。
こうしてファイアドレイクは峠から消えた。
後の世に眼鏡をかけたファイアドレイクが現れるかどうかは、まだ定かでは無い。
(代筆 : 栗山飛鳥)